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>ではセックス依存症の人たちの心理構造はみんなそのような未発達なものなのでしょうか?
これは若干違います。
(事の発端に同様の構造が関係しているのは確かなのですが、)
細かいところというか動的側面が違うんです。
性依存症は(アルコール依存が楽しく飲みたくで飲んでいるのではないのと同様に)性行為の形を取ってますが、所謂「自然な性欲(厳密に言えば自然な状態の定義はできないので”自然”って部分は数学で言うXのような仮説的意図でご理解ください)」では無いのです。
平易な言い方すると『わかりやすい意味の性欲はむしろ無いに等しい』ぐらいの話です。
(鬱下でも著しく性欲減退が見られるなどメンタル=自然な性欲の発現は行先問題で強い成約なり抑圧構造下にあると考えていいです。)
なんでしょうね、買い物依存は物欲と関係無い、
万引き依存の人はその商品が欲しかったわけでは無い。
↑
この辺で意味わかります?
所謂性依存症の性行為は『依存のための方便』であって、目的では無いのです。
(暴走族の改造車両以上に目的と方法がかけ離れている)
脳内であたかも性的関係が家族血縁に”次ぐ”二次的利得(既得権的関係性)のように認識されていて、
強迫心理における内向度合は引きこもったり心理的に家族社会から出られないってほどでは無いのだが(友人などと会話もできるレベル)、人間関係を「平場の大人の信頼関係」というような水平性では認識できず(不安である)、家族関係に倣う”血縁関係みたいな”利害関係的結合でないと実感が保てない(勿論強迫心理的実感です)。
(どちら側が従属とか確かに決まっているのではないのですが、上下関係に似た階級的結合”のような”状態じゃないと安心して実存できない様。)
こういう状況です。
実際以下のような症例は滅多にありませんが(単にユニークで思いつかないだけで構造的にはあり得る)、以下事例のようなものだと考えるとわかりやすいでしょう。
「今後ともよろしくお願いします。」
「はい、よかったこれで私もあなたという友人をみつけられました。」
「ええ、そうですよ。」
「では、私が10万円貸しますので借用書を書いていただけませんか、」
「は??」
「あら、もし借りる側という立場が気になるのであれば、私があなたから10万円借りるというのでどうでしょう?」
「...え?」
「信頼関係ということですからお金の貸し借りの実体が無いとダメじゃないですか、信頼の証です。それがなくちゃもう〜ですよね、」
「は〜、あの、、これは何かの宗教なのでしょうか?」
↑
本当にお金のやりとりが必要なわけではない。
金銭欲とも関係が無い。
※しかし同様手法は新興宗教やマルチまがいなどの閉鎖社会への”妙なアイデェンティファイ洗脳”みたいな状況で実際使われてます。
■起点は不安感です、
性行為の対象者であるという一種の”特別な関係”が脳内で特権階級とは微妙に違うんですが(ここで→家族関係に倣う”血縁関係みたいな”利害関係的結合でないと実感が保てない)、初めて安心できるみたいな。
(タグ的には”特別”というのが重要なフラグ)
元ネタは「”社会”という外界に”個人”で実存できず、無意識に家族社会離れができていないから(脳内共同幻想が『家族社会のまま』強迫心理化している)」。
(※社会において性行為の対象者としてしか実存できないみたいな)
言うならばホームシックにおける対処のように性行為を必要とする。
(俯瞰で見れば一種の”ノスタルジー”←性倒錯的に解釈された家族ナントカみたいな。)
ここ非常に言葉を選ばないと危険なところでもあるのですが、
性依存症は一種の自虐的性的犯罪(倒錯現象)であるとも言えなくも無いのです。
自傷行為(=マスターベーションの代理行為です)の派生(部活版とか?)と捉える事もできるでしょう。
(これは更に微妙に違うんですが『共同幻想』というフラグで見れば、非行少年の不良は決まって過剰な上下関係社会じゃないと自分が実存できないってのも似た現象と言えば似た現象。体育会系組織が成立する力学も若干似ている、)
▲アンチテーゼは『一匹狼』