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問題は本質的な『快』が達成感に近いもので、これ以上の望みを
すっかり諦める理由であっても本人には利益だって事さ。
先祖や家族の血の意味は「正統性」を根拠にする道徳のコアだろ
「不道徳の血縁が道徳のコアをなす」考えてみろよ。
この矛盾は「穢れる性を快として受け入れる」事で実現するのさ。
見せ掛けの道徳を温存するために彼の金の事とか、殊更嘆いている
気持ちがあってもね、その感情は浅いよ。
そういう批難はこれを根拠として穢れた性に囚われる自分の世界
への入場券みたいなものなんだ。
家族に「善悪」を預けちまったら、それは結果として家族の神格化
だろ。意図はなんだと思う?「神に愛される私」だよ。
それが苦痛と引き換えに手に入れる「生きていていい理由」だ。
「善悪」で「善悪」を裁こうとするから動けないのさ。
そもそもあの人達は何が面白くてあーいう人間なのかって、冷静
に検証してないだろ。「悪いから」で終わったら何もみつからない。
家族の善悪に付き合ってるのと同じなんだ。
そうやって生きている自分(独り)を回復しないと、いつまでも
自由にはなれないんだ。
家族の性から目を背けると、自己嫌悪のスイッチが入るんだよ。
リオは頭が切れる。それだけ自分にしかけた逆説は深いよ。
かといってそれを始めたのは自分なんだからはずせる筈だ。
で、どう思う? |