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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



936 悩んでいます。 kotoko 2008/04/09 05:57
はじめまして。なかなか解決の糸口が見えず一人ずっと悩んでいます…。 できれば助言お願いいたします。

私は今とても悩んでいます。一言で言うと、気分がすごく落ち込んでどうすればいいかわからない状態です。
いわゆる鬱病なのかどうかわかりません。落ち込み始めたのはつい最近の事ではなく、高校に入った頃からです。
高校でいじめがあり、その子をかばった為に私も同じようにいじめを受けるようになりました。先生に相談したら「社会に出たらそのような事はいくらでもある。我慢しなさい。」と私が説教をくらうようになりました。何回も何回も。周りの人も見てみぬフリ。いじめ集団はつけあがるばかり。かばったことは後悔していませんが、先生や周りが非常に憎かったです。

また去年の11月から12月にかけて酷く落ち込み、どうしようも出来なくなって、病院へ行きました。心療内科系(多分…)クリニックと、県立医大の精神科です。
クリニックのほうは、話は5分または10分程度。あとは薬出しておきますねという感じで、あまり印象が良くなく、2回で行くのをやめました。
県立医大のほうは、有名なお医者様ということで、期待していたのですが「別に普通」と言われ、さらに「そんなにイライラするなら犬でも蹴ればいい」と意味がよくわからないことを言われました。この時とても腹立たしかったのと、落胆したのを覚えています。

家族に相談しても、「もっとプラス思考に」といわれるばかりで、誰も話を聞いてくれません。常に落ち込んでいる私に、特に私の母がイライラしています。
とても悲しいし、腹が立ちます。最近は妹に話を聞いてもらうのですが、「うるさい!」と母によく言われます。母は人付き合いが下手で、すぐに人の悪口を言う癖があります。また、すぐキレます。母が行っていた会社もそれでいろいろあったらしく、クビになったらしいですし、近所とも仲があまりよくありません。家を出れば嫌な目で見られます。勿論、そういったことをしない人もいますが…。
私は、母にはもっと大人な振る舞いをしてほしいし、私をあまり追い詰めないないでほしいと思っています。(言っても聞いてくれませんが…。

今まで何度も、苦しくて死のうと考え、苦しみ、泣きました。これからはいよいよ就職活動ということもあり、ますます酷くなってきました。
母の「就職活動、出遅れているんじゃないか?」「大企業に就職してほしい」「何でもいいから受けなさい」という言葉が重くのしかかっています。
頑張らないといけないとは思っています。でも、自分自身何がしたいのかよくわからなくて毎日苦悩しています。母の言葉ひとつひとつが私を追い詰め、どうすればいいどうすればいいと考えるばかり…。

私は自分がとても嫌いで、生きているのが申し訳ないくらいです。ネットを漂えば、同じように悩んでいる人が沢山いて少し心が落ち着きます。いつもそれで乗り切ってきましたのですが…。気分が重く、その方法では回復しなくなってきました。本音を言うと、もう死にたいのですが、良い死に方を探してもなかなか見つかりませんし、周りの事を考えると涙が出ます。涙が出るということは、私は本当は生きたいんだろうなと思います…。

私は今大学3回生(もうすぐ4回生)です。悩んでいることは、家庭のこと、就職のこと、自己嫌悪、自殺願望…いろいろあります…。
相談したいのは、この先どうしていけばいいか…ということです。どうか真剣に返答してほしいです。よろしくお願いします。
長々と長文失礼しました。
938 Re:悩んでいます。 kagewari 2008/04/09 11:52
思春期に発現したところが鍵でしょうね。

悩みの発端として語られる「いじめ」ですが、
これはトリガーです、

『思春期に変化が起きる=性的な意味でも自分が個人として大人(自立)を認識する』
同時にここは第二次反抗期とも重なります。
ですから、その行動には多分に暗示的(投影を含む連想性)な事も多く含まれてきますから、一元的にその行為を「そこだけ見ても」何が起きているのかよくわからなかったりするんです。
そこがはっきりしない事が、悩み自体を余計にわかりにくくする。
結果として、悩みそのものがわかりにくいので悩みはより深くなる形で
「悩みという行為そのものが”解決を前提とする”問い」ではなく
「悩みという行為そのものが”より悩みが深まるばかり”な”現象”」であるのような認知になってます。

補足すると、
流れそのものが、動的に「悩みが”解決を前提としていない”形」に”無意識”に誘導されています。

■そもそもの「いじめ事件」
>高校でいじめがあり、その子をかばった為に私も同じようにいじめを受けるようになりました。

これはですね、
「暴君のような母親は私をいじめているとさえ見えました、私の目からみてもその人の子供である”自分”を見ていられなくなり、”自分”をかばってあげたのです。すると今度は”抗議”の意志を示した”私”の認識まで咎められるようになり、これを先生にも告げたのですが”そんな事(母親の対応)”我慢してあたりまえだ”と言われ、社会からもこの”自分”と”私”は見捨てられたのか?誰も暴君のような問題のある母親の事を理解してくれない(周りの人も見てみぬフリ)のかと絶望するばかりです。名医とも言われる医者にも相談しましたが「そんなにイライラするなら犬でも蹴ればいい」と意味がよくわからないことを言われました。」
そして
 ↓
>これからはいよいよ就職活動ということもあり、”ますます酷く”なってきました。
(本格的に母親登場)


わかりますか?
非常にここからの説明は重要で一部難解な部分もありますから、ゆっくり繰り返し読んでください。

そもそも母親の人物像は
>母は人付き合いが下手で、
>すぐに人の悪口を言う
>すぐキレます
>会社でもいろいろあったらしく、クビになった
>近所とも仲があまりよくない
>家を出れば嫌な目で見られる
 ↓↑
>いじめ集団はつけあがるばかり

深層心理において、その(いじめ集団)親玉のような人物と関連付けられています。

ところがkotokoさんはそのいじめ事件の悩みを『その母親に相談』していますね?

これが何故かと言うと「いじめ事件のルート」を通して無意識に”母親の態度”ってものを問い掛けているんですよ。
理由は簡単です。
「つけあがるいじめ集団」を道徳的に「それは酷い奴らだ、kotoko大変だったね可哀想」と母親が言えば?
普段の母親の態度は、その答えと整合性つきますか?
「アンタが一番誰より”いじめ集団”に見えるわ」な人物なんですよ?
しかしその人物にkotokoさんは相談し、「うるさい!」と取り合ってももらえない状況で”余計に落ち込んだ”。

この最後の”余計に落ち込んだ”部分が重要なんです。

<ここまで何度か繰り返し読んでから以降読み進んでください>

■話をわかりやすくするために「カウンター」あてます、
非常に極端に表現しますが、これはわかりやすくするためなので”そのまんま”受け取らないでください。

つまりですね、
「チンピラに虐められたよ」と「ヤクザの親分に相談しているようなもの」です。

そして心理的には(無意識に投影が行われているので)「母親の不遜な態度を注意したが、逆ギレして酷い暴力を受けた」並の不快感と被害感で「クラスのいじめが酷いです」と教師に相談しているんです。
ここで教師は「落ち込んでいる悲壮感(母親に抗議した後暴力を受けたのと同等)と、実際のクラスのいじめ(彼の知るいじめの被害)に”等価性が無い”と感じ」思慮に欠けるこの教師は(そもそも心理学の知識ありませんから限度もあります)「その”等価性の無さ”というか”話以上に極端なまでに悲壮感がある様子”から」いじめの話そのものにすら信憑性を疑うほど「ちょっとさー君大丈夫?」と答えた(そもそも彼はクラスをいじめを深刻であると認識していない注意力に欠ける教育者です=彼の対処によりクラスでいじめ問題でさかんな論議もおきていないし保護者会も開かれていない)。

その後の医療関係者(心理学の知識の無い人物多いです)も同様、

何かすれ違っていませんか?
一番最初の教師のレベルから(彼個人の問題はさておき)「母親の虐待が酷くて”死にたいです”」と言っていたら?
その後の医師にも「母親の虐待が酷くて”死にたいです”」と言っていたら?


話は一番最初に戻ります。
そもそも何故それは”投影”の形で始まったのか?
「いじめ事件への介入(友人をかばう)」ですよ。

そこまで母親の問題を特別悩み落ち込むほどには意識していなかったのに
 ↓
>落ち込み始めたのはつい最近の事ではなく、高校に入った頃からです。
「いじめ事件」だけは”黙って見ていられなかった”
ステレオタイプな道徳心が間違い無く関係していますよね?「いじめを阻止する正義感」
自分に対する(母親の精神的)いじめには、その正義感が”この時には”動いていない。

ここから強迫とか、無意識の問題について説明します。
「自意識と無意識」明解な区分けがあるのじゃありませんが、
簡単に言うなら「私」と感じているのが自意識・考える前に感情的に興奮したりストレスを感じるのが無意識です。
唯一無意識にありながら自意識にも補足できるものが”道徳”ですが、理由は道徳は自意識を拘束する特権を持ち時に自意識の判断に介入するため自意識にもその存在が確認されます。
この道徳は、幼児期の原形が「親の躾」を雛型とするのは言うまでもありません。
ある意味、その正当性根拠は親に対する正当性と”同一”です。
『幼児は滅多な事では、自らの道徳心で”自分の親を批判する事は無い”』
子供の癇癪ってありますが「お母さんのせいだ!!(等と絶叫)」、これは道徳的な批判じゃありません(反抗期における反抗でもありません)。これは「そうお母さん悪かったわね(号泣)」を期待する一種の甘え(依存)です。
この癇癪も”自意識発じゃなく無意識発”ですよね(自意識は癇癪起こしている”自分”をどこか気まずく見つめていたりする)。
言い換えれば癇癪は「相思相愛」を認識として前提とする衝動です。

長くなりましたが、つまり「子供は滅多な事じゃ親(道徳の正当性根拠)をその道徳で批判や非難できない」
>会社でもいろいろあったらしく、クビになった
時なんかに、
「お母さんが悪いと思うよ、そういう態度は人間失格だと思います」
なんて冷静に言う子供はどこの世界にもいません。

しかし「いじめ集団」相手にはどうですか?

再び心理学の話です、
強迫心理ってものは、言葉のとおり「強く:強圧的に・迫る」ですから自分を強迫的に(或いは脅迫)スポイルし抑圧する心理です。
抑圧される対象は”私である自意識”です。
何故かと言えば、現実に対処に動機形成を行い物事を考え判断するのが”自意識”だからです(車でいえば”運転手”)。

つまり強迫(脅迫)心理があると、その強迫の実体(何がどんな風に”自分”を追い詰めているのか)は意識されません。極端に言えばその自覚すら認識できない。
そして、そんな風に自意識を拘束できるのは”道徳系のロジック”だけです。
強迫性人格を維持するためには”道徳系のロジック”は、自意識に対して相対的に強くなければならない。

しかし「いじめ集団」相手にはどうですか?
こういう事が許せないほどにです。

>落ち込み始めたのはつい最近の事ではなく、高校に入った頃からです。

この時まで、kotokoさんは「母親の心理的な虐待」に悩んでいた事はありません。
「高校に入った頃から」と説明されています。
それまでは、強迫心理として”それ”があったとしても、自殺を考えるほどの悩みじゃなかった。
或いは現実社会(教師や医師がその象徴)に対して恨みを感じるほどの怒りもなかった、

それは思春期になるまで子供の心理が、親の人格と半ばクロースするような仮想上の一体感(他人とは思えない)があるためで、どれほど問題があってもその親が「○○は○○だから」と言えば、「そうなのかもしれない」と受け入れられる余地も”幾分か”あるワケです。
それはそうです、何故なら甘える形として等子供にとって親は快感認知の対象なのですし、

『その問題』が大人になり始めた”自意識”によって相対的に無意識から浮上する問題なら、「反抗期」として自意識テーブルに乗ります。
しかしそれでも尚、無意識のまま自意識を拘束するなら、大人になる過程で拡大しようとする自意識を”より強く内面へ抑圧しなければならない”事になる。それが自我の破綻のように失敗したとしても「反抗期」という形で自意識のテーブルに乗らないスケールなのですから、自意識はどうしていのか悩むばかりです。そして、自意識に認識されている内容そのものも『その問題の一部』に過ぎないため、本当の悩みがなんであるのか自意識にすらはっきりと自覚を持てない。
※この辺はHPの心理学テキストや、自己分析チェックシート、ブログのカテゴリー:心理学テキストなども参照ください。

ここで二度目の矛盾が起きます

>これからはいよいよ就職活動ということもあり、ますます酷くなってきました
 ↓
>母の「就職活動、出遅れているんじゃないか?」「大企業に就職してほしい」「何でもいいから受けなさい」という言葉が重くのしかかって

1)「チンピラに虐められたよ」と「ヤクザの親分に相談しているようなもの」です。
に続き、
2)「人格の問題で会社をクビになった女」の言葉を「自分の就職に関係があると」勘違いしているのです。

そして今ようやく問題のコアが(長い迂回経路を経て)認識されている
 ↓
>母の言葉ひとつひとつが私を追い詰め、どうすればいいどうすればいいと考えるばかり…。

この問題はですね「いじめ事件」の前(母親同じ人物なんですから)、ずっと前から継続している”全ての問題の中心”なんですよ。
ここに至る過程の様々の話は、この結論に至るための投影や連想(問題の一部しか自意識には認識されない)により”形としては問題になっていても本当の問題を避けるように様々な部分に現れていた”んですよ。当然個々の問題の背後には深層心理における”本当の問題”が隠れているために、個々の問題も調子はずれな解決策しか出てこないですし、どうにかこうにか形だけ収まっても「余計に不快感が増す」ぐらいになってしまうワケです。

■問題はただひとつです。
『母親の心理的虐待』
そして強迫的意識は道徳を宿主にします。
「ダメねあんた何やっいるの」なる人物が”自分の道徳の正当性根拠の雛型になる人物のままである(反抗期を自然に経過していないためこれが現実適応していない)”、自分の無意識に「ダメねあんた何やっいるの」という人物を道徳的に正当と意識するロジックが介在していて、これを「今現在”自意識”を強迫している」、

だから⇒「自分が嫌い」と180度逆さまの誤認をしてしまうんですよ。
その評価をしているのは「この人物は問題だ」と直視できなかったばかりに、未だに自分の道徳の正当性根拠となっている(イメージ化され自分の自我の一部として取り込まれた)『(自我に取り込まれる時に)象徴化されイメージ化された母親(既にこの時現実の母親から解離)から見たあなたの評価』そのものなんですよ。

自意識で真面目に「自分が嫌い」等本末転倒な発想を思いつく事は本来在り得ないんですよ、
”得な事が何も無い”からです。
人類ヒト科と言っても生物学的には正真正銘の動物です。
「行為する主体が自らの正当性を疑う?」
これは現実には在り得ない。
何故なら言い換えるなら「自らを(正当性の無い)偽りの自分であると疑わない」
「自分は自分ではない事を自分が語る」なんて論理矛盾が成立する事なんか在り得ないからです。

それが可能な方法はただひとつです、
自意識との関連性に”矛盾(場合によると180度認識が逆転する)のある無意識がある場合”ですよ、

この矛盾の原点とは「母親は問題のある人物である」とわかっていたのに、彼女の人格の一部を(躾の過程や親子関係の中で)模倣として自分の無意識として取り込んだまま(どの子供でも初期の人格は親の自我やロジックを模倣しますがこれを「反抗期」により修正:現実適応させる)それが修正されずに”残ってしまっている”からです。
『強迫意識として』



さて、ここからが解決策ですが。
過去を整理しないことには(自分の過去が幻想のままになってしまいますから)前にも進めないので、「母親との関係」これを過去にわたって「何だったのか、何があったのか」冷静に振り返る事です。
テーマは「どうして母親あんな人間になってしまったのか?」です。
※決して彼女を「悪い」とか非難するような意識で考えないでください。彼女の好きでそんな人間なのじゃないのですから(ほぼ間違い無く彼女自信の内面に抑圧されている彼女の自意識は”そんな自分”である事を不快に感じている)、その彼女の”事情”を見つけていかない限り過去から延々と流れてきた”謎”の答えは見つからないからです。
そして同時に、道徳的な断罪のような意識が「まんま強迫意識」なので、そういう捉え方をして見ていくと「ミイラ取りがミイラ」みたいな話で、何も解決しません。


「どうして母親はあーなっちゃうのか?」と考える事が「本当の彼女はそんな人じゃ無いのに」と同義である事を忘れないでください。
いろいろ文句はあったとしても、形だけでも彼女を「そういう人が”母親だ”」と無理のある肯定をしてしまうと、事実上「そういう無理のある人物に母親としての正当性を認めてしまう」だけでなく彼女があたかも”決定的に嫌な奴だ”と言っているのと同義になってしまうからです。

■そんな事在り得ないんですよ。
>母は人付き合いが下手で、
>すぐに人の悪口を言う
>すぐキレます
>会社でもいろいろあったらしく、クビになった
>近所とも仲があまりよくない
>家を出れば嫌な目で見られる

得なことがなんにも無い
幸せなことがなにも無い
自我の在り方として完全に矛盾しています。
言い換えれば、彼女の自我は既に破綻している。

ここにkotokoさんは悩んでいて、どうしたらいいのと自己嫌悪に陥り涙している(⇒お母さんどうしたらいいの)
どうしたらいいのも何も問題はkotokoさんにあるのじゃ無く、母親になるんですからkotokoさんが悩んだところで解決策が見つかる筈ありません。しかもその悩みの先に大人として自立し「冗談じゃ無いアタシには関係無い」と考える自意識の当事者意識は無く、涙する形で事もあろうか問題の母親に依存している。
「永久ループ」していませんか?
これが鬱って奴ですよ。

問題を切り分けていきましょう。
「母親”個人”の人格の問題」
「”そんな母親”と自分の子供時代の関係」
「今の自分が考えるべき事」

この切り分けで、悩みが深みにしか向かわない「ループ」を断ち切れます。

ここからがスタートです、
個別の問題ひとつひとつを時間をかけて考えていけばいいのです。
自然に経過する事が無かった「反抗期」を意識的に順を追って内省(デバック)によりプルーフしていくんです。

悩みのフェーズは大幅に角度を変えるでしょう。
939 Re:悩んでいます。 kotoko 2008/04/10 23:39
何回も読ませていただきました。
わかりやすく丁寧に説明してくださって本当にありがとうございます。とても感激しております。


> 「悩みという行為そのものが”より悩みが深まるばかり”な”現象”」であるのような認知になってます。 補足すると、 流れそのものが、動的に「悩みが”解決を前提としていない”形」に”無意識”に誘導されています。

これはすごく納得しました。確かにそうです。言われるまで気づきませんでした。
考えても考えても答えが見えてこない不思議な感覚はこういうことだったんですね。


>これは「そうお母さん悪かったわね(号泣)」を期待する一種の甘え(依存)です。
>この癇癪も”自意識発じゃなく無意識発”ですよね(自意識は癇癪起こしている”自分”をどこか気まずく見つめていたりする)。
>言い換えれば癇癪は「相思相愛」を認識として前提とする衝動です。

そうですね…。依存です。ちょっぴり自分が怖くなりました。
無意識に優しいお母さんを求めているのかもしれませんね…。
「相思相愛」。もう頷くことしかできません。

少し話はそれますが、私が幼稚園児の頃、鬼のような女の先生がいました。すごく感情的だったんです。
当時、私は1から10の数字さえ理解することが出来ませんでした。それですごく怒られたような記憶が…。
今でも断片的にですが、はっきりといくつかの辛い記憶を覚えています。
否、その頃の記憶が濃厚に焼きついているといったほうがいいのでしょうか…。
考えてみれば、もうすでにこの頃から、今に至る原因の要因となる塵が積み重ねられていたのかもしれません。


>個々の問題の背後には深層心理における”本当の問題”が隠れているために、個々の問題も調子はずれな解決策しか出てこないですし、
どうにかこうにか形だけ収まっても「余計に不快感が増す」ぐらいになってしまうワケです。

そうなんです。今まで友達や妹にいくら自分が苦しんでいるんだと話しても、どうも納得し難い安価な答えしか貰えないと、自暴自棄に何度もなっていました。
もしかしたら自分は嫌われているのかもしれない…なんで誰もわかってくれないんだろう…という気持ちだったんです。
まさにこういうことだったんですね。


>「どうして母親はあーなっちゃうのか?」と考える事が「本当の彼女はそんな人じゃ無いのに」と同義である事を忘れないでください。
>いろいろ文句はあったとしても、形だけでも彼女を「そういう人が”母親だ”」と無理のある肯定をしてしまうと、事実上「そういう無理のある人物に母親としての正当性を認めてしまう」だけでなく彼女があたかも”決定的に嫌な奴だ”と言っているのと同義になってしまうからです。

そうですね…。kagewariさんの言うとおり、私は母を絶対的な悪として考えていたように思います。それに母の事をあまり知ろうとしていませんでした…。
むしろ知ろうという考えがそもそもありませんでした。


>しかもその悩みの先に大人として自立し「冗談じゃ無いアタシには関係無い」と考える自意識の当事者意識は無く、涙する形で事もあろうか問題の母親に依存している。
>「永久ループ」していませんか?
>これが鬱って奴ですよ。

確かに永久ループですね…。私は永久ループする道をずっと歩き続けていたんですね…。自分の考えの矛盾にも気づいていなかった…。
これが鬱かぁ…(苦笑


>個別の問題ひとつひとつを時間をかけて考えていけばいいのです。
>自然に経過する事が無かった「反抗期」を意識的に順を追って内省(デバック)によりプルーフしていくんです。

はい。頑張りたいと思います。遅い反抗期を克服したいと思います。



抜粋したいところは何箇所もあったのですが、長くなるかなと思い、特に印象的だったところだけお返事させていただきました。
kagewariさんによるご指摘のおかげで、気持ちが随分軽くなりました。今までわからないわからないと思っていた難問がついに解け、うっすら希望の光が見え始めたからです。

あと念のため…。私の文章の意味の解釈でおかしい部分がありましたらご指摘下さい。
では、本当にありがとうございました。
940 Re:悩んでいます。 kagewari 2008/04/12 20:44
各論で説明しますね。

>少し話はそれますが、私が幼稚園児の頃、鬼のような女の先生がいました。すごく感情的だったんです。
>今でも断片的にですが、はっきりといくつかの辛い記憶を覚えています。
>考えてみれば、もうすでにこの頃から、今に至る原因の要因となる塵が積み重ねられていたのかもしれません。

この辺はブログの「トラウマ論」で触れているんですが、
(その他トラウマで検索するとあれこれテキスト出てきます)
「それがトリガーになる」ところがポイントなんです、

「鬼のような女の先生」と表現されている時点で無意識に「母親」が想定されていて(ここは認識されない)、その人物を通して(母親に対しての同不快感は抑圧されてストレスとして蓄積されている)吐き出すように(本来の対母親認知の不快感が)まるで、その教師が無意識と現実を繋ぐ触媒になるんですよ。で、ここに”巻き込まれる”自意識は「あたかもその教師が鬼のような女であると認知する」不快感のレベルは抑圧されていた蓄積ストレス全体として体感するために「トラウマ」と呼ばれる”経験は確かにエキセントリックでも自我が受けるダメージはそれを超える事例”が起きるんです。

ある意味「母親に対する子供時代の認知(子供時代であるが故に誇大なイメージ)」が、自然な反抗によりプルーフされていないがために、一種の爆弾抱えて生きているかのような状況になる(鬱傾向キャリアみたいなものです)。
その引き金を引く人物に対して「あたかも全ての不快事由があるおんじゃないか」と錯覚し、
「1から10の数字を理解しないと私は殺されるのじゃないか」と、そのトリガーとなった事由が肥大化します(体感した不快感とバランスを取るため)、どんどん現実認知は事実関係から解離してしまって、些細な事にまで敏感になっていまう。
悪循環してますよね、

「鬼のような女」
これが無意識に抑圧された当事の自意識の「隠された母親に対する印象」であった事は明白です。


>私は母を絶対的な悪として考えていたように思います。
>それに母の事をあまり知ろうとしていませんでした…。
>むしろ知ろうという考えがそもそもありませんでした。

最も重要なところなんです。

<ここでもう一度最初から反読しておいてください>

反抗期によりプルーフ(子供や幼児特有の誇大な不安や不快感が、現実に対峙する事で再構成され事実上”リサイズ”する)が行われていないがために、事実関係の裏が取れていない”印象”がまるで「隠された真実」に見えてしまうんですよ。
わかります?
隠されていたのは「自分自身の自我の問題として、自分の自我構造の中で抑圧されていた”当事の自意識が感じた印象”」なんですよ。
ある意味、見ない事にするかのように自分の内面に隠蔽されていたイメージの暴露が、対象者が本性をあたかも隠しているように自我には感じられてしまうんです。

ここですね、とてもわかりにくい話なのでゆっくり読んでくださいね。

つまり、自分の自意識を一部抑圧したのは親子関係に起因する特権的無意識(道徳性)であり、ココの意識は”自分”として認知されないトコなんです。(一般的な共同幻想協調型人格の人が「普通そうだよね」と言う場合の”普通”は、その個人に”自分の意見”とは認知されない)
ですから”何かそういうプレッシャーでそう思わされた”のような記憶はある(実は幼児や子供が自我防衛として自から発動している)。
そしてその記憶が抑圧されてしまっていれば反抗期にも自我のテーブルに乗らない。
そのまま温存され、恒常的に自我を強迫する傾向が継続し、

この状態で何年も経過するワケで、
その経過時間も手伝って、
それが認識の”表面”に無意識下から出るときには(誇大な部分にバランスを取るため反動がついてしまうので)
「この鬼のような女は、本性を常に隠している。いつか本性を暴いていやる」みたいに体感され、そんな感情を潜在意識にもってしまうんです。

ここを十分理解してください。
■「その感覚は、構造的にそうなっているだけで、事実とは違います」
>むしろ知ろうという考えがそもそもありませんでした。

理由は簡単なんですよ、
潜在意識に「私にはお見通しだよ、お前は鬼のような女だ。そうに決まっている、いつまでも隠せると思うなよ」となっているため、自信満々だったからですよ(疑問を挟む余地がない)。

>涙する形で事もあろうか問題の母親に依存している。
ここの部分が、強迫構造の典型的な難しい部分『アンヴィヴァレント』です。

そもそも同一化の過程として、自我に強迫的要素を取り込んだ理由は「親子関係が快感認知の場所」であるためで、関係性に快感があってこそ”取り込まれた概念”なんですからね。
つまり、
強迫概念の成立している場合、それは『親の行動には自我として矛盾する部分があった証明』でもあります。

だとしたら?
「彼女の行動には矛盾がある」

その矛盾を「何故なんだろう」と考えていかない限り全ての問題のコアが解決しません(そこが始まりですから)。
何故そんなに矛盾する言動を彼女は
「せざるを得ないのか?」
「(抑圧された彼女の自意識は)望んでもいないのにそうなっちゃう人なのか?」
ここを疑問としてテーマにする事で、
「世の中には鬼のような女がいて、いつか私はその女に潰されてしまうのじゃないか」的な潜在意識は”その根拠を間接的に失う”のです。
過程としては、この深層心理は既に現実の母親から解離しているため(自我にイメージ化された時点で母親本人から分離する)ダイレクトに解決する事はありませんが、そのまま放置すれば深層心理の疑念は怨念になったり過剰な不安の原因にもなります。

>頑張りたいと思います。遅い反抗期を克服したいと思います。

手法としては、興奮を伴わない妙な不快感(深層心理の「鬼のような女」レッテルに対する自己批判となるので)を継続して感じつつも思考を進めるって過程になります。無理は禁物なので(ダイエットに似てリバウンドに注意が必要)、慎重に冷静にゆっくりと進めてください。

母親の歴史を『人物伝』として1000Pにまとめる。
次に私の歴史を『人物伝』として1000Pにまとめる。
■常に第三者のジャーナリストの視点でこれを継続し、
「今の問題」を切り離すんです。

「少々人生のペースが落ちるかも知れない。」な認知を、
「こころの準備として考えておく」ぐらいでちょうどいいですよ、
それが近道ですから、