・前置きになりますが
プライバシー保護の観点と公開掲示板の運営趣旨である公共性(閲覧者が参考にできること)から、有料など非公開の内容に関わる具体的な事項の説明には制限があります(私が説明において非公開のログを引用するなど)。又、閲覧者の方が何の話か経緯を掴めない具体的個別の話に公開掲示板)は適しませんので(聴衆のいる公開の場でのやりとりとなりますから厳密に言えば私的利用とはなりませんので)、返信がある程度「広義の説明」であるとか枠組み論的な方向になることはご理解ください。
<以下本文>
現在の就職先の話かと思いますが、
先ず初期的に(メンタルな問題からの離脱過程でもありますから)
「個別具体論的な問題の発生が十分予測されていること」。
次に「仕事に就くことそのものが当初目的では無いこと(ひとりぐらしを可能にする部分との関連として)」。
バックグラウンドとして症状などが関係する部分での仕事上のストレスは(他相談事例のログにもあるように無理に仕事や通学などの社会適応を優先せずに休養などが優先されますから)”無理がかからない”ことを最優先に自己責任で判断するところで、場合によれば(他相談事例のログにもあるように)「そもそも社会適応フラグや他の人(共同幻想適応系)と同じように」等の意識で⇒強迫的に選択される場合も多く(カウンセリングなどの過程を経て”休養するべき”方向に説明が無いと構造的に自分では辞められないなど)、ここは注意しなければいけないところです。
※心理的な事情から地方自治体の福祉窓口を利用することは『実質的には労災などの保障と性格が同じ』(環境にもよりますが職場環境下を発端とする”鬱”であれば実際に労災認定の可能性もあります)であることを忘れてはいけません。
※又、社会適応と言う概念そのものが『(近代以降文明化と経済成長の)共同幻想』ですから、それ自体に全く意味が無いとは言いませんが、殊更それが”優れた事”であるかのような認知があるならそれは「ズバリ強迫心理」です。仕事等の選択はあくまでも「自立独立した自意識マターとしてその選択があるのであれば」検討すべきもので(極論自分で好きで選んでいることというルートを担保する)その評価も自分自身で好きに判断してよい(期待する成果そのものも選択同様にマイペースとならないと”そもそもの動機の証明にならない”)。
↑
上記を俯瞰から冷静に考えるヒントとしては、
メンタルな問題が基本的には発生しない原始共産制での暮らしを想定すればわかりやすい。
「文明も無く、自分の暮らしは基本自給自足で身近な畑などを自分のペースで耕作などの暮らし」
(原始共産性の場合”その暮らしを集落で”と、この点が類人猿時代の本能の名残として限りなく普遍的に”群れ”が前提になりますが、勿論この部分は共同幻想的な社会適応では無く、自己のアイデェンティティーが”幻想では無くマジ村民(近代以降は市民)”なので構造は似ているようで全く違います。←ここは社会学の基本。)
【上記枠組みは早恵さん十分理解されていると思います】
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
前段はあくまでも広義の論点となりますので、
↓
補足となるワケですが、
仮に仕事が継続可能な環境にあり、具体的内容は公開できませんが「出来不出来では無く自分自身も事故などが心配である」点に関してはこれは管理職の仕事であり(軽微な業務にシフトするなど)、これを試用期間などで判断行われるのですが、この業務も”管理職の仕事”です。
(試用期間の社員の仕事では無い)
これは上記説明以上に法的な側面もありまして、
現代先進国は概ねその傾向ありますが日本は特に労働者の権利が手厚く、正社員として正規に採用された場合、会社の経営が著しく悪化するとか当該社員が犯罪に関与するなどよっぽどの事情が無い限り『会社は社員を解雇できません』。
現実公務員の職場だけでなく「閑職」と申しましょうか昭和なら「窓際族」のように、軽微な仕事専従の部門を「予め用意する」のも人事管理の仕事です。
各個人が仕事ができるできないという事情とは関係無く、どこの世界にも仕事内容と個人のポテンシャルとの間にミスマッチが発生する場合ありますので(メンタルと関係無くても)、これを制度として雇用調整でとなりますと→その瞬間『昭和の終身雇用制度』は壊れてしまいます。
昭和の時代は経済成長が右肩上がりでしたので(社会全体の所得が全体として上昇)、労働力の流動化を促進するより「新卒終身雇用」の制度の方が全体の効率が高かったので、「仕事内容と個人のミスマッチ」に関しては(ミスマッチの人には申し訳無いが)閑職や窓際族などで身分と所得は保証するので了解ください的な社会だったワケです。
※先進国化により「終身雇用」が事実上壊れ「労働力の流動性が高まる」のとセットになるのは、先進国化により高学歴など個々人のスキル・ハローワークなどの公共サービスが格段に安定化してくるためで(昭和のように職工さんの過半は中卒でもむしろ可で会社内の仕事を通じて専門の労働者として育成=「解雇されると転職口を探すのが非常に困難」などいう離職リスクが少ない)、むしろミスマッチを効率的な労働市場で解決する方が選択されているため。
同時に、
現代社会は「スローワーク」であるとか「フリーランス」など、
そもそも仕事的成果と社会的成功を関連付けないライフスタイルも増加します。
※これは先進国化や経済成長の究極の目標は『非労働社会』であるためで(そのための社会資本であり機械化・電脳化なのですから:代議員のボランティア化やフリーエコノミーも全てこの線に乗った話です)、先進国の生活水準の基本は『人権保護』の枠内で十分にハイレベルであり(比較できないほど第三世界を上回ってます)、高い通貨を生かして海外の製品を異様に廉価な水準で購入できます(100円ショップを代表に)。
<ですから>
■『社会適応』も『就職と仕事』も、特別に優先フラグが付くなんて事は100%あり得ません。
(あったら強迫心理。:共同幻想協調人格は”優先フラグ”があるのではなく”その選択も協調”なので選択の自覚(著作権)が無い。)
■その反対に『自意識マター』として、独立自立した自分の意志で選択したことは(社会的評価など意識も必要も無く)自由に評価すればよい(盛んに努力するのもサボるのも自由)となりますから、重要なのは結果では無く『意思確認』です。
「イロイロとリスクがあるのは承知だが試にやってみるか」という場合、
結果が思うようにいかない時の認識は、
「いやー(予測はしていたけれど)これは結構大変だわ」となります。
↓
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
であれば「やれやれどうすっかな(何から手をつけたものか)」と、これメンタルでは無く個人的な悩みや”考え”って世界の話ですので、
(結果論では無く⇒ストレス過多で”無理がかかる”ようなら「残念失敗と辞める勇気も考慮」するところなので別論議ですがここも「個人的に考えるところ」です。)
↓
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
こうなっては『動機』が別の方向向いてしましますので注意が必要です。
「鬱のネタまき」になってしまいます。
<もう一度整理します>
意思確認も十分慎重に行ってます「自分の意志で企画性もって判断して選んだ」
(背景のリスク「特に○○関係」には自分の動機を含めて共依存系や強迫的共同幻想フラグが関係しやすい点も十分説明済み)
結果論(社会的評価)によらず、むしろ個人的関心(人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし仕事に意識が行きつつあります)をベースに考えている。
のであれば、前後の話が繋がらないのです。
わかりやすく、並べてみましょう。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
↑
同一人物の台詞とは思えないですよね。
「人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。」って人が突然「本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?」となる事はあり得ない。
(自分で「他人の目は気にせず仕事一本です」「今何をすべきかわかっている」と前者は言っているワケですから)
同一人物の台詞とは思えないですよね。
思えなくて当たり前です、極論すれば”同一人物”では無いからです。
前者は『自意識マター』(抗(あらがう)ベースの主体的現実認知)
後者は『強迫心理』(被(こうむる)ベースの被害認知的内向認知)
■強迫認知のトリガーが「不快(被(こうむる)で認知すれば”被害”)」であるのは間違いありません。
それを「”これは手ごわいぞ”とやり甲斐と感じるのか」「不安から強迫的に自分が追い詰められてしまうのか」それは認知で決まります。
『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。
<ちなみに>
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
↑
ここは本来コメントの必要ありません。
(というかコメントすべきログじゃありません。)
前述説明で理解されていると思いますが、
後者の強迫心理があれやこれやと自我を不安にする動機は、
この台詞が言いたかったから
↓
「私も他の(まともな)人になりかったですね。」
であり、
まーこのような認知に付き合っている暇ありませんので無視してください。
「オイオイ又言っているよ強迫心理(苦笑)」
(端的に言えば返信引用から削除すべき部分です)
<話はもどって>
『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。
そして、
>仕事がうまくこなせないなら今すぐやめるべきなのでしょうかね
答えは簡単です。
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
↑
こんな事言っているならとっとと辞めるべきでしょう。
強迫心理が内向鬱のネタ探しにワザワザ手の込んだ事しているだけですから。
『自意識マター』の動機までねじ曲げられてしまう。
(情緒的に言えば”自分の動機・自意識の言論が穢される”)
しかしですよ、
『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。
その前者は?
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
↑
こう言ってます。
これなら安心です。
↓
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
↑
こんな事を言う筈もありませんから、
「仕事に意識が行きつつある」自分なりに試行錯誤やらそれを”やり甲斐”として(この場合不快事例ではなく幸福ネタになる)、自意識の自由な思考を駆使してあれやこれやと人とは違う自分なりに(個性)考えればよいとなり、
会社の方が待っていられないというならこっちが心配しなくてもクビになりますので、管理職の仕事まで心配することは無い。
注)しかし”無理がかかる”などストレス過多の場合には、これ事情が別(健康問題)ですから自分から辞めることも検討すべきでしょう。
だとするなら問題のポイントはここに戻ります。
■『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』
さて、実際に続けるべきか辞めるべきか。
『一拍置いて十分冷静に(自由に独立的に)自意識マターで考えて』
「思う通り(好きに)自分で選べばいいのです」
<更に補足で各ストレス面コメントしますが>
自意識マターの決定が「勿論仕事には”個人的に”意欲あります」間違い無いのであれば、
現行は利用者(お客さん)の反応どうこう考える必要ありません。
↑
これどういうことかといいますと、
仮に私が現場20年のベテラン軍曹なら、
「客がどうだこうだと言うなんてのは100年早いだろ」となるからです。
(不慣れな人間がやっていることが客に好評なワケが無いのですから)
「他人の目は気にせず仕事一本です」ということなら、
自分なりに「先ずはここからだな」など戦略定めて「あれやこれや始める」って事であり、
「(お客さんには申し訳無いが)今客の評判聞いている暇はない」になります。
(上記をよくトレースするとストレス回避のルート辿っていることわかると思います)
基本”不安(強迫心理のトリガーとなる)対策”上、大事なのは「自意識マターの確認」に尽きます。
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
↑
この発言は自分自身の言葉なんですから。
それ(人権)を尊重するべきでしょう。
判断の基準として
「ダメ、自意識マターを保持できない。こりゃ強迫にのまれて又ゾロ「私も他の(まともな)人になりかったですね。」なんて言い出しかねない。果たしてどうしたものか、、。」
のような思考を”一拍置いて”十分に繰り返し考えて、
「ちょっと無理かかっているかな〜と”自分で判断”した時には辞めるってことかな」←などのように”自分で考えて”ください。
<繰り返しは記載しませんが>
ここで前段の広義の論点【枠組み】の部分に戻って読み返しです。