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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



738 不安なことがあります 赤音 Mail address 2007/03/17 01:38
こんにちは。ネットサーフィンをしていたらここを見つけました。
悩み事があったのでここに書き込みました。

私は今高校三年生の♀です。
中学一年生の時に心療内科で「社会不安障害」と診断され、去年まで32か条のお世話になっていました。
今現在社会不安障害は(おそらく)直ったのですが、最近別なことで悩まされています。
・夜になると頭の中で4〜6人の人が会話をしている。
・時々茫然自失みたいになる。(頭のなかがフワフワしたかんじ)
・感情が麻痺してきた。
・イライラするとおなかが痛くなる。
・自分の中にもう一人の自分が居る。(笑っている私をいつも冷めた目で見ます)
最近時に顕著になってきて、夜寝れません。
心療内科の先生や親に相談しようにも、私は2人を信用できないし、また親に迷惑をかけるのがイヤで言い出せません。
どうしたらいいかまったく分からない状態です。
なにかいいアドバイスをもらえないでしょうか?
740 当事者意識の後退です kagewari 2007/03/17 16:34
32条と言う事は、投薬もあったという事ですね。
投薬に関してはイロイロ論議もありまして、私は身体の直接的な苦痛等対処療法もやむを得ない場合に時間稼ぎに利用する事には反対しませんが(個人的にはメンタルなテーマに医療系の強い薬を投薬する事には反対です)、これを『治る薬』のように使用する事には弊害があると認識しています。

乱暴な表現になりますが、
仮に、不安感を和らげるために覚醒剤に類する投薬を行って感覚それ自体を操作してしまったとしても見かけは結果に満足だとしても根本的な問題は何ら解決していない事になります。
”即効性”というような目に見える結果無しに効果を認定しにくい当事者(家族や医者)には都合いいかも知れませんが、実際その薬を使う当事者にはもっと慎重な判断があるべきなんです。
薬に関しては、その副作用の検証における臨床も健康被害に及ぶ証明が実証されたのか的な部分までで、その副作用がメンタルにどう影響するのかって未検証といってもいいのです(激しい興奮とか目に見えて判断できる部分は別ですが、その検証はもっぱら生理的反応の検証といってもいいでしょう)。

■投薬によって当事者意識が後退する可能性はあります。
私は医療関係者ではありませんから、それを実証するものでも確たる証拠を提示できるものでもありませんが、精神分析的判断・心理学的判断として『その可能性は高い』と考えていますし、それを疑う気持ちもありません。
医療の現場で使用される「ナントカ症」という呼び名のいくつかは、投薬の副作用によって起きている可能性も捨てきれないのです。
(個人的にはメンタルなテーマに、説明をわかりやすくする以上の理由で個別の分類を過度に使用するのはナンセンスだと思っています。)

どういう意味かといいますと、
ダイレクトに不安感を後退させるためには精神的な能動性そのものを落としてしまえばいいのであって、乱暴な言い方をすれば「ぼーっとしていて集中力すら失えば、不安感を感じる力も無い」のです。
しかし、ここには重大な問題があって、人格の当事者意識(=本人意識)を司っているのは集中力です。
この意味は「現実のテーマに直面しこれを判断する気持ちや考え」があなたそのものであって、そこに考えがあるところにあなたは実存しているのです。

人のこころは単一でも無いし、人格なるものも複数使い分けるのがむしろ自然なんです。
「朝は疲れたサラリーマン:健史」「昼はくだけて面白おかしい同僚浅野君」「午後は接待上手な浅ちゃん」「夜はキャバクラ好きの健ちゃん」「自宅にかえったら亭主関白な健史さん」「寝る時間には子供好きなお父さん」「家族が寝静まりひとりコーヒーを飲むときの”僕”」
これは全て同一人物であり、それぞれの人物の前にいる他人は彼が見せる他の顔を偶然見ると「いつもの○○さんと全然違うのね」みたいに同一人物とすら思えないぐらいに人格には幅もヴァリエーションもあるんです。

そんな時、”今”に当該する『私』なるものの当事者意識が後退したら?そして「今はどの時の自分でいる時間か?」を見失ったら?
こうなると俳優が舞台を間違えて登場してまったような違和感として体感されます。

そもそもですね、メンタルな問題というのは不快で事例が大半なので(快感だったら「おめでたい奴だな〜君は幸せものだ」で終わりですから)、現実を直視する事から逃れたいって意識の後退(これが内向化のキッカケにもなります)が概ね見られるものなんです。
この時同時に無意識の拘束力も同時に増大してしまうと、
この増大する無意識の拘束が『強迫(脅迫)』と呼ばれるものです。

今に生きる自分自身についての「私(=one:1)」が後退すると、内蔵する全ての自分のヴァリエーションの誰(somebody:複数)が当該当事者なのか不鮮明になるんです。

>・夜になると頭の中で4〜6人の人が会話をしている。
>・時々茫然自失みたいになる。(頭のなかがフワフワしたかんじ)
>・感情が麻痺してきた。
>・イライラするとおなかが痛くなる。
>・自分の中にもう一人の自分が居る。(笑っている私をいつも冷めた目で見ます)

この中で「イライラするとおなかが痛くなる。」以外は、投薬の副作用の可能性あり得ます。
※これは精神分析と心理学の立場なので、具体的にそれをもって心療内科の医師に抗議などは行わないでください。言っても意味が通じないですし不毛なだけです。

むしろ「イライラするとおなかが痛くなる。」この部分は、『悩みを抱えている自分』という間違いの無い現在の自分の肖像の生存証明のようなものなんですから不快でしょうが歓迎してもいい事なんです。
「そりゃ腹も痛くなるわな」と、自分をいたわる事もできますし、それが今の現実なんですからそれを不満に感じる自分がいる。
その現実を受けて「だったらどうするか?」と考える事も”当事者である自分”を生きている証明には違いありません。
「そんな奴」なんですから、

>今現在社会不安障害は(おそらく)直ったのですが、
ここが一番怪しいのではないでしょうか、
一時的に抑えられてるだけであると。
741 ご返事ありがとうございます。 赤音 Mail address 2007/03/17 18:33
投薬ですがアモバン・ベタマック・マイスリー・ハルシオン・デパス・コントミン・アナフラニール・コンスタン・セシルン・など色々な薬を投薬されました。
なんでも薬が効きにくい体質とかで・・・睡眠導入剤はしょっちゅう変わりました。

> 人のこころは単一でも無いし、人格なるものも複数使い分けるのがむしろ自然なんです。
> 「朝は疲れたサラリーマン:健史」「昼はくだけて面白おかしい同僚浅野君」「午後は接待上手な浅ちゃん」「夜はキャバクラ好きの健ちゃん」「自宅にかえったら亭主関白な健史さん」「寝る時間には子供好きなお父さん」「家族が寝静まりひとりコーヒーを飲むときの”僕”」
> これは全て同一人物であり、それぞれの人物の前にいる他人は彼が見せる他の顔を偶然見ると「いつもの○○さんと全然違うのね」みたいに同一人物とすら思えないぐらいに人格には幅もヴァリエーションもあるんです。
>
> そんな時、”今”に当該する『私』なるものの当事者意識が後退したら?そして「今はどの時の自分でいる時間か?」を見失ったら?
> こうなると俳優が舞台を間違えて登場してまったような違和感として体感されます。
>
どちらかとそういう感じではなく、男の人の声とか、おじいさんの声、おばさんの声など明らかに自分と違う人の声です。
家族の声かな・・・?とも思いましたが、家には今現在私と母親しか住んでいないので違うと思います。

> そもそもですね、メンタルな問題というのは不快で事例が大半なので(快感だったら「おめでたい奴だな〜君は幸せものだ」で終わりですから)、現実を直視する事から逃れたいって意識の後退(これが内向化のキッカケにもなります)が概ね見られるものなんです。
> この時同時に無意識の拘束力も同時に増大してしまうと、
> この増大する無意識の拘束が『強迫(脅迫)』と呼ばれるものです。
>
そうですよね(笑)

> >今現在社会不安障害は(おそらく)直ったのですが、
> ここが一番怪しいのではないでしょうか、
> 一時的に抑えられてるだけであると。
ここら辺は自分自身でも直ったかどうか良く分かりません。ただ心療内科の先生が「もう大丈夫」と言ったので、親が「もう行かなくていい。」と言ったので行っていないというのが実情です。




742 ちょっと難しい話なのでゆっくり読んでみてください。 kagewari 2007/03/19 00:36
『夢』ってありますね(さまざまな登場人物が出てきます)、
そして『俳優』って職業がありますね、
時に俳優って職業が性別(特に声優は)すら別になる事珍しくありませんよね(宝塚・歌舞伎を代表に)。

これらの人物像は全て”自分のイメージ”なんです。
極端に言えば、生理的ホルモンバランスと自分自身の身体的特徴を含む外見や年齢を完全に喪失した時人は自分をどう定義しますか?

自我って存在は、自分自身に所属(属性:自分)しているというだけで、根本的には独立した記憶と連想によるロジックであって、
「今自分は10代の少女である」という事は、今の自分を定義する『所属先(自分)の属性』って有力な材料には違いありませんが、厳密に言うと自我はその自分の属性からも自由な存在です。

つまり「どんな年齢でも、どんな性別でも、どんな職業でも、どんな人物像でも」イメージできれば容易にその人物属性に所属(感情移入と言った方がわかりやすいかもしれませんね)可能です。
この前話の中心になった『現実への当事者意識』これはこの”自分”に対する属性認知であって、当事者意識が後退(典型的には睡眠中)すると、自我は自由に記憶のストックの中から様々な人物モデルをイメージ化できます。

極端に言えば赤音さんが「自分は56歳の男性である」と主張しても、外見がくたびれた親父風の特殊メイクで完璧なら誰一人驚きません。

そして、今の自分(たとえば10代の若者)これは容易に変化します。
10年なんか早いもので、「30前のOL」としての自分を生きなくてはいけないのは、もう直ぐそこの現実でそれは間違い無いんです。
同時にその反対に『現実』という時間は常に動いていますが、意識するその瞬間は”今”ですから「あ〜自分は10代の女の子だよな」は正しい判断だと言われます。
しかし現実には、それは嘘なんです。
なんだかんだと生きている間に赤音さんは「30前のOL」だからです。
自分の属性は同じじゃありません、常に変化するものです。
「自分は誰々の子供だよな」も事実じゃありません。
20年後には「自分は○○家の嫁だよな」かもしれませんし、「自分は○子の親だよな」かもしれません。
人生トータルで言えば「自分は誰々の子供だよな」という属性は一過性の刹那な”現象の一段面”に過ぎないからです。

なので、今が重要なんです、
その時の”今”が現実だからです。
今という現実への当事者意識を失うと、人は自分の自我の主体性を担保できないのです。

>どちらかとそういう感じではなく、男の人の声とか、おじいさんの声、おばさんの声など明らかに自分と違う人の声です。

上記の現象は、自我の当事者意識の後退により「起きてもちっともおかしくない」話で極端に言えば驚くような事でもありません。
むしろ「困った事だ」と考えてください。
「マズイな、俺が俺がって当事者意識が遠いぜ」な認識に。

薬の情報伺って、
やはりその可能性(投薬の副作用)一部有り得るな、と個人的に思います。
本来睡眠導入剤なんて飲まなくてもいいんです(医療の処方に問題があるという意味ではなく、症状として眠れないと申告する必要は無いという意味ですよ)、寝なけりゃいいんですから、本気で疲れたら人は気絶する勢いで寝ます。
寝つきが悪いぐらい気にしなくてもいいんです、死にゃあしませんよ。
眠れないのなら、本の一冊でも読めば賢くなっていいぐらいです。
睡眠導入剤の用法としては「意地でも仕事を続けなくてはいけない」「このままだと疲労で耐えられない」の条件がある場合の対処療法で、不眠症って普遍的な症状は「何年も寝ない人間(実際その症例聞いた事があります)」ぐらいの勢いの話(しかもその症例の当事者は何ら困っていない)なんですよ。

>ただ心療内科の先生が「もう大丈夫」と言ったので、親が「もう行かなくてい。」と言ったので行っていないというのが実情です。

上記は全く無意味です。
他人の台詞ですからね(笑
『社会不安障害』これ、彼らがどういう意図で分類したのかわかりませんが、悩みがあるのは赤音さんでしょう。

答えを出すのは赤音さん以外にはいないんです。
外野席の反応は、参考意見ではありますが結論にはなりません。
特に『親』は完全な部外者(赤の他人といってもいいです)なので、その意見には何ら意味がありません(心理学の教授なら別ですが、ただのド素人なんですから)。

一番最初に戻らなければならないのでしょうか。
「そもそも赤音さんは何に悩んでいたのですか?」