以降は全て説明済みです。
過去ログに書いてあります。
会話と違って、何度も確認できるようにメールカウンセリングがあるのであって、それを見越しているから『出入り禁止』措置による依存フラグの抑止も可能なんです。
■何度も言いますが、過去ログに書いてある同じことを何度も繰り返し「聞くからいけない」のです。
その都度(本来はわからないのではなく脳内で感知される不快を自我が「わからない・納得いかない」と知覚している→本来的意味は『誤解』)、聞いてしまえば「わからない」という認知を追認してしまうことになり逆効果(自意識共犯)なんですってば。
本来はわからないのでは無いからです(事実答えは過去ログに書いてありそれをあなたは所有しているのですから)、言うならば「辞書持っているのにいちいち英単語の意味を質問する人」のようになってしまっている。
(しかもその辞書を今質問している人から貰っているのに)
<ひとつ新しく追加的事項あるので補足します>
>・相手の気持ちに立って考えても(自分の感覚が周囲と違いすぎて)わからない。
超能力者じゃないだから、相手の気持ちがほんとうにわかるだとか、空気を本当に読めるだとかそんな現象は「存在しません」。
第一誰しも自分の気持ちすらはっきりとわからないのですから。
(更に『共同幻想』適応者であれば尚更「自分の気持ち」をはっきりとわからない人達になります←自我にリミッターかかっているから。)
■相手の気持ちがわかるうんぬんにあなたが執拗に拘るのは、
(前ログの過剰な期待参照)
▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
↑
これが潜在意識で反動化し「人の気持ちがどうしもわからない」というロジックになるんです。
(逆に言うと「自分の気持ちをこんなにも周囲なり相手なりがわかるまで自分では到底納得いかない」という「旧強迫心理ネタ」があるため→自分が潜在的に相手にそう要求しているため、自分も同じようにわかる筈だ的な妄想に繋がり→事実他人の気持ちなんかわかる筈も無いので延々と「わからない」ストレスが蓄積している。)
極論すると誰しもが「相手の気持ちなんかわかりっこない」的前提で生きてます。
(『共同幻想』の場合相手の気持ちを考えるのではなく「普通・常識・人間はそれをどう思うか」的な集約があるので、相手の顔色をうかがうのではなく常に『共同幻想』的にどうかでまず判断している。)
『単独者』においてベースとなるのは「自分ならどうするのか」に尽きるので、常にその評判は個性派だとかB型人間だとか我が道を行くだとか空気も読まず独断専行な人と周囲に評されて本物です。
『共同幻想』や『単独者』が処世術的に何をしているのかと言えば、
▲「基本自分より他者を優先している」です。
「自分の事はひとまず置いて置いて」という認識です。
つまりやれ自分がわからないだとか、そういうゴチャゴチャした事を「言わないで」、そんな事より自分以外の他人などの方が”見掛け上大事だと”振る舞うから(←この時点で「強迫心理」フラグをバカいってんじゃネーぞ的にノリ突っ込みで鎮圧できる)。
↑
意味わかりますか?何も親切でそうしているのではありません。
ノリ突っ込み切りで、くだらねーこと考える自分を鎮圧し「現実に対する集中力」を発現させるのが狙いです。
たとえば餓えた捕食獣が「ようやく見つけた獲物を前にして」いざ攻撃という時に「腹減ったな」とかくっだらない自分の事がやれどーしただ言ってたら狩りへの集中力が欠如して、せっかくの獲物を逃がしてしまうだけだからです。
このように生き物は重要な局面になればなるほど「自分の気持ちがどうだこうだ」など最低ランクのくっだらネー部分を切って捨てるから現実に適応できるんです。
(所詮それは自己愛でしかありませんから、腹減ったと言えばどこから食い物が出てくるワケではない。←しかし依存フラグで「何か出てくるかもしれないと期待があれば?」)
ですから「人の気持ちなんか誰にもわかりませんし、ましてやあなたの気持ちなど誰もわかるワケ無くわかりたくもないのです。」←これ人類ヒト科全般にそうだって事です。
誰にも相手の気持ちはわからないし、自分の気持ちなどプライバシーであり人からわかられるような代物ではありません。
▲確かに濃密な人間関係であるとか、ゲームの理論的に「どういう(気持ちではなく)”考えなんだろうね”」という”読み”とかは別にありますが(これを”気持ち”と要約する場合もありますが)、これは極めて『自意識マター』的論理であり「勝負における賭けと同じ」ような類のものです。
注:繰り返しますがそもそも「自分の気持ち」などわからない人が大半なのですから、この読みっていうのは「相手自信にも気が付いていない弱点」などへの”読み”のようなものです。
なので、
「いやはや人の気持ちなんてわからないもんだよな」
この台詞が日常生活全般で頻繁に聞かれる台詞になるんです。
(誰しもがそう思っているからですよ。)
極論「わからなくてもいいこと」だからです。
自分にあてはめた想定でともかく動いてみて、違ったら「謝る」終わりです。
(そもそも仮に『単独者』であれば、他人の気持ちなど無視して突撃する人種でなければなりませんしね。)
そんな事をいちいち気にしている事自体が問題であり、
「これは強迫ネタだと切るべきポイント」であり「質問したらダメだろ」って事です。
↑
■だから悪循環化するので「出入り禁止」にしているんです。
質問できないように。
そんな事を聞く方が間違いだからです。
■そして空気読む系の部分や、人の言った事を聞き取れないなど
これは「集中力云々」「くっだらないこと考えているから(強迫切りをしろと)」的部分など以前から説明済みです。
(テンパるだとか集中力欠落におけるメンタル的仮想知的薄弱などの問題も過去に説明済みです)
強迫切りできていないからです。
んな事でぐちゃぐちゃ言い続けるなってのが答えで、
そもそも少し前のレスで『単独者』系考えてますって人なんですよ?
基本日常生活『単独行動』の当事者にそんな事関係無いでしょ。
(余計な人間関係を極力避ければいいだけ、リハビリ中は「俺人間嫌いだから」とかの話を前提に動いても”お題目的にアリ”ですよ。)
何度も言いますが、
常にあなたは何百回と繰り返してきてますが、
>明日から相手のことが察知できるようになりました、になるわけじゃなく
(「努力は無駄論」で延々同じ話蒸し返しましたが)
突然それができる人間になる。だとか、みんなはそれが努力も無く容易にできているだとか、
この辺の「有り得ない想定」こそが致命的だと言ってるんです。
今回の話にあるように、他の人同士は「相手の気持ちがわかっている」だとかそんな話はどこの世界にもありません。
(だから思いやりだとかってのは常に”賭け”だから、気持ち半分常に間違ったら謝る覚悟でやるもんです。)
重要なのは「やれ自分のことがどーだあーだとくっだらない内向思考が止まらず(強迫切りできず)外向思考に自我が向かっていかない(集中力の欠如として発現)」←ここに尽きるんです。
その自分の観察力のパフォーマンス(集中力全開想定)これが全てです。
仮にそこが能力的にアレだとしても、
その場合は「あの人なりの精一杯」というジャンルになり、なんら問題になりません。
わかりませんか?
■どうして「森に人類ヒト科自分ひとり」で考えないんですか?
集中力・現実への外向思考(内向の反対)。
これは何かと言えば、
森の中で今日の食い物を探す集中力です。
この時腹減っただのやれ自分がどうだのごちゃごちゃした事考えて意味在りますか?
いわんや、自分以外誰もいないのだから他人の気持ちなんて問題はそもそも存在しません。
↑
ベーシックに言えばそこから考えないと始まらないって事です。
繰り返しますが、
今回新規追加事項として説明した深層心理。
>>▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
↑
これをグズグズ今だに引き摺っているって事ですよ。
だから「わかってもらえるまで(強迫心理が満足するまで)これを延々に繰り返そうとする」、
しかもそのわかってもらおうネタは「強迫心理」という妄想です。
(実のところわかってもらうと思っている自分の気持ちなどという実体も存在しない。親子関係におけるドロドロした期待値のなれの果てのような”不快認知”があるだけなんです。←幼児特有の親の誇大認知に始まる現実との乖離。)
質問を続ければ続けるほど、その”切るべき心理”を助長するだけです。
ですから、
■「出入り禁止なんですから、以降投稿は自動的に削除します。」
こういうことを聞くからいかんのです。