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【63】続きです  早恵  - 2011/05/17 08:21 -

(他の方の参考にでもなれば。これに対しての返信は要りません。ただ私の説明に問題部分があれば申し訳ないですが訂正をお願いします;)

仕事を覚えられず、自分では勤まらないと思って辞めようと思って上司に相談したら、
「ここまで仕事に対して真剣に考え、取り組もうとしてる人はなかなかいない。
確かに技術は必要だけど、いくら技術があってもそれに慣れてしまって過信してるとかえって取り返しがつかないこともある。できれば続けてほしい。
技術に関しては他の人にもフォローしてもらうようにするし、あとは慣れて覚えていくしかない。」とのことでした。

仕事のペースが遅く、私が食事介助したら食べ物を利用者さんの口にうまく入れられずに床にこぼしてしまい、オムツ交換の時は服を汚してしまうなどの失態を繰り返し、雑用の仕事すらも手間取る私のどこを買ってくださってるのかは分かりませんが。

雑用係しかこなせない人は自分も含めて社会のお荷物だと思ってました(今ももやもやしてますが)。

雑用係でも雑用だけをやってたら良いわけではなく、一番大事なのは利用者さんの自主性を促すためには何が重要かを自分で考え、(結果はどうであっても)試行錯誤していくことでしょうか。

本当に仕事が出来る人(というより客観性がある人でしょうか)は結果や人からの評価では分からない。

介護技術がうまくても仕事ができてもそれは一過性のものであって(介護技術が下手なのも問題ですが)、それは利用者さんの主体性を尊重してやってる行為ではない。

こんなことを言ったら他のスタッフや利用者さんとの衝突も避けられそうにありませんが(私の言ってることが正しいかも分からない);

職場の人は私のことを良く思ってない人もいるでしょう。

この先どうなるかも分かりませんが、今は仕事に行ってきます。


.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚

仕事をこなし、オフは友達とはしゃぎ、好きな人や家族と過ごすことが人間の幸福なんだと思ってました。

それが幻想だったと指摘を受け、自分を見失う状況は避けられたと思います。

少し光が見えてきました。ありがとうございます。

引用なし

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【62】ザックリ説明しますと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/05/11 06:09 -

・前置きになりますが
プライバシー保護の観点と公開掲示板の運営趣旨である公共性(閲覧者が参考にできること)から、有料など非公開の内容に関わる具体的な事項の説明には制限があります(私が説明において非公開のログを引用するなど)。又、閲覧者の方が何の話か経緯を掴めない具体的個別の話に公開掲示板)は適しませんので(聴衆のいる公開の場でのやりとりとなりますから厳密に言えば私的利用とはなりませんので)、返信がある程度「広義の説明」であるとか枠組み論的な方向になることはご理解ください。

<以下本文>
現在の就職先の話かと思いますが、
先ず初期的に(メンタルな問題からの離脱過程でもありますから)
「個別具体論的な問題の発生が十分予測されていること」。
次に「仕事に就くことそのものが当初目的では無いこと(ひとりぐらしを可能にする部分との関連として)」。
バックグラウンドとして症状などが関係する部分での仕事上のストレスは(他相談事例のログにもあるように無理に仕事や通学などの社会適応を優先せずに休養などが優先されますから)”無理がかからない”ことを最優先に自己責任で判断するところで、場合によれば(他相談事例のログにもあるように)「そもそも社会適応フラグや他の人(共同幻想適応系)と同じように」等の意識で⇒強迫的に選択される場合も多く(カウンセリングなどの過程を経て”休養するべき”方向に説明が無いと構造的に自分では辞められないなど)、ここは注意しなければいけないところです。
※心理的な事情から地方自治体の福祉窓口を利用することは『実質的には労災などの保障と性格が同じ』(環境にもよりますが職場環境下を発端とする”鬱”であれば実際に労災認定の可能性もあります)であることを忘れてはいけません。
※又、社会適応と言う概念そのものが『(近代以降文明化と経済成長の)共同幻想』ですから、それ自体に全く意味が無いとは言いませんが、殊更それが”優れた事”であるかのような認知があるならそれは「ズバリ強迫心理」です。仕事等の選択はあくまでも「自立独立した自意識マターとしてその選択があるのであれば」検討すべきもので(極論自分で好きで選んでいることというルートを担保する)その評価も自分自身で好きに判断してよい(期待する成果そのものも選択同様にマイペースとならないと”そもそもの動機の証明にならない”)。
 ↑
上記を俯瞰から冷静に考えるヒントとしては、
メンタルな問題が基本的には発生しない原始共産制での暮らしを想定すればわかりやすい。
「文明も無く、自分の暮らしは基本自給自足で身近な畑などを自分のペースで耕作などの暮らし」
(原始共産性の場合”その暮らしを集落で”と、この点が類人猿時代の本能の名残として限りなく普遍的に”群れ”が前提になりますが、勿論この部分は共同幻想的な社会適応では無く、自己のアイデェンティティーが”幻想では無くマジ村民(近代以降は市民)”なので構造は似ているようで全く違います。←ここは社会学の基本。)


【上記枠組みは早恵さん十分理解されていると思います】
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。

前段はあくまでも広義の論点となりますので、
 ↓
補足となるワケですが、
仮に仕事が継続可能な環境にあり、具体的内容は公開できませんが「出来不出来では無く自分自身も事故などが心配である」点に関してはこれは管理職の仕事であり(軽微な業務にシフトするなど)、これを試用期間などで判断行われるのですが、この業務も”管理職の仕事”です。
(試用期間の社員の仕事では無い)

これは上記説明以上に法的な側面もありまして、
現代先進国は概ねその傾向ありますが日本は特に労働者の権利が手厚く、正社員として正規に採用された場合、会社の経営が著しく悪化するとか当該社員が犯罪に関与するなどよっぽどの事情が無い限り『会社は社員を解雇できません』。
現実公務員の職場だけでなく「閑職」と申しましょうか昭和なら「窓際族」のように、軽微な仕事専従の部門を「予め用意する」のも人事管理の仕事です。

各個人が仕事ができるできないという事情とは関係無く、どこの世界にも仕事内容と個人のポテンシャルとの間にミスマッチが発生する場合ありますので(メンタルと関係無くても)、これを制度として雇用調整でとなりますと→その瞬間『昭和の終身雇用制度』は壊れてしまいます。
昭和の時代は経済成長が右肩上がりでしたので(社会全体の所得が全体として上昇)、労働力の流動化を促進するより「新卒終身雇用」の制度の方が全体の効率が高かったので、「仕事内容と個人のミスマッチ」に関しては(ミスマッチの人には申し訳無いが)閑職や窓際族などで身分と所得は保証するので了解ください的な社会だったワケです。
※先進国化により「終身雇用」が事実上壊れ「労働力の流動性が高まる」のとセットになるのは、先進国化により高学歴など個々人のスキル・ハローワークなどの公共サービスが格段に安定化してくるためで(昭和のように職工さんの過半は中卒でもむしろ可で会社内の仕事を通じて専門の労働者として育成=「解雇されると転職口を探すのが非常に困難」などいう離職リスクが少ない)、むしろミスマッチを効率的な労働市場で解決する方が選択されているため。

同時に、
現代社会は「スローワーク」であるとか「フリーランス」など、
そもそも仕事的成果と社会的成功を関連付けないライフスタイルも増加します。
※これは先進国化や経済成長の究極の目標は『非労働社会』であるためで(そのための社会資本であり機械化・電脳化なのですから:代議員のボランティア化やフリーエコノミーも全てこの線に乗った話です)、先進国の生活水準の基本は『人権保護』の枠内で十分にハイレベルであり(比較できないほど第三世界を上回ってます)、高い通貨を生かして海外の製品を異様に廉価な水準で購入できます(100円ショップを代表に)。


<ですから>
■『社会適応』も『就職と仕事』も、特別に優先フラグが付くなんて事は100%あり得ません。
(あったら強迫心理。:共同幻想協調人格は”優先フラグ”があるのではなく”その選択も協調”なので選択の自覚(著作権)が無い。)
■その反対に『自意識マター』として、独立自立した自分の意志で選択したことは(社会的評価など意識も必要も無く)自由に評価すればよい(盛んに努力するのもサボるのも自由)となりますから、重要なのは結果では無く『意思確認』です。

「イロイロとリスクがあるのは承知だが試にやってみるか」という場合、
結果が思うようにいかない時の認識は、
「いやー(予測はしていたけれど)これは結構大変だわ」となります。
 ↓
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。

であれば「やれやれどうすっかな(何から手をつけたものか)」と、これメンタルでは無く個人的な悩みや”考え”って世界の話ですので、
(結果論では無く⇒ストレス過多で”無理がかかる”ようなら「残念失敗と辞める勇気も考慮」するところなので別論議ですがここも「個人的に考えるところ」です。)
 ↓
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
こうなっては『動機』が別の方向向いてしましますので注意が必要です。
「鬱のネタまき」になってしまいます。


<もう一度整理します>
意思確認も十分慎重に行ってます「自分の意志で企画性もって判断して選んだ」
(背景のリスク「特に○○関係」には自分の動機を含めて共依存系や強迫的共同幻想フラグが関係しやすい点も十分説明済み)
結果論(社会的評価)によらず、むしろ個人的関心(人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし仕事に意識が行きつつあります)をベースに考えている。
のであれば、前後の話が繋がらないのです。

わかりやすく、並べてみましょう。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
 ↑
同一人物の台詞とは思えないですよね。
「人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。」って人が突然「本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?」となる事はあり得ない。
(自分で「他人の目は気にせず仕事一本です」「今何をすべきかわかっている」と前者は言っているワケですから)

同一人物の台詞とは思えないですよね。
思えなくて当たり前です、極論すれば”同一人物”では無いからです。
前者は『自意識マター』(抗(あらがう)ベースの主体的現実認知)
後者は『強迫心理』(被(こうむる)ベースの被害認知的内向認知)

■強迫認知のトリガーが「不快(被(こうむる)で認知すれば”被害”)」であるのは間違いありません。
それを「”これは手ごわいぞ”とやり甲斐と感じるのか」「不安から強迫的に自分が追い詰められてしまうのか」それは認知で決まります。

『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。

<ちなみに>
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
 ↑
ここは本来コメントの必要ありません。
(というかコメントすべきログじゃありません。)
前述説明で理解されていると思いますが、
後者の強迫心理があれやこれやと自我を不安にする動機は、
この台詞が言いたかったから
 ↓
「私も他の(まともな)人になりかったですね。」
であり、
まーこのような認知に付き合っている暇ありませんので無視してください。
「オイオイ又言っているよ強迫心理(苦笑)」
(端的に言えば返信引用から削除すべき部分です)


<話はもどって>
『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。
そして、
>仕事がうまくこなせないなら今すぐやめるべきなのでしょうかね


答えは簡単です。
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
 ↑
こんな事言っているならとっとと辞めるべきでしょう。
強迫心理が内向鬱のネタ探しにワザワザ手の込んだ事しているだけですから。
『自意識マター』の動機までねじ曲げられてしまう。
(情緒的に言えば”自分の動機・自意識の言論が穢される”)

しかしですよ、
『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。
その前者は?
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
 ↑
こう言ってます。
これなら安心です。
 ↓
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
 ↑
こんな事を言う筈もありませんから、
「仕事に意識が行きつつある」自分なりに試行錯誤やらそれを”やり甲斐”として(この場合不快事例ではなく幸福ネタになる)、自意識の自由な思考を駆使してあれやこれやと人とは違う自分なりに(個性)考えればよいとなり、
会社の方が待っていられないというならこっちが心配しなくてもクビになりますので、管理職の仕事まで心配することは無い。

注)しかし”無理がかかる”などストレス過多の場合には、これ事情が別(健康問題)ですから自分から辞めることも検討すべきでしょう。


だとするなら問題のポイントはここに戻ります。
■『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』

さて、実際に続けるべきか辞めるべきか。

『一拍置いて十分冷静に(自由に独立的に)自意識マターで考えて』
「思う通り(好きに)自分で選べばいいのです」


<更に補足で各ストレス面コメントしますが>
自意識マターの決定が「勿論仕事には”個人的に”意欲あります」間違い無いのであれば、
現行は利用者(お客さん)の反応どうこう考える必要ありません。
 ↑
これどういうことかといいますと、
仮に私が現場20年のベテラン軍曹なら、
「客がどうだこうだと言うなんてのは100年早いだろ」となるからです。
(不慣れな人間がやっていることが客に好評なワケが無いのですから)
「他人の目は気にせず仕事一本です」ということなら、
自分なりに「先ずはここからだな」など戦略定めて「あれやこれや始める」って事であり、
「(お客さんには申し訳無いが)今客の評判聞いている暇はない」になります。
(上記をよくトレースするとストレス回避のルート辿っていることわかると思います)

基本”不安(強迫心理のトリガーとなる)対策”上、大事なのは「自意識マターの確認」に尽きます。
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
 ↑
この発言は自分自身の言葉なんですから。
それ(人権)を尊重するべきでしょう。

判断の基準として
「ダメ、自意識マターを保持できない。こりゃ強迫にのまれて又ゾロ「私も他の(まともな)人になりかったですね。」なんて言い出しかねない。果たしてどうしたものか、、。」
のような思考を”一拍置いて”十分に繰り返し考えて、
「ちょっと無理かかっているかな〜と”自分で判断”した時には辞めるってことかな」←などのように”自分で考えて”ください。


<繰り返しは記載しませんが>
ここで前段の広義の論点【枠組み】の部分に戻って読み返しです。

引用なし

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【61】Re:各個にお答えしますね  早恵  - 2011/05/09 21:51 -

仕事のことです。

利用者さんのオムツ交換もうまくできない(私がやると汚れが残ってる)。

食事介助は私がやると食べ物がこぼれてしまって相手の服が汚れてしまったり、利用者さんも食べにくそうです。

利用者さんもスタッフも私が介助してると不安げです。

他にも有り得ないほどのミスもあります。

スタッフも有り得ないと言う感じで見てますが(これからますます厳しくなるでしょう)、何より利用者さんがイライラしてます。

利用者さんが嫌がるのは分かります。私が利用者さんの立場だったらこんな状況が続けば相手に怒りが募って物を投げたり、怒鳴り散らして暴言を吐くでしょう。拷問、虐待(介助者がそんな意思はなくとも)としか思わないでしょう。

通常なら感覚やコツを掴んでくるんで来て、上達していくんでしょうね(というか通常ならできることが私にはできなくて、何度も練習して少し上達する程度。通常ならしないヘマを見事にやる)

(実年齢は)良い年して本当に有り得ない。

仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。

ご指摘を受けて自分の問題点は治すようにしてますし、人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。

でも私自身に心的な変化はあったのかもしれないけど、考え方がプラスになるというだけで、手先が器用になるわけではない。臨機応変に対応できる頭になるわけではない。容姿や人間関係の問題も同じです。

仕事以外でも先日は私を見て笑うスタッフがいました(部署が違うので仕事で関わりもなければお互いに名前も知らない)。
それを気にしてるわけではありません(今は仕事のことで頭が一杯なのできにしてる余裕すらないですが)。笑われるということは自分自身にまだまだ問題が残ってるからということですよね。

自分の意識を変えても潜在的な部分までは変えられなくて、それでも問題点を治そうとしてるけど、一度出来上がってしまったものを変えるのは難しい。

何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?

仕事がうまくこなせないなら今すぐやめるべきなのでしょうかね(せめて1人暮らしの資金を貯めるまでは続けたいですが)。

私も他の(まともな)人になりかったですね。他の人のようにまともな頭だったらコツや感覚もだんだんつかめたでしょうし、利用者さんだって技術がある人に介助をしてもらってる方が良いでしょう。

引用なし

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【60】Re:お久しぶりです  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/05/09 00:15 -

非常にいい線いってます、かなりあたってます。
(というか非常に需要な事実関係が抑えてありますね)

今回は各論では無く、いただいた情報を元に大きな枠組みを(推論ですが)組み立てます。
それがあれば思うに(現在の理解力がれば)hakoさんには以降の詳細を事実認定として継続していけると思います。
枠組みにおける大きな骨子は、

■母親には祖母との間に非常に大きな同一化(猛烈なママゴト興奮とでも言いましょうか)と権威化(極端に言えば神格化)がある。
(彼女の父親への嫌悪には二面性があると思います。男性コンプレックスの象徴として性的な嫌悪であり、神格化されている母親を従えるなどという大それたことを平然する人物に対する感情的反発。)

大きく話の根本を切り分けます。
>母は、成績は良かったし優等生だったけど人に甘えるのは苦手で、消極的だったんだろうと思います。
 ↑
厳しく必ずしも気軽に話ができないところのある母親(祖母)を神格化しているが故に「成績は良かったし優等生だった」と祖母に盲信したが、コミュニケーションが取れず(幼児性自己中心認知からか祖母の真意を理解できず)、大人同士が普通にコミュニケーションすることことを彼女(母親)は『ずるい』と思い込んでいる。(或いはそう思いたかった、何かの宗教教義に盲信するように。)
繰り返します、
彼女(母親)は社会で大人同士が円滑にコミュニケーションすることことを『ずるい』と呼ぶんです。
(私なんか言われたとーーりに、勉強して優等生で、、、なのに○(妹)はズルい。お母さんと普通にしゃべって、、普通に、、)


行間空けます
(以降には少なからずショッキングな指摘がありますので精神的な余裕がある時にゆっくりと反読してください)


母親と良好な関係にあったのは叔母(母親の妹)であり、
(借金ネタにはこの際大きな意味が無いと考えてください、これは”目くらまし”のネタまきです。少なからず借金が事実であってもです、)
彼女(母親)はそれ(神格化された母親が妹と仲良く暮らすことが)許せなくなり、
何らかの理由や経緯の中で『母親を妹から引きはがした』
 ↓
その結果
hakoさんを手元から話さずに”母親役(猛烈なママゴト興奮)”を演じ(自己愛的興奮)続け、挙句の果てに母親自身は無意識ながらも結果hakoさんを心理的に追い詰めているように(明らかにhakoさんの強迫ネタ元主犯は彼女です)、

母親に心理的ストレスをかけていた、


行間空けます
(以降には前述以上にショッキングな指摘があります。又一部はまだ私が個人的に考えている心理学によるもので学会などで認められていない理論も関係しますので、推論であることをこころにとめておいてください。又、精神的な余裕がある時にゆっくりと反読してください)


祖母が認知症を発症した背景には、
話が通じない娘(彼女)との間の強迫ドラマ(hakoさんを心理的に追い詰めているように)が関係していると思います。
※学会含めて認知症とメンタルの関係は証明されていませんが、少なくとも認知症のリハビリ過程には心理学的アプローチ(関係性の構築:話が通じる)が効果があることは社会的にも認知されているでしょう。←『その逆があるとしたら』と考えてください。

そして(やっぱり妹と違ってちっとも母親と話がうまくできない、母親(祖母)を独り占めしてもちっとも嬉しくなれない。←しかし妹が母親と楽しく会話するのだけは断じて我慢ならない。絶対許せない、)、
自分の行い(母親の拉致)が額面通りにうまくいかなとみるや(彼女の脳内ドラマでは感謝した母親(祖母)が涙流して抱き寄せてくれる的興奮が想定されていたのに)、「これじゃまるで私が悪者だわ」と、
 ↑
上記のこころの動きは一部が認識されても大きくは彼女(母親)にも無意識である(自覚が持てない)ことを忘れないでください。


<話は戻ります>

「これじゃまるで私が悪者だわ」と、
自分の行いが母親想いの素敵なお嬢さんであることの証人を求めた。
(現場に連れてきてその行為を見て賞賛するような人間が必要だ:証人)
>母に、私が自分のことでいっぱいいっぱいで介護ホームに行かないことを「家族なのに冷たいなあって思ってた」と言われました。それがショックで、私は母と言葉の通じなくなった祖母のところによく行くようになりましたが、

実体はというか事実はこれです。
>母が祖母の食事を食べさせて(いつもは職員さんに任せている)、あまりにも食事させることが難しくて、私がよそ見している間に、食事をビニール袋に入れて捨てようとしてるのを見た


母親(祖母)は、
>認知症の初め「母の妹(おばさん)が家に来た」(来てないのに)とか言っていて、おかしいと思ったらしい。
妹にいて欲しかったのに。

更に言えば、
母親(祖母)がおかしな事(妹と会いたいなど)を言う前にhakoさんには母親(祖母)を会わせず、
彼女が自分の美しい行いの証人としてこれを証言させるためhakoさんを母親(祖母)に会わせたのは、
>「完全にひどくなってから」でした。

以下は都合のいい屁理屈です。(嘘といってもいい)
>「あんたはあの時反抗期だったからね」
(正直なところ、母親(祖母)とうまくいかず、自分のシナリオでは「酷い妹から母親を連れ戻した」という話が破綻(母親は妹といたかったのかもしれない)しているところを見られるワケにはいかない)

■借金の話注釈つけます
こういっては何ですが、
祖母本人は特別資産など残す意思が無い場合、彼女(祖母)は字自分の老後で全額使い切っていんですから、好きなように使えばいいのであって、最後亡くなる時に無一文というのが「使い切り」的には一番彼女にとっての贅沢になります。
”無一文”になっ困るのは『相続する人』なんじゃないですか。


<父親について>

彼を彼女(母親)がスカウティングしたのは、無口で論理的に何か言い返したりしない(マチズモから遠い)男性だったからでしょう。
(男性シンボル的なのが父親(祖母の夫))
仮に彼が論理的に彼女をたしなめたら?
『逆上して手が付けられない状態』になったと思います。
(何かこの状況に現状と比較して好転の余地があるとするなら→早い段階で母親は心療内科か精神科に相談することになっていたかもしれません。)
彼女にとって彼は問題を暴き出さない都合のいい男だったのだと思います。

私の推定ですが、
彼は随分早い段階から問題の本質(妻の心理的問題)を知っていたと思います。
しかし昭和のこの時代、メンタルであるとか心理学などこれはよっぽどの文化人類系知識層の話で(一般的には精神科しか基準が無い当時で、更に当時の精神科は監禁に近い入院状態などおおよそメンタルに不適格な医院の噂も絶えなかった時代です)、
「彼に何ができますか。」
私はひたすら耐えてきたんだと思います。
>わめき散らす母と、それに対して何も言わない父
何もかも腹の中に納めて、
ずっと、ずーっと、彼は耐えてきた。
(彼の過去に過失があるとすれば、妻の状況を温存することは子供達のメンタルに大きな影響が起きることを察知できなかった事ですが、これも心理学的知識無く想定することは大変難しい。)

>父に対して冷たくしたことは、反省しています。私が冷たかったので、父も私に対して、距離を置くようになってました。
 ↑
間接的にですが、この心理を醸成したのも「母親と父親の関係」だったように思います。
hakoさんは無意識に母親に同調し、彼に罵声を浴びせる側にいたんですよ。
(同時にここには醜形恐怖の原型がある。←私の以前の返信に「それを必要とし捏造したのは母親ではないか?」の推論があったことを思い出してください。)

姉はどこかのポイントで「このシナリオはおかしい(欺瞞ドラマじゃないか)」に気が付いたのでしょう。
>近いうちに、姉と二人でゆっくり食事でもしたいな、と思っています。
 ↑
大きな一歩です、
■大変大きな意義ある会談になると思います。


<単体論ですが>
元来家族は血縁というだけで(会社でいえば”縁故採用”はむしろ如何わしい枠ですよね)、
人権論的には「血縁だけはあるが他は赤の他人」です。
(近代以前のように継ぐべき家督相続や伝統ある生業などがあれば別ですが:この場合血縁というより同族会社の構成員という社会属性が上位)
それこそ何かの縁で特別話したことのない親族や特別親しくない家人と親しくないのは『自然』です。
hakoさんが以前祖母と個人的にそれほど親しくないとか、彼女(祖母)に何かしてこなかったなどは「全く関係ありません」ので。
(それこそ親しくも無いのに血縁だからと見舞いにこられる方が普通に考えて迷惑でしょう。)


<まとめですが>
>母の誕生日を私が忘れていて、「今日はママの誕生日!!!!」と大泣きされたことがあります。
 ↑
これは衝撃的ですね、、
(ガチで単独者の私は家人の誕生日をひとりも覚えていませんし、親しい友人の誕生日も覚えられません(数字に弱いところありまして)、極端に言えば自分の誕生日忘れていることすら珍しくありません。)


hakoさんは認知症心配されていますが、
彼女(母親)は、以前から人格障害ぎみの状態が慢性化しており、昨今は躁鬱傾向にあると思います。
今の状態で心療内科通院していて全く不思議ではありません。
(深刻と言う度合から言えば、現状ここまで事実関係を理解されているhakoさんより遥かに深刻だと思います。)
しかしやっかいなことに、カウンセリングは鬱や恐怖症であるとか内向化傾向などには(会話が成立するので)効果も大きいのですが、会話が成立しない(場合によると嘘と事実の区別がつかなくなる)場合、心理的な自我問題の軽重では無くって対処の方法が限られる(コミュニケーションが取れないとか心理的問題に本人自覚が無いと精神科しか方策が無い)、
この問題は彼女(母親)自身のプライバシーですから彼女が自分で選択する事には違いが無く、周囲がどうこういっても仕方がありませんが、
父親に事実関係を話しておく、
(彼はある程度察知してきたと思います)
同時に彼女の子供時代の実体をあれこれと考える(叔母(妹)さんと話すのも効果的に思います)。

hakoさんはこの件に関与しなくてもいいし、
仮に関与するにしても周囲の認識をある程度は統一させなければいかんでしょうから(父親、叔母、姉)、
気持ちこの問題は父親に任せる形で、とどめておくところでいいと思います。
(繰り返しますが血縁ってだけで人権主義的には→家族は他人です。各人のプライバシーは人権として血縁者でも委託が無い限り侵害できない。)


>このたびの大震災で、私はカウンターをくらったように「死にたい」と思うことが無くなりました。
>本当に、生きたいんです。死にたくない。
>たくましく生きたいです。

心理学的に言えば(といいますが私の追い求めてきた心理学の世界から言えば)

■生きるとは『抗(あらがう)』ってことです。
(実存主義における”反抗的スタンス”とはそういう事です。←時間を後ろに進めてしまうのが『被(こうむる)』)


今回はかなりショッキングな内容となっていると思います。
時間をおいて、余裕がある時に何度も繰り返し読んでください。
そして、関係他者と話をすることは大いに意味があります。
ジャーナリズム的に証言を集めることは(全てじゃありませんが)事実を浮かび上がらせるひとつの手法であることに間違いありませんから。
(※あまりに聞き取りに偏重しないことにも注意してください。誰しも微細な偏向ベクトルを残しているのが人間の自我には自然なことですから。)

引用なし

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【59】Re:お久しぶりです  hako  - 2011/05/07 18:22 -

お久しぶりです。
また時間が空いてしまいましたが、返信ありがとうございました。
いつもありがとうございます。

kagewariさんに言われたことは、過去や記憶を遡っていくと、
「ああそうか」というふうに、そこもあそこも、というふうに
あてはまる点が多いです。まだまだ整理中ですが。

結局、つらいのも苦しいのも「過去のこと」なんですよね。
過去のトラウマがフラッシュバックしているだけなんですよね。
精神発作的な感じになると、「落ち着け、今はつらくない、今は大丈夫」
と言い聞かせることで、ひどい時期のスパンが短くなった気がします。

今回は、私の目線から見た家族(親族)像を書きたいと思います。
あれがこうだからこう、というようにいっきに繋げることができないので、
箇条書きします。

登場人物は、祖母、母の妹、祖父、父、姉、母です。


祖母
・今は認知症で家から少し離れた介護ホームにいる。(ほぼ寝たきり、人の顔もわからないし会話すらできないレベルです)
・私が高校生くらいの時に認知症症状があらわれて、介護ホームに入ってからどんどん悪化した。
・昔は県外(私や母の生まれ故郷)に住んでいた。
・母が言うには、母が子供の頃から、母よりも母の妹と仲が良かったらしい。
・おばさん(母の妹)のお金の無心が悪化して、逃げるように母の住む今のところに越してきた。
母談「あのままあっちにいたら、おばあちゃんは無一文になっていた」とのこと。
・私が中学校の頃は一年くらい、一緒に住んでいた。でも私は祖母のことを軽くみていて、
あまり関心がなかった。自分の(学校)生活のほうが楽しかった。
・結局家の近くに住んだり、県外の親戚のところに行ったりしたけど(時系列があいまい)
最後は家の近くに住んで、そこで認知症になった。
認知症の初め「母の妹(おばさん)が家に来た」(来てないのに)とか言っていて、おかしいと思ったらしい。

祖母が認知症になってから、((なる前も)おそらく関係が相当こじれた=絶対に何かあった(お金の貸し借り以外に)と私は思うのですが)、
おばさん(母の妹)は一度もこちらには来たことないです。介護の手続き等はずーーっと母が一人でしています。
私は、最初の頃は自分のことでいっぱいいっぱいで、母が色々苦労してるのも祖母の認知症がひどいことに気づいたのも、「完全にひどくなってから」でした。
母には「あんたはあの時反抗期だったからね」と言われました。祖母に対してはいまさら何を言っても無駄だけど後悔しています。祖母のことは、私は特に好きでもないし嫌いでもありませんでした。(=やっぱり家族(親族)に愛情がもてていない)
祖母は寂しかったんだろうと思います。若い頃は家族の家計を助けるために苦労し、家庭を持ってからも、とにかく人のために尽くすことが一番な人だったそうです。
自分が楽しむことは二の次だったそうで、旅行もほとんどしたことがありません。
以前、母に、私が自分のことでいっぱいいっぱいで介護ホームに行かないことを「家族なのに冷たいなあって思ってた」と言われました。それがショックで、私は母と言葉の通じなくなった祖母のところによく行くようになりましたが、結局することがなく、母とぼんやりするだけでした。
ある日、介護ホームに行って、母が祖母の食事を食べさせて(いつもは職員さんに任せている)、あまりにも食事させることが難しくて、私がよそ見している間に、食事をビニール袋に入れて捨てようとしてるのを見た時、すごく嫌な気分になりました。
私は所詮「嫌々行っているんだ」と気づき、祖母も嫌々来られるくらいなら来ないほうがマシだろう、と思い、それ以後、ぱったり半年くらい行かなくなり、今に至ります。

所詮、私は「家族なのに冷たい」と言われたから行っていただけです。
自発的に今の祖母に会いたいとは思いません。ひどい人間だとも思います。
ただ、もし祖母が元気な頃に戻れるなら、もっと、もっと、色んな話をすればよかったと思います。
ちゃんと話したことがなかったから、私の祖母に対する印象は「好きでもないし嫌いでもない」んです。
私は身内に対しても人見知りで、祖母に対しても心を開いていませんでした。


母の妹(おばさん)
・結婚していて、子供が二人(姉弟)がいる。

小学校の時は家族でおばさんの家に泊まりにいったこともありました。普通のいとこ同士として接していた気がします。その頃は祖母もおばさんと同じ県に住んでいました。
私はおばさんに対して、今でもあまり悪い印象をもっていません。小学生の頃もった印象は「さばさばしている人」という感じです。母が実質一人で祖母の世話をしているのを見ても、だからおばさんはひどい、とは思えません。
数年前に子供が妊娠したからお金を貸してほしいという内容の電話がかかってきて、多分母は断ったのだと思うのですが、それ以後、絶縁状態です。
母は、直接的にはおばさんに対しての不満を言いませんが、匂わせるように、「なんで自分の母親に対してこんなに冷たくできるんだろう」とか、「昔から、成績は良くないけど人に甘えるのはうまかった」ようなことを言っていました。
先日、姉が入籍したので、それをきっかけにおばさんと連絡を取ってみたらどうか、と私が言うと、「またお金を貸してと言われそうだから無理」、「昔からそういうことを報告し合う関係じゃなかった(祖母が向こうにいたことでかろうじて関係が保てていた?)」と言っていました。
母は妹(おばさん)に対してコンプレックスがあるんだと思います。母は、成績は良かったし優等生だったけど人に甘えるのは苦手で、消極的だったんだろうと思います。
それが、今の母の人格に至る原因の一つのような気もします。
私はよく母に、「ずるくない」というところを褒められます。「OOちゃんは、(不器用だけど)ずるくないからいいよね」と。私は内心、なんだそれと思いますが。
それって他によっぽど褒めるところがないっていう意味なんじゃ…っていう。ちなみに「ずるくないからいいよね」と会社の同僚にも言われたことがあり、
もはや、わざわざ言われるほど「私はそんなにずるくないのだろうか(?)」と思ったりします。世渡りが思いっきり下手ってことですよね。


祖父
・私が幼少期の時に病気で他界
・母曰く、祖母は自分達に対して怖かった。そんな祖父に従う祖母を見るのが嫌だった、と聞いたことがあります。
・祖父は祖父の家族(後妻)と折り合いがうまくいかず、絶縁状態だった

小さい時に亡くなってしまってあまり覚えていませんが、祖父に対しては、すごく優しかったイメージしかないです。
いつも欲しいオモチャやお菓子を買ってもらって、家に帰ると、「買っちゃだめって言ったでしょ」と、祖母が祖父を怒っていた記憶があります。



・あまり喋らない
・たまにおもしろいことを言う

ので、「不思議で変でちょっと面白いけどとにかく喋らない人」という印象です。
生まれてこの方、父と真面目な話をしたことがないです。そもそも話しません。
母と結婚してから父はずっと働いています。
こちらに関心が無いのかとも思いますが、それで不満ということもなく、
昔から一貫して変わらないので、まあそういう人なんだろうなって感じです。
そんなだから、喧嘩になると母に一方的に言われっぱなしです。父は金銭感覚が乏しいらしく、
喧嘩の原因は主にお金のことなんですが、見てて思うのは、
この二人(父と母)はずーっと同じことを繰り返しているということです。
感情的に(=非論理的・子供)わめき散らす母と、それに対して何も言わない(論理的に反論することができない)父、ずっとその構図です。
だからいつまで経っても何も解決しないというか。

kagewariさんが仰る通り、母は子供が一部に混ざっているんだと思います。ヒステリーを起こした母は論理的なことが何も通じません。
こっちがびっくりするくらい、突発的な行動を起こすことがあります。(かばんの中身をいきなり逆さまにして全部出されたり)
子供の頃は、口論になるとまさに子供(母)対子供(私)、みたいな構図になってしまって、とりとめがつかないことがよくありました。
なので、母が祖父に対する嫌悪感で、父のような良く言えば穏やか、悪く言えば朴念仁みたいな人を選んだのは
もしかしたら失敗だったんじゃないか、と、自分で今分析してみて、少し思います。
母のヒステリーに対して「君はOOだけど、OOはOOじゃないか」というふうに、言葉で論理的に諭せる人(大人)であれば、
きっと今よりうまくいったんじゃないか、と思います。
父に対する不満のしわ寄せ(何を言ってもこの人は何も言わない、手ごたえが無い)が、家族(私)にきてるのかも、とも思います。
本来、夫婦で解決すべき問題が、家族全体に蔓延してしまっている、という気もするんです。(=私は母が重いと感じる)
でもこれは私に都合のいい、勝手な解釈かもしれません。
でも、父の無防備に、母のヒステリーが緩和される時もたまにあるので、母と二人きりよりは、三人でいるほうが安心します。

あと、もう一つ父に対して私の中で重大なことがあって。
私は父に、思春期(高校〜短大くらい)にかけて、ものすごく冷たかったんです。母に心配されるほど一時期ひどかったです。
私は父と顔と骨格がそっくりなんです。顔も、骨格も、思春期がコンプレックスのピークだったので、
父を思うと憎しみが湧くことがありました。今も、自分の顔と骨格のことを思うと愕然としますが、父に対して冷たくしたことは、反省しています。
私が冷たかったので、父も私に対して、距離を置くようになってました。
私は未熟な人間で、自分がひどい目にあわないと、人に冷たくしたことを反省できないんです。
(男性に、なんでここまでされなきゃいけないの、っていう被害を受けたことは、そのまま父にしていた態度のバチなんだって思ってました)
今は、父との関係は少しずつ元に戻りつつあります。でも、父は私に不信感をもっていると思います。
「元の元」には戻れないとは思いますが、私の容姿と父は関係ないので、反省して、できるだけ普通に接していきたいです。



・中学頃までは、成績優秀で、優等生
・高校以降、いい子でいることに疲れたのか、自由な感じ
・超現実的で、向上心が強くて、外交的
・友達が多くて、人から信頼されるタイプ
・最近、入籍して県外へ引っ越した

姉にできて私にできないことが多すぎるためか、姉に対してコンプレックスがあります。
中学くらいまでは、仲良しでした。家族の中で唯一まともに話せる相手でした。
でも私が高校に入って、外見のことやら何やらで思春期をこじらせて、次第にうまくいかなくなりました。
「姉は自分(私)のことを恥ずかしい妹(不細工・要領が悪い)だと思っているんではないか」という被害妄想を抱くようになりました。
姉の友達に笑われることがありました。私は、いつも姉と自分を比べて、自分の友人関係が乏しいと思っていました。
最近入籍しましたが、その報告も、姉本人ではなく母から聞きました。姉の結婚相手とも一度も会ってません。
母は、姉と自分を重ねている(優等生)のか、姉に対しては、なんだか普通なような気がします。
私に対するように、不自然な感じが無い。(私のような出来の悪い人間にはどう接していいかわからないから不自然になる→その態度が私の怒りに触れる)
「普通ってこうだよね〜」って感じです。母と姉と二人揃うと、私は何を言っても冷笑されているような気がします。また被害妄想です。
姉とは、それこそ入籍するって言って家族が集まるまで、本当に口を聞いてませんでした。
「どうせ見下してるんでしょ(なけなしのプライド)」と、「こんな妹で申し訳ない」っていう、なんていうか、自意識過剰っていうか、本当にこじれてますね私。
kagewariさんの分析を踏まえると、姉は「家族ごっこから手を引いたから客観的にふるまえる=私にはそれが自然に見える」→つまり、根本的には
姉も私と似たような葛藤を、昔は抱えていた、ってことですよね。多分そうだと思うんです。
あと姉は外交的なので、(これは私とも母とも違う)家族から外の世界へ視線を置くことができたんだと思います。
家族からの自分の評価=異常 から、友人や恋人からの評価=正常な価値観を手に入れることができた、ということでしょうか。
私は、「家族」というものを嫌悪してるにも関わらず、姉は、もう家族から抜けてしまったんだ、もう私とは関係が無くなってしまったんだ(ものすごいまた被害妄想な思考なのはわかってます)と、例の精神発作的な症状の時に思ってしまって、寂しくなることがあります。
姉はきっと私の関係ない世界で幸せに暮らしてるんだ、って羨ましいし、なんで姉はそうなのに、私は…(過去が蘇る&母親がまだいる!!)って暗い方向に
向かってしまいます。
でも私は私でがんばらなきゃいけないんですよね。今を変えるために。
姉の結婚相手と会うのは勇気がないので今は無理ですが、とりあえず、近いうちに、姉と二人でゆっくり食事でもしたいな、と思っています。



・思春期、内向的な優等生だった。(自我を抑圧していた?)
・父親(私の祖父)が嫌いだった=男性嫌悪?
・妹と信頼関係が築けなかった(「OOちゃんは、(不器用だけど)ずるくないからいいよね」=妹はずるい)
・小学生高学年くらいで、精神年齢が止まっている(もちろん一部)
・精神年齢=「子供が抱く家族のイメージ」を継続したまま、ここまで来てしまった(正されなかった)
→小学生くらいの時に、自我の成長が止まってしまうような何かがあった。(何かはわかりません)

母が祖母の面倒をずっと一人で見ているのは、誰も手伝ってくれないから(私も父も姉も)と言う理由と、妹に対する復讐の意味もあるのかと、
考えすぎかもしれませんが…思います。
もし私が母の立場だったら、そんなにちゃんと何もかもやらないで、手を抜くところは抜きます。(ひどいのかもしれないけど)自分を優先します。
でも母は、「何の文句も言わずに一人(だけ)でやってる」をこっちに匂わせてくるっていうか。私が怖いのは、母の無意識なんです。
私はほぼ自分のことしか考えてません。でも母は、ほぼ自分のこと以外しか考えてないと思います。
私が重きを置いているのは「精神」ですが、母は、精神(自分の気持ち)はおざなりで、「行動」します。
だから何か言われた時に、私は精神論以外で、母に反論できません。私は何も行動してないから。
こうやって、私が考えて考えても悩んでも、母にしてみれば、「そうやって考えてもあんたは何も行動してないじゃない」となります。
確かにそうなんですが、そう言われると私は、「じゃあやりたくないことは極力やらなきゃいいじゃん(=無意識を私に巻き散らかさないで!)」って、
最後には言いたくなります。行動してることがそんなに偉いのか?やりたくないことを我慢してやってることがそんなに偉いのか?って思います。
もっとちゃんと自分のことを考えてよ!って思います。私がどう思ってるとか、母は知りたくないでしょうけど、私が母の立場なら、
考えます。
それらが、すべて子供の精神がさせているなら、母は「今」、なぜそこまで子供でいなければならないのでしょうか。
子供の時に、大人でいなければならなくて、だから今精神の退行が起こっているのでしょうか。(子供である私に向けられている)
それとも私の思うこと自体が偏りすぎてて抽象的で伝わらないのでしょうか。

母の思い出で、昔、母の誕生日を私が忘れていて、「今日はママの誕生日!!!!」と大泣きされたことがあります。(誕生日を忘れられて泣くのは小学生くらいまでだろうから、
>何故って彼女はおそらく「6歳児〜12歳の少女」だからです。
このkagewariさんの分析と合っていて、思い出して「あっ」と思いました。

あと、忘れられない夢で、母が私の部屋に殺菌するように水を撒き散らしながら、私の眼前に、傷がついている手首を突きつけて、「私はあなたのためにここまでしたの!!」と叫ばれました。夢を見た当時(思春期)は何が何だかわからなかったけど、今はよくわかります。
私にとって母は「そういう存在」(実際の母とは別に、あくまでも私の意識の中で)だってことです。
そういうことや、今までの全ての記憶によって、ものすごい母に対して強迫があるんです。
私が何か言おうとするとヒステリーになって泣き叫ぶ、私を見ようとしない、上っ面の家族に固執している、等です。
そして可哀相(そこまでしなきゃ自我を保てなかった可哀相な過去があった)です。
少し前、kagewariさんに相談する前、道端で、母のことを考えていきなり泣いてしまったことがありました。

その頃、とてもとても苦しかったので、その苦しみや、思春期の記憶や憎しみを思い出して、トラウマ=フラッシュバック化して、
もうわけがわからないので、「死にたい」&「母など死んでしまえばいい」となっていたんだと思います。
だから一緒に暮らしている時はわからなくて、今一人暮らししていてどんどん過去が蘇るんだと思います。

>所謂世界史やる時に”自虐的大日本帝国悪質史観”に立ってしまった結果、なんとかおおよそその後の日本の歴史は強引なこじつけでも何でも説明可能だが、世界史の中でそれを説明しようとすると”矛盾だらけで”全く説明がつかなくなり、説明に困って「こうなったら日本なんか無くなればいいのだ」のような意味不明な方向に認識が流れているようなものです。

↑まさしく、わかりやすいです笑


長くなってしまいましたが、
こういう調子で、自己分析していけば、いつかは母との葛藤と決別できるでしょうか?
私の解釈で、間違っているところがあれば教えて下さい。
あと、今後、母と(母の少女的自我がこれからも治らないとして)どういうふうに接していけば良いでしょうか。
今は、なんかもう、メールで「いついつどこかへ行かない?」と言われただけで「ひっ」って感じです。
誘われた時点で、断る選択肢は無いのでは、と思ってしまうし。
今の時点では、実家と実家の近所は「過去の暗黒期が詰まった伏魔殿」って感じで、よっぽどのことがないと行く気にはなれないです。
自分の中の偏ったシナリオで、
・母は私のこと(正確には母娘関係)にしか興味がなく、内向的で、外との繋がりを持たず、私と交流を持ちたがる。(私も母も楽しくないのに!!)
・私がこのまま母を避けていくうちに、母は祖母のように認知症になり、私は姉にも頼れず、母が祖母に今そうしているように、母の面倒を見なければならなくなる。
という不安があります。
私が一番怖いのは、「母と私と二人だけの世界」です。
この負の連鎖をどうにか断ち切りたいです。
縁をすっぱり切れればいいのかもしれないけど、一生は結構長いみたいなので、現実的に無理です。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


P.S
このたびの大震災で、私はカウンターをくらったように「死にたい」と思うことが無くなりました。
相変わらず何やかや葛藤を抱えていますが、これからは以前のように、気軽にその言葉を口にしません。
犠牲になった人の上に今自分が立っていることを絶対に忘れません。
本当に、生きたいんです。死にたくない。
たくましく生きたいです。
3月11日以降、色んなことが自分の中で変わりました。
kagewariさんに相談させてもらったことも、自分の中で大きな大きな節目です。
ここまで正直に自分のことを書くのも、聞いてもらうのも、初めてです。
本当にすみません。
本当にありがとうございます。

引用なし

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重要な勘違いはココ
 ↓
>「私は母親のことを死ねばいいと思っているような人間」だから、「死にたい」です。そうなってたんです、多分。
>母親のことを死ねと思う自分なんて死ねってことですね。

いえいえここの始まりの部分だけは全然違ってます(180度級に)。

順番を追って考えていけばそう難しい構造では無い。
1)情報的に公開掲示板上では推論の域を出ませんが”仮説”として、一義的にこの物語の発端は『母親の人格上の問題である』。

2)幼児期にhakoさんは、その(母親の)何かに気が付いたが(乳幼児が母親との間で致命的に関係がこじれたらマジに死を意味しますから)、生存本能としても強引にその違和感を合理化し「否が応でも母親との関係を優先させる事実認定を行った」←この段階で現実から乖離(母親の人格を疑問視するのが正解ですが、それはなかなな乳幼児の判断可能な幅に含まれない)、現実から乖離し『結果論として絶対母親を肯定してしまうようなロジック』を自我に組み込んでしまった。
(つまり「極端に無理のある母親の肯定と依存」この認識の歪み(誤解)が2次派生として関係の無い男性社会全般への殺意に表面化していた:火山の噴火口を強引に塞いだら関係無い場所でマグマがあふれ出たみたいな話です。)

3)心理的な問題は「時制のズレ」である。
実年齢は20歳過ぎている(親が誰だの普段考えない年齢です)のに、母子関係などを意識してしまう(=内面に幼児人格がある)、

4)脳内で時制のズレがある=自分の脳内では「今でも6歳のままの自分」が”フラッシュバック”している。

5)話はここで一巡し→『乳幼児が母親との間で致命的に関係がこじれたらマジに死を意味しますから』
実年齢は20歳過ぎている人物ならごく一般的な「自分が大人の年齢になる(=少年は男性へ少女は女性へ)」のような自立独立が”非現実”でえあるかのような錯覚(脳内では6歳がフラッシュバックしてますから)となり、
 ↓
公共事業で飯食っている中小零細建築会社が、
「親会社である大手ゼネコンとの関係が切れたら死ぬしかないと思い詰めるように」、
(もう説明しなくても意味わかりますよね)
母親との関係やら依存やらの不快がある時、脳内に幼児期の自分が”フラッシュバック”しているって事で←これはまったく誤解です。現年齢は全然違うのですからね。
(もう談合の時代じゃないし、そういう不正が残る方がおかしくて、中小零細も親会社からの発注だけ受けるのでなく時代は平成なんですから、自主独立の立場で自分でマーケットにアクセスする方向を考えるのが”現実”です。)

内面の情動を言語化する時に「死にたい」という言葉を選んでしまう誤認(現実との乖離)のキモは、

『癒着と談合』→家族社会で言えば『依存と内向』です。

※前述の”フラッシュバック”を私は現象として”ノスタルジー”と呼んでます(語彙的には微妙に違ってますが)。
一種の錯覚です。(現実には存在しない事象ですから)条件反射とは微妙に違っていて、トラウマ論で説明した方がわかりやすいでしょう。
あるホラー映画を観て凄く怖かったとします。そして、その映画に登場したシーンと同じ日常生活の場面で”映画の途中で感じた恐怖感が再現する”ような錯覚です。(そもそも映画で感じた恐怖感は事実から乖離したお話での恐怖なのにこれが実生活で再現される事が”可能性としてあり得る”ところがポイントです←発端となる事実関係が存在しないという意味ではありません。幼児が見て怖いと思うものと成人が見て怖いと思うものは違いますよね、それだけでも幼児心理が仮に継続しているとした場合、現実認知があれれも無い方向に行っちゃうことは想像できるでしょう。)

※又依存性の部分を補足すると、まさにそれは『中毒』と同じですから、副作用で気持ち悪くもなり二日酔いも酷い『家族社会酒の悪酔い』なるものを幼児期に飲んでしまい、この行為が内向性により構造的に解消されない場合(端的に言えば外の世界に流通しているカフェオレであるとか煎茶であるとか20歳超えてから飲むリアルのアルコールなどに志向が向かわないというような『内向性抑圧』←勿論これは広い意味で見れば外の社会に対して自立独立の立場で個人で関心をもって外交的に活動する事が総和的に抑圧されているって事です)、その内向性により構造化=『家族社会酒の悪酔い』を依存的に継続反復する事になり→その『家族社会酒の悪酔い』下でアルコール中毒となり、切れると禁断症状出ると考えればわかりやすいかと思います。

起きている現象は”個別”に見ていけば全て心理学的に説明がつくことで、これを渦中で混乱中の主観で見てしまうと「誤解が誤解を生む」ようにややこやしい誤解になってしまうワケです。(一種の複合でありコンプレックスでありルサンチマンである)

■そもそもこういうような家族社会のメンタルな問題を発現している組織は既に破綻しており(家族は下手すると夫婦が結婚した時から破綻していたのかもしれない)”彼女”を「部長や取締役」のようなタイトルで「母親」と認識すること自体本来無理があるんです。
彼女を「独立しているひとりの女性」として見ていかないと(母親と認知した瞬間フラグが立って強迫的思考にのまれます)ジャーナリスティクに事実関係を確認できないでしょう。
 ↑
あくまでも推論の範囲ですが、
今現在hakoさんの中で記憶だと思っている事実関係の正確性は「著しく確度が低い」って事です。
(ジャーナリストの報道では無く、興奮した関係者の多分に誤解を含む偏向的事実認定)
おそらく「母親の人物像」「父親の人物像」「(家族問題かから一歩身を引くことに成功したと推定される)姉の人物像」これらは”ほとんど事実と違っている”筈です。

ボタンの掛け違いですよ、
(第二次世界大戦を”侵略国日本”を発端に分析するのと、”帝国主義時代のアジアの小国”を発端に分析するのと、”米国のモンロー主義と覇権主義の相克”を発端に分析するのと、結果に対する見方は大幅に違う)

自分の記憶も不確かな「幼児期」に、無理のある事実認定をしたのじゃないか?
(母親の無条件肯定など)

>そういう自分を認められないし意識すらできないからわかんなくてただ苦しかったんです。
ここで言うべき「そういう自分」というのは、
事実関係をありのままに認知・認識できなかった自分の苦しい立場(その後現実社会への認知がえらいことになってしまうワケで)を意識してやらんと、本当に私には幼児期があったのだろうかという『記憶の証明』すら怪しくなるって事です。
(捏造された歴史を信じてしまったら→存在証明そのものが捏造になってしまう。)


>自分の中にある無意識の脅迫を、意識化して整頓していけば、パニックに陥った時に対抗できるんでしょうか?
できます。
それは「誤解」だからです。
大雑把に言えば、
「その不安(パニック)は、自分を3歳児だと勘違いしている自分が3歳児の迷子の幼児が感じる不安を再現しているからである」
(あえて乱暴な誇張加えて説明しますと、無意識に「いい歳して赤ちゃんの衣装着てオムツプレイに興奮している自分の姿」が見えたらですね、アチャーっと思うでしょう誰だって。個人的趣向でオムツプレイ愛好家ならこれ話別ですが、)

鏡を見ればどんだけ無理しても「映っているのは3歳児では無い」ですからね。
ここで相談当初の『醜形恐怖症』と話が重要にリンクしいてることわかりますよね?
「その鏡には年相応の女性が映ってちゃマズイ」んですよ。
大人の女性としての自分を拒絶し(内面の3歳児が私こそ本当の自分で在ると主張し母親を探せと命令する)。
「自分の内面の3歳児の自分という幻影」←こいつが強迫心理のロジックです。
(前述の話から関連させれば→『家族社会酒の悪酔いの味』が(フラグとなって)「3歳児の苦悩」という映画を呼び出している(リンク))

何故こんな自分にとって何の得も無い矛盾した現象がおきるのかと言えば、
ここに戻る。
 ↓
ボタンの掛け違いですよ、
(第二次世界大戦を”侵略国日本”を発端に分析するのと、”帝国主義時代のアジアの小国”を発端に分析するのと、”米国のモンロー主義と覇権主義の相克”を発端に分析するのと、結果に対する見方は大幅に違う)
 ↓
順番を追って考えていけばそう難しい構造では無い。
1)情報的に公開掲示板上では推論の域を出ませんが”仮説”として、一義的にこの物語の発端は『母親の人格上の問題である』。

この最初のボタンを「幼児の自分がかわいくないからである」などようなとてつもない飛躍の中で(勿論何故そんな事が起きるのかと言えば無条件に母親の人格を肯定するためです)、その後の歴史(現実認知)が全部”現実から乖離”してしまい「あっちの世界の話」みたいになってしまっているって事です。

所謂世界史やる時に”自虐的大日本帝国悪質史観”に立ってしまった結果、なんとかおおよそその後の日本の歴史は強引なこじつけでも何でも説明可能だが、世界史の中でそれを説明しようとすると”矛盾だらけで”全く説明がつかなくなり、説明に困って「こうなったら日本なんか無くなればいいのだ」のような意味不明な方向に認識が流れているようなものです。


>なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
なんでかって理由は簡単です
幼児に「難しい大人の判断」なんて無理だからです。
考えられることって言えば社会性も見発達な幼児にとって「結果論的自己中心的認知」しかできません。
「なるほどね、お母さんもまー言えば女だ、そうしてみてみるとさわからなんでも無い事はあるわいな、ま、しかし君さその認識はどうかと思うよ。その偏向の元ネタはあなたの子供時代の事でしょう。その話をさ自分の家庭で蒸し返すような振る舞いがあるから私が困るんですよ。気持ちはわかるが、こっちはまだ幼児だから、そこまで大人の判断で”気持ちもわかる”みたいな度量でいろってそりゃ無茶だから」
 ↑
なんて台詞を吐ける幼児は「そうそういませんよ」
「ママ私が悪いの?私はいい子?」とかね、幼児の思考の大半は自己中心的です。
(てかそうならざるを得ないケースが多い:これはメンタルな現象が社会学的背景にある証明なんですが、そういうリスクが『核家族化』などのある種内向社会化によって促進した。本来の核家族の意味は「家族社会の解体」なんですが、過渡期においてその意味を理解できない親世帯は「小規模な内向世界に無理くり昭和の共同幻想を再現しようとして」云々など構造的に無理が生じやすいんです。)

端的に言えば、集落の中誰と誰が個別に家族だなどの線引きも無く、大きな建造物の中で氏族社会のように多数の女と多数の男と誰の子供だかよくわからない多数の子供がいて、村の長が話をまとめていて、子供は他の子供や(自分の母親は特定できないので)母親集団の誰かに世話をされている。
こういう原始共産制のような環境では「メンタルな問題は発生しません」。
(幼児に構造的な自己中心性が発現しない←自己中心性そのものは”当初”発現してはいるんですが、あっという間に社会性外交性へとシフトして相対的現実認知に以降します。)

※この辺までの説明で、以降「いやなことがあると全部「生まれなければ」に思考をつないでしまう。」までの説明になっている筈です。

<各論に戻ります。>
>母親に、母親の家族のことを聞いてみました。「何かある」のは確かだと思います。
言えばこっからが本題です。


ここからはシリアスな要素が多く含まれます。
認識を進めるためにあえてエキセントリックな表現になっている部分もあります。

(あえて行間空けます)


>母も母でうまくいってないんです。
>でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
>客観的に母のことを見たら、私は母に同情してしまうだけだと思います。
 ↑
それは自分自身の内面に疼く「強迫心理のハッタリ」ですよ、まー脅しって奴です。

「私は広島に原爆投下したエノラゲイのパイロットの証言を聞きたくありません。私はパイロットに同情してしまうだけだと思います。」
それは無いから(笑
しかしですよ、パイロットが原爆開発したのじゃありません。勿論軍の命令だった、
(アインシュタインの証言やその後の反原爆運動なども重要でしょう)
それは同情とか情状酌量の材料にはならんでしょう、

事実を知るってことはそういう事です。
ひょっとすると本当の主犯は「祖母」かも知れない。
(原爆問題考える時、それは「マンハッタン計画」ってものを歴史的に見て初めてわかるように。)
『何故原爆投下が行われたのか』
こういう重大なテーマの時に、感情論云々が入るスキマはありません。それ以上に「知るべき事実の方が重い」からです。

といっても(ここも大変誤解されやすいのですが)、
刑事のように聞きまわって、事実を足で調べるなんて事は重要じゃありません。
「彼女(母親)はどういう事実が見えず、どういう事実をどんな風に歪めてしか見えない人間だったのか?」という彼女の歴史的足取りが概ね理解できればいいのです。
(一部推定が残っても構いません)
その認識が固まる事が、
 ↓
>なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
 ↑
こういう誤解を完全停止・解体させます。

てか「事実」がわかるって事です。
推理ドラマのクライマックスにおける謎解きと同じですよ。
(誰かの濡れ衣が晴れ、真犯人がわかる。)

>これ以上母をかわいそうって思ってしまったら、断ち切れなくなります。
 ↑
かわいそう(今でも無条件肯定が解除されないので)と、思うから
>でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
彼女は無罪放免ってことで「任意同行」で引っ張って事情聴取する事すら躊躇しているって事です。
(まさか強制捜査で逮捕しろなんて言ってませんよ)

更に言えば、前述でおさえてありますが「事実関係は一部推定でもいい」のです。
本当に聞き取りやら任意で話を聞かなくちゃいけないって事でも無い。
これは捜査じゃありませんから。

重要なのは「深入り」ですよ、それこそ、
「歴史的に本当は何が起きたのか?」事実を深く考えるって事です。
それが逆の意味で”当事者責任”ってもんです。
※メンタルからの離脱として”リハビリ”として「反抗期をデバッグする」というのはこういうプロセスです。


>私が母についていろいろ考えるようには、母は私にたいして感情を持ってないですし。
>(なのに母と娘の交流を迫ってくる…断れない。嫌だなーと思いつつ接し、また自己嫌悪)
 ↑
説明は簡単です。
私の推定が確かなら彼女(母親)には子供はいません。
何故って彼女はおそらく「6歳児〜12歳の少女」だからです。
(6歳から12歳の少女に、自分の子供なんて認知を求めても無理あるでしょう。)
彼女は「少女が想う”母親ファンタジー”に酔っているだけ」であり、
自分が母親役の時には子役が是非とも必要になり、
しかし彼女のドラマも勿論自己中心ドラマですから(そもそも他人の事などあまりよくわからない)、
実際に子役の役者さんが誰だとか、子役の役者さんとの個人的関係がどうこうって関心事項では無いでしょう。

その少女の関心事項は「お母さん(或いはお父さん)私も母親できる(あなたになれた或いはあなたの妻になれた)んだよ」なのかの知れないのですから。

ひょっとすると「(家族問題かから一歩身を引くことに成功したと推定される)姉」は、
「あーあーあーこのホームドラマのシナリオはぐずぐずだわ、ダメだこりゃ。(特に母親役の女優は誰よ?事務所の社長呼んで来いっての)アタシはこのドラマは降板して大部屋の端役からやり直すわ」そういう着想があったのかもしれませんからね。
(そこまでスルドイ視点が彼女の幼少期にあったとは考え難いので、何らかの後遺症のようなものはどこかに引きずっているでしょうけれど、こういう認知は彼女固有のパーソナリティーという意味でもありません。偶然姉は何かが暴露されるようなエピソードに遭遇したのかもしれないからです(母親役の女優が台詞を忘れて口パクになった事件を見たとか)。話を聞くってとっかかり的には最初にお姉さんと腹割って話すってのがお勧めかもしれないですね。言えば同じ世代の同じ家族時代で子役やってた”戦友”ですから。)

■ひとつ安全装置としてなんだか家族社会の不全のようなものがあると悲劇的であるとか当事者は被害を受けているかのように誤解されてもいけないので、ここを補足します。
(半分ブログの原稿ネタみたいな話なんですが)
その被害認知はベースとして『共同幻想系の保守的認知に強迫的に追随(ステレオタイプ)する認知』が引き起こしている錯覚で、

参考までに文化的変遷のある事例を挙げておきます。
昭和のアニメ(この時代は映像も”マンガ”と呼んでいましたが)では、家族社会をベースにした物語が多くありました。
(主人公の親兄弟も重要なキーパーソンであるような進行)
しかし90年代以降でしょうか、
日本のアニメや漫画の主人公は(少年漫画なので主人公が中学高校生多いのに)「何か”適当な理由”で家族と同居していない設定(少年少女なのに一人暮らし)」が非常に多いです。
親が登場してもサブキャラでおおよそ親に見えないような設定(めちゃめちゃ変わり者だったり)であったり、大半の物語は「既に独立している少年や少女個人の視点」で語られます。
海外で日本のアニメが評価されていく時代とそこは符号していて、
所謂共同幻想崩壊後の社会を先取りしているワケです。
(物語の進行に主人公の家がどうだとか家族が誰とか邪魔なだけで設定としてほとんど必要が無い)
そして現代社会、
ようやく民主党が「児童相談書マターの親の”親権停止”」や「子供手当を事情によっては(親では無く)子供個人へ支給」の法改正に着手しています。所謂昭和における『家族社会共同幻想』もある種明治維新の時の富国強兵政策による捏造であって(モロに幻想)、実体を伴わないものです。
(江戸時代の習俗から自然な流れで派生していない←見ようによっては江戸時代の方が個人が自由だった部分あるぐらいです)

のように、誤解は幾重にも重なってますから、十分に時間をかけて慎重に考える事です。

(日本の現代アニメの話には更に続く要素がありまして、物語が少年少女だからという部分はあるにせよ、ほとんどの主人公が「仕事」していません。『家族社会共同幻想』もある種明治維新の時の富国強兵政策による捏造←ここに被るんですが、GNPの増加に邁進する時代は終わり、現代社会は”フリーエコノミー”と”ネット社会”の時代であり、自分が何の職業人であるみたいな属性は(既婚非婚も同様に)現代のアイデェンティティー論的には二次的要素でたいした意味が無いのです。勿論『共同幻想保守系の就職』を意味するような社会適応論が既に時代遅れであるのもここに被ります。)

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お久しぶりです。お礼が遅くなり、すみませんでした。本当にありがとうございました。
数ヶ月間、kagewariさんにいただいた返事を読んで、ずっと考えていました。

kagewariさんに言われた「死ねばいいと思っているのは母親」、ってところで
最初すごいビクっとしました。
考えていくうちに、そのひとつのピースがはまったことで、わけわからなかったことが
少しわかったというか、それを認めたら、今まで死にたい死にたいって発作のように
苦しくなっていた原因のひとつがわかったような気がしました。
「私は母親のことを死ねばいいと思っているような人間」だから、「死にたい」です。そうなってたんです、多分。
母親のことを死ねと思う自分なんて死ねってことですね。そういう自分を認められないし意識すらできないからわかんなくてただ苦しかったんです。
意識したことで、少しだけ、パニックに対して耐性がついたような気がします。
でも精神の波がすごくて、死ねばいいって思ってると思ったとたんに、「殺したい」とか
も出てきます。負の感情にとりつかれて頭の中に殺されそうな時があります。
ふっとスイッチが入っちゃって、「あーまたきた…」ってなります。今は普通なのでその時のことをうまく言えません。
自分の中にある無意識の脅迫を、意識化して整頓していけば、パニックに陥った時に
対抗できるんでしょうか?

自分の中で膨大ないろいろなことがねじれていて、そのことで自分が苦しんでるって
わかるんですが…ねじれすぎててどこから手をつけていいやらって感じです。

なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
ねじれすぎてて、あれもこれもあーあれもだ、って過去の記憶がよみがえって、最終的に、
私さえいなければこんな感情は生まれなかった、最初からいなければよかったって。
で、それがそのまま私の中の母の意識にかぶさります。
それが、強烈な被害者意識になって、母に対する反発心になってます。
この人には自分から何かしたいと思えないって思うことで、母の意識(お前なんて別にいなくてもよかったのに)に対抗しようとします。
もちろんそんなこと母にはいえないし、本当はどうなのかもわからない。
もし母が本当の本当はそう思ってたとしても、「慈愛に満ちた母親役」を捨てない限り、彼女は認めないでしょうし。
そしてそんな愛憎ごっこを繰り返すのは嫌です。(冷静な自分は、そんなの時間のムダだ、前に進めって言ってる)
私が子供の自分を捨てれば、普通の娘役を演じることができればいいんでしょうけど、
むずかしいです。
言えないことが言えないまま溜まっていって、どこにも行けない時はどうすればいいんでしょうか。

悲しいことや、楽しいことや、その日あったこと、普通に言いたかったんです。普通に言えたらこんなふうに抱えることはなかった。
でもできない、絶対にできないってわかります。なんでできないんでしょう。
虐待されたわけじゃないし、ひどいことを言われるわけじゃない、でも私は母を死ねって
思います。こんなこと誰にも理解されないと思います。共感なんてしてもらえないし、説明もできない。

「醜さ」が重なってきます。自分の醜さに死ねって思うのと同じように私は母親に死ねって思います。どうしてこんな醜く生んだの、っていう意味じゃなくて、もっと根本的に、
「生まれなければ」って思ってしまう。
いやなことがあると全部「生まれなければ」に思考をつないでしまう。

先日、母親に、母親の家族のことを聞いてみました。「何かある」のは確かだと思います。
母も母でうまくいってないんです。
でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
客観的に母のことを見たら、私は母に同情してしまうだけだと思います。
これ以上母をかわいそうって思ってしまったら、断ち切れなくなります。
私が母についていろいろ考えるようには、母は私にたいして感情を持ってないですし。
(なのに母と娘の交流を迫ってくる…断れない。嫌だなーと思いつつ接し、また自己嫌悪)

父親に対しても(父と母の関係についても)、いろいろ思うことはあるんですが、話すとまた長くなってしまうので。

自分がなんかものすごい罪をしょってるみたいな気分なんですよね、ここ数年。罪悪感と、被害者意識がものすごいです。重苦しい。
いい加減、自分を解放してやりたいです。

やっぱりまとまりがない内容になってしまいました。すいません。
でもこうやって自分のことを話せて、聞いてもらえる場所があることに、救われます。

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【56】各論でいきましょう  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/02/25 19:34 -

今回はその方がわかりやすいと思います。
> 家族を含めた私の周りの人たち全員に
> 必要とされてないか、邪険にされてるような感覚がありました
> なぜそうなったのかはわかりませんが
> 今もそうかもしれません
> 小さい頃から自分の想像しうる範囲で最高の、良い子を演出しようとするクセがありました
 ↑
ここ典型的なので説明します。
とにかく大きな誤解は親等の年長者から見て子供は「赤の他人同様」に遠い存在です。
(感情移入で入れ込むとかそういう”余地”が親権として一般的であるだけで、相互信頼でコミュニケーションできない場合メンタルな問題で悩むタイプの人に顕著な対人恐怖とほぼ同じ状況が子供に対しても発生します。)
表現悪いですが所謂「ペットのように可愛い」と一時的に(というか反射的に)感じられるのは本当の乳幼児などの場合で、その乳幼児期でも昨今の虐待事例にあるように(ペットを飼ったがトイレの躾などで悩んで暴力的になるタイプのケースと大きな違いありません)、コミュニケーションスキルって表現はどうかと思いますが、大人同士の他者とコミュニケーションが円滑にできない大人(親)は、自我成立後(或いは言葉を話し出す萌芽期から)の子供を相手にしても対人恐怖や不安感を感じます。
※ここベーシックに言えば家族社会というのはひとつの権威性クラス(階級)社会であって、何の縁か?という部分が「同期入社」や「同級生」とかと同様に「血縁」というだけで、何か殊更大きな違いはありません。乱暴に表現すれば「異様に濃密な町内会」みたいなものです。

で、仮にですが、
親を含む権威側に対人恐怖的不安感がある場合、その場が生存環境である幼児は「ステレオタイプに安定的な人物像」を”結果論”として求められます。
又ここで誤解を招きそうですが、親が所謂巷間伝わる”親子愛”のような”甲斐”を発現するには、家族法人にとって親はベンチャー企業の代表取締役ですから「会社設立の理念」であるとか理想のような(言えば強い愛社精神みたいな)法人運営における旺盛なモチベーションなどがあっての話であって、仮にですよ「親自体が強迫観念のように”社会適応”を気にするあまり、ステレオタイプに(いい子であるように)結婚に妄執するなどして家族を発起した」であるとか「依存的人格で強迫的に対象者をスカウティングして自分が依存するために家族法人を求めた」などの場合、下手すると『円満に営業している家族的経営の一般の会社』より社会性は劣るんです。→「言えば赤の他人レベルがそれだけ高くなる」それだけでなく、上司である部課長クラス(階級)が(親)所謂使えない上司のようにコミュニケーションスキルが劣るって事です。
(上位概念の話は、江戸時代の氏族なんかを例に想像してもらえるとわかると思います。親子愛の上位概念が”お家大事”の家督保守である。)

■上記は個別事案では無くて、典型的な部分の説明です。

で、この話をすると困ってしまいうのが、
「なんて悲劇的な社会に私は生まれたのか」のような鬱的被害認知が先行することあるので抑えておきますが、
所謂『幸せな家族愛に溢れる組織』←これは幻想ですから。
しかも実際の環境がイメージとかけ離れるものだから、それこそTVで見たホームドラマみたいなのが本当かと幼児は勘違いしてしまうんです。隣の芝生じゃありませんが、そんな絵に描いたような話はありませんし(本当にやっかないのは刑事犯に相当するリアルな虐待です、これは生死にかかわりますから)、だいたいの家族も言うほど濃密な人間関係ありません。
鈴木宗男の家じゃありませんが、「お父さん逮捕された」のような重大イベントで”後発的に”人間関係が(誰かと親友になるように)濃密化するのであって、それは家族法人にも波風ありますから、そこの中のイベントを通して(会社で言えば日々の営業活動を通して)各人個別に相互信頼を形成しているのであって、その機会が『血縁である』のか家族というだけなんです。
(出生はほとんど就職と同じ事なんですよ)
ほとんのどの判断は”自分でどうにかなる”ものなんですが、幼児にはできる事限られているので通常「ちょっと家問題あんじゃないか」的な家族に生まれても反抗期を経て「とっとと独立しよう」的な方向で解決するため一般的には大きな問題になりません。

じゃメンタルな問題は何故おきるのか?
答えは簡単です。
不安を抱えて『強迫的社会適応』に依存する親がいたとします。
何を求めますか?(もうわかりますよね)
無難に”デキル社員を部下に持つ管理職”の姿が無いと不安ですよね?
(勿論昭和の時代のように嫁姑みたいに強迫心理では無く、実力行使的”脅迫”である場合もあるでしょうけれど)
江戸時代の氏族のように歴史的合理性が誰の目にも担保されている「武士の跡継ぎ」のような錦の御旗があれば子供は悩みませんし、親もその道に外れた話はできないので、合理性を共有できます。(まさに共同幻想が機能する)
しかしその理由というか背景事情の理解と言うか情報公開が無いと、(もうわかりますよね?)
> 小さい頃から自分の想像しうる範囲で最高の、良い子を演出しようとするクセがありました
やっている当人意味わからない→これが自我に構造化していけばメンタル上の強迫観念になります。

yuttieさんの個別事例に何があったのかは公開掲示板では(プライバシー保護上)確認できませんので、後はご自身で組み立てて考えてもらうより他無いのですが、上記踏まえればある程度推定可能に思います。


ですから、
>今は両親について、正直 最初からこんなのいなかったら、どんなに楽だったかという考えでいっぱいです
 ↑
これ「おかしい」んですよ。
意味わかります?
とっとと独立すれば何の関係も無いんですから。
(本当の話で一般社会の大人って普段圧倒的な時間、実家の親の事なんか忘れてますよ。独立して日常過ごすってそういうことなので。←だから共同幻想は『お盆』とか『正月』を組み込んでいる訳で、)

皮肉な事に「あたかも親子関係が永続的に続くかのような妄執に飲まれているのはyuttieさんの心理」だって事に気が付いていない。

これを読み解くカギが、
そもそも強迫的な親の人格があれば、何故子供がその親に執着するあまり強迫観念を取り込んだりするのか?
そのモチベーションとなります。
「精神年齢的に見発達な子供に可愛いペットを買ってあげた」←どうなります?
自己愛的に溺愛することありますよね。(或いは過干渉と激怒など)
依存心のコアでもあるんですが、
(あくまでも仮説ですが)
言葉を話し始める幼児期以前の乳幼児期に以上に可愛がられて(ここでは随分いい目にあっている)「快感依存的」な傾向があるとか、
或いは、親の非社会性を引き継ぎ子供社会の中で自発的な快感獲得が出来ずに快感原則が専らインナーワールド(内向社会)としての家族間にしか無かったなど、こういうサイドストーリーが関係していたりします。
(勿論親が自己愛投影して子供を特別視する事例も少なくありません)

■根本が誤解だって事ですよ。
それこそ最初の
 ↓
「なんて悲劇的な社会に私は生まれたのか」のような鬱的被害認知が先行することある
に戻って考えるならば、
それこそ外見的にうまくいっているように見える家族法人は「よっぽど突き放した関係性」であるからこそ、云々と、
(ここ説明しなくてもわかると思います)

ですから話はぐるっと回って元に戻りますが
 ↓
とっとと独立すれば何の関係も無いんですから。
 ↑
と、思えてない事が問題なんですよ。
(そうならない背景が様々な誤解や強迫意識である)


>何ヶ月もかけて誰かにやっと心を開けても
>自分自身の少しの心の揺れでその人との付き合い方がわからなくなってしまって
>そのたびに人を傷つけて
 ↑
ここは想像するに「依存関係」やらかしているんだと思いますよ。
自立的、自己責任担保の水平的・対等の相互信頼関係では無い。
(人怒らせて得する人なんかいませんから)


>でも独りでいると、自分が惨めに思えてきて
>自分が独りでいるからとかではなくて、
>ただただ湧き上がってくる感情として悲しくて、
>すこし周りが憎くて、それがまた辛くて
 ↑
完全な依存心ですよね。
元ネタは迷子の幼児「おとうさーん、おかーさーん」。
勿論そんな年齢じゃないのは確かなので、上記の心理は”自我問題”であってまったく自分の本音じゃありません。
依存的認知に引っ張られてしまっている(俗っぽく言えば”みれん”)
「本当は王家の王女様だったのに」←と大きな違いはありません。
(幼児期のいい子が肥大化している理由は、親などの権威性が反動で肥大し貴族階級みたいなことになっているため←なので極端にいい子じゃないとアンバランスに思えるんです)
※大人目線で言えば、幼児的に昔の恋人の話(自己愛ドラマ)でごちゃごちゃいいながらナルチシズムっぽくメソメソしているのと似たような話です。
(この場合大人目線の話じゃありませんが)


>誰にも頼れなくて
頼る必要無いでしょう(笑
年齢いくつですか?って話です。
江戸時代なら15歳でひとり丁稚奉公だの、場合によっちゃ売り飛ばされたりして普通だったんスから。
(家督相続の長男なら元服ですが)
 ↓
<答え>
「頼ってまで何かすることあるのか?」
(深層心理が貴族の子供だとすると→そりゃ身分の回復とかそれは大変な労力となる:ここが頼る発想の潜在意識です)
※実際に体調含めて大変だなる設定もあるでしょうが、マジに体調が悪い時に呼ぶのは『救急車』だし、たとえはアレかと思いますがトイレでの急な下痢で冷汗かいて気絶しかけるとかって誰でも経験あると思いますがこの時ばかりは「こりゃ助け呼ぶわけにもいかん」と思いますよね。何故可能かってトイレなる『自我の個室』的プライバシーというか結界があるためで(引きこもりの原型とも言えますが)、単体の不快事例はプライバシーというか個人領域であれば(それこそ鬱的に反動化して不快による快感依存があるように)人は引きうけられるんですよ。
※しかしその場面見られたら大事になりますわね、
※しかし「いやー昨日トイレで死にそうになってさ〜」と笑い話にもなりますよね。
(迷子が泣くのは外部の人間に「迷子なの?」と声をかけられた時)
この不快認知には多分に社会性が関係していて(心理学的には”ボーダー(境界例)”なんて個別具体的なものは存在せず、その社会的接点が葛藤なりの戦場(いくさば)になっているワケですよ)、その背景に『過剰な意味に膨張している社会適応強迫(誇大な結果主義)』は横たわっているワケです。
『自立独立』的単純化モデルではそれが派生しない、
(ですからリハビリ過程は単独行動を基本とするべきでしょうとコメントしているんです)
 ↓
ひとりで気ままに駅前の蕎麦屋で腹いっぱい食うって市井の市民の幸福に、誰か頼る必要あるんスか?

自立であるとか独立であるとか、
そもそも哲学的に幸福論って何とか、
自由とは何かとか、そういう根本的なところが深層心理で”えらいことになっている”んですよ。
(全然一般的では無いヒロイン物語みたいな←鬱と反動関係にあることわかりますよね。)
※獲得される””自由度”が自由なのであって(自意識の行動による自己責任による著作権プロセス)、全方位への∞の無限区間は”定義が無いので何の(自由の)実存も無い”、あらかじめ用意された自由って言葉も論理矛盾です←意味わかりますよね。

と、ここで一番最初のレスから読み直してください。
一本に繋がっている筈ですから。
過去の誤解に関しての解釈がまだまだ一貫していない、
そしていい悪いなどの情緒的にに過ぎる部分が多くまだまだジャーナリズム的領域に至って無いって事です。
同時に皮肉な事に「駅前の蕎麦屋」とか「駅前のハンバーガー屋」の幸福ってものを”なめている”って事でもあるんだと思います。

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【55】Re:そーですねぇ  yuttie  - 2011/02/24 14:31 -

kagewariさんおひさしぶりです

最近、去年に比べれば少しずつ自分の中で問題も整理されてきて
また時間も出来てきたので
自分の中に抑圧されたものについて、少しずつ考えています

思えば
家族を含めた私の周りの人たち全員に
必要とされてないか、邪険にされてるような感覚がありました
なぜそうなったのかはわかりませんが
今もそうかもしれません
小さい頃から自分の想像しうる範囲で最高の、良い子を演出しようとするクセがありました

今は両親について、正直
最初からこんなのいなかったら、どんなに楽だったかという考えでいっぱいです

私が勉強について否定したがらなかったのは
私にとって勉強が誰かに少しでも振り向いて欲しいと思う気持ちや
自分を少しでも肯定してやりたいという欲求を満たすもので、また、
現実から逃れるための時間つぶしの役割があったんじゃないかと思います


今、
誰かに心を開こうと思うことも、たとえ独りでも自分に素直に生きようと思うことも
何もなしに、ただ生きているだけなのに、
何年間も走らされているか、何かから逃げ続けているような感じで、
そろそろ止めてしまえられればと
少し疲れてしまいました

何ヶ月もかけて誰かにやっと心を開けても
自分自身の少しの心の揺れでその人との付き合い方がわからなくなってしまって
そのたびに人を傷つけて

でも独りでいると、自分が惨めに思えてきて
自分が独りでいるからとかではなくて、
ただただ湧き上がってくる感情として悲しくて、
すこし周りが憎くて、それがまた辛くて

自分をどうしたらいいかわからなくて
誰にも頼れなくて

それを押し殺して笑顔を見せるのも辛いし
でも時には思うままに物を壊したりしてみても、
それこそ何かに向かって演技しているような違和感があって

きっと一年前の文章となんら変わりないかもですね
ごめんなさい
いくら、どう頑張っても抜け出せず
もうこの数年に始まったことではないのですが…

引用なし

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【54】各個にお答えしますね  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/01/30 20:25 -

>だけど最近はストレスが酷いです。今にも爆発しそうです。
これは強迫心理が(これまで確保してきた依存的快感なり興奮の再獲得を意図して)その欲求を累積させているもので、
端的に言えば欲求不満です。
言葉を置き換えるとスッキリしますね
■「欲求不満で爆発しそうです」
上記の言葉が前述に変換しているのは残存している強迫心理的志向性(欲求の方向性)が無意識的であったり潜在意識であったり”自意識バレ”を回避する恰好になっているためです。

現象としては強迫構造が壊れた結果(壊れていなければ過去の強迫的行為の継続が不可避な状況が固定化していることになりますから)、無条件に自我を従わせる力を喪失していて(自意識も自発的行動を開始していますから)これが累積していると、
そして「累積」しているのは、
自意識が主体的に活動している領分がまだまだ(試行錯誤段階で)領域として狭いためです。

風がふいたら桶屋が儲かる式の関連なのですが、
そして同時に「自意識の活動領域が狭い」のは”現実認知の偏向が残っているため”となります。
 ↑
わかりやすく言えば『現実世界の解釈に誤読がある』
(残存する強迫時代の記憶が物事の解釈を強迫心理の都合のいいように偏狭化している”知識部分”がまだまだ残っている)
※ここ、カウンセリングなどの過程でどうにも無理のある事実関係の認知に(自分でもどうしてかわからないのに)固執してしまう状況と同じです。
(自分にとって不利益な認知を何故その点で不満を言っている自分が”矛盾する”のに(且つ自分でも第三者的解釈の合理性を理解できるのに)死守しようとばかり固執するのか自分でもわからなくなる状況)

その事例が以降に続く部分です
>最近は現場にいる同僚やお客様の立場である方を見るのも嫌で(容姿や人との接し方を改善できないことの現実から逃げたいのでしょう)、できることなら彼らを見ることもなく、1人でいたいと思ってます。

たとえで言うならば、
「立ち食い蕎麦店に入ろうと思っているのに、この世の中の立ち食いそばには茶道のような厳密な立ち振る舞いの決まりごとがあってひとつでも間違えると店主や他の客に嘲笑されてしまうのではないかのように思ってしまい、立ち食い蕎麦店に入れない」ようなものです。
 ↑
勿論現実世界の立ち食い蕎麦店のレーゾンテートルは「そういう気を遣わなくても済む気さくな大衆店」であり、それこそ立ち食い蕎麦店の存在理由を逆さまに認知(ある意味完全否定)してしまっているワケですから(もっと個別に解釈すれば”たらこ”を”キャビア”だという解釈に固執しているような現象)、
 ↓
「そりゃーストレスたまりますよ」
■ここで繋がりましたね。

以下の部分は個別に解説しませんが、同様の『現実誤読』からくる一種の認識錯乱で
>人と遊ぶことがない、人と話すことがほとんどない、人と外出をしてないために相当ストレスが溜まってるようです。
>恋人や友達がいない状況(人とうまく関われない、容姿が悪いことが原因)を改善できないことに対して「これは私の本心ではない(友人や恋人との生活を本心から望んでるわけではない。容姿も過剰に反応してるだけで本心では悩んでいない)」と抑圧し続けてきた反動なのでしょうか。。
>「単独型を選択する(模索してる段階ですが)」なんてただの強がりで、本当は自分も恋人や友人を作って遊びたい、人と関わりたいと望んでるのではないのか?
 ↑
結果的に『実に不思議な事に全て強迫的思考に都合のいい話になっている』
(あたかも”強迫的思考に都合よく考えたい”という結果ありきのように)
「特別に親しい人間関係など社会にそれほどありませんし」
「世論調査上でも昨今の若い人はソーシャルネットワーク型の人間関係にシフト中ですし(見ようによっては淡泊、実態はスローで自由)」
(上記繋がりで考えれば容姿に関しても自分自身の美意識として身だしなみ程度に整えるだけでもほとんどクリアするわけで)
単独者も何も、強迫からの「離脱過程」は”過程”として(共同幻想協調型人格含めて全人格は思春期反抗期過程は時限的単独者状態を経過する)論じているのであって(精神分析的にも”その後”の人生を単独者型とするのか共同幻想型とするのか自由なワケで)、現在の状況は『メンタルな状況だからこそ垣間見える共同幻想社会に対するジレンマ(早恵さんの場合共同幻想社会のお家芸である”いじめ”に関しての認識)』から、個人的体験含めて共同幻想社会に対して批判的である部分がある事は事実なワケで(これはメンタル副産物としての現実認知であって”事実認知に関しては”強迫性と関係は無い)、その後どのように転じるかは別として、特別現在自分が単独者志向であると決まっているものではありません。
(そこは自意識の自由ですから「保守的思想を選択して共同幻想的在り方を大人の考えで選択しても」まったくアリです)

心理学的視点で一部指摘が必要なのは
上記文章に登場する「恋人や友人」として言語表現されている内実というか”暗韻”が『強迫心理にとっての家族の代用(依存対象)』であるのは間違いありませんから、ここは整理して(言葉のトリックにのまれない)注意は必要ですね。
(共同幻想社会においては勿論”家族同様の付き合い”などのように交友関係や勿論婚姻関係は家族の再生産ですが、これは”大人の自分がその発起人となる”立ち位置の逆転があっての(再設立の)話で、強迫的依存性(被(こうむる)=幼児の立場からの)”仮想再現ドラマ”ではありません。)
言葉のトリックにのまれてしまうと、依然家族観で繰り広げられた問題が獲得された「恋人や友人」間で再現(無意識のうちに自分の立ち位置が『被(こうむる)』ポジションになる)され、強迫意識が自我をそれこそ強迫する形で台頭してしまう事にもなります(一種の社会適応を模した退行現象の構造化)。
その状況にシフトすると、対象者が名目(現実にも)”赤の他人”ですから、なかなか自分自身で繰り返す葛藤や不快感や被害認知などを『強迫的思考』と見破る事ができず(家族を対象とする部分は分析により壊れたとしても)、思春期の引きこもり状況ほど構造は強固ではありませんが、やっかいな問題になるケースが多いです。
しかも相手が他者となると、現実世界が関わってきますから後から関係を清算するのも大変で、別問題も抱える事にもなります。

■一義的に離脱過程は人間関係が(強迫心理を刺激するので)ストレスとなるので淡泊にしておくほうがよい
 ↑
これは自身の(強迫離脱を選択した場合の)リハビリ過程の安全保障的な過渡期の判断で、その後もそうあるべきって意味ではありません。
(今後も単独者的であるかのような志向ではありません)
不快感が続く場合何にもまして重要なのは『無理をしない』ですから。


平たく言えば一般社会の庶民の暮らしとは『立ち食い蕎麦店』のようなものであり、
その現実認知を殊更過剰にエスカレートさせてしまっている部分を『一拍置いて』冷静に考えていくのがベターです。
■心理学的不思議で言うと「”たらこ”を”キャビア”だという解釈に固執しているような現象」が強迫梃子というか経済学の乗数効果のように不快認知も過剰化します→「茶道の極意に違いない立ち食い蕎麦を食べられなかった」という被害認知(脳内ではとんでもない快感を私だけ手に出来なかったかのような誤解が連鎖して『被(こうむる)』の構造の中で)、立ち食い蕎麦を食べられなかった欲求不満が、状況にはなんら変化が無いのに「自分だけ特別に大変な快感を奪われたかのような」欲求不満に(無意識に桶屋が儲かる式に)エスカレートしてしまう。
 ↓
「欲求不満で爆発しそうです」
(立ち食い蕎麦を食いそびれて「爆発しそうです」って人は滅多にいませんよっ→という”オチ”←しかし同時に小津安的情緒といいましょうか美意識から立ち食い蕎麦がしみじみとした得難い幸福にもなるんですが、そういう美意識も又各個人の文学や芸術なりの体験から獲得されてくるもので→そこは心理学と関係無く個人的人生経験ってもので蓄積されていくものでしょう。→美食家のような違う判断だってあってもいい、)

そして同時に人の営みというか幸福とはそう大ぶろ敷きなものではなく、案外質素な世界の中に十分可能なもので(人間は一介の動物ですから)、一般世界はあれこれ大騒ぎもありますが、そこには共同幻想特有の強迫的誘導って要素もアリの話ですから、そこも見切っていかないと自分の立ち位置を見失います。
(うっかり強迫的思考の都合のいい情報として”鵜のみ”にしてステレオタイプ的にとりこんでしまう)

<ここまで前後を何順か繰り返し反読すると見えてくる筈です>

入り口論「構造的に欲求不満も(現実から乖離して)肥大化している」
出口論「幸福の価値論みたいなものも過剰化している」
入口と出口双方から認知の誘導を解いていけば、状況は違って見えて来る筈です。
双方から挟撃する形で各個撃破していくことですよ。

引用なし

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【53】ただの錯覚でしょうか?  早恵  - 2011/01/30 19:17 -

ここに書くつもりはなかったのですが、一つだけ(一度きりの返信で)。

何度か相談させていただき、自分でも単独型の方を模索するようになってきたのだと思ってました。

だけど最近はストレスが酷いです。今にも爆発しそうです。

人と遊ぶことがない、人と話すことがほとんどない、人と外出をしてないために相当ストレスが溜まってるようです。

恋人や友達がいない状況(人とうまく関われない、容姿が悪いことが原因)を改善できないことに対して「これは私の本心ではない(友人や恋人との生活を本心から望んでるわけではない。容姿も過剰に反応してるだけで本心では悩んでいない)」と抑圧し続けてきた反動なのでしょうか。。

最近は現場にいる同僚やお客様の立場である方を見るのも嫌で(容姿や人との接し方を改善できないことの現実から逃げたいのでしょう)、できることなら彼らを見ることもなく、1人でいたいと思ってます。

「単独型を選択する(模索してる段階ですが)」なんてただの強がりで、本当は自分も恋人や友人を作って遊びたい、人と関わりたいと望んでるのではないのか?

引用なし

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【52】そーですねぇ  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/01/18 16:17 -

>というのは、一週間前くらいから、
>朝目を覚まして顔を洗っても夢の中にいるような、
>・・・(等々)
 ↑
ま、これは「クラクラする」って奴ですよ。
白日夢とかって話の方も思春期男子のエッチな妄想と(現象としては)たいした違いはありません。
言える事は「寝覚めが悪い」とか、「寝ている間に(昼間の”不快”による快感満足への欲求不満のマゾヒスティクな)悪夢を見たとか」肩凝ってるだろうなって事です。
(ここ冗談抜きで、私がアドバイザー的に関わっている”現在休眠中のNPO”はマッサージとの連携を本気で模索してましたから←悪くないアイデアだと思いました。通院中の人は投薬減らせる可能性あるんで、)

『鍼灸とかマッサージ』勧めます、
(別段美容エステ系でも構いません)
それから、朝ラジオ体操とかストレッチ動作するのも悪くないです。
洗顔も十分に交感神経刺激するように「冷水で締める」とか、
(足りなきゃ頭から水かぶる→冬の寒空の下乾布摩擦)

他にも「リハビリ過程」においては、対人不安で面と向かって人と話すときに手が震えてしまうだとか”ビクッとしやすい”とかの現象も今後普通に考えられる事ですが別段驚かないでください。(自然界の動物でもそういう動きするでしょ→加えて言えばワイルドな環境における動物は大変繊細なもので生息環境の微妙な変化のストレスが致命傷となる生き物も少なく無いぐらいですから”ビクっと”とか緊張で震えが出るとか自然界ではたいした事ないですから)
ざっくばらんに言えば「たいしたことじゃない」です。
(というか「たいしたことない」と”認識してしまう”ところがポイント:自意識の「現実返し」)
知らない間に(自意識の)キモがすわってきて平気になってます。
(その経過にバタバタしてもいかんと)

>実際に見える風景もふわふわして現実味なく感じるので、
ハレーションって言いますか現実にピントが合わないとか、
そういうのがちょっと面倒だと思うならサングラスでもかけてください。
(サングラスを目立たなくするようにエキセントリックでパンクな格好にしておくとかもいいでしょう→ひとつの武装というか戦闘服みたいなもんです。)
若干安全地帯に後退しますから、幾分楽でしょう。

>自分も自分の気持ちがよく分からないから、
まーこういう話はHPのコンテンツにおける「やりたいことがわからない」シンドロームの話みたいなもので、
http://kagewari.cside.com/kage_tex51.htm
人間の実生活でそんな情緒的現実なんかありませんって、
「自分の気持ち」なんて言葉自体ナルチシズム(オナニー)ですよ。
たとえていうなら「誰もがペシミスティクな鬱な”気持ち”になるひっかけ問題」のようなもの(レトリック)です。
その”仕掛け”を見破ってしまえばいいのです。

気持ちも何も、自分自身に投げかけてください。
 ↓
「腹へらないのかよ」
「トイレいきたいとかないのかよ」
「眠いとかあんでしょうよ」
「疲れたとかもわかんネーとかあんの?」
(と言いつつ上記レベルの部分に倒錯的混乱起きる事もあるのは事実なんですが、、今回はそっちのテーマじゃないのでいいでしょう)
 ↓
「ワカラネーって事ないだろうよ、嘘つくなよ」って話です。
(深層心理デ・コードしてみればわかる話ですって「私の自己愛的○○○をわかって欲しい」みたいな情緒が”気持ち”って言葉に代用されている。)
気持ちって記号の乱用防ぐように抑えを聞かせればですね、
強烈な足裏マッサージにでも行ってですね、
「”ギャー!”」
「気持ちいいんですか?気持ち悪いんですか?どっちなんですか=!」
「ギョーエ==!」
(間違いなく確かめられますよ”気持ち”)
それが”気持ち”なんて言葉のなにがしってものです。

>さらに遠くへ遠くへ飛んでいっている気がします…
禅寺で言えば(もうわかりますよね)
ビシー!っと一発叩かれるところです。
(アントニオ猪木に一発ビンタされれば吹き飛びますよ)

実はこの話は案外バカにならない『本質』であって、
スポーツであるとか特に格闘技、
「エイッ!アチャー!」って大声出すようなシーン。
おおよそ何がしたいのかわからない人間には見えませんよね?
しかしですよ、
「エイッ!アチャー!」って、何か具体的ですか?
(間違っても「私の気持ち」なんて世界では無い→しかし「やる”気”十分」ですよね)
ワイルドでシンプル(とかストレート)だとかハードだとかって=現実に対する闘争ですから、
関根勉の千葉真一物まねでお馴染みの「クグカーッ」って腹式呼吸の唸り声って世界は(禅寺じゃないが)『無心』(何やら今回登場している”気持ち”って言葉と好対照だと思いませんか)、
飢えたバッファローが草原求めて荒野を彷徨って「私の気持ちがわからない」ってのは無いって事です。
現実に向き合い(命賭けて)草原を探す、思い切り自分の実存はギラギラしますよね。

これ体感するために、合気道だとか剣道だとかやって経験した事ない大声出して「エイッ!アチャー!」ってやってみるのも悪くない話です。
昭和の青春ドラマや同じく昭和のコントなら100%海岸で「バカヤロー」とか、山登りして「ヤッホー!」とかこれ同じ現象。
ここ哲学とかにおける衒学的とかってものを(ルネッサンス的に)忌避するのと似たような話で、
商業演劇的長台詞に対するダンスや能などの表現とも似たような話で、

試しにぶっ倒れるまでランニングしてみるってのもアイデアだと思います。
映画『生きる』繋がりで同じ黒澤の『七人の侍』を借りて観てください。
エンターテイメントとしても勿論名作ですが、この『七人の侍』をしょうしょう哲学的に鑑賞してみましょう。
ロジカルな「勘兵衛」に対して主役を食ってしまった三船演じる「菊千代」(まるでローマの兵士のようでさしずめ元祖ランボーかもしれません)、その対称性の中勘兵衛は菊千代の”実存”に一目置くワケです、
それほどまでに菊千代の実存はギラギラと輝きます、
(あんまり菊千代が凄かったのでファンタジーのその又ファンタジーとして「菊千代が生き残って大人になっていた」設定で制作されたのが『用心棒』『椿三十郎』です)
『用心棒』や『椿三十郎』においても主人公の”名無しの浪人”(ここにはハメットのハードボイルド小説の影響あるかもしれません)は極端に言えば個人的目的も無く自分の気持ちなどを確かめる余地も無い。あたかもそこにいちゃいけないほどの人間がハードに実存してたらどんな(共同幻想破壊的)ドラマが始まるのかって人間主義的なドラマとも言えます。
(重要なのは”三十郎”が常に”嫌々”で物語に深く関わって行くところ「勘違いして感謝しそうになる共同幻想社会に”違うから”と背中を見せて去っていく」)
「エイッ!アチャー!」ってのを馬鹿にしてはいかんっちゅうことです。

それから関係無いですが「先生」っていうのは勘弁してください。
(kagewariさんとかで十分ですから)

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【51】Re:補足しておきましょう  yuttie  - 2011/01/17 14:42 -

お久しぶりです
長文になってしまうので二回書き込みをしようかと思いましたが、
返信のとき面倒になってしまうかと思い、一度の書き込みにさせて頂きます。

半年ちょっとの間、お礼の一言も無くてごめんなさい
書き込みはしませんでしたが、落ち込んだときは何度もこのサイトに来て先生の返信を読み返し、また他のスレも拝見させて頂きました。「生きる」もレンタルさせて頂きました。先生のおっしゃりたい事が少しは分かったと思います。他にも教えていただいたことを心掛けながら、とりあえず半年過ごしてみて、先はまだまだ長そうですが…

つらい時は独りで静かに過ごしながら、さらに自信が無いときは時々授業を休みながら…
冷たい視線や容赦ない皮肉をぶつける同級生や先生もいましたが…
自分が我慢して出てる授業を平気ですっぽかして、さらによく独りになってるなんて、確かにいじめたくなる気持ちも分かります

半年間色々なことがありましたが、先生のアドバイスのおかげで少しずつ進んでいけています。
本当にありがとうございます。


ただ、今回もまたいくつか相談させて頂きたくて投稿しました
というのは、一週間前くらいから、
朝目を覚まして顔を洗っても夢の中にいるような、
人と話していても、目の前に本当に人がいるのか分からなくなるような、
それに、起きて何か作業をしている間に夢か妄想を見るようになりました。
それは無数の点々や小さな三角で構成された世界だったり、ボロボロの着物を着た女性が物凄い形相でこちらを睨んでいたり、あるいは、自分が社会に退治(排除等ではなく)される夢?だったり、昔の辛い思い出が同じ形でフラッシュバック?することもあります。起きたまま見るので、現実に入ってくる視界も見えていますが、その上から重なるように見えてくるんです。なんだか分かりづらくて、ごめんなさい

そんなことも増えて、
実際に見える風景もふわふわして現実味なく感じるので、
自分の立っている位置が分からないというか…また自分をあまりしっかり持てなくなっています。

自分も自分の気持ちがよく分からないから、友達ともあまり顔を合わせずに独りで…という風に何日か過ごしたのですが、持ち主がいなくなった風船みたいに、独りになった途端に現実の世界からさらに遠くへ遠くへ飛んでいっている気がします…

話がまとめられていなくてごめんなさい、
是非アドバイスを頂けたらと思います

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「新掲示板」移行完了しました。
livedoorよりOTD掲示板レンタルサービスの終了(H23/6)に伴い旧OTD掲示板は「サーバから削除されるまで閲覧は可能ですが書き込み等は不可」となっています。
※過去ログは保存済み(ヘッダーOTD過去ログリンク参照:HTML形式)
※H22年の書き込みは新掲示板に移行してありますからレスの継続がある場合ににはこちらの新掲示板の方に書き込んでください。

新掲示板の機能として表示関連の一部設定は変更可能です。


去年軽く触れましたが、公開掲示板への書き込みそのものに抵抗があって、且つ本格的分析依頼はハードルが高いって場合も大いにあると思われますから、今後「一回完結単発式の簡易相談」のようなものも(略式有料相談のような)検討してみます。

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移行先の掲示板は設置完了しているのですが、過去ログのアップと一部ログの新掲示板への移行(継続の可能性を考えてH22ログのみ新掲示板へ移行します)メンテナンス作業行いますので『H23/1月8日まで掲示板機能を停止します」』。

<移行に際して>
公開掲示板の管理人運営趣旨は『ログ閲覧の公共性』から、特別に規制はしてませんが原則(編集目的以外の)削除禁止で運営しているので、新掲示板ではその趣旨を明快化するためにスレッドそのものは機能として削除できない設計になってます。

■過去ログ化されたページはアーカイブなので、掲示板としての機能が失われてますので、諸般の事情で個別部分のログ削除の希望がある場合には新掲示板の方に削除依頼するか、問い合わせメール等で削除依頼となります。
(運営趣旨は基本削除禁止ですから「個人が特定される情報がある」等の”合理的理由がある場合に限り”となりますので、削除依頼の理由を必ず記載下さい)

■新掲示板URLは掲示板移行完了後アップします。
又、新掲示板移行後も当該OTD掲示板は閉鎖がH23年6月なのでその間閲覧可能です。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※過去ログの蓄積も『ログ閲覧の公共性』的に相当量に達してます(返信内容が重複・反復事例も多くなってます)。
それに伴って新規投稿も頻度として減ってますし、新掲示板がHPサーバ実装となるところから、さらに『閲覧のみの利用』が主になってくると思われます。
(将来的には掲示板運営そのものの停止も検討してます)
今後の利用に際しては「書き込む前に過去ログを読む」をベースにしてください。
 ↓
メンタルな状況と公開開示版の利用という環境では「過去ログを読む」形の利用の方が効果的じゃないかとも思ってます。
本格的に分析となるとプライバシー管理上有料メールになりますし、公開掲示板のメリットは「広義の問題に対する着眼」であるとか「抑圧されている自意識の理論武装」となりますから、公開掲示板の限界として「個別具体的な部分は自主的に考えて、そもそもの自分の相談趣旨を先に進めてみる(自己分析という意味ではありません)」ところになります。

その場合の精神的負担は「過去ログの閲覧」の方がはるかに軽いですから、余力を残す分(一拍置く思考もやりやすいですし)『広義の問題意識』を先に進める上では過去ログ閲覧のみという手法には(限定的な目的ですが)優位性を置く事もあり得ると思ってます。
(それが可能なたけの過去ログ分量に達してます)

実際のところ匿名可能であったとしても公開掲示板に書き込みするのはかなりの勇気が必要でしょうから、『安価な簡易相談窓口』を実装する方が実情に合っているようにも思います。
この辺の構成もおいおい考えていこうと思ってます。

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【48】返信はむしろ早すぎるぐらいです  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/12/13 21:41 -

ボリューム的に返信うけて考え・参考に何か認識するまで一週間近くかかって不思議じゃありません。
(有料相談の場合スケジュール管理も同時に行っているケース少なくありません。詳細は守秘義務にも関わる事なのでお話できませんが、工程によっては数日の場合もありますし、一ヵ月や年間何回的なもの等、基本的に終了が近づけば間隔が長くなり→やりとりそのものが終わる事で完結しますので、)

というかメンタルな局面で何かある場合、
乱暴に言えば「即レス可能なのは強迫心理だけ」なんですよ。
(『被(こうむる)』・内向・パッシブ・リアクテイブ・レスポンス・反動・オートマチック)
対立概念が自意識主導となりますから、
(『抗(あらがう)』・外向・アクティブ・リアル・オルタナティブ・主導・主動・マニュアル)
メンタルな局面=自意識に対する抑圧傾向(を行う強迫心理)となるので、過去ログでは『一拍置く』と表現する事が多いですが、認知速度の速さというか早い判断(=衝動に近い:自意識の関与が少ない)は、どうしても強迫心理主動となりやすい。

典型的な特徴が(返信を与件化して参考に「そうだろうの前提でアレコレ考えてみて」何かコメントが出てくるところが←それなりの時間を必要とする筈です)返信では無く『反論形式』。
>母との楽しい思い出は無いのではありませんでした。
(事実関係を争っているのではなく「○○だった」から「○○である」のプロセス論なんです。ですから証拠集めは必要ではありません、むしろニュアンスとして「いやこうだったかも」のような違和感は大事ですが、ダイレクトに反論系にロジックが倣ってしまうのには注意が必要なのです。)

<話は戻りますが>
これはマズイと(ほぼオートマチックに)強迫心理が(防衛反応として)レスポンスする。
自我の状況がかなり苛烈な葛藤を抱えている場合には、「即レス上等」で論争化してもいい場合もあるのですが(強迫心理が非常に強く押し出されていて(深度では無く度合として)自意識にロジックを伝達する局面で”こじ開ける的”状況も必要な場合など)、
三毛森さんの状況は「かなりの事が既に視野に入っている(端的に言えば薄々知っている)」状況に思いますから、一週間なり一ヵ月なり間隔開けた方がよりベターに思います。
急ぐと強迫心理に干渉されて「あらぬほうに話がそれる」事もあり得ます。

今回の場合即レスでも事実関係や情報など自我にとって解釈の余地が無いものは(強迫心理が介入しにくい)、有効性の高いものになりますから、
>父が高校教師を退職して学習塾を起業したころから、母に感情のないロボットのような話し方や
>冷徹な結果優先の言い方が増えてきました。
 ↑
こういうプロセスを”何か関係あることかも”とじっくり時間をかけて(時間をかけられるとそれだけで強迫心理は弱体化します)(初回返信を参考として)帰想・回想すすめることがベターです。

ですから返信作成の期間など全く気にしなくて構いませんので、
(そこは心配されなくても大丈夫です)
概略的内容となる公開掲示板の利用方法としては返信無しでも→そういう使い方もアリだと思ってます。

引用なし

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【47】返信ありがとうございます。  三毛森  - 2010/12/12 22:38 -

kagewariさん、こんばんわ。
サイト移転などお忙しそうなときに、まとまりのない質問でお時間とらせてしまいましたね。重ねて御礼申し上げます。

返信がおくれてすみません。
今日はノロウィルスのような症状で、朝食後から夜八時過ぎまで寝付いておりました。
よく寝たので、最初の投稿の時よりは多少頭がすっきりしています。

おっしゃるように、レスを分割しながら読み込んでいこうとおもいます。


母との楽しい思い出は無いのではありませんでした。私がうつ傾向のときは楽しい思いでが想起できにくいようです。
一緒にデパ地下でたこ焼きを食べたり、公園のブランコでかっぱえびせんを食料に私たちを船員にして「海賊船が嵐にあったごっこ」をしてくれたこと、旅行先で川くだりして、売店で虹模様のボールを持った子猫のおもちゃを買ってくれたことなど 今日の夕方思い出されました。

父が高校教師を退職して学習塾を起業したころから、母に感情のないロボットのような話し方や 冷徹な結果優先の言い方が増えてきました。

母を神格化のところから、普通のおばさんだと腑に落ちるまで検証するっていうことでよいのですか?

また、元気なときに返信させていただきます。
示唆にとんだレスありがとうございました!

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【46】非常にとっちらかってますね  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/12/11 19:47 -

思うにこの論旨の不明瞭さがそのまま現状を表すひとつの”形”なのでしょう。
(一種の躁状態なのだと思います)
パズルのように順番を組みなおして且つ(意味が無いと言えば語弊ありますが)強迫心理の武勇伝のようなエピソードは削除して文章を再構成していくといくつかのポイントが見えてきます。

■以降正直「けっこうシリアスな内容」になってます。
じっくり時間をかけて(数日に分割するなど)読み進むか、
心理的に幾分でも余裕感のある時に、無理をしない程度に読み、一度通読されたら「必ず繰り返し反読してください」。
(以降の分析は限られた情報の中でのものですから一部推測・推定を含んでいます。)


念のため行間空けます


<本文>
>義父のこと、親のこと、夫のこと、僧侶のこと、思い出し怒りがこみあげてくると「しね!しね!しね!」と興奮しがちで職場でいじめてきた女のことを憎んでいたのが、最近夫のことまで しんだらいいと思えてきて 論理がおかしいというか、へ理屈でだれでもやりこめてやれみたいになってきてつらいです。
 ↑
この部分は文章表現ではやや明るい調子で(絵文字も込みで)記載されていますが、
着眼として『一種の躁状態』の存在を前提とすれば、深層心理は想像以上に深刻な問題で(メンタルな状況は一般事例より犯罪などとの関連は低く動機形成されることは無いのですが)、衝動的な事故は誰にでも起こりうる事で深刻に捉えるべき部分でしょう(三毛森さんの場合にはメンタルな状況における衝動性となるので→急性の状況変化であるとか急激な躁鬱の転換であるとか)。
私は何か犯罪めいた事柄が起きると言っているのでは無くって、「強迫心理の予告」というか(もちろんメンタルな状況においてその主眼は”ハッタリのためのハッタリ”ですから無視できる範囲なのですが)強迫心理の強迫心理のための”脅迫”のような着眼が(或いは投影ネタが)深層心理に一定スケールのイメージで構成されている事になるので(それが無意識下で構成され特定パターンで興奮するサイクルを持って現在の自我がかろうじてバランスを保っている)、火薬の入っていない地雷というかそういうものなんですが、見た目武器のようなものには違いなく(撃つ気も知識も何も無いが間違って手にしたモデルガンが心理的に本物と解釈されて、知識無く銃を持った人間特有の興奮(トリガーハッピー)の要因となるようなリスク)、潜在的にそれはやっぱり危険だし、深刻な問題と捉えておいて損は無いだろうという趣旨です。
(小児系サディズムのようなモチベーションの倒錯があるのは事実でしょう)

現況を判断する上で情報量としては乏しいのですが
>8歳上の兄は、20代のときに躁うつ病を発症して 今も年金で生活しています。
>私もその体質があるのかもしれないと思いますが、三ヶ月交代ぐらいで落ち込みます。
>私の父母はふたりとも 塾講師です(父はもと高校教師)
>気の小さい父に知られると、頭がおかしくなってしまう
権威職、特に両親教師などが心理的な意味の『リスクファミリー』とも呼べる(金持ちの家に生まれるのと同規模ぐらい)おおよそ環境として歓迎できる状況では無いのは(過去ログ読まれているとのことで)説明するまでも無いでしょう。

そして兄弟のうち間違いなく躁鬱症の人物がいるのであれば、他の兄弟にも何らかの影響があるのは(自力解決に成功している過程などの論証が無い限り)ほぼ間違い無い。
となりますから、冒頭説明の「一種の躁状態なのだと思います」の仮説はそれなりの信憑性が証明されます。

■この話で最も重要視すべきなのは
強迫構造なり強迫意識なりが問題の中心であれば書き込みのコアは『実の両親の話』になっているべきですが、実態は誰が読んでもわかるとおりで「義父・義母・義妹・義弟・夫・僧侶」全員『義理』です。(夫も僧侶も非血縁)
勿論これは「あからさまな共依存」であり、『義理』メンバーを確保するため夫であり、それが食いたリ無い時の代用(投影対象)が僧侶であったのも特別説明の必要も無く鉄板です。
彼らは自我内部の強迫心理であったり権威(取り込まれた実の両親)に対する依存的部分を『盛大に投影劇を繰り広げるためにスカウティングされたメンバー』と考えるまでも無く証明されます。
>親や、夫や、「とにかく無批判に受け入れたいもの」
”モノ”なんですよ、私の投影劇を繰り広げるための舞台装置に過ぎない存在です。
(上記の”無批判”という言葉の使い方に二重三重の意味があって、これは既に自分の中で彼らの役柄が決まっているから”無批判対象”たりうるのであって、逆さに言えば彼らが好き勝手に本音なぞを言う権利は無くちゃんと配役どうりのヘタレでいろよと、)

ですから
>なんか、孤独でものすごく疲れてつらいのです。
これはあたりまえですよね。
「超主役のための(もうほとんど独り舞台)道具(モノ)」との関係もクソも、(権威者との関係で)超人枠である自分だけの世界ですから。

話は戻りますが『私の投影劇』の狙いは
「家族を監督できるのは私しかいない」興奮であり(最高権威者に最も近いのは私だ「コロリと子供のようになついてしまった」)
「親のように心配し導くのが仕事だ」そのために「私は義父母・夫のたよりなさ」が評価されスカウティングされており、
これが企みとしてハマったためエスカレートし(ブレーキが効かなくなり)
>その宗教団体の掲示板で、「僧侶の書き込みが、私だけにわかるように 私個人的な悩みに回答をしてくれている」という実感を持つようになりました。
強迫心理の絵柄(神格化された権威者と寵愛を受ける選ばれた子供)がそのまま満足される恍惚状態(錯乱状態)になり、
あたかも誇大妄想が実体化したかのような非常に危険な状態となったが、
 ↓
(あえて言いますが)流石インチキ新興宗教だっため詰めが甘く強迫心理にとって禁句の”自立”(「仏教とは自立をめざさせる教えだ」)を口にしていまったために、『誇大妄想が実体化の夢』がガタガタと崩壊。

>自分のバカ正直さ、洗脳しやすい考えの浅さに愛想が尽きてしまいました。
 ↑
この言葉は一件強迫的な論理矛盾に自分で気が付いたかのように見えますが「違います」。
上記の言葉は→『誇大妄想が実体化の夢』がガタガタと崩壊ところからくる”悪態”であって、
「なんだ随分面白い劇団だと思ってついてきたが、落ちが全然なってネーよ(俺の強迫心理が全然カタルシスなってネーだろ)」という”幻滅”であって、
だからこそ
 ↓
>正論をはかれると、臨機応変に身をかわせないというか、、、、
臨機応変にできればいいとかでは無くって、
こっちに持ちあわせている論旨は「自意識空っぽ」で「強迫心理的捏造だけ」だったというオチです。

仕事先のサイドストーリーは
>職場でいじめてきた女のことを憎んでいたのが、
>二回とも職場の女性とぎこちなくなってしまい、なぜか意地悪をされてしまったり
境界例ほどの問題では無いでしょうが、
強迫心理系の視野狭窄(一般用例では無くメンタルな意味での自己中心性(ナルチシズム)など)における社会との軋轢(一般社会は容易に個人の投影劇を認めませんから)、ここには特段意味はありません。
あるとすれば、強迫心理状態で「現実との乖離がある」という論証ですね。

■発端となった実家における心象風景
これを限定的な情報から再構成してみると、
>20歳で、バブル期の女子大生生活に溶け込めずつらくなって退学
>12才から19才まで、私は胸にしこりがあること乳がんだと思ってひとりでかかえていて、
>21歳のとき「拒食症と親離れ心理の本に興味がある」と自分が書いた読書アンケートはがき

単純に繋げていくと
>母との楽しい思い出が、想起できないのは
『無いから』です。
無い事の違和感は「脳内では強烈な快感依存関係のような想定」があるからで(あるべき筈のように)、
無意識下における両親えのエディプス的固着と、両親の人格の問題、
更に思春期に強い自立ストレス(性への拒絶)があり(精神的ストレスにより癒着のような身体症状が出ていたとみても不思議ではありません→”しこり”)。
>母に波風をたてないように、ぎりぎりまで黙っておいてなるべく早くしんだらいいんじゃないだろうか。とかんがえていました。
母親に対する超絶的権威の投影、
(背景事情としてその母親をして「気の小さい父に知られると、頭がおかしくなってしまう」ほどその監視下に置かれている”弱者ヘタレ役の父”)
読者アンケートハガキの記憶が不鮮明な事になっているのは、都合の悪いものを抑圧する構造があるためで、もちろんその記憶は視野の端っこにはチラチラと見えていて躁状態の興奮ボルテージが後退すると視界に浮上し→「三ヶ月交代ぐらいで落ち込みます」。
>それにしても 精神病や病気のことに私の興味が偏っていると感じます。
偏っていると感じるのは「バレちゃ困る強迫心理」であり、
 ↓
>ただの、暗い考えぐせなんでしょうかね。。。
と、チラチラ見える「アンケートハガキ」をその都度抑圧しようと試みている。
(今回の書き込みも、一見意味不明な方向に振って幾分でも返信が”問題のコア”から離れるような形式となっている→イロイロ書きましたが「ただの、暗い考えぐせなんでしょうかね?」)


■恐らく今回の文章の件名としてもっとも適しているのは
『親離れ』
でしょう。
そして実際のタイトルである
『信じることが難しくなりました。』
この信じるって何かって言うと、強迫心理的ロジックの事で、その一部をデ・コードすると、
『私の投影劇が難しくなりました。』となります。

「このままじゃヤバイ」という体感はあるが、
「何のことだかよくわからない」(強迫心理の抑圧:視野リミッター)
 ↓
>論理がおかしいというか、へ理屈でだれでもやりこめてやれみたいになってきてつらいです。
論理が破綻し、強迫心理が自己防衛のため”過剰防衛衝動”を引き起こしている。
強迫心理の(ある筈の無い)正当性が(うまいこと興奮によってマスキングし続ける事ができなくなり)維持できなくなりつつあり、抑圧していた筈の『読書アンケートはがき』がチラチラどころが目の前にチラつくようになってきた。
(これが見えるって事は実家の家族時代の記憶が再浮上することであり:トリガーは「突き放すようなことを言ってドアを手早く閉めて終わり(母)」)
それはヤバイ(実家の家族時代の記憶)ため、真意を気取られぬように「不明瞭さがそのまま現状を表すひとつの”形”」の文章になった。
(その話は文章にするのも”タブー”だ)

さてこの状況を三毛森さんがどう考えるのかって事です。
精神分析な何ら(どうあるべきのような)志向性を持ちませんから(極端に言えば自ら強迫的人生を選択するのであれば”ノーコメント”です)、それは自ら選ぶ事です。
かといって「何を考えるのか、何を選ぶのかそもそもよくわからない」という状況に対して(勿論情報は断片的なので一部推測ですが)「おおよそこういう事が起きているのでしょう」という事をもって私の返信とします。

引用なし

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【45】信じることが難しくなりました。  三毛森  - 2010/12/11 00:24 -

kagewariさん、三毛森と申します主婦です。
過去ログ含め 3回ほど通読させていただいて 自分の強迫に気がついて肩の荷が下りてきています。
(論理療法のように自意識の監査を徹底して入れようとするあまり、結局道徳に監視されてるじゃん。。。みたいに考え疲れで混乱もしておりますが)

信じることが難しいというのは、ここ数年の家庭の珍事(?)で目立つようになったと感じているのですが kagewariさんの回答など読み返すうち、小学生のころから親のことを信じていなかったことなど 付随してわらわらと想起されてしまって、起点すら不明な状態です。


■03年 主人の両親がリストラに合い、無一文&借金200万弱で故郷に帰ってきたこと。義父の脳梗塞の発作をきっかけに義母が一人で持ちきれなくなって、初めて打ち明けてきました。

義父・義母・義妹・義弟 全員が「お金が足らなかったら、友人・家族になきついたら何とかしてくれる」という行動を取っていることにショックをうけました。

生活保護の申請や、破産の処理を私が率先してなんとかかんとか、生活の安定を得ました。

■このころ、私は家族を監督できるのは私しかいないんじゃないだろうか と重圧を感じながらもやりがいを感じて テンションあがってしまって アルバイトも異常に全力で取り組んで、過労で病気になり退職したりしていました。

■05年 初期仏教系の本を読み、僧侶との対話に感動して宗教団体の法話を月二回聞きに行くぐらいハマる。
その僧侶は、「僧侶というのは大人の人のことも 親のように心配し導くのが仕事だ」というような話をされ、私は義父母・夫のたよりなさに憤慨していたのでコロリと子供のようになついてしまったのでした。

役に立つ人間であることや、常に生命全体の幸せを願って行動することや、心を綺麗に保つ(きづき)などをおおマジで実践しておりました。
(だって、ぱっと見悪いことでありようがないっていう 「普遍的な奇麗事」だから全信用しました)

■06年 修行というのは、自分の行っている行動・感覚に、言語できづきをいれるというものです。マインドフルネスという心理療法にも取り入れられているものですが、この団体では「心を綺麗にする、最終的には解脱(^〜^;)をめざす」という触れ込みで 気付きを完璧に一瞬のもれもなく入れるという結構 脳疲れがハードなものでした・・・・・。

06年春ごろ、その宗教団体の掲示板で、「僧侶の書き込みが、私だけにわかるように 私個人的な悩みに回答をしてくれている」という実感を持つようになりました。
(因果法則とか、タイミングのこととか、自分でも普通に頭を使って考えていたつもりですが 今は現実離れもはなはだしい、幻覚みたいな考えだったと思います。06年ごろは悩みもおちついて、明るく生活していただけに 精神病のような思考になっていたこと夢にも思いませんでした。)

■07年
僧侶の主観では、「正社員にならずアルバイトでいる人間は自立していない、仏教とは自立をめざさせる教えだ。」とのことで ハマっていた私は アルバイトと主婦業だけの自分が未熟で大人になりきれない者だと突きつけられたように感じて、すっかり自身をなくしてしまいました。
正社員・自立した大人 を目指して、方向もわからぬまま努力の空回り、自己嫌悪がますばかりの日々になってきました。


■08年 二度アルバイトに付くも、二回とも職場の女性とぎこちなくなってしまい、なぜか意地悪をされてしまったり 以前のように和気藹々と働けないことに大ショックをうけ 退職後、寝込んでしまいました。

■だんだん疑念がふくらみ、宗教団体には近づかないで半年、一年がすぎると 少しずつ自由な気持がもどってきました。いつも他人の幸せを願っているべきだとか、人の役に立たなければ自分がいる意味はいないとか、決して怒らないとか、そんなあり得ない良い子ちゃんを目指して(一見、美しい理想的プロパガンダですが)自分でボロボロになっていたのだろうと思いました。

■つじつまの合わないことを信じてしまうのは、論理面が弱いからだろうと クリティカルシンキングの本を読んだりしましたが、「自分が変なんだから、ここ直そう、直そう」っていう暗い基本姿勢みたいのがいまだ取れません。

■正当な南伝仏教だという その僧侶の理想的「お言葉」を「そりゃーそーかもしれねーけど、疲れてやってられねぇんだよ、おまぇだってショッチュウ怒ってんじゃんバーカ!」などと突っ込めるようになるまで 2年ぐらいかかりました。(だって、私にとっては権威のなかの権威だったんです、しかも僧侶の言葉は仏陀の言葉と思って聞け。みたいな・・・・突っ込み禁止令ですよ)
自分のバカ正直さ、洗脳しやすい考えの浅さに愛想が尽きてしまいました。
正論をはかれると、臨機応変に身をかわせないというか、、、、なんだったんでしょうか。。。

それで、親や、夫や、「とにかく無批判に受け入れたいもの」ほど、キチンと反論できるようにと考えるくせが付き始めているのですが・・・なんか、孤独でものすごく疲れてつらいのです。

言っている事を、そのまま信じたいと思ってしまいます。らくだから。


☆私の父母はふたりとも 塾講師です(父はもと高校教師)
義父母の借金の件などで相談した時、母は「気の小さい父に知られると、頭がおかしくなってしまうから秘密にしておくよ」と突き放すようなことを言ってドアを手早く閉めて終わりで、その後何度も母との歓談なども持てたのに、ひょっと落ち込んだりする瞬間に不信感と怒りの記憶が蒸し返してきます。
母との楽しい思い出が、想起できないのは ちょっとまだ病的かなとおもうのですが、、、

☆12才から19才まで、私は胸にしこりがあること乳がんだと思ってひとりでかかえていて、いつ死ぬのだろうか、母に波風をたてないように、ぎりぎりまで黙っておいてなるべく早くしんだらいいんじゃないだろうか。とかんがえていました。(何の保身?!)

一度は母に相談するも「がんかな(笑?!」とデリカシーの無いことをいわれ、多少感触でたしかめたあと「大人になればなくなる、大丈夫」となったのです。
回答に、安心せずにいた私は 親を疑っていたわけですよね。12歳が。
(人格形成にかかわるような年代の出来事なので、書いてみました。)


■疑うので、疲れ、仕事も長続きし無そうなので応募していません。


家の片づけをしていたら、21歳のとき「拒食症と親離れ心理の本に興味がある」と自分が書いた読書アンケートはがきを発見しました。
20歳で、バブル期の女子大生生活に溶け込めず つらくなって退学したころに書いたものです。


8歳上の兄は、20代のときに躁うつ病を発症して 今も年金で生活しています。
私もその体質があるのかもしれないと思いますが、三ヶ月交代ぐらいで落ち込みます。
それにしても 精神病や病気のことに私の興味が偏っていると感じます。
ただの、暗い考えぐせなんでしょうかね。。。

何が聞きたいのか、わからない書き込みでごめんなさいm(  )m
義父のこと、親のこと、夫のこと、僧侶のこと、思い出し怒りがこみあげてくると「しね!しね!しね!」と興奮しがちで 
職場でいじめてきた女のことを憎んでいたのが、最近夫のことまで しんだらいいと思えてきて 論理がおかしいというか、へ理屈でだれでもやりこめてやれみたいになってきてつらいです。

なにかお気づきの点などあれば、アドバイスお願いいたします。
お忙しい中、読んでいただきありがとうございました。

引用なし

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公開掲示板での返信には外郭的となる限界ありますので、
そこを前提に以下読んでください。

■今回のレスはかなりショッキングな内容となっているかもしれません。
■必ずある程度心理的に平静で余裕のある時に読んでください

又、記載内容の表面的部分で自我が興奮して内容を判断できなくなる可能性もありますから、
十分に繰り返し「底に書かれている内容」を読み取ってください。
直線的な意味以外の”関連性”や”関係性”ここが重要です。

それから以下を読んで、急いであれこれ考えないでください。
推理小説のように緻密に、冷静に「何がどうなってこうだっかかも」と辿るように考えましょう。
その先の結論は簡単にすぐわかるような場所にはありませんから、
読んだ後、その直後に考えても「何も結論は得られない」ぐらいのテンションを保つ事。

又、抑圧された記憶が時間経過の中で解除される(何か思い出したみたいな)事もあります、
ですから「とにかく結論を急がないで遺跡発掘ぐらいの時間的スパンで考える」、

以上条件を十分徹底の上、以下読み進んでください。


(あえて行間空けます)


<本題>
さて、話のメインはここですね。
>「私は母親以外の人間には誰からも愛されないかもしれない」っていう恐怖があるんです。

恐らく100%この話がボタンの掛け違いの始まりだろうと、
現実は『逆さま』だと高度の確率で推定できます。
 ↓
「人を愛するなどの感覚(自立する大人でしか共有できないので)が欠落している人物の代表格が母親」だからです。

で、
強迫心理のコアは(幼児期にも母親の言動の異常さに薄々気が付いていたのに)
母親との共依存関係(互いの強迫心理を担保にする相保障みたいな多重債務関係)への固着が強迫心理のコアで、
「同一化」とかで表現される事もある依存関係が成立してるため⇒その条件が成立するためには常に自分は”子供”でなければならないため、母親との共依存関係を強迫的に肯定するために全てが順番に並んでいる。
(絶対条件のような強度優先順位が『母親との共依存関係』となっている)

これを肯定するために「全ての男性社会への殺人衝動」が二次派生している。
そんぐらい(矛盾や無理難題が噴き出すほど)この『母親との共依存関係は歪に偏向している』って事です。
(それを正当化すると自動的に男性社会全体をヘイトする事になるレベルって事です)

「結局母親以外お前をかまってくれる人はいないんだ」と強引にこれを成立するために
 ↓
『醜形恐怖症』が必要とされた(或いは呼び出された)

ほぼ100%hakoさんの”段階的本音”(強迫心理の解体過程の中間状態って意味で”本当の本音”じゃありませんよ)は、
「死ねばいいと思っているのは男性では無く母親」ですよ。
>すごく嫌だなって思う時があります。
 ↑
こっちが本音


母親との決して離れない関係を無理くり肯定するために、子供が自分の個体自立を犠牲にして『母子一体』の強迫心理を捏造した。
こういうケースの主犯(これいい悪いって意味では無く関係性の意味ですよ)は”母親”でしょうね。

犯行の手法は以下
娘を醜い子だとその評価を間接的に定着させ、社会と娘が自立的関係を築く(=自分から離れる)事を恐怖し、特に性的自立により自然に娘が大人の年齢になって自分の手元から離れる事を避けるため、人間の外見ってものはどういうものでとかの人生訓を語るのと反対に「外見に悩む娘を庇う」という巧妙な手法で外見恐怖を正当化し(実はお前の外見は醜いと言っているのは母親である)、20の年齢の超えても尚『過干渉』という『虐待関係』を成立させ、娘は自分自身の性的自立(年齢)すら外見恐怖の中に織り込むほど(性差が目立たない=子供のような服装)自意識や自我の発育を『抑圧(弾圧)』し、押し込まれた生への欲求(生きるモチベーション)は閉塞状態となり(簡単に言えば便秘)、その反動で(抑圧されている部分を被害と計算してそれに応分に敵うような弁済として)「男性社会全員が死ねばいい」という偏向に至る。

※男性社会全員が死ねばいいこれの暗韻は=「世界が自分と母親だけになればいい」

ところが決定的な論理矛盾は、
男性社会全員を殺すと、自分の『醜形恐怖症』の根拠を喪失します。
つまり母親に庇ってもらう必要が無くなってしまう。
(簡単に言えば「ド・ナンセンス」)
「狼がくるぞ」
こういうデマを飛ばしている首謀者は「ほぼ間違いなく母親」でしょう。


母親は『自分自身(母親)の不安や強迫から逃れるために子供との依存関係を必要とし』
子供を自分の強迫心理正当化の道具として”取り込んだ”(憑りついた)。
■当然強迫心理ですから「自分が何をしでかしているのか」母親にもわからんのですよ、
無意識にこういう母親像でここまで彼女はきてしまったんです。

>でも母は「家族だから、たった一人の子供だから」って言葉を掲げてくる。
 ↑
典型的な「嘘っぱち」です。
(しかし彼女(母親)は心理的に全く自分の嘘(欺瞞)に自分でも気が付いていない)

>私には姉が一人いますが、姉は私と違って社交的で友達も多く、母親や家族(私)に対して執着していないように思います。もしかしたら不満もあるのかもしれないけど、絶対に口に出さないって感じです。
 ↓
傍目から見ていて、
「これはマズイ私は逃げよう」と彼女なりに直観したのでしょう。

>今、金銭的な理由と、どっちにいても精神が不安定なら戻ったほうがいい、という理由で、実家に戻ろうとしています。

これはお勧めしませんね、
断固一人暮らしを続けるべきです。
所得的に困るようなら地方自治体の福祉相談窓口に相談してください。
(福祉請求のアリバイ的に心療内科や精神科に一度通って診察カード作る方が何かと安心かもしれません)


母親の人格にどういう(彼女なりの)問題があったのか?
それは彼女(母親)の子供時代の情報や特に彼女(母親)の夫婦関係の情報が必要になります。
(男性蔑視の元ネタは彼女(母親)の深層心理になるのじゃないでしょうか)
個人を特定するプライバシーに及ぶ部分もあるので、有料メール以外ではこれ以上は難しいのですが、
表現として間接的というか、個人を特定されないように上記情報があればその先も「ある程度まで」ですが分析可能です。

彼女(母親)の人生には”何かが”ある筈です。
そして今回の返信にも何故か登場しない”父親”、
今後はあまり自分の事を考えずに、
「問題を抱えつつここまできてしまったある夫婦の物語(サーガ)」
ここに集中して自意識マター(自発的自立的思考)を投入していけば心理的フェーズが変わると思います。

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