書き込みの内容が具体的な質問文や相談形式になっておりませんが、私なりに「セカンドオピニオン的なものが求められているのだと」思います。
(前回の返信をまず読んでいただくことが前提になりますが、心理学や精神分析系の話は”読み考え進む”のに時間がかかるほうがむしろ好ましい部分ありますので←ログが残っていることの優位性です、繰り返し読んでいただければと思います。)
まず今回の話ですが(前回の返信にも同様部分記載ありますが)、
■医療のバックグラウンドの確認が重要でしょう。
短くまとめるためにザックバランな表現使います(必ずしも厳密な意味で正確ではありません)。
医療界は検査や診察などで病理的に因果関係がわからないものは「原因の説明ができない」のです、
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で、病理的な精神病(やアルツハイマーなどの痴呆症など)はその説明ができますが→でないものを『メンタル』と診断しているワケで、
医療界が”メンタル”であるとか”精神的”と表現したところで医療界には「それ以上の説明ができない」のです。
(医師の個人的意見は言えますが)
特に日本は(混合医療やらの問題も含むのですが)保健医療の枠組みがありますから、
尚更医師は「保健医療枠内の診療行為」をしなければなりません。
(あきまでも極論ですが個人的に勉強している心理学の話をしていいものか微妙←すくなくとも診療行為として行う場合別途個人クリニックなどの窓口が必要になります。)
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専ら医療の現場で登場する「臨床心理」などの言葉は事実上『投薬効果の統計』のこで、
(なのでナントカ症と分類する事が重要なのであって、ナントカ症と医師が言えばその因果関係や原因などを説明できるという意味ではありません。効果のある処方をする時の「母集団名」のようなものです。)
製薬メーカーも明快に「原因はわかりません」と断言してます。
(脳内物質のバランスなど明快に検査などで観測される”状態に対する対処”の部分的局所的因果関係は別ですが。)
「わかりません」という断言を医療的言語にすると=”メンタル”や”精神的”となるのです。
(ですから精神科などの問診の中心は「投薬の効果状況」と「副作用の確認」となる。なんと申しますか医療界には叱られると思いますが、昔昔の精神医学会は患者を独房みたいなところに収容したり、真面目に電気ショックやら怪しい実験を繰り広げる医師までいるような業界を経て現在”臨床”に至るような歴史的経緯ですから。)
つまり
>それで実際の体験を具体的に書いたんですが、幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか精神科に相談したところ、「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。
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この辺の話は医師にとって、「投薬の効果状況」と「副作用の確認」の意味で重要なだけで、
「なぜどうしてこうなったのか?」などの話は「ぶっちゃけわかりません」なんです。
(言うならば医師にとっては「そうですね〜原因ですか?精神的なものでしょうね」まで、)
勿論
>「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。
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ここもそれほどたいした根拠のある話ではありません。
(医師もそのつもりだと思います。「まーねそんなこともあるかな」みたいな、)
■心理学系のバックグラウンドの確認ですが、
極端に言えば心理系は「医療理科系」ではなく「文系」です。
”メンタル”や”心理的”な現象を何故なのかその原因や因果関係をロジカルに考えるのが専業になります。
(人は何故そう考えるのかなど扱っている哲学も所属する「文系」)
(誤解覚悟で付け加えるならば「宗教哲学の心理的分析」とかも心理学の分野です。心理系が医師会に対して厳しい視点があるように医師会の一部は心理系を”オカルトジャンル”で見ている状況があるのは事実だと思います。実際心理学の一派にはオカルト系とかありますんで、)
ですから心理系には投薬上の分類でナントカ症とか名前がついたとかは重要では無く(極論どうでもいい)、
「その心理状況の背景や経緯」を重視します。
(精神分析は特に自我のなりたち:過去や親子関係の聞き取りを重視する。)
言うならば『強迫心理』がどういう構成要件でどのような形で自我(OS)を圧迫しているのか?のような判定です。
話は戻りますが、
>幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか
>思考力・読解力がゼロになったこと
>声に出さないで言ったりパソコンで音楽を聴いたりしていて幻聴の声にさえぎられる感覚があったり、さえぎられた直後に何かが(自分がしていたかも)音楽や言った言葉をつなげた、一つにしたかと感じて非常につらくなったんです。
>あと何かを止められた感じがして非常に辛かったです。
この状況は『認知症』だとか『知的障害』ではありませんが、
ひとつ考えてみてください。
『認知症』や『知的障害』があったとしても(生物にはそれぞれ知的水準があるのであって)知的に下層の哺乳類の普段の日常生活のような振る舞いにはなりませんよね?
暴論になりますが「知的に下層の哺乳類の普段の日常生活」となるのであれば、それはそれで平和に過ごす事を考えればよいので特別な介護などは必要ありません。
事実サルなどの他の哺乳類も同じように『認知症』だとか『知的障害』となると(更に下層の知的水準の日常となるのではなく)『異常行動』が見られます。
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この現象はなんでしょうか?
そして『異常行動』やその体感が生理的に健康且知的問題も無いメンタルの症例で何故引き起こされるのか?
(思考力・読解力がゼロなど瞬間的な知的水準の後退まで見られるのか?)
共通項は「パニック」ですよ。
言い換えれば「現実に対する即応性や認知が制限されている(←この状況を”追い詰められている”とも言いますよね)」、
現象自体は”視野狭窄”なんて呼んでもいいのですが、
自我を圧迫して認知や判断に制限がかっている。←これを『強迫心理状態』と呼んでます。
(大事故が起きたなどの外部要因による一時的ストレスでは無く、日常恒常的に続く自我構造的ストレス。)
■医療と心理学では認定というか相談を受ける意味や意図が全く違うのです。
結論「精神科などの診療に対するセカンドオピニオンにはならない」と言えます。
(心理系としては医師が何を答えた内容にに”全く接点が無い”→常に可能な限り投薬はギリギリでと願うぐらい。)
なんと言えばいいでしょうかね〜
「このネクタイ似合ってますか?」「ネクタイが窮屈なんですけど?」を扱うのが医療界で、
「人は何故ネクタイを?」「僕のネクタイへの忌避感は何でしょう?」を扱うのが心理学です。
なので「病院でネクタイが窮屈なんですけどと聞いたらこうだった」の答えを尋ねられても心理系には”取り扱う接点が無い”のです。
(「話はわかりましたが、何の相談でしょうか?」になる。)
話は戻りますが、
心理学の見立てに興味がおありなら、
まずは時間をかけても何度も繰り返しても構わないので、初回返信を読みこなすことを続けてください。