母親が大好きで幼少期は母親の言うことを聞くことに一生懸命でした
これについて
好きなら言うことを聞かなければならないか?おかしい。
好きだという私なりの表現が、いうことを聞くことだった。
しかし、この時点でもう、私は、子供ではなくなっている。
従順な子供のふりをしている大人。育ててもらっているわけだし、仕方がないから自分をださずに子供のふりをしよう。そのほうが得だから。いつまで。大人になるまで。私が母を好きになるまで。
子供ではないのに子供のふりをする。芝居をする。どんどん大人になる。ますます〜しなければならないが増える。芝居が芝居でなくなってきている。超自我の肥大化。何のメリットがある?
自我はなぜ受け入れた?自分の足をひっぱっているのが自分。
自分が苦しむことで母を苦しめたかったから。
母はどこかで大人になる私を拒んでいる。
緊張の原因を私の幼少期の取り込み方にあるのではないかと思い、母親との事にあるのではと思い、検証してみる。超自我の見直し。自我の再構築。
過去レス読みました。内容の理解はかなりあやしい。
ヒヤヒヤしながらキャッチボールをしているのは私もそうだな、と思った。
しゃべりながらキャッチボールをする。
無駄話しながら、無意識にキャッチボールをする。
無意識の世界を共有しているような安心感がない。
今、現実に起こっていること。
父とのこと。
携帯を最近買い、父が私の携帯番号に4や9があり、よくないので変えるようにといってきた。
父が先祖が気になるので番号を変えたかと。母はかえてあげればすむことだし、という。
変更しとくわ。といったものの、一拍おいて考えると変更する必要あるのかな、と思う。身体は動かない。変更するの、嫌なんだな、私。
父の先祖なんかどうでもいい。
私の携帯を私のお金で買って電話代も自分で払って、別々に住み・・・
番号かえるだけのこと。でも、もう嫌。
別に、弱いものいじめをしているわけではないので・・・