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>多分、私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人がいなかったために誰に対しても自分を抑圧していたのですが、
根本的なボタンの掛け違えと言いますか、
180度真逆の深層心理が表に現れてる台詞です。
まったく気が付いていないでしょうが
「私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人」
 ↑
この設定既に『マゾヒスト』になってますよ、
その構造が『被(こうむる)』的な完全な受動系(=自動的に自立独立は後退し抑圧)であり、そのまま(この掲示板なり閲覧されていれば説明の必要無いと思いますが)「強迫心理バレバレ」です。

言うならば『特定権威者(自分を認めるに足る何がし)が自分を認めない限り自分は存在しない』ワケですから、
(ここ親子関係の共依存で紐解けば背景を特別説明する必要無いでしょう)
そりゃね「どんだけ設定が空想・妄想の世界か」ってことです。

そして間違いなくyuttieさんはその「認められるべき受動系(依存系)の自分なる認知」をあたかも本音であるとか抑圧された自分であるかのよのうに”根本的に(180度真逆に)勘違い”しているんですよ。

■そもそも「”何を”認められる」という話なのかですよ、
(ここも説明の必要も無く”共同幻想社会への社会適応”が被っていることは言うまでもありませんが、)
なんで「られる」って認めて「もらう」形にならないといかんのかです。
よりにもよって好き好んで、
 ↑
素で考えればこの状態は100人が100人その設定だけで(自分)不快になる思考構造です。
(「愛”される”」に替えて考えるとわかりやすいでしょう。←勿論女性誌で有名なこのフレーズは不安心や不快を煽る形で購読に結び付けようというキャッチコピーであることは言うまでもありません。ホラー映画のキャッチコピー構造と似たような”レトリック”です。)

加えて
>無条件で感じられる
となれば幼児心理における「空想家族依存心理タイプの退行」であることも説明の必用がありません。
 ↑
ここ典型的な矛盾なのです。
「自分が(自主性としてあれこれ思い)こうであること」が実存しない限り意味が無いにも関わらず、ここが「無条件」ということになれば「誰が何をしようと」のようなニュアンスになりますが→勿論ここは「私が○○○○という名前の人物だけで無条件に」となるでしょう(自分らしく生きているだとか何をしているどういう人物であるのかと無関係に)。即ちこれは親子関係の妄想です(現実の親子関係でもこういう状況は実際には存在しません)。
つまり「現実の親子関係の諸問題」から(実際幼児は空想上の友人と話したりぬいぐるみを相手に会話するなど内面世界の想像に嘆美的に快感想像するケースは珍しくありません)→「空想や想像上の妄想に逃げ込む」的な退行が『(幸福感の想像というか)快感の再現』に結びついてしまい(退行により)、依存(構造的に固着)傾向にあると解釈できます。

▲勿論「無条件」が意図しているものは「私が○○を実現したら」のように成績であるとか実績などの形骸的条件を指しているのですが、そもそもそんな形骸や属性的特徴は『共同幻想社会適応だけに通用する条件』なのです。
ですから、そのままであれば「あたかも共同幻想社会への適応以外の現実はこの世に存在しない」かのような極めて狭い選択となります。
この時点で(そんぐらいに狭くなっている時点で)「既に強迫的発想」になります。

注)勿論思春期の反抗期を経て「共同幻想社会への適応」を選択してもいい訳ですが、反抗期期間は「仮想単独者状態」となりますので反抗期中は「マストでは無く選択肢のひとつ」でなければなりません。


ちょっとイマイチ「何のことやら」な可能性もありますので補強しますと、
「部活などでなんと言いますか和気藹々に誰もが受け入れられている集団」←例えばこういう集団は電車内などにそのまま団体などで乗り込まれるとはっきりいって乗り合わせた周囲全体に不快の環が広がります。
(構造は暴走族と同じだからです)
サラリーマンの飲み会流れの集団も同じように見られます、
(それこそある程度の母集団のまま騒いでもいいように居酒屋なんかも棲み分けしているぐらいで←サラリーマンの一杯飲み屋に間違っても入ってこないように飲み屋には飲み屋なりの棲み分けがある。)
 ↓
同様の現象として、
電車に乗り込む「家庭内と同じふるまいをする年少の子供連れ親子」も不快視されますね。
(そういう事は「外の目に触れない家庭内で」という不文律があるためです)

当該社会にとって秩序というか条件は似たところがあって、
(電車内など準公的な場面では静かにする取り決め合意のある家族のように)
何らかの条件(○○部として本気でやる気になっているだとか)が付随するのが自然なんです。
「本音として私は○○というスポーツを自分の意思で選択している」というような自発的な(自分なりの)選択が明らかであることです。
逆に言えばこれが不鮮明になればなるほど(無条件になればなるほど)そういった類の集団は(集団内では居心地がよくても)周囲に対する不快度合は高まります。
(事実一時期活動内容不明のイベントサークルが社会問題にもなってます)
つまりこれは『母集団のアイデンティティ論』です。
 ↑
ハードな体育会部活で「チャラチャラしている後輩を怒鳴り飛ばすキャプテンの図」で想像してもらえるとわかりやすいかと、

■「勿論こういう状況を指しているのではない」
つまり「無条件」というキーワードの背景には(こんな自分の定義がないため)「○○」なる”氏名だけで”という定義が裏コードになっており、
即ちそれは「家族関係の想定」があることになります。


言い換えるならば「反抗期」とは、
「誰々だから」とか「子供だから」などのような(ある意味)無条件性と受け身(被(こうむる))を嫌悪して、
「私はこうしたいんだから」と自分であることの条件のように、自分を自分の選択で定義してその実現(誰かれに認められるだの認められないだのうんうんは抜きに)への能動性を発現するのがその趣旨であって、
極端に言えば「無条件に誰かに認められるかのような心理は邪魔で不快なもの」になります。
(なので一般的にも思春期における反抗期は親子関係などがギクシャクする←馴れ合い的な言葉や投げかけを特に嫌悪するなど。)

「自分で俺は(こういう選択の)俺だ文句あるか」と自分であることの条件を現実世界に問いかけるというか突きつけるのが”所謂ひとつの青春”というものです。
(そして自分というのは「俺はこれからこういう選択をするぞ」という”これから行う選択”の事ですから、)


<話は戻って>
「自由気ままに勝手に生きる」←こっちがデフォなんですから。
(このスタンスはとりわけ単独者に限定されるものじゃありません)
ですから、
今現在であっても
>多分、私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人がいなかったために誰に対しても自分を抑圧していたのですが、
 ↑
これが残っているのはいかんですよ。
自分で「何を言ってんだか俺は」とダメ出ししていい場面です。

デ・コードすればですよ上記文章の「自分を抑圧していた」
この言葉はですね「甘えたい気持ちを抑えていた」に他なりません。
この快感依存は大人の心理にはありませんので、
逆に言えば一種の中毒(依存症)として←この構造に浸る傾向がある時期から固定化していると言えます。
 ↓
>素の自分の年齢は歪曲や抑圧を始めたくらいで止まっていたのかもと思います。
と考えると「幼児期から私は親に甘えられずに不安感でいっぱいだったのだ」という部分が(抑圧により)冷静に語れていなかった(過去になっていない)事もスムーズに理解できると思います。
 ↑
親会社と子会社の関係で言えば「親会社との関係に安心できず部品製作の本業もオチオチできなかった」と考えると何かが違う事に気が付きませんか?
現実にあったのは「安心して自分なりの活動(部品製作の本業)ができなかった」なんですよ。
しかし「幼児心理的な空想に逃げ込む状態(=内向化傾向)」によりそれは「甘えたかった」という言葉に過剰化します(言えばごくありきたりな家族社会においても親に甘えるなんて状況は一般的な話じゃありません)。
現実のサイズは「本業に専念できない」なんですが、
これが「どんな部品を造っても褒めてもらえる空想(=内向)」に囚われてしまうと「甘えたかった」のように現実には滅多に存在しない(言えばごくありきたりな家族社会においても親に甘えるなんて状況は一般的な話じゃありません)世界があたかも自分の生存条件であるかのように『枠がハマる』(実はそれは自我にとって『枷』なんですが)。
その想像が破綻しそうになると→(不安感から)感情的に爆発するというか→現在の状況を招いている。
▲重要なのは「本音は、真面目に本業に専念したかたっただけなのに」であることです。
(というかその本音が甘え構造の抑圧により「思い出せなくなっている」と言えばいいでしょうか、)


更に話を古い時代に巻き戻すと、
微妙な親子関係時代に「実存不安(幼児にとって親子関係がギクシャクするのは死活問題ですから←閉鎖的な親会社と子会社の関係)」から、想像の世界に逃げ込む傾向があり→「あたかも本当にそんな(想像世界のような)自分が”無条件に認められちゃう世界”がないと私死んじゃう(サディズム反転すると「みんな殺してやる」)」のような世界から(逃げ込んで)逃げ出せなくなった。
 ↑↓
上記の状況は「大人目線でオマイラさ何やってんの」と醒めた目で両親を見られないのと同じ(鶏と卵の関係)なんです。


>関係ないですが自分にあった薬が処方されたことも大きいかもしれません
 ↑
案外と関係アリです、
(私は投薬には懐疑的ですが絶対にやめるべきみたいにも思ってません)
タバコであれ珈琲であれ(欧米ならマリファナもアリかもですが)、誰にでも各人なりの精神安定的嗜好品ぐらいありますから。
「それどころじゃない急性の状況」があるのであれば投薬は『一拍置く思考の時間稼ぎ』として使えます。

時間をかけて「おいおい俺は何やってきたのか」考えれば上記の”レトリック(自分でうっかり仕掛けた自我の罠みたいなものです)”に自分でも気が付いてくるでしょう。

引用なし

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【22】もう辛くないのに不安 yuttie 2010/06/18 21:39
【23】所謂急性の強迫傾向にあったと考えるのが筋論でしょう kagewariこの掲示板の管理人です 2010/06/19 17:59
【24】Re:所謂急性の強迫傾向にあったと考えるのが筋論でしょう yuttie 2010/06/21 07:10
【25】おおかた読み込めてますよ。 kagewariこの掲示板の管理人です 2010/06/23 20:15
【26】Re:おおかた読み込めてますよ。 yuttie 2010/06/27 16:01
【27】補足しておきましょう kagewariこの掲示板の管理人です 2010/06/28 21:49
【51】Re:補足しておきましょう yuttie 2011/01/17 14:42
【52】そーですねぇ kagewariこの掲示板の管理人です 2011/01/18 16:17
【55】Re:そーですねぇ yuttie 2011/02/24 14:31
【56】各論でいきましょう kagewariこの掲示板の管理人です 2011/02/25 19:34
【65】Re:各論でいきましょう yuttie 2011/05/22 00:10
【66】いくつかの各論と推定 kagewariこの掲示板の管理人です 2011/05/22 23:16
【67】Re:いくつかの各論と推定 yuttie 2011/06/29 19:40
【68】そのまま読んでみましょう kagewariこの掲示板の管理人です 2011/07/01 22:37
【77】Re:そのまま読んでみましょう yuttie 2012/01/15 00:06
【78】今回は端的にポイントが現れてます kagewariこの掲示板の管理人です 2012/01/17 00:34

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