Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



363 こんばんわ kuronekomoo Mail address 2004/09/18 02:11
始めまして。
私は25歳の女性です。私は自分の中に、25歳の自分と5歳の自分が同居しているように感じています(多重人格ではありません)アンバランスで、すぐ不安になり、鬱っぽくなります。自分がすごく弱くて、無力で、駄目だと感じてしまうために、いつも自分を責めます。周りから取り残されたように感じて、疎外感と孤独感を拭いきれません。でも、大人の私は冷静に、そんな自分を見ているので我慢して、誰にも甘えられないし、逃げたり、甘えたりすることを拒否します。大人の自分は我慢して独りでいようとするし、子供の自分は不安でなにも言えません。人と向き合うことができません。今、書き込んでいる客観的な表面上の私は、だいたい、なにか役割がある時に、安定してでてきます。でも、表面下に、重たい鉛があるように感じて、息が苦しいし、吐き気がします。助けてと心のなかで誰かに言うのですが、だれが助けるのと言う私もいるし、葛藤しています。神経症(パニック)の気はあるみたいなので、心配になります。愚痴に近くてすみません。自分も他人も信じられません。私は病気でしょうか…?
364 微妙なズレです kage 2004/09/18 09:45
まず大事なポイントです、何度か触れている事なのですが、「病気かもしれない」という言葉は他人に現状を説明する時には必要な表現ですが、内省的に考える時には使うべき言葉ではありません。
話が「病気」という抽象的な話に逸れていき、本質から離れてしまうからです。「〜だからだ」として使われたときに自我の仕事は何も無くなってしまいます。ですからこの言葉は休養が必要な時に使う限定的な言葉だと思ってください。

微妙に意識を置くポイントがズレています。
微妙にです。
>誰にも甘えられないし⇒人は甘えるのが自然だ(違うと思うでしょ)
>我慢して独りでいようとする⇒複数であるのが自然だ(思ってないでしょ)
  ↓
>疎外感と孤独感を拭いきれませんVS人と向き合うことができません・・・→我慢して(自己決定で)一人でいるので孤独ではない→それが疎外感(被害感)だとすると、そもそもその状況を自分で(我慢して独りでいようとする)作っているので「被害感」はおかしい、むしろ確信犯的加害(=排斥)です、→同時に人と向き合う事ができないのではなく、我慢して独りでいようとしている。。。

矛盾は明解です、大人が決まって甘える対象者は飲み屋のマスターぐらいです。そして我慢して独りでいる必要は無いのですから、あなたは自然体なら孤独には『なれません』⇒自分が「我慢してひとりでいるという関与をしない限り」この状況は起きません。

「5歳の自分がいる」この認識は正しいです、ただびみょうにニュアンスが違うのです。
@「5歳の自分が感じられるような安心感と比べて、大人の関係は満足度が低く安心感を標準とした場合、まるで疎外感に感じられるので(5歳の自分が感じるような安心感=甘えを他人に求めるのは理不尽だと思うので)人との関係も大事にしたいのだが、 我慢(無理)を し て 独りでいようとしている」

冷静にこの自我のトータルの判断を読んでみてください。
あなたは「5歳の自分が感じられる安心感」を知らず知らずに自分には絶対必要だと思ってしまっています、しかも「5歳の自分が感じる安心感」というものに明解なコンセプト無い筈です。
■絶対必要⇒それがないなら凄く不安
だから不安になることが適当ではない事にも不安感が拭えないのです。

もう一度考えてみてください。
◎「5歳のときに、安心感が必要だったのに、不安だったのは何故か?」
この思いが脳裏から消えない事が、あなたの悩みの本質だと思って間違いないでしょう。
365 Re:微妙なズレです kuronekomoo Mail address 2004/09/18 14:21
あ〜。解ります。
ズバッと言って頂いて良かったです。
なんというか、矛盾してるのは知ってました。だから嫌だったんですよね。
子供のときの恨みがずっとあるんです。親にほったらかしにされたので。
いい加減卒業したいんですが、なかなか難しいです。
でも親に依存もしてるんです。
実は知ってた気がします。たぶん、書き込んだのは、自分の感情を肯定して欲しかったんです。すでに甘えてます。まだまだですね…
ありがとうございました。
感謝します。
366 依存について kage 2004/09/18 15:50
革のサッカーボールが欲しかったとします。「親に気配りのあるところを見せるチャンスを与えて、そのパフォーマンスに酔うような満足を得たい」これ一種のテスティングになっています。この期待が裏切られると話は頭の中ですり替えられます。「あんなにも欲しかったボールを買ってくれなかったんだ」これは正確には嘘です、「あんなに」という象徴化の根拠は「買ってもらった後のえも知れない快」の事だからで、サッカーボール自体が特別だったのではありません。

■葛藤を発生させない親の典型的な事例を挙げてみます
「なんでよりによってバレーボールを買ってくるんだよぉ」
「バレーボールの方が安かったのよ」
「じゃ安いので、、」
「革じゃなきゃ嫌だって言ってたのは誰よ」
「革だけど」
「あらステキな革じゃな〜い。ここ、○男ここ黒く塗りなさい。誰にもわからないから、」

もしサッカーボールが特別なら、それは自分の趣味に関わる事ですから、どんなグレードのボールなのか盛んに論議が交わされている筈で、急転直下の悲劇は構造的に発生しません。

>ほったらかしにされた

このように判断される数々のエピソード自体には、実はあまり意味がありません。そんなエピソードの背景に隠れる親個人の事情への誤解があります。

>ほったらかしにされた
  ↑
これは結果なのです、動機ではありません。
子供を積極的にほったらかしにしたことによって、手にした利益にほくそえむ親はいません。その利益はどんな利益ですか?想像してもなかなか思いつきません。
しかし
>ほったらかしにされた(受動系)
このように認識すると、
「親は積極的に狙ってほったらかしにし、得して喜んだ」と、自我は受け取ってしまうのです。ここで微妙に歴史認識がズレはじめます。

そして、あなたは甘えてはいません。
367 えーと… kuronekomoo Mail address 2004/09/18 16:39
ほったらかしにされたと私が感じているんです。
仕方なくそうなったのは解っています。
ほったらかしにされた→拒絶された→寂しいのをいえずに我慢した→それが癖になった。…ですかね…?
伝えるのが難しいんですが、過去の事実が責めてくるような感じです。
368 錯誤行為と癖 kage 2004/09/18 19:57
錯誤行為は、無意識に(ちゃんと意識していたらするはずのない誤解や勘違い、失敗をしてしまう現象です)隠れている不安や脅迫(強迫)的な概念が、自我のポカで、つい表に出る現象です。

錯誤行為に似ていて違う現象があります=「癖」、繰り返し反復されるうちに元々なんでそうしだしたのか忘れてしまってる現象、これ無意識通り越して完全に癖が起きる理由にこころあたりすらありません。
「しかし、最初には理由があった」のです。
化石の発掘ににています、記憶以上に錯誤行為や癖が明らかにする歴史の客観性は事実に近いのです。

繰り返しになりますが、子供をほったらかしにすることが面白くてしょうがない親はいません(「仕方なく」と触れられているぐらいです。)

『絶対にほったらかしにしたのではありません』

もし、記憶が正しいのなら
「かまってやれなかった」、
あなたから見れば「かまってくれなかった」
「ほったらかしにした」とは大違いです。過去の事実が責めてきているのではありません。「かまってやれなかった親を責めている」のです。

これで後段の連想の矛盾がすっきりします。

「かまってくれなかった」→「拒絶されてるのかな」→「かまって欲しいのだが私の事が嫌いで拒絶してるなら、かまってなんていえないや」→行き場の無い想いが解消される事なく自分自身へと向いた。→『ほったらかしにされたんだ』と思う事が癖になった。

そうなると意識できない誤解の発端は「仕方ないと誤解せざるおえなかった、彼らがあなたをかまってやれなかった理由」になります。
詳しい事実関係がわかりませんから、推測を列挙しておきます、自己分析のとっかかりに使ってみてください。

■誰かに依存するぐらいの人間なので(依存する子供の親は依存する大人です、そうみせないために欺瞞的ないかにも立派な仮面を無理して被る事があります。)とても人をかまう余裕などなかった
□神経症的傾向を隠そうと無理をしていて疲れているので、せめて自宅では楽にしていたい(疲れて落ち込んでいるほうが楽だ)のに、子供をかまうと楽しそうにしていないといけない、なんとなく遠ざけたい気持ちになる。(無理をしてもっとがんばりなさいと、誰かさんが言った言葉を思い出す)
■かまっていると、自分の子供時代と違って楽に楽しそうにしているので、まるで自分が頑張って(いい子であろうと)きた事をバカにされてるような気がする
■親として以前に自分に自信が無いので(普段はそんな気持ちから逃れるために自信満々な態度なのだが)子供が誰とか意識する以前にテンションが高くなってしまって、つい「〜〜しなさい」とか面白くない親になってしまう、そんな自分が嫌いで不愉快な気持ちになる
■「ちゃんとした家庭が悲願だった。だから、誰もそのイメージを壊しちゃダメ。私は一生懸命なんだから」
■かまってあげたいけれど、不満な顔をされるのが怖い。だからつい「しずかにしていなさい」と言ってしまう。
■何を考えているのか、、どうしてもかんぐってしまう。自分がさして立派な人間では無い事をこの人だけには見透かしされているような気がする。
■私にはやらなきゃいけない事がある、この子をかまってやれる暇なんかない、休んじゃダメだ、これまで頑張ってきたことなんて、あっという間に消えてしまうのだから。どうしてこの気持ちがわかってくれないんだ、何でも必要なものはちゃんと手配してあるというのに。

・・・。
369 わ〜 kuronekomoo Mail address 2004/09/18 23:19
いっぱいありがとうございました。
現実としてまだまだ私のなかに問題はありますが、
参考にさせていただきます。