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【3】強迫構造から抜け出せなくても 早恵 2010/02/28 13:43
【5】強迫構造云々というより kagewariこの掲示板の管理人です 2010/03/01 00:08

【3】強迫構造から抜け出せなくても  早恵  - 2010/02/28 13:43 -

他の人になりきってその人の心理を読むことはできるのでしょうか?

それと最近感情に波があります。
さっきまでは「私は協調型の人と供依存になるつもりはない」と強迫構造を抑えられてたのに今は何を言っても強迫構造が勝ってしまって抑えられない時があります。
また同じ理論で強迫構造に訴えかけつづけると最初は鎮静化できても、途中から強迫構造がふつふつと沸き上がってきます。
ただ何においても根本は依存したままで根本から変えるのが難しいです。

引用なし

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【5】強迫構造云々というより  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/03/01 00:08 -

今回も個別の設問になりますから1回完結の決定稿の形でお答えします。
(※完結になりますので「返信にレス等しないでください」)

まず、よく意図がわからないのですが
>強迫構造から抜け出せなくても
>他の人になりきってその人の心理を読むことはできるのでしょうか?
ここに強迫構造の有無は関係ありません。

自分をからめるから(強迫意識特有の視野狭窄)わからなくなるんです。
心理を読むって行為は心理学なり人物観察なり人生経験なり強迫関連とはまったく別物ですので(スキル自体が強迫意識に制約を受ける事はあっても事後的にこれを知識情報経験として意識的に獲得し補完することは個人の努力の範疇ですから)、
「誰だと誰々の関係において誰々はどう考えたか」
 ↑
ここの登場人物に自分を登場させなければいいことになります。
(社会学であるとか、ジャーナリスト、歴史学者、文化人類学の立場で考える)
後は自分のスキルに応じた結論が出ますから、強迫云々の影響はほとんど無いでしょう。
(影響があるのは前述の”スキル自体が強迫意識に制約を受ける部分”のみ:推定の精度は学問など個人の努力の範疇となる)
■関心事項としては「推定の精度」は社会学や歴史や自意識的な経験や心理学や文化人類学など、個人的関心による情報取得なりで大きくレベルが変動するのですから、政治経済含めて客観的知識として(自意識にとっては理論武装)そっち方面への関心を自分なりに「どんなもんか」と考える方が的を得ているでしょう。


思考のポイントとしては
「又自分がどうこうって話?」のように、
自己中心的発想(これは巷間伝わる一般用語の「自己中」と意味違いますから誤解の無いように)の抑制、
思考する事項において何かと自分が中心人物になっている発想を切り替えるって事ですね。
「自分がどうこうなど瑣末な話なので(ジャーナリストが社会現象を検証しているのですから取材対象とその検証に力点があるのであって、そもそも自分が登場す余地など無い)、これは自分がどうこうとかそういうどうでもいいこと抜きの話さ」
というような”立ち居地”を定義してしまうんです。
自意識でそれを事前に定義すれば(強迫意識の関心事項はもっぱら自分の事ですから)認識が無意識的干渉で偏向することを除外できます。


>それと最近感情に波があります。
>さっきまでは私は協調型の人と供依存になるつもりはないと強迫構造を抑えられてたのに今は何を言っても強迫構造が勝ってしまって抑えられない時があります。
>また同じ理論で強迫構造に訴えかけつづけると最初は鎮静化できても、途中から強迫構造がふつふつと沸き上がってきます。
>ただ何においても根本は依存したままで根本から変えるのが難しいです。

これは認識に間違いがあります。
結論が間違っている
■「上記のような事象により結論→根本から変えるのが難しい」
『あたかも”根本”が存在するように(無意識に肯定してしまっている)語られています』

これはかなり大きな意味の”過失”だと言ってもいいでしょう。
「あたかも偏向する方向の意識(強迫意識)に”根本性”があると”無意識”に肯定しちゃっている」んです。
強迫意識は自我全体にとっては根本じゃありませんから。
(強迫意識の根本はありますが、それは前述の「強迫構造に訴えかけつづけると最初は鎮静化できても」のように自意識によって(強迫意識は自意識に干渉する反対語として)干渉可能なのであり”聖域”だからこそ打つ手が無い強迫意識の根本的原則は壊れている事が証明されている)

一見些細な言葉使いに見えますが、脳内連想的には重要なので(無意識に韻を踏んでしまう)注意したいところです。
(言うならば強迫意識は”わかりにくい”であるとか”理解不能”な要素が幼児期の自我にとって”一種のセキュリティーホール”を形成し、そこに誤った補完論理ソフトを導入してしまったようなもので、現実プルーフの世界に寄って立つのではなく→”一種のセキュリティーホール”を根拠に寄って立つ存在であるからこそ『幻想』なんです)

さて、前述の結論を上記の認識で修正すると
結論の方が以下に変化します
■「上記のような事象があるように、問題のコアはどうすればいのか私の手の内にあるが(自意識マター化可能)、どうにも依存症特有の反動(中毒下における禁断症状のように)がある。現象としてはダイエットのリバウンドに似ているかもしれない」

全く無知なところからダイエットに取り組み、
しかもダイエットに取り組む理由(なぜ無茶食いしたのかについての”ネタバレ”)は解明したとしても、まだまだ反動は残る。
これは想定内の事だって事です。
 ↓
自分をからめるから(強迫意識特有の視野狭窄)わからなくなるんです。
(社会学であるとか、ジャーナリスト、歴史学者、文化人類学の立場で考える)

『現代社会のダイエットにおけるリバウンド』
この題名で文化人類学であるとか、社会はジャーナリストとして論文書けばいんです。
間違ってもその結論は「根本が変わっていないからだ」とはならないでしょう。
言い換えるなら
「根本はとっくに変わっている。やっかいなのは習慣性(依存性)などの技術的アプローチとなる。どんな手法に解決策があるだろうか?」
論文の関心事項はこっちになります。
仮に「根本が変わっていないからダメなんだ」だとしたら?
これジャーナリストの言葉じゃありませんよ、そのまま『鬱的思考』ですから。
(自分の事のように自己嫌悪的な内向性思考になる)

話を脳内連想性を逆手にとって”根本”を使って更に言い換えてみると、
「現象を客観的に考える時のものの見方の根本が(スキさえあれば強迫心理を肯定しようと)まだ干渉されていて、(巷の意味と違う心理的な意味での)自己中心的発想に偏りがちなんだな」
 ↓
>「根本が変わっていないからダメなんだ」
「こういう発想しているからいかんのだ」


『現代社会のダイエットにおけるリバウンド』
「未だに本音にも無い、偏向快感依存に引っ張られている。←ネゴシエーターとしての自意識の立場上の力量不足だ」
テクニカルに”ネゴシエーターの力量”ってものを考えればそこに答えがある訳で、
(ここはそれこそ自意識マターなので個々人で手法は違っていい部分です)
更に”ネゴシエーター”を抜き出して考えればよりシンプルになります。
言葉としては”ネゴシエーション”を”営業”に置き換えてもいいでしょう。
「プロの営業マンとしていかにあるべきか」
シチュエーション的には以下です
 ↓
「そんな商品いらないんだ○○がいい」
(設定:認識間違いだけでなく、○○なんてものが詐欺的商品である)
この状況で、本質的に問題を解決する商品を自分が販売しているとして、
営業のプロが、
「それは違うんです、○○なんかじゃ逆効果なんですよ、今この私の商品を・・・」
心理学的過程を経ていれば”強迫意識”という言葉に異論が無いように「○○なんてものが詐欺的商品である」という営業にとっても最も厄介な認識誤解部分は解決している訳で、残りのプロセスは「今この私の商品を・・・〜」だけでいいことになります。
(そこで「やっぱり○○が」となればこれは単なる”蒸し返し”になりますから論外→明快に「ナイナイナイ」とナンセンスである事を再認識する場面ですが、若干それも後退してしまうなら「やっぱり○○がなんて思ってしまうんだよな」と反省含めて弁解的認識とし、”蒸し返し”について間違っても正当性や権威性まで蒸し返してしまうような勘違いは避けるべきところでしょう)


■公開掲示板上の各スレッド過去ログにおいて書いてきた事ですが、
最後の部分『自意識によりどういう方向を選択するか?』
ここはメンタルとは関係無く、個性の範疇として自分で選ぶ事になりますから、
(強迫意識と知って、それを個性として受け入れる方法だってあります:状況を現実として認識した段階(自意識マター)でそれ以上の鬱的暴走は起きませんし、強迫意識的自分なるのものを何がなんでも解体しなければいけないなんて法律もありません:共同幻想協調人格すら一種の強迫認知なのですから)
以降のポイントは「自己決定ありき」なです。
 ↑
これはメンタルと関係無く思春期の迷いのように誰彼にでもある悩ましい過程ですから。
「さて自分はどうするか?」=「ネゴシエーターとして何をどう交渉するか?」
自立以降に後発的に獲得される自分らしさなる自我は、意識的に(自己選択により)獲得されますから、
(前述と被りますが強迫意識も個性として自意識で認知して詩人のような人生を生きるって世界も無いワケじゃありません:インフォームドコンセプトじゃありませんが自分で選ぶところは自分で選ぶところです:メンタルな問題として特定できるのは「無意識領域の強迫意識を知覚できず自意識には打つ手が無い構造的な問題」を”構造的に破壊”することであり、強迫意識が『自意識マター』として自意識が認識可能な視野に入れば、それこそ強迫意識構造の根本は既に壊れている)
ここは前段のリバウンド云々より重要で切り離して考えるところで、
 ↓
ある意味、リバウンド云々をあまり大きな話だと誤解してしまうと論点がそっちで忙しくなってズレてしまいますから(リバウンド程度の問題はその”根本”が解決済みで既に自意識マターなのだから当事者である自意識としては「それは(視野に入った)どうにかなる」として→)、
「さて自分はどうするか?」「本質的に重要(根本)なのは(今現在)むしろこっちなんだよな」となります。
自己中心的認知と同様にメンタルな問題を過大評価してしまう事もあるって事です(それが間接的に強迫意識を権威的に後押ししてしまう場合もある)、ここは切り分けていかないと、
強迫意識ってものが視野に入って以降は順次(同項目は)『自意識マター(自己決定事項)』に切り替わりますから「自意識マターは自動的に拡大する」のであって、、「さて自分はどうするか?」に戻る。


流れ全体を俯瞰で見るとわかる筈です
上記の流れであれば思考は自己中心性ではなく、ジャーナリスティックな客観性に立脚しています。
(前段部分と繋がりましたね)
若干抽象的になりますが、そこに答えがあるって事です。

引用なし

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