理解された上であれこれと抑制が効かない状況(文章の破綻)になっている。
今回の返信の中のいくつかの文章は、ロジカルという概念で言えば「文章レベルで破綻していて」=「事実や・自我の本音、そのどちらでもない」と断言できます。
つまり、そういった認知は脳内でも認定されていないし、現実にも存在しない(本音ではない)。
■リアクション(『被(こうむる)』構造)として、そうなっているだけです。
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これ何のことか解説しますと、
ロジカルとして存在するとか、脳内で認定されるとか、本音であるとか、こういった現象は主体的に(あるいは個別に)「独立してその概念や論理を保持できるもの」です。
わかりやすいイメージで言えば『補助輪無しで走行する自転車』
しかし今回の文章の大半(概ねすべて)は自己完結性のある論旨が一つもないのです。
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>その時、私は別のこと(家族のこと)でいろいろあってすごく気が立っていました、心の中が陰鬱で塞がっていました、
>でもすれ違った男を睨んでいたわけじゃないし、完全に無防備でした。
>「うるっせえよ!!!!!」ってキチガイみたいな声で叫んでやりました。
>当然なのは、私がそこに存在しなければそれは起こらなかった、私の容姿が女として普通かそれ以上なら「それ」は起こらなかったってことです。
>男性の性がそうさせるんじゃないですか?自分よりも劣っているものへ、弱いものへ、異性として自分の益が発生しない者へ。どこまでも残酷になれる。
>憎しみは消えない、っていうのは、私がこれから先どんなに満ち足りた人生を送れたとしても、・・・
>いきなり思い出しては、発作みたいに苦しくなって泣いてしまいます。
この論旨の形を維持するための(それこそ数学的に言えば必要十分条件)前提は何か?
・自分の容姿
・男性差別
今回の文章を試しに「男性」という言語を「○国人」という言葉に置き換えてみてください。」
レイシストのいわれなき人種差別の文章そのまんまです。
つまり『論旨は同じである』
人種差別主義者の心理がルサンチマンなどを発端にする投影(本来の解決すべきストレス元は自分の側にある)であるのは言うまでもありません。
通常人種差別主義者は階層的に「貧困層」であったり、極端な民族主義者のような内面に強迫性を認めざるを得ない人格で派生します。
(リアルなナショナリストは文化的に自国の保守性を信念として重視しますが多民族を人種差別的な偏向で見ることはない)
歴史的な大問題である第二次世界大戦当時のドイツにおけるユダヤ人差別(欧州にユダヤ人差別が恒常的に存在しているのは事実ですが)これがエスカレートした背景は、当時のドイツがベルサイユ条約などの第一次世界大戦の国家賠償などで経済的に困窮状態であった事が遠因であるのは言うまでもありません。
又、米国における黒人差別で有名だったKKKは”プアホワイト”と呼ばれる階層抜きには語れない。
こういう論旨には必ず『スケープゴート』にあげられるような事件がまことしやかに広がります。
(自転車が倒れないように)論旨を維持するために(人種差別を合理的に説明する自己完結性のある論旨など存在しないので)「何かの証明」であるとか「これが証拠だ」のような”補助輪”が必要なんですよ。
(たとえは飛躍しますが、わかりやすい実例として畑違いの犯罪心理学の話から考えてみると、はた目から見てまったく動機不明の不特定多数の他者に傷害を負わせる通り魔的犯行もほぼ100%が内面に元となる動機が別個にあって、犯行動機はその投影に過ぎないため(それを現実の犯行に及ぶ決断をするという部分は犯罪者特有の心理で行為に及ぶ分は強迫とは関係ありません)、犯人自身も後から「どうしてそういい犯行を犯したのかはっきりと動機がわからなかったりする」=それはあたりまえです。不特定多数の人物に傷害目的の動機が成立するなんて世界は人類のどこにも存在しません。こういう場合に最も多く聞かれる証言「○○なら誰でもよかった」はその動機が投影現象に過ぎない証明です。「○○なら誰でもよかった」の○○は、時に『男性』だったり時に『女性』だったり時に『子供』だったり時に『○国人』だったり本当に『誰でもよかったり』様々です)
奇しくも今回登場するエピソードは、かなり高い確率で前回私が「容姿の悪さ」などの事実関係を何か自分が発言するロジックの前提として証明する事は構造的に不可能であることを証明したからですよ。
つまり「容姿の問題と男性」という強迫的幻想は非常に不安定になり、論旨自体を維持するのが難しくなった。
困った強迫心理には、それ(容姿で話を構成できなくなる不安)を補完するために「これが証拠だ」なるエピソードで意地でも「容姿の問題と男性」という強迫的幻想を保守しようとそれを衝動化する動機があります。
■思うに上記の「困った」という部分が一番理解難しいところなので補足しますが、
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脳内では快でも不快そのどちらでも『興奮は100%快感分類』なんです。
当然それが恒常的に続いたり慢性化すれば”快感依存”になります、
(万引きを繰り返したり、アル中になったり、性依存症や当事者には一時的にも不快という依存症は枚挙にいとまがありません)
卑近な例ですが性倒錯におけるSMであったり、一般的にはジェットコースターやホラー映画もその外郭にあります。
私は脳生理学方面の専門じゃありませんが、脳内快感物質(脳内麻薬でもいいですよ)のひとつであるドパミンは快感物質ですが暴力的衝動時にも分泌するなど(大ヒットする映画の何大要素みたいに思い出してくれれば簡単『性・暴力・スリルとサスペンス』)、強い興奮とその代謝は端的に言えば『快感経験』であり、脳の役割として快感記憶の再獲得が求められますから(動物における本能のコアのレベル)それが習慣化すると一種の依存症になります。
(見方を変えれば鬱病も一種の依存症なんです。他にも自傷や自殺衝動の反復など全てその類型といってもいい)
『性の拒絶による轟轟とした憎悪のような興奮』
↑
これは性行為(広義の性衝動なのでこれはダイレクトにSEXの意味ではありません”着飾る”や”男性の出世”なども含む文化全般に至る性衝動と考えてください)の代償満足として対比関係を構成しているんですよ。
(動物としての性衝動を『心理的性の嫌悪』により抑圧していますから、自我はバランスを取るために『男性への敵意や嫌悪や殺人衝動』などによりこれを代償満足の形で代替している。しかし、性衝動のような現実世界では無く一度内向へ抑圧された衝動は反動であるとか強迫特有の誇大・肥大などのバランス係数をへて極大化し(正面にある本質的行為が抑圧されて別の行為による代替なので極端じゃないと交換できない「アイスクリームがダメならお菓子を100袋買ってこい!」)自我のバランスを取っているが、極端な興奮は過剰な快感依存ともなりこの興奮獲得が恒常化・慢性化する)
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「男は皆死んでしまえばいい」
近代における米国南部における”プアホワイト(荘園の黒人より食えない貧農層などが実在したんです)”が、
「黒人は皆殺しにすべきだ」
現象・構造としてどういう二次的派生心理かわかりますよね?
上記は両者ともに本音ではありません。
■次に『無意識』と『自意識の抑圧』を理解してください。
知らない間に何かしているときに
「○○さん何してんの?」
「えっ?」
と、驚く時に
「無意識にやっちゃった」
という場面ありますね。
(厳密に言えば錯誤行為みたいなものなんですが)
簡単なモデルですがここに「無自覚にロジカルで知的な行為が、まったく知らないところで行為化される」事が証明されます。
(その極端な例が伝統的心理学におけるフロイドの夢分析になります)
極端に言えば自意識が抑圧されている状態は極度に集中力が低下している状態と同じです。
(今何をしているのかも自覚が無いレベル)
そして、
>その時、私は別のこと(家族のこと)でいろいろあってすごく気が立っていました、心の中が陰鬱で塞がっていました、
この状態の興奮レベルは、ヤケ酒で強い酒を飲み酩酊状態とかなり近いレベルに自意識は後退(抑圧)していると見ても大外れじゃありません。
ご自身それを証明しています。
↓
>完全に無防備でした。
=「完全に無意識で(自意識が抑圧されていて)はっきりいって自分が何をしているのかもはっきりわからないぐらい私は動揺しており」
この場合ですね、
↓
>でもすれ違った男を睨んでいたわけじゃないし
この記憶が100%正確では無いことが証明されているんです。
家族の問題等での憎悪や興奮は(無意識に)ほぼ間違い無く顔に出ていたでしょう、
且、常々家族に起因する心理問題が内向世界で変質し『男性』へ投影固着している人物が、
(しかもそれを証明する理由として「容姿」を振りかざしていたが、よく考えると「自分の容姿が悪いことは証明できない」と説明うけたばかりでその根拠は不安定になっているときに)
男性とすれ違った、
そこで同時に何か無意識に独り言でも言っていたとしたら?
同様のケースを私は枚挙にいとまがないぐらい知っていますが、
100人が100人「チラっと見ただけで、誰もジロジロなんか見ていない」という証言のほぼ100%は周囲が呆れるぐらいジロジロ見ているのであって、
『性への嫌悪』を抱える女性の一部には性的暴力の被害者に「無意識に全く自覚なく」自ら確率の高い選択をしたり、
特にDVの大半は暴力を受ける女性の側にも強迫心理が関係します(父親に対するコンプレックスなど)、
(DVの被害が拡大するまでなかなか離婚が選択されないのはそれが理由:共依存の一種だからです)
『本当に被害にあったじゃないか!もう証明の必要のない間違い無い証拠だ』
(しかしそれが男性全般を殺戮してもいい理由では到底ない事は説明の必要ありません)
心理的には、この補助輪があれば(少々「容姿の証明が揺らいでも」)十分男性への憎悪や殺意を構成できるんです。
(脳内は現実では無いですから)
又、容姿で証拠を固めようとする場合があります。
>私は容姿をあまり着飾らないので、
この状態はそれが暗示されているだけですが、
拒食症による異常な痩身や、
過食症が関係する極端な肥満。
このように容姿を(心理的興奮の証拠を固めるため)健康を害するレベルまで貶める場合も少なくないのはご存知でしょう。
拒食や過食の場合でも(社会との関係であるボーダーではありませんが)男女関係などの境界における問題として発現することが多いって流れに関してあえて説明しなくても理解いただけると思います。
■繰り返しますが
今回の返信の中のいくつかの文章は、ロジカルという概念で言えば「文章レベルで破綻していて」=「事実や・自我の本音、そのどちらでもない」と断言できます。
個別に話し出すときりがないので、
典型的な箇所で証明しましょう。
(同様の矛盾は各所で散見され、結論日本語の形になってますが実は全て意味を成していないって話に繋がるんです)
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
↑
この状況の人物に男性が興味もつ筈無いですよ。
(心理的にも穏やかで何の気配も表に出していなければ存在すら確認されないでしょう)
簡単ですよ、
男性は女性に惹かれるのであって(そのキャッチコピーのひとつがセクシーで美しい)、そもそも人類が歴史的に女性が女性らしい容姿に変形し(他のサルと比べてくださいよこれほど雌雄で外見上の差異があるのは派手な容姿で繁殖原則を構成する鳥類の一部ぐらいです)、さらに化粧をすることで、男性を自然界では到底不可能な労役に付かせたんですよ?
(動物の本能には自分が死ぬかも知れない戦争や家族全員が食えるような労働を継続したり住宅ローンを支払い続ける行動原則など存在しない)
原始時代のその原型が進化して広義の文化として現代の人類もその系譜にある。
イスラム教で女性全員に外出時にヴェールを被り容姿を見せないようにしているのは「男性を守るため」です。
根本的矛盾は
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
>たとえば、私が整形して着飾って「女」になったら、寄って来る男がいるかもしれません、でも私はそれが気持ち悪いです。
そして現状男性への憎悪や殺意がある。
おかしいと思いませんか?
この心理状態が成立するためには、
理由はどうあれ)男性全員は私が歩けば皆振り返り・・・
とならないと対象が男性全般って話の定義は成立しません。
心理の根っこが”性への拒絶”や”性への嫌悪”であるため、結果論的に対象が男性全般になるんですが、
容姿はともあれ「男性の側を性悪説として成立させるロジック」が自分固有の容姿(いい悪いどちらでも)になると、これ発端や前提を自分を中心にしなければならず(いい悪いどちらで)、
『私の○○が○○だから、男性全員は○○だ』
○○の内容が何であれナルチシズムである事わかりますよね。
いい悪いどちらであってもこういう構造そのものが”自己中心型”で”強迫性特権階級意識”となります。
まったく自分でも思ってもみないロジックに完全に陥ってしまっています。
参考までに「容姿がいい」方を強迫の梃子にして『男性全般を蔑視』状況を成立させる女性の場合「自分は何もしていない」「人間関係を円滑にさせるために善意で話かけただけ」と発言しますが、き取り調査するとほぼ100%「一般常識では明らかに自分から男性を誘惑」していて(これは共同幻想社会にバレバレ、というか”目にあまるぐらい”明快)、実態は自分から男性を過剰に誘惑して(本人は自意識抑圧でまったく自覚がない:記憶がないレベル)、男性といえば色恋沙汰となり⇒待ってましたとばかり『男性は汚い女性を性の道具にしか思っていない』という構造で『男性全般を蔑視』状況を成立させるケースも珍しくありません。
(性依存症であるとか、不倫関係以外の男性関係が無いなど様々なパターンあります)
上記の様に『容姿』に関しては、着目いいでも悪いでも同じ『男性全般を蔑視』状況が成立するのは『性の拒絶や性の嫌悪』の反動や投影的発現として典型的なパターンです。
勿論問題は自分自身の『性の拒絶や性の嫌悪』であり、二次派生の男性云々は全て派生的幻想で全く意味が無い。
『性の拒絶や性の嫌悪』があるのは、大人になることへの拒絶で、自分が誰かの子供であり続ける事への強迫的執着(激しい不快興奮や強い快感依存的など”不快パターンでも快パターンでも”そのどちらでもあり得る)であるとか、自我が『現実世界』である「時間の経過(大人の年齢)」を拒絶し、内向(自意識抑圧)自我が無意識的幻想寄りの現実との乖離に陥っている証明です。
>私は容姿をあまり着飾らないので、
↑
これはですね、現実化を避けているんですよ。
果たして着飾ったらどれぐらいの男性が私に興味をもつだろう。
に比べて、何故か「私は容姿をあまり着飾らない」とすると、
不思議と
男性全てが私をって話が始まり、、
仮にですよ?
彼を睨み付けた時(本人の自覚は視界に入っただけ現実は睨み付け)の状況が、
「汚い男性め!私を犯したくってしょうが無いんだろう、このブタが。男性は全員ブタだ死ねばいいのに」
こういう心理が無意識に顔に出ていたら?
男性から見れば、
「(着飾らないので男でも女でもない容姿を意図的にしている人物に)そもそも100%あるワケないだろ、うんで、その上何言ってんだあんた。すれ違っただけの人間になんてこと言うんだよおい、それは明快な侮辱であるだけで無く喧嘩売っているより悪質だろ」
だとしたら?
>「ぶち殺すぞ、ブス」
この言葉もどこまで正確かは推定の範囲内ですが、
そもままの文言だと仮定して解釈すると、
「男でも女でもない容姿の人物相手に俺が無我夢中で追い回すとかってあるワケ無いだろ(俺が幼児性愛偏向倒錯の所謂変態って意味かよ)、いかにもそれが男性的ってさ、ってことはあんたは自分で私は女性としてどんな男性も無我夢中って意味になるのわかってる?おかしーーだろおい。だって”ブス”だろ(男性は”無我夢中”がトンデモ級の言いがかりだって意味ですよ)。しかも赤の他人に死ねばいい最悪だってあんたさ、どういう喧嘩の売り方なんだ(あんたの殺意が明快なので殺される前に)ぶち殺すぞお前。」
ということですよ。
■根本的なところは本来上記の説明は必要ないぐらい明白で、
以下を繋げてみれば簡単です。
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
=『子供』
私にやたらと関わってくる(家族)
そして思春期に発現する『性への拒絶』は「反抗期の不全」であり=親子関係における強迫心理の証明である。
つまりこの憎悪の元は、母親か父親のどちらかとhakoさんの間のエディプス的な強迫心理が本質で、男性がどうしたこうしたってのは派生的な物語に過ぎないって事です(本質的な問題から自我が逃げるための幻想)。
注)女性全般を女性がヘイトする形の心理に陥るケースもあり”性への嫌悪”出現の形も様々ですから、hakoさんの状況が現在男性ヘイトだから単純に発端が父親との関係であるかのように早合点するのは間違いです。ここは詳細に考えないといけない部分なので(又同様のケースは何らかの形で夫婦そのものの共依存関係が成立している場合も多い)。
■ご自身自分では気がつていないしょうけれど(目の端っこに薄っすら見えている程度かもしれません)
上記私が説明した事は『おおよそhakoさんは承知』していて、
実は説明の必要の無い話なんですよ。
今回唯一有効な破綻していない文章があります、
以下の2行の文章です。
(端的に言えば返信は以下の2行だけでよかったんですよ)
↓
>いろんなことがあって情緒不安定すぎて、正気を保っているのが苦しいです。
>(いろいろ、原因があるんですよね、私自身に)
hakoさん自身それ(前段の私の説明)を薄々わかってたってことです。
(だから上記の2行がある)
ここが全ての問題のコアです。