Kagewari kagewari 精神分析相談事務所



6 老後の悩み

1)死について漠然と不安で、焦る気持ちがある

「誰一人、一度死んだ事がある人はこの世にいません」又、経験者から話を聞くこともできません。
安心して下さい、未経験の事が不安なのは誰しも同じです。そして死は誰にでもある事なのです。
「今生きているのなら、あなたは死とは無関係です」

2)成人して出て行った家族がなかなか会いに来てくれなく寂しい

成人できずに今も同居(跡取として同居しているのではなく)していたら大変です、彼(乃至彼女)が生き生きと自分の人生を生きている事を喜びましょう。
そう望んだのはあなたなのです。
つまり、「彼等が幸せに暮らしていない事が寂しい」ならわかりますが、「会いにきてくれないので寂しい」理由を考えて見ましょう。
「会いたい時にいなかったから」とか「たまに姿をみると嬉しいから」だとします。
■『会いにいけばいいのです』
(「忙しいのに悪い」という心配があるのなら、「会いに来てくれない」という設定に矛盾します、忙しいのなら「会いにこないのは妥当」で、理由が十分ですから「寂しい」のではなく「残念」な筈ですし、「忙しいのに会いに来て欲しい」のなら「忙しいのに悪い」と思うことは矛盾します。わざわざ来てもらう方が大変だからです。それでも「忙しいのに悪い」が成立するとした場合、その理由は「もてなしてあげられるから、来る方が楽だ」でしましょう、だとすると「こんなもてなしがあるよ、ちょっと来てみたら」と言うべきです。何のもてなしかわからないなら「来る方が楽だ」の根拠は先方に伝わりません。)
或いは「遊びにおいでよ」と誘うべきです。

3)尊敬されていない気がする

本来の共同生活でのベテランの在り方は、衆目からの尊敬であり、親族の尊敬はその後です。(儒教的なそれは「それを早くから学ぶため」であり、身内の上位各の人物を無条件に尊敬するものでは無いと俺は思っている。)
文明社会は、『老いる事=賢くなる』の構造を見かけ上壊しました。
しかし考えてみてください
「伊達に長生きしてんじゃねー」のです。
その経験から何を学んだのか、その経験は何だったのか、考えたり再評価するべき記憶は年下の人物より「その絶対数が上だ」というアドバンテージは普遍です。
「賢くある」を定義する事は難しいですが「そのまま見たままではなく過去の経験なりに『なるほどそうか』的な評論なりがついている状態」みたいな話でしょう(物事の認知にひと手間かけている的なところが)。
不安になる前に「過去の経験に『なるほどそうか』的な評論の無い記憶が残っていないか考えてみましょう」。
(語れる話になっているかって意味でもあるでしょう。)
わかりますか?
自分自身の人生の尊厳に敬意を尽くしてこそ『賢人』=尊敬の構造なのです。
そこをすっ飛ばしているのだとしたら自分で「ただ年長なだけ」を演じているようなものです。

4)痴呆の不安から、家族に迷惑がかからないか心配ばかりだ

最初の部分は俺の仮説です、
アポトーシス(細胞の自然死)に似た現象が関わっていると思っています。
生理的な問題や遺伝学上の問題もあるのかもしれませんが、「リハビリで回復する機能もある」のですから元々ポテンシャルが大きすぎの脳(超能力が好きな人の根拠になってるぐらいです、元々脳の使われていない領域は非常に大きいですから)を考える時、「もし不可避の生理学的根拠があっても、回復のリハビリとして選択される行為が日常化していた場合、その生理学的な問題の多くは、問題発生以前に抑止される」可能性です。

■「痴呆と現実への集中力には強い関係がある」と思う。
目的意識が明確だとか、現在進行形の現実から目が離せないとか、創造的な苦悩をモチベーションとして「時折脳が全開になっている」とか、、これは「生きる」と等価かも知れません。

この話のなかの最も重要なキーは「家族に迷惑がかからないか心配」という部分です。
あまり目にとまらないかもしれませんが、ここに重大な悩みのコアがあります。
痴呆だからといって家族が面倒を見ると決まっているワケでもなく、
痴呆の本人は、家族が面倒を見ている事を意識混濁でわからず(個人的には異論があります)
痴呆の心配をしなくちゃいかんのは、誰よりあなた自身で、家族から見ると(自分は痴呆ではないので)「そうなったらどうしよう」と思うことはあっても、それが心配で悩む事は無いでしょうし、もし悩むほど無理をして介護するなら(公共機関にはどんなに経済的に苦しくても、相談できる窓口がありますから)「それは家族というより、介護する個人の自己決定で」、あなたがそれに気を使うのは僭越です。

生きているのですから、関心は「生」と『現実』に対してであるべきで、『悲劇的な想像の結果』に落ち込むのは、現実へのアンチテーゼになり、上記した「痴呆と現実への集中力には強い関係がある」に皮肉にも話が被ってきます。
考えすぎは体に毒です、気楽にいきましょう。

5)死別した配偶者がいるが、今恋愛している。これでいいのか迷っている。

問題は相続だけでしょう
入籍とか荒業を使わないのであれば、むしろ健康だと言えます。

悩むとするなら「死別した配偶者への思い」となりますが、この思いが「過去に向かう思いならノスタルジーで、いい流れではありません」(俺は、岸田秀が度々問題視した「ナルチシズム」が現象面では「ノスタルジー」の形を取っている、と考えています。だからこそ「フロイド的な退行的思考になるのだ」です。ノスタルジーは追体験として再評価され、「だからこそ今は」の元になってこそ本旨であり、この思考は「ノスタルジーと呼ばれない」からです)
亡くなった人物との関係を経てこその今の自分、を再認識してみましょう。
恋愛と呼ばれる次元だけか「性的関係」ではないでしょう、
そんな自由な立場から、選ばれた恋愛なら、悩みに繋がる事はありえません。

それが恋愛ではなく、ノスタルジーの変形した『依存』だとするなら?
今度は逆に「亡くなった人物との関係を再評価」してみましょう。再評価は新しい記憶となりますから決して後ろ向きの思考では無いのです。


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