Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  OTD過去ログ 過去ログ(分類別)  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。

■運営趣旨『ログ閲覧の公共性』から”編集目的以外の記事削除”は原則禁止(レスのついた親記事(スレッド)は削除できない仕様です)
■2012年7月をもって「掲示板上での新規相談受付を停止します」これに合わせて有料相談に「簡易相談」コースを設置
■投稿機能は(停止措置時を除き)制限しておりませんので「簡単な質問等は今後も利用可能」です(管理人投稿【79】参照)
■当サイト運営趣旨に反する連続投稿等がある場合心理学的判断から一定期間投稿機能が停止されます(管理人投稿【123】参照)
”現在投稿規制中”
■【参考】過去ログ/ブログテキストなど体系的に閲覧したい場合「民間有志作成のミラーサイト」もあります


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【83】Re:父親と異性  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/10/10 21:32 -

■ご案合のとおりで、現在当掲示板は簡単な質問のみ受付となっておりますので、必ずしも返信は心理学的に詰めた内容とならない場合がありますのでご了承ください。

■『性の嫌悪』
これがある場合だいたいのケースで「あなた自身に両親がらみ(今回は特に父親に対する)執着があります」←これは好んでそうしているとう趣旨では無く、快不快(興奮による快感代謝:不快感でも代謝します)の場面というか対象が、本来大人の自分の年齢に相応した”外の社会”を対象とする世界に移行しているべき状況が(反抗期によるアップデート)不完全なため、
子供時代同様に物の価値であるとか快不快の憑代(よりしろ)が未だに”両親”などの”タグ”なり”フラグ”なりで起動しており(反抗期が完全に履行されていれば既に両者は一介の社会人同様も単なる赤の他人に近い存在に認定変えされます←この認定変えが行われていない)、本来向かうべき関心なりが結果論として内向化した(未だに両輪絡みのホームドラマに向いた)ままである。
(大人の自我における外交性への関心なり社会問題への関心なりに志向がシフトされていない)
 ↓
(乱暴な言い方すれば自我が大人になっておらず無意識に”子供自我”に固着し内向化している←”大人の自分自我”の発現が抑制されてしまっている。)
 ↓
その結果(結果論として)
あなたの年齢相応の異性への性的関心なりが(大人の個人としての快不快原則)、ぶっちゃけ子供のままであり(年齢不相応に)いまだに登場人物として両親を重要起点(両親の権威性認知は通常反抗期に壊れますがこれが壊れていないため)とする他者認定となってしまうため(=本来年齢相応なりメインとなるべき赤の他人への関心が両親に比べれば相対的に無関心なままとなる)、
端的に言えば自分が主人公のドラマの登場人物が一般社会にシフトしていなければならないのに、あなたの物語はいつまでたってもホームドラマのままに押し込められている事なり。
(無意識に抑圧構造ができあがっており←発端的には反抗期不全)

言うならばあなたの社会における他者異性への性欲が(上記構造により)結果論で未だに父親に向いてしまうというトンデモ状況になるため(他に向かう先が無いから)⇒「近親相姦嫌悪」が認識されるため、
(ホームドラマから社会人恋愛ドラマにシフトする年齢なのに、大人恋愛ドラマの登場人物がホームドラマと同じままになっているという意味。)
同時に子供の心理には性行為は許容できない世界だったりもするため、
これらが相まって、
 ↓
『あらゆる性に対する嫌悪』に化けちゃっているワケです。

(この場合父親なりへの固着は父親個人の強迫心理絡みの異常行動があるにしても、これは又別の論議になります。:末尾注2)
ある意味、上記括弧書きにおける実際の父親の行動が又通常とは違う部分もあるため(そもそも両親の行動なりの不自然さが『反抗期不全』の原因なワケで)、
言うなりゃ悪循環し、余計に不信感を呼び(どちらかと言えば”新ネタ提供”なり”燃料投下”的意味なんですが)、現在の状況に至っているという事です。

■局所的に言えば、『性への関心』が一般社会における他者に向き(=元両親への無関心)内向性ではなく外交性に認知状況が転じれば「性そのものへの嫌悪感」は消失します。
(繰り返しますが、自意識がそうしいているのではなく、自我構造論的結果論として無意識において”あたかも世界の権威における重要人物”であるかのように未だに両親(実体はどこでにもいる単なるおっさんとおばちゃんです)が過大・誇大に認知されたままで=一般社会への関心への切り替えを阻害しているって事です。)
反抗期が万全にプルーフというのは(親離れですから)=両親の赤の他人化であり、極論すれば「どこの誰が親だか知らない”私”の登場」のような恰好で→外の社会(戦場)へ突撃していく形になります。
(更に極論すれば「誰が親だったかなど普段忘れている状態」が大人の自我です。)


注)一般に上記構造の始まりは父親メインに認識されがちですが事の発端は(夫婦関係において)母親である可能性もあり(どちらにしても家庭内強迫心理環境の共同正犯なんですが)、早計な判断はしないように。

注2)反抗期が通常通りにプルーフしていれば、この時点で両親は単なる赤の他人と同程度の認知に還元されるため、”仮に””本当に”父親に性的いやがらせなどの悪癖があったとしても、主語の「”父親が”」の認識を肥大化させかねないイメージ部分は無効化されるため(主語的に”近所のおっさんが”と同じ意味になる)、「何すんじゃコラ」的範囲の問題に低減化します。
(まー問題には違いありませんが、別問題となる。)

引用なし

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【82】父親と異性  まゆ  - 2012/10/10 18:33 -

独身女性です。
父親にいやらしい目でみられている気がして気持ち悪い。
父親の前でスカートなど多少でも露出のあるものは履けない。
胸が隠れるような格好をしてそもそも父親を生理的に受け付けない。
心当たりは
1)私が性的に早熟だったので意識過剰かもしれない
2)性的トラウマは思春期に突然胸を触られたくらいで虐待と言えるほどのものは無い
父親のことは憎悪していると同時にこよなく愛着のある存在です。
母親のことはこよなく愛着があるのと同時に鬱陶しい存在です。
この世に性別やセックスがあること自体気持ちが悪く、女性が妊娠するなど気持ち悪い感じがします。

引用なし

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【81】Re:過去をどう消化するか  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/08/26 23:24 -

■ご案合のとおりで、現在当掲示板は簡単な質問のみ受付となっておりますので、必ずしも返信は心理学的に詰めた内容とならない場合がありますのでご了承ください。

早速ですが、
つまるところ『ノスタルジー』ですね。
(私が心理学的説明においてこの『ノスタルジー』という表現は固有の意味があるのですが、ここでは省略します。)

ノスタルジーはノスタルジーとなった時点で現実と乖離します。
簡単に言えば今あなたがなにがどうこうと感情的な固着を発生さている『記憶』ですが、ノスタルジーとなった時点から「違う話になっちゃっている」という構造です。
(この辺何故なのか話すと長くなっちゃうので「現在の心理的状況がその証明である」ぐらいの幅でそう理解しちゃってください。)

構造を俯瞰で見れば、
現状の不安なり不満(実はこれもそれほど根拠が合理的とは言えません)、それを発生させているのが「直面する現実問題ではありません」。
恐らく体感されている不安はもっと別の深層心理が原因であり、ぶっちゃけ挙げられている現状の不安の根拠は「場当たり的に選ばれている」となります。
(第三者からみればしょうしょうこじつけも感じられる無理筋の筋立てになってます←多分ここ自覚されていないでしょう、無自覚となるのは文脈にレトリックがかかっているからです。)
本来は「じゃーそもそも本当の不安の理由は何か」と心理学的に突っ込まないといけないところでもあるのですが、現在の仕様としてこの掲示板ではそこまで深入りできません。
本題まで省略と言うワケにはいきませんので、それを推定する根拠のひとつを挙げておきますと「説明されているノスタルジーにヒントがある」事になります。
思うに『依存的関係性(自己責任を担保する自立的自我の実存を丸投げできるしょうしょう楽なというか、場合によれば関係者からズルいなどと評価されたかもしれない状態)』が”長続きしなかった”という事かと思われます。

■ここで話が繋がること気が付きましたか?
(実はこの話はグルーっと一巡して出口のない堂々巡りになってます)
 ↓
>37歳で10年近く務めた会社を解雇されたのは自分の人間性の問題。自責の念がある。
現状この掲示板上で回答できる範囲での推定を展開すると、

1)上記引用の理由は「その場所を自分は依存的に利用していた」からであり
2)その場を追放された後漠然と不安を感じるのは依存的実存が許されないからであり
3)その場を今ノスタルジーで回顧しているように錯覚している”その記憶”は「依存できる場所だった」と改変されており(事実は許されなかったので追放された)
 ↑
ここで事実関係の改変の結果思考が現実から乖離して堂々巡りになった。

結論的に何かを明示するとするなら、
本来思いだされるべき”その時の記憶”は「そんな事(依存的関係性)は現実社会は許さんよ」という教訓で、
これがノスタルジー(違う話)になっている時点でアウツ(現実から乖離している)って事です。

引用なし

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【80】過去をどう消化するか  東京住み  - 2012/08/26 22:10 -

2011年3月

37歳で10年近く務めた会社を解雇されたのは自分の人間性の問題。自責の念がある。
トップとの人間関係がうまくできなかった。その他の仲間とはうまくやっていた。
辞めたくなかったので余計に後からいろいろ考える。
仕事は楽しかった。

その後、新しい会社に入社

2011年9月  入社
2011年12月 疑問を感じ始める
2012年1月  本採用になり、土日のサービス出勤が始まる

仕事がつまらない。
社会的に孤立している組織。
既にできている人間関係の中に入っていけない。孤立している。
10年後に組織がなくなっているかもしれない。雇用不安。そのためにも新しい目標が欲しい。40過ぎても転職できて、年齢的に大丈夫な仕事。つぶしがきく仕事。

以上、最近は自責の念はなくなってきましたが、どうしても楽しかった過去を思い出します。どうやったら過去を消化できるでしょうか?

引用なし

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(掲示板ブログ双方で同時告知の形となってます)

『サイトの構成にいくつかの改変を行います』

1)『公開掲示板』における新規の相談依頼の事実上停止
「公開掲示板の過去ログ」が閲覧目的の公共性などの点で十分以上の内容に達している事。
そして公開掲示板自体OTD掲示板閉鎖以降”サイト内掲示板”として以降し継続していますが、
kagewari精神分析相談事務所自体有料相談サイトという事もああって”web構造上”新規の投稿が無くなっている事。
(OTD掲示板を有料契約で運営していた当時は「掲示板が単体で独立して存在しているように見える」とこともあったと思います)
よって今後も公開掲示板の無料運営を継続するより「有料でも簡易に相談可能なコースの設定」の方が実際の利便性からも適切であると考えられる。
『公開掲示板』への相談書き込みは「公開討論会発言的ハードル」がありますから無料であっても必ずしも公平性を担保できない部分もある。
 ↑
上記理由から『公開掲示板』は機能は残しますが「新規の相談受付を停止」します。


2)公開掲示板の無料運営の停止に応じる形で有料相談に『簡易相談』のコースを設置
詳しくは有料相談依頼専用ページを参照いただくとして、
http://kagewari.cside.com/kage2.htm
ザックリ説明しますと、
当初から「誰もがプライバシーの保護など公開掲示板に書き込める」とは言い難いところもありました(前述のように公開掲示板での相談には「公開討論会での発言的ハードル」があります)。
これまでの有料相談の構成は「簡易な相談は無料で」を背景に単価的にも気安く相談できるコースが無い一面もあるため『簡易相談』のコースを設置します。

■1回のみでも相談可とし(1回のみの場合2500円)基本構成は4回までの『簡易相談』コースになります
(個別事例に心理学的見解を求める的な簡易相談)


3)ブログベースの『過去ログ検索ボード』の閉鎖
これはOTD閉鎖に伴い過去ログをHTML保存した時から将来的には閉鎖の予定だったものです。
ほとんど「過去ログをHTML保存」により機能を満たしているため、ブログベースの『過去ログ検索ボード』は閉鎖とし、HPに過去ログ専用ページを設置する事とします。
http://kagewari.cside.com/kage_OTD.htm

4)有料コース全体の見直し
コースのセット回数が非公式な消化等を助長する可能性もあるため(依存的に相談を短期間で繰り返してしまうなど)、逆に回数をコンパクトにして料金減額をする方が適切且効果的であると判断しました。
注)実質的な一回当たりの料金が割安になる訳ではありません


■■■今後の公開掲示板の運営について■■■
書込み機能は停止しません。
個別の相談依頼や分析依頼にお答えする事はできませんが「サイト運営上の質問」であるとか「一般論としての心理学的な質問」には今後も返信を付ける予定です。
(完全に掲示板を解放し”自由討論可能な場”とする予定はありません。)

引用なし

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>多分、私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人がいなかったために誰に対しても自分を抑圧していたのですが、
根本的なボタンの掛け違えと言いますか、
180度真逆の深層心理が表に現れてる台詞です。
まったく気が付いていないでしょうが
「私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人」
 ↑
この設定既に『マゾヒスト』になってますよ、
その構造が『被(こうむる)』的な完全な受動系(=自動的に自立独立は後退し抑圧)であり、そのまま(この掲示板なり閲覧されていれば説明の必要無いと思いますが)「強迫心理バレバレ」です。

言うならば『特定権威者(自分を認めるに足る何がし)が自分を認めない限り自分は存在しない』ワケですから、
(ここ親子関係の共依存で紐解けば背景を特別説明する必要無いでしょう)
そりゃね「どんだけ設定が空想・妄想の世界か」ってことです。

そして間違いなくyuttieさんはその「認められるべき受動系(依存系)の自分なる認知」をあたかも本音であるとか抑圧された自分であるかのよのうに”根本的に(180度真逆に)勘違い”しているんですよ。

■そもそも「”何を”認められる」という話なのかですよ、
(ここも説明の必要も無く”共同幻想社会への社会適応”が被っていることは言うまでもありませんが、)
なんで「られる」って認めて「もらう」形にならないといかんのかです。
よりにもよって好き好んで、
 ↑
素で考えればこの状態は100人が100人その設定だけで(自分)不快になる思考構造です。
(「愛”される”」に替えて考えるとわかりやすいでしょう。←勿論女性誌で有名なこのフレーズは不安心や不快を煽る形で購読に結び付けようというキャッチコピーであることは言うまでもありません。ホラー映画のキャッチコピー構造と似たような”レトリック”です。)

加えて
>無条件で感じられる
となれば幼児心理における「空想家族依存心理タイプの退行」であることも説明の必用がありません。
 ↑
ここ典型的な矛盾なのです。
「自分が(自主性としてあれこれ思い)こうであること」が実存しない限り意味が無いにも関わらず、ここが「無条件」ということになれば「誰が何をしようと」のようなニュアンスになりますが→勿論ここは「私が○○○○という名前の人物だけで無条件に」となるでしょう(自分らしく生きているだとか何をしているどういう人物であるのかと無関係に)。即ちこれは親子関係の妄想です(現実の親子関係でもこういう状況は実際には存在しません)。
つまり「現実の親子関係の諸問題」から(実際幼児は空想上の友人と話したりぬいぐるみを相手に会話するなど内面世界の想像に嘆美的に快感想像するケースは珍しくありません)→「空想や想像上の妄想に逃げ込む」的な退行が『(幸福感の想像というか)快感の再現』に結びついてしまい(退行により)、依存(構造的に固着)傾向にあると解釈できます。

▲勿論「無条件」が意図しているものは「私が○○を実現したら」のように成績であるとか実績などの形骸的条件を指しているのですが、そもそもそんな形骸や属性的特徴は『共同幻想社会適応だけに通用する条件』なのです。
ですから、そのままであれば「あたかも共同幻想社会への適応以外の現実はこの世に存在しない」かのような極めて狭い選択となります。
この時点で(そんぐらいに狭くなっている時点で)「既に強迫的発想」になります。

注)勿論思春期の反抗期を経て「共同幻想社会への適応」を選択してもいい訳ですが、反抗期期間は「仮想単独者状態」となりますので反抗期中は「マストでは無く選択肢のひとつ」でなければなりません。


ちょっとイマイチ「何のことやら」な可能性もありますので補強しますと、
「部活などでなんと言いますか和気藹々に誰もが受け入れられている集団」←例えばこういう集団は電車内などにそのまま団体などで乗り込まれるとはっきりいって乗り合わせた周囲全体に不快の環が広がります。
(構造は暴走族と同じだからです)
サラリーマンの飲み会流れの集団も同じように見られます、
(それこそある程度の母集団のまま騒いでもいいように居酒屋なんかも棲み分けしているぐらいで←サラリーマンの一杯飲み屋に間違っても入ってこないように飲み屋には飲み屋なりの棲み分けがある。)
 ↓
同様の現象として、
電車に乗り込む「家庭内と同じふるまいをする年少の子供連れ親子」も不快視されますね。
(そういう事は「外の目に触れない家庭内で」という不文律があるためです)

当該社会にとって秩序というか条件は似たところがあって、
(電車内など準公的な場面では静かにする取り決め合意のある家族のように)
何らかの条件(○○部として本気でやる気になっているだとか)が付随するのが自然なんです。
「本音として私は○○というスポーツを自分の意思で選択している」というような自発的な(自分なりの)選択が明らかであることです。
逆に言えばこれが不鮮明になればなるほど(無条件になればなるほど)そういった類の集団は(集団内では居心地がよくても)周囲に対する不快度合は高まります。
(事実一時期活動内容不明のイベントサークルが社会問題にもなってます)
つまりこれは『母集団のアイデンティティ論』です。
 ↑
ハードな体育会部活で「チャラチャラしている後輩を怒鳴り飛ばすキャプテンの図」で想像してもらえるとわかりやすいかと、

■「勿論こういう状況を指しているのではない」
つまり「無条件」というキーワードの背景には(こんな自分の定義がないため)「○○」なる”氏名だけで”という定義が裏コードになっており、
即ちそれは「家族関係の想定」があることになります。


言い換えるならば「反抗期」とは、
「誰々だから」とか「子供だから」などのような(ある意味)無条件性と受け身(被(こうむる))を嫌悪して、
「私はこうしたいんだから」と自分であることの条件のように、自分を自分の選択で定義してその実現(誰かれに認められるだの認められないだのうんうんは抜きに)への能動性を発現するのがその趣旨であって、
極端に言えば「無条件に誰かに認められるかのような心理は邪魔で不快なもの」になります。
(なので一般的にも思春期における反抗期は親子関係などがギクシャクする←馴れ合い的な言葉や投げかけを特に嫌悪するなど。)

「自分で俺は(こういう選択の)俺だ文句あるか」と自分であることの条件を現実世界に問いかけるというか突きつけるのが”所謂ひとつの青春”というものです。
(そして自分というのは「俺はこれからこういう選択をするぞ」という”これから行う選択”の事ですから、)


<話は戻って>
「自由気ままに勝手に生きる」←こっちがデフォなんですから。
(このスタンスはとりわけ単独者に限定されるものじゃありません)
ですから、
今現在であっても
>多分、私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人がいなかったために誰に対しても自分を抑圧していたのですが、
 ↑
これが残っているのはいかんですよ。
自分で「何を言ってんだか俺は」とダメ出ししていい場面です。

デ・コードすればですよ上記文章の「自分を抑圧していた」
この言葉はですね「甘えたい気持ちを抑えていた」に他なりません。
この快感依存は大人の心理にはありませんので、
逆に言えば一種の中毒(依存症)として←この構造に浸る傾向がある時期から固定化していると言えます。
 ↓
>素の自分の年齢は歪曲や抑圧を始めたくらいで止まっていたのかもと思います。
と考えると「幼児期から私は親に甘えられずに不安感でいっぱいだったのだ」という部分が(抑圧により)冷静に語れていなかった(過去になっていない)事もスムーズに理解できると思います。
 ↑
親会社と子会社の関係で言えば「親会社との関係に安心できず部品製作の本業もオチオチできなかった」と考えると何かが違う事に気が付きませんか?
現実にあったのは「安心して自分なりの活動(部品製作の本業)ができなかった」なんですよ。
しかし「幼児心理的な空想に逃げ込む状態(=内向化傾向)」によりそれは「甘えたかった」という言葉に過剰化します(言えばごくありきたりな家族社会においても親に甘えるなんて状況は一般的な話じゃありません)。
現実のサイズは「本業に専念できない」なんですが、
これが「どんな部品を造っても褒めてもらえる空想(=内向)」に囚われてしまうと「甘えたかった」のように現実には滅多に存在しない(言えばごくありきたりな家族社会においても親に甘えるなんて状況は一般的な話じゃありません)世界があたかも自分の生存条件であるかのように『枠がハマる』(実はそれは自我にとって『枷』なんですが)。
その想像が破綻しそうになると→(不安感から)感情的に爆発するというか→現在の状況を招いている。
▲重要なのは「本音は、真面目に本業に専念したかたっただけなのに」であることです。
(というかその本音が甘え構造の抑圧により「思い出せなくなっている」と言えばいいでしょうか、)


更に話を古い時代に巻き戻すと、
微妙な親子関係時代に「実存不安(幼児にとって親子関係がギクシャクするのは死活問題ですから←閉鎖的な親会社と子会社の関係)」から、想像の世界に逃げ込む傾向があり→「あたかも本当にそんな(想像世界のような)自分が”無条件に認められちゃう世界”がないと私死んじゃう(サディズム反転すると「みんな殺してやる」)」のような世界から(逃げ込んで)逃げ出せなくなった。
 ↑↓
上記の状況は「大人目線でオマイラさ何やってんの」と醒めた目で両親を見られないのと同じ(鶏と卵の関係)なんです。


>関係ないですが自分にあった薬が処方されたことも大きいかもしれません
 ↑
案外と関係アリです、
(私は投薬には懐疑的ですが絶対にやめるべきみたいにも思ってません)
タバコであれ珈琲であれ(欧米ならマリファナもアリかもですが)、誰にでも各人なりの精神安定的嗜好品ぐらいありますから。
「それどころじゃない急性の状況」があるのであれば投薬は『一拍置く思考の時間稼ぎ』として使えます。

時間をかけて「おいおい俺は何やってきたのか」考えれば上記の”レトリック(自分でうっかり仕掛けた自我の罠みたいなものです)”に自分でも気が付いてくるでしょう。

引用なし

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【77】Re:そのまま読んでみましょう  yuttie  - 2012/01/15 00:06 -

お久しぶりです
前回お話を聞いていただいた頃よりは大分落ち着いてきていると思います。

しかし今回も私の印象をただ羅列しだだけの、何の論理性もない文であることには変わりないです。ごめんなさい…

多分、私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人がいなかったために誰に対しても自分を抑圧していたのですが、
そのうち手段の目的化というか、自分を抑圧すること自体に快感を覚えるようになっていたと思います。
もはや需要の有無に関わらず、自分を歪曲するとホッとするんです。
だから際限なく捻じ曲げて嘘ついて、中学にあがる頃にはもう素の自分がどうだったのか忘れてしまっていたのかもしれません。自分で言っていて半信半疑ですが、実際そんな印象が残っています。
「表現されてはじめて自分」ですが、なんというか、
自分の好きなことやろうと思うと、底の見えない暗い洞穴のイメージや難しい記号や文字列が幾重にも絡み合っているイメージが浮かんでそれ以外なにも考えられなくなってました。
素の自分、という概念はあるのに具体的にイメージできないようでした
それに自分を抑圧しないということに尋常じゃない軽蔑感もありました。

もしかしたら、素の自分の年齢は歪曲や抑圧を始めたくらいで止まっていたのかもと思います。
それが部活で自分の存在そのものを認められる経験をして、
歪曲した結果である自分ではない自分が顔を出した結果が初投稿でお話させていただいたような
、グロテスクな思考になったのかもしれません
反抗期的な大人へのアップデートのための衝動だけでなく、
そのころさらに部活の人間関係も悪くなり始めていたので
当時はそこまで考えてませんが、思い切って、圧倒的に精神年齢の低い素の自分を出してみたもののその対象が突然無くなってしまってどうしようもなくなってしまった、という感じでした

誰でもいいから殺してやる、という衝動がとにかく頭の中を支配していました
それは、「身勝手な私欲(自分を抑圧しなかった)ために部の仲間を傷つけてしまった」みたいな考えから「私はひどく汚い」という概念になって、「どうせみんな私のことが嫌いだ」「私は本当は人間ではないから、みんな私のことを殺そうとしている」から、とにかく殺さないと…
よく分かりませんが、そんなことを実際に思っていました

とにかく何か一歩踏み間違えていたら危なかったのかなと思います

本当にまだ、頭の中がなんだかこんがらがっていて、もう2年前にもなるショックもうまく整理できず、そんなことを悶々と考えています
ただ良くはなってきているな、と最近ようやく思えるようになりました。
関係ないですが自分にあった薬が処方されたことも大きいかもしれません
これから糸屑でも解すように今までの自分を整頓できたらと思います

引用なし

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書き込みの内容が具体的な質問文や相談形式になっておりませんが、私なりに「セカンドオピニオン的なものが求められているのだと」思います。
(前回の返信をまず読んでいただくことが前提になりますが、心理学や精神分析系の話は”読み考え進む”のに時間がかかるほうがむしろ好ましい部分ありますので←ログが残っていることの優位性です、繰り返し読んでいただければと思います。)

まず今回の話ですが(前回の返信にも同様部分記載ありますが)、
■医療のバックグラウンドの確認が重要でしょう。
短くまとめるためにザックバランな表現使います(必ずしも厳密な意味で正確ではありません)。
医療界は検査や診察などで病理的に因果関係がわからないものは「原因の説明ができない」のです、
 ↓
で、病理的な精神病(やアルツハイマーなどの痴呆症など)はその説明ができますが→でないものを『メンタル』と診断しているワケで、
医療界が”メンタル”であるとか”精神的”と表現したところで医療界には「それ以上の説明ができない」のです。
(医師の個人的意見は言えますが)

特に日本は(混合医療やらの問題も含むのですが)保健医療の枠組みがありますから、
尚更医師は「保健医療枠内の診療行為」をしなければなりません。
(あきまでも極論ですが個人的に勉強している心理学の話をしていいものか微妙←すくなくとも診療行為として行う場合別途個人クリニックなどの窓口が必要になります。)
 ↑
専ら医療の現場で登場する「臨床心理」などの言葉は事実上『投薬効果の統計』のこで、
(なのでナントカ症と分類する事が重要なのであって、ナントカ症と医師が言えばその因果関係や原因などを説明できるという意味ではありません。効果のある処方をする時の「母集団名」のようなものです。)
製薬メーカーも明快に「原因はわかりません」と断言してます。
(脳内物質のバランスなど明快に検査などで観測される”状態に対する対処”の部分的局所的因果関係は別ですが。)
「わかりません」という断言を医療的言語にすると=”メンタル”や”精神的”となるのです。
(ですから精神科などの問診の中心は「投薬の効果状況」と「副作用の確認」となる。なんと申しますか医療界には叱られると思いますが、昔昔の精神医学会は患者を独房みたいなところに収容したり、真面目に電気ショックやら怪しい実験を繰り広げる医師までいるような業界を経て現在”臨床”に至るような歴史的経緯ですから。)

つまり
>それで実際の体験を具体的に書いたんですが、幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか精神科に相談したところ、「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。
 ↑
この辺の話は医師にとって、「投薬の効果状況」と「副作用の確認」の意味で重要なだけで、
「なぜどうしてこうなったのか?」などの話は「ぶっちゃけわかりません」なんです。
(言うならば医師にとっては「そうですね〜原因ですか?精神的なものでしょうね」まで、)

勿論
>「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。
 ↑
ここもそれほどたいした根拠のある話ではありません。
(医師もそのつもりだと思います。「まーねそんなこともあるかな」みたいな、)


■心理学系のバックグラウンドの確認ですが、
極端に言えば心理系は「医療理科系」ではなく「文系」です。
”メンタル”や”心理的”な現象を何故なのかその原因や因果関係をロジカルに考えるのが専業になります。
(人は何故そう考えるのかなど扱っている哲学も所属する「文系」)
(誤解覚悟で付け加えるならば「宗教哲学の心理的分析」とかも心理学の分野です。心理系が医師会に対して厳しい視点があるように医師会の一部は心理系を”オカルトジャンル”で見ている状況があるのは事実だと思います。実際心理学の一派にはオカルト系とかありますんで、)

ですから心理系には投薬上の分類でナントカ症とか名前がついたとかは重要では無く(極論どうでもいい)、
「その心理状況の背景や経緯」を重視します。
(精神分析は特に自我のなりたち:過去や親子関係の聞き取りを重視する。)
言うならば『強迫心理』がどういう構成要件でどのような形で自我(OS)を圧迫しているのか?のような判定です。

話は戻りますが、
>幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか
>思考力・読解力がゼロになったこと
>声に出さないで言ったりパソコンで音楽を聴いたりしていて幻聴の声にさえぎられる感覚があったり、さえぎられた直後に何かが(自分がしていたかも)音楽や言った言葉をつなげた、一つにしたかと感じて非常につらくなったんです。
>あと何かを止められた感じがして非常に辛かったです。

この状況は『認知症』だとか『知的障害』ではありませんが、
ひとつ考えてみてください。
『認知症』や『知的障害』があったとしても(生物にはそれぞれ知的水準があるのであって)知的に下層の哺乳類の普段の日常生活のような振る舞いにはなりませんよね?
暴論になりますが「知的に下層の哺乳類の普段の日常生活」となるのであれば、それはそれで平和に過ごす事を考えればよいので特別な介護などは必要ありません。
事実サルなどの他の哺乳類も同じように『認知症』だとか『知的障害』となると(更に下層の知的水準の日常となるのではなく)『異常行動』が見られます。
 ↑
この現象はなんでしょうか?
そして『異常行動』やその体感が生理的に健康且知的問題も無いメンタルの症例で何故引き起こされるのか?
(思考力・読解力がゼロなど瞬間的な知的水準の後退まで見られるのか?)

共通項は「パニック」ですよ。
言い換えれば「現実に対する即応性や認知が制限されている(←この状況を”追い詰められている”とも言いますよね)」、
現象自体は”視野狭窄”なんて呼んでもいいのですが、
自我を圧迫して認知や判断に制限がかっている。←これを『強迫心理状態』と呼んでます。
(大事故が起きたなどの外部要因による一時的ストレスでは無く、日常恒常的に続く自我構造的ストレス。)


■医療と心理学では認定というか相談を受ける意味や意図が全く違うのです。
結論「精神科などの診療に対するセカンドオピニオンにはならない」と言えます。
(心理系としては医師が何を答えた内容にに”全く接点が無い”→常に可能な限り投薬はギリギリでと願うぐらい。)

なんと言えばいいでしょうかね〜
「このネクタイ似合ってますか?」「ネクタイが窮屈なんですけど?」を扱うのが医療界で、
「人は何故ネクタイを?」「僕のネクタイへの忌避感は何でしょう?」を扱うのが心理学です。

なので「病院でネクタイが窮屈なんですけどと聞いたらこうだった」の答えを尋ねられても心理系には”取り扱う接点が無い”のです。
(「話はわかりましたが、何の相談でしょうか?」になる。)

話は戻りますが、
心理学の見立てに興味がおありなら、
まずは時間をかけても何度も繰り返しても構わないので、初回返信を読みこなすことを続けてください。

引用なし

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【75】お久しぶりです。  ヤンタロー  - 2011/11/17 21:00 -

こんばんわ。
返事が遅くなりました。
kagewariさんの返事の文章が長すぎて全部はしっかり読んでないです。

9月16日に書き込んだ「体の動きを止められる」とかは精神科に相談したところ、実際の体験をそのまま具体的に書くように言われました。
それで実際の体験を具体的に書いたんですが、幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか精神科に相談したところ、「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。

薬は最近はテンションが高くて、PZCという薬の量が1錠減りました。
ちょっと薬いきなり増やしたせいかテンションが高くなったかもしれません。
薬を減らした翌日(17日)の夜7時半から幻聴と耳鳴りが非常に不快で辛くて大変我慢できなくなりました。

声に出さないで言ったりパソコンで音楽を聴いたりしていて幻聴の声にさえぎられる感覚があったり、さえぎられた直後に何かが(自分がしていたかも)音楽や言った言葉をつなげた、一つにしたかと感じて非常につらくなったんです。
あと何かを止められた感じがして非常に辛かったです。

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あくまでも”表向き”ですが、

なんていいますか、
『内容ベース』で物事を捉えるのが心理学担当で、
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科などまとめて言えば医療系となります。

やっかいなことに「完全に医療系(事実脳内物質などのアンバランスが観測されるとか脳の生理機能的特徴が関係しているなど)」と心理系との間に完全な境目があるようで無いところです。
(場合によっては「その内容で精神科は違うのじゃ無いか」な場合も勿論あるでしょうしその逆もあるでしょう。)
『事の発端や構造はメンタルからなのか、或いは純粋に医療的機能の問題なのか』
少なくとも医療系が相当なのかは検査等で確認できる部分あるかもですが、医師の説明を十分理解できるかと言えばそこはまた難しいところです。一般市民は事前に心理学の知識あるワケでは無いので。
しかし、今回のお話のように「それは医療系かも」な要素ある場合には順番として「医療系に相談してみて次に心理系」というのはありうべき判断かなとは思います。

<話は戻りますが>
ご存知のように医療も常に見解が変化するところです。
概念として『完成された医療と言うものは無い』←これは言うならば『絶対政策』と言うものが無いのと同じ話です。
(報道などでお馴染みの医療上の倫理としてどこまで研究してアリなのかの境目も国際機関や各国の政策によるのであって『絶対』として決まったものは無いワケです。)
心理学の方は(精神分析系も各派ありますし)診療行為を前提としているワケでは無く主に大学でも日本では人文系であるように(診療行為に関係するのは”医師が心理学を学んだ場合”)「そのまま」で言えば「人の心理を探求する」のがメインであり、どこからどこの範囲が心理系の診断であるとか診療担当であるという明快な基準はありません。
むしろ心理学はあり得たとしても『カウンセリング(会話形式のアプローチ)や、このサイトがそうであるように”相談”の範囲』などで、
心理学の本質は「メンタルな問題考察がメインでは無く人間の心理や自我全般についての考察がメイン」と考えていいでしょう。

加えて、
心理学でなければ対応できない部分もあります。
専らメンタルな現象(主に鬱や人格系や対人問題や自傷系や自律神経系や神経症系など)を解き明かしてロジカルに説明する部分です。
(簡単に言えば「そうなる原因を追跡・分析する」)
医療系は一次的に『症状に対処』する専門機関であり(結果的に投薬中心になりがち)、心理的現象の原因(脳内の遺伝的障害などは例外として)を検討する部分は医療行為外となります(簡単に言えば医大の必須カリキュラムのような枠組みが無い:日本の場合心理学は人文系)。
更に医療系の場合保健医療との関係などもあって経営的にも法的診療行為の枠組み的にもカウンセリングを中心にはできない側面もある。
(医療現場の詳細は専門外なので質問されてもお答えできませんのであしからず。)
※精神分析など前衛的に捉えている医師の場合専門的なカウンセリングを別館クリニックで保険適応外とするなど工夫しなくちゃできなかったりする。

又、カウンセリングはそのまま言えば「話を聞くなどのやりとり」となりますが、
診療的とするのか?相談とするのか?
ご存知のように日本には厳密な国家資格のようなものはありませんし(厳密な国家資格化は無理だと思います)、
心理カウンセリングは(ここから先は私の私見ですが)「適性というか(心理学の理屈より)”第三者性”の方が重要」だったりします。
(そりゃ確かに基礎的認知は必要なんですが、例えばフロイド心理学を理解する上でも第三者性の確保されているタイプの人じゃ無いと特定の方向に偏った認識になっちゃう場合もあり得ます←結果その数だけ学派できちゃうみたいな。)
 ↑
ここで言う第三者性とは「常識や道徳倫理などからも中立的」ような意味における『第三者性』です。

総合的に言えば「相談の範囲(と限定的)であればどんな立場でも心理学は対応できる」とも言えるワケで、
(言えば私は独学と経験が長いところから休眠中とは言えメンタル系NGOなどにも裏方として声がかかるなど心理系としての専門性は高い事に違いはありませんが、公式的に言えば”アングラ系モグリのヤクザ者”に違いないでしょう。←自分で言うのも何ですが結果的に最も重要な第三者性が担保されているのかなと思います。)
歩留り的に「心理系は診療行為的ニュアンスを表に出すべきでは無い」と言えるかもしれません。
(逆に医療系カウンセリングは臨床心理の枠内から出られない部分もあるかもです。)


■私が何をこう長々と説明しているのかと言えば

『現状をどう捉えるのか?』なんですよ。
ええ「ヤンタローさんが」です、

時間的に制約があるのでザックリとフロントページ斜め読みぐらいでしか見ておりませんが、紹介されているヤンタローさんのサイトを見てみたところ、
「かなり多数方面に相談している」
「それぞれの見解も記事にアップしている」
(書籍も多数読まれているようです)
 ↑
まず私が感じたことは、
「とにかく病名特定のような”現状認識”を確定させたい」であるとか、
「何故こんな状況になるのか自分でも知りたい」であるとか、
このくくり方は『心理系の相談になっていないのではないかしら?』ってところです。
何を話をしているのかって「相談に至った動機の確認」です。
 ↓
ですから前段で、
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科の医療系となります。
と、物事の捉え方の差異をお伝えしたワケです。


<更に具体的に踏み込んで言えば>
特にこのサイト上では「具体的個別名称を大事な事だと全く思っていない」ですし(分類って言っても心理学的に言えば100人いれば100人違うので極論「それがヤンタローさんの現状ですね」が最大の分類ですから→その内容を母集団を分類する記号とのリンクで説明することに意味が無い。仮に「集約化」してしまえば個人差がスポイルされることになりますよね?)、
臨床系(そのものズバリというか統計的手法使う部門みたいなものですから)で診療上の分類するのは(原因を考えるのではなくて症状に対する具体的且つ法的に合理的な対処の指針としての)投薬上の分類が主眼で「実際具体的にそういう名前の病理性が特定されているとは言い難い」のです。
(勿論医療系には病理性を特定可能な症例・事例もあると思いますが「そっちの方がレア」でしょう。)

話を大雑把にしてしまうと、
医療界ってのは「病名つけないと薬が処方できない」(随分乱暴な表現でスイマセン)ワケで、
彼らも主体的に言えば「固有に病名分類それ自体に意味があるとは考えていない」と思います。

そりゃもちろん「胃が痛いから胃薬」のように『その対策投薬との症状との関係(リンク)』は重要ですが、
これは病名診断以前の「症状の問診まで」ですよね。
医療界でもそこの「症状の問診まで」が重要なのであって、カルテに病名として何を書くのかってそれは医師が状況を整理しやすいように統計的分類に合わせて”後からインデックスを付けた”という部分です。
■特にメンタルが関係している症例は「○○が原因で○○になるような病理が固有に存在しているのではありません」
(それこそ「結核」や「肝炎」や「動脈瘤」のように)
神経科などで検査により明確に脳内に障害が見つかるような事例はあるにしても(そこは検査によりわかることでしょうか)、全体から言えばレアケースでしょう。
(メンタルが関係している比率の方が高いでしょう。脳内物質のバランス問題も生活習慣病の過程のように”固定化したメンタル状況やストレス状況”抜きに解決は難しいからです。)


<さて話は戻って>
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科の医療系となります。
 ↓
>言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?
>体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意味は『心の声に体が反応してしまうましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。

この上記二件の質問はともに「知識として確認したい」趣になっています。
(何故でしょう?←この部分も後段の説明で合わせて論じようと思います。)
合わせて最後の一行は
 ↓
>ヤンタローの意見に対する返答を下さい。

これは相談というより「質問形式のヤンタローの意見です」と読む事ができます。

しかしですよ?

このサイトの趣旨(精神分析的側面)から言えばヤンタローさんのwebにおける記載、
(紹介されているサイトなのでそのまま引用しても問題無いと判断します。)
>以前も親に言われましたが、パソコンでスカイプやチャットをするのはウイルスを自分以外の人にばらまいてしまうため、禁止と言われました。
 ↑
こういう意味不明の事を言う親(動機はなんであるのかちょっとわかりませんが「止めろ」と言いたくて昭和年代の中高年が思いつきそうな取って付けた理由を加えたなのかもしれません)、
親が固有に問題があるという事ではなくて「そういう会話になっちゃっている親と同居を続けている事」は心理ベースで言えばやっかいなことです。
(心理的には「自由の保障」や「主体性の回復(形式だけでも自立独立)」が”環境”としてベターですから。)

理由は簡単で、
心理学のそれこそコア中のコアはエディプスコンプレックスに代表される親子関係ですが、
自我問題があって(この際それが医療系担当なのか心理系かの差異は別にして)親との同居が続いており、その関係に明快な「意思疎通上問題ありげなやりとりが継続している」とした場合、心理的にはこれ相当高いリスクになります。
(極端に言えば「単純に関係悪化しているだけ」とかの方がまだまし。)

上記を理解する上ではザックリと心理学が自我問題をどう考えているのかの概略の説明必要と思いますからそこ突っ込んで説明しますが、
▲『自我』を『OS』だと思ってください(その方が話早いんで)
親の存在はPC個体のadmin権限にとって微妙な存在ですよね?

言うならばそのPC購入時にOS入れた管理人は主体的には親でしょう、
そして子供の成長に合わせて権限が委譲され(別のユーザー登録が行われ)、
思春期の反抗期に「本人による大規模なアップデート」が行われて(admin権限も完全委譲)、
そのOS含めて(PC本体は元々自分の身体ですが)「俺自身」となり、
20歳で(社会契約的に)法的にも大人認定(法的なadmin権限の保障)となります。

それが、OSの思春期アップデート(反抗期)に何かしらのトラブルがあったのではないかという内容が示唆されるような現状の親子関係が継続していたり、”いかにもな親子関係”が成人後も継続するとそれはadmin権限を侵害する事もあり得るワケです。

少なくとも「どこかに(全てではないかもしれないが)心理的な問題が想定される場合」には、親子関係は重要な分析ファクターになりますので(『自我=OS』として考えた場合管理人から過去の経緯を聞くのは議論の余地無い話だと思います「アップデートのバージョン」であるとか「その時何しました」みたいな)仮にそこに「なんらかの関係上の問題が想定されるとした場合」これは問題ですよね?

そして更に別の個所を引用すると、
>一昨日(4日)疑問に思ったことですが、“ずっと音楽を聴いていて(聞き流したりしていて)、声に出さないで言う行為が止まって音楽に集中してしまうこと”や、“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為が止まって音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすることに集中してしまう”の2つのことは普通に誰でもあるかどうか疑問に思ったんです。

ここは本文にある2つの質問同様に「これも統合失調症の症状だろうか?」のように派生しているのかなと思いますが、
■心理面で言えば重要なのは「(今回の2つの質問含めて)これらがどうして質問したい動機となるのだろうか?」という部分です。

極論本人気にしていないのであれば、人間なんて→脳内のロジカル処理は千差万別なのだから:OSで言えば代表的なウインドウズのような統合OSは存在しない。100人が100人違っていて、心理学で言うところの『共同幻想』もせいぜい「ユニックス系」程度の意味でしか無い。
各人オリジナル且つ高度にカスタマイズされたOSでしかもそこでフリーソフトをこれでもかってカスタマイズして使っているのですから、
「○○の処理過程でdos窓が一瞬開くのは問題ですか?」という質問は
それほど重要では無いというか、本人気にしていないならどうでもいいのです。
(仮に医師にとってその差異が個別具体的に症例状の分類(病名認定)に大きな影響を与えるものでは無く、医師としても「個人的な関心・関連質問に答えている」認識でしょう。)


だとしたら?

>ヤンタローの意見に対する返答を下さい。
こういう切り口じゃなくて、
ヤンタローさんはそこを確認するために、そもそも”更に上位構造の問題意識”で考えた方が本丸に近づくことになります。
(その過程において”ヤンタローさん自身の意見”のような考察が入ってますが「そもそも質問段階で意見集約化されている部分こそが心理的考察なのでそこから聞いた方が早い」ということです。)

合わせて、
通常こういうサイトにおける相談だけでなく一般のメール等でもそうかと思いますが、
「私の意見でもあるのですが」とか「僕がそう思っているだけなのかもしれませんが」などの表現では主語には代名詞が用いられます。
(主観認知です)
しかしヤンタローさんの主語は”HN(ヤンタロー)”です。

上記文法形式はどのような認識がバックグラウンドの場合用いられるものでしょうか、
「それがkagewari精神分析相談事務所としての見解です」
「それが私の見解です」
後者(主語私)の方が主体的に見えませんか?
前者における固有名詞(HNなど)の場合あたかもその世界(業界)における話に聞こえませんか?


何を言っているのかと言えば、
>過去に統合失調症と高機能自閉症と診断されました。
 ↑
ココです、

表向き自閉症は(カウンセリングの会話ができないので)専ら心理学担当ではありませんが、統合失調って言うのは言うならば「ログインユーザーは誰でどういう権限か混乱(或いは二重ログイン)」みたいなメンタル系の話になります。
だからこそ「私や僕の」ではなく「ヤンタローの意見」という主語になっているのではないかと、
(とにかくその時のログインユーザー名「ヤンタローでは」のように、)
■ここは一見見過ごされがちですが心理的には重要な部分ではなかろうかと”私は”考えます。

ニュアンスわかります?
(かなり難解な話していると思うので、は何度か最初から反読お願いします。)

「admin権限者である”私”(ログインしている更にその前の自分って意識)」の自立性や独立性や自由度などが不安定なのじゃないかって事です。
だとしたらいろんな事が繋がる。
(あれバックグラウンドで自分が前に作った別名ユーザアカウントの処理が続いてんのかな?とか、)
個別に答えますと、
(ヤンタローさんの想定している趣旨の答えになっていないかもしれませんが、)


>言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?

自意識の命令系統混乱中ってことです。
誰にでもあることですが「トレーナーのいない自主的トレーニング中の腕立て伏せの時、もう一回かもうやめようか」こういうポイントでは(心の声と認識されるかは各人違うと思いますが)コマンド画面に二つの命令文が並んじゃう状況には違いが無い。
(誰であってもです)
「どっちでEnterすっか」と、
この時『主体性が揺らいでいたら』どうなります?
「あれ押すとか決める権限俺(独断専行)でいいのかな」

『どっちでも好きにすりゃいいか的割り切り認知』が感じられないのだとしたら?
(「腕立て伏せの時の後一回のジレンマ」みたいな状況が解決せず継続し続ける状態)

典型的なのは引用した
「“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為」
 ↑
これって動機形成として「何の行為」かよくわらかないですよね?

仮に音楽を掛けているのが同室にいる他人だったら「ちょっとウルサクて集中できないから音消せよ」とか言う場合あり得ませんか?
或いは人と会話中に(この場合掲示板ですが)違う事を考えていたら「人に話してる時に他の事考えてんじゃネーよ」とか言う場合ありませんか?

■それやってんの誰?みたいな『行為における動機形成の主体(や権限)』がマチマチで揺らいでいる。
(主格であるとか主観認知が不明瞭になっている)

>体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意味は『心の声に体が反応してしまうましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。
 ↑
ぶっちゃけこれも同じでしょうし、
(「腕立て伏せの時の後一回のジレンマ」みたいな状況が解決せず継続し続ける状態)
下記引用も同じ。
 ↓
>一昨日(4日)疑問に思ったことですが、“ずっと音楽を聴いていて(聞き流したりしていて)、声に出さないで言う行為が止まって音楽に集中してしまうこと”や、“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為が止まって音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすることに集中してしまう”の2つのことは普通に誰でもあるかどうか疑問に思ったんです。


■心理学の場合、自意識と無意識のように(或いは無意識における強迫構造など)個人の自我が必ずしも単一の構造では無いと考えています。
各分野が相互補完で自然に連携していれば動作も主観認知もスムーズですが、各分野が構造的論理矛盾の関係にあったり強迫性から自意識が過度に抑圧されるなどそこに偏りがあれば、人間の自我は誰でも「あられもない方向」にいってしまうのであって、
(※簡単に説明すれば自意識とは”マニュアル”無意識とは”オートパイロット”)


再び私が引用したもうひとつの項目へ戻れば
>以前も親に言われましたが、パソコンでスカイプやチャットをするのはウイルスを自分以外の人にばらまいてしまうため、禁止と言われました。

こう親が言った時、
「何おかしな事言いだしてんだよ。気でも違ったかんかオイ、ばら撒くも何もあんた仮に俺のマシンが感染前提ならそっちが問題だろうが。シマンテック入っておけとか、ファイアーウォールの設定心配するならまだしも、うつすから止めろってのは馬鹿みたいだからヤメレ。」
或いは(別ケースとして)、
「俺がスカイプやチャットで依存症みたいに見えるって事?だったらはっきりそう言えよ。」
みたいな会話に何故なっていないのかって事です。

それは、
”『行為における動機形成の主体(や権限)』がマチマチで揺らいでいるから”
だと思いませんか?
私には上記会話が「伝聞情報」のように聞こえるんですよ。
(親にそう言われた本人の状況をはた目から見ていたヤンタローなる人格が聞いていてそれを伝聞情報として説明しているような)

(オマケで心理的に言えばスカイプやチャットは依存性を派生しやすいので、自立独立を回復過程の環境を考える場合「あまりお勧めできない」とは思いますが。)

こういう捉え方に突っ込んでいくのが心理学なのです、
「そこまで話が及ぶようなものなら相談の趣旨は違う」と感じられるのであれば、結論は「”表向き”それは臨床系や神経科担当だと思います」となりますね。

(果たしてこの内容がヤンタローさんの想定していたような相談返信の形となっていないのかもしれませんが、心理的に今回の書き込みを捉えた場合私の返信は上記方向性になります。)

引用なし

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【73】初カキコ!  ヤンタロー WEB  - 2011/09/16 20:26 -

お初になります。ヤンタローと申します。
僕は過去に統合失調症と高機能自閉症と診断されました。

僕は下記のような症状がありました。
『動作』では、
例えば「思ったことを声に出して言おうとしたら幻聴や耳鳴りに声に出そうとするのをおさえられた(止められた)」ような感覚があった。
言い換えると「思ったことを声に出して言おうとしたら制限が入った」感覚です。

『体の動き』も静止した感じとかがひどい時期があって、
例えば「目の動き(眼球も)を止められた」感じがしたり、「口・手・足など体を動かすという機能を麻痺(=まひ)するようにさせられた」感じとかがひどかった時期があったんですが、自分はどんな言葉で表現すればいいか(言い換えればいいか)わからないんです。
口・手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられる感じがあった時は幻聴とか耳鳴りが非常に不快だったこともありました。

あと、「(ごはんを)食べるな」「動くな」という言葉が自分の中に居座っていたと思うが、それを発見されて操られた感じがしたり、「食べるな」「動くな」という言葉が自分の中に居座っていた とかその言葉(「食べるな」「動くな」)を心の中で言ったせいなのか、ごはんを食べる動作に制限が入ったり、口・手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられる感じがあったり、心の中で言っていても妨害とか止められたような感じなど操られ感があったりしたんです。

最近はそれはあまりひどくないんですが、今年の6月くらいまではひどかったです。
でも最近でも幻聴とか耳鳴りが非常に辛いことがあります。

そこでkagewariさんに質問です。
Q1.
『体の動き』も静止した感じについて
「目の動き(眼球も)を止められた」「口・手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられた」というのは主治医に訴えたら「作為体験」とおっしゃってましたが、言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?

Q2.
「食べるな」「動くな」という言葉が居座っていたとかのせいで、ごはんを食べる動作に制限が入ったり、体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意味は『心の声に体が反応してしまう ましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。

2つ質問しました。
ヤンタローの意見に対する返答を下さい。

PS:僕はブログを持ってますので、良かったら読んでください。

引用なし

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順調です安心してください。
「事実関係の明瞭化と整理」ここはほぼ鉄板で進んでます。
(具体的かつ詳細な部分は”歴史的興味”があれば別ですが、個人心理学レベルとしてはほぼ十分完了に思います。)


重要な部分を抑えておきますと、
>ドアを開けたらいきなり玄関(家の中です)に、母の自転車が置いてあって…。当たり前ですが玄関は自転車が置けるほど広くなく、今まで自転車が置いてあったことなんてなかったです。ものっすごいびっくりしちゃうんですよね、なんだこれ?って。すごい異様に見えるっていうか、不安にさせられるっていうか。この人は大丈夫なのか…?みたいな。
 ↑
こういう認識が自然にできるようになっていることは大きな進歩で、『強迫メガネ』みたいなものでしか事実関係を見られなかった状態は完全に脱しています。

むしろ後段に登場する『強迫心理状態の残滓』
(ほとんど後遺症みたいなもので放っておいても徐々に解消していく類のものになっているんですが→それを温存保守する構造が瓦解しているため。)
そこいら辺をトレースすると、
以下あたりの認識が「ちょっと違うかな」と思います。
 ↓
>母が無意識にそれをやっていたとは到底思えないので、
>果たして母はどこまで気づいていて、どこまで本当は狡猾で、どこまでが無意識なのか、と思います。
>たとえばこのような祖母や私との強迫ドラマを、母が本当にまったく何の疑問(あるいは違和感)もなく、無意識でやっているのだとしたら、母は私にとって巨大なモンスターになってしまいます。
>私は、幼い頃母に「私(母)を捨てたら殺すわよ」みたいな恐ろしい暗示をかけられていたとでもいうんでしょうか…。
>それとも私にはまだ自分が絶対に気づきたくないような真実があるのでしょうか??

『無意識』
これがどういうものなのかって捉え方がまだまだリアルに認識されていないですね。
「夢遊病」との対比で考えてもらえればよくわかると思うんですが(あるいは自意識が完全にショートしている認知症状態における自我の可動プロセスとか)「人はそれほど自由に動機形成というかロジカルな動きをできない」のと同時に「保守的な過去事例の反復や”投影”による仮想過去事例の反復においては自意識が抑圧されていても”さも意識的にそうしているかのように”動作可能」なんです。
専らここには高度の無意識領域を形成する『共同幻想』との関係抜きには語れないのですが、
それだけでなく、人間の脳には膨大な記憶領域があって(逆に言えば自意識はそれを完全に掌握していない)、受験などのテストがいい例ですが「覚えているのにその時意識的に思い出せない」これ普通にありますよね?
これはつまり、脳内無意識領域には膨大なファイルがあって(トラウマ現象のように関連性として自意識判断を飛び越してリンクが生き続ける場合もある)、これは投影だけでなく(事実関係の認識:類似反射など)認識にも影響与えます。

これに対する上での『自意識マター』というのは、インデックスの管理じゃないですけどOSレベルでフォルダのツリー構造やら「削除扱いフラグ」など「アドミン権限で指揮権を発動する」ようなものなんです。
しかし、共同幻想系の枠組みの中強度の強迫神経症状態の自我には「そうかんたんに自意識マターになることすら難しい」事になり(永遠の自意識共犯:無意識的ロジックを追認するだけのような状態)、主導権を持っているように見えて(感情的に騒ぐ様子などはそんな風に見えがちですが感情的とか興奮というのはどちらか言えば”反射”なので自我状態は無意識的である証明になります)

ちょっと正確性においては問題なんですが着想を生かしやすいというか、
無意識を甘く見ないために、
■映画『犬神家の一族』(市川崑の1976年版)
参考として上記映画を観てください。
(構造は全然違うんですが、私が言っている「無意識に」って表現は上記映画における高峰三枝子演じる母親の説明のつかない行動級のロジカルというか実行可能性を意図しているものです。なんというか「それはそのとおり無意識でもあり得る」のような、)

逆にいえば「それが全く無意識だからこの話は怖い」んですよ。
(違う意味で)
「なんちゃらサーガ」と呼ばれてみたり、
仏教哲学が「カルマ」なんて呼んで恐れたり、
それを知ったものが”トンデモオカルト話”と勘違いしちゃう級の代物です。
(心理学的には「それほどでも」で説明できちゃいますが、)

そうですね今回のテーマというか課題としては『犬神家の一族』観る事が一番大きいかなと思います。
(勿論TVなどでも再三再放送されているのでご覧になった事あると思いますが、それでも課題意識を持って改めて観てください。)


さて、話は戻って今後のスタンスですが、
>もう何も言えない(知らん)と思いました。
 ↑
これが正しい選択です。
以下と重ねるとわかりやすいかと、
 ↓
>母への怒りの抑圧(=実は死ねばいいと思っている)があるんです。
>その怒りは、今でもいつでもふきだしたがっていて、場合によってはその時周りにいる人に迷惑をかけます。
>もし母が情緒不安定なんだとしたら、ますます私は母に対して憎しみを口にできない、言っても通じないことになります。※現時点で私は母に自分の思ってることを言うつもりはさらさら無いです、それを前提として。

抑えるとかそういう話じゃありません。
「狼が来るぞ」で、
「ゲッ狼が」とこれをインストール(幼児における誇大性でさらに凄い狼ってことになっている)しているから、狼話の流れで「なんてことを」とか怒ったりするワケですが、
この話は「そもそも狼などいなかった」のであり、
更に言えば言った当人は「狼なんか言ってないわよ」と全く自覚はありません。
(極端に言えば記憶にすら無い)
あり得るのは「時々今でもある”あの妙に不快で耐えられない感じ”が”その時”にもあったかもね」のようなものなんです。
それを傍目で見ているだけならまだしも、
当事者として言われる立場だった人間は「あれやこれやの大騒ぎ」となったのですが、
言うならばこの物語の全体像は、というか”落ち”は『人騒がせな奴』なんですよ、
(これが残念な事にと申しますか本当にそうなんです←だから逆に恐ろしい。)
(今回とは全く関連ありませんが)巷で昨今問題になっている「実子虐待殺人」なんてのも事の発端は『人騒がせな奴現象』なんです。
(これが大規模に拡大して同時に本人に犯罪フラグが別途あると事件性に話は拡大します。注:犯罪フラグと心理的要素は全く別の論議です。)

■つまり”はこ”さんに取るべき正しい反応なんてものがこの世にあるとすれば

「は〜〜。。。」

溜息とも落胆ともなんとも表現のできない「は〜・・・なんだそれ」以上でも以下でもない。

そして「もうねやってられないから」となり、
 ↓
>もう何も言えない(知らん)と思いました。
 ↑
これが正しい選択です。

ですから、
 ↓
>最近はこのことを意識することによって、「今のこの怒りは不当な怒りだ(この人と関係ない)」と自分を静めることが少しずつですが、できるようになりつつあります。

そうじゃなくって、「怒るところも無しかオイ。。。」なんですよ、
(勿論個人的に「ったくコノヤロー」的に怒るのは正しい反応ですが、怒るにしてもニュアンス違うのわかりますよね?)

実際得体の知れない興奮(場合によると怒りと捉えられている)の元ネタは「おっき過ぎる狼」にあるのであって、
当事者同士のなんといいますか利益関係によるものじゃありません。
話を簡素にしてしまえば「最大級の判断します。アンタとは取引停止だ、」←これが最大級なんですよ、
(既に大人になるって過程なので”はこ”さんは独立事業主なワケで)
 ↓
ですから「取引停止とした過去のお得意さん」の事を後からアレコレ言っても始まらんのです。
(勿論個人的に「ったくコノヤロー」的に怒るのは正しい反応ですが、怒るにしてもニュアンス違うのわかりますよね?)

ここで見えてきますよね?
■「取引停止だコノヤロー」がちゃんとできておらず、自分自身も(まだもって依存的に)『この世に親子関係なんてものがあるのだと今でも思っている』から(親子関係なんてものは幼児のファンタジーみたいなもんですよ→現実世界にはホントの話悪魔なんてものもいませんし)まだまだ残滓が(幽霊みたいに)時々顔出すんです。


「え、マジ、そういうことってアリ?は〜・・・なんだそれ、もうねやってられないから」
ここがまだまだ十分じゃ無いのですよ。

引用なし

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【71】Re:強迫行為?について  はこ  - 2011/09/12 23:19 -

返信、ありがとうございました。
いつもお礼が遅く申し訳ありません。

前回kagewariさんにしていただいた分析によって、
話にすっと一本筋が通ったように思えました。
自分の中で終わりの見えなかった世界の出口がやっと見えてきたというか。

>母親と良好な関係にあったのは叔母(母親の妹)であり、
>(借金ネタにはこの際大きな意味が無いと考えてください、これは”目くらまし”のネタまきです。少なからず借金が事実であってもです、)
>彼女(母親)はそれ(神格化された母親が妹と仲良く暮らすことが)許せなくなり、
>何らかの理由や経緯の中で『母親を妹から引きはがした』

>祖母が認知症を発症した背景には、
>話が通じない娘(彼女)との間の強迫ドラマ(hakoさんを心理的に追い詰めているように)が関係していると思います。

ショッキングでしたが、頭の片隅ではその可能性も考えていた気がします。
認知症になる前の祖母には、いつも怒るような(叱るような?)口調で話していた母が、
認知症になった後の祖母には、赤ん坊にするような態度で。
誰にも邪魔されない文句を言われない母親と自分だけの世界を手に入れた、って
(無意識で)思ってるのかな…って。
もしそうだったらと思うとおそろしくもあり、でも色んな要因が重なり続けて
そうなったわけで、やるせないけどどうしようもないし誰が悪いとかいう話にもできないし、
もう何も言えない(知らん)と思いました。


>「なるほどね、お母さんもまー言えば女だ、そうしてみてみるとさわからなんでも無い事はあるわいな、ま、しかし君さその認識はどうかと思うよ。その偏向の元ネタはあなたの子供時代の事でしょう。その話をさ自分の家庭で蒸し返すような振る舞いがあるから私が困るんですよ。気持ちはわかるが、こっちはまだ幼児だから、そこまで大人の判断で”気持ちもわかる”みたいな度量でいろってそりゃ無茶だから」

仰る通りで、私は母の問題からの自分の問題を解決しなければならないのであって。

たとえばこのような祖母や私との強迫ドラマを、母が本当にまったく何の疑問(あるいは違和感)もなく、無意識でやっているのだとしたら、母は私にとって巨大なモンスターになってしまいます。
私は母(自分の頭の中でモンスター化した母親像)に、果たして太刀打ちできるのか?
しかし、思うに母は多分とっくに気づいているんですよね。私が母を避けていることも、
自分の描いた家族像と実際の家族が全然違うってことにも。
気づいているのに気づいていることを認めようとしてないように、今は見えます。
(もしくは本人がそれを疑問視していない場合は認めなくても問題ないのでしょうか?)
そうなると、私はますます母のメンタリティが不明になってくるというか、
目的は何なの?みたいに思ってしまいます。

このへんで一本通った筋がまたぐらつくというか…。


>「狼がくるぞ」
こういうデマを飛ばしている首謀者は「ほぼ間違いなく母親」でしょう。

思い返せば、母は私が何かしようとすることに、いつも「懐疑的」か「全く無関心」かの
どっちかだったように思います。「ほんとにそれでいいの?」とか、「そんなこと無理に決まってる」とかほぼ絶対にありえない(悪い)ことを「いや、こういうケースもあるから気をつけろ」とか言われたり。私がそれでもやろうとしたことで母の意にそぐわないことは「ああ、じゃああれもこれも全部やれるもんならやってみろ」という態度でした。

母が無意識にそれをやっていたとは到底思えないので、
それが故意であるとしたら、私は自分の弱い部分を徹底的に母に利用されていた、ってことになります。
母にとって「ずるくない」私は、物言わぬ家族のパーツにするのに都合が良かったんでしょうね。
最近の母がもっぱら私に見せる顔は、「一人で苦労している自分」「かわいそうなところのある自分」「情緒不安定な自分」ですが、それは私が母を避けはじめたからであって、私に反撃される(たとえば母から離れる)のをおそれているんではないか?と思います。

果たして母はどこまで気づいていて、どこまで本当は狡猾で、どこまでが無意識なのか、と思います。

少し前の話ですが、数ヶ月ぶりに実家へ帰ると、ドアを開けたらいきなり玄関(家の中です)に、母の自転車が置いてあって…。当たり前ですが玄関は自転車が置けるほど広くなく、今まで自転車が置いてあったことなんてなかったです。ものっすごいびっくりしちゃうんですよね、なんだこれ?って。すごい異様に見えるっていうか、不安にさせられるっていうか。この人は大丈夫なのか…?みたいな。(なにこれ?って聞くと、母は「雨が降ってたから」←?? と言ってました)
もしかしたら、全っ然関係ない話かもしれませんが。笑
なんか…今度は何だ?みたいな、とにかくこわいんですよ。母が。

もし母が情緒不安定なんだとしたら、ますます私は母に対して憎しみを口にできない、言っても通じないことになります。※現時点で私は母に自分の思ってることを言うつもりはさらさら無いです、それを前提として。

母への怒りの抑圧(=実は死ねばいいと思っている)があるんです。
その怒りは、今でもいつでもふきだしたがっていて、場合によってはその時周りにいる人に
迷惑をかけます。(過去に、男性世界に死ねばいいと思っていたように、あっちこっちに飛び火します)
しかし母にその怒りはぶつけられない。
言ってもどうしようもないのと、私が仕返ししたら、さらに巨大な仕返しをされるようで
こわいんです。

最近はこのことを意識することによって、「今のこの怒りは不当な怒りだ(この人と関係ない)」と自分を静めることが少しずつですが、できるようになりつつあります。

でも、葛藤の本質?に気づいたにもかかわらず、
強迫行為が激しくなってるんです。

・不安でしょうがなくなる、ありとあらゆる不安が自分の中から引き出される
・周囲(隣人)が全員敵に思える
・大人がこわい(←自分は大人側の立場なのでおかしいということはわかっている)
・1日に何度も手を洗う
・顔や頭皮を引っかいてしまう、髪を触るのがやめられない
・一人でいると、常に緊張している、動悸がする
・自分は死ぬんじゃないか?と思うことがある
(道を歩いていて、ただの石がなんか大きな虫に見えたりして、仰け反るほどビクっとする)
・ある時ふっと何もかも嫌になって、何もできなくなってしまう

↑は、強迫心理の最後の抵抗、みたいなものなのでしょうか。
(何度も手を洗うのと髪を触るのは昔からありました)

私は、幼い頃母に「私(母)を捨てたら殺すわよ」みたいな恐ろしい暗示をかけられていたとでも
いうんでしょうか…。
それとも私にはまだ自分が絶対に気づきたくないような真実があるのでしょうか??

最近は、会社で一人で昼食をとってる時と、外の風にあたっている時が唯一落ち着きます。
何をしていても、急かされているような、朝あと1分で家を出なきゃ遅刻するみたいな
気分なんです。

なんででしょうかね?

今回姉のことも書きたかったんですが、長くなってしまったのでやめます。


おいそがしいところいつもすみません。


>■生きるとは『抗(あらがう)』ってことです。

ものすごく心にじわっときます。
ありがとうございます。刻みました。

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【70】ザックリ言えばですが  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/07/31 02:31 -

複数の実例や、ここでは心理学的な側面も交えて裏取りして考えた場合を中心にコメントするならば、

■「あまり気にしなくても心配ありません」

家庭争議的に問題になる事例はやはり『投影を経る形』で(二次的な)恋愛関係や職場における人間関係(或いはメンタル発症世代の実子に対して)などリミッターが効かない場面になります。
(「メンタル発症世代の実子に対して」とは”幼児虐待”事例の事です←この場合も相手が幼児だから可能(当該対象とそれほど親密な人間関係が無い:後述))
ここで言う『投影を経る形』というのは(勿論今回の場合も彼の依存心理の元ネタは彼の子供時代における家族関係がベースですから二次的ではあるのですが)「今現在(強迫心理の)思惑どおりにいっていない当事者」では”無く”、ナルチシズム的に潜在化したイメージ(一度内向しているので幻想にリミッターが効かず拡大する)を投影した第三者などに極端に言えば縁もゆかりも無いのに固着する事例(その典型事例がストーカー)となるからです。
※心理系の典型事例としては「運悪く中途半端に共同幻想適応の人生を歩んでしまい”幻想家族”をそのまま友人関係(や恋愛関係)などに投影成功してしまった場合」などになります。

いわば今回の事例は「困ってしまって暴発している」のですから、
ある意味『それ以上にエスカレートする引き出しが無い』のです。
※人間はイメージでもなんでもいいのですが、自分で思いつかない事まで動機形成企画することできませんから。
(極論第三者であるとかストーカー事例のように”新聞の事件記事”をモチーフに幻想が無意識に拡大して強迫心理がありもない話をあたかもそうであるように捏造するような『小説のパクリ的なネタ借り』は、空想性が高いほど成立するため→当該対象とそれほど親密な人間関係が無いほどリスクが高まる傾向があります。:よく知っている相手の場合(誤解にも限度がある)強迫心理が都合よく解釈するにも限界がある。)

これは問題当事者(今回の場合父親)も同じであって、
「自分でも何やっているのだかよくわからない状況(パニック)」の成立要因は「自分でも知らなかった内面の強迫心理の暴露」であるため、
うろたえている自分の無様な様子を知る事が”それを知るキッカケ”にもなるのであって、
今回の問題の暴露は今後の彼の人生にとっても(強迫心理的に言えば”ヤバイ”)ネタバレ的な効果が予測されます。
(その事実を彼がどう考えるのかは彼次第なので未来の話は予言できませんが)
 ↑
あくまでも状況分析としてそういう意味だということです。
(彼がそれを利用するか否かは予測できませんが、彼が今まで自分でも気が付いていなかった「強迫心理バレバレ状態」な言動をさらしてしまった事は、彼自身にそれを考える気持ちがあれば”自分の心理を知るヒント”となる。←勿論そんな事は無かった的強弁の中心理的逃走する場合も十分可能性としてありますが、)


ですから彼がストーカーのようにおしかけてとか、大騒ぎになりなどのような心配は(勿論当事者としてそう心配する気持ちはわかりますが)心理的な分析としては「むしろ過剰に認知されがち」なぐらいに思っておく方がいいでしょう。
「こういうことあると、自分でも”過剰に認知されがち”な事例だなこれは(現実のリスクは心配するほどでもない)」
のように考えておくところだという事です。
(繰り返しになりますが、過去事例や心理的分析からも「あまり気にしなくても心配ありません」というのが妥当な線です。)


※補足すると犯罪性心理のように刑事事件的な行為を引き起こす場合(犯罪心理とメンタルとは関係が無いので)彼は普段から刑事事件的な問題をあちこちで起こしている場合となるので、今回の場合それも適応外です。
”犯罪性”というのもそれ自体がメンタル系の状態ではなく”モチーフのひとつ”であって(強迫心理がこれを都合よく解釈する場合はありますが)、人間の性善説や性悪説的思考が心理学の範疇超える話であるように(極論国が違えば何が違法かも違うワケで)、当初から(法学的違法性とは別に)「違法な事」的モチーフの選択なので(最初からそんな社会的認知を持つ強迫心理は無い)、「飲酒」や「薬物依存」などのような、自意識の選択を一度経ていないと選択されないため→違法性の選択はメンタルとは関係が無い(深い話になりますが「心理学的に考えれば刑法39条は成立しない」←自意識選択を必然とするので責任能力が無い事には選択されない:過失は例外として責任能力を欠く犯罪など無い=そこには何らかの自意識の関与があり→強迫心理単体では犯罪などの高度な動機形成立案能力を保持できない)、
つまり刑事犯的問題行動は常にそんな傾向が(素でも)見られる場合にのみ派生することになります。
(今回は犯罪心理がメインテーマでは無いのでそれ以上は説明しませんが、家庭内事件も問題は閉鎖性や無理な同居が発端となるので今回は「ひとぐらし」として家を出る話なので、その逆になります。←「事件性リスクは内向性(イメージの自己愛的肥大)が鍵」であるため。)


つまり自分にとっても彼のためにも、
▲「気にせず着々と家を出る方向に進めばよい」となります。


■今回の事例には更に重要な事実関係の確認があります。

正に一人暮らしに成功することにより「それは露見した」ワケですが、
精神分析であるとか、そのバックグラウンドで”推定”や”論証”されてきた親世代の強迫心理が、目に見える事実として「やはりそのままだった」事が確認されています。
彼の言動は(あえて心理的には不適当な差別表現を使います)「病気としかいいようがない」状態です。

ここを娘に対する家族依存ではなく(あえて心理的には不適当な差別表現を使います)「今度の話がマザコン中高年男の問題行動だったら?」として考えてみればもっとわかりやすく彼の強迫心理の姿が見えてきます。
『自己愛的な妄想とそこに依存するあまり現実を喪失するさま』
普段は目に見えていませんが、彼の深層心理や”現実認知”には常に今回暴露されたような”現実との乖離”があり、
(あえて心理的には不適当な差別表現を使います)
極端に言えば「彼は現実には存在しない”あっちの世界(幼児期に形成された幻想家族)”でしか通用しない偏向と幻想世界(蜃気楼のようなものです)に生きてきた」という事です。
そして彼が現実の行動(結婚生活)の中で実現しようとしていたのはそんな”この世に存在しない幻想家族の再生産(追体験)”だったワケで、
 ↑
やっかいな事ですが「そんな裏事情を彼自身(彼の自意識)もまったく自覚がなかった」ワケです。
(ここが心理学のキモですが)
(強迫心理の生成と自意識がまだ強固に成立していない自我というのはワンセットみたいなものなので、通常自我が強固に成立する前の自分の心理事情は逆トレースできない(これができたら自己分析できる”精神分析使い”って事になります)。)

一拍置いて
「まいったな〜」としみじみ考える時、
「やっぱりそういうことだったか」的な認知を深める事ができるでしょう。
(ここにはおおよそ家族と呼べるような社会ははなから存在しておらず、又彼らにはそれは無理な話で、自立というテーマは自分だけでなく他の家族だった彼ら全員に関わる問題だった。同時に「日本にとっても偏向の時代である昭和がプレゼンしていた”家族モデル”であるとか”クラスとしての家族”というような幻想に振り回されてしまった事例のひとつかもしれない」のような認知。)

視点を整えるとするならば、
(彼はひとりぐらしになるのではありませんが)
「自分のひとりぐらしによって彼らの自立も促す事になるワケだ」
と、考える事ができるワケです。

仮にですよ、
無理な同居が続いて、この隠れた心理が温存され(暴露することもなく)隠蔽され、このまま続いていたとしたら?
こう考える方が遥かに潜在リスクは高いでしょう。
ですから、
自分にとっても彼のためにも、
「気にせず着々と家を出る方向に進めばよい」となります。

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【69】今後の父親との関わり方  早恵  - 2011/07/29 20:39 -

1人暮らしを始めることになりました。
父親は納得いってないようです(母親も寂しがってますが、父親はもろに態度に出してきます)。
私が部屋にいると、昼間に何度も呼び出してきます。
「近くにたくさん就職口があるのにどうして遠い場所で仕事を探すんだ」と何度も聞いてきます。
それに対して私は「この家から出たいの。この環境に育って私は幸せじゃなかった。あなた達といるとこれ以上精神的に病んでしまう。自殺も本気で考えた」と返しました。
父親は「そんなのすぐに治る」「仕事が軌道にのって、精神的に良くなったら戻って来い」とばかり言います。
何回か部屋のドアを開けてきてと「考え直してくれ」「どうして近くの就職ではだめなんだ」と言ってきます。
「しつこい」「そういうのをストーカーだというんだ」と私がきれると「どこがストーカーなんだ」と言うだけです。

先日父親が「弁当を買ってきたんだ。最後だから一緒に食べてほしい」と言ってきたので、(このくらいは付き合ってもいいだろうと思って)少し付き合いました(普段は部屋にこもりきりなので、親とは全く一緒に食事もしてません)
それで、父親と一緒に弁当を食べてたのですが、いつものように
「早恵に聞きたいことが山ほどある。どうして近くで就職しないんだ?」と聞いてきました。
「希望してた職種がこっちにはない。距離的に通うのに限界がある」と言ったら、
「(父親は本心から納得してませんが)理由は分かった。聞きたいことがたくさんあっても早恵が家にいなくてなかなか話もできなくてイライラしてたんだ。聞きたいことが聞けた。
もし何かあったら帰ってきたら良い。こっちで就職口を探せば良い」と言い、引越し祝いまでは行きませんが、父親がお菓子の詰め合わせを私に渡してきました(一応父親からの気持ちとして形だけ受け取りました)

その後どこに引っ越すのか聞いてきたので住所を言ったら(在所までは言いませんが、狭い町なので探せば分かる)、
「遠いな(実家から国道で1時間)。こっちから行こうにもなかなか行ける距離ではないな」と言ってきました。
「来られても困る。余程用事があった時だけ電話して来て、必要があればこっちから行くことはするけど、そっちの方からは来ないでほしい」と言ったら、
「そうだな。事前に連絡するべきだな」と父親が返してきたので、
「事前に連絡があっても用もない時に(ただ私と会いたかったという理由だけで)私のところに来られても困る。たまには実家に帰るから」と返しました。

ただ引越し前夜になり、父親は私の部屋に来てドアを開けて最初は「体に気をつけてな」と言ってきて、また5分後に勝手に私の部屋のドアを開けて「仕事で力をつけたら帰って来いよ」と言い、また5分ほどして部屋のドアを開けてきて「自分で仕事ができるようになったらこっちに戻って来いよ」と言ってきました。
母親が父親に「分かったから」と静止しても、「おまえには話してない!!早恵に話をしてるんだ」と母親にきれてました。

引越ししようとすると、朝寝てる時に勝手に私の部屋に入ってきたり、父親が車のドアを開けてきたり、車に乗り込んできて「仕事に慣れて、そのうち戻って来るんだぞ」と言ってきました。
父親を切り離すのに大変でした。

父親の心理は想像つきますが、彼の性格からしたら何をどう説明したって納得しない。彼は私達がいつまでも実家にいて、家族の交流を持てない限りはどんな説得でも応じない。
1人暮らしを始めても、今後は父親が引越し先に押しかけてくるんじゃないかと憂鬱です。

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【68】そのまま読んでみましょう  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/07/01 22:37 -

>あれからまた一ヶ月間続けてきた単独行動ですが、
>かなり大変です。
>心として前向きであるものの、
>頭と体が追いつかないんです。
>頭と体が躍起になって依存の先を探し続けています。
 ↑
ちゃんと自意識の本音が(無意識に)記号化されてます。
デ・コードしましょう。
「あれからまた一ヶ月間続けてきた単独行動ですが、かなり大変です。頭と体が追いつかないんです。」

■『全力で走れば追いつきます』よ

(マジな話です「ランニング不足」なのだと思います。←これは本当にそのままで「万歩計的な日常生活の走行距離が不足している」と考えてもいいです。”単独走行距離”:関連キーワード<単独大西洋横断)


前段を(実は既に自分で答えがわかっている)ベースに読み直すと以降に既に答えがあった事が確認できます。
>条件反射のように、長年染み付いた感覚によって体が動くようです。
「そこ(強迫時代)に(走行距離不足で)留まっているから」ですよ、

>大勢の「人」の中へ入っていった瞬間、
「大勢の人に中に入っちゃいかんでしょう(笑」
何度も言うように”単独走行”がテーマな状況であり、
>あれからまた一ヶ月間続けてきた単独行動ですが、
と言いならが「大勢の人」じゃ「一ヶ月続けていない」って事です。
大勢の人相手じゃ単独行動にならない。
 ↑
これは婉曲的な意味なので後段読み進んでください。


>身体が硬直して、頭の中は暴走して(頭の中に、一気に人が四、五人現れて、それはこうだ、あれはダメだとまくしたてるんです)
>一時間や二時間でヘトヘトになるんですが、
>それでも授業が終わるまでのもう三、四時間、帰れないでいると
>体力が残ってない分、頭の中ではさらに危機感をまして…
>もちろん授業なんて頭に入ってきません。
 ↑
なんで授業なんて行っているですか(笑
現段階では勉強などクソの役にも立たないと説明していませんでしたか?
自意識の本音で「マジに勉強したい」のなら人の少ない図書館にでもひとりでいけば「ゲーが出るほど勉強できます」。
 ↓
>疲れてしまいました
>今は、外へ出歩く元気もないです
>家でじっとしているのも、つらいです。

ほら、問いのおかしさに気が付きました?
(”騙し絵のトリック”発見できません?)

「外へ出歩く元気も無く、引きこもりも勿論辛い」
極論”リストカットの量”の告知に見られるようにナルチスズム的には「生きるか死ぬか的に辛い」ってテーマの話です。
ところがです。

と こ ろ が

その原因は?
「一時間や二時間でヘトヘトになるんですが、それでも授業が終わるまでのもう三、四時間、帰れないでいると」ってあーた、
生きるか死ぬかって時に、何学校いってんですか?
しかもですよ、
ここで最初からもう一度読み直してください。
「生きるか死ぬか的に辛い」の直接的原因は「クソの役にも立たない学校行ったから」。
変でしょ?

逆回ししてみましょう。
(映像手法である「VTRの逆回転映像」でイメージしてください)
「生きるか死ぬか的自己愛状況でリストカットのシーン」(原因は?)→「外に出歩く元気も無く疲れ果てている絵」(原因は?)→「何故だかわからねど能天気に(後で生きるか死ぬかの原因となるのに)学校などに行っている」
おかしいでしょ、
 ↓
シーンを並列させます。

「生きるか死ぬかって自己愛的状況」ってゆゆしき事態なのに「いけない、学校に行かなきゃ」、
ってアータどんだけ暇なんですか?
これはですね、福島第一で原発爆発しているのに「時間だから学校行かないと」と言っているようなものです。

ですから、
「生きるか死ぬか的自己愛状況でリストカットのシーン」が想定されるので(強迫心理がいかにもやりそうな事なので)、現状判断としては『共同幻想的空間』は(強迫心理を刺激するので)むしろ避けるべきで(仕事上で発現した鬱症状の会社員が心療内科で「休職」進められるのと同じです)、「単独行動でランニングしてください」なる状況なのに『事もあろうか学校行った』って話です。
目先の重要性はあっても人間の人生なる哲学的フェーズで「たかが目先の学校行ってたか行ってないか」なんて何の意味も無いですから。
自意識がマジに研究したいと取り組んでいる「マジな研究欲求」なら別ですよ?
なら別ですがー
「マジな研究欲求」って何でしょう?
「授業サボってでもひとりで図書館に籠って研究したい」って事ですよ。

ある意味現状(あくまでも暫定的な現状判断ですよ)、
「暴走族から足洗おうとしてんのに、付き合いだからと暴走族の集会に行ってどうする」ぐらいのカウンターで考えていいって事です。
で、集会帰りに「これじゃ暴走族が止められないと(グッスン)リストカット」って、、そりゃないでしょう。
ないですよね?

繰り返しになりますが、
一拍置いて冷静に考えれば特別難し事じゃありません。
(てか、自然に考えれば「どう考えても変」なんです)

>目の前の世界は歪んでいるし、
風通し悪いからです
(強迫心理による”モヤ”がかかっている→言えば蜃気楼のようなものです)
 ↓
だから”モヤ”がかかっている場所から「風通しのいい公園」であるとか「居心地のいい喫茶店」であるとか「空気のおいしい観光地のひなびた旅館」であるとか「ギラギラと原色ベタ塗でクッキリ明解でわかりやすい場所」などにいかないといけませんよね。
(或いは”避難”)
「一人でランニングして」
(一日10キロとかノルマにしたら相当歩きまっせ)
>とにかく、一つひとつ、息を吸って吐くだけで焦燥感で胸がいっぱいになって、どうしようもないです。
 ↑
ですから空気が悪いんですってば、
ゴテゴテしたキャスティングにグロなメイクにシツコイ演劇観て(しかも劇場は湿度が高くて息苦しい)オエッとなっているんですよ。
「あー胃がもたれる演劇だこりゃ」と、
だったら走って劇場の外に出ればいいのであって(勿論ひとまずは”ひとり”で)、

>とにかく、一つひとつ、息を吸って吐くだけで焦燥感で胸がいっぱいになって、
 ↑
こういう現象で息苦しくなる時にはですね。
100Mダッシュ30本走るとか、
1万メートル全力疾走してください。
「別の意味で息苦しくなります」
(別の意味なので走りきったら「息を吸ってほっとできる苦しさ」です)

■ここ本当にマジな話をしているのです。
今一番重要なことは「ランニング用のシューズを買う事」だと思います。
(「ランニング用のシューズ」は婉曲的意味です)


>リストカットの量がこの一カ月の間で一気に増えました。
>心療内科の先生には、15、6まではそういう衝動が抑えられなくてねぇ、なんて説明され。
>そうですよね、私はガキです。
 ↑
『リストカット』は”オナニーの一種”なので、
本人それほど気にしていないなら無理に止めるとか止めないとかって話じゃありませんが(それはオナニーのやり方もひとそれぞれで中には想像もしない方法でって人もいるでしょうから)、自分自身「これは止めたい」って事であれば、『リストカットするなんて変態』とかってフラグを立てる事で一定の効果あると思いますが、
(詳しくは後段)
心療内科の医師が「15、6まではそういう衝動が抑えられなくてねぇ、」と言っているのは「15、6まではマスターベーション真っ盛りの時期だからねぇ(思春期長い人は長いかもね)」と解釈するとわかりやすいかと思います。
単純な対抗策は「ドロドロした内容のレディースコミック」などを読むなどですが(そもそも”リストカット”が選択される理由が”性の嫌悪”であるため→なので性行為のバリエーションの中から”リストカット”が選択されていますし「レディースコミック」が解決策とは解決と言っていいのか自体怪しいですし、)、
そうそう短絡的なものでは無いので、学問的背景を考えてみましょう。

※ここでフロイドの”リビドー論”まで飛躍するのは行き過ぎで、冷静な論議として考えても「鬱症状化では性欲が減退する」などの現象が確認されていますから(80年代などの欧米でメンタル性の不眠などにポルノ映画が勧められたり)、判断の鍵は『鬱的内向(ナルチスズム的興奮)』が間接的ではあっても「性行為を代替する」ということで、逆に言えば『鬱的内向(ナルチスズム的興奮)』が(ここは広義では無く)”狭義の性的興奮に近いものだ”という事であり、欲求の代謝が日常生活なりの「動機形成と企画された行動の起動」を阻害するため”広義も狭義も差別なく”欲求不満状態に陥り(動物は行動停止=飢え死にですので)脳内が快感代謝(”やったー””終わったー”などの行為の達成感→”間違ったー””負けたー””失敗したー”でも可なのがポイント:快不快原則<脳内では興奮を伴えば快でも不快でも快感)を要求し、外部での行為がなかなかスムーズにいかない状況「今は、外へ出歩く元気もない」ですから→「これでは達成感なるものの快感を(個人でできる狭義の)性欲に求めるしかないか」などの脳内処理で(一度性欲による代謝に成功すると”反復再現性の原則”からこれに依存し)それが習慣化してしまうもの、と考える事ができます。
(鬱的不快感興奮や性依存症やリストカットなどは上記流れにより構造・習慣化する。)


「この一カ月の間で一気に増えました」←この理由は(外出もできないぐらいなど日常的に代謝する”行動欲求”が欲求不満として累積しているからで:ある意味会社の仕事でストレス溜まった会社員の風俗通いが止まらなくなるように)『欲求不満』だからです。
 ↑
私が「ランニング」として表現している事はその「なんでも無い日常の行動」の部分で、
(自然の動物は檻に入れるだけでストレスで命を落とす場合もあります。人間の性欲は動物世界の中でもモチーフとして異例なものなので→リビドー的解釈よりむしろ”広義の解釈”の方が合理的です。つまり”欲求不満”の過半は「日常性の行動欲求である」。)
人間の欲動総量と言いますか”欲求”というものは「動機形成と企画された行動の起動」の事なので、特別に快感が予定された行為を求める事に限った話では無いのです。
(むしろ「特別に快感が予定された行為」の方が全然少ないでしょう。←ですから”狭義”)

これをシンプルなモデルにする場合(現状複雑な行為を動機形成する体力が疲労により自我に不足していると判断し)、
「はい腕を思い切り回してー、次はステップします、前ー、後ろー、後ろー前!(どこ向くのよ)その場でジャンプしますよー30回!(30回て、)」のようなですね(ですから勿論エアロビクス教室に通うとかでも全然アリです)、「ピッ、ピッ、ピッ」と『自意識企画によるシンプルな行動(運動)』が欲求不満の代謝に効果的です。(勿論腹筋300回でも縄跳び1000回でもいいです)
 ↓
これを一連の行動にした場合(同時に「学校に行ったから死にたくなった」のような部分への対抗軸として)

■「往復10キロ歩いて、お気に入りの喫茶店でおおよそ人には見せられないドロドロした内容の退廃的文学作品を読んだ」のような行動になります。

さてここで最初の問いに戻ります。
前述の「10キロ歩いて…」と「今から学校に行く(逝く)」、
どちらが(今のメンタルにとって)健康的か、
(或いはどちらが「自意識にとっての”自由”なのか」)
※今必要なことは『大人(の自分)が考える反抗期(自我の現実アップデート)』であることに着目してください。

この判断があれば迷うことなく、一ヶ月経過して「情けなくて、悔しい」思いをする事は無い筈です。

<今回のレスはトータルでも婉曲的になっているので、「そこから先」はyuttieさん自身の自意識で考えてください。>

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【67】Re:いくつかの各論と推定  yuttie  - 2011/06/29 19:40 -

お久しぶりです。
あれからまた一ヶ月間続けてきた単独行動ですが、
かなり大変です。

心として前向きであるものの、
頭と体が追いつかないんです。
頭と体が躍起になって依存の先を探し続けています。

条件反射のように、長年染み付いた感覚によって体が動くようです。
大勢の「人」の中へ入っていった瞬間、
身体が硬直して、頭の中は暴走して(頭の中に、一気に人が四、五人現れて、それはこうだ、あれはダメだとまくしたてるんです)
一時間や二時間でヘトヘトになるんですが、
それでも授業が終わるまでのもう三、四時間、帰れないでいると
体力が残ってない分、頭の中ではさらに危機感をまして…
もちろん授業なんて頭に入ってきません。

結局、体はボロボロで、でも一晩中緊張が続いてうまく眠れず、…課題も予習もできず。

安易な事を言うかもしれませんが、
なにかアルコールや薬物の中毒から抜け出すのかというくらいの感覚です。
心と体が全く別物で
物凄く辛いし、どうしようもないです。


なにもしたいと思えないし、何もできる気がしない。
リストカットの量がこの一カ月の間で一気に増えました。
心療内科の先生には、15、6まではそういう衝動が抑えられなくてねぇ、なんて説明され。
そうですよね、私はガキです。

目の前の世界は歪んでいるし、
口を開いた瞬間どうしようもない悪ガキとされていたので
記憶もないほど遠い昔から感情の抑圧というものを第一の信条として生きてきたから、
言ってしまえば
その当時から今まで生きた心地なんてしたことほっとんどなかったし、
最初からこんな奴いなかったんだといって、どこへでも消えていけたらいいのに
とにかく、一つひとつ、息を吸って吐くだけで焦燥感で胸がいっぱいになって、
どうしようもないです。

心療内科の先生に、少し気持ちを抑圧できるようになれれば、とアドバイスされましたが、
もう、気持ちを抑えるのは恐ろしくてならないです
抑え込みすぎた結果、おととし通り魔になりかけたので

疲れてしまいました
今は、外へ出歩く元気もないです
家でじっとしているのも、つらいです。
情けなくて、悔しいです。

引用なし

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【66】いくつかの各論と推定  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/05/22 23:16 -

>母父とも、もの静かで、論理的、合理的な考え方を好むような人で
>二人ともかなり我慢強いと思います。どちらも朝から夜遅くまで働いているのに
>愚痴をほとんど聞いたことがありません
>ただ面倒なことが、特に母親は、大嫌いでした
>キャパギリギリまで背負い込んでる状態で、
>もうこれ以上何かを背負うことを全力で拒否する感じです
 ↑
端的に言えば本音の抑圧と強迫心理ですね。
(強迫心理の特徴のひとつは”ステレオタイプ”ですが、これは時々論理的合理的と誤解されます。論理的合理的なる発想の本質は融通無碍にイロイロな抜け道見つける上手みたいな(オルタナ)ところが本領で、結果窮屈になるのは論理的でも合理的でも無いのです。)

>こっちはずっとなだめすかしてんのに調子に乗ってんじゃないよなんて言われるものだから、
>我慢して付き合ってたけど本当は私のこと嫌いだったんだと落ち込んで、
 ↑
完全に赤の他人状態(自我を持ち始めた子供に対しても一般社会の大人相手と同様の対人恐怖や過緊張が出ている)。
というか家族法人取締役的パフォーマンスが全然無理であると、
(イメージ的には融通の利かない無能な中間管理職のそれに似ています。)
◎ここから彼らが家族法人を立ち上げしたのも彼らのステレオタイプがそうだったからで好き好んでのものじゃないでしょう。
(強迫的な家族法人設立←彼らも”誰か”を権威的に意識しての行動で彼らの本音(自由意志)は抑圧されている。)

>ショックだったのは、
>9歳のころ突然父にイタズラされそうになったことです
 ↑
ここは話半分に減額してください。
(事実関係を否定しているワケではありませんよ。以下に詳細あるようにこのような類する話は裏取り含めて慎重に確認していかないといけない要素が可能性としてですがひとつのリスクには違いないためです。)
根拠のひとつは一時大きな話題になった欧米社会の実子に対する性的虐待のかなりの数が誘導尋問的な記憶偏向も少なく無かった点。
それから特に日本においては小児性愛は欧米に比べて少数派であるのと、以下の証言です。
 ↓
(何回か前の証言)
>私は親に特別意地悪をされたわけでもなく、家庭環境が悪かったわけでもないのですが、それでも、こんなことは有得るのでしょうか

分析の過程で誰かが悪い的に認識の歩留り(本来はその向こうに彼らの強迫環境も知り”業(ごう)”というか”性(さが)”というか仕方の無い世界だなほんとのようなジャーナリズム的視点に至って理解なので)過程で、悪感情から記憶の一部(前の証言との間の乖離に注目)”特に印象”に関しては割り引いておくのが賢明であるためです。
(いい悪い論に認知が引っ張られるのも強迫心理の特徴(道徳野を占有して抑圧の原動力とする)です。)
更に言えばくだけた家庭の場合父親が娘と中学生ぐらいまで一緒に風呂に入るなど性に奔放な文化を持つ日本の場合あってもおかしくないもので(当然性的な馬鹿話もアリで)、欧米における問題は宗教的抑圧とその反動ですから(倒錯の意味合いや経路が大きく違う)、全てを性的虐待の枠組みで見るのには一定のリスクがあります。
※欧米の小児性愛と違い日本の場合には性に未熟(或いは未発達)な年少者等の男性が傾倒するなど倒錯が別経路となっている。
※むしろこの場合『夫婦関係の問題を考える』背景のひとつと考える見方もあります(後述)。

推定のひとつとして強迫により人格破綻傾向のある両親の父親が(強迫下で)抑圧されていた自意識が(彼の本音には娘が可愛いなどの意識あったでしょうから)、対人恐怖そのままにおぼつかない方向を辿り「娘には嫌われるは・それを問題の妻(ここで夫婦関係の推定)に見られるは」という(自意識を更に抑圧しなければならない袋小路的な)絵というか場面に(可能性として)目を向けるべきでは無いかと。

ここでの嫌悪感は妻(母親)の父親の自意識を嫌悪し蔑視(抑圧する)視点がyuttieさんの視点に(そのまま強迫心理として)影響している可能性があるからです。
(認識の歩留り論と一致する。)
※専ら男性嫌悪心理の一部は『母親の強迫意識』が大きく関係している可能性もあります。
(ここも推定ですが:後述)

その認識ベースで見ると以下の状況は別のものに見えるかもしれません。
>同時に父は私からパッと離れ何事も無かったかのように去っていったんで、


>恋愛や、それに関係する話題に吐き気を催してしまいます
>それともただ私がまだ大人になりきれていないからでしょうか
性の嫌悪にはいくつかパターンありますが、
自分の性(大人になる=子供の心理で依存関係にある家族社会を喪失などから)に対する嫌悪や、
性(ジェンダー)そのものに対する嫌悪で、この場合『母親との同一化(女性の子供の大半は一時期この過程を経ます)』の影響などですね。
つまり彼女が強迫的人格であり且つ婚姻しているとすれば→大人になっていないまま強引に結婚していることになるので、性的快感認知は過去の自分の家族を対象としたまま現夫となるワケですから、夫婦関係において潜在的にも顕在的にも夫を嫌悪している可能性かなり高いです。
(無意識下のファンタジーは自分が子供時代所属していた家族社会の中のなんとやらとなり(強迫心理特有の特権階級意識となり)現世を(一般他者である男性全般を貴族社会から)卑下するなど、)

母親が主導的役割で強迫家庭となった事例では特に娘が父親などを(問題のある母親の伝聞情報などを元に)誤解から過剰に嫌悪しているなどのケースも少なくありません。


>私が人に依存することに未練たらしく拘泥していたのは、
>高校のとき入った部活でかわいがってもらっていたからだと思います
>ただ誰かに認められている、だれかがちゃんと見てくれていると思うだけで
>なんでもできるような、どんな困難も乗り越えられるような気持ちだったんです
 ↑
これは非常にアンラッキーでしたね。
時々あるんです、
偶然と言うか特定社会に対して妙に社会適応してしまい『妄想家族を仮想実現してしまう』ケースですね。
(現象としては全く違うのですが構造的には不良化と暴走族(代理家族)ともクロースする部分あります。)
依存関係には”スカウティング”という過程を経る事も多いので(必ず強迫心理にとって都合のいい相手が選ばれている)、潜在意識の強迫心理は「妙なお墨付き」を得て暴走し(温存拡大)、その後に強い反動性(行動の過激化など)帯びる場合もあります。
(ズルズルと当時の関係者との関係が続きその都度何らかのアクションが強迫トリガーを引くマッチポンプとなる場合もあります。)

>両親に退部をせまられ鬱病になって、結局途中で退学してしまいました
>偽親によって本当の親から引き離されたような気分でした
 ↑
この当時の記憶も”印象に関しては”割り引いて考えるべきでしょう。
「強迫心理のいい悪い論に極めて都合がよ過ぎる話になっている」からです。
(結果として強迫心理の拠り所である『幻想家族』が過剰に美化されて終わっている事に注目。)


>悲しみや恨みや憎しみ怒り寂しさが抑えられずに垂れ流しになっていて、
>しかもいくら吐き出してもつきないんです

つきないのはそのルサンチマンそのものが『誤解』だからですよ。
(イカレタ家に生まれたとか、トンデモ暴力両親だった的な事は何とでも無いと言えば極端ですが(理由が幼児や子供にもわかりやすい”そのまんま”な内容の場合メンタルな問題に発展しない)、ルサンチマンの根拠を想像すれば簡単です。「本当なら○○や○○など子供的にも大変幸福で快感のある○○な幸福を奪われた」←前段が自己愛的に増幅すればするほどルサンチマンは拡大する。)
極端な話生きるか死ぬか寸前の状況で育ったとしても「自分自身だからどうしたなんですよね(←今元気に生きている事が証拠)」であってなんら不思議では無いのです。「ほんとにね(笑、あのクソ両親とか思いますが、いえいえ別段怒ってもいないですよ。てか怒っても仕方ないでしょう、彼らもあーやって生きてきたんですから。」
 ↑
問題は事の軽重(なんでしょうね抽象論になりますが幸福の軽重でもなく)とは全く関係無いのです。

わかりやすいのか、わかりにくくくて「幼児の心理がその説明に幻想を必要としたか」この差異です。
(いい子幻想も全体の幻想の延長上にある”ナンセンス”なワケで)

>自由の前に、安心できる場所でゆっくり休みたい…
>十数年前からずっと、なんとなく疲れていたそんな感じで、
 ↑
これはいかんですね。
ゆっくり休んで滋養付けたいのは強迫心理ですよ。
(依存先の喪失に焦っているんですよ。)
※そんな都合のいい先はありませんから、仮にそう勘違いして依存した場合、勿論そこにも現実社会ありますから(過度に社会適応しないと捨てられ妄想などとなり)下手すると誰かを殺意に近いほど恨んでしまったり、関係悪化したり、場合によると過度の社会適応意識から「○○ができないからだ」などのような偏執的な妄想に囚われたりなど問題が悪循環化し現実に現象として波及してしまう場合もあります。

疲れていたのは依存先との関係を固定化するために無理をして「それこそクソの役にも立たない勉強したり」ですね、
一見応援している人(実体は強迫心理の取り巻き)を美化しちゃったりですね、
随分自意識の本音から遠くまで来ちゃったからです。
辿りついて「なにかしたいの私」状態であると、

ゆっくり休むなら「ひとりでやすんでください」。
(引きこもりと意味は違いますよ。ひとりで喫茶に行くとか、図書館行くとか散歩するとかのんびり過ごすということで、)


>単独行動していますが
>生きること自体またすこしだけ苦しいです
 ↑
それでいんです。
世の中ね、基本生きるってのはある程度疲れるなど苦痛も幸福のうちですから。
散歩したって疲れるんだし、読書すれば肩も凝るし、
登山は命がけだし、硬球当ったらデッドボール洒落にならないし、
最初に飲んだ酒はマズイものだったり、最初の喫煙はクラクラ気持ち悪いものだったり、
幼児にブラックコーヒーの味はわからないし、
何か上等なもの食おうと思えばハードに働くとかね、
海女ごっこだとばかり海に潜ればだれでも息が苦しいのであって、

『疲れられる』ってのは自由な自意識の発露として「こっちいくと選択」した結果(モチベーションの発動にも成功)その過程を証明するものであって(確かに企画立案と行動のハンドル握ったという)、腕立て腹筋などハードにトレーニングすれば誰だって苦しいですがそれは『不幸の逆さま』ですから。


>自分の状況を一年前と比べて少しは客観的に見られるようになった分
>少し余裕を持てるようになっています

言うならば上記二行が現在の自意識の本音であるということでしょう。
(レスはその二行だけでよかった)
と考えてみればですよ?
以降に続く話のおしまいが→「強迫心理擁護ともいえる方向に揺れている」とも見えるのであって、
前段二行が以降の反動となる文章構造となり、
(そういう内容は現在の自分の自意識の思惑とは違っているので)
 ↓
>かなり具体的で、さらに他愛のない話で、返信にすらあまりなってなくてしまいました

こういう感想になったのでしょう。
(自分でも違和感がある)
>ごめんなさい

いえいえここは私に謝るところではなくって、
自分の自意識に謝るとことです。
「スマン俺、余計なこと考えた」←という感じですね。

引用なし

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【65】Re:各論でいきましょう  yuttie  - 2011/05/22 00:10 -

お久しぶりです
掲示板の投稿、何度も読み返させていただいています
私おんなじことしかいってませんね
その考え方を今すぐ断ち切れるかどうかは別として
最近それがやっとわかってきました

最近大分落ち着いてきました
いや、落ち着いてはいないんですけど、
自分の状況を一年前と比べて少しは客観的に見られるようになった分
少し余裕を持てるようになっています

両親は対人関係についてはやはりふたりとも変わった人です
私を社会適応させようとしていたかどうかはわかりませんが

母父とも、もの静かで、論理的、合理的な考え方を好むような人で
二人ともかなり我慢強いと思います。どちらも朝から夜遅くまで働いているのに
愚痴をほとんど聞いたことがありません
ただ面倒なことが、特に母親は、大嫌いでした
キャパギリギリまで背負い込んでる状態で、
もうこれ以上何かを背負うことを全力で拒否する感じです

面倒の塊みたいな幼児期にはよく怒られていました
なにかねだったり、あんまり甘えようものなら、
急に声色が変わって
こっちはずっとなだめすかしてんのに調子に乗ってんじゃないよなんて言われるものだから、
我慢して付き合ってたけど本当は私のこと嫌いだったんだと落ち込んで、
とにかくあまり自分が主張できるような余地が無かったので
なるべくいい子でいようと思ったのは、そう思ってからだと思います

ショックだったのは、
9歳のころ突然父にイタズラされそうになったことです
大声出したら隣の部屋から母親が駆けつけてくれて、
同時に父は私からパッと離れ何事も無かったかのように去っていったんで、
9つながらよくないことされたんだと思いました
ただ父が理性を失って感情を爆発させたのを見たのはこれきりです
あれは夢だったんじゃないかと思ってしまうほどです

家族の結びつきなんて幻想だとわかっているとしても、
やっぱりショックです。なんなんでしょう
そのせいでしょうか、恋愛や、それに関係する話題に吐き気を催してしまいます
それともただ私がまだ大人になりきれていないからでしょうか

私が人に依存することに未練たらしく拘泥していたのは、
高校のとき入った部活でかわいがってもらっていたからだと思います
ただ誰かに認められている、だれかがちゃんと見てくれていると思うだけで
なんでもできるような、どんな困難も乗り越えられるような気持ちだったんです
両親に退部をせまられ鬱病になって、結局途中で退学してしまいました
偽親によって本当の親から引き離されたような気分でした

たぶん、幼少期からなにも主張しないぶん、
今まで精神的に全く成長できていないのではないかと思うんです
それと、小さな頃から奥底にしまってきた
悲しみや恨みや憎しみ怒り寂しさが抑えられずに垂れ流しになっていて、
しかもいくら吐き出してもつきないんです

自由の前に、安心できる場所でゆっくり休みたい…
十数年前からずっと、なんとなく疲れていたそんな感じで、
目に入ってくるもの何もかもが怖い

単独行動していますが
生きること自体またすこしだけ苦しいです

ごめんなさい
かなり具体的で、さらに他愛のない話で、返信にすらあまりなってなくてしまいました

引用なし

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【64】追記解説ということで  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/05/18 20:50 -

>雑用係しかこなせない人は自分も含めて社会のお荷物だと思ってました(今ももやもやしてますが)。
私の年齢からみれば男女雇用機会均等法なんていうのは最近の話しでして、
私の年齢からしたら「女性は一般職で(お茶くみ)、短大出て大企業の一般職というのが最強の結婚活動(逆に4大なんていくべきじゃない風潮もあった)」というのが定番でした。文中にあるように”最強”だったのです、
(勿論こういう習慣的風潮そのものが社会差別となり→男女雇用機会均等法となるわけで)
言えば戦後からついこないだまで日本の大きなトレンドは「女性は電話番とお茶くみしかしない」だったのです、
(採用時から完全に切り分けされていた)

上記流れが完全に途絶えたかと言えば違いまして、
今でもハローワークの求人事務職で女性の方が有利なのは受付や電話番など”暗黙の希望”で会社は女性を採用したいのであって(対応的にもソフトタッチになりますから→親切な女性が対応しますのようなキャッチコピーがあるぐらい)、実際に現場には差別と関係のの無い”一般事務職(現代的一般職)”が存在します。
そして、それがお荷物だったら大変なワケです。日本の経済ガタガタになります、


つまり偏向し(誇大化)した共同幻想的強迫心理特有の”権威主義認知”の名残がまだまだ残っている。
(メンタルな問題では無く当時解釈されていた”偏向知識”が残っている)
これはオセロゲームのように逆さにすればいいのであって問題の大小から言えば”小さな問題”です、
しかし、仮に「所謂立派な仕事(何のことだか抽象概念でわかりませんが)に拘り、雑用係を蔑視する視点へのこだわり」があれば”強迫心理が興奮している”事になりますから「はいはい、これは黒から白」とパチンと裏返しにできない(強行に抵抗)のであれば問題だとなります。
言うならばどこも誰も頼んでもみない(或いはきいたことすらない)「強迫心理(幼児期自我がベースなので端的に言えば”子供の勝手な想像”的な影響を受けていると考えられる)の勝手な想像があたかも”誰か存在もしない権威者”が命じたかのように思い込んでしまう」。
神経症含めて典型的に見られる”過度の社会適応傾斜”に頻繁に見られる現象です。

(勘違いされた特権階級意識←本人そのつもりは全くないが、はた目から見れば”過度に立派であるべきで雑務など私にはあり得ない”というスタンスは結果論として自然に仕事しているスタンスの構成員(そつなく業務が終わればよいのであって別にできなくちゃいけないなんてないわな)を知らない間に蔑視しているのと同じ事に気が付かない(私はあなたたちと違う)。←これは強迫心理の組成が家族社会の中で幼児や子供という”被差別特別枠”であるところの反動みたいなもので、典型的な幼児心理の誤謬です。)


>仕事をこなし、オフは友達とはしゃぎ、好きな人や家族と過ごすことが人間の幸福なんだと思ってました。

本当の酒飲みが静かに銘酒を一杯とか、昭和サラリーマンが一日の終わりに晩酌で一杯など、
 ↑
もちろん幸せな世界であるだけでなく感情的にも豊かなシーンですが
嬌声挙げてはしゃいで大騒ぎしませんよね。
(子供じゃないんですから→思い出してください第三者が顔をしかめる「しまつにおえないガキ」の定番は「嬌声挙げて(興奮がとまらず)騒ぎつづける子供」のことです。メンタル的発現としては世間から忌避されるその典型事例が『暴走族』。)

補足すれば家族も友人関係も基本は全て「赤の他人」です。(血縁や友人関係の縁があるだけ)
勿論そういった関係の中にも実を伴った深い関係性が成立する場合ありますが、その場合呼称が変わります。
気の合う家人とか親友とか、
共同幻想社会ですらわかっているのです。
大人同士の信頼関係を前提としない場合、家族もただの呼称で(血縁というだけで赤の他人である)、友人もただの呼称です(友人というだけで実体は顔見しり程度)→だからワザワザ『親友』なんて言葉が”別途”あるのです。
※逆に『親友では無い友人の定義』や『個人的には親しくない血縁』と考えるとわかりやすいかもです。

共同幻想社会における”個の論理”は『共同幻想社会(世界)内の論理』なワケで、更に意味合いを紐解けば、
血縁とか友人関係というのは前提となる共同幻想の道理なのでこの際関係無く、彼らとしても何がいいたいかって「キモは大人同士の信頼関係だ」ってことです。(ベースラインは個と個←なので個体は各個に自立独立していなければならない)
ですから、逆説的に言えば「家族でも友人でなくともよい(これは共同幻想成立に関係するキーワードで特別自意識にとって個人的意味は無い)」重要なのは独立し自由に活動する自意識(大人性)が、信頼関係をもてる相手となるのです。
信頼関係があれば相手は「馴染みの店の店員でも、身分違いの上司や部下でも、普段交友関係のない知人でも、ネット社会における媒体でも(下手するるとロジカルな概念であれば人でなくてもいい→これが哲学思想などの学問や強い趣味性や美意識など)」いいのです。
(勿論人間以外の枠であれば、愛猫や愛犬でもいいワケです。人間よる遥かに哲学的な個体も存在します。←この場合も大人として大人同士の仁義を切るから見出せるものです。)

※それこそ信頼関係が揺らいだ夫婦は同居に耐えかねて別居なり離婚するのであって「なんでもかんでも家族と過ごすことが幸福では無い」この場合も内容次第(だったら外形や共同幻想的属性呼称(夫や妻のタイトル)は二の次)ということです。

勿論構造的には個の幅が大きい単独者は(呼称と関係なく)誰彼となく信頼関係を派生させるには有利です(所謂ネット空間におけるコミュニケーション論じゃないですが)、
メンタルな問題などで自分で排他性(ひきこもり)発現すれば”逆の目”になりますがこれは例外事項です。
共同幻想保守は外形として”所属などの枠組み(リミッター)ありき”の側面はあります。特に共同幻想社会は滅多な事で自意識マターを発現できない制約(協調優先)があるため、自己紹介効果として「どんな人なのか説明し難い」(それ以上に組織人としての属性の紹介が上位になってしまう)ため、共同幻想な人ほど信頼関係の構築は苦労します(パッと見多数友人がいるように見えて実体ひとりもいないケースが大変多い)。←結果として共同幻想社会が信頼関係への不安から「集団で嬌声あげたり騒いだり」が発現しているとみる事もできるでしょう。

且つ、
その信頼関係は定期的に確認しなくちゃいけないのなら信頼に欠けることになってしまいます。
馴れ合い目的ではありませんから、
つまり、自分の生活動線におけるいずれかに信頼関係のポイントがあれば、信頼関係性が日常生活に頻繁に必要なのでは無く、
(自分の人生を生きている事が、結果として信頼関係の生存証明になる)
しみじみひとりで一杯の酒を飲むとか気の合う奴と静かに語らうとかって世界には「深い意味がある」ワケです。
その感情的奥行というものは→「嬌声挙げてはしゃいで大騒ぎ」の対局にあるもので、

※なので昭和の家庭モデルにおいては父親はほとんど言葉を発せず団らんの笑いにもあまり参加しません。
※更に言えば良家の子女には「はしたないので人前で歯を見せて笑うな」という世界もありました。
※真剣勝負の囲碁将棋やテニスや茶道や他武道もダンスも(個のパフォーマンス最大)ちゃらちゃらした私語厳禁です。感情云々どころか生死を賭けるような(生存証明)モチベーション限定解除『最大』なわけです。←こうなると個人的趣味の世界も命がけだぐらいの勢いだったりする。

いわば思考の鍵は『大人の世界』ということであり、
強迫心理時代の過去の知識の影響で勘違いしてしまうと、(強迫構造は壊れているのに)過去の知識に振り回されてしまいリハビリ過程が無意識から妨害されてしまうというワケです。

※又、興奮快感と幸福には関連性ありません。興奮快感の元ネタは「団体作業ストレスのご祝儀として(インセンティブ)原始社会で始めたお祭り(大興奮)」等に始まるもので、麻薬とまで言い切りませんが、無理やりの共同作業(原始的共同幻想)のストレスを弁済するための快感物質によるインセンティブや報酬(原始時代なので酒を振る舞って踊り狂うというのは一大イベントなのです)であり、極論すると若い人達が群れて騒ぐという現象は→群れることのストレスを回避するために同時進行で騒がないともたない(集団が維持できない”不安”)からなのであって、逆に言えば「ぬけがけして帰るなよ」とか「他の奴はくんなよ」などの排他性(集団を維持する自己防衛)でもあります。←無意識的なので彼らに自覚があるのではありませんが「好きでやっているのでは無い」と捉える事もできます。
(無意識的なので「好きでやっているのではない」の自覚は限定的ですが、勿論現代社会の場合共同幻想はほころんでますのでかなりの構成員は「疲れる」「帰りたい」などの限定的な本音を自覚してます。)
※興奮快感には習慣性(中毒性)があるため→文化人類学的には共同幻想の仮想普遍化はそういった側面の中から生まれてきたのかも知れません。


<ひとつ参考としては>
>こんなことを言ったら他のスタッフや利用者さんとの衝突も避けられそうにありませんが(私の言ってることが正しいかも分からない);
>職場の人は私のことを良く思ってない人もいるでしょう。

強迫意識離脱リハビリ過程中とか、或いはメンタルな問題発症で早期に共同幻想の裏だけは見えてしまったなどで『暫定的単独者系(この系は銀河系などの系で”域”というか”射程”とか”レンジ”みたいなものです)』の状況にありますので(単独者・共同幻想保守の選択は離脱後再選択なのでリハビリ中は暫定)突っ走り過ぎると誤解から見当違いの批判を受けたり誤解される事もあります。

対策としては積極的な情報開示です。
(聞かれる前に話すみたいな)
自己紹介というより更に営業並に情報を開示する。
(苦手や関心や自分の状況や”現在リハビリ過程(遅く来た大人の反抗期)フラグ”として試行錯誤の様子を”個別の考え”や”やってみたこと”などのディティールも積極的に話すなど)
人間何が不快って一番は”誤解”ですので、
後は「(それは共同幻想的仕事で本当のところは)違うと思います」なる意見があってもこの場合には(共同幻想な人も好きでそうやっているのではなく”共同幻想リミッター”でそれ以上できないのであり)、自分の意見であって誰か特定個人を批判しているのではないと伝わるように配慮することでしょうか。

注)どこの世界にも『共依存リスク』というのはあります。ですから上記の話は「私は迷いなくこうやってます」的な自己紹介の範囲に留める注意も必要です。素人相手にというと語弊あるかもですか安易に「相談話」とならないように注意してください。待ってましたとばかりに過干渉で関係してくる人物が(その人物の強迫心理の勘違いを前提に)おせっかいにつきまとうというケースも珍しくありません。
(リハビリ期間は自己防衛で”恋愛制限かける”ってのはこの辺のリスク管理です)


などなど今回のテーマは全体に渡って信頼関係が基本という話ですね。
(人に対してもですが自分の自意識に対してもです)

引用なし

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