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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



2073 初カキコ! ヤンタロー 2011/9/16 20:26
お初になります。ヤンタローと申します。
僕は過去に統合失調症と高機能自閉症と診断されました。

僕は下記のような症状がありました。
『動作』では、
例えば「思ったことを声に出して言おうとしたら幻聴や耳鳴りに声に出そうとするのをおさえられた(止められた)」ような感覚があった。
言い換えると「思ったことを声に出して言おうとしたら制限が入った」感覚です。

『体の動き』も静止した感じとかがひどい時期があって、
例えば「目の動き(眼球も)を止められた」感じがしたり、「口・手・足など体を動かすという機能を麻痺(=まひ)するようにさせられた」感じとかがひどかった時期があったんですが、自分はどんな言葉で表現すればいいか(言い換えればいいか)わからないんです。
口・手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられる感じがあった時は幻聴とか耳鳴りが非常に不快だったこともありました。

あと、「(ごはんを)食べるな」「動くな」という言葉が自分の中に居座っていたと思うが、それを発見されて操られた感じがしたり、「食べるな」「動くな」 という言葉が自分の中に居座っていた とかその言葉(「食べるな」「動くな」)を心の中で言ったせいなのか、ごはんを食べる動作に制限が入ったり、口・ 手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられる感じがあったり、心の中で言っていても妨害とか止められたような感じなど操られ感があったりし たんです。

最近はそれはあまりひどくないんですが、今年の6月くらいまではひどかったです。
でも最近でも幻聴とか耳鳴りが非常に辛いことがあります。

そこでkagewariさんに質問です。
Q1.
『体の動き』も静止した感じについて
「目の動き(眼球も)を止められた」「口・手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられた」というのは主治医に訴えたら「作為体験」とおっしゃってましたが、言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?

Q2.
「食べるな」「動くな」という言葉が居座っていたとかのせいで、ごはんを食べる動作に制限が入ったり、体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意 味は『心の声に体が反応してしまう ましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。

2つ質問しました。
ヤンタローの意見に対する返答を下さい。

PS:僕はブログを持ってますので、良かったら読んでください。
2074 ”表向き”それは臨床系や神経科担当だと思います(が、) kagewari 2011/9/17 22:52
あくまでも”表向き”ですが、

なんていいますか、
『内容ベース』で物事を捉えるのが心理学担当で、
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科などまとめて言えば医療系となります。

やっかいなことに「完全に医療系(事実脳内物質などのアンバランスが観測されるとか脳の生理機能的特徴が関係しているなど)」と心理系との間に完全な境目があるようで無いところです。
(場合によっては「その内容で精神科は違うのじゃ無いか」な場合も勿論あるでしょうしその逆もあるでしょう。)
『事の発端や構造はメンタルからなのか、或いは純粋に医療的機能の問題なのか』
少なくとも医療系が相当なのかは検査等で確認できる部分あるかもですが、医師の説明を十分理解できるかと言えばそこはまた難しいところです。一般市民は事前に心理学の知識あるワケでは無いので。
しかし、今回のお話のように「それは医療系かも」な要素ある場合には順番として「医療系に相談してみて次に心理系」というのはありうべき判断かなとは思います。

<話は戻りますが>
ご存知のように医療も常に見解が変化するところです。
概念として『完成された医療と言うものは無い』←これは言うならば『絶対政策』と言うものが無いのと同じ話です。
(報道などでお馴染みの医療上の倫理としてどこまで研究してアリなのかの境目も国際機関や各国の政策によるのであって『絶対』として決まったものは無いワケです。)
心理学の方は(精神分析系も各派ありますし)診療行為を前提としているワケでは無く主に大学でも日本では人文系であるように(診療行為に関係するのは”医 師が心理学を学んだ場合”)「そのまま」で言えば「人の心理を探求する」のがメインであり、どこからどこの範囲が心理系の診断であるとか診療担当であると いう明快な基準はありません。
むしろ心理学はあり得たとしても『カウンセリング(会話形式のアプローチ)や、このサイトがそうであるように”相談”の範囲』などで、
心理学の本質は「メンタルな問題考察がメインでは無く人間の心理や自我全般についての考察がメイン」と考えていいでしょう。

加えて、
心理学でなければ対応できない部分もあります。
専らメンタルな現象(主に鬱や人格系や対人問題や自傷系や自律神経系や神経症系など)を解き明かしてロジカルに説明する部分です。
(簡単に言えば「そうなる原因を追跡・分析する」)
医療系は一次的に『症状に対処』する専門機関であり(結果的に投薬中心になりがち)、心理的現象の原因(脳内の遺伝的障害などは例外として)を検討する部分は医療行為外となります(簡単に言えば医大の必須カリキュラムのような枠組みが無い:日本の場合心理学は人文系)。
更に医療系の場合保健医療との関係などもあって経営的にも法的診療行為の枠組み的にもカウンセリングを中心にはできない側面もある。
(医療現場の詳細は専門外なので質問されてもお答えできませんのであしからず。)
※精神分析など前衛的に捉えている医師の場合専門的なカウンセリングを別館クリニックで保険適応外とするなど工夫しなくちゃできなかったりする。

又、カウンセリングはそのまま言えば「話を聞くなどのやりとり」となりますが、
診療的とするのか?相談とするのか?
ご存知のように日本には厳密な国家資格のようなものはありませんし(厳密な国家資格化は無理だと思います)、
心理カウンセリングは(ここから先は私の私見ですが)「適性というか(心理学の理屈より)”第三者性”の方が重要」だったりします。
(そりゃ確かに基礎的認知は必要なんですが、例えばフロイド心理学を理解する上でも第三者性の確保されているタイプの人じゃ無いと特定の方向に偏った認識になっちゃう場合もあり得ます←結果その数だけ学派できちゃうみたいな。)
 ↑
ここで言う第三者性とは「常識や道徳倫理などからも中立的」ような意味における『第三者性』です。

総合的に言えば「相談の範囲(と限定的)であればどんな立場でも心理学は対応できる」とも言えるワケで、
(言えば私は独学と経験が長いところから休眠中とは言えメンタル系NGOなどにも裏方として声がかかるなど心理系としての専門性は高い事に違いはありませ んが、公式的に言えば”アングラ系モグリのヤクザ者”に違いないでしょう。←自分で言うのも何ですが結果的に最も重要な第三者性が担保されているのかなと 思います。)
歩留り的に「心理系は診療行為的ニュアンスを表に出すべきでは無い」と言えるかもしれません。
(逆に医療系カウンセリングは臨床心理の枠内から出られない部分もあるかもです。)


■私が何をこう長々と説明しているのかと言えば

『現状をどう捉えるのか?』なんですよ。
ええ「ヤンタローさんが」です、

時間的に制約があるのでザックリとフロントページ斜め読みぐらいでしか見ておりませんが、紹介されているヤンタローさんのサイトを見てみたところ、
「かなり多数方面に相談している」
「それぞれの見解も記事にアップしている」
(書籍も多数読まれているようです)
 ↑
まず私が感じたことは、
「とにかく病名特定のような”現状認識”を確定させたい」であるとか、
「何故こんな状況になるのか自分でも知りたい」であるとか、
このくくり方は『心理系の相談になっていないのではないかしら?』ってところです。
何を話をしているのかって「相談に至った動機の確認」です。
 ↓
ですから前段で、
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科の医療系となります。
と、物事の捉え方の差異をお伝えしたワケです。


<更に具体的に踏み込んで言えば>
特にこのサイト上では「具体的個別名称を大事な事だと全く思っていない」ですし(分類って言っても心理学的に言えば100人いれば100人違うので極論 「それがヤンタローさんの現状ですね」が最大の分類ですから→その内容を母集団を分類する記号とのリンクで説明することに意味が無い。仮に「集約化」して しまえば個人差がスポイルされることになりますよね?)、
臨床系(そのものズバリというか統計的手法使う部門みたいなものですから)で診療上の分類するのは(原因を考えるのではなくて症状に対する具体的且つ法的 に合理的な対処の指針としての)投薬上の分類が主眼で「実際具体的にそういう名前の病理性が特定されているとは言い難い」のです。
(勿論医療系には病理性を特定可能な症例・事例もあると思いますが「そっちの方がレア」でしょう。)

話を大雑把にしてしまうと、
医療界ってのは「病名つけないと薬が処方できない」(随分乱暴な表現でスイマセン)ワケで、
彼らも主体的に言えば「固有に病名分類それ自体に意味があるとは考えていない」と思います。

そりゃもちろん「胃が痛いから胃薬」のように『その対策投薬との症状との関係(リンク)』は重要ですが、
これは病名診断以前の「症状の問診まで」ですよね。
医療界でもそこの「症状の問診まで」が重要なのであって、カルテに病名として何を書くのかってそれは医師が状況を整理しやすいように統計的分類に合わせて”後からインデックスを付けた”という部分です。
■特にメンタルが関係している症例は「○○が原因で○○になるような病理が固有に存在しているのではありません」
(それこそ「結核」や「肝炎」や「動脈瘤」のように)
神経科などで検査により明確に脳内に障害が見つかるような事例はあるにしても(そこは検査によりわかることでしょうか)、全体から言えばレアケースでしょう。
(メンタルが関係している比率の方が高いでしょう。脳内物質のバランス問題も生活習慣病の過程のように”固定化したメンタル状況やストレス状況”抜きに解決は難しいからです。)


<さて話は戻って>
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科の医療系となります。
 ↓
>言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?
>体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意味は『心の声に体が反応してしまうましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。

この上記二件の質問はともに「知識として確認したい」趣になっています。
(何故でしょう?←この部分も後段の説明で合わせて論じようと思います。)
合わせて最後の一行は
 ↓
>ヤンタローの意見に対する返答を下さい。

これは相談というより「質問形式のヤンタローの意見です」と読む事ができます。

しかしですよ?

このサイトの趣旨(精神分析的側面)から言えばヤンタローさんのwebにおける記載、
(紹介されているサイトなのでそのまま引用しても問題無いと判断します。)
>以前も親に言われましたが、パソコンでスカイプやチャットをするのはウイルスを自分以外の人にばらまいてしまうため、禁止と言われました。
 ↑
こういう意味不明の事を言う親(動機はなんであるのかちょっとわかりませんが「止めろ」と言いたくて昭和年代の中高年が思いつきそうな取って付けた理由を加えたなのかもしれません)、
親が固有に問題があるという事ではなくて「そういう会話になっちゃっている親と同居を続けている事」は心理ベースで言えばやっかいなことです。
(心理的には「自由の保障」や「主体性の回復(形式だけでも自立独立)」が”環境”としてベターですから。)

理由は簡単で、
心理学のそれこそコア中のコアはエディプスコンプレックスに代表される親子関係ですが、
自我問題があって(この際それが医療系担当なのか心理系かの差異は別にして)親との同居が続いており、その関係に明快な「意思疎通上問題ありげなやりとりが継続している」とした場合、心理的にはこれ相当高いリスクになります。
(極端に言えば「単純に関係悪化しているだけ」とかの方がまだまし。)

上記を理解する上ではザックリと心理学が自我問題をどう考えているのかの概略の説明必要と思いますからそこ突っ込んで説明しますが、
▲『自我』を『OS』だと思ってください(その方が話早いんで)
親の存在はPC個体のadmin権限にとって微妙な存在ですよね?

言うならばそのPC購入時にOS入れた管理人は主体的には親でしょう、
そして子供の成長に合わせて権限が委譲され(別のユーザー登録が行われ)、
思春期の反抗期に「本人による大規模なアップデート」が行われて(admin権限も完全委譲)、
そのOS含めて(PC本体は元々自分の身体ですが)「俺自身」となり、
20歳で(社会契約的に)法的にも大人認定(法的なadmin権限の保障)となります。

それが、OSの思春期アップデート(反抗期)に何かしらのトラブルがあったのではないかという内容が示唆されるような現状の親子関係が継続していたり、”いかにもな親子関係”が成人後も継続するとそれはadmin権限を侵害する事もあり得るワケです。

少なくとも「どこかに(全てではないかもしれないが)心理的な問題が想定される場合」には、親子関係は重要な分析ファクターになりますので(『自 我=OS』として考えた場合管理人から過去の経緯を聞くのは議論の余地無い話だと思います「アップデートのバージョン」であるとか「その時何しました」み たいな)仮にそこに「なんらかの関係上の問題が想定されるとした場合」これは問題ですよね?

そして更に別の個所を引用すると、
>一昨日(4日)疑問に思ったことですが、“ずっと音楽を聴いていて(聞き流したりしてい て)、声に出さないで言う行為が止まって音楽に集中してしまうこと”や、“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に 文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為が止まって音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすることに集中してしまう”の 2つのことは普通に誰でもあるかどうか疑問に思ったんです。

ここは本文にある2つの質問同様に「これも統合失調症の症状だろうか?」のように派生しているのかなと思いますが、
■心理面で言えば重要なのは「(今回の2つの質問含めて)これらがどうして質問したい動機となるのだろうか?」という部分です。

極論本人気にしていないのであれば、人間なんて→脳内のロジカル処理は千差万別なのだから:OSで言えば代表的なウインドウズのような統合OSは存在しな い。100人が100人違っていて、心理学で言うところの『共同幻想』もせいぜい「ユニックス系」程度の意味でしか無い。
各人オリジナル且つ高度にカスタマイズされたOSでしかもそこでフリーソフトをこれでもかってカスタマイズして使っているのですから、
「○○の処理過程でdos窓が一瞬開くのは問題ですか?」という質問は
それほど重要では無いというか、本人気にしていないならどうでもいいのです。
(仮に医師にとってその差異が個別具体的に症例状の分類(病名認定)に大きな影響を与えるものでは無く、医師としても「個人的な関心・関連質問に答えている」認識でしょう。)


だとしたら?

>ヤンタローの意見に対する返答を下さい。
こういう切り口じゃなくて、
ヤンタローさんはそこを確認するために、そもそも”更に上位構造の問題意識”で考えた方が本丸に近づくことになります。
(その過程において”ヤンタローさん自身の意見”のような考察が入ってますが「そもそも質問段階で意見集約化されている部分こそが心理的考察なのでそこから聞いた方が早い」ということです。)

合わせて、
通常こういうサイトにおける相談だけでなく一般のメール等でもそうかと思いますが、
「私の意見でもあるのですが」とか「僕がそう思っているだけなのかもしれませんが」などの表現では主語には代名詞が用いられます。
(主観認知です)
しかしヤンタローさんの主語は”HN(ヤンタロー)”です。

上記文法形式はどのような認識がバックグラウンドの場合用いられるものでしょうか、
「それがkagewari精神分析相談事務所としての見解です」
「それが私の見解です」
後者(主語私)の方が主体的に見えませんか?
前者における固有名詞(HNなど)の場合あたかもその世界(業界)における話に聞こえませんか?


何を言っているのかと言えば、
>過去に統合失調症と高機能自閉症と診断されました。
 ↑
ココです、

表向き自閉症は(カウンセリングの会話ができないので)専ら心理学担当ではありませんが、統合失調って言うのは言うならば「ログインユーザーは誰でどういう権限か混乱(或いは二重ログイン)」みたいなメンタル系の話になります。
だからこそ「私や僕の」ではなく「ヤンタローの意見」という主語になっているのではないかと、
(とにかくその時のログインユーザー名「ヤンタローでは」のように、)
■ここは一見見過ごされがちですが心理的には重要な部分ではなかろうかと”私は”考えます。

ニュアンスわかります?
(かなり難解な話していると思うので、は何度か最初から反読お願いします。)

「admin権限者である”私”(ログインしている更にその前の自分って意識)」の自立性や独立性や自由度などが不安定なのじゃないかって事です。
だとしたらいろんな事が繋がる。
(あれバックグラウンドで自分が前に作った別名ユーザアカウントの処理が続いてんのかな?とか、)
個別に答えますと、
(ヤンタローさんの想定している趣旨の答えになっていないかもしれませんが、)


>言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?

自意識の命令系統混乱中ってことです。
誰にでもあることですが「トレーナーのいない自主的トレーニング中の腕立て伏せの時、もう一回かもうやめようか」こういうポイントでは(心の声と認識されるかは各人違うと思いますが)コマンド画面に二つの命令文が並んじゃう状況には違いが無い。
(誰であってもです)
「どっちでEnterすっか」と、
この時『主体性が揺らいでいたら』どうなります?
「あれ押すとか決める権限俺(独断専行)でいいのかな」

『どっちでも好きにすりゃいいか的割り切り認知』が感じられないのだとしたら?
(「腕立て伏せの時の後一回のジレンマ」みたいな状況が解決せず継続し続ける状態)

典型的なのは引用した
「“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為」
 ↑
これって動機形成として「何の行為」かよくわらかないですよね?

仮に音楽を掛けているのが同室にいる他人だったら「ちょっとウルサクて集中できないから音消せよ」とか言う場合あり得ませんか?
或いは人と会話中に(この場合掲示板ですが)違う事を考えていたら「人に話してる時に他の事考えてんじゃネーよ」とか言う場合ありませんか?

■それやってんの誰?みたいな『行為における動機形成の主体(や権限)』がマチマチで揺らいでいる。
(主格であるとか主観認知が不明瞭になっている)

>体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意味は『心の声に体が反応してしまうましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。
 ↑
ぶっちゃけこれも同じでしょうし、
(「腕立て伏せの時の後一回のジレンマ」みたいな状況が解決せず継続し続ける状態)
下記引用も同じ。
 ↓
>一昨日(4日)疑問に思ったことですが、“ずっと音楽を聴いていて(聞き流したりしてい て)、声に出さないで言う行為が止まって音楽に集中してしまうこと”や、“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に 文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為が止まって音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすることに集中してしまう”の 2つのことは普通に誰でもあるかどうか疑問に思ったんです。


■心理学の場合、自意識と無意識のように(或いは無意識における強迫構造など)個人の自我が必ずしも単一の構造では無いと考えています。
各分野が相互補完で自然に連携していれば動作も主観認知もスムーズですが、各分野が構造的論理矛盾の関係にあったり強迫性から自意識が過度に抑圧されるなどそこに偏りがあれば、人間の自我は誰でも「あられもない方向」にいってしまうのであって、
(※簡単に説明すれば自意識とは”マニュアル”無意識とは”オートパイロット”)


再び私が引用したもうひとつの項目へ戻れば
>以前も親に言われましたが、パソコンでスカイプやチャットをするのはウイルスを自分以外の人にばらまいてしまうため、禁止と言われました。

こう親が言った時、
「何おかしな事言いだしてんだよ。気でも違ったかんかオイ、ばら撒くも何もあんた仮に俺のマシンが感染前提ならそっちが問題だろうが。シマンテック入っておけとか、ファイアーウォールの設定心配するならまだしも、うつすから止めろってのは馬鹿みたいだからヤメレ。」
或いは(別ケースとして)、
「俺がスカイプやチャットで依存症みたいに見えるって事?だったらはっきりそう言えよ。」
みたいな会話に何故なっていないのかって事です。

それは、
”『行為における動機形成の主体(や権限)』がマチマチで揺らいでいるから”
だと思いませんか?
私には上記会話が「伝聞情報」のように聞こえるんですよ。
(親にそう言われた本人の状況をはた目から見ていたヤンタローなる人格が聞いていてそれを伝聞情報として説明しているような)

(オマケで心理的に言えばスカイプやチャットは依存性を派生しやすいので、自立独立を回復過程の環境を考える場合「あまりお勧めできない」とは思いますが。)

こういう捉え方に突っ込んでいくのが心理学なのです、
「そこまで話が及ぶようなものなら相談の趣旨は違う」と感じられるのであれば、結論は「”表向き”それは臨床系や神経科担当だと思います」となりますね。

(果たしてこの内容がヤンタローさんの想定していたような相談返信の形となっていないのかもしれませんが、心理的に今回の書き込みを捉えた場合私の返信は上記方向性になります。)
2075 お久しぶりです。 ヤンタロー 2011/11/17 21:00
こんばんわ。
返事が遅くなりました。
kagewariさんの返事の文章が長すぎて全部はしっかり読んでないです。

9月16日に書き込んだ「体の動きを止められる」とかは精神科に相談したところ、実際の体験をそのまま具体的に書くように言われました。
それで実際の体験を具体的に書いたんですが、幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか精神科に相談したとこ ろ、「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。

薬は最近はテンションが高くて、PZCという薬の量が1錠減りました。
ちょっと薬いきなり増やしたせいかテンションが高くなったかもしれません。
薬を減らした翌日(17日)の夜7時半から幻聴と耳鳴りが非常に不快で辛くて大変我慢できなくなりました。

声に出さないで言ったりパソコンで音楽を聴いたりしていて幻聴の声にさえぎられる感覚があったり、さえぎられた直後に何かが(自分がしていたかも)音楽や言った言葉をつなげた、一つにしたかと感じて非常につらくなったんです。
あと何かを止められた感じがして非常に辛かったです。
2076 セカンドオピニオン的なものが求められているのだと思います kagewari 2011/11/19 10:34
書き込みの内容が具体的な質問文や相談形式になっておりませんが、私なりに「セカンドオピニオン的なものが求められているのだと」思います。
(前回の返信をまず読んでいただくことが前提になりますが、心理学や精神分析系の話は”読み考え進む”のに時間がかかるほうがむしろ好ましい部分ありますので←ログが残っていることの優位性です、繰り返し読んでいただければと思います。)

まず今回の話ですが(前回の返信にも同様部分記載ありますが)、
■医療のバックグラウンドの確認が重要でしょう。
短くまとめるためにザックバランな表現使います(必ずしも厳密な意味で正確ではありません)。
医療界は検査や診察などで病理的に因果関係がわからないものは「原因の説明ができない」のです、
 ↓
で、病理的な精神病(やアルツハイマーなどの痴呆症など)はその説明ができますが→でないものを『メンタル』と診断しているワケで、
医療界が”メンタル”であるとか”精神的”と表現したところで医療界には「それ以上の説明ができない」のです。
(医師の個人的意見は言えますが)

特に日本は(混合医療やらの問題も含むのですが)保健医療の枠組みがありますから、
尚更医師は「保健医療枠内の診療行為」をしなければなりません。
(あきまでも極論ですが個人的に勉強している心理学の話をしていいものか微妙←すくなくとも診療行為として行う場合別途個人クリニックなどの窓口が必要になります。)
 ↑
専ら医療の現場で登場する「臨床心理」などの言葉は事実上『投薬効果の統計』のこで、
(なのでナントカ症と分類する事が重要なのであって、ナントカ症と医師が言えばその因果関係や原因などを説明できるという意味ではありません。効果のある処方をする時の「母集団名」のようなものです。)
製薬メーカーも明快に「原因はわかりません」と断言してます。
(脳内物質のバランスなど明快に検査などで観測される”状態に対する対処”の部分的局所的因果関係は別ですが。)
「わかりません」という断言を医療的言語にすると=”メンタル”や”精神的”となるのです。
(ですから精神科などの問診の中心は「投薬の効果状況」と「副作用の確認」となる。なんと申しますか医療界には叱られると思いますが、昔昔の精神医学会は 患者を独房みたいなところに収容したり、真面目に電気ショックやら怪しい実験を繰り広げる医師までいるような業界を経て現在”臨床”に至るような歴史的経 緯ですから。)

つまり
>それで実際の体験を具体的に書いたんですが、幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうと か、何か思い出そうとすると思い出せないとか精神科に相談したところ、「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそう いうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。
 ↑
この辺の話は医師にとって、「投薬の効果状況」と「副作用の確認」の意味で重要なだけで、
「なぜどうしてこうなったのか?」などの話は「ぶっちゃけわかりません」なんです。
(言うならば医師にとっては「そうですね〜原因ですか?精神的なものでしょうね」まで、)

勿論
>「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。
 ↑
ここもそれほどたいした根拠のある話ではありません。
(医師もそのつもりだと思います。「まーねそんなこともあるかな」みたいな、)


■心理学系のバックグラウンドの確認ですが、
極端に言えば心理系は「医療理科系」ではなく「文系」です。
”メンタル”や”心理的”な現象を何故なのかその原因や因果関係をロジカルに考えるのが専業になります。
(人は何故そう考えるのかなど扱っている哲学も所属する「文系」)
(誤解覚悟で付け加えるならば「宗教哲学の心理的分析」とかも心理学の分野です。心理系が医師会に対して厳しい視点があるように医師会の一部は心理系を”オカルトジャンル”で見ている状況があるのは事実だと思います。実際心理学の一派にはオカルト系とかありますんで、)

ですから心理系には投薬上の分類でナントカ症とか名前がついたとかは重要では無く(極論どうでもいい)、
「その心理状況の背景や経緯」を重視します。
(精神分析は特に自我のなりたち:過去や親子関係の聞き取りを重視する。)
言うならば『強迫心理』がどういう構成要件でどのような形で自我(OS)を圧迫しているのか?のような判定です。

話は戻りますが、
>幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか
>思考力・読解力がゼロになったこと
>声に出さないで言ったりパソコンで音楽を聴いたりしていて幻聴の声にさえぎられる感覚があったり、さえぎられた直後に何かが(自分がしていたかも)音楽や言った言葉をつなげた、一つにしたかと感じて非常につらくなったんです。
>あと何かを止められた感じがして非常に辛かったです。

この状況は『認知症』だとか『知的障害』ではありませんが、
ひとつ考えてみてください。
『認知症』や『知的障害』があったとしても(生物にはそれぞれ知的水準があるのであって)知的に下層の哺乳類の普段の日常生活のような振る舞いにはなりませんよね?
暴論になりますが「知的に下層の哺乳類の普段の日常生活」となるのであれば、それはそれで平和に過ごす事を考えればよいので特別な介護などは必要ありません。
事実サルなどの他の哺乳類も同じように『認知症』だとか『知的障害』となると(更に下層の知的水準の日常となるのではなく)『異常行動』が見られます。
 ↑
この現象はなんでしょうか?
そして『異常行動』やその体感が生理的に健康且知的問題も無いメンタルの症例で何故引き起こされるのか?
(思考力・読解力がゼロなど瞬間的な知的水準の後退まで見られるのか?)

共通項は「パニック」ですよ。
言い換えれば「現実に対する即応性や認知が制限されている(←この状況を”追い詰められている”とも言いますよね)」、
現象自体は”視野狭窄”なんて呼んでもいいのですが、
自我を圧迫して認知や判断に制限がかっている。←これを『強迫心理状態』と呼んでます。
(大事故が起きたなどの外部要因による一時的ストレスでは無く、日常恒常的に続く自我構造的ストレス。)


■医療と心理学では認定というか相談を受ける意味や意図が全く違うのです。
結論「精神科などの診療に対するセカンドオピニオンにはならない」と言えます。
(心理系としては医師が何を答えた内容にに”全く接点が無い”→常に可能な限り投薬はギリギリでと願うぐらい。)

なんと言えばいいでしょうかね〜
「このネクタイ似合ってますか?」「ネクタイが窮屈なんですけど?」を扱うのが医療界で、
「人は何故ネクタイを?」「僕のネクタイへの忌避感は何でしょう?」を扱うのが心理学です。

なので「病院でネクタイが窮屈なんですけどと聞いたらこうだった」の答えを尋ねられても心理系には”取り扱う接点が無い”のです。
(「話はわかりましたが、何の相談でしょうか?」になる。)

話は戻りますが、
心理学の見立てに興味がおありなら、
まずは時間をかけても何度も繰り返しても構わないので、初回返信を読みこなすことを続けてください。