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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



942 まだまだ Chime 2008/05/07 23:41
数年間、共同生活を送っている、かつての恋愛相手。
もう昔みたいな感情の盛り上がりはないけど、
穏やかに、端正に、毎日を暮らしている。
本当に真面目に働くし、すごく堅実に見えるけど
「気ままに生きたいから」結婚はしたくなくて、
普通に結婚したい私とは永遠に平行線。
実生活では細かく世話を焼いてくれるけど、
精神は別のところにあるみたいでつかみどころがない。
ものすごく無口。
私もあまりしゃべらなくなった。

変わった人を好きになる癖があるみたい。
そのくせ、人並の、型通りの幸せにあこがれる。
そんなのはさっさとあきらめて、
彼に一生よりそっていけたらいいのに。
やっぱり歩みよれなくて、彼をあきらめることをまた考える。
結局、自分が一番かわいいのかな。
ってそれ自体が残念な気持ちになる。
943 象徴化されているものが別ですよ kagewari 2008/05/08 03:32

先ず現代日本において「法的結婚制度なるものにいかほどの意味があるのか」等のさばけた論議が欠落しています。
語られている『結婚』なる言葉の意味が、既に個人的な象徴的意味合いが付加されていて(言葉としての意味は他者と流通しても、個人的な印象は別問題なのでこの部分が共通認識になっていない)、何か結婚を巡る想いが「誰も理解できない特別な事」のように「話から逸れた先の物語」であるかのように認知されています。

まずここを整理して考えると、
対象者が気楽に構えている結婚は、思うに現代社会における法的届け出の事そのものを指すのでしょう。
当然「使用前使用後」のように「届け出前届け出後」であっても『我々の関係には何の変化も無い』と考える人物なのだと思います。
この根拠は、「私達の関係は各人”個人的なものなので”国に報告すると性質が変わるなどの要素があると思えない」のような考えかと思います。
実際の運用上であっても婚姻届を出していなくても、実績としてほぼ夫婦同等の関係が何年も継続している場合、法的には”事実婚”と呼ばれ社会の側は「夫婦同様」と認定しているワケで、そうなると違いは「紙に書いて役所に届けたか否か」の違いでしかありません。
しかも現代社会において、婚姻関係は50%以上の確立で離婚し失敗するリスクの高い事業で、婚姻届を出す事自体が何か2人の関係を名実共に確かなものにする等の要素は何処にも無く、
あるとするなら「私結婚したの」と言えるか?なる部分が介在するしない等の違いになります。

『結婚』なるものが(女性の場合強迫観念として非常に典型的ですが)結婚願望のように特別視されている等(あたかも結婚している人に比べて結婚していない人が劣っているかのような錯覚や偏見を含んだ強迫的認知)個人的な象徴的意味合いが付加されている。
それを前提に考えるなら
「相手は私を結婚していない劣った人物に追いやっている加害者だ」となってしまいます。
しかしこの部分の認知は、実はChimeさんの個人的な認知で、厳密に言えば相手の方にはなんら関係無い話になります。
何故なら相手の人物は「結婚しようね」と嘘をついて「いつか結婚するから」と話を先送りしているのではなく、堂々と「気ままに生きたいから結婚はしたくない」と公言しているからです。
つまり、気ままに暮したいと考えるその哲学はその対象者のアイディンティティーであり、
その人物の友人が彼を他の友人に紹介する時に「○○がどんな人かって?そうだな気ままに暮して結婚とかしない人」と説明してもおかしくない。
Chimeさんは相手が「そういう人物(気ままに結婚等しない)」だから共同生活を送っているのですよ。
 ↓
>変わった人を好きになる癖があるみたい。
(この言葉はズルイですよ。”好き”な部分の感情論はともかく、共同生活なる選択は自己決定です。そこを”癖”という言葉で関係そのものに、自分には選択責任が無いかのような言葉が使われています)
堂々と「私は変わった人が好きだからです」と言うべきでしょう。

ここで話を整理するなら、
反対に「結婚してくれる人が最優先だ、結婚してくれない人は嫌な奴だ」とChimeさんが堂々と考えていても、同じように話は複雑になりません。
その人物ととっとと別れて「とにかく真っ先に”結婚しんたいんですよ”」と考えている人物と優先的に関係を持つのが合理的になります、
それこそお見合いサイトであったり、会員性の結婚紹介会社に登録する等、結婚を最優先にする方法は実際にあります(当然旧来の”お見合い”もアリです)。

しかしですよChimeさんの選択はこのように語られています。
 ↓
>変わった人を好きになる癖があるみたい。
>そのくせ、人並の、型通りの幸せにあこがれる。
矛盾した問題を抱えているのはChimeさんって事ですよ。
この答えは既に出ているんだと思います。
「結婚等しない気楽な人生を生きる変わった人だから、好きである」と、
誰よりも「結婚制度などアホらしい」という本音を持っているのはChimeさん自身だって事です。

しかしその考えには、自己責任(これは”私の考え”なのだという自信)が完結していないため(両者を並べて考えた上で結論を出してきたプロセスが無い)、

>そのくせ、人並の、型通りの幸せにあこがれる。
のような無意識からの干渉が発生している。

こちらの方が強迫意識であって、Chimeさんの本音じゃないのだと思います。
「人並の、型通りの幸せ」この言葉は抽象概念で具体的根拠が無いからです。
「私なりの、自分にとっての幸せ」との関連性がどこにも見出せない。

理由として挙げられているの言葉は「そのくせ・・・思ってしまう」のような、自己責任の完結性の無い”キャッチフレーズ”のような”選挙キャンペーン”のような”スローガン”みたいな理由にならない理由ですよね。

「そのくせ・・・思ってしまう」のようなものじゃなくですね、
どうして個性的な人生を送る事に共感があるのに、無意識に平易で一般的なステレオタイプの社会適応的発想の方が上等な考えであるかのような矛盾する発想が私の無意識に存在するんだろうか?
ここは真剣に考えなくちゃいけないところで、

>やっぱり歩みよれなくて、彼をあきらめることをまた考える。
な話(根本の論議から乖離してます)を考えるのは適当じゃ無いのですよ。

いろいろ考えた挙句「変わり者が好き」って考えは自分にとって、やっぱ本音じゃないのかも?
のようにですね、仮に今の認識から正反対の結論が出ても(Chimeさんは自由なんですから)いいんです、「どっちなのか」その結論と、それを選択した自己責任(”自分の考え”であるとの自信)が完結すればいいのです。
選択に間違って後悔したら?
反省してやり直せばいんですよ「やっぱ違うわ」と(Chimeさんは自由なんですから)、

■重要なのは「いったい自分はどっちなんだろう」とここ真剣に”自分の問題として”考えるプロセスですよ。
そこが曖昧だと、問題があたかも彼にあるかのようにすり替ったり、自分の意志も不明瞭なままひたすら物思いにふけるように答えなの問いを考える世界に逃げ込んでしまったり、何をやっても”ぐるぐると悩みがループする”ばかりです。
944 Re:象徴化されているものが別ですよ Chime 2008/05/08 23:20
数年間、葛藤が二人の間にずっとあって、本末転倒というか、その問題に固執するあまり、がんじがらめになって、本来考えなくてはならないことから確かにそれてしまっていたと気づきました。


> >変わった人を好きになる癖があるみたい。
> (この言葉はズルイですよ。”好き”な部分の感情論はともかく、共同生活なる選択は自己決定です。そこを”癖”という言葉で関係そのものに、自分には選択責任が無いかのような言葉が使われています)
> 堂々と「私は変わった人が好きだからです」と言うべきでしょう。

鋭いですね!
たしかに「癖」という言葉は、とってつけた照れ隠しの表現というか、婉曲の気持ちで使った、いやらしい、自分の言葉ではないものでした。
(そこにも無意識があるのかもしれませんが)

おっしゃるような、自己決定の責任は重々感じています。
自分の抱える現実は、自分自身が一瞬ごとに選択している結果なのだと思っています。
「面倒だから」とか「今さらだし」とか「現状で特に問題がないから」ということで惰性の生活を送ることは、私にとってすごく嫌なことで、いつも自ら納得して、その状態を選びとってきたし、これからもそうしたいのです。
それは、もしかするとすごく傲慢な考えなのかもしれませんが。

一方、相手は惰性の部分を重んじるようなところがあります。
慎重で、起伏を好まず、物事に時間をかけるタイプで、飽きっぽくせっかちな私とは対照的です。
そういう惰性の境地にならないと見えてこないことがあるんだろうか、という思いが半信半疑ながらあり、それにつきあってみようかとこの数年やってきたとも言えます。

それから
> 先ず現代日本において「法的結婚制度なるものにいかほどの意味があるのか」等のさばけた論議が欠落しています。

については、おかしいようですが、二人とも必要以上に保守的で「結婚なんて紙切れ一枚なんだし」と頭で思っていても、届け出たからには、正式な夫婦として、そのときこそ互いに責任を果たす、という気負いがあります。届け出ていない現状では、事実婚の意識もないのです。

二人とも、育った家庭環境は穏やかではありませんでした。両親は離婚しています。互いの家の事情は一通り説明して知っていますが、振り返って語ることはしません。
ただ淡々と「こういうふうに育ったんだね」という共感のようなものがあると思います。

で、私は家庭に対する憧れ(そんなの幻想だろと自分で思うのですが)が捨てきれないのです。
「結婚を前提におつきあい」が普通と考える男性が相手であれば、引っ張られるように結婚して、当たり前のように子供を作って・・・となるのでしょうが、是非そうなりたかったと思うのですが、30数年間、そういう人に惹かれなかったということが、やっぱり私の現実でした。

そんな、できれば普通に生きてみたい私だったので、恋愛中、彼はそれに応えてあげられる自分、を模索し、私もそこに図々しくも期待をよせていました。結果、やっぱり無理という結論に達し、何度かの衝突(私はふられたと感じたわけです)の後、現状のように「公言」のスタンスとなりました。
他へ行くなら行ったほうがいいよという、彼なりの誠意でしょう。


おっしゃるとおりで、決められないのは私一人なのです。そのことで2人ともストレスを感じています。
相手のアイデンティティは、一度口にした結果さらに強まったのか、おそらくこれから何年たっても(そこの部分は)変わらないと思います。
ある意味、尊敬します。


> ■重要なのは「いったい自分はどっちなんだろう」とここ真剣に”自分の問題として”考えるプロセスですよ。

相手の問題ではないですよね。本当にそう思います。
ところで、自分は家庭へのコンプレックスのほかに、せっかちな性格(を変えたいという)コンプレックスがあり、それが迷いの一つになっていますが、それも今の相手に影響を受けているだけなのかもしれません。
とすると、そこは除外して考えたほうがよいでしょうか。
945 微妙に流れていますね kagewari 2008/05/11 00:33
>惰性の生活を送ることは、私にとってすごく嫌なことで、いつも自ら納得して、その状態を選びとってきたし、これからもそうしたいのです。

>そういう惰性の境地にならないと見えてこないことがあるんだろうか、という思いが半信半疑ながらあり、それにつきあってみようかとこの数年やってきたとも言えます。

この両者の間には”繋がらないスキ間”が空いています。
どちらも本音に見えますが、両者を並べてる事で「本来はこうなのじゃないか」が浮かび上がります。
前者は「いつも自ら納得して」とあるんですが、その”理由”になっているものがそれほど明解に考えられたものじゃないのでしょう。本来自分で考えた決断には必ず”賭け”の要素が加わりますから(先の話だからです)その状態で「納得」という言葉が必ずしも適当じゃないからです。
「腹をくくる」と「納得」
前者にはリスクを取る勝負がイメージされますが、後者には”受身”の承諾のような、なんて言えばいいでしょうか”丸投げした後”のような感覚がある。

そして前者において「すごく嫌なこと」とされている『惰性の生活』が、突然「惰性の境地にならないと見えてこないことがあるんだろうか、という思いが半信半疑ながらあり」という”理由にならない理由”で「それにつきあってみようか」になっている。

そんな風に語られる後者の『惰性の生活』は、ほぼ間違い無く言葉のとおりの現象を指すものじゃありません。
何処から考えても彼の人格は「惰性で生きている」ものじゃないからです。
惰性で生きるってのは「考えも無しにダラダラと周囲にあわせる」って事ですが、周囲にあわせるも何も彼は「無口に”気ままに生きたい”」と結婚しない人生を選んでいます。
語られている彼の人格において惰性に相当する部分をあげるなら「本当に真面目に働くし、すごく堅実に見える」って部分でしょう。
しかしこの部分もどうにも情報不足で、果たして惰性なのか逃げなのか(協調社会にダラダラ合わせているのか)ここは明解じゃありません、
どぅちにしてもChimeさんが表現している『すっごく嫌な惰性の生活を生きる彼』なる部分が「本当に真面目に働くし、すごく堅実に見える」を意図したものじゃないのは明白です(最初の投稿でその部分は肯定的に表現されている)。

だとするとその『惰性』と蔑視される彼の人格はどの部分を指し、
何故その蔑視すべき傾向が「惰性の境地にならないと見えてこないことがある」と正反対の評価に繋がるのか?
その答えが同時に前者の「いつも自ら納得して」の本音の部分を表す事になるんだと思います。

ここざっくばらんに言えば

■彼はマイペースであまりバタバタとせず動じないところがあり(慎重で、起伏を好まず、物事に時間をかけるタイプ)、Chimeさんは人生の局面で”納得しなくちゃいけないほど”「ある意味納得していない選択もしてきた」のだと思います。

だからこそ、合わせる所で”納得する形で自分を曲げても合わせる(場当たり的なので→飽きっぽくせっかちな私)”かのような気配を見せない彼のマイペースが『惰性の境地』という言葉で表現されているんだと思います。

やっかいなのは”納得しなくちゃいけないほど”「納得していない選択もしてきた」のではないかと推定されるChimeさんの、その「動機」です。
ここを考える上で最も有力な部分が以下の一説です。
 ↓
>おかしいようですが、二人とも必要以上に保守的で「結婚なんて紙切れ一枚なんだし」と頭で思っていても、届け出たからには、正式な夫婦として、そのときこそ互いに責任を果たす、という気負いがあります。

彼がここをどう考えているのかどうにも情報不足なので、Chimeさんについて考えてみますが、
「そのときこそ互いに責任を果たす」これはどんな現象を指しているのですか?
常に”一部曖昧な言葉(抽象概念)”が間に入っているため、微妙に思考が流れていますよ、
一見言葉としては意味を成しているようですが、肝心な部分が抽象概念のままなので、何を言わんとしているのかさっぱりわからないのです。
結婚というものは社会契約的に一種の起業であって(家族法人)、一般的には男女間で結成される組織で「両者は共同経営者(乃至取締役)」の形になります。しかし事業として行うのは極論「共同生活の核を結成する事」であって、法的にこれを証明する場合の権利と言えば財産相続権ぐらいのもので(実質:金)今の同居状態と特別変化するものはありません。

一般的な女性にかかっている強迫観念として典型的な『結婚願望(=家幻想)』のようなものは、架空の(元ネタは武士の家系における”お家”なる象徴的血統に始まる)”家”なる概念(なので苗字を統一する必然性がある)を成立させ、これを(何であるのかはともかく)守るため(お家大事)に相手に担保まで供出させる(分譲住宅の”長期”ローン等)、名文法的契約の事ですが、
現代社会においては、この契約の意図しているものは「結婚した世帯への税務上の便宜供与や同様に保険・年金制度上の便宜供与」又、子供がいる場合の福祉的措置を管理する上で「婚姻届として登録した方がどう考えても有利である」なる側面以外は(子供の認知等戸籍上の問題は必ずしも結婚を前提としない場合もある)「だから?」って部分に過ぎない→離婚率50%以上は「社会的に合理性のある数字」となっています。

どう考えても「そのときこそ互いに責任を果たす」として考えられるのは、地域のゴミ出し場所管理の当番であるとか、防火訓練等の手伝いであるとか、特別「そのときこそ」と大上段に構える話を思いつかないんですよ。

その「そのときこそ互いに責任を果たす」の背景が
 ↓
>二人とも、育った家庭環境は穏やかではありませんでした。両親は離婚しています。互いの家の事情は一通り説明して知っていますが、振り返って語ることはしません。ただ淡々と「こういうふうに育ったんだね」という共感のようなものがあると思います。

この「ただ淡々と「こういうふうに育ったんだね」という共感のようなもの」のレベルを→「振り返って語ること」に相当するこれからの結婚生活で実践する”何か”により確認するために『結婚が必要』かのような構造になっていますが、
それと結婚は関係ありませんよ?

今直ぐにでも「振り返って語ること」はできます、
そうすべきだと思います。
そこを語らずにズルズルと関係を続ける形が『惰性』で、
「振り返って語ること」をせずに、
「こういうふうに育ったんだね」という共感のようなもの」に”納得してきた”
のじゃないでしょうか?

現実話の鍵となる『離婚』と『家庭のイメージ』ですが、
>で、私は家庭に対する憧れ(そんなの幻想だろと自分で思うのですが)が捨てきれないのです。
>是非そうなりたかったと思うのですが、30数年間、そういう人に惹かれなかったということが、やっぱり私の現実でした。

ここアンヴィヴァレントですよね?
しかし言葉の端に本音が表れています。
「憧れを”捨てきれない”」
何故捨てるべきものなのでしょうか?
つまりです、ここ微妙に流れている部分を修正すると一見アンヴィヴァレントな話が1本に繋がります。
本人「そんな憧れを捨てるべき」と思っているのですから、当然30数年間、そういう人に惹かれなかったのですよ。

原点に戻るべきです、
そこから全ての方向性が微妙にズレたまま延々と(場当たり的な)微修正を繰返して(思考が微妙に流れて)結論が矛盾してしまうんです。

「Chimeさんは自分の両親の離婚に”納得していない”」んですよ。
おそらく”情報不足”で、ストーリーとして「納得いかないストーリーの映画を観た後の不快感」のようなものが、数十年も恒常化しているんだと思います。なので”それをここまで考えさせない圧力となった概念”が事実上強迫構造に似たものになっていて(自意識が全面に出ず”曖昧な思考”に終わってしまう)、常に微妙に思考が流れている。言うなら「考えているうちに、テーマが別の話になっている」のだと思います。


先ず彼の問題はともかく、この「両親の離婚に”納得していない”」なる部分を考えなくちゃいけません。
今それを(これまでの人生経験踏まえて)考えられる年齢になってます。
946 Re:微妙に流れていますね Chime 2008/05/12 01:00

まず
・徹底的に自分一人の問題であること(彼の人格や関係性について語るレベルではない)
・表現があいまいで、情緒に流され、考えが突き詰められていないこと
を改めて認識しました。
今まで個人的な問題を誰かに相談することも細かく分析(添削?違いますね)されることもなかったので、読みながら目頭が熱くなってしまいました。

たぶん家族(特に父)との関係を修復(もしくは決別?)してすっきりさせることが、一番必要なのかもしれません。明らかにそれを避けてきましたので。そういえば子供の頃「育った家庭は選べないのでしょうがない。ともかく将来自分の作る家庭では幸せになろう」と思っていました。でも、それも漠然となので、やっぱり動機はあいまいというか、結局育った家庭の問題を解決しないことには、精神の自由を得られないのかもしれませんね。

でも、解決しなくてはいけない問題ってなんだろう。父に会いたくない、話したくない、だから電話にも出ず毎年のように実家に年賀状が来ても応えないけど、それじゃいけないんだっけ?無視していることが若干後ろめたいのはなぜ?やっぱり血のつながった家族だもの最後には分かり合って許しあわなくちゃいけないから?年老いた親が不憫?死んだとき後悔する?

そのことを考えたくなくて、思考が停止してしまいます。
やっぱり、ちゃんと突き詰めて考えたことが無いんだと思います。
「両親の離婚に”納得していない”」
そうなのか・・・そういう風には考えたことがありませんでした。ズシンと来る言葉です。


> この「ただ淡々と「こういうふうに育ったんだね」という共感のようなもの」のレベルを→「振り返って語ること」に相当するこれからの結婚生活で実践する”何か”により確認するために『結婚が必要』かのような構造になっていますが、それと結婚は関係ありませんよ?

確かにそうですね。どうも思考がずれていっているようです。
彼とつきあいはじめたころ、この人は私の心の奥底にある男性不信を溶かしてくれる、子供時代をもう一度生きなおさせてくれるような希少な相手だと思いました。絶好のチャンスとばかりに、それから彼との関係性にずいぶん依存していったと思います。


>「そのときこそ互いに責任を果たす」これはどんな現象を指しているのですか?

人生設計を2人ベースで考える(転職を独断で決めず相談する、子供を持つ・持たないで共通認識を持つ、互いの親の面倒を見る etc)ということと、単純に対世間的なアピール(夫が迷惑をかけたら妻が頭を下げる、○○家として常識的な振る舞いをする)というどっちかというとゴミ当番レベルの話です。


情報不足の中、ここまで考えを整理してくださり本当にありがとうございます。いろいろ掲示板で書きにくいこともあって、メール相談させていただくかもしれませんがよろしくおねがいいたします。
947 ちょっとカウンターあてますね kagewari 2008/05/13 15:52
各論でお答えしますが、
揺り戻しというか、認識が反動で振れすぎているところもあるのでここちょっとカウンターあてますね
>たぶん家族(特に父)との関係を修復(もしくは決別?)してすっきりさせることが、一番必要なのかもしれません。明らかにそれを避けてきましたので。

だとするなら、
>子供時代をもう一度生きなおさせてくれるような希少な相手だと思いました。
と、現在の彼には配偶者や恋愛対象としてではなく『父親が投影されていた』事になります。
こうなると(深層心理の父親への印象は半ば強迫的なものなので)「彼が何を言い、どんな事をしても100%必ず彼に何らかの不平不満を同時に抱きます」どうしてそうなるのかと言うと、投影されている父親に対するアンヴィヴァレントな感情が”連想ベース(雛型)”になってしまうからです。
(ここ脳内の連想なのでほとんど自覚無く)
逆算すると、
彼に対する不平不満は数々あるんですが「限りなく全て本気の不満じゃない(連想に過ぎない)」と言ってもいい。

何故なら”解決しない複合的(コンプレックス)想い”が雛型たる父親の印象だからです。
全て謎が解けるように「ふーんなるほど!あなたってそういう人なんですね」とスッキリわかる人物イメージは『強迫的な自我の支配力を持たない』んです。
父親の幻想性や神秘性は、その強迫的な”解決しない複合的(コンプレックス)想い”の曖昧さ(抑制が効かないので内向的なストレスに呼応していくらでも誇大化する)の中にあって、その誇大性が現在のChimeさんには”魅力(誇大=特別)”として体感されているためです。

つまり「気を惹かれる魅力的な人物」=「深層心理で普遍的に嫌っている人物」な一見矛盾する言葉が語られる理由は、Chimeさんの内面ににアンヴィヴァレントな複合性がロジカル化しているためです。

思うにですね、結論を出さずに惰性で生きてきたのはChimeさん本人なのでしょう。
彼の姿に見た『惰性の境地』という言葉で語られる世界は(自分にあるような迷いや不安が無く)彼の変わらない”彼”というパーソナリティー(大人の人格)が、父親を引き摺る=幼児性を残しているChimeさん自身との対比から「Chimeさんにはそう見えたり感じたりするから」だと言えるのじゃないでしょうか。


>そういえば子供の頃「育った家庭は選べないのでしょうがない。ともかく将来自分の作る家庭では幸せになろう」と思っていました。でも、それも漠然となので、やっぱり動機はあいまいというか、

これは強迫的な複合(コンプレックス)を保守するための方便です(Chimeさんの納得できない”納得”)。
「家族とは所詮赤の他人の集まりです」それを”家庭”という幻想に個々人が社会性を発揮する事で共同幻想として実存する事があるだけで(夢のようなものと考えてもらえればわかりやすいでしょうか)、そういう現実や実体は「どの世帯にも本来存在しない」のです。
子供は何処で育とうと自ら大人になり独立し「他人に還る」のであって(今の自分の仕事と”何処出身?”なる関係性と似たようなものでしかない→今自分は”何をする大人か”こそが本来の実存)、
>「育った家庭は選べないのでしょうがない。ともかく将来自分の作る家庭では幸せになろう」
こう考える人物は「問題のある家庭の中で”納得のいかない想い”を残している”当時の子供や親等”の過去の世界の話」なんですよ。
Chimeさんで言えば「子供時代の自分が言う台詞」です。
その幼児の自分が(父親との関係性の”納得のいかない部分”に自我が固着する結果)今の自我の中で『幼児のまま残っている』ワケです。

過去が過去にならない理由は、当時のままの自分が今も残っている証明なんですよ、

年齢的に言うなら「”育った家庭は選べないのでしょうがない。ともかく将来自分の作る家庭では幸せになろう”なーんて思った時代もあったんだよね〜」と笑いながら語っていて”自然”なのです。
家庭も糞もですね、「今の(大人の)自分にとっての幸せって”こういう事です”」が先になくちゃいけない。
その延長に「結婚するのも悪くないね」なら”それはアリ”なんですよ。そしてそんな時には「過去はともかく、”自分ならこんな家庭がいいと思うな”」とそのイメージは新しい”あなたのもの”じゃなくちゃいけない(じゃなけりゃ決まっている事のない未来の話にならない)。 


>結局育った家庭の問題を解決しないことには、精神の自由を得られないのかもしれませんね。
つまり、これは行き過ぎなんです。
問題を解決する必要等無いんです(極論父親との関係は断絶したままでもいい)。

「あの時代は何だったのか」という”大人の自分が納得する答え”がみつかればいんです、
父親に対する思いが誇大視もあって、不安定だったり激情的であるばかりで「まったく当時の現実が見えていない」のだと断言してもいいです。
「この社会はこんな現実があったのか」と当時の自分(幼児や子供)は”そりゃそんな風に考えられないワケで”、
大人の今だからこそ「あの時彼(父)は何を思い、どんな人生を生き、どうしてあーなったりこーなったりして、彼女(母)にとってそれはどーいうことで、そもそも彼女はそれを実はこんな風に・・・」のような回顧(歴史家のように)や内省的な静かな思考の中で「事実を認定していく」事が必要なんですよ。
誇大性や結論の無い曖昧性が、不安を引き起こしているんです。


>絶好のチャンスとばかりに、それから彼との関係性にずいぶん依存していったと思います。

これは「”自分の家庭を巡る強迫的幻想を守るチャンス”とばかりに、原形たる人物を彼に投影し(結婚を破綻させたり・しなかったりする無責任な男→憎むべき父親)それを利用(舞台として再現)して、子供時代の心理を”追体験し(この興奮は脳内では”快感”として認知されます)”、過去の再現に私は”依存”してきた」のです。
当然そんな背景は彼にとって『身に憶えの無い話』であり、その役割を押し付けられても口ポッカんなのであり、

確かに彼にとってもそんなChimeさんに対する違和感を彼が感じない筈無いのであって、
それでも関係は継続している背景には「彼にも何か個人的な”何か整理のつかないモノ”がある可能性もあります」、
しかし、それを考えるは(全くフェーズの違う話なので)、随分後からでもいいのじゃないでしょうか。


>人生設計を2人ベースで考える(転職を独断で決めず相談する、子供を持つ・持たないで共通認識を持つ、互いの親の面倒を見る etc)ということと、単純に対世間的なアピール(夫が迷惑をかけたら妻が頭を下げる、○○家として常識的な振る舞いをする)というどっちかというとゴミ当番レベルの話です。
これって、子供が夢想する”家庭の舞台設定(シナリオでいうところの”枷”)”そのものですよ、
海外のおとぎ話のようです。


>いろいろ掲示板で書きにくいこともあって、メール相談させていただくかもしれませんがよろしくおねがいいたします。
ここはどういう形にするのか(特別こうしなくちゃいけないみたいに決まりきっているものでも無いので)、相談の相談も可能ですので。
というか、そういう思考はゆっくり時間をかけて進めた方が負担も少ないですし急ぐと反動で”反対側にエキセントリックに移動するだけで実体は等価のまま”なんて事もあります。
まず、このスレッドを(自分の投稿も含めて)何度か読み返したり、他の人の相談事例をいくつか閲覧してみてください。

誰かと話すならば「まず彼と話すべきじゃないですか」、
思うに、彼にも口には出さないけれども、2人の関係に対する個人的な印象や感想がきっとある筈です。
父親との関係がどうこうより(それは過去なんですからね)、彼に自分の内面を語ってみる(これが本当の今の現実の舞台設定なんですからね)事だけでも随分と認識の方向性は角度を変えます。