Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  OTD過去ログ 過去ログ(分類別)  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。

■運営趣旨『ログ閲覧の公共性』から”編集目的以外の記事削除”は原則禁止(レスのついた親記事(スレッド)は削除できない仕様です)
■2012年7月をもって「掲示板上での新規相談受付を停止します」これに合わせて有料相談に「簡易相談」コースを設置
■投稿機能は(停止措置時を除き)制限しておりませんので「簡単な質問等は今後も利用可能」です(管理人投稿【79】参照)
■当サイト運営趣旨に反する連続投稿等がある場合心理学的判断から一定期間投稿機能が停止されます(管理人投稿【123】参照)
”現在投稿規制中”
■【参考】過去ログ/ブログテキストなど体系的に閲覧したい場合「民間有志作成のミラーサイト」もあります


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【101】仕事のことで 以前相談を受けてた者です 2013/06/05 18:16

【105】Re:仕事のことで kagewariこの掲示板の管理人です 2013/06/10 07:03
【106】自分にけりをつけるために 以前相談を受けてた 2013/06/28 18:58
【107】Re:自分にけりをつけるために 以前投稿してた者 2013/06/28 22:22
【108】Re:自分にけりをつけるためにとその続き分 kagewariこの掲示板の管理人です 2013/06/29 00:21
【109】自分で進んでいくための完全な断ち切り方と現実の見据え方 以前投降した者 2013/07/01 16:05
【110】Re:自分で進んでいくための完全な断ち切り方と現実の見据え方(■次回から削除しま... kagewariこの掲示板の管理人です 2013/07/02 03:04
【111】補足(■次回から削除します) kagewariこの掲示板の管理人です 2013/07/15 09:50
【112】Re:補足(■次回から削除します) 以前投稿してた者 2013/08/09 00:58
【113】Re:ですから削除します kagewariこの掲示板の管理人です 2013/08/09 22:04
【114】わかりますが 以前投稿した者 2013/08/10 14:55
【115】Re:全て説明済みです(ですから削除します) kagewariこの掲示板の管理人です 2013/08/10 20:08
【116】ありがとうございました 以前投稿した者 2013/08/12 18:01
【117】Re:そこも説明済みです(削除します) kagewariこの掲示板の管理人です 2013/08/12 18:11

【105】Re:仕事のことで  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/06/10 07:03 -

最初に申しあげておきますが(詳しくは以降記載内容読んでいただくとして)現在公開掲示板は新規の相談を停止しています、これはここを閲覧等で利用している人全てが守っている事で例外はありません(個別各論では無く一般論としての質問のみ受け付けているものです)。
仮にこの状態が続くのであれば掲示板の新規書込み機能含めた同サイトにおける掲示板機能そのものを検討せざるを得ません。
■現状の運営は紳士協定として上記規約が遵守されることで継続されているものです。
■■■以後レスが続くようであれば投稿は即時削除されるものとご理解ください。■■■
(理由に関してはご存じと思いますが守秘義務に関わる事ですのでこの場では詳細記載できません)


全て以下記載は過去ログで返信済みの内容であり(返信済み内容をどうして無視して新規の質問ロジックとなるのか理解できませんが)、『公開掲示板』の運用趣旨(自由にログの閲覧ができる社会性)を保持するため(守秘義務に抵触するため理由の詳細はここに記載できませんが)他閲覧者の方が何の話が書かれているのかわからないでは意味がありませんから、返信済みのログを重複の形になりますが以降記載します。
基本はココです
     ↓
>>「品を変えたからって『蒸し返し話』が可になる訳ではありません。」

■心理学により確認乃至発見された大きな要素は(言い替えれば「構造的に自主解決しない」メンタル問題が派生する理由)、「無意識下で構造的に起きているロジックなりを、ここも構造的に自意識が認知できない、或いは感じられてもどういう現象なのか自分では(無意識下のことなので)理解が及ばない」という背景があるためで、
所謂”ネタバレ”として心理学的にその現象がバックグラウンド含めた説明(ここの過程が分析)を受けることで、以降「自意識マターとして自覚できるようになる」というものです。
=自己確認可能となる。
(「強迫心理」そのものは常人であれば誰しもが抱える現象であり、それがメンタル問題化するか否かの差異は「自覚的にそれを認知・理解できるか」の差異によるもです。)

■学問としての心理学は個別の分析事例の方では無く、「そうなるプロセス」を人類の進化の過程から裏付けする民俗学や生物学や動物行動学から社会学や言語学などの総体のようなものであり(専らそれらの学問なりにおける「人類ヒト科の自我形成」に関わる点に特化して体系化されている)、言うならば心理学というものが現代社会において確立している点においてその論証なりがプルーフされていることになります。
(分析等の根拠は既に社会的にも論理的にも証明されている。)

■心理学がカウンセリングなどで”利用できる”部分というのは前述の常人であれば誰にでもある「強迫心理」などの心理的プロセスと同様に「自覚できる状態」に”ネタバレ”させる事であり(自意識マター案件化する)、
そもそも心理学などを利用しようという動機が確かであれば、
そのレポート(投資分析であるとか中小企業診断などの答申と同様です)を利用する意図があって、依頼するワケですから、以降は(特に当サイトは全てテキストDATAが残る事になりますので)その答申を用いて(更にその都度その過程で理解が及んでいる進捗なりに応じて答申は出されていますから)、常人が誰しも「必要に応じてダメ出しすれば消える”強迫心理”」という目的にその答申を利用すればいい形式になってます。
(「強迫心理」はどんな強迫心理でも「俺は何言ってんだろ」「またはじまったバカじゃねーのか俺は」「出た出たいつもの○○」のように”ノリつっこみ”的にダメ出しすることで効力を失います。→漠然としたダメ出しもあります「なんか違うような気がする」「それって違うくないか」「別のことなんじゃなかろうか」などなどこれは常人であれば誰にでもごく普通にある独り言です。←『自意識マター』が自分の自我内の「強迫心理」などと潰してみたり一理あると解釈してみたり否定してみたり懐柔してみたり折り合いつけていく場面。)
注:ですから心理学における相談は(特にテキストDATAがログとして残る等サイトの場合)、必ず一定範囲を超えれば『終了』します。
(心理学のサイトからが過干渉してたら洒落になりませんから。)


■更に心理学は宗教でも占いでもありませんので、意図的に「こうあるべき」のような余談が一切存在しません(”どうでもいい”という第三者中立性)。
(※カウンセリング過程などの『カウンター表現』を除く)
「その後どうするのかは(答申の利用の仕方や目的含めて)自分で決める事」であり、勿論メンタル問題なりの解決についても「そこから先は自分でも難しいのでストップしたい」という意志があってもいいのであり(歩留り的選択)、
そもそもメンタル問題があろうがなかろうが人の価値は同じですので(ここに関しても心理学は中立)、
あくまでも依頼の『動機確認』を基本としてます。
(※心理学は新興宗教やナントカセミナーじゃありませんので、)
「心理的な問題があるので○○したい」という動機があるのであれば『使えば?』ってだけです。
別段積極的にお勧めしているつもつもありません。
勿論心理学はメンタル問題専業なので「心理的な問題」は全て根拠と事実関係を交えて説明可能です。


■「既に立証済み、或いは鉄板で説明済み、またはコメント求められた心理学的解釈の説明」これらに反論されてもどうにもなりません。
(心理学的説明が変わる事は一切無いですし、そもそも反論の論拠は破綻だらけで当初心理学的説明が鉄板であるのも確認済みの案件ですから。)
行為それ自体が『メンタル問題をなんとかしたいなりの本人の相談動機』を毀損することになります。
既に利用目的が、自意識マター案件になっている「強迫心理」なりの”折り合い”プロセスを延々と反論の形に認識することで「逆に助長してしまう」←「強迫心理」お得意の180度逆さまロジックで相談意図までが逆さまになってしまします。
既に心理学的説明で(ネタバレ)あからさまになってしまった事項を、自意識マター案件とせずに反論しておけば「強迫心理」を温存可能になっちゃいますので、
「100回反論してその都度コテンパンに逆論証されている事項を全くの新ネタ無しに(過去ログの無視)、蒸し返す行為」は、「相談の依頼という動機」が崩壊している事を意味している。
(※典型例が「どこの馬の骨だか知らないが”誰かがこう言ってます”話」を根拠とする反論。←反論ネタ切れの証明でもある。)


■何度も申し上げますが「答申過去ログをどう使おうが自由」ですが、
その過去ログで「強迫心理」の執行に不都合出てきて(そりゃ心理学的答申ですから不都合でますよ、しかもそれが知りたくて当人相談質問しているんですから)、これはマズイと(或いは理解できない的な反発)次から次と反論してたら「それは心理学サイトにおける行動ですか?」。
(反論事象を更に分析すれば無意識に「強迫心理の温存目的」となっていることを明白に論証して、考えるも何も「相談して答申に反論する事そのものが決定的過ぎる論理矛盾」であることなども説明済みですから。)
 ↑
ココも事前に(予測できますので)織り込んで、
○○の話はもう結論が出ているので「同じ話を蒸し返して『反論化』してしまうことを避けてください」と更に上位認知レベル(自我における管理者権限的な意味で)に再三の注意もしてきたところです。
(勿論それらの事項が鉄板で論証済みであることを確認の後に、)
「○○案件は完全終了しているので過去ログ読め状態であり蒸し返し禁止」などの確認。


結果として行為そのものが「強迫心理時代に戻りたい、過去の内向性自己愛代謝状態を回復したい」という形になっていれば(この点も再三説明してきました)、
それは続ければ続けるほど逆効果であり、
(権威者との依存的関係のようなものに限りなく近い)
心理学サイトとして当該状況も予見できるので、サイト運営者として「場合に応じて出入り禁止もあり得る」と言明しているものです。
(※これは相談当初のクライアントの依頼動機を遵守しているからです)


<で、今回の各論ですが>
何度も言ってきたことですが、
リハビリ過程は『仮想反抗期』なので「所謂『共同幻想』系道徳認知の禁止」と、
(そもそも『宗教と教義(ドグマ)』のように『共同幻想と道徳』は同じことで、『共同幻想』適応選択してない状態の自我には道徳を語る権限がありません。更に言えば勿論「○○なものですよね」的な”所謂『共同幻想』的道徳や常識”という意味では無く「何故そうなのか」を検証した”道徳哲学”は誰でも使用可能ですが(思春期反抗期によく出る台詞「自分の言葉で話してくれ」)、これは個人の考えとして述べるもので「○○なものですよね」のような”所謂『共同幻想』的道徳や常識”は『共同幻想適応人格』の合理化された”やっつけ道徳”であって、これを反抗期や仮想反抗期状態の自我が「自ら進んで利用するのは論理矛盾」である。)
 ↓
>ただ仕事がこなせなくて生活保護を受けてる単独者や共同幻想適応者なんていないですよね。
 ↑
これは何学派のどういう考えで、
それをあなたはどういう趣旨で理解して「自分の考え」として(その前文に)反論しているんですか?
違いますよね、
『共同幻想適応人格』を選択したワケでもないのに、所謂『共同幻想』が得意とする(広くその効力を周知させるため)”やっつけ道徳”として「○○なものですよね」の表現使ってますが、
メンタル問題なりを抱えてる自我がこの道徳的認知使うと=即時に「強迫心理」となるので、止めるようにと再三説明してますが、どうして無視するんですか?
(これで何回目でしょうか、200回目ぐらいですか?)

そのくせ100%間違っているときているので、、、
(「ゲッ分析レポートに頻繁に書かれていた道徳的認知禁止出てんじゃん」をスルーしているだけでなく、そのどこから聞いてきたのか根拠も無い「いかにもな保守系共同幻想やっつけ道徳」を少しも「これでいいのか」とか考える余地すら無いといのはどういう事ですか。←「やる気あんの?」と誰もが思うでしょう。)

あのね、
『単独者』と『共同幻想』ってのは、
生業で言えば『フリーランス』か『サラリーマン』かのような差異の事で、
(就職時など誰しもがこれ大前提で選ぶでしょうに、)
「魚屋さんもサラリーマンも仕事頑張っている人もいるだろうけども、怠けるのが大好きな人だっています。」
自らのアイデェンティティーとして(個人の私利私欲がそうなんだから)頑張りたくして仕方がないのがデフォでしょと言っているんです。
個人の私利私欲が「お寺の賢い坊さん」みたいにワイズマンな人なら「あんまり頑張らないでしょうね」となる(頑張る場所が違う)。
努力の話は、動物にとって生存競争には=性的とも言える普遍的欲求がリンクしており(特に人類の進化は特異で性欲を潜在的モチベーション化するような過剰要因からんでいるので)、「個として自分の利益を認知する大人化」において「私利私欲」の追求は原則としてデフォルトだと言っているんです。
選んだ道なりで利益と追及するのが私利私欲なんだから、これが更に利益幅がデカくなる手法(努力)を”喜んでやらない奴はいない”と言っているんです。
(憧れのプロ野球選手になって練習サボるとか、意味わからないという意味。)
「俺の趣味は車です」な人は日夜雑誌やwebで改造の事だとか飽きもせず調べまくりますし、場合によっては莫大な資金投入して自分の車を改造しようとしたりします(努力)。
普通の現象ですよね。
(努力により私利私欲が拡大すんだから。)

しかし事進路や仕事選びは個人的趣味と違って好きに選べません、
(「僕も立派な社会人に」みたいに『共同幻想』に宣誓したのであれば、サラリーマンでありさえすれば日夜頑張るって事になりますが、)
▲たとえば残念レベル1「憧れの野球部だが自分が一生補欠だとわかっている場合」
これでも「面白く無い」と練習サボるやついたら?
「何しにきたんか?」と誰もが思いますよね。
(自分で志願して入部してんのに、)
大規模な野球部(大手の社員数そこそのいる組織)などというスケールにもなれば、レギュラー(主要社員)となるのは「ほんの何文の1の確率ですが」、野球部における補欠上等!のように日々の練習に手抜きするとかありません。
(手抜きして損(努力する快感を捨てる)するのは自分なので、手抜きする奴は動機を疑われる。)
放っておいても努力するのが(私利私欲だから)デフォルトになるって事です。
▲たとえば残念レベル2「○○に強引に勧誘されて思わぬ部活に入った」
(前述で言えば動機を疑われる状態ですから、勿論聞かれた時に「○○に強引に脅迫的につれてて嫌々きちゃったんですよ」と答えれば一同納得。←その代り「お前に自分の意思は無いのか」と別次元の事を疑われます、そこで「いやー子供時代に決して口にはできない○○の秘密を握られていて」など明快な理由があれば「俺が一肌脱いでやろう」なんて人物も出てくるかもしれません。)
前述で言えば「入部動機を疑われる状況」ですね。
この場合の私利私欲は何ですか?「怠ける」です。
「いかに練習とか適当にやるか」←ここに”努力”するんですよ。
(それが私利私欲ですから)

ですから再三私は、
「その動機は何ですか」と確認しています。
仮に「自意識マターとして本気です」という事なら一心不乱に努力して普通(それが私利私欲なんだから)でしょと、
そこで悪態ついてたら自動的に「動機を疑われますが」と言っているんです。
「違うんじゃないの?」と、
(それは「社会適応なりが殊更価値があるみたいな妄想(一般人はみな強烈な幸福を謳歌しているという妄想を根拠に)強迫心理的に自分の考えだと思い込んでいるだけじゃないのですか?」と。←「それは「強迫心理」でしょう」と再三説明してます。)

>やはり食べていくための手段は自分で稼いでますよね。
あのね、自分の稼ぎが明快な仕事なんてのは、
風俗嬢、農林水産業、運送業、製造業、ぐらいのもんで(それにしても他業種にその可処分所得を依存している)、
前段の「野球部(ある程度の社員数のいる組織)ともなればその大半が補欠」と同様に、
社会において確実に自分で給料分稼いでいる奴なんてのは(その実感含めて)”僅か”です。
カルロスゴーンは高給取りですが、
彼が原始時代にたったひとりでタイムスリップしたとして、そこでもゴーンは同じだけ稼ぐのかって全然違う訳だ。
更に公務員のかなりの数は「タダ飯食い」でこれは生活保護どころか(あなたの仕様している保守系”やっつけ道徳”そのまま言えば犯罪者)、行政改革の対象なワケです。
「白アリ」と呼ばれる特殊法人がまた膨大にいる。
そして大学教授、
ご存じのとおり政府の援助無しに大学経営なんて成り立ちません。彼らはそれに見合った稼ぎをしているのではなく(社会的権威を利用して)間接的に生活保護の何倍も生活保護をせしめているのに等しい事になります。
(※というか国会で○○職の人には生活保護の何倍もの生活保護を給与という形で保証することに社会的合理性があると決議されているからですが、個別の教授の判断なんかやってません。業界丸投げです。社会的貢献度なんて発揮している教授が何人いるのやら「野球部におけるレギュラーは何人以下」の比率でしょう。)

そもそもが、経済ってのは「タダの紙切れ」を信用創造でデッチ上げて、回している半分詐欺のような代物で(金の延べ棒使った400mリレーを昨日の二倍の速度で走ると金が二倍になったと等価だみたいな学問です)、いくら給与をもらっているから自分で稼いだとかそういうレベルじゃないんです。
「生活保護の所得よりもっと大きな所得が欲しいから生活保護を貰わないだけ」です。
(年金受給者なんてもの間接的には制度上・会計上生活保護と同じです。)
事ほど左様に、政治の舞台では社会の給与分布を「稼ぎ」では無く「分配」と呼んでいるのは、特に先進国の場合(その詐欺的経営に成功しているので)「後は誰にどういう根拠でばら撒けばいいのか」と考えているワケで、
その原資となる国民総所得を各自が自分で稼いでいるなんて仕組みじゃありません。

それからサラリーマンの稼ぎなんてものは大雑把に言えば「金儲けがしたい経営者の片棒かついでいるだけ」であり、どっかの誰かの金儲けに一枚かんでいる(或いは奉仕精神豊かな労働者として服従している)ってことで、おおよそ(それこそ仮に保守系『道徳』の”やっつけ”では無い方の”道徳哲学”から言えば)「みっともない醜態(彼らはこれを”拝金主義”と言います)」です。
※ライブドアの堀江をやれ冤罪でもなんでもいいからぶち込めと言ってたのが「共同幻想保守派」


▲それからあなたは堂々と
>ただ仕事がこなせなくて生活保護を受けてる単独者や共同幻想適応者なんていないですよね。やはり食べていくための手段は自分で稼いでますよね。
こうコメントされてますが、
(そもそも心理的問題があって、その影響もあっての現状であることを理解していて←必要があればいつでも診断書も貰える状況で、)
「ただ仕事がこなせなくて」ってこれは何ですか?
あなたは2chのネトウヨですか?
何が面白くて、自分の権利侵害・尊厳の毀損をするのかその目的がわかりませんが(てか100%「強迫心理」に都合がいいからなワケですが)、
直接的な表現では無いけれど、これ心理的問題で生活保護を申請している人達全体を侮辱する発言になっている事に気が付かないんでしょうか?

>(仕事がこなせないからやむ得ず)生活保護なんてあるんでしょうか?
こんな事一言も言ってませんし(明快に理由を明示してます)、
現象として、「それは強迫心理ですね」と(某就職先への就職動機の時から)説明してますが。
『共同幻想』用語のぶっちゃけ表現で言えば「病気だからできない」ですよ。
(それについての心理学的アプローチも説明済みですし(その中に「無理をして働かない」も含まれているだけでなく、非常に初期の頃からのソフトランディングの経過措置としてリハビリ過程の選択肢にそれがあり得る事を説明してます)、前述被りますがそもそも「失敗ネタと「道徳的述懐(ガチ強迫心理)」のセットが、深層心理方角から見れば「自作自演」にもなり兼ねない事、更に鬱病が一般社会においても労災の対象となるばかりでなく、どこの学派でもこの件については「まず休みましょう、でできれば辞職も考えましょう」になりますね話も何百回しました?)

>仕事ができなければ周りから叩かれてしまいますよね。
なんで被害話になってんだよ!!!!
その動機が確かなら「憧れの野球部に入ったがやっぱ補欠か状態部員」と同じだろーが!
(厳しい野球部の練習は”嬉しい事”だろーーが!)
そうなってないのなら”脳内ロジック”でおかしな事が起きている事になるので、
分析すれば、それは、
 ↓
だーかーらー
被害話になっている事(嬉しい事が真逆に、180度逆さまになっている)そのものが、
「動機が疑わしい」→「そもそも就職動機というか企画そのもののバックに「強迫心理」が介在してますね」となるでしょうと何回説明しました?300回ですか?

仮にそれが地域性なり自分なりの”しのぎ”の感覚として、
前段説明の『残念レベル2「○○に強引に勧誘されて思わぬ部活に入った」』
上記の○○が「無意識下の「強迫心理」へダメ出し失敗で強引に思わぬ『共同幻想』組織への参加があたかも○○に認められる快感であるかのように(=妄想)、執着として現れやってしまった入社」なのだとすれば、
「怠ける(或いは雑用シフト)」のが私利私欲であり努力でしょうに。
(ですから「今となっては就職動機の失敗を蒸し返してもどうにもならんので、状況判断なりとして上司に”かくかくしかじかメンタル問題があり”可能であれば雑用シフトを希望するべきだ」とも返信しましたが、その時あなたは「雑用は御免だ」「努力は無駄だ」「メモを取る事に意味は無い」と馬鹿にするな的な返信をされており←この現象も延々説明してます。事実今回の質問原稿の中で過去ログ利用して判断変わっているとこあるじゃないですか。)
しかし、あなたは再三「○○ができるようになるにはどうしたらいいのか」話が延々に続き、
バックグラウンドに強迫心理の介在があることを再三説明しましたが”違う”とお答えになり(てか全文引用状態の反論が無限に続き)、
私はクライアントの発言をまずその時は書いてあるまま認識しないことには始まらないので、→「あなたは嘘をつていますね」じゃ心理学にならないですから、探偵じゃないので。
延々とその動機確認が続き、
▲その甲斐もあってか”ある程度には「○○動機で下手踏んだ」事はあなたも当時納得済みの確定事項”です。
(即戦力話などなど、)

そして発生する各仕事上の問題(や失敗)に、いかに「メンタル的要素」が関係しているのか具体的に説明し、
何度も言うように「説明済みの強迫心理の過去ログ一覧をあなたの自意識マターがスルーされたんじゃ意味が無い」と反論の禁止を何度も念押ししてますが、
これが止まるどころか(明らかにサイト利用を「強迫心理」保守に利用する目的化している状況)迷惑行為同様状態に達したところで、
(守秘義務があるので具体的な事は記載できませんが)
一定の措置に至ったのが結末です。

(※今回の返信にあるように話はグル―っと回って「強迫心理」に都合のいい展開となっており、そもそもの就職動機そのものからがおかしい点が多数あると、再三あなたが過去質問されててきた”根本的なところ”を何回も何百回も説明してきてます。前述の野球部のたとえのように、自身の行為としてどちらが「自意識マター」として『抗(あらがう)』系になるのかは、行動として真逆になることもあるワケで、冒頭の動機部分の心理学的説明をあっさり反論形式で否定されたら、各論ガタガタになるというか、相談した答申に反論するという論理矛盾が続けばそりゃそうなりますよ。前提ひっくり返しちゃうんだから、以降説明を読んでも矛盾するように感じる事に成功してしまう。)


■繰り返しますが、
「自意識マターとしてそれをどう使うのか?」これを心理学は何も示唆しません。
(宗教じゃありませんので、)
答申を捨てるのもあなたの自由です。
「強迫心理も自分の一部である」と考えメンタル問題との”関係性”を歩留り的選択に留めるのも自由です。

しーかーしー
動機を曖昧なままにして「強迫心理の自作自演状態」になるのであれば、別問題でしょう。
(確信犯的選択にならないので「自己責任を担保できず」、自意識が当事者権限を喪失してしまうため、)
かと言って、それを状況判断として説明する事はできますが、
その時点で「相談動機が変質」しているのであれば、
依頼も無いとこに心理学系の人間が出しゃばっておじゃまします状態になるので(今度は第三者性が担保できない)、「相談自体が(動機不成立で)失効扱いになります」よと、
その後の経緯は以下のとおりで、
(守秘義務があるのでここでは説明できません。)
一定の措置となってます。

そして今回のこの原稿も一から十まで既に説明済みの事項であり、
@@@全部過去ログに書いてあります。@@@

>こっちが慎重にやっていてもそうなってしまう場合はどうしたらいいのか、お手上げです
錯誤行為は強迫心理の介在なり(成果への過剰固執)、バックグラウンドで動いている強迫心理をストップさせていない(ダメ出し放棄)などなどの事後的に起きる過緊張(テンパり)、或いは同様状況における「自意識の後退(思考停止)」などで発生する行為だと何回説明しましたか。
そして「ここのところの強迫心理が」と説明する度に、
説明に反論されてたらワケ無いですよ。
「自分にはメンタルの問題など全く無いのにこれはどういうことですか!」と言っているのと同然で、心理学のサイトがその状況を「相談動機が明快だ」と考えますか?
(人生相談サイトじゃないんだから、)

繰り返しますが、
相談当初の状況から(守秘義務があるので具体的な事は記載できませんが)、驚くべき○○を遂げて、あなたの”努力”の甲斐もあり順調に○○○○な状況にいたり、
精神分析過程はほぼ狙いを完結し(根本的な構造要因の崩壊)、
後は「自意識マターですんで」と(ぶっちゃけ好きにその後の選択をすればいい)、
補足でリハビリ過程の相談もありましたが、
リスク要因の説明を無視して、○○動機は本当だ的にそっち方面に行き、
その段階で(ダイエットにおけるリバウンド現象なども交えて)「反動出てますね」と、
しかし常に本人の動機確認してナンボの世界なので、
(心理学が宗教じゃありませんので、)
クライアントの意思を尊重し、
こちらの判断として「依頼内容の確認の点でお引き受けで無い場合がある」部分に”何は何”したので、反論効果による悪循環化をストップさせるため(心理学のサイトなんですから誰よりもそこに予測なりできるワケで)一定の措置になってます。
過去ログを利用しようと思えばいつでも利用できるのがこのサイトの最強のポイントなので、新規に返信する内容が無いところまで説明尽くされている事が、当初依頼への担保になっており、後は本人の自由意思です。

>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合でもですか?
あったり前でしょーーが!
どういう理由で映画『フルメタルジャケット』推薦したと思ってるんですか。
ハートマン軍曹は紳士でしたか?個人的侮辱をしませんでしたか?
これに兵士はなんと答えるのがルールですか?
単独者系の野村監督ですら、外見や身体的特徴及び技能を揶揄します。
理由は簡単です、
「そんな事は(社会に出る=出家同然なんだから)とっくに捨てているな」の確認です。
『共同幻想』の兵士を鍛えているんですよ。
猛烈野球部の話にたとえれば「お前野球のためなら親も殺す覚悟できたか」の動機を確認してんですよ。
「お前何しにきたんだ」と、
(特に軍部の場合その動機が”アレ”だったりすれば他の兵士が死にます。野球部で言えば地区大会で敗退するんですよ?個人の人権?ハードな『共同幻想』がんなもの尊重するワケが無いでしょう。『共同幻想』こそが最優先の権威なんですから。)
野村が個人の外見や云々を揶揄するのも似たような話です。
「んな事指摘されていちいち気にするような奴は(もうその時点で動機アウツ)辞めちまえ」って事です。
「やる気あんのか(志望動機は確かか)」を確認してんです。
(或いは『共同幻想』なり『単独者』がしのぎを削るプロ野球界(野村の場合『個が抗(あらがう)対象』)なんぞで何が面白いのかやろうって奴がどんだけの覚悟が必要かを懇切丁寧に説明差し上げているって事です。)

あのね、社会ってのは(動物行動学的に言えば「哺乳類がしのぎを削る縄張り争い」)、小学校じゃないんだから、
各人が個人の私利私欲のため互いに殺し合いする場ですよ?
(『共同幻想』は自由市場自由競争なんて言ってますが)
だから法治国家と言いまして、権力の側が銃で武装してその治安を維持しているんです。
(逆に言えば放置すれば殺し合い始まる事が「あったり前」だからです。)

なので達見した坊さんなんかは「言うなら仕事もせずに」口を糊する事で足りるような、チベットあたりじゃ坊さんの経済活動は禁止なんであって、全部托鉢で食わなくちゃいけない。=生活保護とどこが違うんです。偉い人は働くなんざ私利私欲で穢れる事をよしとしない人だと言っているんです。
(欧米原始宗教共通の原書にあたる旧約的伝承からしても「労働」ってのは神様の刑罰であって、罪人に課せられた罰なんであって、立派な人は働かなくてもいい人という事になっており、米国系のアメリカンドリームの発想の背景には、某宗教改革派の「大成功して富豪になり労働から解放されることを神は祝福する(贖罪した)」みたいなアイデアが関係しているんです。←この辺も全部説明済みです。)

■日本の現代社会の前衛サブカルにあたる2chなどのニート論壇から
「働いたら負けだと思っている」
「自宅警備員」
などの哲学的とも言える格言生まれてますが、
(平成初期には「ダメ連」というのが杉並にいて、「ダメ人間の追求」を哲学的運動化し展開した時代もあります。)
後期先進国だから気が付く着眼に他なりません。


>仕事で足を引っぱったり、ミスを連発する本人に全て問題があり、言った周囲に腹を立てたり、言い返す権利はないということですよね。
だーかーらー動機によると言ってるんです。
「もうね強迫心理のダメ出しに失敗して、やってしまった的にこうなってしまってます。本当は嫌々なんです。何か無理やりでも社会適応しないと○○○みたいな抽象概念で頭がパンクしそうなというか、実は病気なんです。」
 ↑
こう言い返せば?
「あらそうだったの、そういう事なら無理しないで休職なり辞表書いたら?」と彼ら言いますよ。
ミスを指摘したり、やんやんや悪口言うってのは、
「やる気あります、野球部命です」という初期の動機を『彼らが信じている』からで、
(ハートマン軍曹のような態度が痛快かつあれは親切だとな的に思うケースも多数あるんですから。←すっかり以降の軍事教練ネタに多大な影響を与えた。)

しかし、
「一生懸命やっているのに(彼らの目には「動機が違うくない?」とバレているのに)、これはイジメです、不当な扱いでアンタたちは最低の人間だ」
こう言い返せば?
周囲は(こちとら命がけでやってんだボケと)全員冗談じゃないぞぶち殺されたいのかと”切れる”でしょう。
(状況わかりやすくして極論すれば、)

だーかーらー言っているんです。
>>あたかも強迫心理構造時代の『家幻想』における「こうにきまっている、普通はこうだ」みたいな前提話の”出方”と脳内回路の構成は同じ事になってしまっている部分に気が付いていない。

家人相手に○○○(守秘義務があるので詳細は記載できません)な時の○○感情の発言動機と思考回路や出方が同じになっている。
「言い返す」という言葉の意味やバックグラウンドの解釈ルートが同じになっている。

だから無理に『共同幻想』職場を選択すれば(『共同幻想』は『家幻想』の上位階級なんだから)、投影なり再現なりの(言えばフラッシュバック的な)「強迫心理舞台の再現」にもなり兼ねないので(自意識マター確立を自分なりに判断して)『単独者』『共同幻想』の選択なりの後であればアレですが、いかにもリハビリ過程であればと推薦の○○まで説明したのであってその○○時代は非常に長く安定してました。現在の○○の○○系列の時には自ら随分背景含め理解のある○○を事もあろうかバックれる形で○○しているなど、事の経緯は明白に「強迫心理」に都合のいい方に反動化ししていると説明もしてます。又○○の時に○○がどうかと確認求められて「お世辞にも勧められない」と各論併記でリスク要素まで説明してました(←現象を俯瞰で見れば「強迫心理」主導の自作自演以外説明しようが無いでしょうが)。


>共同幻想を選択した場合、生活のためにやむ得ず共同幻想色が濃い職場に就いた場合でも
ここは前段説明済みです。
この場合の努力は「いかに怠けるか」が努力であり、
(或いは自己申告的に間違ってしまった点があると、雑用シフトの打診)
仮に周囲がやんややんや状態の場合の言い返す方角は、
「好きでこんなとこきてんじゃネーぞボケ、」となる。
(そりゃ買い言葉で「なにー、んな事言うならとっとと辞めちまえ」と先方も言うのが筋論です、)
そういう面倒な事が(所得という私利私欲で)困るぞこりゃという局面なら?
言い返すも何も、
「どーもすいません(こりゃヤバいぞ”あれこで何ができるだ何ができないだくだらない事考えている暇はネーゾ”)、ともかく一心不乱に仕事時間は真面目に取り組んで集中してます的な、、」となります。
=「仕方がなくここでしか食い扶持が無い事情(或いは強迫心理)」との折り合い優先(”ノリ突っ込み”的な「アホか自分」的自意識マターの出動)、
言い返す権利はありますか?なんてすっとんきょうな事を考えている場面じゃありませんよね。
それはどんな面白い世界の話ですか?
少なくとも周囲が苦言や悪口言ってくれている間が(彼らの動機はともかく)花なのであって(この間周囲は「その動機を信じているのだから」)、
(■勘違い・潜在意図的誤読が予測されるので事前に補足しますが、フルメタルジャケットを進めた理由に記載したとおりそもそも『共同幻想』は「一種の強迫心理であって狂気そのものでもある」を理解するための推薦だったワケで、その意味で現代社会は『共同幻想崩壊過程』なワケで且つその方向は自明です。私はここで「彼らの心理をどう読むか」を説明しているのであって、『共同幻想』特有の人類の習性や集団心理を個人的に肯定しているつもりは全くありません。社会心理学的見解としても「とっとと崩壊すべきだ」と思ってますので。)


「言い返す権利も無いのですか」って、、あなたねそれざんざやった『家幻想』時代の大問題を解体して見事に離脱してきたんでしょうに。
何故社会を使って「夢をもう一度」になるの。
そこ考え続けないと(どういう事になっていてこうなっているのか全部説明済みで考える必要無いほど詳細に記載されているので極論”読めばいい”んだから)←メンタル問題からの離脱が動機ならね。

だーかーらー
(この辺一から十まで過去ログ説明済みですが、)
「強迫心理」のレトリックに「ここがこう、ここはこう」と具体的に説明してきたし、
反動状態から醒めている時にはあなたはここも理解もされてます。
(=もう「自意識は知らない」というような構造要因は無い→「字で書いてありますので」)


■後は「やれやれ○○が○○か、あーあーあーあーなるほど(ここの前提に反論するとこじゃネーぞ俺)、そうなってるワケか(とにかく〜ちゅうことだわな)。さて(こっから先は心理学とか関係ネーわ)、現在俺は○○なワケだがさあどうすっか」
(以降に心理学は干渉しません。あなたの人生です、自由に考えてください。又ここは人生相談サイトではありません。)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■現状の運営は紳士協定として規約が遵守されることで継続されています。
■■■以後レスが続くようであれば投稿は即時削除されるものとご理解ください。■■■

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【106】自分にけりをつけるために  以前相談を受けてた  - 2013/06/28 18:58 -

最後と言っておきながらお許しください。

私自身もだいぶ反省してたつもりでしたが、まだまだだったのでしょうか。

仕事でも私も今回は自ら望んで就いた仕事でした(以前続いた仕事の経験も踏まえてできるだろうかとの試しもありました)。
完全に決意したわけではないですが、単独者としての選択を考えてました。でまた失敗だったわけですが。

単独者として向かって努力している時にミスや物を壊すなどの失態を繰り返してしまった場合はどうしたらいいんですか?成果が気にならない部分(雑用や私生活の)でもミスや物を壊したりすることが多い有様です。
いらない考えを切る努力はします。それでもミスや物を壊す、見落としなどの失態を繰り返してしまったら…。
趣味なら自分の好きなようにできるけど、仕事って部分では私のようなミスをくりかえしてる場合、
「単独者を選択したならひたすら努力する(成果は気にならない)。出来なければ雑用係を希望し(皆から迷惑がられても)クビになるまでひたすら努力する」なんて考えって甘くないのでしょうか?


あとは共同幻想適応者とどう接していけば良いのか?仕事以外の面でも医者や知人と用事で絡むことがあるのですが、思いやりとか、ものの頼み方とか、謝り方とかわからなくなりました。

(いつも私にアドバイスをしてくれていた)知人から「思いやりがない。自分のことしか考えてない。謙虚さがない。人間とは思えない」といわれました。
その知人が体を壊したときに心配したら「お前がはじめて少し人間らしいと感じた」といわれたくらいひどかったようです。
人に物を頼んだときでも「物を頼むときの態度に謙虚さがない。物を頼むときにはお願いしますと純粋な気持ちで頼むものだ。おまえは自分のことばかりで感謝の気持ちがない。だから冷たくあしらわれるんだ」といわれたことがあります。

知人の言うように私にも無神経な言動や態度はありました。
自分の至らなさもわかったら人のことを考える余裕も(職場で容姿のことなどをけなされたときには腹が立ちましたが)以前よりは出てきました。

その後、ある事情で相談業務の仕事をしてる人にお願いをすることがあったのですが、その人に私の管轄ではないと言われ、断られたことがありました。
私の態度に原因があった、他の人なら聞いてくれたと思うと知人から言われました。
やはり私に感謝やお願いするときの謙虚さがないと。空気や状況が読めないのも人を思う気持ちが足りないからだと。
他の場面でも人のことを思いやり、感謝の気持ちは持って接してたつもりだったのですが、まだ何が足りないのでしょうか。


他を見てみると人のせいにしている(悪口を言ってる人)でも人とうまくやってる人もいて、仕事などで謝ってる部分でも物を頼んでる部分でもすんなりいってる人もいて、疑問に思ってましたが、謝り方、秩序、ルール、相手の立てる場所などを知っているからなんでしょうか?


共同幻想と折り合いをつけようと思うと、相手を思いやる気持ちも必要だと思ったのですが、その思いやりや謙虚さ、相手を見るってこと自体どういったものなのかわからなくなりました。

自分だけではわからず、何度も知人に聞いていたら、知人からも愛想をつかされしまい、そのことでも悲しくなってしまってる状態です。
自分に原因があり、相手に依存してしまってたと反省しているのですが、(相手も私も恋愛感情が入ってしまっていたのか)関係自体が問題だったのか、それでも私のことを厳しくしてくれたり、親切にしてくれていたので相手を信頼していた部分もあります。
自分に原因があり、私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うとつらいのですが、こんな自分にけりをつけるにはどうしたら良いのか?

本当に申し訳ありません。こんな自分にけりをつけたいのです。お願いします。

引用なし

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【107】Re:自分にけりをつけるために  以前投稿してた者  - 2013/06/28 22:22 -

>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合

知人からも同じことを言われました。容姿のことを言われるのも人に言われる要素があるからだと。
「私の性格の問題は色々言ってくるのに、逆に私が人から言われたことに対しても全て私が悪いって言われなきゃいけないの。全て私が悪いなんて言わないでよ」と知人に反発してました。

でもよくよく考えてみれば、知人は『共同幻想社会でのあるべき姿』を言ってたのでしょうね。共同幻想社会では容姿含めて人が嫌悪感を持たないように気遣うのは当然の話であり、私が人から容姿のことを言われたのもきっちりしてないとの意味で言われたのだと解釈してますが。
メンタル面で問題を持ってると、その血縁者のことも同じように見られる傾向にありますしね。
それでいちいち腹を立てていても仕方ないですよね。

それでも言われたらむかつくし、まして血縁者は関係ないだろとの思いはありますが(共同幻想適応者でも家族のことまで言われたら腹立たしくなると思います)、共同幻想社会ではそんなものなのかなと(共同幻想社会全てを否定するわけではないけど、ほとんどの面では残酷だと感じますが)割り切るようにはなりました。
それに容姿(生まれ持った顔かたちではなく、全体的に醸し出してる雰囲気)が暗い感じだったり、おどおどしていたりすると周囲もその人に対して良い印象持たないのは当然だとも思います。

そのことが何もわからず、知人に反発し、喧嘩別れになってしまった後にずっと考え込んでいたのですが、気づくために失った代償が大きすぎました。
(共同幻想社会内での話だと割り引いて考えても)知人は一生懸命になってくれていたのに結果傷つけてしまったし、気づいたのが遅すぎました。
kagewariさんにも申し訳ないことをしました。

ただ思いやりとか、物の頼み方とか、その部分についてはわからない部分があり、規則に反して登校しました。もうしわけありません。

引用なし

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本当に困るんですが(ご存じと思いますが「○○禁止」の事項があるため先日アップのブログ記事はこの事項がリハビリ過程などのひとつの典型で起こり得ることだるのと同時に参考になれば的に記載されたものです)、今回は前述括弧書き理由と同掲示板過去ログに似たケースの記述もあまり無いですからサイトの社会性から考えて本項でも返信付けますが、
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html
■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

<ざっくり状況を説明するならば>
ご自身ネタバレ的強迫心理時代の過去など既に十分理解されてますので(構造的問題は既に壊れ解消している)、以降派生しているのは専ら「依存性」とこれを『自意識』がスポークスマンのように追認してしまう問題で、
あたかも問題が固有にあるかのような状況認識を自分で追認してしまい(本来は『自意識』が試行錯誤や経験積んでスキルアップする場面を)みすみす現状の弱点とも言える依存性を助長してしまうことは”ダイエットのリバウンド”のような”慣性退行・反動退行”みたいな事になっているのであって、結果論をどう結ぶのかは『自意識マター』なんです。←自分で決める場面です。→逆に「これは相談することだ」と認知しちゃえば依存を助長するだけでそこには未来永劫答えはありません。

注:ダイエットの方法論は説明済みでご自身も理解している。この時その方向性の実行は「当初の依頼動機『ダイエットを成功したい』によりますが」、方向を理解しているのにこれを”リバウンド的”に下手を踏んだ状況を、「ダイエットの方法論」側に質問しても論理矛盾になるんですってば。
(リバウンド的に下手を踏んだ状況=当初の動機が維持できてない、当初の動機を前提とする方法論側に説明求めてもこの段階で依頼動機が不完全な事になる。)
ダイエットの依頼が動機として成立していないところに、ダイエットの方法論サイドが「どうやったらそういう動機になりますか?」のような設問に答えがある方がおかしいんで、

注2:そして心理学サイドは「当初の動機に矛盾する反動が起きるプロセス」を説明してますから。
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html
歩留り選択の話にしても、十分説明してます。
(自意識が確信犯的に歩留りを選択した場合、それは個性と等価である。)


■結論「問題の定義」或いは「問題の認識」それ自体に論理矛盾があるんですよ。
 ↑
でー、これを(リハビリ過程は良い悪い判断が厳禁であることも説明してますが)
あえてカウンター狙いで「○○が悪い」とかで説明すると、
「自分の自我OSがバグってんじゃん」なんですよ。
(主体論として自分が悪いみたいな解釈は間違いですから)
「自分の自我OSがバグってて、おかしな命題が来ているけども、なんだこれ強迫ネタじゃん。却下!」

上記のプロセスは人間100人いれば誰にでもあるもので、
たとえて言うなら『ノリ突っ込みパッチ』なんです。
(「強迫心理」はネタバレにより鎮圧できる。)
「何言っとんじゃ俺、」「アホかっちゅうに」
このカウンターで一発終了なんです。

しかし、
強迫ネタをそのまま(これは事実関係として問題だ)と自我に挙げちゃって、相談なる外形的事実にしちゃうと、もう自意識は後追いになるので←こういう思考プロセスになると未来永劫答えの無い設定なので、どこで何しようが100%答えは無いんです。
(「永久の悩みを発明した」に近い。)
 ↑
仮にこれを他者に質問するのではなく、内向系で発現させれば『鬱症状』って恰好になるんですってば。
(「依存か鬱か」の差異になっているだけ。)

■しかも上記関連は「注意事項」として説明済みで、
こちらも予測範囲なので、依存切り的措置を当て込んでおくのがベターという判断と説明も行われてます。(ご自身も理解されている)
今回の事例はリハビリ的に言えば「鬱リスク」ではなく「依存リスク」だったので、相談なりが成立していた時点では「各方面の行動における事実関係の注意点などなど」説明もし理解もされてます。

その注意事項をことごとく破っちゃうワケだから、、
動機の確認をせざるを得ないし、
(たとえて言うなら「本当にダイエットが目的なの?」的に)
「それやったら問題起きるの予告済みじゃん」が派生しているのであって、
(糖尿病とかなら「あれだけ甘いものは控えろと」みたいに、)

自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)

<本来は意味無いんですが社会性を考えて各論つけます>
>私自身もだいぶ反省してたつもりでしたが、まだまだだったのでしょうか。
又、相談文を書いた次点でマダマダですね。

>単独者として向かって努力している時にミスや物を壊すなどの失態を繰り返してしまった場合はどうしたらいいんですか?
極論何もしなくていいです。
(失敗したくない意思があれば「努力」すればいい。→努力目標ができてよかった、人生に張りができた。幸せな事です。)
短期的に言えば謝ればいんじゃないですか?

>いらない考えを切る努力はします。それでもミスや物を壊す、見落としなどの失態を繰り返してしまったら…。
だから「余計な事(ミスの連発は予測範囲内なだから)を考えてる場面ではない」と切ればいんですよ。

>味なら自分の好きなようにできるけど、仕事って部分では私のようなミスをくりかえしてる場合、
これは言い訳、
その言い訳は通用しない。
 ↓
「今回は自ら望んで就いた仕事でした」
この選択の次点で、趣味以上に自分の好きな事となるため。
(そうなってないなら当初の動機は”嘘”だった事になる。)
趣味と同じように、失敗などがあれば、
「チクショー(笑、何やってんだー俺」以外有り得ない状況。

そこに仮におかしな問題意識があるなら、
「普通は○○の筈だ」みたいな強迫心理をやらかしているって証明。
(参照前述ののブログ記事)

>完全に決意したわけではないですが
 ↑
ほらねw
(自己責任の担保が無いから、失敗も自分の幸福だというプロセスに入れない。)
なんかの動機に引っ張られてるって事でしょうに。


>あとは共同幻想適応者とどう接していけば良いのか?
だから、
リハビリ過程はバイトでも全然OKなんだし、
(それが動機ならだけれども、)
高校生がアルバイト先考える時だって、
新卒大学生が就職先考える時だって、
「俺はこういうの苦手だから○○系はNGだなぁ」←これ誰でもやるんですってば、

なんで『共同幻想』職場がデフォなの、、
「社員が多いとか組織的業務はまずNGとしてっと」←これがデフォでしょうに。
リハビリ過程なんだから。
(経験の中から「単独者にすっか共同幻想にすっか秤にかける過程なんだから」)
リハビリ過程の参考になるのはほとんど同じ状況の「高校や大学時のバイト選び」ですが、人はこん時に得手不得手含んで(どちらか言えば楽な方が誰にとってもいんだから)、試しに○○系職場行ってみっかなどしつつ(仮に失敗して辞めてもバイト君ならあんまし企業にも迷惑かからないので)、
「さて俺はどうすっか」の戦略上の下地を作るんだから。

予め『共同幻想職場』がデフォの次点でアウツでしょ。
(ガチ「強迫心理」)

こんだけ話してもピンときていないと思うので、
激動の昭和における単独者なりが何をどう考えるのかサンプルでお答えしますけど、
「まず都会だな」だとか、
「日本は無理だな、どうやってアメリカいくかな」だとか、
 ↑
これ当時の若者日常茶飯事の発想だから。
「さて俺はどうすっか」の戦略上の下地ってのはそんだけデカイ話なワケ、
(実際勘違いして片道切符や密航者状態且つ現地では浮浪者状態とかで米国や欧州いっちゃった人とかゴロゴロいるワケ)
現状の「地域制保守『共同幻想』がデフォ」になっている時点でアウツでしょう。
(仮にこれが”歩留り的”な自己選択で「やむなし」の決定事項であれば、「さて俺はどうすっか」てのは「俺はこのクソどもの中でどうやってサバイバルするか」がテーマになるので←人に聞くことでもなければ心理学が登場する場面でも無い。)

繰り返しますが、
あなたは再三何を言っとんのかと言うと、
「普通は○○の筈なのに」的にだね『共同幻想適応話』の周囲をグルグル回って、
この問題に「さて俺はどうすっか」の結論なり決定なりを永遠に先送りしているワケ。

「さて俺はどうすっか」この決断は「どうしたらいいでしょう?」
これは設問になってないから。。
(心理学は宗教じゃないから)
設問自体が、過度な『共同幻想』依存状況におけるナントカ教の信者が「○○様私はどうすればよいのでしょう」という宗教事務所の会話と同等になっている。

そんで「それを相談だと認識するからダメなんだっちゅうに」と何回も説明しているワケです。

>(いつも私にアドバイスをしてくれていた)知人から「思いやりがない。自分のことしか考えてない。謙虚さがない。人間とは思えない」といわれました。
>人に物を頼んだときでも「物を頼むときの態度に謙虚さがない。物を頼むときにはお願いしますと純粋な気持ちで頼むものだ。おまえは自分のことばかりで感謝の気持ちがない。だから冷たくあしらわれるんだ」といわれたことがあります。
>知人の言うように私にも無神経な言動や態度はありました。
 ↑
これも全部既設です、
(依存フラグがあるから「○○禁止」措置であるとか、、警告したまんまじゃないスか。)

細かい解説つけると、
「強迫心理」系反射的動機に起因する(本人そのつもりも無いのに)『上から目線の構造』
(過去ログ思い出しました?)
構造的にスタンスがそうなるワケ(そのつもり100パー無くてもその論理思考だとそうなっちゃうの)、
脳内の権威者と自分の関係から発言すると(脳内では権威者=神託みたいになっているから←これが『自意識』を抑圧可能とする原動力)、自分を抑圧している絶対権力者目線になるので、
これを傍から見れば「トンデモ勘違いな人」となる。
(ある意味周囲がそう受け取る項事案は「全部強迫ネタで設問そのものがナンセンス」だって事。自分の意識下にある”問題ネタだこれ・相談ネタだこれ”とかいうゴチャゴチャした認知そのものを潰しにかかる方が先だって事です。本来は「人に聞いてんじゃネーよ俺」の場面なんですってば。)
つまり、
本人には後追いで自意識には相談に”見えている”だけで(実は答えの無い永久ループの強迫ネタフラグ)、口から出ているのは「強迫ネタ」であり(この段階で極論すると全部鉄板の妄想)、
本来は『ノリつっこみパッチ』で、
「またぞろ何を言い出してんだか俺(んなこたーどうでもいんだよ)」と、その上から目線の姿を自分で「馬鹿じゃん」というツッコミで切って終息するものなんだってば。
「古い芸を品を変えれば通用すると思ってんじゃネーぞ、いつまで同じことやってんだ俺」と、
(そういう余計な話は『ノリつっこみ』で切って捨てて、自分の事はともかく(どうでもいいので)回り(現実)を見ろよと、)

あなたが再三「空気が読めない」とか言っている観察意欲の欠如は、
前述のプロセスを起動させていなくて、やれあれがこうだこっちはこうだと(どうでもいい)自分の強迫ネタを延々(現実世界の)話題の中心に据えたままだから起きるんですよ。
(自分のどうでもいい話に注意力を削がれるので、現実への集中力がお寒い結果になる。)

>まだ何が足りないのでしょうか。
今回の返信が答えです。
自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)


>自分だけではわからず、何度も知人に聞いていたら、知人からも愛想をつかされしまい、そのことでも悲しくなってしまってる状態です。

だから(結論出てている話に自己反論して)繰り返し同じ話を聞く行為はそれ自体が依存フラグになっているんだってば、
「自分には相談毎がある」←コイツをいっとう先に鎮圧しないといかんのですよ。
(放置するといかにもナントカがおっ始まる。←と再三注意喚起してきてます。)


>自分に原因があり、相手に依存してしまってたと反省しているのですが、(相手も私も恋愛感情が入ってしまっていたのか)関係自体が問題だったのか、

リハビリ期間は恋愛ナントカはご法度だとあれほど、、、
「言ったとおりでしょ」
(これ以上何を言えばいいというの)

>自分に原因があり、私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うとつらいのですが、こんな自分にけりをつけるにはどうしたら良いのか?

既にご自身で答えを書いてあるじゃないですか、、、
 ↓
「私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うと」

何度も繰り返しますけども、、
歩留り選択つーのもありますが、
そもそも「動機の確認」をですね、
(「自立したいんですが」は決定事項だった筈ですが?だったら全部の話は「まー自立して」で解決するものばかりなんであって、「さてこの状況から俺は自立テーマでどうすっか」が先なワケだから、そこがまだまだ練習段階で他がどういう仕組みで自立前提項目なのに先行して解決するワケ?←これはどういうファンタジー世界の数学ですか。)

自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)

今回の事例はリハビリ的に言えば「鬱リスク」ではなく「依存リスク」だったので、相談なりが成立していた時点では「各方面の行動における事実関係の注意点などなど」説明もし理解もされてます。

その注意事項をことごとく破っちゃうワケだから、、
動機の確認をせざるを得ないし、
(たとえて言うなら「本当にダイエットが目的なの?」的に)
「それやったら問題起きるの予告済みじゃん」が派生しているのであって、
(糖尿病とかなら「あれだけ甘いものは控えろと」みたいに、)

■結論「問題の定義」或いは「問題の認識」それ自体に論理矛盾があるんですよ。
 ↑
でー、これを(リハビリ過程は良い悪い判断が厳禁であることも説明してますが)
あえてカウンター狙いで「○○が悪い」とかで説明すると、
「自分の自我OSがバグってんじゃん」なんですよ。
(主体論として自分が悪いみたいな解釈は間違いですから)
「自分の自我OSがバグってて、おかしな命題が来ているけども、なんだこれ強迫ネタじゃん。却下!」

上記のプロセスは人間100人いれば誰にでもあるもので、
たとえて言うなら『ノリ突っ込みパッチ』なんです。
(「強迫心理」はネタバレにより鎮圧できる。)
「何言っとんじゃ俺、」「アホかっちゅうに」
このカウンターで一発終了なんです。


<まとめ>
のようにですね、
現状の説明に心理学はまだ有効ですけども、
(この説明は200回ほど繰り返してますんで、)
そっから先
「さて、俺はどうすっか」
これはあなたの人生なのであって、他所からこれに干渉したらイカンでしょう。
(ナントカセミナーでも無いし、ましてや洗脳なんて事でも無ければ、宗教じゃありませんので。)

誰の助けも無く(だから自由に)、自分で選ぶ『権利』の話なんだから。
(これが「基本的人権」「個人の尊厳」の原則)

ちょっと難解ですが繰り返し読んでおいてください。
 ↓
(参照前述ののブログ記事)

■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

<と書き上げたところで>
自己レス状態の追加があったので(即時削除の告知前だったので有効としますか、、)

>ただ思いやりとか、物の頼み方とか、その部分についてはわからない部分があり
基本、人にものを頼むのは”異例”
(少なくともリハビリ過程は「仮想単独者(仮想思春期の反抗期)」なので、人に頼んでいいことや相談していいことなど無いと想定してニュートラル。てか自分で考えてやらないと自分の知識になんないから。)
それこそあえてカウンター表現使うと「”普通”人にそういうこと聞かない(頼まない)」。
聞いたり頼むほうがおかしんだってば。
答えは常に、
「好きにすりゃいいじゃん」でしか無い。
(それが人生ってもんだから←心理学越境して若干人生相談レスになってるけど。)

同時にここは、
そっから先
「さて、俺はどうすっか」
の関連項目だから。
いちいちどうでもいいことを人に聞くような問題だと認知しているとこが大問題なんだってば、
(そもそも問題事例の発生背景は「動機は本当か?」それ「共同幻想適応強迫じゃね?」から始まっている行為だから、俯瞰で見れば自作自演なんであって、←極論やらんでもいいことばかり。)
仮にその動機が本当であれば、「嬉しい努力目標」として”生き甲斐”として認知されるとこだから。
その本来なら「嬉しい努力目標」として”生き甲斐”として認知されるとこがだ、『被(こうむる)』認知で被害認知的に認識されて→「これはおかしい”普通”○○な筈だ」で相談するべき事項だと認識した事それ自体がアウツなんだってば。
※「普通は」キーワードのリスクは以下引用のブログ記事で詳しく書いてある。
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html

又、結果論的認識の大前提として、
「心理学的には結果が成功でも失敗でも等価だ」という原則があるので、
(岸田フロイド心理学で言うとこの「この世にどうでもよくないことなどない」の逆パラドックス)
それに特定フラグで固着したらもう「ルサンチマン(永久に解決しないフラグ)」なんだって。
人間の快感認知原則における行為ってのは、
「企画して動機形成し実行され、その結果を自己責任と記憶(歴史)の所有権を確認」する事で”満足(欲求の代謝)”を完結するのであって、
結果論としてのできるでないには意味が無い。
動機形成された行為が”実行されたか”に意味があるワケ。
(結果論は『自意識』が好き勝手に解釈して、人生の生き甲斐でもなんでも都合よく解釈すればよい。)
そこに特定の「○○でなければ気が済まない」みたいな固着があれば、
それは「強迫心理」であり、
極論すると「その感情は錯覚であり妄想でありインチキであり嘘なんだってば」。
事実関係が嘘なんじゃないの、
その結果にあれこれぐちゃぐちゃコメントしている固着感情が「OSの論理エラー」で出てきてる誤動作で、
本来「何ぶつくさ言ってんだ俺」で100人が100人切っているとこなワケ、
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
「これはかくかくしかじか人に聞いたり頼ったりすることだ」と認定するから出口の無い話になるんだってば。
(それが「強迫心理」の狙いなんだから。)

今回の全体の文脈と重なっているでしょ?
 ↓
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
人に聞くような関心事項ってのは「公的なこと」「社会的なこと」なんだってのさ。
(自分のことは個人的なことだからどーでもいいや)
「えーとこの前自民党から提出された法案ってさ」←人に聞いたりする事項ってのはこういう事。
ほら、集中力が(自分の事をどーでもいい視した結果、自分のやらかしも客観性の一部になり)外に向かうでしょうに。

極論すっとさ、
自分の仕事上のやらかしと同じ職場で他人が同様のミスをした事例を、
「全く同列に観察・認知して」いないといかんのさ。
自分のことはどーでもいいので「○○さんって人(自分の名前)がミスをした。」という客観的認知ができるの。←この事象を自分と他人の区別なく認知していないと、結果論としての『自己中心認知』になるんだって。
自分と他人の区別なく客観的に認知していれば、
(他人がミスしたのを見た時の感覚と同じように)
仮に自分がミスしても
「ありゃりゃー」←この言葉は他人がそのミスしでかしたのを見た時の感嘆と同じ感覚じゃないといかんの。

ところがさ、
バックグラウンドに「普通は○○の筈だ」とかに始まる、強迫的認知があるとだ、
本来現実(自分すら客体とする外的現実)に関心が向かわないといかんところで、
「自分が自分が」に関心項目が向いてしまい(一人称的認知で自我がいっぱいになる=『自己中心認知』)、
 ↑
だから話戻るけど、
本来「何ぶつくさ言ってんだ俺」で100人が100人切っているとこなワケ、
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
「これはかくかくしかじか人に聞いたり頼ったりすることだ」と認定するから出口の無い話になるんだってば。
(それが「強迫心理」の狙いなんだから。)

>>>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合
この話は、
ネタバレになるけども次回アップ予定のブログに関連項目書くので、
(明日か明後日ぐらいのアップだと思うけども)
それを補足として読んで。
日本特有の『共同幻想』の在り方解説になってるから。

うーんと一部予告編で書くと(芸術家の心理とかのタイトルになるから)、
日本の『共同幻想』ってのは、「ゆるい宗教の聖職者」のようなものなワケ、
(欧米なら明快に教会は家族の上部構造権威だから、そこ前提に考えればわかる筈)
だから昭和の男は「家族の事なんざかえりみる事無く、(聖職である)『共同幻想』に適応することが正しい」という事になってたワケ、
(だから日本は「単身赴任」も平気というか、ノー文句で受け入れるのが美徳だった。ハードなサラリーマンが親の死に目より仕事を優先するのも昭和なら文句なしでカッコいい事だった。)
 ↓
明快に『共同幻想』への適応は血縁なんて腐れ縁より上位概念だから。
(カウンター的に言えば彼らが『共同幻想権威』に関わる問題で仕事と関係無い事を侮辱するのは”彼らの教義上”それが戒律であり正義なんだって。聖戦なんだって、)

彼ら自身、自覚無く、無意識的だからわ余計かり難いだろうけども、
日本の『共同幻想』ってのは「世間様教の信者として出家して『聖職者』になるような行為」なんだってばさ。
だから、不信人だとか異教徒っぽい振る舞いは(彼らの教義として、聖職者のの義務として)「叩き潰すべき『聖戦』であり正義である」←と彼らの深層心理はそうなってんの。
(いいも悪いも無く、それが『共同幻想』の構造・性能だから。)

『単独者』の概念で言えばさ、
某宗教信者でもだ、目の前の人物が明快にそれに対抗しうる意思なり心情なり信念が明快なら、
互いに線を引いて尊重しましょうとかあり得るワケ。
(キリスト教信者も目の前にイスラム教信者がいるからといって闇雲に攻撃はしない。しかしだよ、自分の事がよくわからず曖昧なままという経緯で、イスラム教の信者のような振る舞いをキリスト教の教会の正式行事の最中にやられたら?←こう仮定したら攻撃開始に相当するでしょ。だからすべては「さて俺はどうすっか」の明快化が無いと始まらないんだっての。各方面に自分が最も望んでいない”必要のない誤解”をばら撒く事になってしまう。)

自分の動機形成の主体性を担保できてるかって、そこに尽きるんだって。
(それどっかから聞いてきたような話じゃネーかとか、「又始まった普通は・・・じゃないか」だとか、何々に決まっているだとか、これはやむを得ない不本意な選択だと確認していないのじゃないかとか、どっか中途半端な”わかり難い自我”になっているとさ、→『共同幻想』の側から見れば「わかり難い偽装をしたスパイ」でしかないんだって。)

■ことほど左様に現代社会では『共同幻想』はあまりにも問題が多く(そもそも表面化しないだけで元ネタ「強迫心理」だから)、歴史の変遷の中で崩壊する事になってんの。
(常にナントカ文明とかさスクラップアンドビルドで壊れてんでしょ?)
それが現実だから。
現在も新卒社員の3割が3年以内に辞職するなど、100人が100人、
「さて俺はどうすっか」に直面し、
自分の頭でその先を考えるの、
それが人生。

そこで「人に聞いたり頼ったり」していいことなんか(極論)”無い”のだよ。
(しつこいようだけどわかりやすくするための”極論”ですからね。)
 ↑
この状態を『自由』と呼ぶの。
それがあなたの最大・最重要な『権利』ですから。


今度こそ
■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

引用なし

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今まで「何で私ばかり?ほかの人だって人のせいにしてたり、人の悪口言ってたりするじゃん」なんて人と比べてばかりでしたが、(そういった一面を持っている人がいたにせよ)彼らは共同幻想適応者としての責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いているんですよね。
私は共同幻想のルールや秩序もわからず、何の人生経験もないのに自分の持論だけで動いていただけだった。
「上から目線」の意味が完全ではないけどわかったような気がします。ありがとうございました。


相談すること自体が依存、自分で考えて動いていくことはわかります。
知人への未練を断ち切るには、今後何らかの事情で人と関わったときに人にのめりこまないようにする(出会い、別れがきっちりできるようになるには)、
現実をはっきり見据える目を持つにはどうして気持ちを切り替えしたらいいのでしょうか?


ただ知人に(軽い気持ちで)手相を見てもらったときに
「病気になって50前後で亡くなる」
「数年後に見合い結婚をし、実家近くに戻る可能性が高い。○○が今は結婚したくないと思っていても自然とそういう方向に向かっていく。結婚をしたくないともがくほど逆効果になる。もし運命に逆らうと、○○が誰かに殺されるとかストーカーに合うなどの状況に合う可能性が高い。こないだ○○が実家に帰ったのも親が○○を実家に帰るようにと引き寄せてるんだ。○○はそんなつもりはまったくなくても実家に帰る運命にむかってるんだ。
でも人生が順風満帆にいかないのは○○自身が招くことだ。何の努力もせずに怠けてるじゃん。このままだと同じような人間と結婚し、結婚自体がうまくいかなくなるよ」と。
知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。

自分としては(これからのことは断定できませんが)今の場所で死ぬまで一人暮らしをするつもりでした。
私自身は共同幻想社会(その中にいる方たちを否定するつもりはないですが)のような狭い空間はあまり好きじゃなく、必要以外は自ら関わろうとは思わない。一人の方が好きです。
なので共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
仮に数年後もメンタルの問題を抱えたままだったらなおさら結婚は考えられない。
何より結婚自体したくない(親が進めた見合い話ならなおさら)、結婚なんて面倒なことは嫌い。
少なくとも親の決めた見合い話を受け、実家の近くに戻っても、(親のメンタル問題は高齢だから治らないことを考えると)親も私も幸せな結果にならないようには思います。
しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます(実家に帰るべきではないとの判断の方が合ってると思うのですが)。

病気になったときにどうしようとか。


○○が言った話に乗るなと言われるのはわかります。
手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、知人のは当たってるだけに(しかも結婚や実家に帰るなどといった運命に逆らうと良くない出来事に遭遇すると言われたらなおさら)
自分の判断力にまだ自身がもてないのです。

引用なし

パスワード





■次回から問答無用で削除します。
(守秘義務で公開できない○○禁止措置の云々とは別に←守秘義務があるので内容公開できませんが)
今回の掲示板利用だけで規定に違反しているとして当サイトの『公開掲示板』出入り禁止とします。

今回の話もそもそも(守秘義務で公開できませんが)「即レ○・反○、○し返しの禁止」もあっさり三連発で無視しており、サイトを依存目的で規定に違反する用途で利用していることは明らかです(公共性で置かれている掲示板の私的乱用)。

更に繰り返しますが、
>>■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
>>繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。
今回も何ら質問にも相談にもなってません。
そして相談文を書き依存性が問題になっていると注意喚起があるにも関わらず、これを(削除の警告があるのにどういうつもりで書きこんでいるのかわかりませんが)無視し、
書き込んだ事により間違いなくあなたの強迫心理は興奮し(心理学的に逆効果になっている)、
わかりやすい表現で言えば「その瞬間問題は悪化(退行)してます」。
アルコール中毒における一杯ひっかけるのと同様に、
メンタル問題の構造論的部分は解決もし本人理解もされてます。
(事実物理的にこれは解消している)
当初依頼の状況がほぼ条件を満たした段階でリバウンドされても(現在『自意識』がこれを認知している状況ですから)、それは当初の依頼動機を喪失したのと等価で(相談したことの無い人には心理学的答申を目にする事ないワケで)、目にする筈も無い(実際注意事項無視するということは”読んでいない”という事ですから)状況で「何を書けばいいの?」という事です。


▲「この状況もメンタル問題としてよく知られる状況では無いか?」という疑問もあるでしょうが、
確かにそれはそうなんです。
(当スレッド中でも記載したように「これが内向化すれば鬱症状であり、それが依存性となっているのかの違い」ですから、現状が「強迫心理」との関係で発生しているのは事実です。)
しかし、心理学が心理学として成立している所以として、
ブログ等で記載のとおり「歩留り的個性論」との綱引きがあり、
同時に心理学万能主義的に自我という自我を分析し尽せばいいというものではありません。
本人の意思確認が重要になります。
(簡単に言えば過剰利用をなんとかしたい←という動機があれば「そもそも返信書きません」し、有料コースもどの段階でも希望があればストップできる体制になってます。又、依存的過剰利用のリスクが感じられれば「相談期間の設定」等で対処もしており、その状況への対処も運営に盛り込まれています。)
(※注:特に当サイトがこの辺の管理を重視しているのは、仮に放置して延々料金を取るなどの状況を未然に防ぐ事を予め織り込んでいるからで、これをほう助して膨大な利用料金を請求するようなナントカと誤解されてはかないませんから。下記記載しますが「過剰利用」を必要とする状況も心理学的に存在しません。ハリウッド映画でお馴染みのNYの顧問分析医も本国じゃ「中古車セールスマンと弁護士と精神分析医」的に詐欺的批判受けてます、当サイトは顧問ナントカ的な随意契約のようなものは当初から想定してません。)

「織り込み済み」「対処は返信済み」であり、
書いてあるまま対処していれば、そこに答えがありますので(依存性のメンタル問題への対処としても)サイト運営趣旨がそれに沿ったものになっているという事です。

※よって今回の返信も「違反して書き込まれた分の自我退行を元に戻す」形で返信書いてますが、
記載の通り「織り込み済み」「対処は返信済み」であり(「強迫心理」に押し込まれた分書込み前に戻るだけで)、なんとか状況は維持できますがこれ以上の返信はサイトの運営が自ら「メンタル問題というよりアルコール中毒的な問題を冗長する」事になりますから、書込み以前の状況に戻るところで完結とします。
(ここに至る経緯は守秘義務があるのでここでは公開できません。)


■■■<ここから本題>■■■
そもそもなぜ前述の内容ありながら今回返信書いているのかと言えば、
心理学的ポイントがあったからです。
占いナントカというのは場合によると新興宗教への傾倒のようなメンタル問題固有の社会問題であり、その背景を記載する事の社会的意義が大きいと考え(前段記載の内容とは別に)、返信記載の社会性があるものとして記載します。

まず、
>>「織り込み済み」「対処は返信済み」
である部分の説明から、

前回までのレスにあるように、
「それを人に聞いてもいいことだ」と思うからいかんのであって←と返信済みです。
(相談という名目の依存になるので、わかりやすく一般用語で言えば「悪化」するだけだと。)
>手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、知人のは当たってるだけに(しかも結婚や実家に帰るなどといった運命に逆らうと良くない出来事に遭遇すると言われたらなおさら)自分の判断力にまだ自身がもてないのです。

だから返信済みです、
「どこの馬の骨か知らないが」云々の返信もそうですが、
極論(現在『自意識マター』リハビリ中ですから)「人に聞いていい頼っていいことなど無い」とつい直前に返信しており、
答えはそのままです。
書いたとおりになっているだけです。
「だから聞く(依存する)から悪化(不安のネタをまたぞろ人のせいにして確保)してんじゃん」
返信で「聞くなと言ってます」ので、
「さて、人に聞いた話なんですが」と思い切り直球で無視されても何もいう事ありません。
「聞く方が(自分の本音に対して)オカシイ」んです。
(現在依存フラグがあるとどんだけ説明したかと、、それをやれば悪化(退行)するから止めろと言っているのであって、私の事じゃありませんよ、あなたに返信の一環として言っているんですよ?)

しかも、
今回のスレッド冒頭のレスにおける「どこの馬骨か知りませんが」話で、
「占い師かなんかですか」とした記載に、
今回の話は「まんま直球の反論」になってます。
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
ときたもんだ。
イスから転げ落ちるだけでなく、深いため息の中ですね、、
えー流石の私もお腹痛くなってきましたが、、

どこの馬の骨なんか知りませんが、そいつを連れてこいっての、
5分で二度と立ち上がれないほどバトルプルーフしてあげますよ。
もうなんというか、、
児戯に等しいから。

あなたの設問が無茶苦茶なのは以下の矛盾で明白です。
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
>手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、
「根拠も無く、あたったあたったー的な」。。。

あのさ、
知人関係の占いが当たる法則なんてネタバレは(もうさ本当は説明の必要も無いんだが)100発100中で あ た ん だ よっ!
あのね、占いってのは後出しじゃんけんなワケ、
占い師に相談ししている設問なり、その人が占い師を必要としている動機なりで、
(『共同幻想』な社会でもその意識は無くても共同幻想系自我はナントカソナーのように無意識的問題を察知したりの話もしてますが、)
相談にきている人の無意識を読んでんの!わかる?
言いかえれれば(ぶっちゃけ顔に出てるんだから)、ダダ漏れの強迫心理を感覚的に察知して(ナントカ系程度の範囲だが)後は得意の説明口調で語るとだ、
これは構造的に本人自意識が深層心理からザワザワと押し寄せる強迫的欲求を(占い師は第三者だから)本人の自意識より饒舌に説明できんの。
でだ、
本人自意識だってまんま無意識が覗けるわけじゃないので(専ら連想フラグで勝手に浮上するような場当たり的認知)、本人体験としても「”そんな感じ”です」というところが重要で、具体論はどうでもいいワケだ。
更に、ある程度理路整然と占い師が予想屋よろしく強迫的雰囲気から(ダダ漏れ「強迫心理」の表情なりで何々系の話だと判断できるわけだから)「あなたは○○になります」と答えると、
相談した「自意識」はだね、「無意識からの圧力の中自分の連想フラグで思いつくより”当たってる”」と思う訳。
(ズルズル『自意識共犯』やってんだからさ「占い師の方の方が強迫心理の代弁者としてこれから追随しようと思っている私のヘタレな『自意識』よりよっぽど「無意識の意図をくみ取る感じ方が”当たっている”」)
 ↑
わかる?そしてさ(「強迫心理」の命令なりに本人『自意識』よか”当たって”方向性的中させるから)「これはいいアイデア聞いた」と脳内にフラグ立つでしょ。
すると、常に本人その無意識的欲求に答えようと思い切り『追随的自意識共犯系』の人格なんだから、「本当にそれを実行しちゃうワケだ」(自意識は自覚無く)、
でさ、後から「あ===本当にそうなった」てな、

アホかっちゅうねん。
(新興宗教への傾倒とかの場合もほとんど同じルートだから。)

■あのさ、ちょいと説明しておくけれれど、
私はこの道30年近くで、しかも案外それ系(というか意外にそれ系)の副業足かけ10年ぐらいになるわけ、
そりゃ類は類を呼ぶでいろんな人に会ってます。
(建築家から映画監督からアニメ監督からモデルから有名雑誌の編集者からプロの音楽家から自称霊能者から芸能人やらメディア関係者から電通さんから市井の感じのいいアルバイト君まで無数に、)
占い関係者にも会ってんの(書籍多数の)、
思い切り誘われましたよ「占い師になればすごく稼げる」って、
勿論断りましたが、
(なんとやらのお返しで、その人が私を占うと言うものだから好意を無下に何とかと思い、返信もらいましたが、「私は超弩級の千里眼」みたいな内容でしたが「それが何か?」)

それから「運」なんてものをついでに説明しておくけれど、
私の副業の不動産関連なんて世界ではそれを目の前で見る事は頻繁なワケ、
「いかにも常識的選択」すれば勿論(検索パラメーターがそうなんだから)「常識的な選択肢しか出ない」(まさに『共同幻想リミッター』)。←考えるまでもなく当たり前の事(何をするにも常にその程度に収まる構造は自作自演で想定されている)。
(実に現代社会でも部屋探しに親が出てくるとかもあります。『共同幻想適応』なら確かにあり得る話でもありますが、、、)
「トンデモ(有り得ない選択肢)」を引くギャンブラーは決まって『単独者』で、
曰く「勝負根性のある人」であり=極度の自立主義者って事になる。
そして、結果論には意味が無いも同じで、
「賭ける決断と独立心と自己責任(結果は全て俺のものだ)」これが明快な場合、
極論家なんてものは雨風しのげる屋根がありゃいんだから、仮にトンデモを選択して大失敗しても、
「そこが醍醐味で面白い(一生語り草の失敗談が手に入る)」。
どっちに転んでも「勝負師は(結果と関係無く)勝負師である」。
(で、ごそごそやれ友人だ予想やだ風水だ占いだ聞いて回れば?「そんな主体性すら無いところに期待されるような何が起きる筈が無い。」←勝負師の正反対ですからね。)


だからさ、
そこの
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
へなちょこ素人占い師連れてこいっての、
5分で二度と立ち上がれないようにしてあげますよ。
(新興宗教相手でも同じ、私は心理学を知る以前の高校生の時に某事情で某宗教事務所乗り込んで潰して「あなた悪魔だ」言われた人間なので、)

てかさ、
それ以上にだ、
そのヘナチョコ占い師の言ってる事ってのは
「思 い き し 『共同幻想』 だ ろー がー!!」
いつの時代の共同幻想だよ、おいって話でしょ。
>>このままだと同じような人間と結婚し、結婚自体がうまくいかなくなるよ」
どこの学級委員長だオイ、
(てか依存性フラグだからストーカー予備軍ははあなたでしょ。)
何「結婚がナントカですか?」何時の昭和40年代だよ、、

あのさ『共同幻想崩壊過程』の中”非婚・晩婚・少子化”が社会現象なワケ、
で欧州では既に「結婚によらない出産が50%超えて結婚による出産を越しているワケ」、
わかる?
結婚とかマジにするもんだと思うような人は「今マイナーな存在なんだよ!」
そらどこの女性誌にもそれ系の特集ありますよ、
「売 れ る か ら」(「強迫心理の煽りで」←CMの基本は不安煽りでしょうが、)
しかし、ほぼ壊滅しましたが小沢民主党が子ども手当を考えたのは欧州の動きも見て、
子供は結婚と関係無く生まれてくるし、そっちを伸ばさないと(フランスを参考)少子化は解決しないので、世帯では無く子供個人に対して手当(ぶつちゃけ給与を)支給しようとしたのが子ども手当ですよ。
(今時素ーで結婚をナントカとか考えるような人がマイナー層だからだよっ!!)

で、現代は『確信犯的な共同幻想の再獲得』であったり『単独者』なりの選択が社会的にも明快になってきており(同時にガタガタの『共同幻想』で過半数が「共同幻想崩れ」な時代に←この社会劣化が過渡期問題としてイジメ社会とかになってんだから)、
『単独者的アイデア』が溢れかえっているワケです。
DINKSに始まり、スローワーカー、ノマド(ワケわからん横文字は勘弁してほしいものですが)、

ザックリ言えば『単独者』ってのは、
「結婚?は?それは何ですか」ちゅう人の事なんだっての、
 ↓
>共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
だから考えなくてもいいし、
考える方がおかしい。
自分でもそう言ってんじゃん。
>何より結婚自体したくない、結婚なんて面倒なことは嫌い。
勿論、
言った責任取るんでしょうから、あなたは自らの意思で結婚しません。
 ↑
そのすっとんきょうな占い師思い切り180度間違ってんだろーーーが!
そのどこが当たってんだよっ!
当たってんのはあんたの無意識下の「強迫心理(ノルタルジーで実家時代・依存時代に戻りたい)」の方にズバリだろーーが!
そういうのを「外れましたね」っつーんだよ。
(生きるってのはその「強迫心理」含めて現実ってものに『抗(あらがう)』ことなんだから。)

>しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます
 ↑
当たってんのはあんたの無意識下の「強迫心理(ノルタルジーで実家時代・依存時代に戻りたい)」の方にズバリだろーーが!

当たっている話は「一から十まで自作自演」って事さ、
占い師はダシに使われているだけ、言えば狂言役者の役回りさ。


それからね、、
>病気になったときにどうしようとか。
何?何か問題あんの?どこに?
この世には「聞いてもいいことやら頼ってもいいことなど何もない」(カウンター狙いで極論すれば)
言いませんでしたか私、
私の記憶違いでしたか?
人体ってのはな、仮に病院の助けを得ても基本自己治癒能力で治ってんだよ!
優れた病院ってのは、バックアップ上手なとこって意味で、

あのさ、比較級使うな解説の時「森に人類ヒト科自分一人で考える」という設定を書いたけれど、
なーーにも実践してないワケか。
地球人類滅亡して、
某無人島なりに人類ヒト科自分一人、
そこで「病気になったときにどうしようとか考えて、実家に帰ろうとか」←言いますか。
どんなシナリオライターですか。

てかなんで赤の他人を呼ぶとか頼る必要あんの?
(20歳越したら血縁解消で赤の他人なんですが?)
『共同幻想適応』だってそうですよ?
(名目立ててるだけで、頼ってなんかいません。←血縁に依存している『共同幻想』は「共同幻想崩れ」)
日本で有名なタイトル「姥捨て山」、
ガチ『共同幻想』適応者は、俺を山に捨てろと血縁に言うワケです。
(で捨てろと言う当事者は飢饉の時に生まれた赤ん坊裏山で絞めて埋めちゃってるんだし)
方やその反対の『単独者』的に言うと、欧州単独者先進国における高齢者の「独り暮らしの権利」ってのは、
「病気だのいざ死に際とかに血縁とかうざいからくんじゃネーよ」な一面あるワケで(そういう『単独者』少なく無いのでそういう人の権利も守りましょうと)、

ついこないだ亡くなった名優三国廉太郎氏は、
「葬式もするな墓にもいれるな死んだことも暫く公表するな」となっていて、
血縁の佐藤浩市氏は(その三国廉太郎氏の意向も阿吽の呼吸で汲んで)彼の死に際も堂々と撮影の仕事しており、
しかも三国氏の誇りを守るため、
(まー付き合い上葬式的なことはやらざるをえずでしたが)
挨拶で彼を「父」とは呼ばず「三国廉太郎は」と演説したワケです。
(単独者同士わかるところはわかると、)

あとそれから何でしたっけ、
>「病気になって50前後で亡くなる」
ひっくり返りそうになりましたが、
信長がこれを謳ったのは、300年前ですか?400年ですか?
えーと(1582年没とのことなので)
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」

50前後、寿命まっとうしてんじゃん。
よかったですね。
(えーと私それに近い年齢ですが「あーマジ生きた、明日死んでも悔いなし全然OK」ですが何か?)


>現実をはっきり見据える目を持つにはどうして気持ちを切り替えしたらいいのでしょうか?
だから全部前の返信で答え書いてあるから。
(てか過去ログに書いてあるので、新規に説明する事何もありません。)

それとなんでしたっけ、ここですね
>彼らは共同幻想適応者としての責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いているんですよね。

何度も説明している筈なんですが?
昨今は『共同幻想』ガタガタで、適応っていっても劣化バージョンの「共同幻想崩れ」というか、元の『共同幻想』がガタガタなんだから、『共同幻想』的にもどうかな〜な側面あると説明してきてます。
(美しき文化伝統の『共同幻想』体現者がいれば天然記念物・国宝級だと、)
ある意味、『フルメタルジャケット』のハートマン軍曹ってのはそんな時代だからこそ「性根を叩き直す」的アプローチになっているのであり、
理念的には『黄金の共同幻想保守者』である民族派右翼のみなさんも凄まじい組織力とは言えない状況です(姿を同じくして左翼も後退中)。

仮に今現在の日本往年の『共同幻想』がバリバリなら、
「責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いて」
村で病気が出たら「その家は一族郎党皆殺し」です(村八分)
そんな彼らだからこそ(ある意味集落は集団のひとつの生命のように←運命共同体だから)、
田植えや収穫の時にみごとな連携を見せ、感情まで共有し、村の祭り(ほとんど乱交パーティー)は最高潮に達し、
狭隘な農地では「芸術家も真っ青の棚田」まで造り(先祖とも運命共同体で集団でひとつの命なので)先祖の土地を命がけで守る(次男や次女に権利を譲って土地所有権がバラバラになったりさせない「次男次女は長男の農奴か売っ払い要員」)。
だから村でも名のある庄屋なんかだと(権威上位者から病気でも洒落にならないので)病人出れば速攻『座敷牢』で周囲から存在そのものを隠したんであって。
(戦後日本で医療制度が拡充された黎明期村人に『健康診断』を勧めようとしても、村人は頑強にこれを拒否し(村八分が怖い)、厚生省に依頼された役人さんやら医師が大変『健康診断』の説得に苦労したって、たかだか70年前ほどの話なんですが。)

言うなら現在の彼らの水準は、ガタガタになったとも言えるし、
『共同幻想』随分(リベラル主義の影響で)丸くなったな(弱くなったな)とも言えるし、
同時に、そこに阿鼻叫喚というか酒池肉林の興奮が途絶えたので、
『共同幻想』って何だろう、、と彼らの世界も時代の選択を迫られているって事です。

言ったでしょ、
現実なんてものは突き詰めて言えば
「哺乳類人類ヒト科が縄張りめぐってしのぎ削る殺し合い」なんだって。
(勿論この闘争には血縁同士も同じ)
だけどさ、これじゃあんまりにも人類野蛮人過ぎって思う奴が、
「互いの『自意識』を抑圧して、合理的欲求を共有化しようぜ」と思いついた。
即ち、隣同士で殺し合うのではなく、「集落として周囲の殲滅戦をして都市国家を造る」。
これやればバカみたいな殺し合いも防げると。
(その結果都市国家同士で戦争するという概念がうまれた)
(この時代の『単独者』はさすらいの殺し屋みたいなもんなので←一匹オオカミとか呼ばれるわなそれは。)
しかしそんな戦争の時代の果て『産業革命』が起き、
戦争は「大量虐殺の時代」に変遷した、
たまらずピカソはゲルニカ描いた。
国家間の全面戦争はいかんねと(周囲で殺し合い時代と等価になってしまう)、再調整を考えて、
『近代国家』がうまれたが、
やれ帝国主義の植民地だ、あげくに広島長崎に原爆落とした。
洒落にならんねと、「常にリベラル主義などでトヨタ方式じゃないが”カイゼンする共同幻想”ってのを考えて(まー民主主義ですか)」これに反動的に反応したローマ帝国の末裔みたいなのが『共産主義』で対抗し、これもある意味自然消滅した。
その後グローバリズム覇権主義的市場経済時代と破綻を謳歌し、
そしたら「ジャスミン革命」みたいなんも起きて、
デモ一発で『共同幻想』は壊れる時代になった←いまココ

まだまだ古き良き『共同幻想』を一面で保守している中東某国では、
男性は成人式の後必ず『ジャンビーア』という三日月刀を貰い(15歳だったかな)以降帯刀します。
この刀は日本の武士道よろしく「抜いた時には相手を殺すか自分が死ぬかのけケリをつけなければならない(相手が抜かなかったら攻撃してはならない)」という文化の中で今でも帯刀されており、
男子は一族を守るために殺しを請け負う覚悟を試されるって格好で「選択」を突きつけられます。
(これが成人の儀式)
マジな『共同幻想』ってものはそういう代物だから。
(ある意味非武装なヘタレは伝統的に言えば『共同幻想』失格とも言えるかも知れない。)

現代社会の武装?「ペンは銃よりなんとやら」と言うじゃないですか、
最強の武装は『理論武装』という概念兵装です。
(言論ですよ「我思う故に我あり」)

■それからオマケで
日本特有の『共同幻想』において、家族愛が妙な変遷遂げている背景、
これ説明すると、
「日本の『共同幻想』は欧米のそれと比べて”多重構造”で”ゆるーいなんちゃって世間様教”の聖職者のようなものである」と書きましたが、
これはね、専業主婦的職業(嫁入りの概念でもいいけど)があったから。
つまり嫁や姑は「家法人って『共同幻想』の聖職者」となるワケです。
だから「家法人の聖職者という責任の前には自分の事などどうなってもいい覚悟(とその甲斐)」があるので(昭和サラリーマンが会社のためにはどんな悪どいことでもやったように)、身を捨ててこの責任を全うします。←この聖職者っぷりが凄いので家人には聖人に見えた。
(日本のキリスト教の歴史においてイエスより聖母マリアが人気なのは有名)
家族愛というよりそれは「海兵隊愛」に類するもので、
(なので嫁入り前の自分の実家が戦国時代のように殺戮されても嫁入りした先への忠誠が重んじられた。嫁いだ先の武将が実家を滅ぼしにいっても「御武運を」だし、そもそも嫁いだ理由が政略結婚で敵方武将だったりするんだし。)
だから昔の姑は「ハートマン軍曹」のように厳しくて正しかった。
(嫁を軍事教練並にしごくのが姑(古参軍曹の)責務だったんだから。)
所謂絵に描いたような家族愛があったからでは無い。
もっと無情で非情な美徳が”ザ・権威『共同幻想』”として輝いていたって事。


そーいう世界もあまりにもグロテスクであるので、
「イエスは(家族愛とかはやめてそもそも赤の他人だから)隣人を愛せ(或いは隣人としてなら血縁も愛せ)」と言ったワケだ。
(これ言うとキリスト教の人マジ怒ると思うけども、話の流れのたとえだから、まー目くじら立てないで。)


■こんだけ書けばもういいでしょ。

■次回から問答無用で削除します。

引用なし

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【111】補足(■次回から削除します)  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/07/15 09:50 -

(本来必要が無いんですが)

後からゴチャゴチャ続いているようなので補足しますが、
(質問文には全く意味が無いので削除されてます)
「やれ占い師が当たった話」をどんだけ並べて反論しも1mmも意味が無いのでそこ論証しておきます。

1)以下前レスの記載のとおり「その占い師」はあたっているどころか見当違いな外れっぷりであることが証明されている
>>共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
>だから考えなくてもいいし、
>考える方がおかしい。
>自分でもそう言ってんじゃん。
>何より結婚自体したくない、結婚なんて面倒なことは嫌い。
>勿論、
>言った責任取るんでしょうから、あなたは自らの意思で結婚しません。
>  ↑
>そのすっとんきょうな占い師思い切り180度間違ってんだろーーーが!
>そのどこが当たってんだよっ!
(他は省略)

外れている事が証明されている以上、
本来これだけで以下説明は必要無いのだけれども”あれが何”なので補足しておきましょう。

2)占いが当たっていても100%何にも意味が無い件
その人物の言論が『共同幻想』適応人格に”偏っている”時点で「1から10まで全部アウト」
仮に幽体離脱の才能があるとして、その人物が原子力発電所の内部に侵入できても、
その人物に物理の知識が無く、物理的に見当違いな説明をおっぱじめれば意味が無いどころか情報収集における弊害でしかない。
つまり、その人物が未来の見える超能力者だとしても、そいつは『共同幻想』適応人格でしかそれを表現できていないので、
・「同じ事件を第三者ジャーナリズム視点の記者がレポートした」
・「同じ事件を北朝鮮マンセーの共産主義者がレポートした」
当該占い師の言説は上記条件の後者に値するので(好き好んで偏向報道の新聞読むイカレポンチがいないように)、その占い師の技術が当たっていても何も意味も無いどころか弊害しかない。
(その人物は見た絵を『共同幻想』適応強迫心理に都合のいい説明しかできないため)


3)あたっているあたってない話がアホみたいにナンセンスな件
統計学や臨床研究における再現性というのは、大変な客観的実数でカウントされているもので、
数学的確率からしても「いかにもありそうな実例の予測は3択4択的確率の範囲に収まる」ため、猛烈な回数と「予め選択肢が大変に多い案件での予測」実験を繰り替えさないと統計学的な証明としては「著しく母数が少ないだけでなく公平性を欠き、更にその評価根拠が主観だなどという話には一切根拠として通用しない。」
仮に占い師の実験をするのであれば、
簡単な基本的条件としては
「その占い師及び占いなどを全く信用していないテスターを100人ばかり用意する」
「占いのお題は、テスターがサイコロ2個を転がした時の出目の予測」
これを延々繰り返して数学的確率と照らし合わせる。
こういう話じゃないと当たった当たってないなどの話には一切意味が無い(根拠として成立しない)。
(極論、この世の占いの枠組み(相談したいお客と占い師の関係性)←これ自体が統計的証明として失格である。)
更に、知人間などであれば単純に親戚筋の寄合などでも「将来話」などは頻繁であり「誰かの予想は当たる」などという話は日常茶飯事ある。
こういう話題になる人物は大概が「『共同幻想』異端者監視レーダーやソナー」のような(自らが適応するための観察眼)にたけているなど無意識な情報蓄積があるためで、
 ↑
『占いのパラドックス』をあげるなら、
その公平性を担保するには「その分野なり人物なりに全く関心が無い」事が条件となる。
(この段階で「知人の占い師」←この単語になっている時点でアウツ)
同じ写真なり絵画を見ても人の評論が違うように「見える超能力」があったとしても表現者としての公平性が無ければ誤情報に過ぎない(前述2)の説明)。
しかし、当該人物がジャーナリストのスキル乃至心理学の知識でもない限り、当該個人が関心の無い事項への知識は「物理に無知な人物が見た原発内部の情報」並に意味が無いことになるため(ジャーナリズムや心理学などのような第三者知見の動機が無い)、その占い師は(どんな絵が見えたとしても)認知速度として自分の関心事項に都合のいい説明しかできない。
=「知人の占い師」とは「100%当たらない奴を意味する代名詞」である。

4)一種の『観察者効果』
※物理だとか科学における「観察者の視点が現象を変化させてしまう現象」
占い師が言った予測を聞いた瞬間「自我には余談が発生する」。
単純に聞いた人物が強い主体性があり、というか元からその占い師を信用していなければ「当たっていない部分に焦点があたる」ので、極論何を言っても当たってないという結論になる。
(注:偏向報道やリアル・ジャーナリズムなどの違いがあるように、同じ事実関係でもそれを公平に認識なり伝えるためには応分の条件とスキルが必要で、極論一般人にはそれを評価する資格が無い。)
(つまり占い結果の当落は聞く人物の主体性や依存性などの特徴にその結果が大きく依存する)
 ↑
ここを更に補足すると、
そもそも世の中の事象の認定や認知は当該人物の主観で常に180度逆さまになり得る(典型例が「強迫心理」)、
勝ったを負けたと認識する事も可能だし、
失ったを獲得したと言い替える事も可能だし、
病気を健康だと認識することも可能だし(そもそも健康の概念は江戸時代以降であり当時は健康という言葉すらなかった「その占い師は江戸時代以前の人物に何と説明するのか?」)、
心理学で証明されているように「脳が物事を認知する仕組み」それ自体がリアルの喪失と幻想の証明であり、物事には固有の絶対事実関係(絶対普遍のリアル)を人間が認識したり語る事は不可能である。
ここの精度や確度は「第三者性」のような観察者の公平性を常に追求し続ける(抗(あらがう))動的背景でようやく担保されているものであり(だから芸術家の○○を追求する人生には終わりが無い)、
極論すれば「目撃者であるとか単なる当事者というだけでは事実関係を公平に見る事はできない」。
(だから裁判では目撃証言を検察・弁護双方から確認する)
(のように自我は(そのままだけでは事実関係認知が現実から乖離することがわかっているので)カウンターやノリ突っ込みパッチなどの”逆説論証フラグ”を仮想することで、「事実関係を客観的に確認しようとする動的”方向性”」を姿勢として重視する。)
上記括弧書きの更に逆を言えば「依存的認知」で確認される事実関係は全て”妄想”であると結論付けられる(裁判で言えば「証拠能力無し却下扱い」となる)。

■このスレッドはここで完結とします。

引用なし

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【112】Re:補足(■次回から削除します)  以前投稿してた者  - 2013/08/09 00:58 -

申し訳ありません。

■上から目線
どういったことなんでしょうか?

例えると、ある掃除会社の実習に行った時の話なのですが(作業所のような場所なので一般企業のようなコミュニケーションスキルは必要ないところなんですが)。
知的障害の男性と女子トイレで掃除していたときにお客さんが入ってきました。
女性のお客さんからしたら男性がトイレに入っていると抵抗があると思い(お客さんからも抵抗があると直接言われたので)、一緒に掃除をしていた男性に女子トイレから出るように言いました。
しかし一緒にトイレ掃除をしていた男性は何度か女子トイレに入ろうとしたので再度トイレから出るように言いました。
(その男性には全く悪気はありません。お客さんがトイレに入っているときになぜ男性がいると抵抗があるのかの理由が分かっていなかったんだと思います。彼からしたら掃除の道具を取りに行こうとしたり、女子トイレの掃除の途中だったので続きを早くしたかったのだと思います)
その男性は「知らないおばさんに言われた」とその出来事を他の同僚に愚痴っていました。彼からしたら(掃除をしているだけなのに)一方的に追い出された、何もしてないのに嫌なことを言われたと感じたのでしょうか。
知らないおばさんは私のことななのか、お客さんのことなのかは知りませんが、少なくとも私の伝え方に問題があったのは分かります。
かといってどうしたら良いのか分からず、言い方が悪かったのか、声のトーンが悪かったのか、後のフォローが悪かったのか、後からいろいろ考えていたのですが。
私自身は一緒に掃除をしていた男性を責める意思は全くなく、「女性のお客さんがトイレをしているときに男性がいるとお客さんが恥ずかしいと思うからそのときだけトイレから出てほしい。私もお客さんもあなたが悪いことをして責めてるわけでも嫌ってるわけでもない」と伝えたかったのですが、どう伝えれば良かったのか今でも分かりません。


他にも店員や医師と話してるときでも意思疎通がうまく取れなかったことがあります(他の病院の紹介状が必要なときに紹介状を書いてもらえなかったり、遠まわしに診療を断られたこともあった)。

他の人は相手の表情、声のトーン、目配せ、言葉の意味など、微妙な動きも含めて相手の真意を汲み取ったり、雰囲気から相手の状況を察すると思うのですが、私からしたら超能力級です。
皆からは「相手の立場で物事を考えろ」と言われますが、想像力の欠如だけでなく、私の感覚と相手の感覚(相手が不快に感じる部分が自分の中では不快に感じないこともあるので)が違うから逆の立場になって考えてわかることもない。
店や病院に行ったり、用事で知人と話すこともあるので、そこでのやり取りはできるようになりたいのですが、人の気持ちを察知できない私はどう振舞えば良いのか?


■実家に帰省したときに親の友人が泊まりに来ていたのですが、その人から私は夢遊病だと言われました。
私が夜中に人の文句を大きな声で言っていたり、外に出ているようです(外に出るところまではみてないようですが、私が起きて鍵を開けてる音が聞こえたそうです)。
「よほど人に恨みがあるのね」と言われましたが、私自身の中では過去のことは結論が出ています(強迫心理が出ていても対処する余裕は出てきたので)。
しかし夜中に声が出ているなら、私の住んでる場所の隣人の部屋にまで声が聞こえてるでしょうから対処が必要なのはわかりますが、引っ越す余裕もなく、睡眠時なので対処法が分からず、困ってます。


今まで指摘をうけたことがなく、睡眠時の対処までわからなかったので、申し訳ありません。

引用なし

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【113】Re:ですから削除します  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/08/09 22:04 -

>■上から目線
>どういったことなんでしょうか?
 ↑
確認する必要がどこにあるのかわかりませんが。
誰一人規約を違反してこの掲示板を利用している人はいません。
あなたを除いて。
あなたが法律ですか?(←ここが現象としての上から目線)
しかも心理学の相談とも言えない内容で。

>他にも店員や医師と話してるときでも意思疎通がうまく取れなかったことがあります(他の病院の紹介状が必要なときに紹介状を書いてもらえなかったり、遠まわしに診療を断られたこともあった)。
 ↑
ここも前述に近い部分があるのでしょう。
推測になりますが(何度も何度も何度も説明してますが)、
与件化されている内容は既に事実関係として終わっている事なので(質問された側が「わからない」も含む)、自分が納得するまで相手に聞くであるとかその作業自体が「既に依存的関係性」です。
物事の理解ってのは、「そういうことだと事前に与件化されているものに関しては、なるほどそうかとひとまず”そのまま理解する”」→次に(仮に自分には理解できない要素があれば)どうして自分ではそう考えられないのか考える。そして考え続けるです(時間はいくらでもあります)。
何の問題もありません。
答えは既に知っているんですから。数学のテストの模範解答を事前に手に入れているのと同じです。しかし「どうしてそういう答えになるんでしょう」と聞けば一発で与件化は消え脳内では事実上「疑問形反論」ロジックが形成されてしまいます。←反射的に認知の反動化が起きる。
仮に数学の方程式でその答えが説明されている時、
「円周率って何ですか?」これ聞かれたらそれこそ”普通”もう誰も説明を続ける気失うでしょう。
(質問を続ければその段階で関係性は依存系となり、それが可能な認知は既に「上から目線」です)
この世には「そういうことか、わからない部分はあるが自分なりにこう解釈した」というロジックがあります。
「受け取る・承る」=(知識なりを)入手する
そこでわからないと質問を続ければ「拒絶する」=(知識なりを)失う、に限りなく近い現象になります。
事象の認知のルートです。或いは方法論、

■重要な事ですが、「強迫心理」構造時代の後遺症みたいなもので、
何をするにしても(元が依存系であるため求めるものが過剰で)自動的に発生する不快認知などから(過剰では無く通常レベルの対応されると)納得いかないかのような認知になりがちな傾向があるのであり(本当にわからないのでは無い反射的に派生する不快があるだけ→それを納得いかないだとか疑問が残るだとかの認知に勘違いしている)、
与件化されている答えを受け取る流れであるとかルートを自爆的に壊しがちな傾向があるワケです。
繰り返しますが「自分で納得いかないだとかわからないと認識されている感情が”勘違い”である状況が頻繁に発生する」という事です。
それはあなたに限っておきることではありません。広く一般に期待値の大きい何かの説明なりネタバレなりを確認する時、その答えが期待値と違う場合、誰しもが体感上「わからない」というような感情を認知します。
(勿論これは本当にわからないのでは無く、脳がそういう反応をしてしまうだけ。これを自我はサルベージする時に「わからない」と誤解する。)
事実関係はわかるもわかたないもそもそも関係無く「既に答えは出ているだけ」なんですから。

(「強迫心理」時代の後遺症で、自分は依存系だったから常に他人なりに何かを求める(説明や行為や感心やなにからなにまで)事案は常に「過剰な期待値」が自動的に発生しがちであることを事前に織り込んでおけばいい。ここを事前に織り込めば「わからない」だとか「納得いかない」とかの感情が派生しても「おっとっと又やらかしたか」とノリ突っ込みでそこを潰せます。「いやいやここわからないとか言っちゃいけないとこだわ」として落ち着く。←これは誰しもが日常茶飯事やっている心理的日常作業です。)

極端な話「TVが何故映るのか」知らない人大多数です。
しかしだからといってそれを人に聞きますか?
(TVが映る事に何ら疑問を持たない人は、どうして映るのかを必ずしも知っているのではない。知らなくてもいい。)
しかし、心理的問題などの経緯があれば(そしてそれが依存系であれば)権威上位者が何でも説明してくれて、同時に「他の人はその説明を受けて知っているから平気なんだ」と誤認します。
(自分の感情がそうだからといって、他の人が知っているから疑問に思わないとかの解釈をするから話がこじれる。人に気持ちになって考えるって行為の基礎は→「自分が感情なりでそう思うからってそれが事実だと思わない」って事です。)
そこでなにとわなしに「TVはどうして映りますか?」と聞けば、、
もう説明いりませんね。
(この段階で通常の人間関係は壊れます。数学教えてくれている人に「円周率って何?」の質問するようなものです。完全に上から目線の構造になっている。←事の発端は自分の脳内に「存在しない権威上位者の概念」があるからこそ発生する誤解認知。)


以降書いても意味があるのか無いのかわかりませんが(心理的現象ともいえず)、
ついでですから書いておきましょう。
>しかし一緒にトイレ掃除をしていた男性は何度か女子トイレに入ろうとしたので再度トイレから出るように言いました。
 ↑
非常に高い確率で「女性がトイレに入っているとこに性的関心で張りたかったから」だと思います。
(一部の論議ですが知的障害者の性の問題は重大なテーマになってます。学内レイプ騒動などもあります。)
これを邪魔されたので、嫌がらせであることないこと言いふらしたという可能性が高いと見ていいでしょう。
つまり、対応として(本来障害があろうがなかろうが男性職員を女子トイレに入って作業すること前提としている会社の指示が間違い)「利用者がいる時には男性はトイレに入れない」事を(相手に性的関心がある前提で)ビシッと(見透かしたように)言えなかったため話がややこやしくなったと考えるところでしょう。
(相手からも聞き取りできずなので情報不足のため推測の域を出ませんが、ちなみにわたしなら鉄板でそう考えます。)


>■実家に帰省したときに親の友人が泊まりに来ていたのですが、その人から私は夢遊病だと言われました。
夢遊病かどうかの真偽はこの話にまったく関係無いので(どっちでもいいことだから)そこは飛ばしますが、

何で実家に帰るんですか?意味が分からない。
4年や5年音信不通になる事もできないんでしょうか?
赤の他人の家なんですよ?
(と考えておくべき状況ですよ、メンタル問題あったのだから)
意味が分からない。
メンタル問題のフラグとして「恋愛禁止」並にストレス刺激要因でしょう。
(あんだけ苦労して云々かんぬん守秘義務あるので話せませんが、独り暮らしに成功するまでたどりついたのに。)
説明するまでもありませんが、
実家なんかに帰省するからそんな寝言言ってたって事でしょう。
(てかそれ以前に「余裕で眠れている」事自体驚きというか、神経図太いというか、強心臓だと思いますが、、)
リハビリ過程なんだから、強迫心理を刺激するようなフラグはできるだけ避けてください。
「無理をしない」というのはそういう部分も含まれます。

引用なし

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【114】わかりますが  以前投稿した者  - 2013/08/10 14:55 -

・相手の気持ちに立って考えても(自分の感覚が周囲と違いすぎて)わからない。

・相手の目や表情の動き、言葉の真意、その人の雰囲気などで相手の状況を察知できない。具体的に説明してもらわないとわからない(通常から見たら”まわりくどい”説明をされてやっと理解できる)

・通常の人ならちょっとした説明やあいまいな表現、あれ取って、それやってなどの指示代名詞でわかることが私には理解できない。

・瞬時に理解することが必要な時に相手の話が理解できない。

・一度では話が聞き取れない。


こういったことは単純作業の仕事、知人や店員とのちょっとしたやり取りでもあり、相手がイライラするのはわかります。依存的とか、自分のことしか見えてないなどの説明おわかります。
しかしわかったところで明日から相手のことが察知できるようになりました、になるわけじゃなく、箇条書きであげたようなことどう克服していったら良いんでしょうか…。

引用なし

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以降は全て説明済みです。
過去ログに書いてあります。
会話と違って、何度も確認できるようにメールカウンセリングがあるのであって、それを見越しているから『出入り禁止』措置による依存フラグの抑止も可能なんです。

■何度も言いますが、過去ログに書いてある同じことを何度も繰り返し「聞くからいけない」のです。
その都度(本来はわからないのではなく脳内で感知される不快を自我が「わからない・納得いかない」と知覚している→本来的意味は『誤解』)、聞いてしまえば「わからない」という認知を追認してしまうことになり逆効果(自意識共犯)なんですってば。
本来はわからないのでは無いからです(事実答えは過去ログに書いてありそれをあなたは所有しているのですから)、言うならば「辞書持っているのにいちいち英単語の意味を質問する人」のようになってしまっている。
(しかもその辞書を今質問している人から貰っているのに)

<ひとつ新しく追加的事項あるので補足します>

>・相手の気持ちに立って考えても(自分の感覚が周囲と違いすぎて)わからない。
超能力者じゃないだから、相手の気持ちがほんとうにわかるだとか、空気を本当に読めるだとかそんな現象は「存在しません」。
第一誰しも自分の気持ちすらはっきりとわからないのですから。
(更に『共同幻想』適応者であれば尚更「自分の気持ち」をはっきりとわからない人達になります←自我にリミッターかかっているから。)

■相手の気持ちがわかるうんぬんにあなたが執拗に拘るのは、
(前ログの過剰な期待参照)
▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
これが潜在意識で反動化し「人の気持ちがどうしもわからない」というロジックになるんです。
(逆に言うと「自分の気持ちをこんなにも周囲なり相手なりがわかるまで自分では到底納得いかない」という「旧強迫心理ネタ」があるため→自分が潜在的に相手にそう要求しているため、自分も同じようにわかる筈だ的な妄想に繋がり→事実他人の気持ちなんかわかる筈も無いので延々と「わからない」ストレスが蓄積している。)

極論すると誰しもが「相手の気持ちなんかわかりっこない」的前提で生きてます。
(『共同幻想』の場合相手の気持ちを考えるのではなく「普通・常識・人間はそれをどう思うか」的な集約があるので、相手の顔色をうかがうのではなく常に『共同幻想』的にどうかでまず判断している。)
『単独者』においてベースとなるのは「自分ならどうするのか」に尽きるので、常にその評判は個性派だとかB型人間だとか我が道を行くだとか空気も読まず独断専行な人と周囲に評されて本物です。

『共同幻想』や『単独者』が処世術的に何をしているのかと言えば、
▲「基本自分より他者を優先している」です。
「自分の事はひとまず置いて置いて」という認識です。
つまりやれ自分がわからないだとか、そういうゴチャゴチャした事を「言わないで」、そんな事より自分以外の他人などの方が”見掛け上大事だと”振る舞うから(←この時点で「強迫心理」フラグをバカいってんじゃネーぞ的にノリ突っ込みで鎮圧できる)。
 ↑
意味わかりますか?何も親切でそうしているのではありません。
ノリ突っ込み切りで、くだらねーこと考える自分を鎮圧し「現実に対する集中力」を発現させるのが狙いです。

たとえば餓えた捕食獣が「ようやく見つけた獲物を前にして」いざ攻撃という時に「腹減ったな」とかくっだらない自分の事がやれどーしただ言ってたら狩りへの集中力が欠如して、せっかくの獲物を逃がしてしまうだけだからです。
このように生き物は重要な局面になればなるほど「自分の気持ちがどうだこうだ」など最低ランクのくっだらネー部分を切って捨てるから現実に適応できるんです。
(所詮それは自己愛でしかありませんから、腹減ったと言えばどこから食い物が出てくるワケではない。←しかし依存フラグで「何か出てくるかもしれないと期待があれば?」)

ですから「人の気持ちなんか誰にもわかりませんし、ましてやあなたの気持ちなど誰もわかるワケ無くわかりたくもないのです。」←これ人類ヒト科全般にそうだって事です。
誰にも相手の気持ちはわからないし、自分の気持ちなどプライバシーであり人からわかられるような代物ではありません。
▲確かに濃密な人間関係であるとか、ゲームの理論的に「どういう(気持ちではなく)”考えなんだろうね”」という”読み”とかは別にありますが(これを”気持ち”と要約する場合もありますが)、これは極めて『自意識マター』的論理であり「勝負における賭けと同じ」ような類のものです。
注:繰り返しますがそもそも「自分の気持ち」などわからない人が大半なのですから、この読みっていうのは「相手自信にも気が付いていない弱点」などへの”読み”のようなものです。


なので、
「いやはや人の気持ちなんてわからないもんだよな」
この台詞が日常生活全般で頻繁に聞かれる台詞になるんです。
(誰しもがそう思っているからですよ。)
極論「わからなくてもいいこと」だからです。
自分にあてはめた想定でともかく動いてみて、違ったら「謝る」終わりです。
(そもそも仮に『単独者』であれば、他人の気持ちなど無視して突撃する人種でなければなりませんしね。)
そんな事をいちいち気にしている事自体が問題であり、
「これは強迫ネタだと切るべきポイント」であり「質問したらダメだろ」って事です。
 ↑
■だから悪循環化するので「出入り禁止」にしているんです。
質問できないように。
そんな事を聞く方が間違いだからです。


■そして空気読む系の部分や、人の言った事を聞き取れないなど
これは「集中力云々」「くっだらないこと考えているから(強迫切りをしろと)」的部分など以前から説明済みです。
(テンパるだとか集中力欠落におけるメンタル的仮想知的薄弱などの問題も過去に説明済みです)
強迫切りできていないからです。
んな事でぐちゃぐちゃ言い続けるなってのが答えで、
そもそも少し前のレスで『単独者』系考えてますって人なんですよ?
基本日常生活『単独行動』の当事者にそんな事関係無いでしょ。
(余計な人間関係を極力避ければいいだけ、リハビリ中は「俺人間嫌いだから」とかの話を前提に動いても”お題目的にアリ”ですよ。)


何度も言いますが、
常にあなたは何百回と繰り返してきてますが、
>明日から相手のことが察知できるようになりました、になるわけじゃなく
(「努力は無駄論」で延々同じ話蒸し返しましたが)
突然それができる人間になる。だとか、みんなはそれが努力も無く容易にできているだとか、
この辺の「有り得ない想定」こそが致命的だと言ってるんです。
今回の話にあるように、他の人同士は「相手の気持ちがわかっている」だとかそんな話はどこの世界にもありません。
(だから思いやりだとかってのは常に”賭け”だから、気持ち半分常に間違ったら謝る覚悟でやるもんです。)
重要なのは「やれ自分のことがどーだあーだとくっだらない内向思考が止まらず(強迫切りできず)外向思考に自我が向かっていかない(集中力の欠如として発現)」←ここに尽きるんです。

その自分の観察力のパフォーマンス(集中力全開想定)これが全てです。
仮にそこが能力的にアレだとしても、
その場合は「あの人なりの精一杯」というジャンルになり、なんら問題になりません。

わかりませんか?
■どうして「森に人類ヒト科自分ひとり」で考えないんですか?
集中力・現実への外向思考(内向の反対)。
これは何かと言えば、
森の中で今日の食い物を探す集中力です。
この時腹減っただのやれ自分がどうだのごちゃごちゃした事考えて意味在りますか?
いわんや、自分以外誰もいないのだから他人の気持ちなんて問題はそもそも存在しません。
 ↑
ベーシックに言えばそこから考えないと始まらないって事です。

繰り返しますが、
今回新規追加事項として説明した深層心理。
>>▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
これをグズグズ今だに引き摺っているって事ですよ。
だから「わかってもらえるまで(強迫心理が満足するまで)これを延々に繰り返そうとする」、
しかもそのわかってもらおうネタは「強迫心理」という妄想です。
(実のところわかってもらうと思っている自分の気持ちなどという実体も存在しない。親子関係におけるドロドロした期待値のなれの果てのような”不快認知”があるだけなんです。←幼児特有の親の誇大認知に始まる現実との乖離。)

質問を続ければ続けるほど、その”切るべき心理”を助長するだけです。
ですから、
■「出入り禁止なんですから、以降投稿は自動的に削除します。」
こういうことを聞くからいかんのです。

引用なし

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【116】ありがとうございました  以前投稿した者  - 2013/08/12 18:01 -

集中力が散漫になってしまったり、雑念は多すぎたと思います。おっしゃるとおり自分中心でした。


ただひとつ。
メンタルからくる知的薄弱の問題に関しては努力や集中力(メンタルが原因)だけの問題なんでしょうか。
他の皆さん努力されているのはわかりますが、通常の人にはできることができない、通常なら努力したらできるようになることができない人もいる。この苦労は通常の人とは比較にはなりません。
脳機能の問題じゃないのかと思うのですが。。

しかしkagewariさんのおかげで家族関係の悩みも消え、考えの切り替え方はわかるようになりました。そうでなければ今でも精神的にもっとつらい思いをしていたと思います。

規約を破って申し訳ありませんでした。
今まで答えていただいてありがとうございます。

引用なし

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以下も一から十まで全部説明済みです。
(そこを読んでないか読み飛ばしておるのか、無意識的視野狭窄で「ない事にされている」だけ。)
しっかり書いてありますし、
補足・背景含めて全て説明済みの事項です。

>メンタルの問題は考え方を変えることによって解決可能なのかもしれませんが、メンタルの後遺症からくる知的薄弱の部分に関しては、集中力や努力だけでは限界かと思います。

『最後の返信』としてあれこれ振り返りながら説明しましょう。


ですから(前回同様に)明日からすぐに”できる”(同時にみんなそれが容易何の苦労も無くできているという設定込み)、そもそも「やれ何かかができるできない論」には一切意味が無く。
▲心理学における結果論の「どうでもいい論」
※心理学上自我が確認する最大の成果とは「動機形成と実行」であり(その結果は重要では無い「大失敗と大成功は概念として等価」→「姑息な失敗と姑息な成功」が等価であるのと同じ)、
そもそも結果論には一切の意味が無い。

あなたに観測されている「できるできない論」の不快は全て(日常市民生活に渡る部分を含めて)「一切が全て『共同幻想』適応局面」の人間関係などの話になっており、
(だから何度も「いつから『共同幻想』適応選択が話の前提になったのか」「そもそもリハビリ過程は『仮想単独者(反抗期的なトレースなので)』なので、『共同幻想』適応を前提としている事自体致命的な倫理矛盾であり=100%それが強迫心理であることを証明する」)
再三の論証から(いちいち論理思考するのもリハビリの効率上どうかと思うので)

『(依存フラグになるので)リハビリ中の恋愛禁止』
『(共同幻想的他者との)比較級の禁止』
『(いい悪い論同様に)できるできない論の禁止』
『王道のいい悪い論の禁止(強迫心理下だと道徳が強迫心理の強制力となるため)』
『(認知速度的に)即レス禁止(一拍置いて考える→少なくとも1週空けるなど)』
 ↑
ザックリこの辺を心がけるよう注意事項として説明済みで、
これ守っていれば何一つ相談事例にはなっていない事項ばかりです。
(事実『単独者的理解』あるチャンスをいかにもメンタル的流れでバックれて、いかにも強迫心理が好みそうな『共同幻想』系の場所に”再三”意図的にからんで行くなど、←こういう動機形成の論理矛盾と半ば自作自演の不快獲得というその結論が→経験的にも明快に実証されあなたは嫌というほどその点ご自身でも確認されてきた。)

■「心理学的には動機形成と実行が重要で結果論にはほとんど意味が無い」
▲「過去、強迫心理的な動機形成から論理矛盾的行動が頻発し、あたかも意図的に不快獲得に成功してきてしまった部分を、十分に証明・認識されている」
 ↑
前後読めばわかるとおりで、
結果論に拘れば、事実上後者の論理(そもそも動機形成がおかしい事)を(すっ飛ばして)追認し、話をいかにも目崎の問題に集中させることで、本丸の強迫心理を温存するばかりになる。

あなた自信再三言いましたよね?
「根本をなんとかしたい」と。
だから何度も何度も何度も何度もここを説明しました。
しかし「根本の問題とその注意事項の一切を無視し続けた」のがあなた自身です。
ですから、今回も話は、一目をひきそうな夢遊病などの話は最もどうでもい”根本逸らし”のような演出になっており、まんまとあなたはそれにひっかかって自分の相談が「一から十まで全て蒸し返しであり全て返信済みであることすら認知障害かのようにすっ飛ばしてしまった」←言うなら「強迫心理」に一杯食わされた。

話を分析すればネタは全て『共同幻想』適応を前提とした人間関係であり。
勿論この心理の発端は「家族時代の認識偏向による現実との乖離した過剰な”認められたい”偏向」であり(ここで様々な公開できない問題を発生させたことは説明するまでもなく、そしてこの心理かガチで『被(こうむる)』である)、
この辺の内向性地獄みたいな惨禍から、
●「み ご と に 脱出 テイクオフ」したんですよ。
どんだけの偉業ですかこれ?
ここ認めないでどうするってぐらいの重大なポイントでしょう。
やれどこやらの人間関係がどうだとか、もうゴチャゴチャゴチャゴチャ延々と、、、
 ↑
自分自身冷静に俯瞰(ふかん)で見れば異常性わかりますよね?
事の重大さの軽重が(秤の傾きが)めちゃくちゃですよ。
そして、そんな些末な話には常に(この前の占い話じゃありませんが)「実家に帰れらないといけないことになる気がする」みたいなそれこそ『本丸の悪だくみ』の姿が常にチラホラ見える。
偉業とも言える成功を前に、
常に目崎の細かい話で「自分自身にイチャモンをつけ」(第三者の私が弁護人よろしくそこを延々と援護する格好になり)やれ何がダメだ、「明日すぐできるようにならないと意味が無い」などの努力は無駄ロジックの「いかにもガチ『強迫心理』的嫌がらせ」に終始し(これが納得いかないことには我慢がならないなど意味不明状態を継続し)、
 ↑
もう狙いは明白ですよ、
偉業とも言える当初の「ドツボからの脱却と自立の方向性をとん挫させようという企み」にまんまとひっかかり続ける。
「強迫心理の狙い」はバレバレで明白なワケです。


■その証明に『単独者』なら、
やれ説明が一度で聞き取れないだとか、誰それに何かを言”われた”(受動:被(こうむる))だのくっだらない事を言いませんから。
何故って、
「そもそも人の話を(特に『共同幻想』系の人物)まじめに聞く気ありませんし(聞いてやるのではなく常に自分で考えて行動する)」、やれ他人が自分をどう評するなんてことは(特に『共同幻想』系には『単独者』の概念わからないのでむしろトンチンカンな人物評で丁度いい)更にどうでもいいことであり、
目先の出来不出来「いかにも『共同幻想』的な偏差値」なんてものはクソの役にも立たないと思っており(自分で考え企画した動機形成を実行したか否かにしか興味が無い)、

心理的認知の始まりの部分を極端にカウンター的に言えば
「森に人類ヒト科自分一人」で考えている。
更に「目崎の結果論的”差異には何ら意味が無い”」と考えている。

(今回の相談も『共同幻想』適応強迫面がお得意の「世間体」そのまんまですよ。)


結論、あなたは、
>>▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
ここに(ノスタルジー現象として)引っ張られているという話であり、
結論は出ているんです。
何度も何度も何度も説明してきました。

そして再三申し上げているように、
(極端に言えば「人はメンタルに悩むの自由であり」)
心理学は中立の第三者です。
ナントカセミナーでもなければ新興宗教でも占いでも人生相談でもありません。
本人が歩留まり的に「この悩みも自分の個性」と引き受けるのであればそれでもいいんです。
ですから、わたしはしつこいくらいに「動機の確認」を続けました。
心理学相談をそもそも強迫心理が足引っ張る行為(妨害)の結果論的追認のために利用したいだけなのであれば、それは私が強迫心理補助の共犯関係となる依存性用途となるので「そういう問いにには一切お答えできない」と、
(努力は無駄論なんてその中から「強迫心理」が思いついた苦肉の策ですよ)


■あなたが問うべきは他人(ひと)ではありません。
「問うべき対象は自分自身」です。

(その問いから逃げ、人に聞き続けるから依存性中毒から抜け出せなくなっている←だから結論いつも手を変え品を変えしているだけで「実のところは同じ話ばかり蒸し返している」んです。)
もうほとんどやっかいな問題は離脱に成功し、
「さて、これからどうすっか」というそれこそ最終局面で足踏みみたいなのが続いているだけなんです。
「強迫心理」のレトリックにをしっかり直視してください。


『(依存フラグになるので)リハビリ中の恋愛禁止』
『(共同幻想的他者との)比較級の禁止』
『(いい悪い論同様に)できるできない論の禁止』
『王道のいい悪い論の禁止(強迫心理下だと道徳が強迫心理の強制力となるため)』
『(認知速度的に)即レス禁止(一拍置いて考える→少なくとも1週空けるなど)』
そして補足事項として
「森に人類ヒト科自分一人」で考える
「心理学的に結果論の”差異”は”無意味”である」

当時から私がお伝えした事項になんら変化ありません。
全て過去ログに書いてあります。
(論文にすれば何冊分に及ぶはずです)


■これ以上の利用は規約に対し(他利用者の方に対しても)不公正となるばかりか、
依存フラグを刺激するだけで心理学的に逆効果です。
同時に私が心理学的に返信可能な内容は「全て返信済み」です。
永久に『出入り禁止』とします。
投稿があれば自動的に削除します。


■あなたが問うべきは他人(ひと)ではありません。
「問うべき対象は自分自身」です。

「さて、これからどうすっか」というそれこそ最終局面で足踏みみたいなのが続いているだけなんです。
「強迫心理」のレトリックにをしっかり直視してください。


規約違反と心理学的趣旨により以降投稿があれば自動的に削除します。

引用なし

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