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「醜い自分のままで居る」という点が全てを逆転させています。
つまり、彼ら乃至彼女は「醜いあなたを好きになる間抜けなのか?」です。
自分の価値を貶めると、同時に人間全体の評価基準がそれにならいますから、自分の価値を「醜い自分」と定義した時点で、比較される他人の良さは適当なレベルにおっこちます。
ですから、人の評価は「自分の事が好きな人か?」が第一番手になり、「その人物はそもそもどんな人間か?」は相対的に意味を失います。
つまりあなたは誰が「どんな人物だから」好きの、『どんな人物』ってとこが元々曖昧なので、好きになってくれれば誰でもステキに見える構造にあります。
4回目の人物まで彼ら乃至彼女自身は「醜い自分のままで居る」と自分の事を思っていないのですから、あなたの好意を『自分がどんな人物か認識した上で好きなんだ』と誤解しています。
「誰かを傷つけている」のではありません。
正確に言うなら、根拠も曖昧に「好き」になってしまっているので、彼等を最初から侮辱している、に近い線です。
つまり「醜い自分のままで居る」と自分自身を思う事とは、他人の実存を軽んじる事と同義で、それから逃れる事はできません。
これで「どちらが好きか、という比較」ができない事の説明が容易です。
『どんな人物なのか』さえはっきりと記憶に無いからです。
現実を直視しているのではなく、あなたは『関係性に』振舞わされちゃっています。
『誰かに好かれているか』自体に強い不安がある証明なのです。 |