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現在生活保護を受けて6年ほどになります。
ただ鬱病などの所謂「病気」ではないため通院はしていません。
何度かCWから「このまま何もしないと受給は難しい」と言われたので
通院したこともありましたが、いろいろ事情があり通うのをやめてしまいました。
その後CWから働くように言われましたが、働く自信もないし、働くと余計に
お金がかかり、かえって不安が増えそうなので躊躇していました。
担当のCWが換わり、新しい人が家庭訪問に来た際も、働く意志が全くないわけではなく、内職ならいくらでもできると説明しました。
また人格障害系なので、通院して薬を飲むということに意味を見出せないと
考えていることも話しました。
その場はある程度納得してくれたようですが、先日、定期的に届く文書の中に、
担当者の直筆で「このままでは受給が難しい〜云々」と書かれていました。
いつもそういった問題(受給が難しいと脅される)に直面すると、
生きているのがいやになってしまいます。
自分の場合、働かないといけないんだ!と強迫的に思うことはありませんが、
それが救いでもあり災難でもあるのです。
先日NHKのドキュメンタリーで「名ばかり管理職」というものをやっていました。
会社は利益が毎年増え続けることが当たり前の目標になっています。
そのために人の「愛社精神」などを利用して、人材の使い捨てをする。
EUに後発で加入した国には、昔ながらの方法でチーズを作っている小さな農家があります。
でも、EUの市場に乗せるためにはその方法では基準に合格しません。
ある程度の設備投資をして、衛生基準などを満たさないといけないのです。
昔ながらの手作りチーズのどこが悪いのでしょうか。
むしろおいしそうだと思うのです。
私個人には関係ない話なのですが、上のような話を見聞きするたびに
とても虚無感に襲われます。
そしてやはり生きているのがいやになります。
「名ばかり管理職」の話では、労働基準局が調査・指導などをしているのですが
もし、地域の政治家とつながりのある企業だったら、どうなんだろう。
その規模が大きければ、国がそんな企業を助長させているとも言える。
そしてそんな国から生活保護を貰ってる自分。
頭の中でそんなことを考えると怖くなって、TVを観たり、映画を観たり、
ゲームをしたりと思考を停止させてしまいます。
自分の目の前にある「働く・通院する」と言った選択から逃げたいがために
関係のない社会の話を持ち込んで話を大げさにしてるように感じます。
なんていうか、心臓をぐっと捕まれるような不安を感じるたびに
その不安の源は「生活保護を打ち切られるかどうか」ということで、
それが自分の生死に関わる(物理的に食べられなくなる)ことで、
なぜそんな不安を感じてまで生きている必要があるんだろうと思ってしまいます。
例えばCWの勧めに従って働いて、1年間継続できたら安楽死できるという権利を
もらえるのなら、必死でやるかもしれません。
とりとめもない話になってしまいました。すみません。 |