Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  OTD過去ログ 過去ログ(分類別)  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。

■運営趣旨『ログ閲覧の公共性』から”編集目的以外の記事削除”は原則禁止(レスのついた親記事(スレッド)は削除できない仕様です)
■2012年7月をもって「掲示板上での新規相談受付を停止します」これに合わせて有料相談に「簡易相談」コースを設置
■投稿機能は(停止措置時を除き)制限しておりませんので「簡単な質問等は今後も利用可能」です(管理人投稿【79】参照)
■当サイト運営趣旨に反する連続投稿等がある場合心理学的判断から一定期間投稿機能が停止されます(管理人投稿【123】参照)
”現在投稿規制中”
■【参考】過去ログ/ブログテキストなど体系的に閲覧したい場合「民間有志作成のミラーサイト」もあります


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【124】今後の掲示板運用について  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/10/18 08:32 -

(2014.1.8.一部校正編集)

現在『公開掲示板』は新規の相談を停止しているところですが(この辺は注記記載のとおりです)、現在可能となっている「簡単な質問等」の趣旨がわかり難い部分あるかと思うのでちょっと説明しておきます。
元来『有料相談』と『公開掲示板』には運営上の違いがあり、特に精神分析などは一部個人情報などの提供無しに進められない部分ありますからそこはプライバシーが保護されている『有料相談』では可能ですが、公開性を原則としている『公開掲示板』の場合は「一般論として答えられる範囲」となってます(ザックリ言えば「そういう相談事例の場合概ね」的な趣旨でその返信内容の精度や確度という部分で詳細に説明することはできない)。
しかし一般論の範囲でも『公開掲示板』は無料ということもあって「同じ話が反論形式で繰り返される傾向」があり、これはHP『有料相談』のページやブログ含めて様々なところで書いてきているとおり『依存性リスク』になります。
前述のとおり過去ログ蓄積量的に現在は以前のような『公開掲示板』で新規に相談を受け付ける部分は停止していますが『依存性リスク』を完全に抑制できていない状況です。
(先日の「掲示板機能停止措置」などの手段を講じないとこれを抑制できない。←後述のとおりリスク縮減の対応は可能だし容易なんですが無料の『公開掲示板』では物理的に不可能であると、)

「簡単な質問等」は相談可能という部分が曖昧だってところあるかと思うので改めて管理人告知として説明しておきます。
■基本的には1回のやりとりで完結するような内容であること
■返信内容の確認が数回続くのは勿論可ですが、その内容が蒸し返し的な反論形式となるような趣旨のものはNGです
(ここ意味わからない人いるかもですが、事実関係の祖語では無く「心理学根拠」に対する反論となると事実上心理学の講義のような“論拠”を一から説明しなければならなくなってしまうので←その説明が必要か否かは既にそのために無料で公開されている掲示板過去ログやブログテキストなどでプルーフされており、疑義があるなら「ここで相談に至る根拠が無かった」事になりますから、『依存性フラグ』でもない限り有り得ない話なんです。)

また込み入った相談は『公開掲示板』新規質問停止に合わせて「1回のみ可+アフター可」の『簡易相談』(プライバシーに関わる内容にも踏み込める)を有料コースに設けてますから、そっちを利用してください。
更に当サイトの心理学的根拠は概ねブログのカテゴリ『心理学テキスト』読めば事実上わかる事にもなってますしHPにもテキスト挙げてますので、そっち読んで事前に確認していただければと思います。

当サイトはあくまでも個人運営によるもので『有料相談』にしても基本的に営利目的での法人等の運営ではありません。『公開掲示板』の返信も“無料“となっておりその辺の趣旨を理解された上利用いただければと思います。


※『依存性リスク』について若干補足しておきます。
事、心理学関連のメンタル問題の場合『自意識に対する抑圧』そのままに「強迫心理的傾向」は問題解決に至るような思考そのものを抑圧している事になるので(アイデアを思いつくような部分を含む)、これを解体ないし解消する方向の心理学的答申はその「強迫心理」にとって脅威となるものです。
端的に言えば「(何か気持ち的に納得いかない的な)抵抗あって普通」なのであって=その抵抗を反論形式で”主帳”しちゃうと、それは=「強迫的思考を防衛しようという趣旨」になってしまうので悪循環になるんですよ。
それだけでなく、ここには快不快原則的な興奮を伴いますから(掲示板やHP冒頭などで説明している「自我の混乱(興奮)」)、『反復欲求化』されやすいところがあるんです。←繰り返せば繰り返すほど「強迫的思考サイドを肯定する高揚感が高まってしまう」。
勿論これは私が徹底抗戦する事で(逆利用とまでは言わないまでも)対消滅的に対応することは容易なんですが、物理的に「ガチで無料で運営している掲示板で同様修羅場となるのは明快に運営上の問題」なワケで、仮にそれが『有料相談』などで展開されてしまうと”悪徳商法”みたいな事になっちゃうワケですよ。←こうなっちゃうのも別の意味で困るんで、
(同様事例が多数って事はありませんがこの注意喚起も同リスク抑制の参考になると思います。)

誰しも「思春期における反抗期」で「猛烈に言い返したい」みたいな欲求の経験あると思いますが←反論形式の連続投稿はこれの逆パターンなんです。
「思春期の子供が自我の自立過程で親に反抗的なスタンス(=過去の権威性認知に対する反抗)」である部分に対して、親の側が「究極のあー言えばこう言う無限反論で興奮しているようなものと同じ」なんです。←『抑圧』であるとか極端に言えば『弾圧』。
で、当人問題になっているのは『共同幻想』が変異した(或いは偏化した)「強迫心理」で問題起きているのであって(出所不明な謎の権威性認知が自分を抑圧し続けるような形で)、その権威性認知構造を保守しようと興奮してしまうってのは「反抗期の弾圧」と同様で=メンタル問題の温存となるんです。
 ↑
心理学的な基本原則知らない人は「は、何の話?」と思うかもしれないので、一般的にも知られている『トラウマ論』で補足すると、
ぶっちゃけ「過去の話が現在の自我を強迫・乃至拘束或いは抑圧し続けている」、
一般的に「強迫心理」ってものを考えれば「それは一種のルサンチマンのようなものに起因する」のですから「過去の話が現在の自分をという図式」なんです。
つまり「保守」=「問題の継続」と考えるのが自然。
問題の解体や解消ってのは、自我を「思春期反抗期のような自立的(過去の権威性認知に対する)反抗」の形にプロセスとして戻す作業(現実アップデート機能の回復)になるので、言うならば反抗期の子供の理論武装になる根拠を心理学サイドが提示していくみたいなものです。
「心理学的内容の返信」を使って「強迫心理」に対して反抗するスタンスがメインイベントみたいな。
(※だから当人は「自身の「強迫心理」に自立的に対抗する上で武器となる心理学的返信を必要として相談なり質問」になってるんです。)

しかし、いざヤバい話(アンチ強迫心理である心理学的返信)を耳にして、(効果的過ぎて)これを脅威に感じ「話としては逆さまの「強迫的思考」を顔真っ赤にして自我防衛」してしまう撤退戦に切り替わってしまう場合があるって話。
(そこでフェードアウトするならそれはそれで「歩留まり選択」なので何も止めもしませんが)

繰り返しますが、上記問題は「心理学側が徹底抗戦することで論理的には容易に抑止可能なリスク」なんですが、特に無料の『公開掲示板』の運用でそっちの話を展開する物理的余裕が”無い”のです。

引用なし

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件名にある投稿自体同スレッドでアナウンスされているように削除されていますから、事情わからない人は何の事やらと思うかも知れませんが、
(投稿へのレス部分は引用等である程度趣旨がわかるように記載しておきます。)

<まずアナウンスから>

■暫く同掲示板の新規投稿を停止します。
同掲示板はあくまでも利用者が規約を守る事を前提に運営しているもので、その紳士協定が守られないのであれば、掲示板そのものの新規投稿を停止するなどの結果に繋がります。
必ずしも新規投稿が頻繁なサイトではありませんから大きな影響があるとは断定できませんが、利用者全体への迷惑行為となりますので「掲示板注意事項・等サイト運営規約の遵守」宜しくお願いします。
(掲示板機能での投稿制限も機能的には可能ですが(現掲示板機能として投稿ホスト特定に限界があり)簡易でこの対処の後もそれを回避する方向で連続投稿が続いた経緯があり、今回の措置といたしました。)

投稿機能の再開をアナウンスする事はしませんが、「時期を見て機能再開される」と思っていただければと思います。
(「暫く」はそのまんんま「暫く」です。)
又、問題が再発した場合も随時同措置が行われますが、その際は掲示板ヘッダに記載の注意事項の仕様そのまんまに予告なく投稿機能停止を行います。
※趣旨はHP規約のリンク参照http://kagewari.cside.com/kage2.htm
(2.「簡易相談・サポートカウンセリング4回」(1回のみ可)項目で補足注記されている部分)
質問等緊急性のある場合には、前述リンクの有料相談依頼いただくか、HPお問い合わせから「機能再開要請として」送信してください。即時再開を保障するものではありませんが内容によっては検討します。


<次に投稿部分への返信>
まえおき、
前述リンク記載のとおり心理学的に依存性の問題としてこの投稿そのものが「サイト趣旨的にメンタル問題において逆効果の利用」となるため、心理学的見解としてこれを放置できません。
所謂実際のところはクレーム同様の投稿となってますが、ここに至る経緯においての心理学的見解等に本人はクレーム等は無く、自立独立に至る現実問題との間で「強迫心理傾向と自意識マター」の間でダイエットにおけるリバウンドのような状況に(構造的にはアルコール中毒における離脱症状に類似する)至っているのが深層心理となりますが、
精神分析系の心理学は「宗教でもナントカセミナーでも洗脳でもみょうちくりんなサークルでも”ありません”」ので、本人動機が当初相談依頼と別の意図で(結果「強迫心理」的時代への退行に繋がる事実関係偏向集めのような)見当外れの反論クレームに至るのは「精神分析系心理学」の対応としては(それも動機なのだから)「本人プライバシーであり何もコメントしません」。
というか反論が見当はずれなのですから、コメントのしようもありません。
「?」と思われる方もいらっゃるかもですが、
現代メンタル問題を考える場合、歩留り的に精神科投薬を選択する自己決定も有り得ることであり、何か殊更心理学的アプローチを拒否するから何かがどうしたとかは何も無い訳です。
そこに問題解決の動機なりが本人にあるから→場合によっては心理学的アプローチを選択する場合があるのであり、
勿論心理学はメンタル問題の発現からその背景まで体系的に説明可能な学問であり、大学における一般教養などで科目として採用され「文系的に広く認知」されているものですから「心理学へのクレームそのもの」はあくまでも個人の意思表明として勿論有り得る選択ですが、心理学的アプローチの結果本人依頼の方向に大幅に状況変化の後、「強迫心理」による退行的心理状態(私はこれを記号的に”ノスタルジー”と呼んでますが)となり、現実に直面するという状況、←これは正に現代社会における各個人が(新卒3割が3年以内に退社するなど)直面する『極めて個人的選択』であり、
勿論心理学としても「何か人間はこうあるべき」などのようなドグマを持ちませんから(常に歩留り選択における各人の個性化はプライバシーとして保持されるべきである)、何をどう選択しようと第三者である心理学はこれに干渉しません。
(わかりやすく言えば「親や教師じゃないんだから」そこで『共同幻想的権威』投影している段階でアウツでしょうに←心理学はメンタル問題を専門にしている第三者機関です。)

有料相談の注記も「相談は相談が必要になるくなるのがベター」なんですから、過剰にこれが利用される事をサイトの側から規制しているもので、
勿論前述のとおり「構造的にはアルコール中毒における離脱症状に類似する」部分は「私が記号的に”ノスタルジー”と呼んでいる現象を「強迫心理」との関係で説明した後となりますが(既説です)、そこで心理学は「誰しもが持っている「強迫心理」を(バックグラウンドをもう理解しているのだから)”ノリ突っ込み”的に、「ダメじゃん強迫心理だこりゃ」と自分で切る切らないって局面はですね、個人の勝手です。
(それがどういう意味になるのかは説明済みだし、本人も理解してますから、)
しつこく繰り返しますが「心理学は宗教やナントカセミナーじゃ あ り ま せん」ので、自己決定の部分には干渉しません。
相談動機が担保されていないのであれば(そもそも当初からそういう動機が無いのであればご自身心理学の事すら知らなかったかもしれないワケですから)、外野席となる心理学は(依頼を受けた第三者機関の代理人って立場では無くなりますから→立場は「単なる外野席」になります)、何もコメントする事が無いワケです。
 ↑
ちょっと意味理解を誤解される方いらっしゃるかもなので、補足すると、
「目の前のアル中を羽交い絞めにして飲んじゃダメだ」と大騒ぎするとか全然心理学関係無いので、
心理学の出番は本人にその動機があるんであれば、「また飲んでしまったのですが」「あっそうですか、でその時の経緯を教えてください」←なところにあるんであって、
■「飲んだら中毒なんだから大変だという話の根拠がおかしいと思います」←この段階でもう依頼動機がNGでしょ、
心理学は「そういう事を言いだし始める経緯とバックグラウンド」は説明できますが、そこで反論大会になる事はHP注記にあるように『依存性フラグの誘発』となるだけでなく、行為としてそういう反論を可能として放置する行為そのものが「心理学的問題」なのですから(『共同幻想権威の投影放置』みたいなもんですから)、それを事前に規制する事がサイト運営者の責任になります。
(わかりやすく言えば「親や教師じゃないんだから」そこで『共同幻想的権威』投影している段階でアウツでしょうに←心理学はメンタル問題を専門にしている第三者機関です。)

「その依頼は既に当サイトの可能な範囲を逸脱している」のですから、どうもこうもです。
(建築会社でカレーライス注文されても対応できません。)
事実ほとんどクレーマー的迷惑行為なワケで、
その心理を「客観的に」説明する事は可能だし、社会的にも意味もあると思いますから「管理人投稿」としてここに記すものです。
加えて、前述の『依存性フラグ』を抑制しなければいけませんから、直接投稿への返信とはせず(当該投稿は削除し)、別途管理人投稿として返信を書く事でその対応とします。

<さて個別具体論ですが>
>私が言ってるのは知的薄弱と言ってる部分は本当にメンタルから来てるのか?ということです。
 ↑
そんな事は「ひとっことも言ってません」。
身体傷害に相当する知的薄弱”級”の視野狭窄がメンタル問題で有り得ると(もう随分昔からですが)説明しているんです。
当時、病院などでも知的薄弱障害などの認定の無い人物が、有り得ないミスを犯している様子を当時のあなたは「ワザとそういう嘘をついた」とまー大変なナントカになっていたので、当該人物の心理を分析し、「そういう局面でもう言い逃れともいうような苦しい言い訳に追い込まれるそういうタイプの人格は、心理的ストレスが強ければ本人も嘘か言い逃れかの事実関係を認定できなくなる場合がある」と説明し、「強迫心理」の原動力である『いい悪い論』をまんまと持ち込んで「悪意のあるこんな嘘を”つかれた”」と、その状況での大暴れなりが肯定されている心理そものものが別問題で大問題であると、当時説明され、
現在あなたはそれを納得しているワケです。

さらに、
私はやれあなたがどうだとか関係無く、所謂介護現場における専門家の問題意識(あなたがURLまで引用された)、これをいかにも『共同幻想』的な視野狭窄(リミッター)として証明したもので、
メンタル問題云々以前に、人間の視野はその搭載自我なりの構造に応じて「発想領域そのものが規制」される事は別段珍しい事では無く、
極論は宗教道徳における戒律なり倫理違反する行為なりを考える事は同『共同幻想』適応自我にとっては考えられない事なのであって、当該人物が「そっち方面のアイデアだとか知的に欠けるのでは無い」。

つまり、メンタル問題などがあるのであれば(「強迫心理」とは『共同幻想』が個別に偏向したものなので)同様の『共同幻想リミッター現象』が思いもしない方向などで発現される可能性を示唆するだけでなく、体験的にも誰にも起こり得る(ブッダじゃあるまいし「強迫心理皆無の自我」など無い→”ノリ突っ込み”運用でその場で各人が「強迫心理」切ったり切らなかったりしてるんであり)、
「テストの本番で頭真っ白」だとか、
「会社のプレゼンで段取り全部忘れた」だとか、
「会議で言おうと思っていたことがしどろもどろで何言ってんだかわからなくなった」だとか、
「舞台で台詞全部忘れた」だとか、
「対人恐怖で人前だと失語症並にパ二くる」だとか、
「体育の計測でやれ自分の番ともなれば、手と足がいっしょに出た」だとか、
「過去にトラウマになっているナントカ局面になるとパニック症状的なのが出る」だとか、
「『共同幻想』適応な人格が、イジメ問題局面で凍り付いて行動停止になる」だとか、
人の脳は連想により、ダイレクトに元ネタと違う局面でもそういう事が頻繁に起きる。
それは状況によっては(当該人物が体感しているストレスなどに応じて)知的薄弱なの?級の出方をする事も珍しい事ではなく、人間の自我の振る舞い的には「日常的に誰にでも起きることだ」と説明しているんです。
(更に付け加えると、心理学を一部離れますが『障害者の特殊能力』関係の発現も逆説的に関係するでしょう。)

ですから、
もっぱら『共同幻想』的社会性に(何を思ったのかその動機が大問題ですが)ワザワザ参画するなどして(トラウマ論で言えばこれを自ら刺激するようなもの)、自意識テンパる状況が散見される場合、
人間の自我の振る舞い的には「日常的に誰にでも起きる」視野狭窄なりの『ポテンシャル低下』が予想の範囲として起きるのは自明でしょと説明したんです。
前述のポイント「その動機が大問題(何故よりによって『共同幻想』的場面にあたかも適応強迫するような行為を動機形成しているのか)」だと嫌といいほど確認し、云々が当時ありました。
■『努力が無駄論』をあなたが展開した時には、「物理法則としてあり得ない事まで主張」し、
 ↑
たとえばこの状況、「小学生でもわかるような物理法則もわからない無知蒙昧だから」と言えますか?「それは精神薄弱だと?」
(一拍置く論じゃありませんが、平時のあなたはそういう事が理解できないとか”無い”のに「メンタル問題として反論興奮時に人は小学生でもわかる物理法則すら超越する」証明ですよ。)

事は「強迫心理」がその時何に興奮しているのか?となりますが、
「普通の人はこういう事が容易にできて→評価され認められる(勿論隠れ主語は『共同幻想権威』その元ネタは親子関係)」
これができないのは「親のせいだ」(実家で親になんとかこうとか時代へのノスタルジー)に繋がる。
(殊更親を非難しようという狙いは無く、グル―っと回ってそこに繋がる心理的ロジックが動いているので)
 ↓
>しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます
まんまと、こういう心理になった過去事例がある。
(これは心理学的に「鉄板で予測されたもの」であり、それを私は延々と説明してました。)

そういう話を蒸し返すからダメなんだと、
(そのバックグラウンドはバレバレで明白ですから)

答えは簡単な事で、
「努力して更にできるようになろうかな」←こう思う心理はそのまんま「自立独立の方向」ですから、
(努力の背理は「誰の助けも無く自分で」なので、)
「強迫心理」としては(禍々しい舞台である実家風景から離れてしまう)”努力”などの概念は「実にマズイ」のであり、
(だか「努力は無駄論」を当時あなたは延々と展開した。努力の概念を潰せば「自立独立」の腰を折れますからね。)
できないままでいる事こそが「強迫心理」のリバウンド的な命題になっている←と何百回も説明してきました。

>結果論とか、努力が無駄とか以前の問題です。
全くの見当違いです、
努力ってのは(結果論は関係無いので)努力しようと動機形成した事自体に意味があるんです。
(先ほど説明の「それは自立独立の方向性への自意識の宣誓」のようなものですから。)
結果論は関係無いことは論証済みなので(まったく進歩が無くてもいいのですから)、
『努力を選択肢として動機形成可能な自我』←このスタンスが『抗(あらがう)』だと言っているんです。
自動的にその逆さまは『被(こうむる)』です。
何か殊更に努力をしなければならないだとか、努力すれば偉いんだとかそういう事ではありません。
そのスタンスが(プロ野球伝説の野村監督で言えば”工夫”だとか”考える”だとかであり)『抗(あらがう)』となる事が重要なんです。
(岸田秀の『共同幻想』なんとかじゃありませんが、私の『抗(あらがう)』論の元ネタは実存主義哲学であり、その更に元ネタは「シューシュポスの神話」です。「シューシュポスの神話」とは、必ず丘の上まで持ち上げた岩を神様に落とされるのに、丘にその岩を押し上げ続ける男の神話で、あたかもその全くの無駄を繰り返すシューシュポスに「不条理と実存」を証明する哲学です。←「パスカルの賭け論」も似たようなものです。実存主義のなんとやらであるカミュの著作『ペスト』も同じです。)

海に漕ぎ出すって事でたとえるならば、
「行先なんて結果論なのでどうだっていんです(これはインセンティブ論に過ぎない)。自分の船で漕ぎ出すというその道行こそが人生における能動の本質」なのであり、
捕食獣で言えば昨日の狩りの成果云々では無く「獲物がきたら襲い続ける」のが生きるって事であり(努力があれば「小さい個体を狙う」など物理的可能性は高くもなる←成果が保証できるのかとかそういう論議では”無い”)、
ボクシングで言えば、倒れても倒れても立ち上がる事が本質的動機であり(そりゃ結果論言えば倒した方が早いですが感動的に語られる戦いってのは大概が「立ち上がる側」の話だったりする)、

「自ら打って出る」って事が”概念としての努力”であり(「おぜん立てしてもらう・〜してもらう」の反対語)、
これを促す環境によって、状況は大きく変わる訳です。
『海に出ることを止めた猟師』
『人生を諦めたライオン』
『厭戦気分のボクサー』
これは心理学だとどうなりますか?再び立ちあがる方向に向かわない場合「自動的に心理的退行」が発生します。
『被(こうむる)』です。
(これの腰を折る「強迫心理」の伝統芸は何ですか?「そんな事して結果出るの?無駄だのそんなの無駄」)
 ↑
だからこの「強迫心理」のルートを切る先手は何か?「結果論に意味が無い論証」です。
伝説の野村監督的に言えば「読み」です。
(だから野村も「結果では無くプロセス志向」と発言してます。)

■更に、
「海にでも無駄」の実績と証明の伝統芸は?「同じ場所をグルグル回る」「あえて苦手な漁船の乗組員募集に志願する」などなど、
この点は再三、心理的側面から説明もしてきました。
そして、
単純な話(別段結果論を何かしようと思いませんが)「筋トレすればオールを漕ぐ力は強くなりますね」。
(やろうと思えばやれることはあれこれある←努力のネタ→「やろうか」って動機が確かなら誰も勧めなくても自分でやるでしょう。)
『努力は無駄論』の時、あなたはこの物理法則も延々と否定しましたが、
そもそも、あれこれとあなたの素性には「努力家」の一面があるのであって(自分の利益なのだから『被(こうむる)』の反対向いている時には人は放っておいてもそう選択する法則)、実際の行動は何ら努力を否定する人物像ではありません。
ですから、余計にその論法はあたかも「強迫心理」のリバウンドがバレバレだと言っているんです。
(そこに私は干渉する権限も立場も論理もありません。仮にあなたが「心理学はもういいな」と思えば関係が切れるそれだけの事です。←動機が変わっているんですから。物理的にサイトを訪れる事も無いでしょう。)


■そこで延々と(出入り禁止が確定しているのに)連続投稿を行う理由は?
バックグラウンドはそのままですよ、
 ↓
「強迫心理」はこれを何とか何かを梃に使って一歩前に進めたいと思っている。
>しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます
しかし、本人様々な心理学的理解が進み(それらは「強迫心理」にとって実に都合が悪い事ですから)、
■■■何かひとつでも反論して、これを否定したい。■■■

第一ね、これまでの経験からあなたが私に反論して何か見解が変わるとか「あなた自身思っていない」筈なんですよ。
(経験として鉄板で論駁される経緯が延々に続いているのであり、只の一度もあなたのクレームが通ったなんて事は無かったし、有り得ないのですから。←反駁の根拠が「強迫心理」発ですから論理なり反論の文面から既に破綻しているんですから。)
その証拠に、あなたは何度も自分の投稿なりを書き直す癖がある。「自分自身自分で書いている事に自信も無ければ、違和感も感じている」からですよ。
(極論その都度それこそ・今度こそ本物の「無駄」だとわかっている。)

だとすれば、この現象は「逆説的に知るべきこと・何かが起きていたのかをあなたは既に知っている証明」であり(そこに「強迫心理」が都合悪くなりネタ元への反論を試みているんですから)、
その後の選択は「あなた自身のプライバシーだ」となるんです。
(ですから心理学的にその対応として『出入り禁止』が適当と判断したのであり、)
▲そういう自問自答を続けながら誰しもがその先を考えて生きていくんであって、←場面的にもうメンタル云々の状況でもありません。
仮に「この考えは私のものでは無く、誰々が言ったもので私はこの考えに全く納得していない。反論してやろう」なる場を安易に提供してしまえば、
私があなたにあなた自身が落ちる落とし穴を提供しているようなものでしょ。
(ですから心理学的にその対応として『出入り禁止』が適当と判断したのであり、)
ここは人生相談サイトでもありませんし、しつこく繰り返しますが「宗教でもナントカセミナーでもありません」。

困った事に某事例の相談の時に、努力話が随分技術的なところに及び、結果との関連も踏まえてこれを説明した事が過去にあるので誤解しているのかもしれませんが、
これは「どういうストレスでテンパりが出たらこういう技能が行動停止にもなる」という説明の反対であって、(そこのストレス心理が解除されれば状況変わる訳ですから)
私は徹底して「結果論に拘る話」を間違いであると指摘してきてます、
(そもそも楽な閑職獲得に成功するのが現状大成功とこれを勧めたぐらいで←これにあなたは「雑用は御免だ」反論しましたが、)
●社会的にも何か殊更の「『共同幻想』社会適応話」がいかにナンセンスなものかなどブログだけでなくレスの中でも掲示板他スレッドなど各所でも説明してきてます。


実践的局面として、
野村監督の”読み”じゃありませんが、次の一手予測つくので、
「やれ知人がこう言いました」「占い師がこういった」的伝聞ネタ反論も当初から禁止だと告知しましたが一切守らず、
「結論出て、あなたも理解した過去事例を『蒸し返し』して暫くしたら反論始まる」的な行為も禁止告知しましたがほとんど守られず、
(付け加えるなら後日談的にあなたはその趣旨を理解されてますからね、)
依存的利用のリスクと説明とその抑制の方法論まで全部説明してきてますが、思い切り守られないですから。
更に規定外の不規則送信が延々に続き「再三その動機確認をした後」に、「明らかな依存目的」とこれを確定させ、『出入り禁止』の措置になってます。

それでも、公開掲示板への反論が続き、
更に一部投稿制限かけても、それを回避しての投稿を行い、
掲示板告知に公開掲示板全体の投稿制限の注意事項を記載しても、その当日投稿を行う。
完全な迷惑行為になってます。
これをほう助する事はできませんので、
(やっかいな事に心理学的には「反論ログ」を残す事だけでも「強迫心理」は当初目的の半分以上を達成してしまうため、)
今回の「掲示板投稿機能の停止」に踏み込んだところです。


>感覚統合の機能がうまく働いてないんです。だからいくら練習しても感覚がつかめないんです。
ですから「そもそもできなくてもいい」と話してきているじゃないですか。
(私が推薦したのは当面は実家から独立する軍資金的に仕事も止む無しでアドバイスもしましたが、その時から最大の目標は「生活保護でもなんでも独立の確定と安全圏の確保」なんですから。一般的な職場にひたすら拘っているのは”あなた”であって、私は「何が面白くてそんな選択を続けるのか、強迫心理的介在も考えるべきでしょう」と警告してきた側ですよ?)
その障害がご自身確信的なのであれば、別途医療的に障害者手帳確保すればいいだけでしょう。
(そもそもが福祉関係を遠慮なく使う権利が社会的にあるのである的な話をしてきたのは”わたし”ですよ。→それを否定するあなたに説明し続けてきたワケで、)
 ↑
しかし上記の選択も歩留りなので(そう説明してきたし)、
「脳の半分すっ飛んだ人もリハビリで回復する事が実際にある」のだから(私の父親が実際もそうでした)、努力の可能性は常にあるでしょう。
更に私は直接あなたを診療するなどの医師の立場でもない上に(HP的にもメンタル問題のサイトであり身体傷害の相談サイトではありません)、当初のあなたの依頼は「極度の内向化と引き籠りと家人への暴力」ですよ。←私が依頼受けたのはここです。
当初の依頼は”あなたの精力的な努力”の甲斐もあって、ほぼ完ぺきに達成されてます。

そして(当初依頼から言えば後日談になりますがサポートの枠で)、職番なんてものは「本当に純利益を上げているのは実はほんの一部」であり(総務なんてどうするんですか)、他は仕事が遅かろうが自分なりに工夫して(メモなど←あなたはメモも否定しましたけど)、閑職なりをゲットできる可能性は常にある。
更に私は副業的に随分といろんな人と話ますから「障害者雇用割り当て」的な現場で普通に仕事できている身体傷害にあたる知的障害者も知っており、そういう話も踏まえて話してます。
(又、関係施設が運営する作業所などを見学した経験もあります。)
私は「努力のネタがある」とあなたの自意識に(獲物がいますよ情報的に)事実関係を説明しているだけで(『抗(あらがう)』方向性を)、
その個人的利益を捕りに行くのか放棄するのかはあなたの自由であって(そもそも結果論に意味が無いところまで説明し論証している)、
私は『抗(あらがう)』スタンスの説明をしているのであって、努力がエライだとか努力すれは成果ありあます的なセールストークみたいな話はしていません。
努力のスタンスそのものが『抗(あらがう)』ですから。
(それは自意識の既得権益とも言える確定的な”あなたの”個人的利益だと説明しているんで、←結果論無視して価値を持つんですから。動物全般にそりゃ「楽で気ままな人生」のがベターでしょうし。)
 ↑
これらは全て「メンタル問題があります、これを解決するための心理学的見解はありませんか?」という依頼動機がある場合の答えです。

しかしそもそも論として
>本当にメンタルから来てるのか?ということです。

あなた自身「メンタル問題では無い」という論旨を展開しているワケでしょ、
それでなんで「メンタル問題があります、これを解決するための心理学的見解はありませんか」という動機に答える形で運営しているサイトに書き込むの?その動機は?
(てか前述のように「あなたの話の根拠となるような話はただの一言も言ってない」のですが、)

>それにメンタル問題が解決したから知的薄弱が改善した話は聞いたことがないですよ?
アルツハイマーなどの症例の施設で、メンタルケア関係の対応により症状が改善する話をどう説明するの?
私はそこから逆算し、収容施設的環境(欧米心理学的には鉄板の間違った対応)などが、症状を悪化させる可能性もあると説明してきましたし、
あなたがURLまで引用してまで論説した福祉関係の専門家などの「対応による利用者への影響」をどう説明するの?
(これあなた自身が用例したものですよ、)
改善であるとか症状が落ち着く現象の心理的見解は簡単です、
「強迫心理」ストレスを緩和し(更に本人が自分の状態に対するショックなどもあるので)そのメンタル問題への抑止により、自我が限りある脳内リソースを開放するため(人間が活用しているのは脳機能の一部ですから)、他の残された部位が機能代行する場合もあるのであり、投薬によってアルツハイマーの進行を止める新薬への期待大ですが、別途固有の高齢者問題とも言える「メンタルケア」は同業界では鉄板の重要なファクターでしょう。
そういう施設なりで行われているリハビリなど無駄だからとっとと止めてしまえとあなたは言っているワケですが、そんな話はアルツハイマーの現場でも学会でもメジャーな話だとおおよそ思えませんが。

(※特に認知症関連の高齢者施設ではようやくデンマークで検証されたペットロボットなどが導入され始めましたが、可愛がるなどの性愛的な刺激なりこれが安定的に環境に存在し当該人物がここに”主体的に関わる”行為に効果が観察されてますが、これは心理学的に言えば『抗(あらがう)』に繋がるインセンティブ論のようなもので、外向・主体的能動性が人間のメンタルにとってその基本である間接的論証でもあるでしょう。)


>それと以前から言ってる根本を何とかしたいというのは知的薄弱の部分です。メンタル問題持ってる人が知的薄弱の部分が治った話は聞いたことがないですが。
 ↑
完全な事実関係の間違いですね。
(ご希望ならなら守秘義務に関係する過去のあなたの実ログを公開しましょうか?)
誰にも事実関係わからないと思うので、守秘義務の中差支え無い範囲であなたへの具体例としてお答えします。

■そういった人間関係のテンパったストレスなど無ければ「モンブラン事件」は違ったものになっていたでしょう。
本人も何の心配も無く余裕で「なにそれ」と答える(本来の自我ならあるリソースの余裕)余裕があった筈ですからね。
(事実「なにそれ」なんて言語を発する事に躊躇する人などいない。→しかし、そこにテンパったストレス過大な人間関係あれば?「わかりません」だとか容易に言えない社会的局面はいくらでもあります。だから「聞くのは一時の恥」なんて格言まである。)
今回のレス全体読めばわかる事ですが、
認知症介護の現場でそれを緩和する方向性が証明されてるんですよ?
上記とメンタル問題の差異なんてものは「周囲がその環境なりを整理するのか」「自分でそっち方面にメンタルを持って行けるのか」の差異でしかありません。
「メンタル問題」って言葉の意味は「自分のメンタルなのだから、別の方向にもっていきようのある自分の自我問題」って事ですから。
そこに心理学は「深層心理や、強迫心理であるとか、自我・超自我論であるとかエディプスコンプレックやスリビドー充当の経済学など」で、これが自立的に構造的に不可能な場合がある事を発見し、
かくかくしかじかの概念は幻想であり「強迫心理」に過ぎないなどの分析であるとか知見を専らとする学問で、そんな心理学は社会的に認知されている存在です。

■そのツールを使って、事の顛末や自我問題の経緯などを知り(ネタバレにより=構造的に不可能だった「自立的に強迫的思考を”ノリ突っ込み切り”」などもできる)、

「メンタル問題があります、これを解決するための心理学的見解はありませんか」という動機があるのであれば、
当サイトはこれに答えるものです。

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【121】Re:思いやりについて  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/08/30 20:04 -

【現在告知のとおり掲示板での新規の相談は受け付け停止しておりますので、一般論的質問への返信に限定されますのでご理解ください】

>■『あなたほど思いやりがない人はいない(世の中損得勘定抜きで動ける人は少なく、人を陥れて噂話をする人も多いけどあなたの場合は特別ひどい)。よほど自分が可愛いのね。』
>『他の人は人への思いやりがある』
> と友人たちが言ってきた意味は何なんでしょうか?

前回の説明じっくり読めばそのまんま答えが書いてあるのですが?
(それほど難しい読解では無いと思いますので繰り返し読んでみてください。)
どう補足すればいいものかと思いますが、
ザックリ補足しておきましょう。
非常におおまかな説明になりますが、
・『メンタル問題』=自動的に関係障害
・理由は簡単でメンタル問題=内向・退行など「結果論的自己中心的認知」の散見
・端的言えば「恒常的な前方不注意である」
(思いやるも何も構造的に”視界に入らない”←見えていない事が大量にある。)


■これに反して『共同幻想』自我適応というのは
(これ言うといろんなところから異論あると思いますが)
わかりやすく言うために過激な表現使いますが、
『共同幻想』とは一種の洗脳で、宗教的ドグマのような概念を常識として認識されこれに従う事に道徳的正義があると自意識に対する抑圧ポイントを構造化するもので、
彼らの言う「思いやり」には二面性というか多面的なものなんです。
 ↓
そもそも論として、
『共同幻想』=自意識の抑圧ですから(最も極端な事例は「軍国主義と個人」)、
滅私奉公じゃありませんが、
彼らは極論宗教における聖職者のように「個より『共同幻想秩序』」を中ば盲信するように重要視します。
そして彼らにとっての「人を思いやる」として利用されている単語の「人」の意味ですが、
勿論それは『共同幻想』適応構成員の事であり(異教徒はむしろ敵)、
同時にその人格は(共有・共同化している事から)「個別というより同時に共同体の尊重」を意味してしまうため(極論すれば全員同一人格目指しているようなものだなので)、
ある意味ですが、
「個人を抑圧して『共同幻想』に忠義を尽くしているか?」と「他人への思いやり」は同義なんです。

極論ですが、
『共同幻想』社会というのは(村八分の法則じゃありませんが)「孤立する個体を取り込み共同体の論理に吸収する(思いやり)」の機能はありますが、
メンタル問題への対処は「全くクソの役にも立たないどころかむしろ悪化させるケースが多い」のです。
(それが『共同幻想』の特徴というかいいところでもあるので構造的に仕方がない)

彼らの発言を「彼らが意識できない無意識部分までサルベージして」翻訳しますと
>『他の人は人への思いやりがある』
翻訳:あなたがメンタル問題である事自体が人して許せない
(既に『共同幻想』違反である)
極論の極論ですが、
メンタル問題は半分社会問題であり、
前兆現象というか前段階というべき世界に、
「ニート、スローワーカー、ノマド、新卒社員が3年で3割辞める件、ブラック企業への忌避、」などなど多数関連現象あるんです。
ザックリ言えばこれらの現象は『共同幻想』の論理で言えば「単なる怠け者で悪い奴」みたいな事になる。我儘だ、思いやりがないから平気でそういう状態でいられる。←みたいな。
(彼らは表だって口にはしないでしょうし、彼ら自身自分の深層心理がわかるわけではないので上記のような発言をする人物はいないでしょうけども、論理構造的にはそうなっているんです。)

■てか繰り返しになりますが、
・『メンタル問題』=自動的に関係障害
 ↑
ここデフォですから、
思いやりが’どうたらとかいかにもな『共同幻想』道徳論みたいな戯言を何がどうこう考えても意味が無いのです。
(そもそも彼らのいう思いやりは異教徒から見れば単なる弾圧でしかない←あくまーでもカウンター的極論ですよ。)


>ほとんどの人は自分が1番可愛いと思うのですが。
 ↑
これは言うならばメンタル問題特有の発想って事です。
(あなたには視野に入ってこなかった=この世に存在しないも同様)
自分の周辺環境として自分の事などどーでもよく、周囲なりのなんとやらに自分が関与しようという試みは「最大のエゴイズム」です。
わかりますか?
「自分の事が可愛いライオン」←クソの役にも立たないですよね。
(自分にとって=自分の利益を最大化できてない)
「自分の事(今腹が減っているだの昨日なのがあっただの)などくっだらない事には目もくれず、周囲に睨みをきかせ、自分の縄張りの防衛などに”自分を殺すぐらいの勢いで努力する”ライオン」←これが王者です。
(本当の意味のエゴイズム)
で、先進国である我が国の一般的な個人の周辺環境と言えば、そこに人間関係も含まれてくる。
そこで「自分の事が可愛いライオン」でいようとすることは、
既にアダルトチルドレンみたいなもので(背理に保護者を必要としている依存的認知である)、
話としてそれじゃエゴイズムが成立せんのですよ。
(そのスタンスで飲食店開業して成功すると思いますか?←自分の利益を追求できないでしょ。)

『共同幻想』は共同幻想秩序が自動的に周囲の環境となりますし、
アンチテーゼの『単独者』の場合でありば、『共同幻想』を含む自分の周囲における社会は自分の狩場同様に「最重要視すべき一連の環境」です。


>酷い人だと人を陥れたり、あることないこと悪口を言ってる人もいます。なぜその人達は叩かれないのか?
暴力はいけません、
暴力が許され奨励るのは「相手が異教徒の時だけです」
(某漫画のヘルシングじゃありませんが、暴論覚悟で言えば異教徒などぶち殺してもいいのです。←これが『共同幻想』極端バージョン。←しかしなんとわなしにそれっぽい言動が『共同幻想』社会における道徳であるのは確かでしょう。)

社会というのは簡単に言えば「殺し合いの場」であり、
最後に立っている奴だけが正義を語れるってのは、まー自然の摂理みたいなものです。
どっかの宗教のユートピア妄想じゃあるまいし、
社会ってものに何を求めてんですか?
(猟師が海に何を求めるのか?的に考えれば理解できると思います。)


>■前回の支援者から生活保護で楽しようと考えずに働く努力をしなさいと言われたと話してましたが、言われたことは事実ですが、支援者も悪気があったわけでなく、彼らにはお世話になってることもたくさんあります。
>私が支援者のことを悪い印象を与える書き方をしてしまっていたなら申し訳ありません。
 ↑
だから論議に「いい悪い」を持ち込まないでください、、
(意味ないし、話ややこやしくなるから。ジャーナリズムの視点で見てください。)
心理学的にはいいも悪いも無く、
私はそのまんま書いているだけで(そこにいい悪いだの勝手なフラグを付けているのは読み手のあなたなんですってば)、
私は『共同幻想』世界も尊重しますし、だからこそ彼らの考え方も理解してます。

ザックリいってしまえば「メンタル問題に対して逆効果な事してこその『共同幻想』的な正しい人」なんです。
(言えば”彼らの論理においていい人”=メンタル問題に逆効果な人)

私はそのまま、彼らのそういう言動は逆効果でバカみたいな話がほとんどだ、と事実を書いているだけで(そこが『共同幻想』のいいところだと十分過ぎるぐらいわかってますし私もそう思ってます)、何も思うところありません。

どこかの宗教信者が「風邪の時には裸で寒いところがいい」という迷信を信じているとして、
風邪をひている人にそれを勧める行為は「彼らにとって親切だしいい人です」、
(私もあーいい人だと思います。)
ただ、「それ逆効果だから」←私はこう言っただけの話です。


(※それから今回の質問も「質問(個人的な事情になりますが)」となってますし、ブログのコメント欄にも連投続ているので、これは前回説明の「、前のスレッド『以前投稿した者』さん101」と同じ依存フラグになりますし、ブログのコメント欄と掲示板レスが分散してしまうなど運営上も困るので多重利用を控える方向でお願いします。)


■現在新規質問を停止している根拠となる「過去ログの蓄積」にあるように、
今回の返信もブログコメント欄の返信内容も、掲示板の過去ログ等閲覧すれば同じこと書いてありますので(掲示板機能で質問が連発するより客観的になれるので他スレッドなど読むほうが効果的な場合多いですから)、利用頻度には留意してください。

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【120】Re:思いやりについて  ナマケモノ  - 2013/08/30 18:43 -

質問(個人的な事情になりますが)としてお願いします。

■『あなたほど思いやりがない人はいない(世の中損得勘定抜きで動ける人は少なく、人を陥れて噂話をする人も多いけどあなたの場合は特別ひどい)。よほど自分が可愛いのね。』
『他の人は人への思いやりがある』
と友人たちが言ってきた意味は何なんでしょうか?

共同幻想適応者から見た思いやりがある人は謙虚で損得感情抜きに人のことを優先にして動ける人だと思うのですが、(私が自分、自分で人のことを考えてなかったのは承知の上で)そういった人はごくわずかでほとんどの人は自分が1番可愛いと思うのですが。
酷い人だと人を陥れたり、あることないこと悪口を言ってる人もいます。なぜその人達は叩かれないのか?私がその人達以下だと言われる意味も分からないです(私は人のあることないこと言ってないし、人に無関心なために悪口言ってる余裕すらない)。

■前回の支援者から生活保護で楽しようと考えずに働く努力をしなさいと言われたと話してましたが、言われたことは事実ですが、支援者も悪気があったわけでなく、彼らにはお世話になってることもたくさんあります。
私が支援者のことを悪い印象を与える書き方をしてしまっていたなら申し訳ありません。

引用なし

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【119】Re:思いやりについて  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/08/27 21:39 -

【現在告知のとおり掲示板での新規の相談は受け付け停止しておりますので、一般論的質問への返信に限定されますのでご理解ください】
又、前のスレッド『以前投稿した者』さんのようにこの場で反復的に質問を受け付けているものでもありませんので、ご注意ください。
同101スレッド参照
http://kagewari.cside.com/bbs8/ktw357.cgi?cmd=ntr;tree=101#atop


>正直いじめられた人にも問題があるとの考えは今も変わりません
そもそも現象にいい悪いの評価を持ち込むから話がややこやしくなるんです。
それは既に道徳論であり『共同幻想』なんです。
たとえば「珈琲にミルクを投入して色が変わった」←ここに善悪の評価を加えるとか、もうこうなってしまうと科学ではありません。
(※勿論話を「情緒的なもの」にしたいのであれば別です。=いい悪いや善悪を持ち込むと話を情緒的主観に方向づけるだけで何ら生産性がありません。)

もうひとつ補完すると、
たとえば、犯罪。裁判でやれ誰がいいとか悪いとかには意味は無いのです、冷静に合理的な量刑なりを法治国家として判断するのが筋論で、この判断に「やれいいとか悪い」の道徳的主観持ち込まれても困るんですよ、てか邪魔。
■勿論心理学的にも「まったく意味が無い」或いは「やれどっちが悪かろうとどーでもいい」
ここの大前提から筋道がズレてますよ。
(巷の井戸端会議で各人道徳的主観交わして気ままな日常会話をしようってなら別ですが。)

>私自身もそうでしたが覇気を持たせる努力とか周囲のことを考える努力などいじめられる理由を改善しなければ嫌がられるのは当然だと思うのですが
 ↑
だから方向性があってんの?ってその根拠を問いかけているんですよ。
心理学的に考えれば、それはガチ強迫心理側面の話になるので、自我の構造論なり「何故そうなるのか」の検討なり抜きに「努力の方向性」なんか出てきたら話が無茶苦茶になってしまうんですよ。
(末尾のあたり読むと理解できると思います、)
原因わかってないのに、何故努力目標なりの結果だけわかるとか荒唐無稽な話が出てくるんです?
変でしょ、無理筋過ぎ。←てか『共同幻想』ではこれが通用しちゃうから話がこんがらかるんだけど。
(注:『共同幻想』世界ってのは非適応事例を想定しておらず、その方便なり論理は「共同幻想適応選択者」に限定されている。時代のパイオニアやら改革運動しているだとかそっちサイドには適応しないばかりか「修正すべき問題」などとカテゴライズされてしまう。)

(※たとえば、中小企業の財務体質に問題ある時に、構造論としてそこには資本調達なりの手法に根本的な問題あるかもしれないのに→「節約の努力が必要」これが答えじゃ全く意味が無いワケですよ。=資本調達なりの根本的問題から目をそらすという弊害の方が大きい。)

事実こういう現象は(特に道徳的主観出てくる時の定番ですが)「強迫心理のマスキング効果のがデカい」というのが大半になるんですよ。
(※ちなみに精神分析とかの過程では入り口論の初歩中の初歩として道徳論とか禁止ですから。強迫心理が自分自身の自意識を抑圧する原動力となっているのが記号的に言うなら「脳の道徳野(どうとくや)」)


>数ヶ月前に友人数人から私ほど思いやりに欠けてる人はいないと言われました。他の人はもっと人のことを考え、思いやってるとの話でした。
>今までも他の人から同じようなことをいわれたことはありましたが、はっきり言ってきた人は初めてです。
>確かにいい年して恥ずかしいくらい私は自分のことしか考えてなかったです(その年相応の常識ややさしさに欠けてた)。正直自分が一番かわいいです。他の同年代と比べたら周囲のことを見てなかったんでしょうね。
 ↑
このパターンも典型的なものです。
前のスレッド『以前投稿した者』さんの奴読んでみてください。
心理学的意味の(通俗的意味ではありません)「自己中心的偏向」って奴で、
元ネタは不安からくる受動的(『被(こうむる)』と呼んでます)自分がどう思われているかなどの関心が過度になれば、自我は「自分は自分は自分は」への関心で一杯になってしまい、
自我のリソースを食いつぶしてしまいます『CPU100%・メモリ100%』
これが心理学的に言うところの自己中心状態なワケで、
(※昭和に流行したアダルトチルドレンなんかの分析もまー同じ意味です)
=内向化と考えてもいい。
(認知のベクトルが内向世界中心になってしまい、外向性=現実への認知・関心や賭け・攻撃というアクティブな認知ベクトルそのものが相対的に後退する、或いはそのリソースが食われる。)

>私自身に人を思う気持ちが足りなかったのかなと思いました。
つまり「不安に起因する受動的な自分が自分が(『被(こうむる)』)」という意識でリソース一杯なワケで、
周囲の関心も何も「恒常的に前方不注意状態」なんですよ。
(※なので心理学では発端となる不安を過去まで遡って探す事を重要な鍵だと考える)


>しかし最近になって友人に対しての疑問が出始めてきました。
>友人もですが、職場や近所の人を見ていてると人を見下し、仕事のことで上司から注意されたことを根に持ち、人のことより自分優先…。
 ↑
で、こういう反動現象になる。
意味わかります?
今回の話の概念の発端に「道徳的主観」持ち込んでいるでしょ。
だから、自動的に異論や疑問があると「反射的に思考はいや今度は誰彼が悪い」という他者への道徳的糾弾になるんですよ、これ自動的にそうなるワケ、
そういうロジックだから。
全部意味ないんですよ、
右の秤に10キロ載せたら傾いたので反対の左側に20キロ載せたとかだけの話。
どっちが重いかとかさ、そういうレベルの話じゃないから、、
■「そもそも秤を持ってこないでくださいよ」と、そこから始まる話なんであって、
(結果論としてやれ人間関係がどーなったこーなったとかの顛末や各論には一切意味在りませんから、そこは放置でお願いします。←リソース解放されて意識が外交性に向かえば後から勝手に解決する部分なので、)


>■最近仕事が思うようにできません。何をしても無気力なのです。
 ↑
理由は簡単、
リソース100なんだから(『CPU100%・メモリ100%』でバックグラウンドで永久ループのバグみたいな”ナントカEXE”が動き続けている→「強迫心理のモジュール」)、誰だって疲れますよ。
マシン的にもフリーズ一歩手前なんだから。

>生活保護に頼ろうとせずに前向きに考えなさいと言われますが
 ↑
あえて(カウンター効果狙いで)極端な表現使いますが、
「こういうこと言う奴が最強のキチ○イ」ですから(笑
リソース100でマシンがうんうんいって、ブラウザ表示の切り替えもままならない時に、ワードを起動してこれがそう簡単に起動しない時に、
マシンの前で「頑張りが足りない」←こんなアホみたいな事言う人いませんよね。

>現在は週3ですが、フルで働けるように仕事に慣れなさいと言われます。
無理に決まってんじゃないですか、
「ワケわからんこと言うならメモリー32G持ってこいコラ」って事です。
(まー増設しても”ナントカEXE”が切れなきゃ結果また100までいっちゃうんですが)
だから、
ひとまず(自分なりに問題の発端なり考えが及ぶ状態までマシンの動きを回復させるため)”ナントカEXE”が起動する「表面上のトリガー」を取り除けって言う事になるんです。
今やるべきことは「とっとと仕事を辞めろ」です。
(逆に遠回りになる)
とにかく、”ナントカEXE”を起動させないためにしは仕事いかない状態なら大丈夫という結論出ているんですから、
ここだましだましでリソース90%でヘロヘロ状態維持しても何の意味も無い。
トリガーとなっている仕事なりはスパッと辞めて、
今回ざっくり説明している「深層心理なり潜在意識なりに恒常化している不安の発端」なりを一人旅でもしながら考えたらどうですかって事です。
ズルズル中途半端なペースで仕事しても、本来直面すべき問題なりの検討を結局先送りしているだけになってしまいます。
(心理学のカウンセリングを検討するなら、規約として過去ログなり読んでどういうものかわかった上での前提になりますが、公開掲示板を”公開”している趣旨そのままですが、参考にして自分なりに考えて結論でるならそれでもいいワケで、)

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【118】思いやりについて  ナマケモノ  - 2013/08/27 19:46 -

ブログではお世話になりました。
正直いじめられた人にも問題があるとの考えは今も変わりません(私自身もそうでしたが覇気を持たせる努力とか周囲のことを考える努力などいじめられる理由を改善しなければ嫌がられるのは当然だと思うのですが)。
しかし共同幻想に対しての疑問も出てきました。

数ヶ月前に友人数人から私ほど思いやりに欠けてる人はいないと言われました。他の人はもっと人のことを考え、思いやってるとの話でした。
今までも他の人から同じようなことをいわれたことはありましたが、はっきり言ってきた人は初めてです。
確かにいい年して恥ずかしいくらい私は自分のことしか考えてなかったです(その年相応の常識ややさしさに欠けてた)。正直自分が一番かわいいです。他の同年代と比べたら周囲のことを見てなかったんでしょうね。
ある時に職場で腰を痛めてた友人がいたのですが、彼女の心配をしたら「あんたにも人を思う気持ちがあったんだ」と言われました。
その時に(私だって人が病気になった時の心配や配慮をしてるくらいの気持ちは持ってるよ)と思ったのですが、その時は気持ちが友人に気持ちが伝わってなかったのか、私自身に人を思う気持ちが足りなかったのかなと思いました。

しかし最近になって友人に対しての疑問が出始めてきました。
友人もですが、職場や近所の人を見ていてると人を見下し、仕事のことで上司から注意されたことを根に持ち、人のことより自分優先…。
どこが人のことを考えてるの?人への思いやりなの?仕事上での協調性はすごいものですが、他人優先(損得勘定を抜いた本当の思いやりで動いてる)で動いてる人って少ないんじゃないの?
人間性ができてる人から注意を受けるならわかりますが、この人たちには言われたくないとの思いが出てきました。
でも彼女たちは思いやりがないとかひどい人間性だと言われないのは何故なんでしょうか。
私ほどひどい人間性がないと言われた理由、彼女たちと私との違いは何なのでしょうか?
反感買う内容(私自身もメンタル的な問題を抱えてること)は承知の上でお願いします。


■最近仕事が思うようにできません。何をしても無気力なのです。
支援者からは前職は毎日12時間以上も働いていたのだから今回の職場も精神的にしんどい(しんどいのはみんな一緒)とか生活保護に頼ろうとせずに前向きに考えなさいと言われますが、本当に行きたくないのです。
現在は週3ですが、フルで働けるように仕事に慣れなさいと言われます。
彼らに悪気がないのはわかります。しかし週3どころか働くこと自体が精神的につらいです。
都会に引っ越す余裕もありません(それでも都会には近い郊外に住んでます)。
これでは仮に生活保護を受けられたとしても市役所や支援者から働くように言われたら精神的に休まりません(仕事がつらいから生活保護を受けたいのに)。
支援者に理解してもらえばいいか悩みどころです。

引用なし

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以下も一から十まで全部説明済みです。
(そこを読んでないか読み飛ばしておるのか、無意識的視野狭窄で「ない事にされている」だけ。)
しっかり書いてありますし、
補足・背景含めて全て説明済みの事項です。

>メンタルの問題は考え方を変えることによって解決可能なのかもしれませんが、メンタルの後遺症からくる知的薄弱の部分に関しては、集中力や努力だけでは限界かと思います。

『最後の返信』としてあれこれ振り返りながら説明しましょう。


ですから(前回同様に)明日からすぐに”できる”(同時にみんなそれが容易何の苦労も無くできているという設定込み)、そもそも「やれ何かかができるできない論」には一切意味が無く。
▲心理学における結果論の「どうでもいい論」
※心理学上自我が確認する最大の成果とは「動機形成と実行」であり(その結果は重要では無い「大失敗と大成功は概念として等価」→「姑息な失敗と姑息な成功」が等価であるのと同じ)、
そもそも結果論には一切の意味が無い。

あなたに観測されている「できるできない論」の不快は全て(日常市民生活に渡る部分を含めて)「一切が全て『共同幻想』適応局面」の人間関係などの話になっており、
(だから何度も「いつから『共同幻想』適応選択が話の前提になったのか」「そもそもリハビリ過程は『仮想単独者(反抗期的なトレースなので)』なので、『共同幻想』適応を前提としている事自体致命的な倫理矛盾であり=100%それが強迫心理であることを証明する」)
再三の論証から(いちいち論理思考するのもリハビリの効率上どうかと思うので)

『(依存フラグになるので)リハビリ中の恋愛禁止』
『(共同幻想的他者との)比較級の禁止』
『(いい悪い論同様に)できるできない論の禁止』
『王道のいい悪い論の禁止(強迫心理下だと道徳が強迫心理の強制力となるため)』
『(認知速度的に)即レス禁止(一拍置いて考える→少なくとも1週空けるなど)』
 ↑
ザックリこの辺を心がけるよう注意事項として説明済みで、
これ守っていれば何一つ相談事例にはなっていない事項ばかりです。
(事実『単独者的理解』あるチャンスをいかにもメンタル的流れでバックれて、いかにも強迫心理が好みそうな『共同幻想』系の場所に”再三”意図的にからんで行くなど、←こういう動機形成の論理矛盾と半ば自作自演の不快獲得というその結論が→経験的にも明快に実証されあなたは嫌というほどその点ご自身でも確認されてきた。)

■「心理学的には動機形成と実行が重要で結果論にはほとんど意味が無い」
▲「過去、強迫心理的な動機形成から論理矛盾的行動が頻発し、あたかも意図的に不快獲得に成功してきてしまった部分を、十分に証明・認識されている」
 ↑
前後読めばわかるとおりで、
結果論に拘れば、事実上後者の論理(そもそも動機形成がおかしい事)を(すっ飛ばして)追認し、話をいかにも目崎の問題に集中させることで、本丸の強迫心理を温存するばかりになる。

あなた自信再三言いましたよね?
「根本をなんとかしたい」と。
だから何度も何度も何度も何度もここを説明しました。
しかし「根本の問題とその注意事項の一切を無視し続けた」のがあなた自身です。
ですから、今回も話は、一目をひきそうな夢遊病などの話は最もどうでもい”根本逸らし”のような演出になっており、まんまとあなたはそれにひっかかって自分の相談が「一から十まで全て蒸し返しであり全て返信済みであることすら認知障害かのようにすっ飛ばしてしまった」←言うなら「強迫心理」に一杯食わされた。

話を分析すればネタは全て『共同幻想』適応を前提とした人間関係であり。
勿論この心理の発端は「家族時代の認識偏向による現実との乖離した過剰な”認められたい”偏向」であり(ここで様々な公開できない問題を発生させたことは説明するまでもなく、そしてこの心理かガチで『被(こうむる)』である)、
この辺の内向性地獄みたいな惨禍から、
●「み ご と に 脱出 テイクオフ」したんですよ。
どんだけの偉業ですかこれ?
ここ認めないでどうするってぐらいの重大なポイントでしょう。
やれどこやらの人間関係がどうだとか、もうゴチャゴチャゴチャゴチャ延々と、、、
 ↑
自分自身冷静に俯瞰(ふかん)で見れば異常性わかりますよね?
事の重大さの軽重が(秤の傾きが)めちゃくちゃですよ。
そして、そんな些末な話には常に(この前の占い話じゃありませんが)「実家に帰れらないといけないことになる気がする」みたいなそれこそ『本丸の悪だくみ』の姿が常にチラホラ見える。
偉業とも言える成功を前に、
常に目崎の細かい話で「自分自身にイチャモンをつけ」(第三者の私が弁護人よろしくそこを延々と援護する格好になり)やれ何がダメだ、「明日すぐできるようにならないと意味が無い」などの努力は無駄ロジックの「いかにもガチ『強迫心理』的嫌がらせ」に終始し(これが納得いかないことには我慢がならないなど意味不明状態を継続し)、
 ↑
もう狙いは明白ですよ、
偉業とも言える当初の「ドツボからの脱却と自立の方向性をとん挫させようという企み」にまんまとひっかかり続ける。
「強迫心理の狙い」はバレバレで明白なワケです。


■その証明に『単独者』なら、
やれ説明が一度で聞き取れないだとか、誰それに何かを言”われた”(受動:被(こうむる))だのくっだらない事を言いませんから。
何故って、
「そもそも人の話を(特に『共同幻想』系の人物)まじめに聞く気ありませんし(聞いてやるのではなく常に自分で考えて行動する)」、やれ他人が自分をどう評するなんてことは(特に『共同幻想』系には『単独者』の概念わからないのでむしろトンチンカンな人物評で丁度いい)更にどうでもいいことであり、
目先の出来不出来「いかにも『共同幻想』的な偏差値」なんてものはクソの役にも立たないと思っており(自分で考え企画した動機形成を実行したか否かにしか興味が無い)、

心理的認知の始まりの部分を極端にカウンター的に言えば
「森に人類ヒト科自分一人」で考えている。
更に「目崎の結果論的”差異には何ら意味が無い”」と考えている。

(今回の相談も『共同幻想』適応強迫面がお得意の「世間体」そのまんまですよ。)


結論、あなたは、
>>▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
ここに(ノスタルジー現象として)引っ張られているという話であり、
結論は出ているんです。
何度も何度も何度も説明してきました。

そして再三申し上げているように、
(極端に言えば「人はメンタルに悩むの自由であり」)
心理学は中立の第三者です。
ナントカセミナーでもなければ新興宗教でも占いでも人生相談でもありません。
本人が歩留まり的に「この悩みも自分の個性」と引き受けるのであればそれでもいいんです。
ですから、わたしはしつこいくらいに「動機の確認」を続けました。
心理学相談をそもそも強迫心理が足引っ張る行為(妨害)の結果論的追認のために利用したいだけなのであれば、それは私が強迫心理補助の共犯関係となる依存性用途となるので「そういう問いにには一切お答えできない」と、
(努力は無駄論なんてその中から「強迫心理」が思いついた苦肉の策ですよ)


■あなたが問うべきは他人(ひと)ではありません。
「問うべき対象は自分自身」です。

(その問いから逃げ、人に聞き続けるから依存性中毒から抜け出せなくなっている←だから結論いつも手を変え品を変えしているだけで「実のところは同じ話ばかり蒸し返している」んです。)
もうほとんどやっかいな問題は離脱に成功し、
「さて、これからどうすっか」というそれこそ最終局面で足踏みみたいなのが続いているだけなんです。
「強迫心理」のレトリックにをしっかり直視してください。


『(依存フラグになるので)リハビリ中の恋愛禁止』
『(共同幻想的他者との)比較級の禁止』
『(いい悪い論同様に)できるできない論の禁止』
『王道のいい悪い論の禁止(強迫心理下だと道徳が強迫心理の強制力となるため)』
『(認知速度的に)即レス禁止(一拍置いて考える→少なくとも1週空けるなど)』
そして補足事項として
「森に人類ヒト科自分一人」で考える
「心理学的に結果論の”差異”は”無意味”である」

当時から私がお伝えした事項になんら変化ありません。
全て過去ログに書いてあります。
(論文にすれば何冊分に及ぶはずです)


■これ以上の利用は規約に対し(他利用者の方に対しても)不公正となるばかりか、
依存フラグを刺激するだけで心理学的に逆効果です。
同時に私が心理学的に返信可能な内容は「全て返信済み」です。
永久に『出入り禁止』とします。
投稿があれば自動的に削除します。


■あなたが問うべきは他人(ひと)ではありません。
「問うべき対象は自分自身」です。

「さて、これからどうすっか」というそれこそ最終局面で足踏みみたいなのが続いているだけなんです。
「強迫心理」のレトリックにをしっかり直視してください。


規約違反と心理学的趣旨により以降投稿があれば自動的に削除します。

引用なし

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【116】ありがとうございました  以前投稿した者  - 2013/08/12 18:01 -

集中力が散漫になってしまったり、雑念は多すぎたと思います。おっしゃるとおり自分中心でした。


ただひとつ。
メンタルからくる知的薄弱の問題に関しては努力や集中力(メンタルが原因)だけの問題なんでしょうか。
他の皆さん努力されているのはわかりますが、通常の人にはできることができない、通常なら努力したらできるようになることができない人もいる。この苦労は通常の人とは比較にはなりません。
脳機能の問題じゃないのかと思うのですが。。

しかしkagewariさんのおかげで家族関係の悩みも消え、考えの切り替え方はわかるようになりました。そうでなければ今でも精神的にもっとつらい思いをしていたと思います。

規約を破って申し訳ありませんでした。
今まで答えていただいてありがとうございます。

引用なし

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以降は全て説明済みです。
過去ログに書いてあります。
会話と違って、何度も確認できるようにメールカウンセリングがあるのであって、それを見越しているから『出入り禁止』措置による依存フラグの抑止も可能なんです。

■何度も言いますが、過去ログに書いてある同じことを何度も繰り返し「聞くからいけない」のです。
その都度(本来はわからないのではなく脳内で感知される不快を自我が「わからない・納得いかない」と知覚している→本来的意味は『誤解』)、聞いてしまえば「わからない」という認知を追認してしまうことになり逆効果(自意識共犯)なんですってば。
本来はわからないのでは無いからです(事実答えは過去ログに書いてありそれをあなたは所有しているのですから)、言うならば「辞書持っているのにいちいち英単語の意味を質問する人」のようになってしまっている。
(しかもその辞書を今質問している人から貰っているのに)

<ひとつ新しく追加的事項あるので補足します>

>・相手の気持ちに立って考えても(自分の感覚が周囲と違いすぎて)わからない。
超能力者じゃないだから、相手の気持ちがほんとうにわかるだとか、空気を本当に読めるだとかそんな現象は「存在しません」。
第一誰しも自分の気持ちすらはっきりとわからないのですから。
(更に『共同幻想』適応者であれば尚更「自分の気持ち」をはっきりとわからない人達になります←自我にリミッターかかっているから。)

■相手の気持ちがわかるうんぬんにあなたが執拗に拘るのは、
(前ログの過剰な期待参照)
▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
これが潜在意識で反動化し「人の気持ちがどうしもわからない」というロジックになるんです。
(逆に言うと「自分の気持ちをこんなにも周囲なり相手なりがわかるまで自分では到底納得いかない」という「旧強迫心理ネタ」があるため→自分が潜在的に相手にそう要求しているため、自分も同じようにわかる筈だ的な妄想に繋がり→事実他人の気持ちなんかわかる筈も無いので延々と「わからない」ストレスが蓄積している。)

極論すると誰しもが「相手の気持ちなんかわかりっこない」的前提で生きてます。
(『共同幻想』の場合相手の気持ちを考えるのではなく「普通・常識・人間はそれをどう思うか」的な集約があるので、相手の顔色をうかがうのではなく常に『共同幻想』的にどうかでまず判断している。)
『単独者』においてベースとなるのは「自分ならどうするのか」に尽きるので、常にその評判は個性派だとかB型人間だとか我が道を行くだとか空気も読まず独断専行な人と周囲に評されて本物です。

『共同幻想』や『単独者』が処世術的に何をしているのかと言えば、
▲「基本自分より他者を優先している」です。
「自分の事はひとまず置いて置いて」という認識です。
つまりやれ自分がわからないだとか、そういうゴチャゴチャした事を「言わないで」、そんな事より自分以外の他人などの方が”見掛け上大事だと”振る舞うから(←この時点で「強迫心理」フラグをバカいってんじゃネーぞ的にノリ突っ込みで鎮圧できる)。
 ↑
意味わかりますか?何も親切でそうしているのではありません。
ノリ突っ込み切りで、くだらねーこと考える自分を鎮圧し「現実に対する集中力」を発現させるのが狙いです。

たとえば餓えた捕食獣が「ようやく見つけた獲物を前にして」いざ攻撃という時に「腹減ったな」とかくっだらない自分の事がやれどーしただ言ってたら狩りへの集中力が欠如して、せっかくの獲物を逃がしてしまうだけだからです。
このように生き物は重要な局面になればなるほど「自分の気持ちがどうだこうだ」など最低ランクのくっだらネー部分を切って捨てるから現実に適応できるんです。
(所詮それは自己愛でしかありませんから、腹減ったと言えばどこから食い物が出てくるワケではない。←しかし依存フラグで「何か出てくるかもしれないと期待があれば?」)

ですから「人の気持ちなんか誰にもわかりませんし、ましてやあなたの気持ちなど誰もわかるワケ無くわかりたくもないのです。」←これ人類ヒト科全般にそうだって事です。
誰にも相手の気持ちはわからないし、自分の気持ちなどプライバシーであり人からわかられるような代物ではありません。
▲確かに濃密な人間関係であるとか、ゲームの理論的に「どういう(気持ちではなく)”考えなんだろうね”」という”読み”とかは別にありますが(これを”気持ち”と要約する場合もありますが)、これは極めて『自意識マター』的論理であり「勝負における賭けと同じ」ような類のものです。
注:繰り返しますがそもそも「自分の気持ち」などわからない人が大半なのですから、この読みっていうのは「相手自信にも気が付いていない弱点」などへの”読み”のようなものです。


なので、
「いやはや人の気持ちなんてわからないもんだよな」
この台詞が日常生活全般で頻繁に聞かれる台詞になるんです。
(誰しもがそう思っているからですよ。)
極論「わからなくてもいいこと」だからです。
自分にあてはめた想定でともかく動いてみて、違ったら「謝る」終わりです。
(そもそも仮に『単独者』であれば、他人の気持ちなど無視して突撃する人種でなければなりませんしね。)
そんな事をいちいち気にしている事自体が問題であり、
「これは強迫ネタだと切るべきポイント」であり「質問したらダメだろ」って事です。
 ↑
■だから悪循環化するので「出入り禁止」にしているんです。
質問できないように。
そんな事を聞く方が間違いだからです。


■そして空気読む系の部分や、人の言った事を聞き取れないなど
これは「集中力云々」「くっだらないこと考えているから(強迫切りをしろと)」的部分など以前から説明済みです。
(テンパるだとか集中力欠落におけるメンタル的仮想知的薄弱などの問題も過去に説明済みです)
強迫切りできていないからです。
んな事でぐちゃぐちゃ言い続けるなってのが答えで、
そもそも少し前のレスで『単独者』系考えてますって人なんですよ?
基本日常生活『単独行動』の当事者にそんな事関係無いでしょ。
(余計な人間関係を極力避ければいいだけ、リハビリ中は「俺人間嫌いだから」とかの話を前提に動いても”お題目的にアリ”ですよ。)


何度も言いますが、
常にあなたは何百回と繰り返してきてますが、
>明日から相手のことが察知できるようになりました、になるわけじゃなく
(「努力は無駄論」で延々同じ話蒸し返しましたが)
突然それができる人間になる。だとか、みんなはそれが努力も無く容易にできているだとか、
この辺の「有り得ない想定」こそが致命的だと言ってるんです。
今回の話にあるように、他の人同士は「相手の気持ちがわかっている」だとかそんな話はどこの世界にもありません。
(だから思いやりだとかってのは常に”賭け”だから、気持ち半分常に間違ったら謝る覚悟でやるもんです。)
重要なのは「やれ自分のことがどーだあーだとくっだらない内向思考が止まらず(強迫切りできず)外向思考に自我が向かっていかない(集中力の欠如として発現)」←ここに尽きるんです。

その自分の観察力のパフォーマンス(集中力全開想定)これが全てです。
仮にそこが能力的にアレだとしても、
その場合は「あの人なりの精一杯」というジャンルになり、なんら問題になりません。

わかりませんか?
■どうして「森に人類ヒト科自分ひとり」で考えないんですか?
集中力・現実への外向思考(内向の反対)。
これは何かと言えば、
森の中で今日の食い物を探す集中力です。
この時腹減っただのやれ自分がどうだのごちゃごちゃした事考えて意味在りますか?
いわんや、自分以外誰もいないのだから他人の気持ちなんて問題はそもそも存在しません。
 ↑
ベーシックに言えばそこから考えないと始まらないって事です。

繰り返しますが、
今回新規追加事項として説明した深層心理。
>>▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
これをグズグズ今だに引き摺っているって事ですよ。
だから「わかってもらえるまで(強迫心理が満足するまで)これを延々に繰り返そうとする」、
しかもそのわかってもらおうネタは「強迫心理」という妄想です。
(実のところわかってもらうと思っている自分の気持ちなどという実体も存在しない。親子関係におけるドロドロした期待値のなれの果てのような”不快認知”があるだけなんです。←幼児特有の親の誇大認知に始まる現実との乖離。)

質問を続ければ続けるほど、その”切るべき心理”を助長するだけです。
ですから、
■「出入り禁止なんですから、以降投稿は自動的に削除します。」
こういうことを聞くからいかんのです。

引用なし

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【114】わかりますが  以前投稿した者  - 2013/08/10 14:55 -

・相手の気持ちに立って考えても(自分の感覚が周囲と違いすぎて)わからない。

・相手の目や表情の動き、言葉の真意、その人の雰囲気などで相手の状況を察知できない。具体的に説明してもらわないとわからない(通常から見たら”まわりくどい”説明をされてやっと理解できる)

・通常の人ならちょっとした説明やあいまいな表現、あれ取って、それやってなどの指示代名詞でわかることが私には理解できない。

・瞬時に理解することが必要な時に相手の話が理解できない。

・一度では話が聞き取れない。


こういったことは単純作業の仕事、知人や店員とのちょっとしたやり取りでもあり、相手がイライラするのはわかります。依存的とか、自分のことしか見えてないなどの説明おわかります。
しかしわかったところで明日から相手のことが察知できるようになりました、になるわけじゃなく、箇条書きであげたようなことどう克服していったら良いんでしょうか…。

引用なし

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【113】Re:ですから削除します  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/08/09 22:04 -

>■上から目線
>どういったことなんでしょうか?
 ↑
確認する必要がどこにあるのかわかりませんが。
誰一人規約を違反してこの掲示板を利用している人はいません。
あなたを除いて。
あなたが法律ですか?(←ここが現象としての上から目線)
しかも心理学の相談とも言えない内容で。

>他にも店員や医師と話してるときでも意思疎通がうまく取れなかったことがあります(他の病院の紹介状が必要なときに紹介状を書いてもらえなかったり、遠まわしに診療を断られたこともあった)。
 ↑
ここも前述に近い部分があるのでしょう。
推測になりますが(何度も何度も何度も説明してますが)、
与件化されている内容は既に事実関係として終わっている事なので(質問された側が「わからない」も含む)、自分が納得するまで相手に聞くであるとかその作業自体が「既に依存的関係性」です。
物事の理解ってのは、「そういうことだと事前に与件化されているものに関しては、なるほどそうかとひとまず”そのまま理解する”」→次に(仮に自分には理解できない要素があれば)どうして自分ではそう考えられないのか考える。そして考え続けるです(時間はいくらでもあります)。
何の問題もありません。
答えは既に知っているんですから。数学のテストの模範解答を事前に手に入れているのと同じです。しかし「どうしてそういう答えになるんでしょう」と聞けば一発で与件化は消え脳内では事実上「疑問形反論」ロジックが形成されてしまいます。←反射的に認知の反動化が起きる。
仮に数学の方程式でその答えが説明されている時、
「円周率って何ですか?」これ聞かれたらそれこそ”普通”もう誰も説明を続ける気失うでしょう。
(質問を続ければその段階で関係性は依存系となり、それが可能な認知は既に「上から目線」です)
この世には「そういうことか、わからない部分はあるが自分なりにこう解釈した」というロジックがあります。
「受け取る・承る」=(知識なりを)入手する
そこでわからないと質問を続ければ「拒絶する」=(知識なりを)失う、に限りなく近い現象になります。
事象の認知のルートです。或いは方法論、

■重要な事ですが、「強迫心理」構造時代の後遺症みたいなもので、
何をするにしても(元が依存系であるため求めるものが過剰で)自動的に発生する不快認知などから(過剰では無く通常レベルの対応されると)納得いかないかのような認知になりがちな傾向があるのであり(本当にわからないのでは無い反射的に派生する不快があるだけ→それを納得いかないだとか疑問が残るだとかの認知に勘違いしている)、
与件化されている答えを受け取る流れであるとかルートを自爆的に壊しがちな傾向があるワケです。
繰り返しますが「自分で納得いかないだとかわからないと認識されている感情が”勘違い”である状況が頻繁に発生する」という事です。
それはあなたに限っておきることではありません。広く一般に期待値の大きい何かの説明なりネタバレなりを確認する時、その答えが期待値と違う場合、誰しもが体感上「わからない」というような感情を認知します。
(勿論これは本当にわからないのでは無く、脳がそういう反応をしてしまうだけ。これを自我はサルベージする時に「わからない」と誤解する。)
事実関係はわかるもわかたないもそもそも関係無く「既に答えは出ているだけ」なんですから。

(「強迫心理」時代の後遺症で、自分は依存系だったから常に他人なりに何かを求める(説明や行為や感心やなにからなにまで)事案は常に「過剰な期待値」が自動的に発生しがちであることを事前に織り込んでおけばいい。ここを事前に織り込めば「わからない」だとか「納得いかない」とかの感情が派生しても「おっとっと又やらかしたか」とノリ突っ込みでそこを潰せます。「いやいやここわからないとか言っちゃいけないとこだわ」として落ち着く。←これは誰しもが日常茶飯事やっている心理的日常作業です。)

極端な話「TVが何故映るのか」知らない人大多数です。
しかしだからといってそれを人に聞きますか?
(TVが映る事に何ら疑問を持たない人は、どうして映るのかを必ずしも知っているのではない。知らなくてもいい。)
しかし、心理的問題などの経緯があれば(そしてそれが依存系であれば)権威上位者が何でも説明してくれて、同時に「他の人はその説明を受けて知っているから平気なんだ」と誤認します。
(自分の感情がそうだからといって、他の人が知っているから疑問に思わないとかの解釈をするから話がこじれる。人に気持ちになって考えるって行為の基礎は→「自分が感情なりでそう思うからってそれが事実だと思わない」って事です。)
そこでなにとわなしに「TVはどうして映りますか?」と聞けば、、
もう説明いりませんね。
(この段階で通常の人間関係は壊れます。数学教えてくれている人に「円周率って何?」の質問するようなものです。完全に上から目線の構造になっている。←事の発端は自分の脳内に「存在しない権威上位者の概念」があるからこそ発生する誤解認知。)


以降書いても意味があるのか無いのかわかりませんが(心理的現象ともいえず)、
ついでですから書いておきましょう。
>しかし一緒にトイレ掃除をしていた男性は何度か女子トイレに入ろうとしたので再度トイレから出るように言いました。
 ↑
非常に高い確率で「女性がトイレに入っているとこに性的関心で張りたかったから」だと思います。
(一部の論議ですが知的障害者の性の問題は重大なテーマになってます。学内レイプ騒動などもあります。)
これを邪魔されたので、嫌がらせであることないこと言いふらしたという可能性が高いと見ていいでしょう。
つまり、対応として(本来障害があろうがなかろうが男性職員を女子トイレに入って作業すること前提としている会社の指示が間違い)「利用者がいる時には男性はトイレに入れない」事を(相手に性的関心がある前提で)ビシッと(見透かしたように)言えなかったため話がややこやしくなったと考えるところでしょう。
(相手からも聞き取りできずなので情報不足のため推測の域を出ませんが、ちなみにわたしなら鉄板でそう考えます。)


>■実家に帰省したときに親の友人が泊まりに来ていたのですが、その人から私は夢遊病だと言われました。
夢遊病かどうかの真偽はこの話にまったく関係無いので(どっちでもいいことだから)そこは飛ばしますが、

何で実家に帰るんですか?意味が分からない。
4年や5年音信不通になる事もできないんでしょうか?
赤の他人の家なんですよ?
(と考えておくべき状況ですよ、メンタル問題あったのだから)
意味が分からない。
メンタル問題のフラグとして「恋愛禁止」並にストレス刺激要因でしょう。
(あんだけ苦労して云々かんぬん守秘義務あるので話せませんが、独り暮らしに成功するまでたどりついたのに。)
説明するまでもありませんが、
実家なんかに帰省するからそんな寝言言ってたって事でしょう。
(てかそれ以前に「余裕で眠れている」事自体驚きというか、神経図太いというか、強心臓だと思いますが、、)
リハビリ過程なんだから、強迫心理を刺激するようなフラグはできるだけ避けてください。
「無理をしない」というのはそういう部分も含まれます。

引用なし

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【112】Re:補足(■次回から削除します)  以前投稿してた者  - 2013/08/09 00:58 -

申し訳ありません。

■上から目線
どういったことなんでしょうか?

例えると、ある掃除会社の実習に行った時の話なのですが(作業所のような場所なので一般企業のようなコミュニケーションスキルは必要ないところなんですが)。
知的障害の男性と女子トイレで掃除していたときにお客さんが入ってきました。
女性のお客さんからしたら男性がトイレに入っていると抵抗があると思い(お客さんからも抵抗があると直接言われたので)、一緒に掃除をしていた男性に女子トイレから出るように言いました。
しかし一緒にトイレ掃除をしていた男性は何度か女子トイレに入ろうとしたので再度トイレから出るように言いました。
(その男性には全く悪気はありません。お客さんがトイレに入っているときになぜ男性がいると抵抗があるのかの理由が分かっていなかったんだと思います。彼からしたら掃除の道具を取りに行こうとしたり、女子トイレの掃除の途中だったので続きを早くしたかったのだと思います)
その男性は「知らないおばさんに言われた」とその出来事を他の同僚に愚痴っていました。彼からしたら(掃除をしているだけなのに)一方的に追い出された、何もしてないのに嫌なことを言われたと感じたのでしょうか。
知らないおばさんは私のことななのか、お客さんのことなのかは知りませんが、少なくとも私の伝え方に問題があったのは分かります。
かといってどうしたら良いのか分からず、言い方が悪かったのか、声のトーンが悪かったのか、後のフォローが悪かったのか、後からいろいろ考えていたのですが。
私自身は一緒に掃除をしていた男性を責める意思は全くなく、「女性のお客さんがトイレをしているときに男性がいるとお客さんが恥ずかしいと思うからそのときだけトイレから出てほしい。私もお客さんもあなたが悪いことをして責めてるわけでも嫌ってるわけでもない」と伝えたかったのですが、どう伝えれば良かったのか今でも分かりません。


他にも店員や医師と話してるときでも意思疎通がうまく取れなかったことがあります(他の病院の紹介状が必要なときに紹介状を書いてもらえなかったり、遠まわしに診療を断られたこともあった)。

他の人は相手の表情、声のトーン、目配せ、言葉の意味など、微妙な動きも含めて相手の真意を汲み取ったり、雰囲気から相手の状況を察すると思うのですが、私からしたら超能力級です。
皆からは「相手の立場で物事を考えろ」と言われますが、想像力の欠如だけでなく、私の感覚と相手の感覚(相手が不快に感じる部分が自分の中では不快に感じないこともあるので)が違うから逆の立場になって考えてわかることもない。
店や病院に行ったり、用事で知人と話すこともあるので、そこでのやり取りはできるようになりたいのですが、人の気持ちを察知できない私はどう振舞えば良いのか?


■実家に帰省したときに親の友人が泊まりに来ていたのですが、その人から私は夢遊病だと言われました。
私が夜中に人の文句を大きな声で言っていたり、外に出ているようです(外に出るところまではみてないようですが、私が起きて鍵を開けてる音が聞こえたそうです)。
「よほど人に恨みがあるのね」と言われましたが、私自身の中では過去のことは結論が出ています(強迫心理が出ていても対処する余裕は出てきたので)。
しかし夜中に声が出ているなら、私の住んでる場所の隣人の部屋にまで声が聞こえてるでしょうから対処が必要なのはわかりますが、引っ越す余裕もなく、睡眠時なので対処法が分からず、困ってます。


今まで指摘をうけたことがなく、睡眠時の対処までわからなかったので、申し訳ありません。

引用なし

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【111】補足(■次回から削除します)  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/07/15 09:50 -

(本来必要が無いんですが)

後からゴチャゴチャ続いているようなので補足しますが、
(質問文には全く意味が無いので削除されてます)
「やれ占い師が当たった話」をどんだけ並べて反論しも1mmも意味が無いのでそこ論証しておきます。

1)以下前レスの記載のとおり「その占い師」はあたっているどころか見当違いな外れっぷりであることが証明されている
>>共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
>だから考えなくてもいいし、
>考える方がおかしい。
>自分でもそう言ってんじゃん。
>何より結婚自体したくない、結婚なんて面倒なことは嫌い。
>勿論、
>言った責任取るんでしょうから、あなたは自らの意思で結婚しません。
>  ↑
>そのすっとんきょうな占い師思い切り180度間違ってんだろーーーが!
>そのどこが当たってんだよっ!
(他は省略)

外れている事が証明されている以上、
本来これだけで以下説明は必要無いのだけれども”あれが何”なので補足しておきましょう。

2)占いが当たっていても100%何にも意味が無い件
その人物の言論が『共同幻想』適応人格に”偏っている”時点で「1から10まで全部アウト」
仮に幽体離脱の才能があるとして、その人物が原子力発電所の内部に侵入できても、
その人物に物理の知識が無く、物理的に見当違いな説明をおっぱじめれば意味が無いどころか情報収集における弊害でしかない。
つまり、その人物が未来の見える超能力者だとしても、そいつは『共同幻想』適応人格でしかそれを表現できていないので、
・「同じ事件を第三者ジャーナリズム視点の記者がレポートした」
・「同じ事件を北朝鮮マンセーの共産主義者がレポートした」
当該占い師の言説は上記条件の後者に値するので(好き好んで偏向報道の新聞読むイカレポンチがいないように)、その占い師の技術が当たっていても何も意味も無いどころか弊害しかない。
(その人物は見た絵を『共同幻想』適応強迫心理に都合のいい説明しかできないため)


3)あたっているあたってない話がアホみたいにナンセンスな件
統計学や臨床研究における再現性というのは、大変な客観的実数でカウントされているもので、
数学的確率からしても「いかにもありそうな実例の予測は3択4択的確率の範囲に収まる」ため、猛烈な回数と「予め選択肢が大変に多い案件での予測」実験を繰り替えさないと統計学的な証明としては「著しく母数が少ないだけでなく公平性を欠き、更にその評価根拠が主観だなどという話には一切根拠として通用しない。」
仮に占い師の実験をするのであれば、
簡単な基本的条件としては
「その占い師及び占いなどを全く信用していないテスターを100人ばかり用意する」
「占いのお題は、テスターがサイコロ2個を転がした時の出目の予測」
これを延々繰り返して数学的確率と照らし合わせる。
こういう話じゃないと当たった当たってないなどの話には一切意味が無い(根拠として成立しない)。
(極論、この世の占いの枠組み(相談したいお客と占い師の関係性)←これ自体が統計的証明として失格である。)
更に、知人間などであれば単純に親戚筋の寄合などでも「将来話」などは頻繁であり「誰かの予想は当たる」などという話は日常茶飯事ある。
こういう話題になる人物は大概が「『共同幻想』異端者監視レーダーやソナー」のような(自らが適応するための観察眼)にたけているなど無意識な情報蓄積があるためで、
 ↑
『占いのパラドックス』をあげるなら、
その公平性を担保するには「その分野なり人物なりに全く関心が無い」事が条件となる。
(この段階で「知人の占い師」←この単語になっている時点でアウツ)
同じ写真なり絵画を見ても人の評論が違うように「見える超能力」があったとしても表現者としての公平性が無ければ誤情報に過ぎない(前述2)の説明)。
しかし、当該人物がジャーナリストのスキル乃至心理学の知識でもない限り、当該個人が関心の無い事項への知識は「物理に無知な人物が見た原発内部の情報」並に意味が無いことになるため(ジャーナリズムや心理学などのような第三者知見の動機が無い)、その占い師は(どんな絵が見えたとしても)認知速度として自分の関心事項に都合のいい説明しかできない。
=「知人の占い師」とは「100%当たらない奴を意味する代名詞」である。

4)一種の『観察者効果』
※物理だとか科学における「観察者の視点が現象を変化させてしまう現象」
占い師が言った予測を聞いた瞬間「自我には余談が発生する」。
単純に聞いた人物が強い主体性があり、というか元からその占い師を信用していなければ「当たっていない部分に焦点があたる」ので、極論何を言っても当たってないという結論になる。
(注:偏向報道やリアル・ジャーナリズムなどの違いがあるように、同じ事実関係でもそれを公平に認識なり伝えるためには応分の条件とスキルが必要で、極論一般人にはそれを評価する資格が無い。)
(つまり占い結果の当落は聞く人物の主体性や依存性などの特徴にその結果が大きく依存する)
 ↑
ここを更に補足すると、
そもそも世の中の事象の認定や認知は当該人物の主観で常に180度逆さまになり得る(典型例が「強迫心理」)、
勝ったを負けたと認識する事も可能だし、
失ったを獲得したと言い替える事も可能だし、
病気を健康だと認識することも可能だし(そもそも健康の概念は江戸時代以降であり当時は健康という言葉すらなかった「その占い師は江戸時代以前の人物に何と説明するのか?」)、
心理学で証明されているように「脳が物事を認知する仕組み」それ自体がリアルの喪失と幻想の証明であり、物事には固有の絶対事実関係(絶対普遍のリアル)を人間が認識したり語る事は不可能である。
ここの精度や確度は「第三者性」のような観察者の公平性を常に追求し続ける(抗(あらがう))動的背景でようやく担保されているものであり(だから芸術家の○○を追求する人生には終わりが無い)、
極論すれば「目撃者であるとか単なる当事者というだけでは事実関係を公平に見る事はできない」。
(だから裁判では目撃証言を検察・弁護双方から確認する)
(のように自我は(そのままだけでは事実関係認知が現実から乖離することがわかっているので)カウンターやノリ突っ込みパッチなどの”逆説論証フラグ”を仮想することで、「事実関係を客観的に確認しようとする動的”方向性”」を姿勢として重視する。)
上記括弧書きの更に逆を言えば「依存的認知」で確認される事実関係は全て”妄想”であると結論付けられる(裁判で言えば「証拠能力無し却下扱い」となる)。

■このスレッドはここで完結とします。

引用なし

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■次回から問答無用で削除します。
(守秘義務で公開できない○○禁止措置の云々とは別に←守秘義務があるので内容公開できませんが)
今回の掲示板利用だけで規定に違反しているとして当サイトの『公開掲示板』出入り禁止とします。

今回の話もそもそも(守秘義務で公開できませんが)「即レ○・反○、○し返しの禁止」もあっさり三連発で無視しており、サイトを依存目的で規定に違反する用途で利用していることは明らかです(公共性で置かれている掲示板の私的乱用)。

更に繰り返しますが、
>>■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
>>繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。
今回も何ら質問にも相談にもなってません。
そして相談文を書き依存性が問題になっていると注意喚起があるにも関わらず、これを(削除の警告があるのにどういうつもりで書きこんでいるのかわかりませんが)無視し、
書き込んだ事により間違いなくあなたの強迫心理は興奮し(心理学的に逆効果になっている)、
わかりやすい表現で言えば「その瞬間問題は悪化(退行)してます」。
アルコール中毒における一杯ひっかけるのと同様に、
メンタル問題の構造論的部分は解決もし本人理解もされてます。
(事実物理的にこれは解消している)
当初依頼の状況がほぼ条件を満たした段階でリバウンドされても(現在『自意識』がこれを認知している状況ですから)、それは当初の依頼動機を喪失したのと等価で(相談したことの無い人には心理学的答申を目にする事ないワケで)、目にする筈も無い(実際注意事項無視するということは”読んでいない”という事ですから)状況で「何を書けばいいの?」という事です。


▲「この状況もメンタル問題としてよく知られる状況では無いか?」という疑問もあるでしょうが、
確かにそれはそうなんです。
(当スレッド中でも記載したように「これが内向化すれば鬱症状であり、それが依存性となっているのかの違い」ですから、現状が「強迫心理」との関係で発生しているのは事実です。)
しかし、心理学が心理学として成立している所以として、
ブログ等で記載のとおり「歩留り的個性論」との綱引きがあり、
同時に心理学万能主義的に自我という自我を分析し尽せばいいというものではありません。
本人の意思確認が重要になります。
(簡単に言えば過剰利用をなんとかしたい←という動機があれば「そもそも返信書きません」し、有料コースもどの段階でも希望があればストップできる体制になってます。又、依存的過剰利用のリスクが感じられれば「相談期間の設定」等で対処もしており、その状況への対処も運営に盛り込まれています。)
(※注:特に当サイトがこの辺の管理を重視しているのは、仮に放置して延々料金を取るなどの状況を未然に防ぐ事を予め織り込んでいるからで、これをほう助して膨大な利用料金を請求するようなナントカと誤解されてはかないませんから。下記記載しますが「過剰利用」を必要とする状況も心理学的に存在しません。ハリウッド映画でお馴染みのNYの顧問分析医も本国じゃ「中古車セールスマンと弁護士と精神分析医」的に詐欺的批判受けてます、当サイトは顧問ナントカ的な随意契約のようなものは当初から想定してません。)

「織り込み済み」「対処は返信済み」であり、
書いてあるまま対処していれば、そこに答えがありますので(依存性のメンタル問題への対処としても)サイト運営趣旨がそれに沿ったものになっているという事です。

※よって今回の返信も「違反して書き込まれた分の自我退行を元に戻す」形で返信書いてますが、
記載の通り「織り込み済み」「対処は返信済み」であり(「強迫心理」に押し込まれた分書込み前に戻るだけで)、なんとか状況は維持できますがこれ以上の返信はサイトの運営が自ら「メンタル問題というよりアルコール中毒的な問題を冗長する」事になりますから、書込み以前の状況に戻るところで完結とします。
(ここに至る経緯は守秘義務があるのでここでは公開できません。)


■■■<ここから本題>■■■
そもそもなぜ前述の内容ありながら今回返信書いているのかと言えば、
心理学的ポイントがあったからです。
占いナントカというのは場合によると新興宗教への傾倒のようなメンタル問題固有の社会問題であり、その背景を記載する事の社会的意義が大きいと考え(前段記載の内容とは別に)、返信記載の社会性があるものとして記載します。

まず、
>>「織り込み済み」「対処は返信済み」
である部分の説明から、

前回までのレスにあるように、
「それを人に聞いてもいいことだ」と思うからいかんのであって←と返信済みです。
(相談という名目の依存になるので、わかりやすく一般用語で言えば「悪化」するだけだと。)
>手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、知人のは当たってるだけに(しかも結婚や実家に帰るなどといった運命に逆らうと良くない出来事に遭遇すると言われたらなおさら)自分の判断力にまだ自身がもてないのです。

だから返信済みです、
「どこの馬の骨か知らないが」云々の返信もそうですが、
極論(現在『自意識マター』リハビリ中ですから)「人に聞いていい頼っていいことなど無い」とつい直前に返信しており、
答えはそのままです。
書いたとおりになっているだけです。
「だから聞く(依存する)から悪化(不安のネタをまたぞろ人のせいにして確保)してんじゃん」
返信で「聞くなと言ってます」ので、
「さて、人に聞いた話なんですが」と思い切り直球で無視されても何もいう事ありません。
「聞く方が(自分の本音に対して)オカシイ」んです。
(現在依存フラグがあるとどんだけ説明したかと、、それをやれば悪化(退行)するから止めろと言っているのであって、私の事じゃありませんよ、あなたに返信の一環として言っているんですよ?)

しかも、
今回のスレッド冒頭のレスにおける「どこの馬骨か知りませんが」話で、
「占い師かなんかですか」とした記載に、
今回の話は「まんま直球の反論」になってます。
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
ときたもんだ。
イスから転げ落ちるだけでなく、深いため息の中ですね、、
えー流石の私もお腹痛くなってきましたが、、

どこの馬の骨なんか知りませんが、そいつを連れてこいっての、
5分で二度と立ち上がれないほどバトルプルーフしてあげますよ。
もうなんというか、、
児戯に等しいから。

あなたの設問が無茶苦茶なのは以下の矛盾で明白です。
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
>手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、
「根拠も無く、あたったあたったー的な」。。。

あのさ、
知人関係の占いが当たる法則なんてネタバレは(もうさ本当は説明の必要も無いんだが)100発100中で あ た ん だ よっ!
あのね、占いってのは後出しじゃんけんなワケ、
占い師に相談ししている設問なり、その人が占い師を必要としている動機なりで、
(『共同幻想』な社会でもその意識は無くても共同幻想系自我はナントカソナーのように無意識的問題を察知したりの話もしてますが、)
相談にきている人の無意識を読んでんの!わかる?
言いかえれれば(ぶっちゃけ顔に出てるんだから)、ダダ漏れの強迫心理を感覚的に察知して(ナントカ系程度の範囲だが)後は得意の説明口調で語るとだ、
これは構造的に本人自意識が深層心理からザワザワと押し寄せる強迫的欲求を(占い師は第三者だから)本人の自意識より饒舌に説明できんの。
でだ、
本人自意識だってまんま無意識が覗けるわけじゃないので(専ら連想フラグで勝手に浮上するような場当たり的認知)、本人体験としても「”そんな感じ”です」というところが重要で、具体論はどうでもいいワケだ。
更に、ある程度理路整然と占い師が予想屋よろしく強迫的雰囲気から(ダダ漏れ「強迫心理」の表情なりで何々系の話だと判断できるわけだから)「あなたは○○になります」と答えると、
相談した「自意識」はだね、「無意識からの圧力の中自分の連想フラグで思いつくより”当たってる”」と思う訳。
(ズルズル『自意識共犯』やってんだからさ「占い師の方の方が強迫心理の代弁者としてこれから追随しようと思っている私のヘタレな『自意識』よりよっぽど「無意識の意図をくみ取る感じ方が”当たっている”」)
 ↑
わかる?そしてさ(「強迫心理」の命令なりに本人『自意識』よか”当たって”方向性的中させるから)「これはいいアイデア聞いた」と脳内にフラグ立つでしょ。
すると、常に本人その無意識的欲求に答えようと思い切り『追随的自意識共犯系』の人格なんだから、「本当にそれを実行しちゃうワケだ」(自意識は自覚無く)、
でさ、後から「あ===本当にそうなった」てな、

アホかっちゅうねん。
(新興宗教への傾倒とかの場合もほとんど同じルートだから。)

■あのさ、ちょいと説明しておくけれれど、
私はこの道30年近くで、しかも案外それ系(というか意外にそれ系)の副業足かけ10年ぐらいになるわけ、
そりゃ類は類を呼ぶでいろんな人に会ってます。
(建築家から映画監督からアニメ監督からモデルから有名雑誌の編集者からプロの音楽家から自称霊能者から芸能人やらメディア関係者から電通さんから市井の感じのいいアルバイト君まで無数に、)
占い関係者にも会ってんの(書籍多数の)、
思い切り誘われましたよ「占い師になればすごく稼げる」って、
勿論断りましたが、
(なんとやらのお返しで、その人が私を占うと言うものだから好意を無下に何とかと思い、返信もらいましたが、「私は超弩級の千里眼」みたいな内容でしたが「それが何か?」)

それから「運」なんてものをついでに説明しておくけれど、
私の副業の不動産関連なんて世界ではそれを目の前で見る事は頻繁なワケ、
「いかにも常識的選択」すれば勿論(検索パラメーターがそうなんだから)「常識的な選択肢しか出ない」(まさに『共同幻想リミッター』)。←考えるまでもなく当たり前の事(何をするにも常にその程度に収まる構造は自作自演で想定されている)。
(実に現代社会でも部屋探しに親が出てくるとかもあります。『共同幻想適応』なら確かにあり得る話でもありますが、、、)
「トンデモ(有り得ない選択肢)」を引くギャンブラーは決まって『単独者』で、
曰く「勝負根性のある人」であり=極度の自立主義者って事になる。
そして、結果論には意味が無いも同じで、
「賭ける決断と独立心と自己責任(結果は全て俺のものだ)」これが明快な場合、
極論家なんてものは雨風しのげる屋根がありゃいんだから、仮にトンデモを選択して大失敗しても、
「そこが醍醐味で面白い(一生語り草の失敗談が手に入る)」。
どっちに転んでも「勝負師は(結果と関係無く)勝負師である」。
(で、ごそごそやれ友人だ予想やだ風水だ占いだ聞いて回れば?「そんな主体性すら無いところに期待されるような何が起きる筈が無い。」←勝負師の正反対ですからね。)


だからさ、
そこの
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
へなちょこ素人占い師連れてこいっての、
5分で二度と立ち上がれないようにしてあげますよ。
(新興宗教相手でも同じ、私は心理学を知る以前の高校生の時に某事情で某宗教事務所乗り込んで潰して「あなた悪魔だ」言われた人間なので、)

てかさ、
それ以上にだ、
そのヘナチョコ占い師の言ってる事ってのは
「思 い き し 『共同幻想』 だ ろー がー!!」
いつの時代の共同幻想だよ、おいって話でしょ。
>>このままだと同じような人間と結婚し、結婚自体がうまくいかなくなるよ」
どこの学級委員長だオイ、
(てか依存性フラグだからストーカー予備軍ははあなたでしょ。)
何「結婚がナントカですか?」何時の昭和40年代だよ、、

あのさ『共同幻想崩壊過程』の中”非婚・晩婚・少子化”が社会現象なワケ、
で欧州では既に「結婚によらない出産が50%超えて結婚による出産を越しているワケ」、
わかる?
結婚とかマジにするもんだと思うような人は「今マイナーな存在なんだよ!」
そらどこの女性誌にもそれ系の特集ありますよ、
「売 れ る か ら」(「強迫心理の煽りで」←CMの基本は不安煽りでしょうが、)
しかし、ほぼ壊滅しましたが小沢民主党が子ども手当を考えたのは欧州の動きも見て、
子供は結婚と関係無く生まれてくるし、そっちを伸ばさないと(フランスを参考)少子化は解決しないので、世帯では無く子供個人に対して手当(ぶつちゃけ給与を)支給しようとしたのが子ども手当ですよ。
(今時素ーで結婚をナントカとか考えるような人がマイナー層だからだよっ!!)

で、現代は『確信犯的な共同幻想の再獲得』であったり『単独者』なりの選択が社会的にも明快になってきており(同時にガタガタの『共同幻想』で過半数が「共同幻想崩れ」な時代に←この社会劣化が過渡期問題としてイジメ社会とかになってんだから)、
『単独者的アイデア』が溢れかえっているワケです。
DINKSに始まり、スローワーカー、ノマド(ワケわからん横文字は勘弁してほしいものですが)、

ザックリ言えば『単独者』ってのは、
「結婚?は?それは何ですか」ちゅう人の事なんだっての、
 ↓
>共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
だから考えなくてもいいし、
考える方がおかしい。
自分でもそう言ってんじゃん。
>何より結婚自体したくない、結婚なんて面倒なことは嫌い。
勿論、
言った責任取るんでしょうから、あなたは自らの意思で結婚しません。
 ↑
そのすっとんきょうな占い師思い切り180度間違ってんだろーーーが!
そのどこが当たってんだよっ!
当たってんのはあんたの無意識下の「強迫心理(ノルタルジーで実家時代・依存時代に戻りたい)」の方にズバリだろーーが!
そういうのを「外れましたね」っつーんだよ。
(生きるってのはその「強迫心理」含めて現実ってものに『抗(あらがう)』ことなんだから。)

>しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます
 ↑
当たってんのはあんたの無意識下の「強迫心理(ノルタルジーで実家時代・依存時代に戻りたい)」の方にズバリだろーーが!

当たっている話は「一から十まで自作自演」って事さ、
占い師はダシに使われているだけ、言えば狂言役者の役回りさ。


それからね、、
>病気になったときにどうしようとか。
何?何か問題あんの?どこに?
この世には「聞いてもいいことやら頼ってもいいことなど何もない」(カウンター狙いで極論すれば)
言いませんでしたか私、
私の記憶違いでしたか?
人体ってのはな、仮に病院の助けを得ても基本自己治癒能力で治ってんだよ!
優れた病院ってのは、バックアップ上手なとこって意味で、

あのさ、比較級使うな解説の時「森に人類ヒト科自分一人で考える」という設定を書いたけれど、
なーーにも実践してないワケか。
地球人類滅亡して、
某無人島なりに人類ヒト科自分一人、
そこで「病気になったときにどうしようとか考えて、実家に帰ろうとか」←言いますか。
どんなシナリオライターですか。

てかなんで赤の他人を呼ぶとか頼る必要あんの?
(20歳越したら血縁解消で赤の他人なんですが?)
『共同幻想適応』だってそうですよ?
(名目立ててるだけで、頼ってなんかいません。←血縁に依存している『共同幻想』は「共同幻想崩れ」)
日本で有名なタイトル「姥捨て山」、
ガチ『共同幻想』適応者は、俺を山に捨てろと血縁に言うワケです。
(で捨てろと言う当事者は飢饉の時に生まれた赤ん坊裏山で絞めて埋めちゃってるんだし)
方やその反対の『単独者』的に言うと、欧州単独者先進国における高齢者の「独り暮らしの権利」ってのは、
「病気だのいざ死に際とかに血縁とかうざいからくんじゃネーよ」な一面あるワケで(そういう『単独者』少なく無いのでそういう人の権利も守りましょうと)、

ついこないだ亡くなった名優三国廉太郎氏は、
「葬式もするな墓にもいれるな死んだことも暫く公表するな」となっていて、
血縁の佐藤浩市氏は(その三国廉太郎氏の意向も阿吽の呼吸で汲んで)彼の死に際も堂々と撮影の仕事しており、
しかも三国氏の誇りを守るため、
(まー付き合い上葬式的なことはやらざるをえずでしたが)
挨拶で彼を「父」とは呼ばず「三国廉太郎は」と演説したワケです。
(単独者同士わかるところはわかると、)

あとそれから何でしたっけ、
>「病気になって50前後で亡くなる」
ひっくり返りそうになりましたが、
信長がこれを謳ったのは、300年前ですか?400年ですか?
えーと(1582年没とのことなので)
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」

50前後、寿命まっとうしてんじゃん。
よかったですね。
(えーと私それに近い年齢ですが「あーマジ生きた、明日死んでも悔いなし全然OK」ですが何か?)


>現実をはっきり見据える目を持つにはどうして気持ちを切り替えしたらいいのでしょうか?
だから全部前の返信で答え書いてあるから。
(てか過去ログに書いてあるので、新規に説明する事何もありません。)

それとなんでしたっけ、ここですね
>彼らは共同幻想適応者としての責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いているんですよね。

何度も説明している筈なんですが?
昨今は『共同幻想』ガタガタで、適応っていっても劣化バージョンの「共同幻想崩れ」というか、元の『共同幻想』がガタガタなんだから、『共同幻想』的にもどうかな〜な側面あると説明してきてます。
(美しき文化伝統の『共同幻想』体現者がいれば天然記念物・国宝級だと、)
ある意味、『フルメタルジャケット』のハートマン軍曹ってのはそんな時代だからこそ「性根を叩き直す」的アプローチになっているのであり、
理念的には『黄金の共同幻想保守者』である民族派右翼のみなさんも凄まじい組織力とは言えない状況です(姿を同じくして左翼も後退中)。

仮に今現在の日本往年の『共同幻想』がバリバリなら、
「責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いて」
村で病気が出たら「その家は一族郎党皆殺し」です(村八分)
そんな彼らだからこそ(ある意味集落は集団のひとつの生命のように←運命共同体だから)、
田植えや収穫の時にみごとな連携を見せ、感情まで共有し、村の祭り(ほとんど乱交パーティー)は最高潮に達し、
狭隘な農地では「芸術家も真っ青の棚田」まで造り(先祖とも運命共同体で集団でひとつの命なので)先祖の土地を命がけで守る(次男や次女に権利を譲って土地所有権がバラバラになったりさせない「次男次女は長男の農奴か売っ払い要員」)。
だから村でも名のある庄屋なんかだと(権威上位者から病気でも洒落にならないので)病人出れば速攻『座敷牢』で周囲から存在そのものを隠したんであって。
(戦後日本で医療制度が拡充された黎明期村人に『健康診断』を勧めようとしても、村人は頑強にこれを拒否し(村八分が怖い)、厚生省に依頼された役人さんやら医師が大変『健康診断』の説得に苦労したって、たかだか70年前ほどの話なんですが。)

言うなら現在の彼らの水準は、ガタガタになったとも言えるし、
『共同幻想』随分(リベラル主義の影響で)丸くなったな(弱くなったな)とも言えるし、
同時に、そこに阿鼻叫喚というか酒池肉林の興奮が途絶えたので、
『共同幻想』って何だろう、、と彼らの世界も時代の選択を迫られているって事です。

言ったでしょ、
現実なんてものは突き詰めて言えば
「哺乳類人類ヒト科が縄張りめぐってしのぎ削る殺し合い」なんだって。
(勿論この闘争には血縁同士も同じ)
だけどさ、これじゃあんまりにも人類野蛮人過ぎって思う奴が、
「互いの『自意識』を抑圧して、合理的欲求を共有化しようぜ」と思いついた。
即ち、隣同士で殺し合うのではなく、「集落として周囲の殲滅戦をして都市国家を造る」。
これやればバカみたいな殺し合いも防げると。
(その結果都市国家同士で戦争するという概念がうまれた)
(この時代の『単独者』はさすらいの殺し屋みたいなもんなので←一匹オオカミとか呼ばれるわなそれは。)
しかしそんな戦争の時代の果て『産業革命』が起き、
戦争は「大量虐殺の時代」に変遷した、
たまらずピカソはゲルニカ描いた。
国家間の全面戦争はいかんねと(周囲で殺し合い時代と等価になってしまう)、再調整を考えて、
『近代国家』がうまれたが、
やれ帝国主義の植民地だ、あげくに広島長崎に原爆落とした。
洒落にならんねと、「常にリベラル主義などでトヨタ方式じゃないが”カイゼンする共同幻想”ってのを考えて(まー民主主義ですか)」これに反動的に反応したローマ帝国の末裔みたいなのが『共産主義』で対抗し、これもある意味自然消滅した。
その後グローバリズム覇権主義的市場経済時代と破綻を謳歌し、
そしたら「ジャスミン革命」みたいなんも起きて、
デモ一発で『共同幻想』は壊れる時代になった←いまココ

まだまだ古き良き『共同幻想』を一面で保守している中東某国では、
男性は成人式の後必ず『ジャンビーア』という三日月刀を貰い(15歳だったかな)以降帯刀します。
この刀は日本の武士道よろしく「抜いた時には相手を殺すか自分が死ぬかのけケリをつけなければならない(相手が抜かなかったら攻撃してはならない)」という文化の中で今でも帯刀されており、
男子は一族を守るために殺しを請け負う覚悟を試されるって格好で「選択」を突きつけられます。
(これが成人の儀式)
マジな『共同幻想』ってものはそういう代物だから。
(ある意味非武装なヘタレは伝統的に言えば『共同幻想』失格とも言えるかも知れない。)

現代社会の武装?「ペンは銃よりなんとやら」と言うじゃないですか、
最強の武装は『理論武装』という概念兵装です。
(言論ですよ「我思う故に我あり」)

■それからオマケで
日本特有の『共同幻想』において、家族愛が妙な変遷遂げている背景、
これ説明すると、
「日本の『共同幻想』は欧米のそれと比べて”多重構造”で”ゆるーいなんちゃって世間様教”の聖職者のようなものである」と書きましたが、
これはね、専業主婦的職業(嫁入りの概念でもいいけど)があったから。
つまり嫁や姑は「家法人って『共同幻想』の聖職者」となるワケです。
だから「家法人の聖職者という責任の前には自分の事などどうなってもいい覚悟(とその甲斐)」があるので(昭和サラリーマンが会社のためにはどんな悪どいことでもやったように)、身を捨ててこの責任を全うします。←この聖職者っぷりが凄いので家人には聖人に見えた。
(日本のキリスト教の歴史においてイエスより聖母マリアが人気なのは有名)
家族愛というよりそれは「海兵隊愛」に類するもので、
(なので嫁入り前の自分の実家が戦国時代のように殺戮されても嫁入りした先への忠誠が重んじられた。嫁いだ先の武将が実家を滅ぼしにいっても「御武運を」だし、そもそも嫁いだ理由が政略結婚で敵方武将だったりするんだし。)
だから昔の姑は「ハートマン軍曹」のように厳しくて正しかった。
(嫁を軍事教練並にしごくのが姑(古参軍曹の)責務だったんだから。)
所謂絵に描いたような家族愛があったからでは無い。
もっと無情で非情な美徳が”ザ・権威『共同幻想』”として輝いていたって事。


そーいう世界もあまりにもグロテスクであるので、
「イエスは(家族愛とかはやめてそもそも赤の他人だから)隣人を愛せ(或いは隣人としてなら血縁も愛せ)」と言ったワケだ。
(これ言うとキリスト教の人マジ怒ると思うけども、話の流れのたとえだから、まー目くじら立てないで。)


■こんだけ書けばもういいでしょ。

■次回から問答無用で削除します。

引用なし

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今まで「何で私ばかり?ほかの人だって人のせいにしてたり、人の悪口言ってたりするじゃん」なんて人と比べてばかりでしたが、(そういった一面を持っている人がいたにせよ)彼らは共同幻想適応者としての責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いているんですよね。
私は共同幻想のルールや秩序もわからず、何の人生経験もないのに自分の持論だけで動いていただけだった。
「上から目線」の意味が完全ではないけどわかったような気がします。ありがとうございました。


相談すること自体が依存、自分で考えて動いていくことはわかります。
知人への未練を断ち切るには、今後何らかの事情で人と関わったときに人にのめりこまないようにする(出会い、別れがきっちりできるようになるには)、
現実をはっきり見据える目を持つにはどうして気持ちを切り替えしたらいいのでしょうか?


ただ知人に(軽い気持ちで)手相を見てもらったときに
「病気になって50前後で亡くなる」
「数年後に見合い結婚をし、実家近くに戻る可能性が高い。○○が今は結婚したくないと思っていても自然とそういう方向に向かっていく。結婚をしたくないともがくほど逆効果になる。もし運命に逆らうと、○○が誰かに殺されるとかストーカーに合うなどの状況に合う可能性が高い。こないだ○○が実家に帰ったのも親が○○を実家に帰るようにと引き寄せてるんだ。○○はそんなつもりはまったくなくても実家に帰る運命にむかってるんだ。
でも人生が順風満帆にいかないのは○○自身が招くことだ。何の努力もせずに怠けてるじゃん。このままだと同じような人間と結婚し、結婚自体がうまくいかなくなるよ」と。
知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。

自分としては(これからのことは断定できませんが)今の場所で死ぬまで一人暮らしをするつもりでした。
私自身は共同幻想社会(その中にいる方たちを否定するつもりはないですが)のような狭い空間はあまり好きじゃなく、必要以外は自ら関わろうとは思わない。一人の方が好きです。
なので共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
仮に数年後もメンタルの問題を抱えたままだったらなおさら結婚は考えられない。
何より結婚自体したくない(親が進めた見合い話ならなおさら)、結婚なんて面倒なことは嫌い。
少なくとも親の決めた見合い話を受け、実家の近くに戻っても、(親のメンタル問題は高齢だから治らないことを考えると)親も私も幸せな結果にならないようには思います。
しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます(実家に帰るべきではないとの判断の方が合ってると思うのですが)。

病気になったときにどうしようとか。


○○が言った話に乗るなと言われるのはわかります。
手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、知人のは当たってるだけに(しかも結婚や実家に帰るなどといった運命に逆らうと良くない出来事に遭遇すると言われたらなおさら)
自分の判断力にまだ自身がもてないのです。

引用なし

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本当に困るんですが(ご存じと思いますが「○○禁止」の事項があるため先日アップのブログ記事はこの事項がリハビリ過程などのひとつの典型で起こり得ることだるのと同時に参考になれば的に記載されたものです)、今回は前述括弧書き理由と同掲示板過去ログに似たケースの記述もあまり無いですからサイトの社会性から考えて本項でも返信付けますが、
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html
■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

<ざっくり状況を説明するならば>
ご自身ネタバレ的強迫心理時代の過去など既に十分理解されてますので(構造的問題は既に壊れ解消している)、以降派生しているのは専ら「依存性」とこれを『自意識』がスポークスマンのように追認してしまう問題で、
あたかも問題が固有にあるかのような状況認識を自分で追認してしまい(本来は『自意識』が試行錯誤や経験積んでスキルアップする場面を)みすみす現状の弱点とも言える依存性を助長してしまうことは”ダイエットのリバウンド”のような”慣性退行・反動退行”みたいな事になっているのであって、結果論をどう結ぶのかは『自意識マター』なんです。←自分で決める場面です。→逆に「これは相談することだ」と認知しちゃえば依存を助長するだけでそこには未来永劫答えはありません。

注:ダイエットの方法論は説明済みでご自身も理解している。この時その方向性の実行は「当初の依頼動機『ダイエットを成功したい』によりますが」、方向を理解しているのにこれを”リバウンド的”に下手を踏んだ状況を、「ダイエットの方法論」側に質問しても論理矛盾になるんですってば。
(リバウンド的に下手を踏んだ状況=当初の動機が維持できてない、当初の動機を前提とする方法論側に説明求めてもこの段階で依頼動機が不完全な事になる。)
ダイエットの依頼が動機として成立していないところに、ダイエットの方法論サイドが「どうやったらそういう動機になりますか?」のような設問に答えがある方がおかしいんで、

注2:そして心理学サイドは「当初の動機に矛盾する反動が起きるプロセス」を説明してますから。
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html
歩留り選択の話にしても、十分説明してます。
(自意識が確信犯的に歩留りを選択した場合、それは個性と等価である。)


■結論「問題の定義」或いは「問題の認識」それ自体に論理矛盾があるんですよ。
 ↑
でー、これを(リハビリ過程は良い悪い判断が厳禁であることも説明してますが)
あえてカウンター狙いで「○○が悪い」とかで説明すると、
「自分の自我OSがバグってんじゃん」なんですよ。
(主体論として自分が悪いみたいな解釈は間違いですから)
「自分の自我OSがバグってて、おかしな命題が来ているけども、なんだこれ強迫ネタじゃん。却下!」

上記のプロセスは人間100人いれば誰にでもあるもので、
たとえて言うなら『ノリ突っ込みパッチ』なんです。
(「強迫心理」はネタバレにより鎮圧できる。)
「何言っとんじゃ俺、」「アホかっちゅうに」
このカウンターで一発終了なんです。

しかし、
強迫ネタをそのまま(これは事実関係として問題だ)と自我に挙げちゃって、相談なる外形的事実にしちゃうと、もう自意識は後追いになるので←こういう思考プロセスになると未来永劫答えの無い設定なので、どこで何しようが100%答えは無いんです。
(「永久の悩みを発明した」に近い。)
 ↑
仮にこれを他者に質問するのではなく、内向系で発現させれば『鬱症状』って恰好になるんですってば。
(「依存か鬱か」の差異になっているだけ。)

■しかも上記関連は「注意事項」として説明済みで、
こちらも予測範囲なので、依存切り的措置を当て込んでおくのがベターという判断と説明も行われてます。(ご自身も理解されている)
今回の事例はリハビリ的に言えば「鬱リスク」ではなく「依存リスク」だったので、相談なりが成立していた時点では「各方面の行動における事実関係の注意点などなど」説明もし理解もされてます。

その注意事項をことごとく破っちゃうワケだから、、
動機の確認をせざるを得ないし、
(たとえて言うなら「本当にダイエットが目的なの?」的に)
「それやったら問題起きるの予告済みじゃん」が派生しているのであって、
(糖尿病とかなら「あれだけ甘いものは控えろと」みたいに、)

自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)

<本来は意味無いんですが社会性を考えて各論つけます>
>私自身もだいぶ反省してたつもりでしたが、まだまだだったのでしょうか。
又、相談文を書いた次点でマダマダですね。

>単独者として向かって努力している時にミスや物を壊すなどの失態を繰り返してしまった場合はどうしたらいいんですか?
極論何もしなくていいです。
(失敗したくない意思があれば「努力」すればいい。→努力目標ができてよかった、人生に張りができた。幸せな事です。)
短期的に言えば謝ればいんじゃないですか?

>いらない考えを切る努力はします。それでもミスや物を壊す、見落としなどの失態を繰り返してしまったら…。
だから「余計な事(ミスの連発は予測範囲内なだから)を考えてる場面ではない」と切ればいんですよ。

>味なら自分の好きなようにできるけど、仕事って部分では私のようなミスをくりかえしてる場合、
これは言い訳、
その言い訳は通用しない。
 ↓
「今回は自ら望んで就いた仕事でした」
この選択の次点で、趣味以上に自分の好きな事となるため。
(そうなってないなら当初の動機は”嘘”だった事になる。)
趣味と同じように、失敗などがあれば、
「チクショー(笑、何やってんだー俺」以外有り得ない状況。

そこに仮におかしな問題意識があるなら、
「普通は○○の筈だ」みたいな強迫心理をやらかしているって証明。
(参照前述ののブログ記事)

>完全に決意したわけではないですが
 ↑
ほらねw
(自己責任の担保が無いから、失敗も自分の幸福だというプロセスに入れない。)
なんかの動機に引っ張られてるって事でしょうに。


>あとは共同幻想適応者とどう接していけば良いのか?
だから、
リハビリ過程はバイトでも全然OKなんだし、
(それが動機ならだけれども、)
高校生がアルバイト先考える時だって、
新卒大学生が就職先考える時だって、
「俺はこういうの苦手だから○○系はNGだなぁ」←これ誰でもやるんですってば、

なんで『共同幻想』職場がデフォなの、、
「社員が多いとか組織的業務はまずNGとしてっと」←これがデフォでしょうに。
リハビリ過程なんだから。
(経験の中から「単独者にすっか共同幻想にすっか秤にかける過程なんだから」)
リハビリ過程の参考になるのはほとんど同じ状況の「高校や大学時のバイト選び」ですが、人はこん時に得手不得手含んで(どちらか言えば楽な方が誰にとってもいんだから)、試しに○○系職場行ってみっかなどしつつ(仮に失敗して辞めてもバイト君ならあんまし企業にも迷惑かからないので)、
「さて俺はどうすっか」の戦略上の下地を作るんだから。

予め『共同幻想職場』がデフォの次点でアウツでしょ。
(ガチ「強迫心理」)

こんだけ話してもピンときていないと思うので、
激動の昭和における単独者なりが何をどう考えるのかサンプルでお答えしますけど、
「まず都会だな」だとか、
「日本は無理だな、どうやってアメリカいくかな」だとか、
 ↑
これ当時の若者日常茶飯事の発想だから。
「さて俺はどうすっか」の戦略上の下地ってのはそんだけデカイ話なワケ、
(実際勘違いして片道切符や密航者状態且つ現地では浮浪者状態とかで米国や欧州いっちゃった人とかゴロゴロいるワケ)
現状の「地域制保守『共同幻想』がデフォ」になっている時点でアウツでしょう。
(仮にこれが”歩留り的”な自己選択で「やむなし」の決定事項であれば、「さて俺はどうすっか」てのは「俺はこのクソどもの中でどうやってサバイバルするか」がテーマになるので←人に聞くことでもなければ心理学が登場する場面でも無い。)

繰り返しますが、
あなたは再三何を言っとんのかと言うと、
「普通は○○の筈なのに」的にだね『共同幻想適応話』の周囲をグルグル回って、
この問題に「さて俺はどうすっか」の結論なり決定なりを永遠に先送りしているワケ。

「さて俺はどうすっか」この決断は「どうしたらいいでしょう?」
これは設問になってないから。。
(心理学は宗教じゃないから)
設問自体が、過度な『共同幻想』依存状況におけるナントカ教の信者が「○○様私はどうすればよいのでしょう」という宗教事務所の会話と同等になっている。

そんで「それを相談だと認識するからダメなんだっちゅうに」と何回も説明しているワケです。

>(いつも私にアドバイスをしてくれていた)知人から「思いやりがない。自分のことしか考えてない。謙虚さがない。人間とは思えない」といわれました。
>人に物を頼んだときでも「物を頼むときの態度に謙虚さがない。物を頼むときにはお願いしますと純粋な気持ちで頼むものだ。おまえは自分のことばかりで感謝の気持ちがない。だから冷たくあしらわれるんだ」といわれたことがあります。
>知人の言うように私にも無神経な言動や態度はありました。
 ↑
これも全部既設です、
(依存フラグがあるから「○○禁止」措置であるとか、、警告したまんまじゃないスか。)

細かい解説つけると、
「強迫心理」系反射的動機に起因する(本人そのつもりも無いのに)『上から目線の構造』
(過去ログ思い出しました?)
構造的にスタンスがそうなるワケ(そのつもり100パー無くてもその論理思考だとそうなっちゃうの)、
脳内の権威者と自分の関係から発言すると(脳内では権威者=神託みたいになっているから←これが『自意識』を抑圧可能とする原動力)、自分を抑圧している絶対権力者目線になるので、
これを傍から見れば「トンデモ勘違いな人」となる。
(ある意味周囲がそう受け取る項事案は「全部強迫ネタで設問そのものがナンセンス」だって事。自分の意識下にある”問題ネタだこれ・相談ネタだこれ”とかいうゴチャゴチャした認知そのものを潰しにかかる方が先だって事です。本来は「人に聞いてんじゃネーよ俺」の場面なんですってば。)
つまり、
本人には後追いで自意識には相談に”見えている”だけで(実は答えの無い永久ループの強迫ネタフラグ)、口から出ているのは「強迫ネタ」であり(この段階で極論すると全部鉄板の妄想)、
本来は『ノリつっこみパッチ』で、
「またぞろ何を言い出してんだか俺(んなこたーどうでもいんだよ)」と、その上から目線の姿を自分で「馬鹿じゃん」というツッコミで切って終息するものなんだってば。
「古い芸を品を変えれば通用すると思ってんじゃネーぞ、いつまで同じことやってんだ俺」と、
(そういう余計な話は『ノリつっこみ』で切って捨てて、自分の事はともかく(どうでもいいので)回り(現実)を見ろよと、)

あなたが再三「空気が読めない」とか言っている観察意欲の欠如は、
前述のプロセスを起動させていなくて、やれあれがこうだこっちはこうだと(どうでもいい)自分の強迫ネタを延々(現実世界の)話題の中心に据えたままだから起きるんですよ。
(自分のどうでもいい話に注意力を削がれるので、現実への集中力がお寒い結果になる。)

>まだ何が足りないのでしょうか。
今回の返信が答えです。
自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)


>自分だけではわからず、何度も知人に聞いていたら、知人からも愛想をつかされしまい、そのことでも悲しくなってしまってる状態です。

だから(結論出てている話に自己反論して)繰り返し同じ話を聞く行為はそれ自体が依存フラグになっているんだってば、
「自分には相談毎がある」←コイツをいっとう先に鎮圧しないといかんのですよ。
(放置するといかにもナントカがおっ始まる。←と再三注意喚起してきてます。)


>自分に原因があり、相手に依存してしまってたと反省しているのですが、(相手も私も恋愛感情が入ってしまっていたのか)関係自体が問題だったのか、

リハビリ期間は恋愛ナントカはご法度だとあれほど、、、
「言ったとおりでしょ」
(これ以上何を言えばいいというの)

>自分に原因があり、私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うとつらいのですが、こんな自分にけりをつけるにはどうしたら良いのか?

既にご自身で答えを書いてあるじゃないですか、、、
 ↓
「私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うと」

何度も繰り返しますけども、、
歩留り選択つーのもありますが、
そもそも「動機の確認」をですね、
(「自立したいんですが」は決定事項だった筈ですが?だったら全部の話は「まー自立して」で解決するものばかりなんであって、「さてこの状況から俺は自立テーマでどうすっか」が先なワケだから、そこがまだまだ練習段階で他がどういう仕組みで自立前提項目なのに先行して解決するワケ?←これはどういうファンタジー世界の数学ですか。)

自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)

今回の事例はリハビリ的に言えば「鬱リスク」ではなく「依存リスク」だったので、相談なりが成立していた時点では「各方面の行動における事実関係の注意点などなど」説明もし理解もされてます。

その注意事項をことごとく破っちゃうワケだから、、
動機の確認をせざるを得ないし、
(たとえて言うなら「本当にダイエットが目的なの?」的に)
「それやったら問題起きるの予告済みじゃん」が派生しているのであって、
(糖尿病とかなら「あれだけ甘いものは控えろと」みたいに、)

■結論「問題の定義」或いは「問題の認識」それ自体に論理矛盾があるんですよ。
 ↑
でー、これを(リハビリ過程は良い悪い判断が厳禁であることも説明してますが)
あえてカウンター狙いで「○○が悪い」とかで説明すると、
「自分の自我OSがバグってんじゃん」なんですよ。
(主体論として自分が悪いみたいな解釈は間違いですから)
「自分の自我OSがバグってて、おかしな命題が来ているけども、なんだこれ強迫ネタじゃん。却下!」

上記のプロセスは人間100人いれば誰にでもあるもので、
たとえて言うなら『ノリ突っ込みパッチ』なんです。
(「強迫心理」はネタバレにより鎮圧できる。)
「何言っとんじゃ俺、」「アホかっちゅうに」
このカウンターで一発終了なんです。


<まとめ>
のようにですね、
現状の説明に心理学はまだ有効ですけども、
(この説明は200回ほど繰り返してますんで、)
そっから先
「さて、俺はどうすっか」
これはあなたの人生なのであって、他所からこれに干渉したらイカンでしょう。
(ナントカセミナーでも無いし、ましてや洗脳なんて事でも無ければ、宗教じゃありませんので。)

誰の助けも無く(だから自由に)、自分で選ぶ『権利』の話なんだから。
(これが「基本的人権」「個人の尊厳」の原則)

ちょっと難解ですが繰り返し読んでおいてください。
 ↓
(参照前述ののブログ記事)

■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

<と書き上げたところで>
自己レス状態の追加があったので(即時削除の告知前だったので有効としますか、、)

>ただ思いやりとか、物の頼み方とか、その部分についてはわからない部分があり
基本、人にものを頼むのは”異例”
(少なくともリハビリ過程は「仮想単独者(仮想思春期の反抗期)」なので、人に頼んでいいことや相談していいことなど無いと想定してニュートラル。てか自分で考えてやらないと自分の知識になんないから。)
それこそあえてカウンター表現使うと「”普通”人にそういうこと聞かない(頼まない)」。
聞いたり頼むほうがおかしんだってば。
答えは常に、
「好きにすりゃいいじゃん」でしか無い。
(それが人生ってもんだから←心理学越境して若干人生相談レスになってるけど。)

同時にここは、
そっから先
「さて、俺はどうすっか」
の関連項目だから。
いちいちどうでもいいことを人に聞くような問題だと認知しているとこが大問題なんだってば、
(そもそも問題事例の発生背景は「動機は本当か?」それ「共同幻想適応強迫じゃね?」から始まっている行為だから、俯瞰で見れば自作自演なんであって、←極論やらんでもいいことばかり。)
仮にその動機が本当であれば、「嬉しい努力目標」として”生き甲斐”として認知されるとこだから。
その本来なら「嬉しい努力目標」として”生き甲斐”として認知されるとこがだ、『被(こうむる)』認知で被害認知的に認識されて→「これはおかしい”普通”○○な筈だ」で相談するべき事項だと認識した事それ自体がアウツなんだってば。
※「普通は」キーワードのリスクは以下引用のブログ記事で詳しく書いてある。
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html

又、結果論的認識の大前提として、
「心理学的には結果が成功でも失敗でも等価だ」という原則があるので、
(岸田フロイド心理学で言うとこの「この世にどうでもよくないことなどない」の逆パラドックス)
それに特定フラグで固着したらもう「ルサンチマン(永久に解決しないフラグ)」なんだって。
人間の快感認知原則における行為ってのは、
「企画して動機形成し実行され、その結果を自己責任と記憶(歴史)の所有権を確認」する事で”満足(欲求の代謝)”を完結するのであって、
結果論としてのできるでないには意味が無い。
動機形成された行為が”実行されたか”に意味があるワケ。
(結果論は『自意識』が好き勝手に解釈して、人生の生き甲斐でもなんでも都合よく解釈すればよい。)
そこに特定の「○○でなければ気が済まない」みたいな固着があれば、
それは「強迫心理」であり、
極論すると「その感情は錯覚であり妄想でありインチキであり嘘なんだってば」。
事実関係が嘘なんじゃないの、
その結果にあれこれぐちゃぐちゃコメントしている固着感情が「OSの論理エラー」で出てきてる誤動作で、
本来「何ぶつくさ言ってんだ俺」で100人が100人切っているとこなワケ、
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
「これはかくかくしかじか人に聞いたり頼ったりすることだ」と認定するから出口の無い話になるんだってば。
(それが「強迫心理」の狙いなんだから。)

今回の全体の文脈と重なっているでしょ?
 ↓
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
人に聞くような関心事項ってのは「公的なこと」「社会的なこと」なんだってのさ。
(自分のことは個人的なことだからどーでもいいや)
「えーとこの前自民党から提出された法案ってさ」←人に聞いたりする事項ってのはこういう事。
ほら、集中力が(自分の事をどーでもいい視した結果、自分のやらかしも客観性の一部になり)外に向かうでしょうに。

極論すっとさ、
自分の仕事上のやらかしと同じ職場で他人が同様のミスをした事例を、
「全く同列に観察・認知して」いないといかんのさ。
自分のことはどーでもいいので「○○さんって人(自分の名前)がミスをした。」という客観的認知ができるの。←この事象を自分と他人の区別なく認知していないと、結果論としての『自己中心認知』になるんだって。
自分と他人の区別なく客観的に認知していれば、
(他人がミスしたのを見た時の感覚と同じように)
仮に自分がミスしても
「ありゃりゃー」←この言葉は他人がそのミスしでかしたのを見た時の感嘆と同じ感覚じゃないといかんの。

ところがさ、
バックグラウンドに「普通は○○の筈だ」とかに始まる、強迫的認知があるとだ、
本来現実(自分すら客体とする外的現実)に関心が向かわないといかんところで、
「自分が自分が」に関心項目が向いてしまい(一人称的認知で自我がいっぱいになる=『自己中心認知』)、
 ↑
だから話戻るけど、
本来「何ぶつくさ言ってんだ俺」で100人が100人切っているとこなワケ、
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
「これはかくかくしかじか人に聞いたり頼ったりすることだ」と認定するから出口の無い話になるんだってば。
(それが「強迫心理」の狙いなんだから。)

>>>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合
この話は、
ネタバレになるけども次回アップ予定のブログに関連項目書くので、
(明日か明後日ぐらいのアップだと思うけども)
それを補足として読んで。
日本特有の『共同幻想』の在り方解説になってるから。

うーんと一部予告編で書くと(芸術家の心理とかのタイトルになるから)、
日本の『共同幻想』ってのは、「ゆるい宗教の聖職者」のようなものなワケ、
(欧米なら明快に教会は家族の上部構造権威だから、そこ前提に考えればわかる筈)
だから昭和の男は「家族の事なんざかえりみる事無く、(聖職である)『共同幻想』に適応することが正しい」という事になってたワケ、
(だから日本は「単身赴任」も平気というか、ノー文句で受け入れるのが美徳だった。ハードなサラリーマンが親の死に目より仕事を優先するのも昭和なら文句なしでカッコいい事だった。)
 ↓
明快に『共同幻想』への適応は血縁なんて腐れ縁より上位概念だから。
(カウンター的に言えば彼らが『共同幻想権威』に関わる問題で仕事と関係無い事を侮辱するのは”彼らの教義上”それが戒律であり正義なんだって。聖戦なんだって、)

彼ら自身、自覚無く、無意識的だからわ余計かり難いだろうけども、
日本の『共同幻想』ってのは「世間様教の信者として出家して『聖職者』になるような行為」なんだってばさ。
だから、不信人だとか異教徒っぽい振る舞いは(彼らの教義として、聖職者のの義務として)「叩き潰すべき『聖戦』であり正義である」←と彼らの深層心理はそうなってんの。
(いいも悪いも無く、それが『共同幻想』の構造・性能だから。)

『単独者』の概念で言えばさ、
某宗教信者でもだ、目の前の人物が明快にそれに対抗しうる意思なり心情なり信念が明快なら、
互いに線を引いて尊重しましょうとかあり得るワケ。
(キリスト教信者も目の前にイスラム教信者がいるからといって闇雲に攻撃はしない。しかしだよ、自分の事がよくわからず曖昧なままという経緯で、イスラム教の信者のような振る舞いをキリスト教の教会の正式行事の最中にやられたら?←こう仮定したら攻撃開始に相当するでしょ。だからすべては「さて俺はどうすっか」の明快化が無いと始まらないんだっての。各方面に自分が最も望んでいない”必要のない誤解”をばら撒く事になってしまう。)

自分の動機形成の主体性を担保できてるかって、そこに尽きるんだって。
(それどっかから聞いてきたような話じゃネーかとか、「又始まった普通は・・・じゃないか」だとか、何々に決まっているだとか、これはやむを得ない不本意な選択だと確認していないのじゃないかとか、どっか中途半端な”わかり難い自我”になっているとさ、→『共同幻想』の側から見れば「わかり難い偽装をしたスパイ」でしかないんだって。)

■ことほど左様に現代社会では『共同幻想』はあまりにも問題が多く(そもそも表面化しないだけで元ネタ「強迫心理」だから)、歴史の変遷の中で崩壊する事になってんの。
(常にナントカ文明とかさスクラップアンドビルドで壊れてんでしょ?)
それが現実だから。
現在も新卒社員の3割が3年以内に辞職するなど、100人が100人、
「さて俺はどうすっか」に直面し、
自分の頭でその先を考えるの、
それが人生。

そこで「人に聞いたり頼ったり」していいことなんか(極論)”無い”のだよ。
(しつこいようだけどわかりやすくするための”極論”ですからね。)
 ↑
この状態を『自由』と呼ぶの。
それがあなたの最大・最重要な『権利』ですから。


今度こそ
■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

引用なし

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【107】Re:自分にけりをつけるために  以前投稿してた者  - 2013/06/28 22:22 -

>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合

知人からも同じことを言われました。容姿のことを言われるのも人に言われる要素があるからだと。
「私の性格の問題は色々言ってくるのに、逆に私が人から言われたことに対しても全て私が悪いって言われなきゃいけないの。全て私が悪いなんて言わないでよ」と知人に反発してました。

でもよくよく考えてみれば、知人は『共同幻想社会でのあるべき姿』を言ってたのでしょうね。共同幻想社会では容姿含めて人が嫌悪感を持たないように気遣うのは当然の話であり、私が人から容姿のことを言われたのもきっちりしてないとの意味で言われたのだと解釈してますが。
メンタル面で問題を持ってると、その血縁者のことも同じように見られる傾向にありますしね。
それでいちいち腹を立てていても仕方ないですよね。

それでも言われたらむかつくし、まして血縁者は関係ないだろとの思いはありますが(共同幻想適応者でも家族のことまで言われたら腹立たしくなると思います)、共同幻想社会ではそんなものなのかなと(共同幻想社会全てを否定するわけではないけど、ほとんどの面では残酷だと感じますが)割り切るようにはなりました。
それに容姿(生まれ持った顔かたちではなく、全体的に醸し出してる雰囲気)が暗い感じだったり、おどおどしていたりすると周囲もその人に対して良い印象持たないのは当然だとも思います。

そのことが何もわからず、知人に反発し、喧嘩別れになってしまった後にずっと考え込んでいたのですが、気づくために失った代償が大きすぎました。
(共同幻想社会内での話だと割り引いて考えても)知人は一生懸命になってくれていたのに結果傷つけてしまったし、気づいたのが遅すぎました。
kagewariさんにも申し訳ないことをしました。

ただ思いやりとか、物の頼み方とか、その部分についてはわからない部分があり、規則に反して登校しました。もうしわけありません。

引用なし

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【106】自分にけりをつけるために  以前相談を受けてた  - 2013/06/28 18:58 -

最後と言っておきながらお許しください。

私自身もだいぶ反省してたつもりでしたが、まだまだだったのでしょうか。

仕事でも私も今回は自ら望んで就いた仕事でした(以前続いた仕事の経験も踏まえてできるだろうかとの試しもありました)。
完全に決意したわけではないですが、単独者としての選択を考えてました。でまた失敗だったわけですが。

単独者として向かって努力している時にミスや物を壊すなどの失態を繰り返してしまった場合はどうしたらいいんですか?成果が気にならない部分(雑用や私生活の)でもミスや物を壊したりすることが多い有様です。
いらない考えを切る努力はします。それでもミスや物を壊す、見落としなどの失態を繰り返してしまったら…。
趣味なら自分の好きなようにできるけど、仕事って部分では私のようなミスをくりかえしてる場合、
「単独者を選択したならひたすら努力する(成果は気にならない)。出来なければ雑用係を希望し(皆から迷惑がられても)クビになるまでひたすら努力する」なんて考えって甘くないのでしょうか?


あとは共同幻想適応者とどう接していけば良いのか?仕事以外の面でも医者や知人と用事で絡むことがあるのですが、思いやりとか、ものの頼み方とか、謝り方とかわからなくなりました。

(いつも私にアドバイスをしてくれていた)知人から「思いやりがない。自分のことしか考えてない。謙虚さがない。人間とは思えない」といわれました。
その知人が体を壊したときに心配したら「お前がはじめて少し人間らしいと感じた」といわれたくらいひどかったようです。
人に物を頼んだときでも「物を頼むときの態度に謙虚さがない。物を頼むときにはお願いしますと純粋な気持ちで頼むものだ。おまえは自分のことばかりで感謝の気持ちがない。だから冷たくあしらわれるんだ」といわれたことがあります。

知人の言うように私にも無神経な言動や態度はありました。
自分の至らなさもわかったら人のことを考える余裕も(職場で容姿のことなどをけなされたときには腹が立ちましたが)以前よりは出てきました。

その後、ある事情で相談業務の仕事をしてる人にお願いをすることがあったのですが、その人に私の管轄ではないと言われ、断られたことがありました。
私の態度に原因があった、他の人なら聞いてくれたと思うと知人から言われました。
やはり私に感謝やお願いするときの謙虚さがないと。空気や状況が読めないのも人を思う気持ちが足りないからだと。
他の場面でも人のことを思いやり、感謝の気持ちは持って接してたつもりだったのですが、まだ何が足りないのでしょうか。


他を見てみると人のせいにしている(悪口を言ってる人)でも人とうまくやってる人もいて、仕事などで謝ってる部分でも物を頼んでる部分でもすんなりいってる人もいて、疑問に思ってましたが、謝り方、秩序、ルール、相手の立てる場所などを知っているからなんでしょうか?


共同幻想と折り合いをつけようと思うと、相手を思いやる気持ちも必要だと思ったのですが、その思いやりや謙虚さ、相手を見るってこと自体どういったものなのかわからなくなりました。

自分だけではわからず、何度も知人に聞いていたら、知人からも愛想をつかされしまい、そのことでも悲しくなってしまってる状態です。
自分に原因があり、相手に依存してしまってたと反省しているのですが、(相手も私も恋愛感情が入ってしまっていたのか)関係自体が問題だったのか、それでも私のことを厳しくしてくれたり、親切にしてくれていたので相手を信頼していた部分もあります。
自分に原因があり、私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うとつらいのですが、こんな自分にけりをつけるにはどうしたら良いのか?

本当に申し訳ありません。こんな自分にけりをつけたいのです。お願いします。

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【105】Re:仕事のことで  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/06/10 07:03 -

最初に申しあげておきますが(詳しくは以降記載内容読んでいただくとして)現在公開掲示板は新規の相談を停止しています、これはここを閲覧等で利用している人全てが守っている事で例外はありません(個別各論では無く一般論としての質問のみ受け付けているものです)。
仮にこの状態が続くのであれば掲示板の新規書込み機能含めた同サイトにおける掲示板機能そのものを検討せざるを得ません。
■現状の運営は紳士協定として上記規約が遵守されることで継続されているものです。
■■■以後レスが続くようであれば投稿は即時削除されるものとご理解ください。■■■
(理由に関してはご存じと思いますが守秘義務に関わる事ですのでこの場では詳細記載できません)


全て以下記載は過去ログで返信済みの内容であり(返信済み内容をどうして無視して新規の質問ロジックとなるのか理解できませんが)、『公開掲示板』の運用趣旨(自由にログの閲覧ができる社会性)を保持するため(守秘義務に抵触するため理由の詳細はここに記載できませんが)他閲覧者の方が何の話が書かれているのかわからないでは意味がありませんから、返信済みのログを重複の形になりますが以降記載します。
基本はココです
     ↓
>>「品を変えたからって『蒸し返し話』が可になる訳ではありません。」

■心理学により確認乃至発見された大きな要素は(言い替えれば「構造的に自主解決しない」メンタル問題が派生する理由)、「無意識下で構造的に起きているロジックなりを、ここも構造的に自意識が認知できない、或いは感じられてもどういう現象なのか自分では(無意識下のことなので)理解が及ばない」という背景があるためで、
所謂”ネタバレ”として心理学的にその現象がバックグラウンド含めた説明(ここの過程が分析)を受けることで、以降「自意識マターとして自覚できるようになる」というものです。
=自己確認可能となる。
(「強迫心理」そのものは常人であれば誰しもが抱える現象であり、それがメンタル問題化するか否かの差異は「自覚的にそれを認知・理解できるか」の差異によるもです。)

■学問としての心理学は個別の分析事例の方では無く、「そうなるプロセス」を人類の進化の過程から裏付けする民俗学や生物学や動物行動学から社会学や言語学などの総体のようなものであり(専らそれらの学問なりにおける「人類ヒト科の自我形成」に関わる点に特化して体系化されている)、言うならば心理学というものが現代社会において確立している点においてその論証なりがプルーフされていることになります。
(分析等の根拠は既に社会的にも論理的にも証明されている。)

■心理学がカウンセリングなどで”利用できる”部分というのは前述の常人であれば誰にでもある「強迫心理」などの心理的プロセスと同様に「自覚できる状態」に”ネタバレ”させる事であり(自意識マター案件化する)、
そもそも心理学などを利用しようという動機が確かであれば、
そのレポート(投資分析であるとか中小企業診断などの答申と同様です)を利用する意図があって、依頼するワケですから、以降は(特に当サイトは全てテキストDATAが残る事になりますので)その答申を用いて(更にその都度その過程で理解が及んでいる進捗なりに応じて答申は出されていますから)、常人が誰しも「必要に応じてダメ出しすれば消える”強迫心理”」という目的にその答申を利用すればいい形式になってます。
(「強迫心理」はどんな強迫心理でも「俺は何言ってんだろ」「またはじまったバカじゃねーのか俺は」「出た出たいつもの○○」のように”ノリつっこみ”的にダメ出しすることで効力を失います。→漠然としたダメ出しもあります「なんか違うような気がする」「それって違うくないか」「別のことなんじゃなかろうか」などなどこれは常人であれば誰にでもごく普通にある独り言です。←『自意識マター』が自分の自我内の「強迫心理」などと潰してみたり一理あると解釈してみたり否定してみたり懐柔してみたり折り合いつけていく場面。)
注:ですから心理学における相談は(特にテキストDATAがログとして残る等サイトの場合)、必ず一定範囲を超えれば『終了』します。
(心理学のサイトからが過干渉してたら洒落になりませんから。)


■更に心理学は宗教でも占いでもありませんので、意図的に「こうあるべき」のような余談が一切存在しません(”どうでもいい”という第三者中立性)。
(※カウンセリング過程などの『カウンター表現』を除く)
「その後どうするのかは(答申の利用の仕方や目的含めて)自分で決める事」であり、勿論メンタル問題なりの解決についても「そこから先は自分でも難しいのでストップしたい」という意志があってもいいのであり(歩留り的選択)、
そもそもメンタル問題があろうがなかろうが人の価値は同じですので(ここに関しても心理学は中立)、
あくまでも依頼の『動機確認』を基本としてます。
(※心理学は新興宗教やナントカセミナーじゃありませんので、)
「心理的な問題があるので○○したい」という動機があるのであれば『使えば?』ってだけです。
別段積極的にお勧めしているつもつもありません。
勿論心理学はメンタル問題専業なので「心理的な問題」は全て根拠と事実関係を交えて説明可能です。


■「既に立証済み、或いは鉄板で説明済み、またはコメント求められた心理学的解釈の説明」これらに反論されてもどうにもなりません。
(心理学的説明が変わる事は一切無いですし、そもそも反論の論拠は破綻だらけで当初心理学的説明が鉄板であるのも確認済みの案件ですから。)
行為それ自体が『メンタル問題をなんとかしたいなりの本人の相談動機』を毀損することになります。
既に利用目的が、自意識マター案件になっている「強迫心理」なりの”折り合い”プロセスを延々と反論の形に認識することで「逆に助長してしまう」←「強迫心理」お得意の180度逆さまロジックで相談意図までが逆さまになってしまします。
既に心理学的説明で(ネタバレ)あからさまになってしまった事項を、自意識マター案件とせずに反論しておけば「強迫心理」を温存可能になっちゃいますので、
「100回反論してその都度コテンパンに逆論証されている事項を全くの新ネタ無しに(過去ログの無視)、蒸し返す行為」は、「相談の依頼という動機」が崩壊している事を意味している。
(※典型例が「どこの馬の骨だか知らないが”誰かがこう言ってます”話」を根拠とする反論。←反論ネタ切れの証明でもある。)


■何度も申し上げますが「答申過去ログをどう使おうが自由」ですが、
その過去ログで「強迫心理」の執行に不都合出てきて(そりゃ心理学的答申ですから不都合でますよ、しかもそれが知りたくて当人相談質問しているんですから)、これはマズイと(或いは理解できない的な反発)次から次と反論してたら「それは心理学サイトにおける行動ですか?」。
(反論事象を更に分析すれば無意識に「強迫心理の温存目的」となっていることを明白に論証して、考えるも何も「相談して答申に反論する事そのものが決定的過ぎる論理矛盾」であることなども説明済みですから。)
 ↑
ココも事前に(予測できますので)織り込んで、
○○の話はもう結論が出ているので「同じ話を蒸し返して『反論化』してしまうことを避けてください」と更に上位認知レベル(自我における管理者権限的な意味で)に再三の注意もしてきたところです。
(勿論それらの事項が鉄板で論証済みであることを確認の後に、)
「○○案件は完全終了しているので過去ログ読め状態であり蒸し返し禁止」などの確認。


結果として行為そのものが「強迫心理時代に戻りたい、過去の内向性自己愛代謝状態を回復したい」という形になっていれば(この点も再三説明してきました)、
それは続ければ続けるほど逆効果であり、
(権威者との依存的関係のようなものに限りなく近い)
心理学サイトとして当該状況も予見できるので、サイト運営者として「場合に応じて出入り禁止もあり得る」と言明しているものです。
(※これは相談当初のクライアントの依頼動機を遵守しているからです)


<で、今回の各論ですが>
何度も言ってきたことですが、
リハビリ過程は『仮想反抗期』なので「所謂『共同幻想』系道徳認知の禁止」と、
(そもそも『宗教と教義(ドグマ)』のように『共同幻想と道徳』は同じことで、『共同幻想』適応選択してない状態の自我には道徳を語る権限がありません。更に言えば勿論「○○なものですよね」的な”所謂『共同幻想』的道徳や常識”という意味では無く「何故そうなのか」を検証した”道徳哲学”は誰でも使用可能ですが(思春期反抗期によく出る台詞「自分の言葉で話してくれ」)、これは個人の考えとして述べるもので「○○なものですよね」のような”所謂『共同幻想』的道徳や常識”は『共同幻想適応人格』の合理化された”やっつけ道徳”であって、これを反抗期や仮想反抗期状態の自我が「自ら進んで利用するのは論理矛盾」である。)
 ↓
>ただ仕事がこなせなくて生活保護を受けてる単独者や共同幻想適応者なんていないですよね。
 ↑
これは何学派のどういう考えで、
それをあなたはどういう趣旨で理解して「自分の考え」として(その前文に)反論しているんですか?
違いますよね、
『共同幻想適応人格』を選択したワケでもないのに、所謂『共同幻想』が得意とする(広くその効力を周知させるため)”やっつけ道徳”として「○○なものですよね」の表現使ってますが、
メンタル問題なりを抱えてる自我がこの道徳的認知使うと=即時に「強迫心理」となるので、止めるようにと再三説明してますが、どうして無視するんですか?
(これで何回目でしょうか、200回目ぐらいですか?)

そのくせ100%間違っているときているので、、、
(「ゲッ分析レポートに頻繁に書かれていた道徳的認知禁止出てんじゃん」をスルーしているだけでなく、そのどこから聞いてきたのか根拠も無い「いかにもな保守系共同幻想やっつけ道徳」を少しも「これでいいのか」とか考える余地すら無いといのはどういう事ですか。←「やる気あんの?」と誰もが思うでしょう。)

あのね、
『単独者』と『共同幻想』ってのは、
生業で言えば『フリーランス』か『サラリーマン』かのような差異の事で、
(就職時など誰しもがこれ大前提で選ぶでしょうに、)
「魚屋さんもサラリーマンも仕事頑張っている人もいるだろうけども、怠けるのが大好きな人だっています。」
自らのアイデェンティティーとして(個人の私利私欲がそうなんだから)頑張りたくして仕方がないのがデフォでしょと言っているんです。
個人の私利私欲が「お寺の賢い坊さん」みたいにワイズマンな人なら「あんまり頑張らないでしょうね」となる(頑張る場所が違う)。
努力の話は、動物にとって生存競争には=性的とも言える普遍的欲求がリンクしており(特に人類の進化は特異で性欲を潜在的モチベーション化するような過剰要因からんでいるので)、「個として自分の利益を認知する大人化」において「私利私欲」の追求は原則としてデフォルトだと言っているんです。
選んだ道なりで利益と追及するのが私利私欲なんだから、これが更に利益幅がデカくなる手法(努力)を”喜んでやらない奴はいない”と言っているんです。
(憧れのプロ野球選手になって練習サボるとか、意味わからないという意味。)
「俺の趣味は車です」な人は日夜雑誌やwebで改造の事だとか飽きもせず調べまくりますし、場合によっては莫大な資金投入して自分の車を改造しようとしたりします(努力)。
普通の現象ですよね。
(努力により私利私欲が拡大すんだから。)

しかし事進路や仕事選びは個人的趣味と違って好きに選べません、
(「僕も立派な社会人に」みたいに『共同幻想』に宣誓したのであれば、サラリーマンでありさえすれば日夜頑張るって事になりますが、)
▲たとえば残念レベル1「憧れの野球部だが自分が一生補欠だとわかっている場合」
これでも「面白く無い」と練習サボるやついたら?
「何しにきたんか?」と誰もが思いますよね。
(自分で志願して入部してんのに、)
大規模な野球部(大手の社員数そこそのいる組織)などというスケールにもなれば、レギュラー(主要社員)となるのは「ほんの何文の1の確率ですが」、野球部における補欠上等!のように日々の練習に手抜きするとかありません。
(手抜きして損(努力する快感を捨てる)するのは自分なので、手抜きする奴は動機を疑われる。)
放っておいても努力するのが(私利私欲だから)デフォルトになるって事です。
▲たとえば残念レベル2「○○に強引に勧誘されて思わぬ部活に入った」
(前述で言えば動機を疑われる状態ですから、勿論聞かれた時に「○○に強引に脅迫的につれてて嫌々きちゃったんですよ」と答えれば一同納得。←その代り「お前に自分の意思は無いのか」と別次元の事を疑われます、そこで「いやー子供時代に決して口にはできない○○の秘密を握られていて」など明快な理由があれば「俺が一肌脱いでやろう」なんて人物も出てくるかもしれません。)
前述で言えば「入部動機を疑われる状況」ですね。
この場合の私利私欲は何ですか?「怠ける」です。
「いかに練習とか適当にやるか」←ここに”努力”するんですよ。
(それが私利私欲ですから)

ですから再三私は、
「その動機は何ですか」と確認しています。
仮に「自意識マターとして本気です」という事なら一心不乱に努力して普通(それが私利私欲なんだから)でしょと、
そこで悪態ついてたら自動的に「動機を疑われますが」と言っているんです。
「違うんじゃないの?」と、
(それは「社会適応なりが殊更価値があるみたいな妄想(一般人はみな強烈な幸福を謳歌しているという妄想を根拠に)強迫心理的に自分の考えだと思い込んでいるだけじゃないのですか?」と。←「それは「強迫心理」でしょう」と再三説明してます。)

>やはり食べていくための手段は自分で稼いでますよね。
あのね、自分の稼ぎが明快な仕事なんてのは、
風俗嬢、農林水産業、運送業、製造業、ぐらいのもんで(それにしても他業種にその可処分所得を依存している)、
前段の「野球部(ある程度の社員数のいる組織)ともなればその大半が補欠」と同様に、
社会において確実に自分で給料分稼いでいる奴なんてのは(その実感含めて)”僅か”です。
カルロスゴーンは高給取りですが、
彼が原始時代にたったひとりでタイムスリップしたとして、そこでもゴーンは同じだけ稼ぐのかって全然違う訳だ。
更に公務員のかなりの数は「タダ飯食い」でこれは生活保護どころか(あなたの仕様している保守系”やっつけ道徳”そのまま言えば犯罪者)、行政改革の対象なワケです。
「白アリ」と呼ばれる特殊法人がまた膨大にいる。
そして大学教授、
ご存じのとおり政府の援助無しに大学経営なんて成り立ちません。彼らはそれに見合った稼ぎをしているのではなく(社会的権威を利用して)間接的に生活保護の何倍も生活保護をせしめているのに等しい事になります。
(※というか国会で○○職の人には生活保護の何倍もの生活保護を給与という形で保証することに社会的合理性があると決議されているからですが、個別の教授の判断なんかやってません。業界丸投げです。社会的貢献度なんて発揮している教授が何人いるのやら「野球部におけるレギュラーは何人以下」の比率でしょう。)

そもそもが、経済ってのは「タダの紙切れ」を信用創造でデッチ上げて、回している半分詐欺のような代物で(金の延べ棒使った400mリレーを昨日の二倍の速度で走ると金が二倍になったと等価だみたいな学問です)、いくら給与をもらっているから自分で稼いだとかそういうレベルじゃないんです。
「生活保護の所得よりもっと大きな所得が欲しいから生活保護を貰わないだけ」です。
(年金受給者なんてもの間接的には制度上・会計上生活保護と同じです。)
事ほど左様に、政治の舞台では社会の給与分布を「稼ぎ」では無く「分配」と呼んでいるのは、特に先進国の場合(その詐欺的経営に成功しているので)「後は誰にどういう根拠でばら撒けばいいのか」と考えているワケで、
その原資となる国民総所得を各自が自分で稼いでいるなんて仕組みじゃありません。

それからサラリーマンの稼ぎなんてものは大雑把に言えば「金儲けがしたい経営者の片棒かついでいるだけ」であり、どっかの誰かの金儲けに一枚かんでいる(或いは奉仕精神豊かな労働者として服従している)ってことで、おおよそ(それこそ仮に保守系『道徳』の”やっつけ”では無い方の”道徳哲学”から言えば)「みっともない醜態(彼らはこれを”拝金主義”と言います)」です。
※ライブドアの堀江をやれ冤罪でもなんでもいいからぶち込めと言ってたのが「共同幻想保守派」


▲それからあなたは堂々と
>ただ仕事がこなせなくて生活保護を受けてる単独者や共同幻想適応者なんていないですよね。やはり食べていくための手段は自分で稼いでますよね。
こうコメントされてますが、
(そもそも心理的問題があって、その影響もあっての現状であることを理解していて←必要があればいつでも診断書も貰える状況で、)
「ただ仕事がこなせなくて」ってこれは何ですか?
あなたは2chのネトウヨですか?
何が面白くて、自分の権利侵害・尊厳の毀損をするのかその目的がわかりませんが(てか100%「強迫心理」に都合がいいからなワケですが)、
直接的な表現では無いけれど、これ心理的問題で生活保護を申請している人達全体を侮辱する発言になっている事に気が付かないんでしょうか?

>(仕事がこなせないからやむ得ず)生活保護なんてあるんでしょうか?
こんな事一言も言ってませんし(明快に理由を明示してます)、
現象として、「それは強迫心理ですね」と(某就職先への就職動機の時から)説明してますが。
『共同幻想』用語のぶっちゃけ表現で言えば「病気だからできない」ですよ。
(それについての心理学的アプローチも説明済みですし(その中に「無理をして働かない」も含まれているだけでなく、非常に初期の頃からのソフトランディングの経過措置としてリハビリ過程の選択肢にそれがあり得る事を説明してます)、前述被りますがそもそも「失敗ネタと「道徳的述懐(ガチ強迫心理)」のセットが、深層心理方角から見れば「自作自演」にもなり兼ねない事、更に鬱病が一般社会においても労災の対象となるばかりでなく、どこの学派でもこの件については「まず休みましょう、でできれば辞職も考えましょう」になりますね話も何百回しました?)

>仕事ができなければ周りから叩かれてしまいますよね。
なんで被害話になってんだよ!!!!
その動機が確かなら「憧れの野球部に入ったがやっぱ補欠か状態部員」と同じだろーが!
(厳しい野球部の練習は”嬉しい事”だろーーが!)
そうなってないのなら”脳内ロジック”でおかしな事が起きている事になるので、
分析すれば、それは、
 ↓
だーかーらー
被害話になっている事(嬉しい事が真逆に、180度逆さまになっている)そのものが、
「動機が疑わしい」→「そもそも就職動機というか企画そのもののバックに「強迫心理」が介在してますね」となるでしょうと何回説明しました?300回ですか?

仮にそれが地域性なり自分なりの”しのぎ”の感覚として、
前段説明の『残念レベル2「○○に強引に勧誘されて思わぬ部活に入った」』
上記の○○が「無意識下の「強迫心理」へダメ出し失敗で強引に思わぬ『共同幻想』組織への参加があたかも○○に認められる快感であるかのように(=妄想)、執着として現れやってしまった入社」なのだとすれば、
「怠ける(或いは雑用シフト)」のが私利私欲であり努力でしょうに。
(ですから「今となっては就職動機の失敗を蒸し返してもどうにもならんので、状況判断なりとして上司に”かくかくしかじかメンタル問題があり”可能であれば雑用シフトを希望するべきだ」とも返信しましたが、その時あなたは「雑用は御免だ」「努力は無駄だ」「メモを取る事に意味は無い」と馬鹿にするな的な返信をされており←この現象も延々説明してます。事実今回の質問原稿の中で過去ログ利用して判断変わっているとこあるじゃないですか。)
しかし、あなたは再三「○○ができるようになるにはどうしたらいいのか」話が延々に続き、
バックグラウンドに強迫心理の介在があることを再三説明しましたが”違う”とお答えになり(てか全文引用状態の反論が無限に続き)、
私はクライアントの発言をまずその時は書いてあるまま認識しないことには始まらないので、→「あなたは嘘をつていますね」じゃ心理学にならないですから、探偵じゃないので。
延々とその動機確認が続き、
▲その甲斐もあってか”ある程度には「○○動機で下手踏んだ」事はあなたも当時納得済みの確定事項”です。
(即戦力話などなど、)

そして発生する各仕事上の問題(や失敗)に、いかに「メンタル的要素」が関係しているのか具体的に説明し、
何度も言うように「説明済みの強迫心理の過去ログ一覧をあなたの自意識マターがスルーされたんじゃ意味が無い」と反論の禁止を何度も念押ししてますが、
これが止まるどころか(明らかにサイト利用を「強迫心理」保守に利用する目的化している状況)迷惑行為同様状態に達したところで、
(守秘義務があるので具体的な事は記載できませんが)
一定の措置に至ったのが結末です。

(※今回の返信にあるように話はグル―っと回って「強迫心理」に都合のいい展開となっており、そもそもの就職動機そのものからがおかしい点が多数あると、再三あなたが過去質問されててきた”根本的なところ”を何回も何百回も説明してきてます。前述の野球部のたとえのように、自身の行為としてどちらが「自意識マター」として『抗(あらがう)』系になるのかは、行動として真逆になることもあるワケで、冒頭の動機部分の心理学的説明をあっさり反論形式で否定されたら、各論ガタガタになるというか、相談した答申に反論するという論理矛盾が続けばそりゃそうなりますよ。前提ひっくり返しちゃうんだから、以降説明を読んでも矛盾するように感じる事に成功してしまう。)


■繰り返しますが、
「自意識マターとしてそれをどう使うのか?」これを心理学は何も示唆しません。
(宗教じゃありませんので、)
答申を捨てるのもあなたの自由です。
「強迫心理も自分の一部である」と考えメンタル問題との”関係性”を歩留り的選択に留めるのも自由です。

しーかーしー
動機を曖昧なままにして「強迫心理の自作自演状態」になるのであれば、別問題でしょう。
(確信犯的選択にならないので「自己責任を担保できず」、自意識が当事者権限を喪失してしまうため、)
かと言って、それを状況判断として説明する事はできますが、
その時点で「相談動機が変質」しているのであれば、
依頼も無いとこに心理学系の人間が出しゃばっておじゃまします状態になるので(今度は第三者性が担保できない)、「相談自体が(動機不成立で)失効扱いになります」よと、
その後の経緯は以下のとおりで、
(守秘義務があるのでここでは説明できません。)
一定の措置となってます。

そして今回のこの原稿も一から十まで既に説明済みの事項であり、
@@@全部過去ログに書いてあります。@@@

>こっちが慎重にやっていてもそうなってしまう場合はどうしたらいいのか、お手上げです
錯誤行為は強迫心理の介在なり(成果への過剰固執)、バックグラウンドで動いている強迫心理をストップさせていない(ダメ出し放棄)などなどの事後的に起きる過緊張(テンパり)、或いは同様状況における「自意識の後退(思考停止)」などで発生する行為だと何回説明しましたか。
そして「ここのところの強迫心理が」と説明する度に、
説明に反論されてたらワケ無いですよ。
「自分にはメンタルの問題など全く無いのにこれはどういうことですか!」と言っているのと同然で、心理学のサイトがその状況を「相談動機が明快だ」と考えますか?
(人生相談サイトじゃないんだから、)

繰り返しますが、
相談当初の状況から(守秘義務があるので具体的な事は記載できませんが)、驚くべき○○を遂げて、あなたの”努力”の甲斐もあり順調に○○○○な状況にいたり、
精神分析過程はほぼ狙いを完結し(根本的な構造要因の崩壊)、
後は「自意識マターですんで」と(ぶっちゃけ好きにその後の選択をすればいい)、
補足でリハビリ過程の相談もありましたが、
リスク要因の説明を無視して、○○動機は本当だ的にそっち方面に行き、
その段階で(ダイエットにおけるリバウンド現象なども交えて)「反動出てますね」と、
しかし常に本人の動機確認してナンボの世界なので、
(心理学が宗教じゃありませんので、)
クライアントの意思を尊重し、
こちらの判断として「依頼内容の確認の点でお引き受けで無い場合がある」部分に”何は何”したので、反論効果による悪循環化をストップさせるため(心理学のサイトなんですから誰よりもそこに予測なりできるワケで)一定の措置になってます。
過去ログを利用しようと思えばいつでも利用できるのがこのサイトの最強のポイントなので、新規に返信する内容が無いところまで説明尽くされている事が、当初依頼への担保になっており、後は本人の自由意思です。

>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合でもですか?
あったり前でしょーーが!
どういう理由で映画『フルメタルジャケット』推薦したと思ってるんですか。
ハートマン軍曹は紳士でしたか?個人的侮辱をしませんでしたか?
これに兵士はなんと答えるのがルールですか?
単独者系の野村監督ですら、外見や身体的特徴及び技能を揶揄します。
理由は簡単です、
「そんな事は(社会に出る=出家同然なんだから)とっくに捨てているな」の確認です。
『共同幻想』の兵士を鍛えているんですよ。
猛烈野球部の話にたとえれば「お前野球のためなら親も殺す覚悟できたか」の動機を確認してんですよ。
「お前何しにきたんだ」と、
(特に軍部の場合その動機が”アレ”だったりすれば他の兵士が死にます。野球部で言えば地区大会で敗退するんですよ?個人の人権?ハードな『共同幻想』がんなもの尊重するワケが無いでしょう。『共同幻想』こそが最優先の権威なんですから。)
野村が個人の外見や云々を揶揄するのも似たような話です。
「んな事指摘されていちいち気にするような奴は(もうその時点で動機アウツ)辞めちまえ」って事です。
「やる気あんのか(志望動機は確かか)」を確認してんです。
(或いは『共同幻想』なり『単独者』がしのぎを削るプロ野球界(野村の場合『個が抗(あらがう)対象』)なんぞで何が面白いのかやろうって奴がどんだけの覚悟が必要かを懇切丁寧に説明差し上げているって事です。)

あのね、社会ってのは(動物行動学的に言えば「哺乳類がしのぎを削る縄張り争い」)、小学校じゃないんだから、
各人が個人の私利私欲のため互いに殺し合いする場ですよ?
(『共同幻想』は自由市場自由競争なんて言ってますが)
だから法治国家と言いまして、権力の側が銃で武装してその治安を維持しているんです。
(逆に言えば放置すれば殺し合い始まる事が「あったり前」だからです。)

なので達見した坊さんなんかは「言うなら仕事もせずに」口を糊する事で足りるような、チベットあたりじゃ坊さんの経済活動は禁止なんであって、全部托鉢で食わなくちゃいけない。=生活保護とどこが違うんです。偉い人は働くなんざ私利私欲で穢れる事をよしとしない人だと言っているんです。
(欧米原始宗教共通の原書にあたる旧約的伝承からしても「労働」ってのは神様の刑罰であって、罪人に課せられた罰なんであって、立派な人は働かなくてもいい人という事になっており、米国系のアメリカンドリームの発想の背景には、某宗教改革派の「大成功して富豪になり労働から解放されることを神は祝福する(贖罪した)」みたいなアイデアが関係しているんです。←この辺も全部説明済みです。)

■日本の現代社会の前衛サブカルにあたる2chなどのニート論壇から
「働いたら負けだと思っている」
「自宅警備員」
などの哲学的とも言える格言生まれてますが、
(平成初期には「ダメ連」というのが杉並にいて、「ダメ人間の追求」を哲学的運動化し展開した時代もあります。)
後期先進国だから気が付く着眼に他なりません。


>仕事で足を引っぱったり、ミスを連発する本人に全て問題があり、言った周囲に腹を立てたり、言い返す権利はないということですよね。
だーかーらー動機によると言ってるんです。
「もうね強迫心理のダメ出しに失敗して、やってしまった的にこうなってしまってます。本当は嫌々なんです。何か無理やりでも社会適応しないと○○○みたいな抽象概念で頭がパンクしそうなというか、実は病気なんです。」
 ↑
こう言い返せば?
「あらそうだったの、そういう事なら無理しないで休職なり辞表書いたら?」と彼ら言いますよ。
ミスを指摘したり、やんやんや悪口言うってのは、
「やる気あります、野球部命です」という初期の動機を『彼らが信じている』からで、
(ハートマン軍曹のような態度が痛快かつあれは親切だとな的に思うケースも多数あるんですから。←すっかり以降の軍事教練ネタに多大な影響を与えた。)

しかし、
「一生懸命やっているのに(彼らの目には「動機が違うくない?」とバレているのに)、これはイジメです、不当な扱いでアンタたちは最低の人間だ」
こう言い返せば?
周囲は(こちとら命がけでやってんだボケと)全員冗談じゃないぞぶち殺されたいのかと”切れる”でしょう。
(状況わかりやすくして極論すれば、)

だーかーらー言っているんです。
>>あたかも強迫心理構造時代の『家幻想』における「こうにきまっている、普通はこうだ」みたいな前提話の”出方”と脳内回路の構成は同じ事になってしまっている部分に気が付いていない。

家人相手に○○○(守秘義務があるので詳細は記載できません)な時の○○感情の発言動機と思考回路や出方が同じになっている。
「言い返す」という言葉の意味やバックグラウンドの解釈ルートが同じになっている。

だから無理に『共同幻想』職場を選択すれば(『共同幻想』は『家幻想』の上位階級なんだから)、投影なり再現なりの(言えばフラッシュバック的な)「強迫心理舞台の再現」にもなり兼ねないので(自意識マター確立を自分なりに判断して)『単独者』『共同幻想』の選択なりの後であればアレですが、いかにもリハビリ過程であればと推薦の○○まで説明したのであってその○○時代は非常に長く安定してました。現在の○○の○○系列の時には自ら随分背景含め理解のある○○を事もあろうかバックれる形で○○しているなど、事の経緯は明白に「強迫心理」に都合のいい方に反動化ししていると説明もしてます。又○○の時に○○がどうかと確認求められて「お世辞にも勧められない」と各論併記でリスク要素まで説明してました(←現象を俯瞰で見れば「強迫心理」主導の自作自演以外説明しようが無いでしょうが)。


>共同幻想を選択した場合、生活のためにやむ得ず共同幻想色が濃い職場に就いた場合でも
ここは前段説明済みです。
この場合の努力は「いかに怠けるか」が努力であり、
(或いは自己申告的に間違ってしまった点があると、雑用シフトの打診)
仮に周囲がやんややんや状態の場合の言い返す方角は、
「好きでこんなとこきてんじゃネーぞボケ、」となる。
(そりゃ買い言葉で「なにー、んな事言うならとっとと辞めちまえ」と先方も言うのが筋論です、)
そういう面倒な事が(所得という私利私欲で)困るぞこりゃという局面なら?
言い返すも何も、
「どーもすいません(こりゃヤバいぞ”あれこで何ができるだ何ができないだくだらない事考えている暇はネーゾ”)、ともかく一心不乱に仕事時間は真面目に取り組んで集中してます的な、、」となります。
=「仕方がなくここでしか食い扶持が無い事情(或いは強迫心理)」との折り合い優先(”ノリ突っ込み”的な「アホか自分」的自意識マターの出動)、
言い返す権利はありますか?なんてすっとんきょうな事を考えている場面じゃありませんよね。
それはどんな面白い世界の話ですか?
少なくとも周囲が苦言や悪口言ってくれている間が(彼らの動機はともかく)花なのであって(この間周囲は「その動機を信じているのだから」)、
(■勘違い・潜在意図的誤読が予測されるので事前に補足しますが、フルメタルジャケットを進めた理由に記載したとおりそもそも『共同幻想』は「一種の強迫心理であって狂気そのものでもある」を理解するための推薦だったワケで、その意味で現代社会は『共同幻想崩壊過程』なワケで且つその方向は自明です。私はここで「彼らの心理をどう読むか」を説明しているのであって、『共同幻想』特有の人類の習性や集団心理を個人的に肯定しているつもりは全くありません。社会心理学的見解としても「とっとと崩壊すべきだ」と思ってますので。)


「言い返す権利も無いのですか」って、、あなたねそれざんざやった『家幻想』時代の大問題を解体して見事に離脱してきたんでしょうに。
何故社会を使って「夢をもう一度」になるの。
そこ考え続けないと(どういう事になっていてこうなっているのか全部説明済みで考える必要無いほど詳細に記載されているので極論”読めばいい”んだから)←メンタル問題からの離脱が動機ならね。

だーかーらー
(この辺一から十まで過去ログ説明済みですが、)
「強迫心理」のレトリックに「ここがこう、ここはこう」と具体的に説明してきたし、
反動状態から醒めている時にはあなたはここも理解もされてます。
(=もう「自意識は知らない」というような構造要因は無い→「字で書いてありますので」)


■後は「やれやれ○○が○○か、あーあーあーあーなるほど(ここの前提に反論するとこじゃネーぞ俺)、そうなってるワケか(とにかく〜ちゅうことだわな)。さて(こっから先は心理学とか関係ネーわ)、現在俺は○○なワケだがさあどうすっか」
(以降に心理学は干渉しません。あなたの人生です、自由に考えてください。又ここは人生相談サイトではありません。)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■現状の運営は紳士協定として規約が遵守されることで継続されています。
■■■以後レスが続くようであれば投稿は即時削除されるものとご理解ください。■■■

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【104】Re:仕事のことで  以前相談したものです  - 2013/06/09 16:07 -

申し訳ありませんでした。ただ最後にここだけお願いします。


単独者、共同幻想社会のどちらかを選択し、それに向かってひたすら努力するものだという解釈で良いんですよね?
ただ仕事がこなせなくて生活保護を受けてる単独者や共同幻想適応者なんていないですよね。やはり食べていくための手段は自分で稼いでますよね。
例えば単独者を選択し多場合、仕事以外で趣や研究などに打ち込んだり、努力していることはあるかもしれませんが、食べていくための手段は(仕事がこなせないからやむ得ず)生活保護なんてあるんでしょうか?
「仕事しないで好きなことして遊んでる」なんて役所から判断もされそうですが。


>さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。

仕事ができなければ周りから叩かれてしまいますよね。
それどころかミスばかり続けていたり、何回言われても物を壊してしまうなど同じような失敗を犯してしまうなど、それが原因で皆の足を引っ張っていても(クビにならない限り)目的に向かってひたすら努力し続けることなんですか?
(通常物を壊すとか、ミスを連発することが異常なのもわかるし、共同幻想社会に適応しようと必死になってたことすら気づいてなかったのかもしれませんが、¥こっちが慎重にやっていてもそうなってしまう場合はどうしたらいいのか、お手上げです)


>仮に『共同幻想』選択が決定している場合なら『共同幻想』側からのダメ出しは「できる話・できない話に関わらず」全てありがたいアドバイスと同意なので、何か相談する要素は全くなく「毎日嬉しく思う事ばかりです」となっていないと矛盾する

この場合、仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合でもですか?
仕事で足を引っぱったり、ミスを連発する本人に全て問題があり、言った周囲に腹を立てたり、言い返す権利はないということですよね。
(共同幻想を選択した場合、生活のためにやむ得ず共同幻想色が濃い職場に就いた場合でも)

引用なし

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