1)このまま終わってしまうのなら、一生大人になれない気がする
おそらくあなたは仕事をしていないとか、誰とも(異性と)深い関係になった事が無い、とかなのでしょうが、全く問題ありません。江戸時代の東京は圧倒的に男が多く(吉原が繁盛した背景事情でもあります)ほとんどの人はそんなロマンチックな関係は無く、結婚の大半は「縁談」でした。そもそも自由恋愛には結構無理があって、時代に応じて「自由恋愛?」風の生活をしている人も、手近な人間か、かなり強引にそんな関係を維持している事が多く、決して自然では無かったりします。
「不自然な人間関係を築く」ぐらいの気持ちであれば良いのです。そして別段そんな関係は無くても良く、あなたが結婚を望むなら「おばちゃん良い縁談無い?」な方向に転じてみるのが自然なのです。
この悩みの背景事情には「ぼく(私)は愛されてるかしら」との不安があります、このアイデアは子供が親に対して持つもので「人を愛する事はあっても、愛されるかしら?」と思うことは不自然なのです。(芸能人でもない限り)
「自分による自分のための」という発想が無いのなら、考えてみましょう。
家族関係からテイクオフできていない自分の姿がある筈です。
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2)性的な関係を築くパートナーが、一生出来ないのではないかと不安だ
夫婦生活は「性的パートナー」そのものです。「結婚できるのか」と考えてみましょう、そうすっと。「自分は結婚したくてしょうがないのか?」と問いが変わります。そこで改めて考えなおしてみましょう。
結婚は縁ですから、間違い無くしなくちゃいけないものでもありません。
だとしたら「自分には縁がないなぁ」で済む話なんです。
しかしそこが不安だとすると、あなたが考えているのは「性的パートナーではなく家族になってくれる人物がいるだろうか」なのかも知れません。
では考え方を転じてみましょう。
「自分には家族ができるかしら?」(無意識なのでそんなつもりはありません)
不安になってている話自体に(というか日本語に)無理がありますね。
過去の家族関係の記憶を思い出してみましょう。「性的パートナーは決して家族ではありません」
ここが切り離されれば、いいのです。性は快感を伴いますから、そこにはお互いの利益があるのであって、大事な事は「自分のその利益(性)を歓迎しているのか」に至ります。自分の生命を大事に思えるなら、その不安は根本的に解消の方向に向くでしょう。
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3)社会に馴染めないので、「きっとまともにやっていけない」と思ってしまう
社会は一律のものではありません(実際「社会」という言葉自体近代日本以前の『社会』にはなかったのです)ここで漠然と「社会」のイメージを成しているのは、大人達の群集を意図してて、実は架空のものだとも言えます。馴染んだ事が無いのに、『社会』のイメージがあること自体不可思議です。
「馴染む必要のある社会ってどんな人達か?」具体的に考えてみましょう、自分自身の個人的な考えが違っていたら、むしろ馴染まないほうがいいのかもしれません、社会に対立する個人だっていていいんですから(改革者なら尚の事でしょう)。
「人と同じでなければいけない」という脅迫(強迫)がある筈です、こりゃ無茶な話です、その『人』のイメージは漠然としてますから(何せ「人」だけなんですから具体的だったら大変です)悩みに終わりはありません。
その「人と同じ」が『まとも』の実体と言えるでしょう。
悩んでる自分自身への問いかけが、そもそも矛盾している事を見つめていけば、脱出口がみつかる筈です。
この悩みの背景事情には「イメージの『人』とはかけ離れた家族」がいるのかも知れません。
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4)そもそも何の仕事もしたくない
そのまま考えれば、それは「仕事をしなくちゃいけない」であり、又「仕事って何か」でもあるでしょう。さて松尾芭蕉は俳句を詠んで旅ばかりのロクデナシですし、小説家なんてものは売れなければ飯が食えません(飯が食えるかどうかは、時代を含めて運みたいなものですから「仕事が出来れば小説が売れる(完全に日本語になってませんね)」なんてものでもありません)「小説を書けば仕事をしている」とは言えません。そして商業演劇に対するアングラ演劇(食えない)の批判は「食うために芸銃性を貶めている」となりますから、「仕事をしてるか」はまるで眼中に無い論議でもあります。
◎「ほんとに 仕 事 がしたくないのでしょうか?」
デ・コードします
「なんかいかにも普通の人がしてる事をやる気になんない」
或いは
「人のしてることがバカみたいで意味がない気がする」
話は複雑です。しかし明解になってきます、
つまり「評価の対象としてバカらしいのでやる気にならない」が正解だって事です。「何の仕事」の”何の”の部分が怪しいのです。この”何の”の何は(無意識で自覚できないのですが)「誰かに評価され自分の値をあげるような」になっちゃってるのです。
●果たして誰(評価者として)を意識しているのか
ここが脱出口ですね。
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