お久しぶりです。
また時間が空いてしまいましたが、返信ありがとうございました。
いつもありがとうございます。
kagewariさんに言われたことは、過去や記憶を遡っていくと、
「ああそうか」というふうに、そこもあそこも、というふうに
あてはまる点が多いです。まだまだ整理中ですが。
結局、つらいのも苦しいのも「過去のこと」なんですよね。
過去のトラウマがフラッシュバックしているだけなんですよね。
精神発作的な感じになると、「落ち着け、今はつらくない、今は大丈夫」
と言い聞かせることで、ひどい時期のスパンが短くなった気がします。
今回は、私の目線から見た家族(親族)像を書きたいと思います。
あれがこうだからこう、というようにいっきに繋げることができないので、
箇条書きします。
登場人物は、祖母、母の妹、祖父、父、姉、母です。
祖母
・今は認知症で家から少し離れた介護ホームにいる。(ほぼ寝たきり、人の顔もわからないし会話すらできないレベルです)
・私が高校生くらいの時に認知症症状があらわれて、介護ホームに入ってからどんどん悪化した。
・昔は県外(私や母の生まれ故郷)に住んでいた。
・母が言うには、母が子供の頃から、母よりも母の妹と仲が良かったらしい。
・おばさん(母の妹)のお金の無心が悪化して、逃げるように母の住む今のところに越してきた。
母談「あのままあっちにいたら、おばあちゃんは無一文になっていた」とのこと。
・私が中学校の頃は一年くらい、一緒に住んでいた。でも私は祖母のことを軽くみていて、
あまり関心がなかった。自分の(学校)生活のほうが楽しかった。
・結局家の近くに住んだり、県外の親戚のところに行ったりしたけど(時系列があいまい)
最後は家の近くに住んで、そこで認知症になった。
認知症の初め「母の妹(おばさん)が家に来た」(来てないのに)とか言っていて、おかしいと思ったらしい。
祖母が認知症になってから、((なる前も)おそらく関係が相当こじれた=絶対に何かあった(お金の貸し借り以外に)と私は思うのですが)、
おばさん(母の妹)は一度もこちらには来たことないです。介護の手続き等はずーーっと母が一人でしています。
私は、最初の頃は自分のことでいっぱいいっぱいで、母が色々苦労してるのも祖母の認知症がひどいことに気づいたのも、「完全にひどくなってから」でした。
母には「あんたはあの時反抗期だったからね」と言われました。祖母に対してはいまさら何を言っても無駄だけど後悔しています。祖母のことは、私は特に好きでもないし嫌いでもありませんでした。(=やっぱり家族(親族)に愛情がもてていない)
祖母は寂しかったんだろうと思います。若い頃は家族の家計を助けるために苦労し、家庭を持ってからも、とにかく人のために尽くすことが一番な人だったそうです。
自分が楽しむことは二の次だったそうで、旅行もほとんどしたことがありません。
以前、母に、私が自分のことでいっぱいいっぱいで介護ホームに行かないことを「家族なのに冷たいなあって思ってた」と言われました。それがショックで、私は母と言葉の通じなくなった祖母のところによく行くようになりましたが、結局することがなく、母とぼんやりするだけでした。
ある日、介護ホームに行って、母が祖母の食事を食べさせて(いつもは職員さんに任せている)、あまりにも食事させることが難しくて、私がよそ見している間に、食事をビニール袋に入れて捨てようとしてるのを見た時、すごく嫌な気分になりました。
私は所詮「嫌々行っているんだ」と気づき、祖母も嫌々来られるくらいなら来ないほうがマシだろう、と思い、それ以後、ぱったり半年くらい行かなくなり、今に至ります。
所詮、私は「家族なのに冷たい」と言われたから行っていただけです。
自発的に今の祖母に会いたいとは思いません。ひどい人間だとも思います。
ただ、もし祖母が元気な頃に戻れるなら、もっと、もっと、色んな話をすればよかったと思います。
ちゃんと話したことがなかったから、私の祖母に対する印象は「好きでもないし嫌いでもない」んです。
私は身内に対しても人見知りで、祖母に対しても心を開いていませんでした。
母の妹(おばさん)
・結婚していて、子供が二人(姉弟)がいる。
小学校の時は家族でおばさんの家に泊まりにいったこともありました。普通のいとこ同士として接していた気がします。その頃は祖母もおばさんと同じ県に住んでいました。
私はおばさんに対して、今でもあまり悪い印象をもっていません。小学生の頃もった印象は「さばさばしている人」という感じです。母が実質一人で祖母の世話をしているのを見ても、だからおばさんはひどい、とは思えません。
数年前に子供が妊娠したからお金を貸してほしいという内容の電話がかかってきて、多分母は断ったのだと思うのですが、それ以後、絶縁状態です。
母は、直接的にはおばさんに対しての不満を言いませんが、匂わせるように、「なんで自分の母親に対してこんなに冷たくできるんだろう」とか、「昔から、成績は良くないけど人に甘えるのはうまかった」ようなことを言っていました。
先日、姉が入籍したので、それをきっかけにおばさんと連絡を取ってみたらどうか、と私が言うと、「またお金を貸してと言われそうだから無理」、「昔からそういうことを報告し合う関係じゃなかった(祖母が向こうにいたことでかろうじて関係が保てていた?)」と言っていました。
母は妹(おばさん)に対してコンプレックスがあるんだと思います。母は、成績は良かったし優等生だったけど人に甘えるのは苦手で、消極的だったんだろうと思います。
それが、今の母の人格に至る原因の一つのような気もします。
私はよく母に、「ずるくない」というところを褒められます。「OOちゃんは、(不器用だけど)ずるくないからいいよね」と。私は内心、なんだそれと思いますが。
それって他によっぽど褒めるところがないっていう意味なんじゃ…っていう。ちなみに「ずるくないからいいよね」と会社の同僚にも言われたことがあり、
もはや、わざわざ言われるほど「私はそんなにずるくないのだろうか(?)」と思ったりします。世渡りが思いっきり下手ってことですよね。
祖父
・私が幼少期の時に病気で他界
・母曰く、祖母は自分達に対して怖かった。そんな祖父に従う祖母を見るのが嫌だった、と聞いたことがあります。
・祖父は祖父の家族(後妻)と折り合いがうまくいかず、絶縁状態だった
小さい時に亡くなってしまってあまり覚えていませんが、祖父に対しては、すごく優しかったイメージしかないです。
いつも欲しいオモチャやお菓子を買ってもらって、家に帰ると、「買っちゃだめって言ったでしょ」と、祖母が祖父を怒っていた記憶があります。
父
・あまり喋らない
・たまにおもしろいことを言う
ので、「不思議で変でちょっと面白いけどとにかく喋らない人」という印象です。
生まれてこの方、父と真面目な話をしたことがないです。そもそも話しません。
母と結婚してから父はずっと働いています。
こちらに関心が無いのかとも思いますが、それで不満ということもなく、
昔から一貫して変わらないので、まあそういう人なんだろうなって感じです。
そんなだから、喧嘩になると母に一方的に言われっぱなしです。父は金銭感覚が乏しいらしく、
喧嘩の原因は主にお金のことなんですが、見てて思うのは、
この二人(父と母)はずーっと同じことを繰り返しているということです。
感情的に(=非論理的・子供)わめき散らす母と、それに対して何も言わない(論理的に反論することができない)父、ずっとその構図です。
だからいつまで経っても何も解決しないというか。
kagewariさんが仰る通り、母は子供が一部に混ざっているんだと思います。ヒステリーを起こした母は論理的なことが何も通じません。
こっちがびっくりするくらい、突発的な行動を起こすことがあります。(かばんの中身をいきなり逆さまにして全部出されたり)
子供の頃は、口論になるとまさに子供(母)対子供(私)、みたいな構図になってしまって、とりとめがつかないことがよくありました。
なので、母が祖父に対する嫌悪感で、父のような良く言えば穏やか、悪く言えば朴念仁みたいな人を選んだのは
もしかしたら失敗だったんじゃないか、と、自分で今分析してみて、少し思います。
母のヒステリーに対して「君はOOだけど、OOはOOじゃないか」というふうに、言葉で論理的に諭せる人(大人)であれば、
きっと今よりうまくいったんじゃないか、と思います。
父に対する不満のしわ寄せ(何を言ってもこの人は何も言わない、手ごたえが無い)が、家族(私)にきてるのかも、とも思います。
本来、夫婦で解決すべき問題が、家族全体に蔓延してしまっている、という気もするんです。(=私は母が重いと感じる)
でもこれは私に都合のいい、勝手な解釈かもしれません。
でも、父の無防備に、母のヒステリーが緩和される時もたまにあるので、母と二人きりよりは、三人でいるほうが安心します。
あと、もう一つ父に対して私の中で重大なことがあって。
私は父に、思春期(高校〜短大くらい)にかけて、ものすごく冷たかったんです。母に心配されるほど一時期ひどかったです。
私は父と顔と骨格がそっくりなんです。顔も、骨格も、思春期がコンプレックスのピークだったので、
父を思うと憎しみが湧くことがありました。今も、自分の顔と骨格のことを思うと愕然としますが、父に対して冷たくしたことは、反省しています。
私が冷たかったので、父も私に対して、距離を置くようになってました。
私は未熟な人間で、自分がひどい目にあわないと、人に冷たくしたことを反省できないんです。
(男性に、なんでここまでされなきゃいけないの、っていう被害を受けたことは、そのまま父にしていた態度のバチなんだって思ってました)
今は、父との関係は少しずつ元に戻りつつあります。でも、父は私に不信感をもっていると思います。
「元の元」には戻れないとは思いますが、私の容姿と父は関係ないので、反省して、できるだけ普通に接していきたいです。
姉
・中学頃までは、成績優秀で、優等生
・高校以降、いい子でいることに疲れたのか、自由な感じ
・超現実的で、向上心が強くて、外交的
・友達が多くて、人から信頼されるタイプ
・最近、入籍して県外へ引っ越した
姉にできて私にできないことが多すぎるためか、姉に対してコンプレックスがあります。
中学くらいまでは、仲良しでした。家族の中で唯一まともに話せる相手でした。
でも私が高校に入って、外見のことやら何やらで思春期をこじらせて、次第にうまくいかなくなりました。
「姉は自分(私)のことを恥ずかしい妹(不細工・要領が悪い)だと思っているんではないか」という被害妄想を抱くようになりました。
姉の友達に笑われることがありました。私は、いつも姉と自分を比べて、自分の友人関係が乏しいと思っていました。
最近入籍しましたが、その報告も、姉本人ではなく母から聞きました。姉の結婚相手とも一度も会ってません。
母は、姉と自分を重ねている(優等生)のか、姉に対しては、なんだか普通なような気がします。
私に対するように、不自然な感じが無い。(私のような出来の悪い人間にはどう接していいかわからないから不自然になる→その態度が私の怒りに触れる)
「普通ってこうだよね〜」って感じです。母と姉と二人揃うと、私は何を言っても冷笑されているような気がします。また被害妄想です。
姉とは、それこそ入籍するって言って家族が集まるまで、本当に口を聞いてませんでした。
「どうせ見下してるんでしょ(なけなしのプライド)」と、「こんな妹で申し訳ない」っていう、なんていうか、自意識過剰っていうか、本当にこじれてますね私。
kagewariさんの分析を踏まえると、姉は「家族ごっこから手を引いたから客観的にふるまえる=私にはそれが自然に見える」→つまり、根本的には
姉も私と似たような葛藤を、昔は抱えていた、ってことですよね。多分そうだと思うんです。
あと姉は外交的なので、(これは私とも母とも違う)家族から外の世界へ視線を置くことができたんだと思います。
家族からの自分の評価=異常 から、友人や恋人からの評価=正常な価値観を手に入れることができた、ということでしょうか。
私は、「家族」というものを嫌悪してるにも関わらず、姉は、もう家族から抜けてしまったんだ、もう私とは関係が無くなってしまったんだ(ものすごいまた被害妄想な思考なのはわかってます)と、例の精神発作的な症状の時に思ってしまって、寂しくなることがあります。
姉はきっと私の関係ない世界で幸せに暮らしてるんだ、って羨ましいし、なんで姉はそうなのに、私は…(過去が蘇る&母親がまだいる!!)って暗い方向に
向かってしまいます。
でも私は私でがんばらなきゃいけないんですよね。今を変えるために。
姉の結婚相手と会うのは勇気がないので今は無理ですが、とりあえず、近いうちに、姉と二人でゆっくり食事でもしたいな、と思っています。
母
・思春期、内向的な優等生だった。(自我を抑圧していた?)
・父親(私の祖父)が嫌いだった=男性嫌悪?
・妹と信頼関係が築けなかった(「OOちゃんは、(不器用だけど)ずるくないからいいよね」=妹はずるい)
・小学生高学年くらいで、精神年齢が止まっている(もちろん一部)
・精神年齢=「子供が抱く家族のイメージ」を継続したまま、ここまで来てしまった(正されなかった)
→小学生くらいの時に、自我の成長が止まってしまうような何かがあった。(何かはわかりません)
母が祖母の面倒をずっと一人で見ているのは、誰も手伝ってくれないから(私も父も姉も)と言う理由と、妹に対する復讐の意味もあるのかと、
考えすぎかもしれませんが…思います。
もし私が母の立場だったら、そんなにちゃんと何もかもやらないで、手を抜くところは抜きます。(ひどいのかもしれないけど)自分を優先します。
でも母は、「何の文句も言わずに一人(だけ)でやってる」をこっちに匂わせてくるっていうか。私が怖いのは、母の無意識なんです。
私はほぼ自分のことしか考えてません。でも母は、ほぼ自分のこと以外しか考えてないと思います。
私が重きを置いているのは「精神」ですが、母は、精神(自分の気持ち)はおざなりで、「行動」します。
だから何か言われた時に、私は精神論以外で、母に反論できません。私は何も行動してないから。
こうやって、私が考えて考えても悩んでも、母にしてみれば、「そうやって考えてもあんたは何も行動してないじゃない」となります。
確かにそうなんですが、そう言われると私は、「じゃあやりたくないことは極力やらなきゃいいじゃん(=無意識を私に巻き散らかさないで!)」って、
最後には言いたくなります。行動してることがそんなに偉いのか?やりたくないことを我慢してやってることがそんなに偉いのか?って思います。
もっとちゃんと自分のことを考えてよ!って思います。私がどう思ってるとか、母は知りたくないでしょうけど、私が母の立場なら、
考えます。
それらが、すべて子供の精神がさせているなら、母は「今」、なぜそこまで子供でいなければならないのでしょうか。
子供の時に、大人でいなければならなくて、だから今精神の退行が起こっているのでしょうか。(子供である私に向けられている)
それとも私の思うこと自体が偏りすぎてて抽象的で伝わらないのでしょうか。
母の思い出で、昔、母の誕生日を私が忘れていて、「今日はママの誕生日!!!!」と大泣きされたことがあります。(誕生日を忘れられて泣くのは小学生くらいまでだろうから、
>何故って彼女はおそらく「6歳児〜12歳の少女」だからです。
このkagewariさんの分析と合っていて、思い出して「あっ」と思いました。
あと、忘れられない夢で、母が私の部屋に殺菌するように水を撒き散らしながら、私の眼前に、傷がついている手首を突きつけて、「私はあなたのためにここまでしたの!!」と叫ばれました。夢を見た当時(思春期)は何が何だかわからなかったけど、今はよくわかります。
私にとって母は「そういう存在」(実際の母とは別に、あくまでも私の意識の中で)だってことです。
そういうことや、今までの全ての記憶によって、ものすごい母に対して強迫があるんです。
私が何か言おうとするとヒステリーになって泣き叫ぶ、私を見ようとしない、上っ面の家族に固執している、等です。
そして可哀相(そこまでしなきゃ自我を保てなかった可哀相な過去があった)です。
少し前、kagewariさんに相談する前、道端で、母のことを考えていきなり泣いてしまったことがありました。
その頃、とてもとても苦しかったので、その苦しみや、思春期の記憶や憎しみを思い出して、トラウマ=フラッシュバック化して、
もうわけがわからないので、「死にたい」&「母など死んでしまえばいい」となっていたんだと思います。
だから一緒に暮らしている時はわからなくて、今一人暮らししていてどんどん過去が蘇るんだと思います。
>所謂世界史やる時に”自虐的大日本帝国悪質史観”に立ってしまった結果、なんとかおおよそその後の日本の歴史は強引なこじつけでも何でも説明可能だが、世界史の中でそれを説明しようとすると”矛盾だらけで”全く説明がつかなくなり、説明に困って「こうなったら日本なんか無くなればいいのだ」のような意味不明な方向に認識が流れているようなものです。
↑まさしく、わかりやすいです笑
長くなってしまいましたが、
こういう調子で、自己分析していけば、いつかは母との葛藤と決別できるでしょうか?
私の解釈で、間違っているところがあれば教えて下さい。
あと、今後、母と(母の少女的自我がこれからも治らないとして)どういうふうに接していけば良いでしょうか。
今は、なんかもう、メールで「いついつどこかへ行かない?」と言われただけで「ひっ」って感じです。
誘われた時点で、断る選択肢は無いのでは、と思ってしまうし。
今の時点では、実家と実家の近所は「過去の暗黒期が詰まった伏魔殿」って感じで、よっぽどのことがないと行く気にはなれないです。
自分の中の偏ったシナリオで、
・母は私のこと(正確には母娘関係)にしか興味がなく、内向的で、外との繋がりを持たず、私と交流を持ちたがる。(私も母も楽しくないのに!!)
・私がこのまま母を避けていくうちに、母は祖母のように認知症になり、私は姉にも頼れず、母が祖母に今そうしているように、母の面倒を見なければならなくなる。
という不安があります。
私が一番怖いのは、「母と私と二人だけの世界」です。
この負の連鎖をどうにか断ち切りたいです。
縁をすっぱり切れればいいのかもしれないけど、一生は結構長いみたいなので、現実的に無理です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
P.S
このたびの大震災で、私はカウンターをくらったように「死にたい」と思うことが無くなりました。
相変わらず何やかや葛藤を抱えていますが、これからは以前のように、気軽にその言葉を口にしません。
犠牲になった人の上に今自分が立っていることを絶対に忘れません。
本当に、生きたいんです。死にたくない。
たくましく生きたいです。
3月11日以降、色んなことが自分の中で変わりました。
kagewariさんに相談させてもらったことも、自分の中で大きな大きな節目です。
ここまで正直に自分のことを書くのも、聞いてもらうのも、初めてです。
本当にすみません。
本当にありがとうございます。