■ご案合のとおりで、現在当掲示板は簡単な質問のみ受付となっておりますので、必ずしも返信は心理学的に詰めた内容とならない場合がありますのでご了承ください。
早速ですが、
つまるところ『ノスタルジー』ですね。
(私が心理学的説明においてこの『ノスタルジー』という表現は固有の意味があるのですが、ここでは省略します。)
ノスタルジーはノスタルジーとなった時点で現実と乖離します。
簡単に言えば今あなたがなにがどうこうと感情的な固着を発生さている『記憶』ですが、ノスタルジーとなった時点から「違う話になっちゃっている」という構造です。
(この辺何故なのか話すと長くなっちゃうので「現在の心理的状況がその証明である」ぐらいの幅でそう理解しちゃってください。)
構造を俯瞰で見れば、
現状の不安なり不満(実はこれもそれほど根拠が合理的とは言えません)、それを発生させているのが「直面する現実問題ではありません」。
恐らく体感されている不安はもっと別の深層心理が原因であり、ぶっちゃけ挙げられている現状の不安の根拠は「場当たり的に選ばれている」となります。
(第三者からみればしょうしょうこじつけも感じられる無理筋の筋立てになってます←多分ここ自覚されていないでしょう、無自覚となるのは文脈にレトリックがかかっているからです。)
本来は「じゃーそもそも本当の不安の理由は何か」と心理学的に突っ込まないといけないところでもあるのですが、現在の仕様としてこの掲示板ではそこまで深入りできません。
本題まで省略と言うワケにはいきませんので、それを推定する根拠のひとつを挙げておきますと「説明されているノスタルジーにヒントがある」事になります。
思うに『依存的関係性(自己責任を担保する自立的自我の実存を丸投げできるしょうしょう楽なというか、場合によれば関係者からズルいなどと評価されたかもしれない状態)』が”長続きしなかった”という事かと思われます。
■ここで話が繋がること気が付きましたか?
(実はこの話はグルーっと一巡して出口のない堂々巡りになってます)
↓
>37歳で10年近く務めた会社を解雇されたのは自分の人間性の問題。自責の念がある。
現状この掲示板上で回答できる範囲での推定を展開すると、
1)上記引用の理由は「その場所を自分は依存的に利用していた」からであり
2)その場を追放された後漠然と不安を感じるのは依存的実存が許されないからであり
3)その場を今ノスタルジーで回顧しているように錯覚している”その記憶”は「依存できる場所だった」と改変されており(事実は許されなかったので追放された)
↑
ここで事実関係の改変の結果思考が現実から乖離して堂々巡りになった。
結論的に何かを明示するとするなら、
本来思いだされるべき”その時の記憶”は「そんな事(依存的関係性)は現実社会は許さんよ」という教訓で、
これがノスタルジー(違う話)になっている時点でアウツ(現実から乖離している)って事です。