1)子供がどうしても言うことをきかない
子供が言う事をきいたら大変です、訓練された警察犬じゃありません。他人同様に「この人にも個人としての尊厳があるのだ」と思いましょう。「何故なの?」と論議を尽くすべきです、納得のいく回答が見つからない時、彼は(乃至彼女は)あなたを恐れるあまりそれが発言できないのです。
今更「怒らないから」なんて見え透いた嘘をついてはいけません(とっくに見透かされています)、先ず彼女(乃至彼)を尊敬するところから始めましょう、基本的人権は全ての国民にあるのであって「あなたのご子息は例外」等と言う事はありません。昔の武家が子供を「〜さん」と呼んだりした事は、「跡取だから偉い」だけではないって事です(それなりに合理性があった)。
|
2)大人同士ではそんな事無いのだが、自分の子供を相手にするとキレやすい
(ここも話が重複しますが)大人同士では誤魔化しが効くことも、四六時中一緒にいる子供相手には隠しようもありません(子供は仕事に行きませんから)、そしてその濃密な親子関係の原因は、地域社会や姑などが介入しない事も原因です。(それとなく親としての立場を子に説明して、「君もひとつここは彼等の面子もあるのだから、ないて妥協してくれないか」と根回ししてくれません)皮肉ですが、親が無防備に子供にさらされているワケです、1対1の人間関係に不慣れだから結婚⇒家族のルートが自然な人物にとって、生まれたとき(ナチュボーン状態の)子供は完全体に近い『単独者(哲学用語、自立するが故に代わる者がいない自分の実存を感じている存在)』ですから、慌てて「お母さん」だとか「お父さん」だとか、最近はあまり破壊力の無い(自身も慣れていない)鎧を着て威嚇しようとしても、そんな抽象属性に彼等が納得する筈もありません。この抽象属性は「社会あっての」なんですから。その権威を認める賛助会員(姑や地域の大人)の関与なしに彼等に「なるほど偉いさんだ」的な認識は伝わりません。
「子供が子供らしくないからだ」なんて解釈だけは間違ってもしないでください。自分自身が「素直なよい子であったのか」等を持ち出してはいけません。(現在幼児である人物に、そんな事は関係無いからです。彼等が「頼んだのではなく」、良い子だったのはあなたの勝手です)「自分の親はどんなチームを組んでいたのか?」とか「自分の親なら、今の自分の子供を軍人のように躾ける力があるのか?」と考えてみましょう。
だったら言葉の投げかけは「黙って言う事を聞きなさい」ではなく「何が面白くてそんな変な事するの?」に代わるでしょう。怒るのではなく、素直に疑問を投げかけましょう。「あなたはそんな嫌な人間で嬉しいの?」
■ここで話は転換する筈です。その子は「そんな嫌な人間」呼ばわりされるほどの事をしていますか?
無茶で都合のいい要求を突きつけているのはあなたの方かも知れません。
|
3)極端に子供の学業の成績が上下して困っている
学業の難易度はそうそう上下しませんから、上下しているのはお子さんの取り組む集中力に他なりません。つまり「いい成績を取る事にそもそも興味があるのか」です。
注:学問への興味と成績は無関係です。お子さんの研究課題がいつも出題項目に選ばれるワケではありません、その情熱は話してみればわかりますから、成績云々の前にお子さんが興味を持っている学問で論議が出来る程度の勉強をしてから、お子さんと話してみてください。テストの成績ごときで判断するのは早計です。
大事な事ですが、いい成績と学力は比例しません、ポテンシャルと成績は別物だって事はご自身の仕事等の経験でよくご存知でしょう。営業成績が上がると「人が変わる」のでは無く、業務評定が変わるだけです。つまり大事な事はお子さん自体の人物像には全く変化は無く(日によって隣のお子さんと入れ替わっていれば別ですが)変化してるのは「たかが成績」だって事です。
成績の結果どんな人生を生きようが、その責任はその子のものであり、損になろうが得になろうがあなたには関係ありません。(老後の所得の一部を当て込んでいるなら別ですが、育児と投資を同じにされてはかなわないでしょう、彼等は債権ではありません)ここでの反論でよく使われる表現は「彼等は厳しい世間を知らない、だから本当の危機感が無いんだ。バカに言ってもしょうがないから叱り飛ばさなければ」でしょうが、だとするとあなたの悩みは「子供がバカで困っている」になります、その親は誰ですか?
|
4)子供には何か夢のある事をしてもらいたいのだが、どんな習い事を勧めたらいいのか決まらない。
子供の夢は子供のもので、夢があるなら自分から話すでしょう。
それが何か(具体的に)アドバイスできればいいのです、そもそも曖昧で掴み所のない夢をお子さんが気軽に話せる環境を整えているのか確かめましょう。たわいもない事を話すのにも緊張するようなら問題です、重要な事ですが「友達同士のような関係ではありません」仮にも自分の夢を話すのですから、マジな信頼関係が必要で、「遊び友達のような、軽いノリの関係」では、逆に大事な話は信頼できないので話されません。
つまり、あなた自身が秘密無く赤裸々に自分自身をさらけだして信頼関係を築くのが大事です。意識して自分の子供にカッコをつけているとしたら、とても危なっかしくて大事な話をするはずありません。
子供に「夢っぽい習い事をさせたい」は論外です。
自分でやってください。
|
5)子供に秘密が多くて、人物像が掴めない。
ここも話が前後しますが、秘密が多いのは「話すに足る信頼関係が無いから」です。これと似た現象が人種偏見でよく起きます、言葉が通じないので両者が臆病になりあれこれ考え過ぎて余計にコミュニケーションが不足し、疑心暗鬼な不安感を沈静化させるために「ありもしない悪評でなんとなく自分を納得させようとする」行為です。
むしろ『果たして子供は私の人物像を正確に掴んでいるのか?』と考えてみて下さい。
コミュニケーションは一方通行ではありませんから、子供の心配をするまえに「自分は子供に理解されているのか?」を考えるのが先です。
そもそも「自分にはっきりした人物像があるだろうか」が怪しいなら、問題の出発点はあなたでお子さんではありません。
|
|