>母はどこかで大人になる私を拒んでいる。
>父の先祖なんかどうでもいい。
で、前回のたとえ話を繋げると、
「(暴力団の)組を抜けるだって!」
「(ストックホルム症候群)人質から解放して欲しいだって!」
「(超体育会系の)○○商事を辞めるだって!」
↑
全部の言葉に以下が続きます→「この裏切り者」
すっかりあっちの世界まで現実を通り越し、演劇や映画のシナリオも通り越し、簡単には想像するとも難しい妄想の世界にいってしまうわけです。
自意識の本音は
「ったって、裏切りものってあなた、、も〜、どうしたものか。。。」
強迫意識が無意識的在り方を利用して、知らない間に(事後追認的に)自意識共犯の構造に巻き込まれて、言い訳考える役回りまでおっ被されるというですね「おーも〜」みたいな図式は、
上記の図式を認識して「あちゃ〜っ」と現在の自意識にバレれば(=無意識下から浮上)止まります。
『一拍置く』の仕掛けで常に修正も可能になります(判例化や習慣化の阻止:同時に”逆判例”攻撃)。
曰く「悪循環の”環”」に関しては一段落するって事です。
(ここの仕組みがよくわからなかったので、心理学以前は宗教哲学が”業”と呼んだり当時の人は随分考えたところです)
強迫心理の威力的な部分が落っこちたみたいな話になりますから、
「あちゃ〜っダメだこりゃ」的認知は重要ですから、しっかり確認しておきましょう。
(反動や抵抗起きるとその認知を撤回させて宗旨替え反発みたいに元に戻そうする動きが出たりします。ですから事前にそれを予測して「この一線は絶対死守」的に認知を政治的信念レベルに押し上げておけば防波堤になりますから:認知をある程度予測的”高さ”に上げてあかないと防波堤効果が無い→ちょっとした水位上昇で決壊してしまう)
を踏まえて、
↓
>で、これからどうしようかと思っています。
急場困らないのであれば「いっそ会社も辞めてしまおうか」ぐらいの幅で考えていいところです。
(そういう発想を深刻に考えると失敗→軽く「あちゃ〜っダメだこりゃ。ったくもうね、いっそ会社も辞めちゃおっかな〜」と薄笑い込みで言えるような認知じゃないと→「おーも〜」みたいな図式認識がまだまだ中途半端だって事です)
会食に関しては(既に経験的判例が出来上がってしまっているので)
「暫く俺は会食苦手な人間だからな〜」←確定させてください(ココ今現在のアイデェンティティーの一部です)。
堂々と自己紹介で言っていいです、
或いは、ブラックジョークのひとつもくっつけて「会食するとゲロ吐きそうでーす」と大声で言えるぐらいの勢いにしておく。
↑
そりゃそうそう簡単に知り合いの間で言える事は無いでしょから
(無理して言えばいいってことでもなく、どうしても言うべきだってことでもない)
そう言う自分の姿(「人呼んで会食恐怖の”○○”と申します」と仁義切ってもいい)をイメージするって事です。
冗談半分に誰もいない部屋で声に出して(台詞回しのように)言ってみて、感じを体感しておくのもいいでしょう。
普通にですね「冗談じゃ無いよ、飯ぐらいひとりで食わしてくださいよ」と言ってもいいんです。
逆説的に言えば、そう言えれば
「苦手なのは十分承知しているんだけれど、ここは付き合いとして顔だけ出すとかでいいから」
という状況設定になるので、無理シャリ会食現場に出てもそれほど極端な緊張はしません。
さらに言えば、
メンタルな問題から離脱時には誰でも一時的に”単独者期間”を経る事になります。
(これは思春期の反抗期中の各人の人格も同じなんですが、)
その後共同幻想適応型人生を選ぶのも単独者型人生を選ぶのも自由ですが、リハビリ期間は「単独者型」を志向することになりますんで、
大きな枠組みとして「単独行動を模索してください」
どうやったら昼飯を単独行動で食えるか(ってかそもそも昼飯なんて食わなくても死にません半年なり1年ダイエットだとか適当なこと言って珈琲とタバコでやり過ごすって現実的方法もあります)、ここ真剣に「戦術論」として考えてください。
その戦術の中に「おーも〜、会社を辞めちまうか」ってのもアリだってことです。
↑
そもそもを考えてみてください。
↓
>母はどこかで大人になる私を拒んでいる。
>父の先祖なんかどうでもいい。
抑圧の中心は「自立・独立」だったのであり、
現行就職先は、以前の強迫的自分が選択したものなんですよ。→端的に言えば「似非」。
んなもんほっぽりだしたほうがいいぐらいなんです。
(貯金があるなら本気で辞めてもいいでしょう→逆さに言えば辞めるために貯金するとかも現実的)
これからの自分は「まったく別の方向性を考えるかもしれない」ワケですから。
(組織も人質事件も超体育会商事も全て幻想だったんですから)
ですから、
>で、これからどうしようかと思っています。
もっと大きな枠組みで考えましょう。
あえて皮肉で言いますが「会食でゲロ吐くとか、んな事は瑣末な事だ、んな事よりもー」の次元に意識をシフトさせるって事ですよ。
(”の次元に意識をシフト”の場所でようやく『現実』だってことです)