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【28】やる気の無い日々、漠然とした気持ち じよく 2010/07/14 08:02

【31】状況を整理しましょう2 kagewariこの掲示板の管理人です 2010/07/17 08:35
【32】Re:状況を整理しましょう2 じよく 2010/07/17 10:49
【33】わかり難い補足をつけておきます。 kagewariこの掲示板の管理人です 2010/07/18 21:00
【34】有難う御座いました。 じよく 2010/07/18 22:51

【31】状況を整理しましょう2  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/07/17 08:35 -

ゆっくり考えれば特別難しい構造ではありません。
(心理的”だまし絵”のような話)
抑圧がかかっているところで考えるワケですから、
「思いつけないアイデアを思いつけと命令しても不毛なだけ状態」だということです。
 ↑
これだとちょっとわかりにくいと思うので、少々実際の事実関係から離れた説明しますと、
「イスラム教徒の心理になって、今日の晩御飯豚のしょうが焼きは美味いかまずいかを討議しなさい」みたいなレトリックですよ。
(実態はパラドックス)

話の前提として今現在この話を思考し発言している”じよく”さんの自我主体の時制がパラドックスになっているんですよ。
さっきと同じように少々実際の事実関係から離れた説明で話しましょうか。
「会社での顧客との揉め事に関して訴訟に発展した。その時俺は訴訟の中でも極めて実務的・専門的部分の論点を知り合いの弁護人に相談するのではなく、全く法律的に無知な両親に対して(子供時代の人間関係を前提に)聞いてみた。残念ならが建設的意見を聞くことはできなかった。」
 ↑
あたりまえですよね。

普通に考えれば聞くほうの動機がおかしいですよね?上記説明じゃあたかも答えられない話をそれを前提に聞いたみたいな話になっている。
しかも当事者の主体は時制のズレがあり、会社の業務で顧客相手に起きた事例の時制は”現在”ですか、コメント求めた対象者は現在や個別事例に精通している人物ではなく、子供時代の人間関係(10年近く前の自分)を根拠とするものだったって、、
そりゃね、
 ↓
「ある街にふらっとやってきて、今そこに住んでいる人に道を聞くのじゃなく、10年前そこに住んでいたかもしれない人をワザワザ探し、なんとか探し出してその10年前住んでいたらしい人に道を聞いたので、すっかり道に迷ってしまった。」
「あの、、オーストラリアはどっちですか?」
 ↑
こういう『抽象的文章の世界』になっているんですよ。
ところが抑圧かかっているので、ロジカルな矛盾に自分では気がつけない。
脳内の絵が”だまし絵”みたいな事になっているのに、全く自覚が無い筈です。


■ここまでの説明をレス文にあてて具体的に明示すると。
>私は彼らに本当は愛情を注いで欲しいと願っているのかもしれないです。
ここが第一の矛盾です、
ご自身の判断では
 ↓
>反抗期に居てくれたのは母方の祖母でしたから。私は父親を父親と認められていません。
という話が関連で登場するのですが、
反抗期は愛情を確認するものではありません。
反抗期とは快感依存対象の根拠となっている両親など家族内権威者への(幼児特有の)誇大イメージの現実化収縮による相対的幻滅からくる誤解による感情的破綻などの総称で(別段彼らが騙しているのではなく大人と幼児の関係から勝手に幼児が必然として家庭内権威者を誇大視するところが鍵)、客観的には脳内で肥大化している権威者イメージを現実世界の実存像に”修正アップデート”かけているワケで(極端な例だと「英雄→普通の中高年サラリーマン」へリサイズ)、
『私は父親を父親と認められていません』←この言葉は完全に矛盾していることになります。
■反抗期とは家族社会における属性上の呼称(地位)である”父親(部長や課長と同じ)”の称号が(幼児特有の権威フラグの解放)外れて、『男同士の関係』に還元される行為の事ですから、端的に言えば「反抗期が終わったので(自分が大人の男になった関係で)彼は父親ではなくなった」となるのが自然です。
つまり『反抗期によって彼が父親である事について更に認めるに至った』じゃ正反対ですから。
(これじゃ脳内の権威性が今現在も父親依存(実態があるのではなくその役割が希求され続けているという依存)であるって事になってしまいます)

一見整理がついているようで、今現在も「私が彼を父親と認めること」に殊更特別な意味がある事になってしまいます。

この矛盾を解き明かす鍵がこっち
 ↓
『本当は愛情を注いで欲しいと願っている』

※文章の順序を逆さにすると意味が繋がります。
『私にとって反抗期とは私が彼を父親と認める証明であり、本当は今でも彼に愛情を注いで欲しいと願っているのです』
 ↑
こうやって整理すると”じよくさん”にも「そりゃ〜ないわ」と本音が確認できると思います。
そのとおりです、上記の文面は”じよくさん”の本音じゃありません。

これは実数として10年前の自分じゃありませんが、過去まだまだ自分が子供だった頃の「漠然とした思い(や不満や不安)」の事です。
そんあ時制の違う過去の自分の心象風景が、何を間違ったのか現在の自分の認識に『時制を勘違いして介入している』のかと言えば(更に現在の自分の意思決定に介入しそれを阻害している)、

「その当時(流石に自分も子供だったものだから)、状況の整理ができていなかった」んですよ。

これだけだとちょっとわかりにくいかと思うので、
逆さまから言えば
■「彼(父親)は彼自身のメンタルの関係等(或いは諸般の事情)で、子供の判断では状況の整理ができないような環境(人間関係)を造ってしまった」という事です。
そして「その彼(父親)の事情は、第三者であるとか大人の立場であれば(たとえば今の自分)状況の整理が可能」なんですよ。

当時(子供時代の自分)整理すべき状況とは何か?

「彼の個人的事情により(メンタルなど・或いは諸般の事情)、彼にはおおよそ父親役(部長や課長等の家庭法人内管理職)は荷が重く、事実上職責を果たせない状況であった。当時部下(子供)役の私は、関係性に困り(トラブルを一般的な上司と部下の関係で説明不能で)、子供なりの知恵(狭い範囲でしかも幼児性デフォルメなどの過剰になりがちな認識)でそれを”愛情の問題かな?”と誤解してしまった」
注)ご存知のとおり幼児や子供は語彙として「愛情」という言葉の意味も正確に認識できません(必ず情動的誇張や主観的便法の範囲で認識している)。

そこで基礎にもどるじゃありませんけれども、細かい事のようですが「愛情」なる言葉で説明される関係性は何かって地味な論議も考えてみましょう。
(哲学的意味合いまで説明すると面倒な事になるのでその部分は省略します)
 ↓
極端な例で考えるのがわかりやすいので、ここでも極端な事例で説明します。
『陸軍士官学校の鬼軍曹教官と生徒の関係』
正に(ある意味)愛情無しには語れない関係です、
軍曹が口汚く生徒を罵ったり必要あらば暴力もいとわないのは「そこで間違ったら間違いなく戦死するから」です。
人の命かかってますから鬼軍曹教官の責任はそこいらへんの親より何倍も重いワケで、
訓練時にはそれこそ「犬畜生呼ばわり」も普通であって、士官学校の場合ウエストポイント卒業後はいきなり少尉(キャプテン)として現場で小隊の指揮をとりますから失敗したら死ぬのは一人じゃありません(指揮下の部隊の新兵がゴロゴロ死ぬ事になる)、訓練は半端なものではありません。
(※といってもそれだけ”深い愛情関係”が必要なのは自ら志願する職業軍人みたいな極限状態の職場だからですが)
訓練中はそりゃ学生諸君は鬼軍曹にも反発もします。
さて、様々な映画でお馴染みのシーンですが
(まー典型例は、リチャードギアが若手だった時代の映画『愛と青春の旅立ち』でしょうか)
それまで生徒を犬畜生呼ばわりしていた鬼軍曹は(生徒が卒業の瞬間下士官となる少尉より軍曹である自分の地位が下になるので)、
直立不動で「少尉殿おめでとう御座います」と敬礼するワケです。

説明しなくてもわかりますよね?反抗期(卒業期)を経て社会的地位が変更する(まー家族社会では上下関係まで逆転しませんが)。
そして愛情の表明は=「大人(兵士)として何が必要か、何をするべきか」の伝達責任に他なりません。

ここでひとつ考えてみてください。
鬼軍曹であるべき人物が、
「兵士、特に下士官とはいかにあるべきか(どうすれば自分を含めた部下の命を守れるのか)、個人的事情で”それがよく自分でもわからなかったら”」
これじゃ鬼軍曹役もですね、内心不安を抱えて(下手に刺激すると返答に困り意味不明に怒ったりする)、利いた風な(ステレオタイプの)紋切り型の押付けがましい話しかできないワケですよ。
しかも実は本人(父親役)が一番自信無いのですから「人間関係良好にですねあれやこれやとねほりはほり聞かれたくない」ワケです。
(一見関係性がうまくいっていないほうが彼には都合がいい)

でです。
上記のような場合、
その人に「それ以上何を聞こうってんですか?」


■さらに根本的な部分
「親は無くとも子は育ちます」
ある意味ですね、現代社会では幼児虐待が大問題として報道される事多いですが、心理学的に言えば「家族社会を構成する事それ自体が半ば必要悪的に問題視可能」なんですよ。
(文化人類学的にも”人を年齢で差別的に子供や大人とその権利を分類するのはいかがなものか”という話)
実は家族社会はかくあるべしなどという論議は相当にクリティカル(且つナイーブ)な話なんです。
(まさか「橋田壽賀子ドラマのようにあるべし」なんて話じゃブラックジョークにもならない)

ここでも極端な事例をあげましょう。
”明日のジョー”
こういうストーリーにおいて(主人公の属性設定で)最強なのは「私生児」です。
つまり、ある特定の成功(ヒーロー)物語りの前提条件として必要不可欠な要素のひとつに「私生児」ってあり得るんですよ。
そりゃ現実ってのは相対的なものなのですから、その可能性があるだけでも重大な評価基準です。
それがマストとなる在りようってのが実際あるんですから。
(現実プロボクサーになった人のかなりの数が”明日のジョー”の影響受けていたりする。「重大な評価基準である」。)

つまるところ「親子関係の破綻」それ自体では”なんら悲劇の証明にならない”のです。
言えても「まーそいう事もあるもので」の範囲、
(実際に暴力的虐待があれば当事者はそれは理屈抜きに大変ですが、この場合当事者のひとりである親に改善の責任があるのでは無く(求めても不可能だからそうなるんですから)→その親を逮捕しない社会に責任があるって事になります。ですから幼児期のトラウマなどの賠償責任は国家や社会となるのでメンタルな事情で仕事ができない場合には生活保護などの社会保障が求められるのであって、問題家族における後遺症は社会的には労災に近い判断基準だという事です→”家族法人労働災害”。)

事実は事実です。
決して「まーそいう事もあるもので」の中身を(言葉の印象から勘違いして)中途半端な理解にしていいって事ではありません。
そこは徹底的(ジャーナリスティック)な事実認定が必要なのであって、、、

『私にとって反抗期とは私が彼を父親と認める証明であり、本当は今でも彼に愛情を注いで欲しいと願っているのです』
 ↑
では無いだろうと。

『私にとって反抗期とは私が彼を父親と認める証明であり、本当は今でも彼に愛情を注いで欲しいと願っているのです』→こういう認識は”だまし絵”のようなもので(レトリックであり実態はパラドックス)、足元すくわれてしまいます。
極論「現実認識を喪失」してしまいます。
(或いは現実との乖離)
なので、
>私は元々好奇心が希薄な方だと思っています。
 ↑
こうなるんですよ。

本来のモチベーションの元となる「現実との間の快感原則(言うならポーカーテーブルに載せる掛け金)」が中途半端だからですよ。
「不全状態だった幼児期の親子関係における快感原則(ほめてもらうであるとかしかられるとか)」の過去の自分の認識に、現実への知覚の幾分かをかっぱわれてしまっている(抑圧)ので、現実テーブル上の掛け金が不足している(なので現実が面白くないと錯覚)って事です。

ここも極論で説明します。
(少々下品な表現ありますがご容赦ください)
「○暴主催のポーカーゲームに有金掛けて大勝(又は大負け)した。俺は帰りに高級コールガールも買って派手に遊んだのさ。」
「お父さんに連れられてお祭りで金魚すくいをした、成果は大漁(又はスカで)。僕は随分褒められた。」
両方の快感原則の時制がごっちゃになると?
 ↓
「社会で仕事して給料も貰っているんだけれども、何を求めるって(親の愛情というか)僕は認めてもらっているだろうか(褒めるとかしかるとか)。」
こうなると、モチベーションが維持できないんですよ。
当然現実への興味も半減します。
(大人の社会じゃ「色と欲」がモチベーションを保持しますが、かたや深層心理でお父さんの愛情論には無理がある→極論「ポーカーゲームにお父さんどうコメントするワケ」のように、構造的に関連性の限界となる)

わかります?
前回の説明における
>>面倒な人間ですら介入するに好都合なカード切っているって事ですよ、
>>そら無関係な人間でも「は、なんでまたオーストラリアへ」と言うでしょう。
>>自分自身全く自覚無いでしょうけれど、深層心理の罠と言いましょうかね、周辺にそう言わせる口実にもなっているんですよ。
>>『オーストラリア・カード』って奴がです。
>>(それも反動形成の仕組みのひとつでもある)
 ↓
「ポーカーゲーム(社会人としての仕事とか)だと話が繋がらないが、オーストラリアだと親に意見を求める自分って話が文法的にも繋がる」
■レトリックと結果としてのパラドックスの正体ですよ。


”じよくさん”の本音はですね、そんな事考えちゃいないんですよ。
自我における自分と言う主体の時制がですね、様々な経緯で少々矛盾している(場合によると10年前の自分が上位になっている)。
整理が付いていない状態だって事です。
(そりゃ当然です。直近の関心事項が「駅前のラーメンは美味いのか」な時、に親子関係なんて介在しませんから)

「ナイ、ナイ、ナイって、んな事俺の本音じゃないから」
とりあえずですね、四の五の言わず自分に宣言するんですよ。
大人の男として掛け率の範囲に入っている「色と欲」みたいなものを縮小均衡(シュリンク)させるような深層心理があったから、
(見かけ上)『好奇心が希薄であるかのような人格になっていただけ』なんですよ。

戦場は、今目の前の現実にしかないのであって、
そこに興味なかったら(ノスタルジーに引っ張られていたら)自分はおろか部下の命まで落としかねないんですよ?
そこの興味が半減ってそれは大問題なんであって、
鬼軍曹だったら?
「何ぼさっとしているんだ、死にたいのか!お前が死ぬのは勝手だが部下まで死なす気か?自分は死んでも構わないってことなら今俺がお前を殺すのが世のため人のためと違うか?腕立て伏せ500回いいと言うまで止めるな。海兵隊はクソ野郎の掛け声忘れんなよっ腕立てはじめっ!!」
或いはポーカーゲームだったら?
「テーブルにはシンシナティキッドと呼ばれた凄腕やらが集い宴たけなわ。その場で俺は”ポーカーにはあんまり興味無いし”。」
その場に命掛けて集った人達相手に最大の侮辱ですよね?
 ↓
>私は元々好奇心が希薄な方だと思っています。

思っちゃわないでください。
そこで妙に納得(だまし絵)してしまったので、そこからボタンを掛け違ってしまったんですよ。
「そんな筈ない、何かおかしいぞ(妙なもん(実は過去の自分の認識)にだまし絵のようなコラージュで俺は騙されいるのじゃないか?)」
本来ここで考えなくちゃいけないところだったんです。
(流石にそれは大人の判断なので、子供時代の自分には気が付けと言っても無理だった)

そういう話なんですよ。


>ここに居るだけでモチベーションが萎縮している気もします。
 ↑
■ズバリ正解ってことです。

無条件に自分に命令していいです。
「まず、ひとり暮らしを遂行すべし」
(成功の可否は問わず、厳に優先事項としてこれを徹底)

引用なし

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【32】Re:状況を整理しましょう2  じよく  - 2010/07/17 10:49 -

買い被り過ぎですよ。私はそんな立派な人間じゃないです。
>『私にとって反抗期とは私が彼を父親と認める証明であり、本当は今でも彼に愛情を注いで欲しいと願っているのです』
この通りなのです。

私は思ってるよりは彼(父親)が好きなんでしょう。
だから私自身が認められる(付き合うに値すると納得出来る)証が欲しいと思ったのです。

仰ろうとしている事は分かります。自立と覚醒ですよね。
今を見ず過去に浸っている。内面の探索。
これは長年の癖になっちゃっています・・。

私の反抗期は中学2年の時で丁度親が別れた時でした。
その後祖母はずっと私の傍に居てくれましたが私自身はワケの分からない苛立ちを祖母にずっとぶつけてるだけでした。
それでも彼女は私から逃げ出さなかった。その事を今でもずっと感謝しています。
だから愛情に飢えているとかそういう事はないです。

一人暮らしは・・今はしたくないのが本音です。
オーストラリアにはワーホリビザを使って2年くらいは滞在する予定で、だから今一人暮らしをするには資金的側面を考えた場合タイミングが悪いと言うか・・。
私が父親の了承を得るのは、父親だけじゃなく父方の祖父母、また母方の祖母も心配するからなんです。関係が悪くなるのが怖いのです。

オーストラリアってのがそもそも心配させる材料なんですが、説得による一応の理解は得られています。
ただ、彼らの言いなりになるのもどうかな、と思い始めたのでお金が掛かる下見を辞めて、バイトで今から資金を継ぎ足し、そのまま乗り込もうかなと思ってます。

オーストラリアに対する想いは主に、
・英語が壊滅的だ。→身体で覚えさせたい。
・日本での就職が困難になりつつある事。→国外に耐性を付けたい。
・日本企業(労働環境)に絶望している。→日本以外を確かめてみたい。
・ぬるま湯(自立しなくても生活出来る現状)が嫌になっている。→追い込まれてみたい。
↑モチベーション萎縮の原因でもある。
・小さな国に飽き飽きしている。→広いところ行きたい。
・空気という文化に疲れている。→外国では意思表示をどう行うのか知りたい。
です。

大半は就職に掛かってます(日本の企業体質が好きになれない)。
もしも外国を見て落胆したとしても、それはそれで日本を(マシである事を)再認識する事にもなるんじゃないかと・・。

今のままでは日本の企業に再度就職する気力が湧きません。
それを納得出来る材料を海外に求めてるんだと思います。
恐らくは単純な自己の力量不足、もしくは理想と現実のギャップによって帰国する事になるでしょうけども。
或いは、を期待してオーストラリアに臨みたいと思っています。

好奇心を否定しちゃいけませんよね。ごめんなさい。
多分他者との比較による落差を誤魔化す為の思考なんだと思います。
羨望や嫉妬を(ストレス回避の為に)湧かせない様に・・。
その自らの感情抑制によってもしくは気力の発露も阻害しているのでしょうか・・。

お話しする上で、何となく分かってきたような気がします。
一人暮らしは、いずれやりたいと思います。
でもやっぱり、私はオーストラリアに行きたいと思っちゃってます・・。

引用なし

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わかり難い補足をつけておきます。
考えるネタ的意味で、
(おおむね内容は理解されているようなのでレスは不要です:てかレスしない方が効果的でしょう。回答をつける格好になるのがかえって自意識の思考の腰を折って収縮の方向に結論を急ぐ抑圧系のフラグになることも十分考えられます。)


>私は思ってるよりは彼(父親)が好きなんでしょう。
>だから私自身が認められる(付き合うに値すると納得出来る)証が欲しいと思ったのです。
ご自身気が付かないでしょうが、一見文法的に齟齬が無いようでありながら大規模なレトリック(による仕掛け)が入り込んでます。
間接的に自分自身のアイデンティティ(確かにIDは直訳すれば”帰属”ですがそれは属性面での証明に過ぎません)が、親子関係を権威的最上位に拘束されている。
大人社会における(自分の仕事などの)評価対象は”社会”など更に上部構造であって、たまさかどこやらの家族法人内部の人事考課とは無関係です。
(20歳を越えた時点で父親にはあなたを上から評価する社会的資格を喪失している)
※彼が国王や家督相続を前提とした○○動の師匠や特殊な家訓を前提とした強者であれば別ですが。

この構造を”なんとなく”を根拠に肯定してしまってます。
>思ってるよりは彼(父親)が好きなんでしょう
”なんとなく”というところが最もハイリスクなんです。

無意識下にある漠然とした”思い(ガリガリとした現世利益的今の自分の本音ではなく)”が現在の自分のアイデェンティティーを拘束している。
『なんとなく、今の自分は現実を上回る価値基準(家族法人内人事考課)に拘束されているのです』
(端的に言えば彼(父親)は社会に五万といるそこいらのオッサンのひとりには違い無い←一票の重みは同じですけれど)
それこそ認めるも何も、年齢的に親子関係の範疇で認めるのではなく、仮に父親があなたを認めるとするならば『独立したひとりの社会人として』というスタンス(あなたから父親を見る場合も同じ)になるんですから。血縁だからって部分は(既に過去形で)二の次の話ですよ。
どっちに転んでも独立した個人として(どこの生まれかとか関係無く)個人的にどう考えるかって自由な本音思考を前提に事を進めないと順序が逆さまになります。
 ↑
■この状況でモチベーションを維持しろって到底不可能ですよ。
日本は家族同士でスパイ活動やっていた東西冷戦時代の東ドイツじゃないんですから、
(そこは個別の関係性に関わる事であって、個人的なアイデェンティティー論とは土台が違います。てか広げすぎって事です。)

付き合うに値するも何も、20歳超えたら『赤の他人同士です』(同じ男同士でどっちが上も下も無い)
(※大事に思う他の親族との関係にしても、それは個別に構築するものであって(必ず彼のルートを経由しなければならないって道理が普遍的であるなんて社会では無い)、血縁関係はその名のとおりで、「きっかけ」→”縁”に過ぎず(血縁という”縁”)、社会属性的関係性を個別の関係を維持するための方便とするのでは順序が逆さまになります)

後段出てきますが、彼との関係性はその一部が日本企業への不満として(バックグラウンドへ)投影され、
そのカウンターがオーストラリアという海外の図式になりますが、
(オーストラリアもカウンター論的にシニカルに捉えていればアリです←ここも後段補足参照)
■モチーフとして海外って言えば、西欧に限った話ですが『ハイスクール卒業したら実家を出るのは常識』ですよ。
(全部が全部じゃないでしょうけどモスリム社会は別として特にキリスト教系西洋はそうでしょう)

オーストラリアに何かがしかを求める前に、オーストラリア的なるもの(西洋海外)の常識は企業云々以前に18歳越えたら家出るのがあたりまえなワケで(ヨーロッパなどで家庭の所得に関係無く奨学金が受けられるのは家族権威性に青少年が拘束されないような意味があって:自力で自立可能な方向を国家が補償する。両親にペコペコすること無く自立する事を国が補償するワケです。案外高額所得の子息でも大学の学費は自力調達ってケースも無いじゃないと聞きます。)、
>一人暮らしは、いずれやりたいと思います。
 ↑
これじゃ順序が逆になってしまう。

つまり(カウンター的に少々極端に話を振ると)オーストラリア(西洋)に何かを求めるなら、まず西洋社会への参加条件として「一人暮らしが先だろう」って事です。西洋に対するリスペクトって意味でも。
(※そこいらが西洋特有の個人主義の肝なんですから)


それから、
>もしも外国を見て落胆したとしても、それはそれで日本を(マシである事を)再認識する事にもなるんじゃないかと・・。
という理解があれば、オーストラリアを注視することを止めはしませんが、
直前の文面に既に「フラグが立っている」のであり
 ↓
>仰るとおりオーストラリアへ行く事が、逃避の材料である事はどこかで自覚していました。

私は”逃避”とは言ってませんよ。
つまり今回のレスを読めば「対照表」はわかりやすい話で、
「日本企業への不平不満」への反動形成です。(意識的にやればカウンター)

私は”象徴化による動機の捏造(誇張)”だと説明しているんです。
「オーストラリアの旗がある間は→日本企業への批判は有効となる(この世界観の中に父親像も織り込まれる)」
本音は後者の方で、
相対的に前者が”浮上しているだけ”であって、それは(結果論として)虚偽の動機である。=本音では無い。

日本は随分アドバンテージのある国ですが、
(個人的には世界でも最強クラスでしょう)
『企業と国家比較』←既に相対的関係性が現実乖離していますよね?
(オーストラリア内の各企業差や日本国内各企業差の方が差が広く、国家間比較するほど両国内の各企業は普遍的な価値基準で統一されていません)

日本企業への落胆がどこの会社を指している話かわからないのですが、
極論『フリーランス』として個人で独立する仕事もあります(それほど食えませんが)。
仕事って言うから、何やらまことしやかな日本の中堅企業に勤めなければならないなど決まっている筈も無く。
(むしろ新卒入社の3割が3年以内に辞職しますから、既存企業の方が今後衰退する少数派と捕らえるのが筋→社会心理を分析すれば新卒入社時に話題となる”ブラック企業”って言葉がありますが、これは社会的潜在意識における「中堅大手全般を指している」んですよ。で、3割の人間がそれに気が付いて退職するんだと。)
日本の企業と言えば、現在のところ独立系等小規模の会社の方がメインであって、いかにも企業社会などのような権威的人事管理のある部門は”マイナー”と見ていいでしょう。
■「高層ビルのガラス窓拭きになる」とか「屋台ひいて珈琲とアイスクリームの店でも始めるか」とかですね、
(若ければそれだけバカやるチャンスもあるって事ですしね)
思考の方向性は山ほどあります。→考えるだけならノーリスク。

又国的比較をしてみても、
将来的に英語はマイナー言語となる可能性もあり(マジにドル依存が強いアングロサクソン系各国は待った無しでしょう。”ドル”がすっ飛んで米国覇権的グローバリズムがまんま戦争覇権に化す可能性も大)、ブリッグス的に考えれば中南米の方が面白いですし、単に南半球で見ればニュージーランドの方がいいかもしれない。
労使関係含めて先進国を狙うならヨーロッパの方が進んでますし、のんびりいくならイタリアや沖縄って選択肢もある。
世界的文明の歴史的経緯を考えれば学ぶべきはモスリム系アラブ諸国になりますし、そういう可能性があるのか知りませんが「カイロ大学留学」って手もある。間違いなく卒業後現地で商社関連の仕事で食っていけるでしょう。

個人的には最も開放的な”バカ国家”は日本であると考えていますけれどね(学会で気ままにユングなんて言葉にできるの日本ぐらいですし、特に心理学においてはキリスト教タブーで先に進めない各国に比較して日本は圧倒的優位があります)。
端的に言えばなんでも言える(表現の自由度が大きい)。
又、厳密に言えば経済的にも日本は最強の部類に属します。若干補足すると→中国バブルの破綻が近い(しかも中国は実質ドルペッグ制ですし、この場合内戦もあり得る)、このドル不安を前提に考えれば所謂グローバリズムという米国覇権主義もすっ飛びかねないですし、EUは現在そのグローバリズムに食われている状況、中東でイスラエルとイランにおいて戦争開始の噂もある。
そんな中で日本は外需依存から離脱しつつあるなか他先進各国と比較してまだまだ失業率が低い。
やっかいなのは米国支配による日本国内の政治的支配の継続って構図ですが、そもそも米国がギリギリの状況にあるなかいつまでも続きませんよこんなもん。国内で金融資産が適正に投資されれば”普通に経済は回復します”。又、化石燃料からの離脱も日本に最もその可能性あるでしょう。


※又、日本は小さな国じゃありません。生活文化を比較して米国の複数州の差異よりよっぽど日本国内の関西・東北の差異の方が大きいって論議もあります。なんでもアリの底無しの表現自由度含めて、恐らく先進国の中で日本は最も最先端でしょう。
個人的には、東京という都市は中世のウィーンや近代のパリ、現代におけるNYのような存在になるのでは無いかと思っています。

マスメディアなどの影響で既にマイナー派に属する「所謂日本の上場であるとか中堅企業」をあたかも日本を代表する存在と勘違いしているだけですよ。(ありゃどっかの特殊法人と同じで「もうオワリ」の存在です。それこそ皮肉込めて言えば負け組みの典型。:日本の法人の90%以上は中小零細でこっちが本当の日本企業です。)
私は職業からやたらと多数の業種について知見ありますが、概ねそうです。
→「大手だから仕方が無い」って言葉は一部の仕事関係で挨拶みたいに通用します。

それこそ『アルカディアは無いだろうか』と文明批判的に地中海辺りのマイナー国家を巡るのもアリに思いますが、

とにもかくにも、このへんを中途半端に行くと
 ↓
>もしも外国を見て落胆したとしても、それはそれで日本を(マシである事を)再認識する事にもなるんじゃないかと・・。

この言葉は”引き篭もりフラグ”になりますよ。
海外を考えるなら、それこそ十分に好奇心を働かせて考えるべきなんです。
中途半端になると別の意味のフラグが立つ事もある。


>好奇心を否定しちゃいけませんよね。ごめんなさい。
私は好奇心を否定しているとは一言も言ってません。
家族時代(過去)に認識の一部が引っ張られる関係で『現実への興味が構造的に収縮している』と言っているんです。
簡単に言えば、「目の前の晩飯と関係無い話に気を取られていて、食欲まで半減する」のと同じ心理です。

まずですね、
現段階の作戦には様々な方面に(地雷ほどじゃないですが)、引き篭もりフラグや家庭内争議のフラグがレトリックによって思考に入り込んでいるかもしれないと、その可能性を織り込んでおくべきで『その韻を不用意に踏まないように』十分注意が必要でしょう。
自分の考えを「うっかり信用しない」ってことです。
(現状本音から乖離している認識もそこに混入している可能性高いので)

十分に考えて(楽な方向でOKです)『しっかり本音プルーフしておく』ことが肝心で、事を急がないようにすることですね。
逃げ道的には「楽な方向」の出口論を重視すべきで
 ↓
>→追い込まれてみたい。
こっちは危険です、
(破綻のフラグにもなる)
重視すべきは「楽な方向」の出口論なんですよ。
■戦術論ってそういうものです。
砂漠の嵐作戦のパウエル司令官じゃないですが、本当の戦術家なら出口論をきっちり考えるべきものです。

追い込む的発想をビルドインしたいならば、
>ぬるま湯(自立しなくても生活出来る現状)が嫌になっている。
ここに一番関係するキーワードは「一人暮らしをはじめて実家との音信を切ればいい(4〜6年帰らなければそれなりに音信切れます)」のであって、
(オーストラリアの前に一人暮らしという部分に辻褄も合う)
オーストラリアに行くにしても、あてども無く旅でも続ける方が(マトモに現地で仕事にありつく前に)『オーストラリア・カード』は効果的に思います。

な部分も含めて十分考えて確信犯的に実行すれば『オーストラリア・カード』も有効でしょう。

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【34】有難う御座いました。  じよく  - 2010/07/18 22:51 -

お礼だけ言わせて下さい。
ここまでお付き合い下さり、本当に有難う御座いました。

先生と話している中で、自分の思想の危うさに気付かされました。
追い込まれたいという思いは自分を不幸へと導く志向性である事が分かりました。
戦術的に考えて私は自ら退路を断っていたようです。

また、一人暮らしが割とオーストラリア・カードと似通ってるという事にも気付きました。
自立と覚醒の要素では同じかもしれないですね。
寧ろ段階を踏むのであれば一人暮らしの方が先決だというのも理解出来ました。

オーストラリア・カードで最大限の効力を得る為に焦らずじっくりと考えたいと思います。
そして、自分を幸せに導く戦術を何とか練り上げられるよう努力します。

重ねてお礼を申し上げます。
有難う御座いました。

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