Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



460 サポートカウンセリングのその後 4月の相談者 2005/09/08 22:39
Kagewariさん

お元気でしょうか。私(N)は4月の一ヶ月間サポートカウンセリング
を受けた者です。強迫(脅迫)性障害で悩み、家庭内の出来事を
小説のように結論づけられるように、物語のように話せるように
と課題を頂き、つい先週80%は完成したと確信しています。

根本的原因だったのか、小さい頃から親から神様や仏様など、
天地創造の存在が日常生活に存在していました。(当時宗教団体
に属してはいませんでした)何をしても
「神様が〜」や「罰があたるから”やめろ”」何かと「神」
という言葉を使って「やめろ!!」(抑圧だったのかも)と
言われ続けていたのを思い出しました。「そう言えば、
そうだった」と、やたら、神を理由に正当化したり、行動を
起こさなかったり・・・・・。

でも、先週「ふと」思ったんです。「従うことはないと」
そう思うと、自分で自分に言い聞かせる
ことができるようになり、自分で自分をリードするように、
「冷静になるんだ」「もっとよく考えてから行動しないと」
などなど。気持ちが引き締まって、決断力、判断力と言った
思考?考えができるようになりました。(頭の中で)
そうなってくると、家族のことで、変に同情心や執着心
「かわいそうだから・・・」と思う気持ちがなくなりました。
現実が見えたというんでしょうか。そんな気がします。

あと、「ファーストインプレッションには、間違いなく誤解
が生じるので」と言われ、気をつけていました。が、それを
体験しました。これはしんどいことでした。恋愛感情では、
とくに辛かったです。でも、結果を考えれば賢明な判断であ
ったと思うようにしています。まだ先は長いですが、レベル
が0から1に上がったと思います。



461 順調でなによりです。 kage 2005/09/09 00:57
まだ決定稿になっていないのですが、今「被(こうむる)」について、もう少し明解な説明をしたいと思います。(近々ブログの心理学テキストにアップする予定です)

「脅迫(強迫)感」そのものを考えてみましょう。

無意識という言葉ではなく「非言語的論理性」と認識した方がわかりやすいかもしれません。精神活動の大半はルーチンワーク(日常性)で、自意識が思考して判断する程の局面は意外と少ないものです。
そんな中で、この非言語的論理性が定着する過程(躾や幼児期の言葉を覚える過程)に「強い不快感」や「不公平感」が未解決のまま残っていると、連想としてこの「不快なストレス」は、その後の生活の中で同じ判断領域の「非言語的論理性マター」が繰り返される度に(これは追体験としての「判例主義的反復」なので)再現してしまうので、『漠(最初の不快現実を体験しているのではないので)とした不快感(ストレス)を感じ』自意識はその不快感を“今現実に起きているもの”として認識しようとします。

今の世界から不快になる原因を探してしまうのです(追体験としての不快感が、具体的では無いので、それが「投影」であると自分では気がつかないのです)。

長々とわかり難い話でスイマセン。
つまり、こういうことです。
キャッチボールをしている時に、通常自意識の出番はありません。
その証拠に世間話をしながらキャッチボールができます。

しかし、キャッチボール自体になんらかの不安(不快な記憶の再現性)があるとしましょう。
キャッチボールしている間、ヒヤヒヤしどうしでとても不快です、世間話どころじゃありません。
これが実は大変な事なんです。

最初の「何の不快感もない非言語論理性(例えば習慣化した運動)の場合」
◆私はキャッチボールをした

後者の「非言語論性マターに不安感がある場合」
◆私はボールを投げつけられて酷く不快だ
※これが脅迫(強迫)感です

主客が逆転してしまうのです。
この主体性の逆転が「被(こうむる)」です。
まるで「不快にもボールを投げつけられたと感じるように」

そして大事な事ですが、主観は優先度の高い事項がある時、それ以外の認識が著しく後退します。例えば「遅刻しそうな時」には、普段気にする身だしなみや赤信号など完全無視です。
おわかりでしょうか?
「過去の記憶の連想が原因の不快感や印象」が、感情レベルで優先度の高い事項と認識されてしまうと(そのストレスで優先順位が高くなる確立は非常に高い)、「今の現実には無い話(過去)を根拠に、事実認識の方向性があられもない方向を向いてしまいます」、

これが『誤解』の正体です。

結果「注意力は関係の無い不快感に集中し、話の主客も逆転する」のです。
そんな状況で、事実関係に沿う判断ができる筈ありません。

「家族の肖像について、個別に考える」というのは、連想で自動的にに起動してしまう「非言語論理性に関連付けられている不快ストレス」の先手を打つためなのです。
問題点の『切り分け』と見ても差し支えありません。
「これは不快には違いないが、関係ないことだ」的認識が先行していれば、
「遅刻しそうな気がしているだけで、どう考えても遅刻などしない」と一拍置く事(或いはいっちょあがりにする)で「さて、それはそれとして、、、」と現実認識を元に戻す事ができます。

ですから、家族の肖像につていは「もっといいものを」と編集を続ける映画監督のように考え続けてください(暫くは「私のライフワークだ」ぐらいに)。
注意力は「不快な記憶の再現への不安から、ジャーナリズム的視点に移動」するので、直線的な混乱は緩和する筈です。
実際、単体としての自意識の判断能力は健在なのですから、

ちょっと難解な話になってしまいましたが、サポートカウンセリングを一度体験した方ですので、流れとしてその雰囲気をわかっていただけると思い、まとめてみました。
462 ご丁寧に 4月の相談者 2005/09/09 23:13
ありがとうございました。Kagewariさん 

キャッチボールの例えと、遅刻、映画監督が編集するように。
の説明はわかりやすかったです。
遅刻については、実践しやすく基本になりそうです。

家族の肖像については重要だと感じました。引き続き作り続け
ます。こうして結論ができると日常生活も変わってきて自分の
価値観が変わった感じもしました。変わったのは些細な事です
が、価値観が変わるということはすごいことだと感じました。

また、次回も投稿します。

それでは、


677 Re:順調でなによりです。 4月の相談者 2006/09/07 21:30
kagewariさん

元気でお過ごしでしょうか?
一年前にお世話になった相談者です。
当時から脅迫(強迫)性のことで苦しんでいました。

その後、現状は少しづつ良くなりつつあり、コツコツ
と積み重ねていくことを体験することができ(自力で)
コツコツと作業を進めていくことの心地よさを体験すること
ができました。僕にとっては、はじめての体験だったかも
しれません。これまでは飛び級のようなことに挑戦してい
ましたから・・・。
ただ、
今回の悩み事なんですが、今月に入って近い将来TOEICと漢字
検定を受けたいために会社を退職しバイトで工場で働くことに
しました。(夜、勉強の時間を確保するためです)

ただ、自分でも気をつけるべきことだったんですが、
工場とは、機敏にサッサッさ動くところなんですよね。
工場見学にいったときは、大丈夫だな。と思ったんですが、
実際に働いてみると。その作業の機敏さについていけなくて
パニクッてしまい。苦しい精神状態で働いています。慌てて
しまい、焦ってしまい、”失敗”してしまい、作業が止まる・・・。
これは、何か手を打たないとこれからも続く(同じ失敗
を繰り返す)と思いました。

> つまり、こういうことです。
> キャッチボールをしている時に、通常自意識の出番はありません。
> その証拠に世間話をしながらキャッチボールができます。
>
> しかし、キャッチボール自体になんらかの不安(不快な記憶の再現性)があるとしましょう。
> キャッチボールしている間、ヒヤヒヤしどうしでとても不快です、世間話どころじゃありません。
> これが実は大変な事なんです。
>
> 最初の「何の不快感もない非言語論理性(例えば習慣化した運動)の場合」
> ◆私はキャッチボールをした
>
> 後者の「非言語論性マターに不安感がある場合」
> ◆私はボールを投げつけられて酷く不快だ
> ※これが脅迫(強迫)感です
>
> 主客が逆転してしまうのです。
> この主体性の逆転が「被(こうむる)」です。
> まるで「不快にもボールを投げつけられたと感じるように」
>
> そして大事な事ですが、主観は優先度の高い事項がある時、それ以外の認識が著しく後退します。例えば「遅刻しそうな時」には、普段気にする身だしなみや赤信号など完全無視です。
> おわかりでしょうか?
> 「過去の記憶の連想が原因の不快感や印象」が、感情レベルで優先度の高い事項と認識されてしまうと(そのストレスで優先順位が高くなる確立は非常に高い)、「今の現実には無い話(過去)を根拠に、事実認識の方向性があられもない方向を向いてしまいます」、
>
> これが『誤解』の正体です。
>
> 結果「注意力は関係の無い不快感に集中し、話の主客も逆転する」のです。
> そんな状況で、事実関係に沿う判断ができる筈ありません。
>
> 「家族の肖像について、個別に考える」というのは、連想で自動的にに起動してしまう「非言語論理性に関連付けられている不快ストレス」の先手を打つためなのです。
> 問題点の『切り分け』と見ても差し支えありません。
> 「これは不快には違いないが、関係ないことだ」的認識が先行していれば、
> 「遅刻しそうな気がしているだけで、どう考えても遅刻などしない」と一拍置く事(或いはいっちょあがりにする)で「さて、それはそれとして、、、」と現実認識を元に戻す事ができます。


こちらのアドバイスなんですが、
一拍子置くこととはどんなことでしょうか?一拍子置くことでどんな
ことを考えるようになるのでしょうか?
「さて、それはそれとして、、、、」この「、、、」はどんな言
葉が来るのでしょうか?
現実認識とはどんなことなんでしょうか?

正直、仕事が終っても明日また失敗したらどうしよう・・・・。
とか、周りの人達の怒りをかったら・・・とか不安、恐怖を
投影しながらの生活を送っています。投影だと頭では理解してい
ますが、体はパニクッたままです。結果頭の中もパニックです。
最悪、辞めようかとも考えています。まだ研修期間中ですし。

はじめに書いたように、コツコツと少しつづ身に着けていく
ことでしたら自信がりますが。工場は僕に合わせてくれ
ないですから。僕が工場のスピードに合わせるといったかんじ
です。なので先行きを考えると落ち込みます。

バイトだから気軽に。たいしたことはない。と自分に言い聞かせて
いましたが。効果がなかったです。気持ちを切り替えることが
できませんでした。

よろしければ、アドバイスを頂けないでしょうか?
678 まず確認するべき話は kagewari 2006/09/08 14:28
「TOEICと漢字検定を受けたいため」これは会社を辞める理由になっていません。
有る特定の会社がどうしてもその資格を必要としていて、ほとんど内定ももらっているならわかります。
しかし昨今仕事に資格って時代じゃありませんし(支給される手当てを考えて取得する事はあるかも知れませんが)、「トラック運転手になるために大型免許を」のような特定の関連性もありません。

そういった関連性があるなら「ある会社に転職を予定しているのだけれども、入社の条件になっている資格を必要とするため」となる筈で、
同時にそうであるなら、大事なのはその資格の勉強の進行具合が「どうなのか」となる筈で、「比較的楽な作業だと思ったバイトで体がパニックだ」これは論理矛盾です。
ロジックとして合理性が無い(ほとんど根拠が無い)事になってしまいます。

実際以前に「今はPC傍らの作業も多く」翻訳ソフトや辞書機能は十分マシン関係で補える系のお話をした事もあります。
実際どんな仕事ができるのか(したいのか)って具体的な内容が重要であって、属性にはそれ自体何の意味も無いですから。
「人事部の評価がそうなので仕方なく」ならわかりますが、

つまり背景から論理矛盾のポイントを逆算すると
「果たして会社を退職するべきか?」この時に悩みのピークがきていなければならないのです。
■「属性的に上位のシンボル」を定義すると、十分に辞めるに足る理由だ
こうする事で、上記の本来のあるべき悩みのピークは隠蔽(摩り替ってバイトの軽作業悩みに交換されている)されていて、
このストレス回避の流れにあまりに無理がある(上記説明の「理由にならない」)ため、常に不安のより戻しがあり、集中力を欠くために「特に単純作業にミスをしている」と考えるべきでしょう。

つまり、今のバイトの仕事に悩み等無いのです。
「簡単な仕事だと思った」=「それほど最初から真剣に仕事をするつもりがない(勉強が優先なので)」
だからです、重要なのは勉強って事になるので、簡単な仕事だと思ったが勘違いだったのなら辞める事になんら迷いは無いからです。

ここで話が繋がります
「会社を退職する」に悩みのピークは無く、その後適当に食いつなぐために適当に選んだ「バイトを辞めていいものか悩む」有り得ない話になってしまっている事がここで証明されています。

>一拍子置くこととはどんなことでしょうか?一拍子置くことでどんな
>ことを考えるようになるのでしょうか?
>「さて、それはそれとして、、、、」この「、、、」はどんな言
>葉が来るのでしょうか?

これは以前話した「ファーストインプレッションは常に間違えていると断言してもいい」と同じ意味です。
最初に考えている悩みは常に間違えている(自分の本質的な悩みから外れた話になっている)。なので、『一拍置く』のです、
この一拍の間に「これは本当じゃ無い」と、明解に線を引くんですよ

「悩みはバイトの作業ではない」

「さて、それはそれとして、、、、」
つまり、ここまでで十分で(自然に自我は合理的思考にポイントを戻そうとしますから)「さて、それ(今の悩みは)はそれ(100%関係無い)として、、、、」
『、、、、』
ここは、本質的な悩みに話が戻るまでの間、考える事自体意味が無いので(むしろナルチシズムにひっぱられてしまいます)「次は何をすか考えている空白」を意図したつもりです。
一拍置いた瞬間「悩みはバイトの作業ではない」事は証明されたからです。

無意識の狙いは「抑圧的自我構造が安全なまま自己愛的に悩めるように、バイトだから気軽に。たいしたことはない。と考えて悩みをバイトとする事へ事実関係を持っていった」と考えるのが自然になります。
ここから逆算しても、全ての始まりは「会社を退職したこと」へ帰結します。

ですから、先ず「TOEICと漢字検定、バイト先の仕事」につていはあまり考えないでください。「これは全く関係無い」と一拍置くのです
「さて、それはそれとして、、、、」
焦点は自然に本質的悩みに合ってくる筈です。