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こんにちは。
中学生の頃から想像にふける時間の割合が多くなっています。
想像の種類は様々ですが、多いのは次の二種類です。
一つは、必要以上に悲しい、あるいは悲惨な未来を想像して場所もわきまえずに一人泣いてしまうもの。
もう一つは、自分には特異能力があって他人よりも優れているもの。こちらは大抵、暴力的な内容を含みます。特にアクション映画などを観ると、自分を主人公に投影して想像しています。
どちらも、現実の自分や環境に満足していないことが原因だと思っています。そして、他人に認められたい、他人の上に立ちたいという欲求が強いせいとも思います。
妄想という言い方に当てはまることは、被害妄想です。
きちんと現状を把握したり、確かめたわけでもないのに、目の前の光景やふと耳にした言葉に過剰に反応して、自分がないがしろにされている、自分を否定されている、自分だけが大変な思いをしているという考えで一杯になります。
最近では、感情の揺れを抑えきれずに一方的に相手を責めたり、態度に表して相手に訴えることが多くなっています。
私が不機嫌になる原因や相手に、正当な言い分があると知ったあとは、激しい自己嫌悪に陥って、周りが忘れた頃にも一人落ち込んだり、自己否定に走ります。
最後に、血に対して異常に反応してしまいます。
目が離せなくなるというか、気持ちが湧き立ち、興奮します。
中学の頃、家庭環境の影響で自傷が始まり、刃物で体を傷つけるようになったのは高校に入ってからです。
最初は、耐え切れない辛さや泣く理由を、傷という目に見える原因を作ることで安心できたからです。また、痛みに耐えている時だけは、それまで心を占めていた辛さを忘れることが出来ました。
ところが、最近では自傷の動機が変わりました。
切ろうと思う理由は、単なるストレス発散なのですが、血を見ることが楽しいのです。特に血がたくさん出て、滴り落ちる光景を見ると、表現できないほどの満足感があり、その後は気分が爽快してハイになっています。
今は傷つける対象が自分だけに留まっていますが、先も言いましたように暴力的な妄想の中で、他人を深く傷つけてしまうところを見ると、別に他人を犠牲にしても構わないと思っているのではないかと考えられます。
暴力的な想像の中で犠牲になる人は、いつも現実で私を不愉快にする相手です。相手は時によって違いますが、大抵、私が受けた仕打ちよりも何倍もの仕返しを想像して、相手を完膚なきまでに打ち倒してしまいます。
そのことについて罪悪感はありません。しかし、暴力が犯罪である以上、それを実行してしまうことは絶対にふせがなくてはならないことなのだろうという認識は出来ています。
いろいろ書いて要領を得ないかもしれません。すみません。
先に挙げた想像は、度が過ぎると最終的には暴力的な内容で終わります。そして現実では自分を傷つけること、つまり血を見ることで満足しています。
私は異常なのでしょうか。カウンセリングを受けた方がいいでしょうか。
何か、アドバイスをいただければ幸いです。
長々と失礼しました。 |