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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



1043 やりたくないことだらけ スマイル 2009/07/22 12:45
こんにちは。30代の男です。
パニック障害なり、1年くらい休職(ひきこもりとも言うかもしれませんが)しています(お医者さんでは、対人緊張、神経症、解離症と診断されました)。

復職のことを考えると、憂鬱になったり、落ち込んだりします。
時々、感情を爆発させたくなります。そのときは、壁等に頭を叩き付けたりもします(タオルで口を覆い、大声を出したりもします)。

こちらのホームページを読もうにも、わからないことが多くイライラし、読む気力が続きません(授業でわからなくてイライラするのと同じ感じだと思います)。

件名のやりたくないことと(仕事もそうですが)は、簡単なところで言うと、コーヒーが飲みたい時、作るのがめんどくさいです(内向化しているということですか?)。

何か取り組みたいと思いますが、何から始めればよいのでしょうか?

以上、宜しくお願いします。
1044 Re:何から始めればよいのでしょうか? kagewari 2009/07/23 00:48
>何から始めればよいのでしょうか?

ということであれば
(強迫心理にカウンター効かせるために意図的に大げさな表現使います)
「復職など馬鹿な事を考えない事」でしょう、
自分で思いついた言葉のように声を出して独白の調子で自分に向かって語ってみる。
当面社会適応系(なんとなく”マトモ”ジャンルで考えている行為)の選択は「当面スッパリ切り捨てる」事です。
※景気対策と同じで「債権放棄」など思い切った手を打たないまま、中途半端に債務繰り延べする等しているとかえって悪循環になりますから、対処すべき現状(状況)を切り分けてしまうのです。
 ↓
弾薬が無くなりそうな状況で『当初の戦略目標』に拘っていても仕方が無い


各論説明していきます、
(以降ゆっくり繰り返し読んでください)

>やりたくないことだらけ
なのは
「やりたくないことを真っ先にやろうとしているから」ですよ。
これが長く続くと”厭戦感”というか特別やりたくないと思っていない行為(コーヒー)まで「これもめんどうだ」のようにひとくくりになって拡大していきます。
原因は”実はやりたくない”部分の選択や決断や認識や選択における自己責任(本音か否かって意味です)が曖昧なままで、
「やりたくないことを真っ先にやろうとする原因」が『無意識的』だからです。
本音やりたくない行為は何かという判別が曖昧なまま、しかも余裕も無いため「面倒だな」など僅かでも不快感のある行為も(実体としての不快感負担が拡大しているので)引っ張りこまれるように次から次と「やりたくないことだらけ」のように拡大。

■誰だって「大きな意味で疲れる事象」があれば”当座何もやりたくなくなる”ほどガッカリするなど、
代表的な快不快を発端に「連鎖的に他の行為にも影響が及ぶ」のは日常生活にも起きる現象です。

※心理的に問題となるのは「大きな意味で疲れる事象」の具体的特定や理由・背景が”無意識的”で自分でも何がどうだからのように『疲れる本丸』を補足できないため「大きな意味で疲れる事象があったから」では無く→「なんだかわからない(無意識的で曖昧)うちに何もやりたくなくなった」と認識されるため問題になるんです→自立的に解釈や対処ができない。
(自分なりに「○○だから」と今の段階で思いついている理由も本当の意味でも深層心理を言い当てていないだけでなく、深層心理の拒否感問題を回避するため、場当たり的な理由を「○○だから」と誤認している事も多い)


背景にある「やりたくないことを真っ先にやろうとしている原因」の特定には時間がかかりますから、
(書き込み要望から推定するならば今の段階でそこまで考えるのは早いでしょう)、
>何から始めればよいのでしょうか?
ということで、今手始めに何をするかと考えてみると

強迫心理の鉄板・典型となる
「ステレオタイプな常識的選択(”マトモ”ジャンルで考えている行為)」
『ひとまずこれを100%否定してしまいましょう』
カウンターを当てる意味で
「そんな馬鹿馬鹿しいことやってらるか」を理由として全否定する。
或いは「早く復職を」などと投げかける人物がいたら”完全黙秘”して(はいはい勝手に言っとけ的に)否認する、
(外野席の意見を全否定:詳細は後述します)

狙いは
現段階では「やりたくないことを真っ先にやろうとしている原因」の特定が不明なままなので、
具体的にこれを切り分ける(特別やりたくないと思っていない行為も切り分けられない)のが困難な状況ですから、
『心理学的な意味でザックリ切り分けしてしまう』のが早道だからです。

キーワード並べてみましょう
「仕事」「コーヒー」「めんどくさい」
これらをまとめて関連付けてみます。
「仕事:社会」「コーヒー:日常」「めんどくさい:自発性→動機形成プロセスの腰が折れている」
◎その中でも代表的なのが
>復職のことを考えると、憂鬱になったり、落ち込んだりします。
最強なのが「復職」であるのは間違い無い。

ここで再び”マトモ”ジャンルで考えている行為って何か?
(何故それが心理学的切り分け効果があるのか)
「常識的行為なので”特別自意識が全面に出てその都度真剣に考えなくてもいい行為”」の総称です、
仮に「絶対○○でなければならない」のような強迫心理が背景に存在しても、
「(常識ジャンルなので)自意識はそれに気が付かない(考えるまでも無いのように)」
「(常識ジャンルなので)大きな問題だと認識できない(疑問の余地が無いのように)」
「(常識ジャンルなので)うっかり”いやいや個人的に○○は無いわ”のような本音を見落としてしまう(異論があるとあたかも”自分が非常識か?”のように勘違いしてしまう)」
つまり
「おいおい軽率にここで○○すべきだなんて安易に考えちゃいけないだろう」
のような自意識の”本音チェック”が落っこちがちの行為だって事です。

心理学的にはそういう行為の中に「やりたくないのにを真っ先にやろうとしている行為」が介在する事が非常に多いんです。
※常識的にな行為なのだからそれが心理的に「本音はやりたくない」のだとしたら大変じゃないかと思うかも知れませんが、表面的には常識的行為でも潜在意識がその行為に特定の過剰な意味付けをしていれば「同じ就職でもこの場合意味が違う」のように『結果論として別の行為になっている』事になるんです。


心理学的に説明すれば構造的に自意識の”本音チェック”が抑圧される強迫心理が深層に存在する→構造的に”本音チェック”が行われないように無意識に検閲されている:となります。
同時に「一見常識ジャンルの言葉」の背景に”暗韻”としてそれを拡大誇大視する心理(記憶)が連想セットになっていて、その(常識的)言葉と違って深層心理ではより過剰な意味に(強制的な命令文のように)拡大している。
(この辺は少々難しい部分になりますから読み飛ばしていただいても結構です:HPのテキストも同じで「明快な説明が可能なものなのか」程度の確認で詳細は読み飛ばしていただいて構いません→テキストの本旨は心理学論としての話ですから)


話は戻りますが
ですから
>何から始めればよいのでしょうか?
初期的対処としては
「復職など馬鹿な事を考えない事」
「ステレオタイプな常識的選択(”マトモ”ジャンルで考えている行為)をそんな馬鹿馬鹿しいことやってらるか」のように当座全否定する
この辺から始める事です。
全面否定しても一向に差し支えないのです、
 ↓
回復した後に十分に考えて「本音としても自分は○○するかなと十分に納得した」のであれば、
後で何をしようが(ステレオタイプな常識的選択行為でも)構わないのですから。

狙いは「自意識の”本音チェック”」プロセスを担保するため、
国会論議で言うところの野党のように「反対票」を掲げて『チェック機能』を起動させるためです。
※誰かが異論を発言しない限り審議は行われず思考はスルーされてしまうため


あれこれ考えるにあたって、外野席(血縁親族・友人・同僚・上司)の意見は”無視”してください。
(平場の論議ではなく”談合”のようになってしまう)、
理由は
こういった心理状況にある場合『非常に高い確率で強迫心理の投影』が近しい人物に行われ(いいも悪いも含めて:人物の過大評価)、
外野席の意見が誇大に認知(人物そのものが無意識にいいも悪いも含めて過大評価)されるためです。
傾聴に値する意見があっても”同じ意味の幅”で認識する事ができなくなる可能性が高いのです。
(気が付かない間に何倍かの強制力のある命令文のように無意識下で認識されていたり)
これでは問題がややこやしくなるばかりです。

※参考意見として使えるのは、第三者になります。
因果関係・利益関係の無い第三者:タクシーの運転手・バーテンダー・限りなく知人程度(明快に仲がいいと自身の無い)友人・カウンセラー等々
別段第三者云々含めて他人の意見は現段階だと特別大事でもありません
上記説明で重要なのは「外野席の意見から自分を守る」部分です


ともかく
「なんだ復職なんかしなくてよかったのか」と”断定”(100%の気合で全ての戦力を投入して断定してください)
自意識の自由度を幾分でも回復して、
『考える自由(本音の担保)を復権する事』です。

コーヒーなど日常性に関しては「いかに同じ満足度を楽に可能にするのか?」を考える事に集中する、
「リアルコーヒーを完全に諦めてインスタントにする:インスタントをそこそこ満足いくように淹れる方法を真剣に考える」
「リアルコーヒーを完全に諦めて缶コーヒーにする:缶コーヒーの選択を真剣に考える(全メーカーの缶コーヒーを熟知するぐらい)」
「そもそもこの世にコーヒー等無かったのだと考えて→ペットボトルの水を愛飲する(健康第一)」
「ゴロ寝主義に徹する:いかにゴロ寝したままほとんどの事が実行可能な環境を考える(PCの寝床の近くに、TVを寝たまま見られる位置に、着替えはほどほどに、入浴も適当に、楽でだらしがない部屋着を選択)」
 ↓
めんどうくさくない状況を真剣に作り→「めんどうくさいと言わせないようにする」って事です(”楽な方法を考える”)。
めんどうくさいと思われた行為は『徹底的にめんどうくさくなくする工夫を考えこれに対処する』
→「めんどうくさくなくさせる」そのための工夫に全力をあげる

繰り返しになりますが、
めんどくさいままそれをやろうとして
→「めんどうくさいので断念した」という結果を成立させない工夫を『あらゆる手段を駆使して考える』

このセットで、
前段の『考える自由(本音の担保)を復権する事』が生きてきますから、
自発的にあれこれ作戦を考える動機形成のプロセスが回復基調に向かいます。
※前段説明と被りますが「大きな意味で疲れる事象」があれば”当座何もやりたくなくなる”ほどガッカリするなど自然現象ですから、その反対は「少し楽だな」とか幾分でも余裕のある状況を作れば状況は好転する事になります(悪循環は停止する)。

今の段階における
>何から始めればよいのでしょうか?
として「少し楽だな」的環境整備に全戦力を投入するという事です。


そして
>時々、感情を爆発させたくなります。
これは「めんどうくさいの意図しない拡大」によって、
本音で「あーコーヒー飲みてぇ」と思っていてもそこまで”めんどうくさいロジック”により否定されてしまい
■欲求不満だからです。
たとえば:メンタルな悩みが無くても何かの理由で強引にトイレを我慢させられたら誰だって
「壁等にあたったり(大声を出したり)したくなります」

ですから、
「復職は冗談じゃ無いが、○○って面白いんだよな」
「あーコーヒー飲みてぇ」
「駅前のラーメン食いてぇ」
「○○の映画見たい」
「そういえば○○の新製品ってどんなんだ」
”めんどうくさいロジック”拡大によって、本音で期待されている欲求まで動機形成の腰が折れてしまっていて、現状慢性的な欲求不満にあるのです。

ここも
>何から始めればよいのでしょうか?
として初動対処を考えるのであれば
「とにかく外出だけはする」です。
ここも前述の→「めんどうくさくなくさせる」プロセスが重要で、
「部屋着のままで外に出ても当たり障りの無い楽な服装を準備する」
「散歩コースを楽な(知り合いと顔を合わせない等)方向(時間)に特定する」
「5分・1分でも30秒でもいい(しかし毎日)→それでもダメなら窓を開けて必ず外を見る」
どうにも今日は外出は。。。
という時には「腹筋50回(能動性の代謝)」
さらにそれも”めんどうくさいロジック”で不可能な場合には
「いかんなぁめんどうくさいので”好きな外出”もできないってか」と”必ず”確認する(独白であるとか日記に記述するように確認)
 ↓
自らの意志で「やらなかったのだ」と断定→「めんどうくさくてできなかった」と言える余地の無いように”楽な方法を考える”

なんだそんなことかと思うかも知れませんが、
自然界の動物や刑法の牢獄で考えてみてください
『自由に外を歩ける』
これは生命にとって、非常に(開放感の強い)大きな能動性の代謝です(欲求不満のガス抜きになる)。
心理的に問題を抱えている自然界の動物が檻を開けてもなかなか外に出ない事もありますが、
これは出たくないのじゃありません(間違ってもめんどうくさいのでは無い)。
安全の確保等、不安感が強いからで(なのでコースを選ぶ、楽な服装、知り合いと出くわさないコースや時間、1分でもいい、窓開けでもいい、全部NGなら腹筋:脱獄系のお話において脱獄の意志を失わずに自意識を保つ行為を何とか選択する時必ず主人公は独房の中で腹筋や腕立てなどで自意識のテンションを保ちますがこれは→自意識発動の動機形成を発現する事で”如何に能動的に欲求を代謝するか”という自己完結性の確保が依存であるとか不安を切る力を持つためストーリーとしてもリアリティがあるためです)、
楽な外出を考える部分に手を尽くすって事です
→「めんどうくさくてできなかった」と言える余地の無いように”楽な方法を考える”

※確かにここにも強い意志が必要な場合もありますから無理は禁物です。
その時には自らの意志で「やらなかったのだ」と断定:自己責任の明快化(行為選択の所有権を回復しておく)


通院されているお話ありますから、
■「外出単体にはさして問題が無い」のであれば、
気ままに通える喫茶店や、図書館や、楽にしていられる場所に習慣的に外出して、
「いったいこれまでどんだけ馬鹿馬鹿しい話に僕は振り回されてきたのだろう」
のようなテーマを考えてみる。
※そういう「お題がある」と考えてください、
当初”馬鹿馬鹿しい話って何”を具体的に思いついている必要ありません。
「すべらない話」のように「馬鹿馬鹿しい話」を『お題』に大きな枠で考えてみるって事です、




まず初動は
「緊張して固まりがちの自意識(現実に対峙して右へ左へと戦局に応じて対応を考える機能)の自由度を”ストレッチ”する」
「固まっているんだよな的意識を(外郭的部分だけでも)ゆっくり考えてみる」
というところからでしょう。


■生活実態として収入面をどうする等の部分は、ケースによっては労災の可能性もあるし、通院していれば生活保護の受給対象ですし、いっそのこと退職すれば半年は失業保険が支給されますし、段階的に考えれば「今は休むのが仕事」みたいな状況ですから有利になる環境をあれこれ考えるのを優先し、先々の事まで考えない事です(現実として問題は”今”起きているのですから)。
ここは「ま、おおむね大丈夫だろう」と考えておきましょう。
 ↓
あれこれ考えて
「全く違う職種が自分の本音だったのかもしれない」
なのかも知れないのですから、
1045 Re:何から始めればよいのでしょうか? スマイル 2009/07/23 04:36
ご返答、有難う御座います。

気分が楽になりました。
わからない点が多々あるので、じっくり何度か読み返したいと思います。

取り急ぎ、御礼までですが、有難う御座いました。
1046 Re:何から始めればよいのでしょうか? スマイル 2009/07/24 23:44
> 「復職など馬鹿な事を考えない事」でしょう、

この文章で気が楽になりました。
そして、仕事の依頼(誤解を招く表現がありましたが、自分はアルバイトというか、日雇いというか?)があり、やることにしました。
お医者さんからも、やってみたらどうかといわれました。
ですが、緊張したり、不安になったり、気分が沈んだりします。
(こうやって文章を考えていると、気分は良いです。ですので、仕事は、いかに楽をするかを考えながらやれたらいいな、と思います。)
病状的には、良くなってきていると思いますが、仕事をするには、まだ早いのでしょうか?

回復するための方法が、仕事をしない(それとも、仕事なんて馬鹿馬鹿しいと考えること)、第三者の意見、めんどくさくないように知恵を絞る、外出をする、ということでしょうか?(筋トレは、時々やっています)

パニック障害になった当初、カウンセリングを受けたかったので面接?をしました。そのとき、カウンセリングを受けると心が壊れると言われました。
カウンセラーに問題があるということですか?
(今のお医者さんは、カウンセリングの必要が無いと言います)

> 自らの意志で「やらなかったのだ」と断定→「めんどうくさくてできなかった」と言える余地の無いように”楽な方法を考える”

この文章を読んだら、追い詰められた感じがして、すこしつらいというか?、かなしいというか?です。

> 通院されているお話ありますから、
> ■「外出単体にはさして問題が無い」のであれば、

多少問題ありです。

> 「いったいこれまでどんだけ馬鹿馬鹿しい話に僕は振り回されてきたのだろう」
> のようなテーマを考えてみる。
> ※そういう「お題がある」と考えてください、
> 当初”馬鹿馬鹿しい話って何”を具体的に思いついている必要ありません。
> 「すべらない話」のように「馬鹿馬鹿しい話」を『お題』に大きな枠で考えてみるって事です、

ここがよくわかりません。
具体的にというか?、噛み砕いてというか?教えて下さい。

>ケースによっては労災の可能性もあるし

仕事中に過呼吸になり、脱水症状気味になりました。アルバイトですが、労災の可能性はあるのでしょうか?

> あれこれ考えて
> 「全く違う職種が自分の本音だったのかもしれない」
> なのかも知れないのですから、

そんな気がします。

以上、宜しくお願い致します。
1047 Re:こんな風に考えてみてください kagewari 2009/07/26 00:45
>仕事の依頼(誤解を招く表現がありましたが、自分はアルバイトというか、日雇いというか?)があり、やることにしました。
>お医者さんからも、やってみたらどうかといわれました。

考えるにあたっての優先順位は『無理をしない』です、
何故ってさて仕事にでもって時に「まだ眠い」とか「疲れている」程度の事はあっても
神経症的不快感があれば→そもそも休職する理由と状態は同じなのであって、
「何も解決せずに一巡した」になります。
休職したのと同じ理由で『まだ無理だ』となりますよね、
 ↓
つまりそもそも休職に至った「不快快の流れ(あーなるとこーなってこうなるみたいな)が同じであればまだ早い」と考えてください。

というか、
「あ、なんか感覚が変わってきたかも」のような”少し楽に考えられるようになった体感”無しに動き出しても
「肩の違和感に変化が無いのにキャッチボールを始めた」
のと同じです、
状態に変化が見られるのような(肩の引掛かりが消えたとか)感覚(或いは雰囲気でも)が無ければ「まだ早い」でしょう。
ここは自分自身の判断になります。

医師の投げかけの解釈に「現実認知(考える時の前提条件設定)の一部が無意識的な受け身のままである」特徴があるんです。
医師は「やってみたらどうか」と言ったのであって、
「無理にもやってみなさい(印象が強調され命令文のようになっている)」とは”言っていません”、
つまり、軽く聞いて「どんなもんかな」と考えるテーマとなります。


ちょっとやってみようかと動き出して→状態を確認
「これまだ無理だ」
という判断は
■自分でするんです
「依頼を受けて考えてみたんですがやはりだま無理ですね〜」
と医師に告げたとして、医師は
「そうですか」としか言わないでしょう。

<補足説明>
後述のカウンセリングに関しての説明パートとも被りますが
医師系のスキルとして「必ずしも心理学の知識は必要ではない」のですよ、
(臨床系の心理は統計学的な分類学に近いもので所謂文系の心理学とは全く違うものです)
ですから、医師は精神分析的な知識を全く持っていない人が多いですし、学派的に臨床系は文系分類の精神分析等の心理学に否定的です。
どうしてなのかの説明はかなり難解な話になるので飛ばしますが、
ザックリ説明してしまえば「学科が違う」んです。
(文系の精神分析はむしろ文化人類学や動物行動学や哲学・言語学との親和性が高い→「問診で哲学的考察する医師」なかなか考え難いですよね)
畑違いと言ってもいいかも知れません。

ですから医師は(この辺医療系のサイト等で調べれば山ほど出てきますが)
「○○の投薬は○○の症状緩和に対処療法的効果がある」事に優先順位がある職業ですが、
「そもそも心理的にどうして○○の症状が発生するのか?」をロジカルに考えるのは”その世界では”重要じゃありません。

歯医者さんを思い出してください
「○○さんどうして○○になっちゃいました?普段○○する方でしょうか」と尋ねますよね?
これ問診で医師が患者さんに説明聞く部分なんですよ(医師が説明する部分ではない)、
医師は現象として「○○の興奮が発生するのは脳内物質の○○の分泌が」のような現象面とその対処の専門で、
 ↓
「胃酸過多なので胃散出しましょうね」は早いんですが、
「どうして胃酸過多になったのか?」は、厳密に言うと医師の仕事じゃ無いんです。
原因的には「あーストレスですね」ぐらいの範疇で(その世界では)いいのです。
※実際心理系の症状では、薬剤メーカーでも
「原因不明で、何故効果があるのかも不明だけれど臨床で効果と安全性は証明され、、、」
のように、原因をロジカルに考える事は専門外なんですよ。

ですから医師からすると、
「正直カウンセリングってどういう事するべきでそれって何?」ぐらいであってもOKというか、、
ぶっちゃけ「それほど詳しくない」のです、
そして、精神科系のカウンセリングは臨床系になりますからざっくばらんに言えば「”詳しい問診”の域を出ない」傾向あります。
そんな関係で、医師は
「今の症状だとカウンセリングもストレスだよな」であれば薦めない方が自然です。



>カウンセリングを受けると心が壊れると言われました。
その医師がどういう意図でそう話したのかわからないので、
こればかりは何ともなんですが、、
 ↓
前回こうお話しましたよね
>>背景にある「やりたくないことを真っ先にやろうとしている原因」の特定には時間がかかりますから、
>>(書き込み要望から推定するならば今の段階でそこまで考えるのは早いでしょう)、

その意味なんですが、
精神分析は「依頼」という自己決定が無いと抵抗が大きく出すぎて興奮状態が過度に出る事あります。
(なのでHPや掲示板に警告文もあるのですが)
場合によると「強迫意識の正当化のための挑戦や挑発」となり、強迫意識を反射的に自己防衛するための方便を目的とする事があるんです。
(少なからず通常の分析やカウンセリングでもその傾向は出ます)
 ↑
ちょっと難しい文章ですよね、
何を言わんとしているのかと言いますと。
こんな話です
 ↓
「いやぁ違う違う○○って靴じゃないとダメなんだよ(実はその靴の事をよく知っているのではない:曖昧)」
「でもあれでしょ○○するんだよね、だったら×××のシューズでも問題ないと思うよ」
「だから○○って靴じゃないとダメなんだよ、×××のシューズって○○と同じなのかよ違うだろ!」
「そういう話じゃなくてさ」
「もういい僕は○○って靴じゃないとダメって話をしているんだ!」

※上のやりとり繰り返し読んでから以下に読み進んでください。

「あの○○って靴に意味あるんでしょうか?」という認識が無いと
「それは×××のシューズでも問題ないですよ」は有効な回答にならない。

この辺(現段階では)なんとなくわかっていただければOKです。


■さて話は戻りますが
通常精神科医師の「治った」的確認はステレオタイプになりがちです。
何故って「誰にでも一般的に説明できる結果」じゃなければ臨床的にも公平な医療にならない。
 ↓
「あなたにとってはここまでで完治ですよ。」
「いえいえあなたは違いますまだまだ治療が必要です。」
これじゃ診療秩序がめちゃめちゃになりますよね?
医師法で訴える人もいるかもしれない。
しかし人の心理は「その人の個性に応じて全然違う」のですし、
何をもって「随分楽になりましたもう大丈夫です」と言えばいいのか?
ここ考えてみてください。

医師の側でこの部分をきめ細かく対応する手法はひとつ
『インフォームド・コンセント(方針を説明して治療は患者が選択する)』
しかしですよ心理面の問題の場合
患者の側に現実認識や整理して考える余裕や、自分の意思で方向性を決定する力が「そもそも症状として落ちている」じゃないですか。
同時に前段で説明したように医師の側は「どうしてそうなっちゃうのかロジカルな事はよく知らない」のです、
※ここ前述したように精神科等の構造的問題なんですよ
医師の側から顧客に説明を求める部分が→そもそも症状でうまく顧客の側は説明できない
しかし医師の側は説明されないロジカルな深層を考える専門家ではない
※医師の側にも限界がある分野の話であると理解いただければと思います。

ですから医師の側がステレオタイプに→会社に復帰するなど『社会適応へ元気に現場復帰した』ところを平均的に”治った”と考えるケースが比較的多くなっちゃうんですよ。


でも考えてみてください
仮にメンタルに全く問題なく
「俺は現場主義だからスーツ姿のサラリーマンなんて冗談じゃネーよ」
「ラブ&ピース、エコロジーでワイルドな自給自足の人生選びました。会社で仕事?ご冗談を」
「組織が苦手で、ええ一匹狼なものでなんだかんだとフリーランスで生きてきました、その代わりその辺のサラリーマンとは”プロ根性”は違いますよ」
「オイラは職人だから、えれーしとの考えることはわかんねぇ。目の前の仕事を納得いくまでやるってのが生き甲斐でさ」
他にも多数バリエーションありますよね。
そしてこの世には数え切れないぐらい職業や、生き方ってのがある。
 ↓
その状況で「そうですか現場復帰(社会適応)されて、もう完治ですね」
これは無茶な話です。
本質的には「職人派で、サラリーマンなんて冗談じゃネーよ」な人だとしたらこれは偏向ですから、
しかし、医師の側の発想というか考え方には(特に精神科や心療内科は)限界もあるんですよ。
※個人的興味で心理学にも深い理解のある医師もいますから、あくまでも一般論としてですが、

又一般的に、受験勉強であったり実家が医師だった等文化人類学としての「医師の社会階層」は心理的に『社会適応型人格』に偏る傾向もあるので(乱暴に表現すると「型破りな医師」とか「ヤクザな医師」は少ない:医師法違反関連はアウトローなので別ジャンルです)、医師の側のパーソナリティーとして「ステレオタイプに社会適応を常識(治った状態)だと」思いがちな傾向あるんです。
その中でも「何故精神科を選んだのか?」には各人理由あると思いますから、何らかの興味があっての話だと思いますが心理学への理解を担保するほどではないでしょう。


その辺の医師という職業特有のキャラクターは割り引いてあげなくちゃいけないところです。
<強引なたとえ話にしてみますと>
「お腹すいちゃってさ〜、ラーメン屋さんに行ったんだ」
「それで?」
「ラーメン薦められたんだけれどそれでいいと思う?」
「それって”ラーメン食べにいった”んでしょ」
(ラーメン屋さんは”お腹すいた時に何を食べるのか”を考える専門家ではない)

同時に通常病院に行く顧客の依頼は、
「(対処療法的な)効果のある処置を求めている」ケースが大半ですよね?
「熱がでちゃって、なんとかならないですか先生?」
そこで、医師は毎日毎日そんな依頼の処置に追われて働いています。
そんな現場で形成される日常や常識は
「(対処療法的な)効果のある処置を求められている」なんですよ。
医師に「ロジカルな原因分析を求める(経済アナリストに依頼するように)」顧客はなかなか病院の現場に無いですよね?
ですから医師のメンタルにおける常識形成として
「ロジカルな原因分析を求める(経済アナリストに依頼するように)事は畑違いだ」
だとしても自然といえば自然なんです。

なので医師が比較的安易に
>やってみたらどうかと
言ったとしても、
そんな医師の心理も込みで「話半分」で聞いていいのです。
(医師もそれほど根拠があって話してはいない筈です)


<心理学的には>
※以下は専門的な話なので「聞き流す程度」に読んでください
 ↓
現状のスマイルさんの状況は慢性の鬱型(自覚的な高度のロジカルも関係している)じゃないです、
社会適応型自我の一部にトラウマ的な急峻さで限定的な強迫意識が形成されているので、原因追求(分析的カウンセリング)を意志の確認無しに急激にやると、そういった論議自体に現在の自我が”経験的耐性が少ない”ために、反動や抵抗が反射的に強く出る可能性があるので、先ず自らの意志で「何か問題意識が確かになった」等を契機に「これはどういう事なのか」という”自覚的な分析依頼”が確認されない状況で強迫意識の深層分析を進めるのは時期尚早だと考えます。
 ↓(そういう依頼が含まれていないために)
>何から始めればよいのでしょうか?
という言葉が選択されている。


再び話は戻りますが、

■ぶっちゃけですね
心理学の世界、とりわけ精神分析系では
「仕事しようがしまいが、その人の勝手」であって関係無いんです。
仮にその人の考えや哲学が
「アンチ文明で仕事を悪と考え、自然溢れる田舎で自給自足する人だったら?」
全然OKですよね、
「明日から南国の離れ小島で漁師として暮らします」
その人の勝手ですよね

「強迫意識によって本音を自由に考えられない状況があるのだとしたら?」
そっちがメインの問題なのです、

ですから、精神分析は「社会適応」等というものを
「ある特定のタイプの人が志向するライフスタイルのひとつ」としか考えません。
仮に相談依頼者が「一生働かないで生きる方法を真剣に考えます」であれば、
「そんな人生もあるんですね大いに結構じゃないですか」
と答えるのが精神分析です。

ですから心理学的には
「自我が自由に考え、現実や状況を認識するプロセスが偏向無く担保されているか」をテーマにします、
その後依頼者がどんな人生を選択するのかは「個人の自由」だからです。
(憲法によって保障されている自由)

但し空腹時に「どうやって食うか」考えるのが生物ですから、
先進国の場合その手法として
『堅い選択』であるのと同時に『最も容易な選択』が”就労”であるのは合理的発想でしょうし、
(一般素人にとって”明日から自給自足生活”より”明日からアルバイトで現金収入”の方が容易でしょうから)
食うにあたって『選択として簡単な方法』が就労であるのは確かです。

注)メンタルな問題は「先進国特有の社会現象」であり「憲法上保証される生活の保証」の典型的な適応事例です。
ですから、問題解決が困難な時に福祉サービスを調べるのは早道ですし、
福祉サービスの利用は社会学的にも合理的な選択です。
(心理的な問題は”先進国社会を前提に構造的に発生する問題”なので)


>労災の可能性はあるのでしょうか?
症状の発症が、何らかの職務上の事由を発端とすれば労災認定の可能性もあるでしょう(仕事を発端とする鬱など)。
私は福祉行政の専門家ではありませんから、
その他生活保護等の話を含めて、地方自治体の福祉行政窓口で相談されるのが早いです、
(彼ら公務員ははそれが仕事で給料貰ってますから、堂々と利用しましょう)
どういう保障を得られるのかが経緯やケースによって違っているので、申請する窓口を相談すると考えると早いと思います。



>>「いったいこれまでどんだけ馬鹿馬鹿しい話に僕は振り回されてきたのだろう」
>>のようなテーマを考えてみる。
>>※そういう「お題がある」と考えてください、
>>当初”馬鹿馬鹿しい話って何”を具体的に思いついている必要ありません。
>>「すべらない話」のように「馬鹿馬鹿しい話」を『お題』に大きな枠で考えてみるって事です、
>
>ここがよくわかりません。
>具体的にというか?、噛み砕いてというか?教えて下さい。

ここは前段の
「”自覚的な分析依頼”が確認されない状況で強迫意識の深層分析を進めるのは時期尚早だと考えます。」
に被っている話です、
「なんかやっかいな問題抱えているぞ」的な自覚が(強迫が無意識的なので)まだまだ確かじゃ無いんですよ。
ですから
「ひょっとしたらアレもやらなくてもいい選択だったのでわ?」
と振り返るなかで、
次から次と人生の選択における『ちょっと違うのじゃないか』が発見される可能性あるんです。
その延長上に今に至るのであって、
「あれ?どの辺からやりたくもないことを真っ先にやってたかな」の考え方として
■「やりたくもないことを真っ先に」が=「馬鹿馬鹿しい話」というカウンター定義となるので
 ↓
「いったいこれまでどんだけ馬鹿馬鹿しい話に僕は振り回されてきたのだろう」のようなテーマを考えてみる。
そうやって考えていく方が自我バランス上「あれ?どの辺からやりたくもないことを真っ先にやってたかな」というテーマを考える手法として、
「無意識的でなかなか自覚できないやっかいな問題の実体を思い出しやすい」んです。

ここで「やりたくもないことを真っ先にやるなんて馬鹿馬鹿しい話を思い出す」と考えちゃうと、
そもそも「それはやりたくも無い事だったかも?」という認識が曖昧だったり無意識的なのですから、
現実認識が抜け落ちるように思うように”問題を思い出せない”事になります。
(又無意識的世界に問題そのものが埋没してしまう)
ですから、
まず具体的に考えるのでは無く、
漠然と
「いったいこれまでどんだけ馬鹿馬鹿しい話に僕は振り回されてきたのだろう」と考える方が、
問題のコアを自分自身で発見しやすいって事ですよ。

その認識が進まない事には、なかなか自覚的に問題の分析を依頼するって準備段階にならないので、
 ↓
<今回の依頼が>
>何から始めればよいのでしょうか?
であるため、
初動に絞った回答として説明したところです。
1048 Re:こんな風に考えてみてください スマイル 2009/07/30 07:31
ご回答、有難う御座います。

> 神経症的不快感があれば
具体的には、どういう症状でしょうか?

先日、一日だけ仕事をしてみました。
不安と、緊張でした。気分は、沈んだままでした。
まだ、仕事をするには、早いということですか?
そして、イライラする事が多くなりました。
(次に日に散歩に行ったのですが、イライラしながらでした)

病気になるまえから(仕事中での)仕事が嫌で嫌でしょうがなかったです。
自分でもよくわかりませんが、今も仕事が嫌だと思われます。

何かアドバイスがありましたら、宜しくお願い致します。



1049 三つのパートで説明しましょう kagewari 2009/08/01 06:24
<一つ目は根本的な部分です>

>> 神経症的不快感があれば
>具体的には、どういう症状でしょうか?

本来ここは私が説明する部分じゃありません、
「神経性の」等の語句の意味はスマイルさんも理解されている筈ですから、
上記の質問の意味は「質問で使用されている言葉以外のところにポイントがあります」
この設問には”他者に認定を預ける”受け身の認知があります。

つまり私に「その○○は神経症的不安なので働くべきではない(或いはその逆)」のような判断や認定を依存的に他者に預けたい(ここ本来スマイルさんの権利・権限です)受け身の心理があるためです。
 ↓(数回触れていますが以下の現象と被っています)
>>解釈に「現実認知(考える時の前提条件設定)の一部が無意識的な受け身のままである」特徴があるんです。
>>(印象が強調され命令文のようになっている)

この傾向は(強迫的として)心理的な問題には典型的に発生する自我の”状況”で、
私は個人的に『被(こうむる)』と呼んでいますが、文字のまま「アクディブに対しパッシブ」のように自立的に思考中の自我のデフォルトはその反対の概念『抗(あらがう)』になります。
(極論「虚空の空間に抗うように私という固体が実存する」)
 ↓
メンタルな問題が発生中には無意識のうちに自我の構成が『被(こうむる)』形に固定化する状況が頻繁に発生します、
(場合によればそれが恒常化し構造化する:慢性鬱等)

■一見難しい話をしているように”見えます”が論旨は簡単ですからそのまま読み進んでください
 ↓
ポイントは”無意識であること”なんです。
何のポイントか?
「知らず知らずに」とか「自覚が無いため自分で気が付かない」等のメンタルな問題が容易には”自然に自力で解決しない理由の鍵”です。
つまり
「あれ?今”被(こうむる)”格好になっている」
 ↓
「あ、ここ自分で判断するところじゃん」
それでいいんです、

「こりゃ神経性の不快感だよな、無理だよ無理」
自分で判断していいんです。
相談事例から推定しますとスマイルさんは成人年齢かと思います、
であれば全ての決定権はスマイルさんの独断で自由に勝手に決定していいのですから、この自然権として獲得されている自分の権利に躊躇しないでください(憲法で保障されている権利です)。
大胆に行使していっこうに構わないんです。
※それこそ臓器移植であるとか、ガン治療時のインフォームドの時には「自分自身(自意識)の意思表明」が最高位の権威なんですから
ここの腰が折れると『自意識(考える主体)と無意識(ステレオタイプや常識論のように知識として答えが出ている意志決定の引き出し)のバランス』を失うことにもなってしまいます。
特にメンタルな問題の解決には「明快な当事者意識(決定の所有権を意味する自己責任の確立:自分が責任者である事の宣言)」が初動として重要です。
その都度自分が主体的にリードして意思決定している事を確認するぐらいでちょうどいいと思ってください。

■そしてここは前回のレスにも被ってます
 ↓
>>ちょっとやってみようかと動き出して→状態を確認
>>「これまだ無理だ」
>>という判断は
>>■自分でするんです

この要素は根本的な部分に関係しています
 ↓
>病気になるまえから(仕事中での)仕事が嫌で嫌でしょうがなかったです。
>自分でもよくわかりませんが、今も仕事が嫌だと思われます。

謎を解き明かす上で重要な言葉は「自分でもよくわかりませんが」ですよ。
 ↓
ポイントは”無意識であること”なんです。
何のポイントか?
「知らず知らずに」とか「自覚が無いため自分で気が付かない」等のメンタルな問題が容易には”自然に自力で解決しない理由の鍵”です。
つまり
「あれ?今”被(こうむる)”格好になっている」
 ↓
「あ、ここ自分で判断するところじゃん」


比較事例で考えてみると
「腹も減ったし、あーなんとか金を調達したいところだけれど」
「思い出した友人の○○が儲け話があるって言ってたっけ、倉庫で○○で○○やれば一日で1万になるって」
「ひと稼ぎしてカツカレーでも腹いっぱい食うか」
「○○から聞いたんだが、オタクで稼げるってほんとかい?今でも人探しているってなら是非にと思うんだが?」
「そう、そつは助かる明日からだな。」
「ええ喜んで」

上記の状況は
「自分で判断して動機形成し、ひと稼ぎするための交渉に成功した」シーンです。
ある意味神経質にイライラするのは前段の”空腹”になり後者でそれは”解決”している、
現実に対して『抗(あらがう)』格好になってます。


しかしここで「仕事しなくちゃいけないのか」と考えると(自立性ではなく”決まり”のようなものに引っ張られている)
パターン受け身ですから(本人が動機形成を担当していない)『被(こうむる)』になり、
この状況で以下だったら?
 ↓
(印象が強調され命令文のようになっている)
 ↓
イライラの”解決”どころか、
誰だって気が重いし、イライラもすると思いませんか?
誰だって頭痛くなったり過度のストレスで神経性で体調崩してもおかしくないと思いませんか?


<二つ目は前回の話の続きです>

私は以下のコメントをつけましたね
■「いったいこれまでどんだけ馬鹿馬鹿しい話に僕は振り回されてきたのだろう」のようなテーマを考えてみる。
 ↓
考える中で自分自身で以下に気がつけば今回の質問は発生しなかったんですよ
 ↓
「どうなったら具体的に神経症的なんだ?馬鹿馬鹿しいそんな事人に聞く事じゃネーや、ひとりで振り回されているじゃないか俺は。自分で勝手に判断していいところじゃん」

前回その説明で「「なんかやっかいな問題抱えているぞ」的な自覚が(強迫が無意識的なので)まだまだ確かじゃ無いんですよ。」とコメントしているように心理的な問題があると、構造的に「馬鹿馬鹿しいなる判断」は”なかなか難しい一面”あるんです。
ですから、こう考えてください。

「今回の質問は早すぎる」んだと、
仮に前回の私のレスの後一ヶ月ほどあれこれ考えて
(考える期間が必要なのかなと考えて)
 ↓
「思うんですが、どうなったら具体的に神経症的なんだ?なんて考えてしまうことも馬鹿馬鹿しい話なんですよね」
という質問になっていたらストレスの一部は壊れるんです。


ここなんとなくわかっていただければOKです。



<三つ目”言葉”について>

※上記<一・二の話>や前回のレス等を反復して思考する流れの事例を示す意味で『シミュレーションとして反復させて説明』します。
(以降の説明は一部難解です、繰り返し読んでも意味がわからない時には気にせずに「又一週間後にもう一回読んでみよう」と考えてください。又詳細まで完全に理解する必要もありません。なんとなく雰囲気が掴めればOKと捉えていただいて問題ありません)

「仕事」
これもひとつの”抽象概念”です。
簡単に言えば人によって「言葉の意味や背景にあるイメージが全然違う」
物理なんかで使う”仕事量”じゃないですが、
別段「その作業で人に雇われて労働して所得を得る」ばかりが”仕事じゃありません”
例えば→「それを考えるのが自意識の仕事ですから」
極論”運動”と考えてもいい

「さて、何の運動をするか?」
「さて、そろそろ仕事始めるべきか?」
随分印象違う筈なんです。

そして再び思い出してください
>>(印象が強調され命令文のようになっている)
そんな印象が付加されていれば、
深層心理では「よりとんでもない意味になっている」ことになりますよね?

少なくとも
街を歩くコンサバ系20台OLの女性に
「あのお仕事は何をされているんですか?」
「私の仕事ですかぁ〜」
と言った時の彼女の”仕事”という言葉の意味とかけ離れてますよね?
「やぁ〜○さん今日もパチンコですかい?優雅なご身分で」
「馬鹿いってんじゃねーよ、パチンコは仕事だ馬鹿野郎」
と言った時のおっさんの”仕事”という言葉の意味とかけ離れてますよね?

たとえば「仕事」って言葉に
(推定ですが)
「なにやら社会適応だとかマトモだとか立派にだとか普通はだとか義務だとか馬鹿馬鹿しい余計な意味がくっついている」んですよ。
 ↓
その言語認識前提で「仕事しなくちゃいけないのか」と考えると
パターンは受け身ですから(本人が動機形成を担当していない)『被(こうむる)』になり、
この状況で以下だったら?
 ↓
(印象が強調され命令文のようになっている)

誰だって気が重いし、イライラもすると思いませんか?
誰だって頭痛くなったり過度のストレスで神経性で体調崩すと思いませんか?
■命令・強制なら”奴隷労働”で仕事って言葉の意味からも乖離しちゃうだけでなく、強迫心理で付加されている社会適応からも乖離しているワケで
自意識が認知している表面上の意味からも外れ、深層心理のイメージからも結果としてその行為は大きく逸れた意味になっている。
 ↓(こう思いませんか?)
「いったいこれまでどんだけ馬鹿馬鹿しい話に僕は振り回されてきたのだろう」



ここで初回の返信に戻ります
 ↓
>>「やりたくないことを真っ先にやろうとしているから」ですよ。
>>これが長く続くと”厭戦感”というか特別やりたくないと思っていない行為(コーヒー)まで「これもめんどうだ」のようにひとくくりになって拡大していきます。
>>原因は”実はやりたくない”部分の選択や決断や認識や選択における自己責任(本音か否かって意味です)が曖昧なままで、
>>「やりたくないことを真っ先にやろうとする原因」が『無意識的』だからです。
>>本音やりたくない行為は何かという判別が曖昧なまま、しかも余裕も無いため「面倒だな」など僅かでも不快感のある行為も(実体としての不快感負担が拡大しているので)引っ張りこまれるように次から次と「やりたくないことだらけ」のように拡大。


そして私はその対処として
 ↓
>>背景にある「やりたくないことを真っ先にやろうとしている原因」の特定には時間がかかりますから、
>>(書き込み要望から推定するならば今の段階でそこまで考えるのは早いでしょう)、
>>>何から始めればよいのでしょうか?
>ということで、今手始めに何をするかと考えてみると
>>
>>強迫心理の鉄板・典型となる
>>「ステレオタイプな常識的選択(”マトモ”ジャンルで考えている行為)」
>>『ひとまずこれを100%否定してしまいましょう』
>>カウンターを当てる意味で
>>「そんな馬鹿馬鹿しいことやってられるか」を理由として全否定する。

ざっくり切り分け、自らの意思で「そんな馬鹿馬鹿しいことやってられるか」と断定するべきだと結論つけています。
しかし質問返信を繰り返す中でスマイルさんの対応は?
 ↓
>> 神経症的不快感があれば
>具体的には、どういう症状でしょうか?



■もう一度繰り返します。

>>(印象が強調され命令文のようになっている)
つまり、「仕事」って言葉に
(推定としては)
「なにやら社会適応だとかマトモだとか立派にだとか普通はだとか義務だとか馬鹿馬鹿しい余計な意味がくっついている」んですよ。
 ↓
>>「ステレオタイプな常識的選択(”マトモ”ジャンルで考えている行為)」
>>『ひとまずこれを100%否定してしまいましょう』
>>カウンターを当てる意味で
>>「そんな馬鹿馬鹿しいことやってらるか」を理由として全否定する。
 ↓
「腹も減ったしな、今のところ金で食い物買うって手段が現実的な状況で。あーなんとか金を調達したいところだけれど」
「思い出した友人の○○が儲け話があるって言ってたっけ、倉庫で○○で○○やれば一日で1万になるって」
「ひと稼ぎしてカツカレーでも腹いっぱい食うか」
「○○から聞いたんだが、オタクで稼げるってほんとかい?今でも人探しているってなら是非にと思うんだが?」
「そう、そつは助かる明日からだな。」
「ええ喜んで」

上記の状況は
「自分で判断して動機形成し、ひと稼ぎするための交渉に成功した」シーンです。
空腹ストレスが解決したシーンです、
現実に対して『抗(あらがう)』格好になってます。

しかしここで「仕事しなくちゃいけないのか」と考えると
パターンは受け身ですから(本人が動機形成を担当していない)『被(こうむる)』になり、
 ↓
>>(印象が強調され命令文のようになっている)
つまり、「仕事」って言葉に
「なにやら社会適応だとかマトモだとか立派にだとか普通はだとか義務だとか馬鹿馬鹿しい余計な意味がくっついている」んですよ。
 ↑
深層心理と自意識の間で「曖昧や無意識」を鍵にして、
不思議と自分では気が付かなかったり知らない間にループしてしまう心理の流れ見えませんか?
足元をすくわれているような、
知らない間に、トリックにひっかかっているかのような、
自覚があって気が付いていれば自分で何のこと無く”別の”結論が出る筈の本音を見失うような感覚。
TVドラマの中間15分見逃して、最後の落ちの意味がさっぱりわかららくなり「ちっとも面白くない」と感じるような錯覚、
(「やりたくないことだらけ」)


この連想というか、こうなればこうなってこうなるって流れを”自らの意思で切れば構造は壊れる”
謎を解き明かす上で重要な言葉は「自分でもよくわかりませんが」ですよ。
 ↓
ポイントは”無意識であること”なんです。
何のポイントか?
「知らず知らずに」とか「自覚が無いため自分で気が付かない」等のメンタルな問題が容易には”自然に自力で解決しない理由の鍵”です。
つまり
「あれ?今”被(こうむる)”格好になっている」
 ↓
「あ、ここ自分で判断するところじゃん」

仮に前回の私のレスの後一ヶ月ほどあれこれ考えて
 ↓
「思うんですが、どうなったら具体的に神経症的なんだ?なんて考えてしまうことも馬鹿馬鹿しい話なんですよね」
という質問になっていたらストレスの一部は壊れるんです。
一歩前進って事ですよ、
(「何から始めればよいのでしょうか?」)


◎聞かなくて済む→自己完結自立性が担保される→自力でメンタルな問題の一部が解決している。
それこそメンタルな問題が解決したとするなら
「医者にいかなくなった」
「カウンセリングはもう必要ないな」
=自力でメンタルな問題の一部が解決する流れが出来上がった


現状は「何から何まで面倒くさい」のように不快なストレスが拡大する状況ですから、
具体的な切り分け(あの時こういう仕事をこういう理由で選択したのが始まり等の具体論)は難しい状況なので、
ひとまず「仕事」という言葉を禁句(辞書から削除)にして「稼ぎ」とか「しのぎ」って言葉に100%置き換えるであるとか、考える時にも一工夫になるでしょう。


■当面は考える上での自主性を確認続けるという意味で、レスは控えめにして(例の「性急な分析論は早すぎるかもしれない」ところに被りますから)、
『ここまでのやりとりを反読する』
『いったいこれまでどんだけ馬鹿馬鹿しい話に僕は振り回されてきたのだろう』のテーマで思考を続ける
難解なテキストの方では無くて『公開掲示板上の他の人の相談事例』を読んで見てください。
第三者として他の人の相談事例を読むと、自分の事を考えるより認識が進むケースがあります。
(そこが無償で公開掲示板の運用を並立させている意味でもあります)

急がず無理せず、上記の方向性で進めるのがベストでしょう。
他の公開相談事例に頻繁に登場するフレーズ「一拍置いて考える」の時間を担保する意味でも(詳細は他スレッド過去ログ参照ください)、
自立的に考える事で自意識が当事者主導権を回復する流れを作る意味でも懸命な方法になります。