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■『性の嫌悪』
これがある場合だいたいのケースで「あなた自身に両親がらみ(今回は特に父親に対する)執着があります」←これは好んでそうしているとう趣旨では無く、快不快(興奮による快感代謝:不快感でも代謝します)の場面というか対象が、本来大人の自分の年齢に相応した”外の社会”を対象とする世界に移行しているべき状況が(反抗期によるアップデート)不完全なため、
子供時代同様に物の価値であるとか快不快の憑代(よりしろ)が未だに”両親”などの”タグ”なり”フラグ”なりで起動しており(反抗期が完全に履行されていれば既に両者は一介の社会人同様も単なる赤の他人に近い存在に認定変えされます←この認定変えが行われていない)、本来向かうべき関心なりが結果論として内向化した(未だに両輪絡みのホームドラマに向いた)ままである。
(大人の自我における外交性への関心なり社会問題への関心なりに志向がシフトされていない)
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(乱暴な言い方すれば自我が大人になっておらず無意識に”子供自我”に固着し内向化している←”大人の自分自我”の発現が抑制されてしまっている。)
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その結果(結果論として)
あなたの年齢相応の異性への性的関心なりが(大人の個人としての快不快原則)、ぶっちゃけ子供のままであり(年齢不相応に)いまだに登場人物として両親を重要起点(両親の権威性認知は通常反抗期に壊れますがこれが壊れていないため)とする他者認定となってしまうため(=本来年齢相応なりメインとなるべき赤の他人への関心が両親に比べれば相対的に無関心なままとなる)、
端的に言えば自分が主人公のドラマの登場人物が一般社会にシフトしていなければならないのに、あなたの物語はいつまでたってもホームドラマのままに押し込められている事なり。
(無意識に抑圧構造ができあがっており←発端的には反抗期不全)
言うならばあなたの社会における他者異性への性欲が(上記構造により)結果論で未だに父親に向いてしまうというトンデモ状況になるため(他に向かう先が無いから)⇒「近親相姦嫌悪」が認識されるため、
(ホームドラマから社会人恋愛ドラマにシフトする年齢なのに、大人恋愛ドラマの登場人物がホームドラマと同じままになっているという意味。)
同時に子供の心理には性行為は許容できない世界だったりもするため、
これらが相まって、
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『あらゆる性に対する嫌悪』に化けちゃっているワケです。
(この場合父親なりへの固着は父親個人の強迫心理絡みの異常行動があるにしても、これは又別の論議になります。:末尾注2)
ある意味、上記括弧書きにおける実際の父親の行動が又通常とは違う部分もあるため(そもそも両親の行動なりの不自然さが『反抗期不全』の原因なワケで)、
言うなりゃ悪循環し、余計に不信感を呼び(どちらかと言えば”新ネタ提供”なり”燃料投下”的意味なんですが)、現在の状況に至っているという事です。
■局所的に言えば、『性への関心』が一般社会における他者に向き(=元両親への無関心)内向性ではなく外交性に認知状況が転じれば「性そのものへの嫌悪感」は消失します。
(繰り返しますが、自意識がそうしいているのではなく、自我構造論的結果論として無意識において”あたかも世界の権威における重要人物”であるかのように未だに両親(実体はどこでにもいる単なるおっさんとおばちゃんです)が過大・誇大に認知されたままで=一般社会への関心への切り替えを阻害しているって事です。)
反抗期が万全にプルーフというのは(親離れですから)=両親の赤の他人化であり、極論すれば「どこの誰が親だか知らない”私”の登場」のような恰好で→外の社会(戦場)へ突撃していく形になります。
(更に極論すれば「誰が親だったかなど普段忘れている状態」が大人の自我です。)
注)一般に上記構造の始まりは父親メインに認識されがちですが事の発端は(夫婦関係において)母親である可能性もあり(どちらにしても家庭内強迫心理環境の共同正犯なんですが)、早計な判断はしないように。
注2)反抗期が通常通りにプルーフしていれば、この時点で両親は単なる赤の他人と同程度の認知に還元されるため、”仮に””本当に”父親に性的いやがらせなどの悪癖があったとしても、主語の「”父親が”」の認識を肥大化させかねないイメージ部分は無効化されるため(主語的に”近所のおっさんが”と同じ意味になる)、「何すんじゃコラ」的範囲の問題に低減化します。
(まー問題には違いありませんが、別問題となる。)