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背景を分析する情報が無いので、とっかかりとして「今すぐできること」から考えてみましょう。
言葉ってものは不思議なもので「何となく意味が通じる」とか「どうやらそれで説明になっている」と、少々矛盾する関係が織り込まれていても自分自身では気が付かなかったりするものです。
ここに”無意識”と”自意識”の関係や、”抑圧”と”無自覚”の関係等が見え隠れする事があります。
つまり、ここを逆手にとって見ていくと「表現する言葉を変えると思考も変わらざるを得ない」と言えるんです。
表現そのものを以下に修正して考えてみてください。
書き込みの全文を”デ・コード”します、
以下の文面と、ご自身の書き込みを何度か繰り返し比較するように読み返してみてください。
考え方や意識の保ち方を修正する”コツ”を探す感じで、
<デ・コード文>
初めまして。
その対象は夫なのですが、私はとにかく恒常的にストレスを感じているもので(アレルギー体質の人が体調を崩して癖になっている発疹を引き起こす直前の状態に似ています)、ほんの僅かな刺激で自我が破綻して”八つ当たりの原則”で誰彼構わず激しく罵詈雑言を浴びせてしまいそうになるんです。しかしまさか誰でもって事がある筈も無く「弱いところへ」じゃないですが(本音としては甘え・依存なのだと思います)その対象は”夫”になります。騒ぎの後は、自分の醜態が恥ずかしくそれを他人(この場合は夫)に見られてしまった事に酷く落ち込んでしまうのですが、何とかしようにも元々感じているストレスが何ら変わらないのですから、今のままでは何も変える事ができません(変えるっていうのも変ですね、今の自分が自分でも変だと思っているのに)、
自我が破綻し爆発するって=自意識が飛んでるって事なのでしょうから、つまり常に私を恒常的に拘束している”強権的な存在”が表に出るのでしょうね。だから「爆発すると常に道徳的非難で(自分の自意識を日常陰から抑え付けているように)他人を罵倒するんです」、
夫は我慢強くて優しい人で、謝ると必ず許してくれます。
これまでだったら、それで相手にも呆れられて関係も終わりって事になり、一時的な自我の破綻も”他人のせい”っていうんですか、自分を被害者か何かのように思い込む事もできたのでしょうが、「我慢強くて優しい人で、許してくれる人」だから”他人のせい”みたいな形で誤魔化す事ができなくなって、自分でも「あーこれは私の中の問題なんだな」と自覚するようになり、心理学本やネットを参考に「自分に存在する恒常的なストレスって何だろう」「それはずっと前から続いていたものじゃないか」って考えてはみるんですが、なかなか思うようにいきません。
「私を恒常的に拘束している”強権的な存在”」それは私のどんな記憶に始まるものなんでしょうか
<ここまで> |