管理人権限のみで閲覧可能な「投稿のホスト記録」により、
(内容と合わせて90%以上の確率と思いますが)
書き込まれた方特定を行っております。
●守秘義務に関わる事であり、掲示板上でその詳細を記載することはできません。
■(上記に関わるのでここも不特定多数が閲覧可能な掲示板で公開することはできませんが)ご本人は理解されていると思いますが、サイト利用に関わる規約上の事項に関わる部分を遵守されない部分(○存性等)、これは心理学的根拠に基づくものであって、これに私が違反する返信を付けることはそもそも私自身が心理学的根拠による対処を侵害することになるので(既にご自身その答えをご存じの返信済み内容に関わります)、『現在公開掲示板上で相談受付を停止している件』と合わせて、一般論に関わる点のみ切り離して返信としますが、この返信に対してレスをする等は行わないでください。
(※既にご存知のとおり、上記内容に関わる件を無視して投稿等が続けば投稿そのものが管理人権限で削除される場合もあります。)
■■■<一般論に関わる点のみ質問として理解しここに返信します>
生きるということは自分が○○しようなどと企画・動機形成された事項について試行錯誤を行う行為です(結果うまくいったいかないは全く関係が無い「そのどちらも等価」であるため→『どうでもよくないことなどない原則』)。
書き込み内容の視線・視点は現段階で既に「強迫心理」的になっている事にご自身気がつていません。
(というか既にこれは説明済みですので、気が付かなくてもいいのです。←過去説明されたログを読むだけです。書いてありますので過去ログ読んでください。)
まず「○○ができるか・できないか」←これは個人的な関心項目であり、他者は関係ありません。
(組織に参加する場合には、当該組織の標準とうの組織運営上の”何”はありますが、既にその概念は『共同幻想』の都合です。)
ご自身が自らの個人的希望・個人的利益として「○○ができる・できないか」拘る以前に(更に上位認知で)、とにかく『共同幻想』社会に適応したい、と強烈に希望しているのであれば別ですが(この場合『共同幻想』側からのダメ出しは「できる話・できない話に関わらず」全てありがたいアドバイスと同意なので、何か相談する要素は全くなく「毎日嬉しく思う事ばかりです」となっていないと矛盾する)、
ところが相談は、
↓
■繰り返します。
とにかく『共同幻想』社会に適応したい、と強烈に希望しているのであれば別ですが、
話の流れはそうなってません(困った状況だと相談するスタイルになっている)。
(しつこく繰り返しますが「所謂食う・しのぐ」という事がまずの前提で、その枠組みは生活保護の申請だろうと、「とにかく共同作業が極小の単独業務に限定する」など(それは極論「田舎で自給自足」だって発想の中にあってもいい)、なんだっていい(或いはどうでもいい)のであり、さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。)
↓
■繰り返します。
とにかく『共同幻想』社会に適応したい、と強烈に希望しているのであれば別ですが、
ところが相談の話の流れはそうなってません。
(一体何を好き好んで話のテーマが『共同幻想と私』というくくりになるのかさっぱりわかりませんが)
言うならば投稿文のその思考の流れは、
「自分の思考そものが『共同幻想』との関係性という話に”依存”している」のであり(だから話をどこから切り出しても『共同幻想と私』話の域を出る事が無い)、
更に、
現在この件(既に説明済みの)を相談することで、
(前述の論法で言えば)
さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。
=「相談する行為そのものが自分の価値を貶めている」事になり、
(既に構造論的な強迫行為云々の部分は解体されてますので)
ここで話はぐるーっと一週して繋がります。
ぶっちゃけ
(カウンター表現使いますが)「だからダメなんだよ。」
何故あれこれ相談なり質問なりが”エンドレスに続くのか”と言えば、
自分で(依存的になる結果)毀損した自分の価値喪失による欲求不満が永久ループするからです。
「そこで質問なり相談しちゃうからダメなんだよ。」
(極論相談の答えがどうだこうだにすら価値は無いんですから。←こうなると相談行為ループのための相談というパラドックスになり、その答えを認識する事すらおろそかになる。→「相談返信に反論する矛盾現象」)
▲リハビリ過程などで参考となるのは『一般的な反抗期・思春期』の人格特有の言動です。
思春期の彼らがよく使う台詞は何ですか?
「うるせーんだよ、ほっといてくれ!(今自分で考えてるんだ)」です。
上記の状況と
「いったいどうしたらいいでしょうか」となる人格傾向との差異は何ですか。
前者は「反抗期特有の『共同幻想』的概念の拒絶ですよね(たとえば”答え”などもそうでしょう←暗黙の権威性フラグ)、答えではなく自分で考えることそのものに価値を置きこれに干渉されることを拒否する」、
(仮想単独者状態の「試行錯誤は俺の大事な価値だから干渉しないでほしい」・勿論知識情報として知ろうと思った事を自分で調べる延長で人に聞く事はあるでしょうけど「それは又別の話」です)
↓
後者は「大人の台詞」によく登場します。
「いったいどうしたらいいでしょうか」
これは「権威的に『共同幻想』自ら本望であると認知する部分は自己決定であり、既に『前提』である(=求めている質問は『これは共同幻想的にどうあるべきでしょう』であり勿論相談している対象は『共同幻想的権威』であり間違っても精神分析系心理学などでは無い)」
ですから「話は後者になってますと」と。
だとしたら、これを心理学に”答え(権威性フラグ)”を求めるようなスタンスは論理矛盾になってしまう。
いつから『共同幻想』選択が決定したのですかと、
(しかも『共同幻想人格』は典型的に何をどう考え、どういう組成でそうなる人格なのかなど本が一冊書けるぐらい既に説明済みです。)
そして、
仮に『共同幻想』選択が決定している場合なら『共同幻想』側からのダメ出しは「できる話・できない話に関わらず」全てありがたいアドバイスと同意なので、何か相談する要素は全くなく「毎日嬉しく思う事ばかりです」となっていないと矛盾する
(野球が好きな子が軍隊並に叱られてばかりなのに何故「憧れの野球部」に入るのかと言えば?)
※勿論「単なる愚痴」ならアリの話かもしれませんが、
この掲示板は『愚痴掲示板』ではありません。
■一旦話を中和しますが、
「強迫心理」的な思考部分を除外して翻訳すると、投稿された相談内容は、
「食うためになんだかんだと現状『共同幻想』の連中と調子合わせないといけないんだが、これがなかなかうまくいかず(奴らが何考えてるだのどういう人生生きてきたのかだのさっぱわからないので)どうしたもんかと思うんだが、まー自分も食うためにそういう付き合いもあるんで、良かれと思ってアレしてみたりこれしてみたりとかしてますわ。」
↑
どこにも相談すべき点も質問すべき点も存在しません。
わかりますか?
上記内容の現状認知について、今回記載された内容の文面が論理化されるためには(書き込まれた文章が脳内で構成される条件は)
▲「あたかも『共同幻想』適応が無条件に前提になっていなければならず」
この(前提を自分に押し付ける)概念は「強迫心理」そのものです。
■しつこく繰り返しますが、
前述の翻訳文の続きを考えてみましょう。
「強迫心理」的な思考部分を除外して翻訳すると、投稿された相談内容は、
「食うためになんだかんだと現状『共同幻想』の連中と調子合わせないといけないんだが、これがなかなかうまくいかず(奴らが何考えてるだのどういう人生生きてきたのかだのさっぱわからないので)どうしたもんかと思うんだが、まー自分も食うためにそういう付き合いもあるんで、良かれと思ってアレしてみたりこれしてみたりとかしてますわ。」
「そりゃ大変だねぇ、組織が登場しない食い扶持はないのかね」
「んなもん簡単にみつかりゃ苦労しねーよ(笑」
(演劇のシナリオで言えば最後の台詞は「誇らしく苦笑い」となる。)
↑
わかりますか?
↓
さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。
(相談する場面ではなく、全く同じ状況で「そこは自慢話するところ」なんですよ。つまり、「あれどうして自慢話するところが相談話になってんだ?」を考えれば話が頭から矛盾していることがわかる筈です。)
▲これが又、「どうして『共同幻想』職場でないといけないのか」という部分に対する”理由(言い訳みたいな)”に関しては、
「いったいいつから自分はこんなに饒舌になったのだろう」ぐらい(普段アイデアや空気読むだのに困っている人物とは思えないぐらいアイデアマン顔負けに)次から次と湯水のごとく言葉(理由)が出てくるという調子になるのが恒例ですが、、
それはどういうことなんかとね。
あたかも強迫心理構造時代の『家幻想』における「こうにきまっている、普通はこうだ」みたいな前提話の”出方”と脳内回路の構成は同じ事になってしまっている部分に気が付いていない。
(脳内発想の仕組みが同じルート上で展開されてますよという意味です。言うならば発案部署が同じであると。)
自分をネタに強迫時代の”ネタ”をまだまだ諦めずに引っ張るような延長戦的展開になってしまっている。
(上記は分析によって「既に終わった話」であり、「品を変えたからって『蒸し返し話』が可になる訳ではありません。」)
(そもそも前述のように「どうしても○○の事情で調子合わせないといけなくなっちまった」という”前提確認”が事実に沿っていれば、仮に「うまくいかねーぜ」というモノローグも相談では無く「苦笑いの自慢話」になる場面です。)
■更にどこの馬の骨なのか知りませんが、
「誰それがそれは甘えだなんだと言ってます」とかの『誰々がこういった話』が登場しますが(これは当時からリハビリ的助言として禁○事項になって厳命されている部分ですがいとも簡単に無条件で無視されてますがその理由は何ですか?)、
どこのどいつか知りませんが、
「だから何?」
以外に返信つけようがありません。
私はその人物と知り合いでもありませんせんし、どうコメントすりゃいんですか?
いきなり見ず知らずの人物から
「いやー実はさ、昨日ある人物からこんな事言われちゃって」
「言われちゃってとかも何もその人は占い師かなんかですか?」
「いえいえ会社の同僚がね」
「って、何故見ず知らずの私にその話を振る?道でも聞かれているかと思って返事してますが、あなたの会社の同僚の事なんかそれ以上に知りませんよ。」
(お笑いのコントじゃないんだから。)
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■(上記に関わるのでここも不特定多数が閲覧可能な掲示板で公開することはできませんが)ご本人は理解されていると思いますが、サイト利用に関わる規約上の事項に関わる部分を遵守されない部分(○存性等)、これは心理学的根拠に基づくものであって、これに私が違反する返信を付けることはそもそも私自身が心理学的根拠による対処を侵害することになるので(既にご自身その答えをご存じの返信済み内容に関わります)、『現在公開掲示板上で相談受付を停止している件』と合わせて、一般論に関わる点のみ切り離して返信としますが、この返信に対してレスをする等は行わないでください。
(※既にご存知のとおり、上記内容に関わる件を無視して投稿等が続けば投稿そのものが管理人権限で削除される場合もあります。)