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Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



277 返信 うつ病です けいじ 2004/01/17 00:49
配偶者が定職につかず、金銭的な負担からうつ病になりました。一年近く通院し、薬漬けの後、現在は体全体に疲労によるものと思われる湿疹、頭痛、腹痛に悩んでいます。抜け出せない金銭的な負担、気にしていないつもりですが、体は意外に正直でした。誰も心が不安定だなんて信じてくれないくらい、がんばってはいます。このまま負担にも慣れるといいのですが・・・。
278 返信 定職につかない配偶者について kage 2004/01/17 03:36
詳しく教えて下さい。
 その名目上の理由、そしてあなたが思う本当の理由。
 金銭的に苦しんでいる事情(食費にも困るのか?マンションなのどのローン
なのか?あるいはカードローン等の借金か?)

 鬱に至る連想が、上記の答えの中に隠れています。
 服従に近い「逃げ出せない感覚」の原因を探る必要があるのです。
 おそらく、、その中に「逃げ出してもいい事柄」が含まれています、あるいは
「むしろ逃げ出すべき事柄」が、です。
 その状況の閉塞感が、無理な現状追認に繋がり「終わりが無いのではないか?」
との不安を生み出しているのだ、と考えて下さい。

 思うより、実は選択肢はあって、問題は「その選択の自由の喪失」にある筈です。
279 返信 鬱病です。 けいじ 2004/01/17 23:06
金銭的には、貯金をすべて使い果たしました。カードローンをしています。もうすぐ借りることもできなくなると思います。
通院のお金にも困って・・・もう通院もやめなければと思っています。
家族には頼ることができません。
自分の実家は頼れば離婚するよう言われるでしょうし、配偶者の実家に頼ることになれば、配偶者が怒るでしょう。わがままですが、失職、転職の話をするだけでも怒ります。配偶者のもどかしさもわかるので仕方ないです。
配偶者の趣味は音楽です。その練習でほとんど自由な生活をしています。
うらやましいとは思います。自分にはたいした趣味はないから。
終わりはないでしょう。離婚することも考えていません。
鬱病になっていることも通院しているのも配偶者には話していません。
自分の食事を切り詰めてもほとんど役に立っていません。
自己犠牲を喜びに思う自分がいるので、このままでいいのかもしれません。
280 返信 正直なところ kage 2004/01/18 02:57
 あなたは夫ですか?妻ですか?
 表現の中で最も気にかかるのは「配偶者」という『人物を特定する代名詞』では
無く『社会的属性名称』である事です。
 平たく言えば、随分他人事のような「非親近感」を感じます。
(俺のHP上での相談説明の表現が呼び水になっていたとしてもです。)
 あなたが夫の場合、たった30年ほど前のこの国の勤労者家庭(実は少数派ですが)
の『配偶者』は専業主婦であり、職場は家庭内での采配でしたから「働かない事を
悩む」と表現される事は正確ではありません。
文面から察するに「浪費が過ぎる」では無いですか?
 「浪費が過ぎる」と表現されない理由は明白です。
>うらやましいとは思います。自分にはたいした趣味はないから。
 ここです。
 『配偶者』の活動は「浪費ではなく、うらやましいこと」になっています。
 むしろ「有意義な活動」とも言えるような意味で、です。構造としては、意義深
い活動をする『配偶者』を支えたいが、限度というものがあり、自分の活動なのだ
から、少しは働いてもらいたい、、という辺りでしょう。
 この事実関係と以下の部分は密接な関係にあります。
>鬱病になっていることも通院しているのも配偶者には話していません。
 ここです。
 つまり、『配偶者』に対する公開されない秘密、隠蔽、隠匿、羞恥心、分離。
 肝心な事は『配偶者の音楽』に対してなんらコメントが無い事です。
 もし、その活動が『配偶者のアイデェンティティー』だとした場合、その音楽に
関心がないとすると、あなたは配偶者の存在に関心が無い、という事になります。

 「よくわからないことをしているのに、うらやましい」

 ここが矛盾の中心です。
 うらやまいい事の根拠がありませんから、その活動を支えても「甲斐」を感じる
事は不可能です。
 即ち、「甲斐」になってもおかしくない気持ちは、全てあなたのストレスになっ
てしまいます。極端に言えば「喜びでもあっていいものが不快と認知される」から
です。気持ちにストレートになるなら「そんなくだらんもんさっさとやめろ」を、
発端に喧嘩となり関係は変化するでしょうし、「よしわかった、君の音楽のために
人肌脱ごう」ならその後「今日のライブの出来はどうした事か」のような会話を、
発端に関係は変化するでしょうし、「僕が詩を書こう」ならある意味もっと激しい
争いになるでしょう。
 つまり関係が密接なら、現状の悩みは有り得ないのです。

 『配偶者』は「失職、転職の話をするだけでも怒る」のですから、およそ音楽を
する人物とは思えません。何故なら芸術家が「定職についてお仕事をする」的世界
を支持する事自体、不自然だからです。

 第二の矛盾です。「配偶者の活動は、たいした事ないのではないのか?」
 だとすると大変です、「最初から根本的に支える甲斐がありません」。
 しかし、この考えがけいじさんの自我に浮かばなかったのは明白なのです。
 何故なら「自分にはたいした趣味はないから」です、この自信の無さが原因です。

 全体をまとめてみましょう。

 けいじさんは「趣味など自由奔放に振舞う自分の姿」を無理やり自分のこころに
押しやっています。ですから(自分こそそうしたいので)『配偶者』の活動を阻止
する事が構造的に不可能です。そして、その『配偶者』との関係の非親密性は、自
分には出来ない事をしている人物に悩む=自分の「自由奔放に振舞う気持ち」を、
押し殺す自分、そのものです。
 ある意味現状の『配偶者』との人間関係は、あなた自身の悩みそのものを表に出
しているのと同義です。

 ここで以下の文面の意図に気がつきませんか?
> 自分の食事を切り詰めてもほとんど役に立っていません。
> 自己犠牲を喜びに思う自分がいるので、このままでいいのかもしれません。
 これはけいじさんが、けいじさん自身に投げかけられた言葉なのです。
 「自分はこのままでいい」のだと。
281 返信 おっしゃるとおりです。 けいじ 2004/01/18 17:02
私は女性です、つまり配偶者は夫です。
お答えありがとうございました。うなずくことが多かったですが、
ひとつ違うことがありましたので、お伝えいたします。
配偶者の趣味である音楽に対しては理解しています。
また、ご連絡いたします。
282 返信 補足になりますが kage 2004/01/18 22:55
 配偶者の(セミプロ活動)である音楽を理解するなら「貴女の趣味は音楽」と
言えますから「自分には趣味が無いので羨ましい」が根底から覆ります。
 その時、話題の中心は、生活や配偶者の就職ではなく「音楽の質」です。
 彼の音楽が貴女の満足するレベルである時、構造的にそれはストレスになりま
せん。(芸術家を支えるのですから)
 「理解」とは、服従に近い(或いは熱心なファンのレベル)ものでは無いです
か?そうでなければ、そもそも「彼を働かそう」と思わない筈です。貴女が彼の
パトロンになるのですから、ストレスは「資金的余裕の無さ」による現実の苦し
さに留まるでしょう。(貧困に悩む事自体は「鬱」と直接結びつかないからです)

 彼の就労に対して不満があるのは「自由奔放な人物に、脅迫的に逆らえない」
からで、それは同時に「自分自身が就労している根拠」が、実は確かで無いから
です。その根拠が明白なら「働かないお前は○○○(根拠)だ」とはっきり言い
切れるでしょうし「極端な彼の音楽への傾倒から」「レッドツェッペリンの方が
実力は上だ」と彼の活動を客観的に受止める事ができるでしょう。

 その時貴女は逃げ出せる筈なのです。
 「自分が自由奔放では無い理由を見つけた時」にです。

273 返信 メールありがとうございました。 omori 2004/01/07 17:43
以前はお世話になりありがとうございました。
たった今オーストラリア旅行から帰ったばかりです。初めての海外一人旅でした。(と言っても途中まで友達と一緒でしたが)
社交ダンスも始めたりで、前からなんとなくやりたいけど、、って躊躇してたことが次々とできるようになり、積極的になってきたなんてちょっと満足してます。

今回の旅行では河合隼雄の本なんか持っていって少しは心理学のかけらでもわかったような気になりました。kageさんの専門的な内容のページは今の私にはちょっとむつかしいです。

まだまだ道は遠いとは思います。良くなったと思えばまた後退し、の連続ですが確実に変わってきていると思います。きっかけを作って頂いたことに感謝です。

274 返信 Re:メールありがとうございました。 omori 2004/01/07 17:47
もひとつ付け足しですが、
こんな好き勝手なことをしながらも主人との関係はよくなってきているように思います。これもやはりこころの元気には大事ですね。
276 返信 来て頂けて感謝です kage 2004/01/08 00:07
行動の「気ままさ」が増えているんですね、俺も嬉しいですよ、ほんと。
 なんだかかってに懐かしくなりました。
 俺はなんだか、仕事の方も転機らしく、バタバタやっています。

 やっぱあれすかねー、難しいですかね、、アハ 
 感じた事を言葉に変えるのは難しいです、つい思いついたまま話してしまうと
文章にもならんのですよ、悪戦苦闘しながら、もう少しわかりやすくならないか
って、思ってたりします。
 掲示板に書き込んで頂けてほんと感謝です。
 

275 返信 何度もすみません。 omori 2004/01/07 22:24
頭がだんだんと元の状態に戻ってきました。
今日から仕事、と言うわけで何がおこってるんだかついでに下の書き込みも読ませてもらいました。と言ってもむつかしくてわからん!(すみません)

ただ言えることは
「肩書き」や「ブランド」で生きていない、生きたくない一人の人間としてちょっとしゃべらせて下さい。

病気になったとき医者に全てをまかせるという選択もあれば
宗教という選択もあり、漢方もあり、マッサージもあり、食事療法もあり、その他体を治すという選択肢はほぼ無限にあると思います。

一般的にはいい大学を出た優秀な医者にというのが一番いい選択のように思われていますが、私はそうは思いません。たとえそれを選んでも死んでしまえばおしまいです。ベストだったなんて誰が言えるでしょう。

私は自分を判断力がある大人と思っていますので自分で見て、自分で感じて、自分でベストと思う物を選びます。有名な大学病院を選ぶと思っている人は一部の肩書きブランドに弱い判断力に乏しい人たちだけだと思います。そういった人たちは決まって他の解決法を危険だときめつけたり、いかがわしいとか、せっかくのなおる機会を失わせたなどとよく言いますよね。私は頭が固いだけだと思っています。科学とは何かわからず 科学が万能できらいなものを非科学的ときめつけているのと同じです。


私は心理学は全く無知ですが、肩書きの立派な専門家も治せない例が多い中で別に肩書きのない人が治せてもいいのではと思います。100パーセント治せるならみんな立派な学者を頼ったらいいのでしょうけど。
心の問題は生き方の問題でもあると思います。優等生で学校の勉強だけよくできて現実の社会を知らない地に足がついていないエリート意識の強い集団より、普通に社会で生きて学んできた者の方がいいアドバイスが出来る場合も多々あると思うのです。

もちろんこれは最近のここの掲示板でのやりとりを見ての極端な意見なので、こんな考えで生きている者もいるということを知って欲しかっただけです。

272 返信 Re:残念なことですが 【ナノ様】(二重登録すみません) 匿名にて 2004/01/05 19:14
最初に聞きたいんですけど
あなたは相談者しにきたのではないのですか?

私は医大・精神神経科&脳神経科、等を
渡り歩きましたが、薬を出されるだけで
症状は全然、治りませんでしたよ

メンタル系の症状は
一概に専門的な知識を持っている医師達が
治せるものでは無いんですよ

チャットをしたり、このような掲示板で
同じような経験談を読んだりして治る人もいますし
人それぞれです

ナノ様
某医大・精神神経科&脳神経科 有志一同
と書いておられるぐらいですから
それなりの知識と経験をお持ちの方々なのでしょう
相談があるなら、このHPを批判する前に
そちらの有志一同さん達に相談して解決したらいかがですか

253 返信 はじめまして。 ナノ 2003/12/24 18:20
偶然、こちらのサイトに辿り着きまして、投稿させて頂きます。
沢山の人が悩みを持って、誰もがなんとかしたい葛藤があると
解りました。

私は他人が信用できないというか、壁みたいなものが強く、
人を極度に避けてしまう傾向があります。
酷い場合は映画や小説の登場人物を知人の誰かに当てはめて
「きっとこの人はこういう人なんだろう」と決め付けて、
それで更に自分から人を遠ざけてしまいます。
周囲の友人(私にとっては最近ではそう思えませんが…)に
「頑張れ」や「大丈夫」と言われることすら重荷に感たり、
どんどん『友人』ではなくなっていくように感じます。
会社での機械的な作業はなんとかやってきていますが、家族も
『他人』のような感覚に既になっています。
25歳にまもなくなろうというのに、気持ちの中の潔癖症と
言えば良いのか、何もかも人(特に男性)に対しての拒絶感は
酷くなる一方な気がします。
信頼感より安心感が欲しい。それがどうすれば良いのかで足踏み
しているのです。
突然、自分のことばかりの一方的な内容を打ち残してすみません。
レスは頂ければ有難いです。
今の状況を変えれるようにキッカケが欲しいです。。
255 返信 ザクッと見方を変えてみましょう kage 2003/12/25 21:42
 まず個人対個人の関係を意識できる人物(殊更自分の個を感じる人)にとって
「友達」の概念は一般に通用してるイメージでは適合しません。
 なぜならば、集団になる事がいつも容易な一般的友達関係はむしろ友好関係で
あって同盟ではないのです。
 これには「集団に自分は帰属してるんだ」という獏とした安心感をもっている
人の合理的な行動(多数の友好関係は容易で自分の利益になります)ですが、
自分を「自分」として持っている人には「元々無理のある行動」です。

 彼らの外交辞令はそんな「友好主義」であって、「同盟関係」でないと安心で
きない環境のある人物の事は「想定外で想像もつかない」のです。彼らが不注意
や礼節を欠いているのではないのです。「誤解」がギャップになっています。
 その両者の感覚を共有できるのは、彼らではなくむしろナノさんなのです。

 何故でしょう?

 人間は産まれたときから単独行動で生き延びる力を持ちませんから、貴女にも
そういう幼児期があり「一定の範囲で集団に属した経験者」だからです。
 その両者の雰囲気を実感した体験者ですから、一歩譲って「そういう誤解」
(つい無責任に「頑張れ」や「大丈夫」と言う事)があるんだ、と納得してひと
まずこの問題には決着をつけましょう。

 わかりやすく言えば、親友と呼ばれる概念に近い(正確には同じじゃないです)
ものが貴女にとっての「マジな友人」であって、その範囲外は唯の知り合いです。
 今から関係を再構築する事も可能でしょうけれど、彼らは貴女を一度「みんな
と同じだ」と認定してしまっていますから、その誤解を解く行動は並大抵の事で
はないでしょうし、あまりお勧め出来ません。
 失敗は失敗なのです。
 「最初から友人では無かったし、無意識に自分はそれを知っていた。」
 と結論付ける方が自然でしょう。

 さて、家族についてですが、家族の呼び名には流動性があって曖昧です。
 ある人物は「子供→お兄さん→○夫→○さん→あなた→お父さん→お爺さん」
という風に役名が変わります、むしろ実態は「いろんな役をする俳優」で、本籍
は「何々家プロダクションに所属した俳優」と呼ぶのが正確でしょう。
 俳優仲間に違いはありませんが、家族は他人の集合体である事に違いはありま
せん。その特別な関係をより良く説明する言葉は「血縁」でしょうが、養子や嫁
入り関係は「縁組」であって「血縁」でもありません。
 「何々家プロダクション所属」という愛社精神こそ「家族という特殊な意識の
実態」なのではないでしょうか。

 そうなんです、冷静に考えたら「まったくの赤の他人」です。
 「家族も『他人』のような感覚に既になっています。」
 これを違和感に感じる事は変なんです。
 家族にもプライヴァシーはありますし、それは尊重されるべきでしょう。つま
り家族である以前に個人として見るのが自然な感覚でしょう。
 つまり「家族以上に家族意識に燃えている」のはナノさんだ、という事になっ
てしまっています。
 「信頼感(個人の信頼関係)より安心感(集団への帰属)が欲しい」
 これを整理してみましょう。
 先ほどの友人関係も上記家族についても、自身でお気付きの様に「自分から人
を遠ざけてしまいます」が正解なのです。

  その遠ざける理由が。
 「人(特に男性)に対しての拒絶感」となります。

 ザクッと見方を変えてみましょう
 安心感を集団で築くタイプではありませんから、むしろ求めるべきは信頼感で
あり、信頼感を築く事を拒む理由は「男性に対しての拒絶感」が例示しています。
 おそらく「自分自身に対する蔑視」です。
 現象としてはそれは「自分の性への嫌悪感」として強く感じられているでしょ
う。

 連想して考えて見てください。
 集団に所属したい(勘違いして)と思っている人物が、その集団に近づかずに
孤立する理由は「所属するに足る基準を私は満たしているか?」です。この不安
があると、どんな形で所属しても漠とした不安は消えません。
 当然『性』は「魅力」として個人評価の独壇場ですから、それが極端に表面化
する事は言うもでもありません。

 全く根拠が無いのに私には「自分に自信が無い」と考えてみて下さい。

 その認識を裏付ける「根拠となる不当な評価や未認定」が過去の記憶にあるの
だ、と思って間違いないでしょう。
256 返信 ご回答ありがとうございます。 ナノ 2003/12/26 05:51
早速のご回答に感謝します。
あまりに一方的な内容で恥ずかしい限りですが、参考になりました。
自分の評価は他者がきめていくものと考えています。
また、多角的に物事を考える事も心掛けているつもりではあります。
でも、集団に依存しなければ、社会からはぐれていく感覚も強く、
孤立している自分に恐怖感まであるのです。
あえて友人と思う人からも「何を考えているか分からない」などと
言われるとその不安感は厳しく感じます。
頼らなければ一人でいられない情けない自分、強くありたいのに、
なれない自分があって、その中に大切な存在として切り離せない
家族や友人として接する人達に応えたい自分があります。
実際には小さな窓のある部屋から外の景色を眺めて声もかけず、
ただ眺めているだけの自分があって、分裂している感じがあります。
自分自身の事が他人であれば良いのに…というような逃避したい
感覚は誰にでも何かのきっかけで一時期にあるとは思いますが、
私はもう、会社での自分、家での自分、一人の自分…というように、
役を演じているようで自分が嫌になります。
まるで愚痴みたいですが、他や自分から切り離したい自分と
他の人と切り離さなければ(割り切らなければ)いけないと思いつつ、
不安や切り離して考えられない依存もあるのです。
こんな話で申し訳ありません。。
259 返信 (ちょっと編集しました)整理してみましょう kage 2003/12/27 12:26
 他者が見つめる印象こそ、ナノさん本人です。(そう簡単に自分自身で本人を
捕捉する事は難しいです。よく言うじゃないですか「自分の事は自分が一番わか
らない」と、、)
 それでいんですよ、その通りなんです。
 「頑張れ」という他者には、頑張りたがっている本人(或いは問題が解決した
時には容易に可能である事が)が見えています。
 その認識を貴女は正確に捉えられないのです(葛藤による混乱で)。
 極端に言えば、彼等の評価を一度デフォルメして「あーに決まっている」と、
ダメを押しているのは「自分自身」であることを認識してください。
 その原型が『過去の印象的な見当違いの評価』になります。連想としては、又
同じ事が起きた「あーに決まっている」という流れです。
>「何を考えているか分からない」
 この表現の意味は「私には貴女が自然な時に考える事がある程度わかっている
が、今の貴女は何か違う。本人を裏切ってまでいったい何を企んでいるの?」で
あり、事情のわからない人の素直な感情は「そんなに情熱を傾けて、悲観するの
は何故?何か理由があるのでしょう?それは秘密なの?(落ち込む現象が、無意
識の脅迫で、自立的では無い、という事情がわからないためです。しかし周辺他
者には、たとえ無意識の振る舞いでも、本人自信がそうしているようにしか見え
ませんから)」悪気は無いのに、彼等の言葉が違う意味を持ってしまうんです。
 
 現実の生活でナノさんを不当に評価している人物は無く、概ね好意的に見てい
る。というのが本当のところでしょう。
 なぜその概ね好意的な言葉に緊張し、自分は「孤立している」と思ってしまう
のでしょう?

 そうさせない(抜け出せない)矛盾がナノさん文章の中に表現されています。
>家族や友人として接する人達に応えたい自分があります。
>強くありたいのに、なれない自分があって
>ただ眺めているだけの自分

>家族や友人として接する人達に応えたい自分があります。
 おそらく彼らはそして大きな「答えるに足る要求」を持っていません。
 きっと「元気に笑えてもらえたら幸せ」以上の感情を持っていないと思います。

>強くありたいのに、なれない自分があって
 この言葉にかかっているのは「頼らなければ一人でいられない情けない自分」
ですが「強くある自分」は自分自身の特徴であって、彼らによほど耐えがたい迷
惑をかけていない限り、彼らには強い関心は無い筈なんです。
 きっとね「君こそ仲間の一員」という「強さ」と無意識に勘違いしていると、
思います。これは辛い事です、基準が曖昧すぎて「どうしたらいいのか」って事
を見つける事が難しいですから。

>ただ眺めているだけの自分
 これは正直そんな辛い毎日が続く事への厭世感でしょう。でもどうですか?見
方を変えると、無理のある考えについ囚われている事を「自分でも薄っすらと、
感じている」から、とも言えるんです。だとすると現実を直視した冷静な自分で
もある筈ですが、この眺めている自分の印象はどちらかと言えば「ネガティブ」
です。

 そして大事な事になりますが、
>というような逃避したい感覚は誰にでも何かのきっかけで、一時期にあるとは思
>いますが、、、
 というような感覚、
 つまり上記の言葉をそのまま解釈すると、私のような感情は「誰でも持つもの
で、本来誰でも乗り越えている筈だ」となるでしょう。
 これは違います。
 過去に「特に家族間の不当な評価(おそらく理由は家族を離れて、各個人がそ
の日に面白くない事があり、恥かしいのであえて隠し、その鬱憤込みで無責任な
発言を投げかけたため、等です)」やそれに類する印象的な記憶が無い限り、過去
の連想(同じ不快感が連続する事が、脳内でその雛型になる単一の記憶がある証明
になりますから)から『というような感覚』を感じる事はありません。
 葛藤を抱える人物にのみ起こりうる悩みなのです。
(補足になりますが、テキストにあるように、現代社会では概ね同様の葛藤が一般
化しているともいえますが「それはまだ広く薄く」と見るのが妥当でしょう)

 葛藤とは誤解の連続ですから、そのズレが「あれ?何か変かも」っと自分自身で
一歩立ち止まる時間を持てたら、停止するものなんです。(確かにこれは簡単な事
じゃないし、第三者が「こうかも」と冷静に見ていく事を必要とするでしょう。
カウンセラーとは、「思いつかない本人の思い」の代弁者なのです。)
 それが止まらないって事はないですよ、何故なら周りの人が見たナノさんの印象
は間違いでは無いからです。ナノさんはそのままでもいいんです「強くある」必要
はないんです。今のままでいいんです、ありのままで。
 その時きっと彼らは再び友人となり、自分を強くなったと感じられるでしょう。
262 返信 自己啓発をしようと思いますが。。 ナノ 2003/12/29 01:24
いつも丁寧な回答をありがとうございます。
少しですが、前進している感じがあります。
ありがとうごじます。
4っの窓のヒトツですね。
他者が見る自分、それがも自分ですよね。
心理学的より哲学的な要素になっているのかも知れませんが、
自分を当てはめていくと該当している自分が複数あり、
その中のどれが本当(日常)の自分なのか?そこで考察が
結論に辿り着けない状態です。
自己の認識ににはライプニッツ等、哲学者の考察をいくつか
参考に読みましたが、精神論に偏り、魂のあり方などで曖昧に
答えのない答えを著書としているようで納得に至らないのです。
なにぶん古い方々、例え近代と言え当時の考え方(世相)が
主軸なせいもあるのでしょうが…
現代の精神論や精神学の権威者の著書に従うなら、
私はDID かなにかでSSRIでも処方して頂いて医薬治療を
受診すべきかとも悩みます。
kagewariさんは知識も豊富な方と思います。
だからこそ、お伺いをいましばらくでも続けて頂きたく思います。
哲学にはしらず、心理として分析して頂けるならばこそです。
こんな一方的な私の態度にご立腹されても仕方ありませんが、
宜しくお願いします。
ちなみ『他者への壁』意識は女性より男性に強いです。
どちらかと言えば近い世代ほど。
ある程度、年齢が離れた男性には安心感を抱きます。
なんだか変な言い方かも知れませんが。
でも、父に対しての感情は『家族』である事が先にあるので、
『壁』を感じてしまいますが…
できれば、更なる回答をお願い申し上げます。

また、他の皆様は私のこの状態をどのように思われているかも
感心があります。
もし、よろしければご意見など、お聞かせ下されば幸いです。
263 返信 哲学は、嫌いじゃないんですよ実は kage 2003/12/29 12:36
と言っても俺は弁証法も怪しいぐらいなのに、HPのテキストに実存主義と精神分析
の関係を書こうと思ってる無茶な奴なんですが、、それはそれとして、、

 日常論というのは、経済学的に見るなら生産です、非日常は消費になります。
 これの示唆してる事は「再生産」が日常であり、非日常は「新規需要」である事
です。つまり「繰り返し安定的」である事と、そのストレス発散の「サプライズ」
の関係で、この両者が補完関係にある事が最も大事です。
 言い換えるなら「繰り返し安定しなくても、それがストレスでない場合非日常は
存在しなくても良い」とも言えます。

 なんとなく感じませんか?
 「役に立ち生産的である事が、消費を必要とする」
 デフォルメします
 「ご立派な生産は、浪費を必要とする」
 日常性とは「役に立つ」とか「生産的である」とか「安定的」とかのイメージが
ありますが、背景は「消費やほとんど浪費」なのです。
 ところが「野生の日常には非日常などありません」。
 こりゃいったい何でしょうか?
 普通の世界を形作る「日常」は、個人のためではなく社会を基準とします。です
から、それは「本当の自分」ではありません。社会認知されたキャラクターであり
記号です。
 普通の世界的には「本当の自分」は「そのバランスを取る方便」の事でしょう。
 しかし、これは人間性の一つのパターンに過ぎません。皮肉な事に精神的に悩ん
だ経験があったり、悩む傾向にある人は早熟の傾向があり、社会性よりもその存立
は個人である事が多いんです。
 あまり日常を過大評価してはいけません、むしろ「自分であることの普遍性」を
日常と考えて下さい。
 ここで悩んではいけません、どうでんぐり返ししてもナノさんはナノさんです。
「このナノさんはナノさんでは無く違うナノさんだ」という事はありません。自我
の「統一感の無さ感」って言うのを決定付けているのは「自意識」であり「本人」
ではありません。「自分を見つけ損なっている」と考えてみてください。

 既に自分は完成しているのだが、自我が足を引っ張っている、という感じに。

 本当の自分という表現に「(日常)」という言葉が選択されたのは、社会的な
不安の表れであり、この不安を感じているのは「自我だけで、ナノさんではありま
せん」。 
 自我の役割は情報収集、シュミレーション、欲望化、行動選択等ですが、事実関
係ではなく「ここが苦手だ」という緊張感が「ある状況とその連想」にかかってい
ると集中力の大半をそこで使い切ります、ですからそれ以外の自我活動は、かなり
ルーズなものになるんです。
 これが、
> その中のどれが本当(日常)の自分なのか?
 という感覚になるのです。

 そこで話は『他者への壁』へ移ります、こいつが解決すると上記問題は、時間の
経過とともに解決すると考えてもいいでしょう。
> でも、父に対しての感情は『家族』である事が先にあるので、
 ここがポイントでしょう
 「『家族』である事が先にあるので」という表現の意図です(もし違和感があったら次の返信で訂正して下さい、情報量が少ないので、一部推測になります)。
 思春期における第二次反抗期というのは、両親が個人として(男と女)再登場す
る事によって起きます、仮想権威の失墜です。その根拠は自分の性の肯定なのです
クラスメート等の異性に関心を持ち「家族テンションが相対的に下がる結果、あれ?
誰この人」と両親の個人の部分が台頭し、それが「裏切り」に見えるため、反抗に
繋がるわけです。
 「『家族』である事が先でなくる」って事と「自分の性の肯定」はパラレルな関
係なんです。(両親の目の前でマスターベーションできる人はめったにいません)

 つまり、未だ残る「強い家族の権威性」が「厳しい評価に備える緊張感」を生み
家族の連想である社会においてもその「緊張感が脅迫となる」という流れです。
 仮想権威の失墜が起きないのは、推測ですが「不当な評価や言動を超法規的に
肯定したため、見直すキッカケを失ったため」と考えるのが妥当です。
 この超法規的措置が自己嫌悪だと考えて下さい。
 「自分が悪いかも」と思うことは「自分を肯定するのが仕事」の自我にとって、
その生存意義を危うくしてしまうのです。自我はやる気を失い自暴自棄になります。
「もういいや何を言っても同じだ」「あーに決まってる」に近い感じです。
 いつもその自分の評価(シュミレーションは「そう言われる」)に緊張してしま
います、自由になる事ができません。

 そして「思春期における命としての個の発見」は「性」をキッカケとします。
 もうおわかりですね「性の嫌悪」が(シュミレーションは「嫌われる」)男性関
係の『他者への高い壁』となっているのです。これを肯定したら「家族の権威性が
失墜してしまうから」です。
 この反動が「嫌悪のための無理な性行動」となる事もあり、逆に極端な多数の異
性関係に繋がる事もあるのです。(ケースバイケースで多数の基準はありません、
あくまでも関係の内容で判断されます。この行動の狙いは「不安なぐらいなら、嫌
っている自分をそのまま実現していまえ」です。)

 心療内科などでの薬の処方は、対処療法として有効です(考える時間稼ぎだと、
思って下さい)。薬には副作用があり、習慣性もあります、体質は人それぞれです
が「整骨院の鍼」や「整体マッサージ」が同じ効果を持つことがありますから、一
度試してみる価値はあるでしょう。薬より効果があった、という実例もあります。
264 返信 残念な事ですが ナノ 2003/12/31 02:31
これからの文章で気分を害されないように、
始めにお詫びを兼ねてご理解いただきたく思います。
あなた様がkagewariをHNに使われ、今後この方面で活躍されるか
生計を立てていかれるならば名が現すとおりであるべきです。
影(陰)は人の心を示し、割るのは読み取る事を示すものです。
蝶からの由来ならばかまいませんが、精神分析を名乗る以上、
あなた様を頼る人々は確実に存在する筈です。
しかしながら、あなた様は持論をお持ちになっていません。
どこかの著名な人物の論文等の引用から知識を見せているに
すぎません。自己陶酔の素材または他人の精神の中を快楽の素材に
しているにすぎません。
予想の範疇ですが、相談者に性的行為を促す欲求をお持ちでは
ありませんか?
大変失礼な文章かと思いますが、精神的に苦しむ人々に自分の
読み知った知識を説くだけでは治療も相談も不可能です。
これは相談でもなく歓談の域でしかありません。
心理学や精神科医等を学ぶ者や実際に治療に関わる私達はの結論です。
現在、そういった精神的に悩む方に安心感をあたえつつも性的関係に
結びつけたり、既存の著書だけの知識で運営しているサイトは確かに
あなた様だけではありません。
確率でときたま私達はここに辿り着き、実態を知ろうとしました。
とても残念な事です。

kagewari様、あなたは独学のみで精神分析・相談を行っていませんか?
専門の学習を習得されていますか?
あなたを頼る相談者に性的行為を促したりはしていませんか?

身分を明かさず、このような返答は申し訳なく思いますが、
前回のあなた様の回答で既に手詰まりではないかと考察します。
どうか既述の不安要素が現実でない事を私達は信じるしかないですが。

他の相談者の方々にも不安を与え、今後のあなた様のサイト運営に
良くない影響を与える内容になるかもしれませんので、ナノという
架空人物の既述を削除して頂いて結構です。
数々の無礼をお詫びします。
             某医大・精神神経科&脳神経科 有志一同



268 返信 (編集しました)あまり気にしないで下さいナノさん。 kage 2003/12/31 04:47
実は現在HPのリニューアル中であり、今度はプロフィールを載せるつもりです。
 アンダーグラウンドな人間としてプロフィールはどうかと思い、載せていなか
ったのですが、各方面からからの意見を聞いて今度は載せます。

 あの失礼ですが、俺のHPを見ていないのでしょうか?
 俺は独学である事を明言していますし、論理の中心は和光大学の岸田教授の説
『唯幻論』です。何か意味ありげに話しているつもりは全くありませんし、ヨー
ロッパにおいてのフロイド批判が「幼児の性欲説」である事は言うまでもありま
せん。(リビドーの話を抜いたら精神分析にならないですよ、それを性的に行為
を促していると受け取る、、というのはかなり大きな幅の誤解だと思いますが)
 自己嫌悪の原動力は『道徳』です。当然批判は道徳的見地から行われます。
 ナノさんの(こう呼んでいいのかな)批判も同じ論調でしょうから、気持ちは
非常に良くわかります。
 論理的な事の類似点があるのは、自明です。だって気が付いてる点は皆同じで
あり、それぞれがもっている自我の背景が違うため使われる単語が違うだけで、
概ね言わんとしていることは違いません、というか違っていたら大変です。自我
を取り扱うのです、対象は同じじゃないですか。
 なので、俺の話に批判をされるなら、心理学テキストの論旨に論理的な批判を
してもらいたいと思います。ナノさんの批判のもう一つの論点は「経験的」な見
地でしょう。(「治療も相談も不可能です」)
 しかしここに大きな誤解があります。
 私は個人的な関係を含めて、心理学を考え続けて18年になります。そして某サ
イト以来相談にのっている方複数いらっしゃいますが(私は治療という概念を持
ちませんから何が何なんですが、、)症状が緩和されてる方がいるのは事実です。
 最初の被験者は俺自身です、俺は中学生の頃から不安神経症の傾向をもち始め、
大学在学中は会食恐怖で学食で飯が食えたのは4年で2回ほどでした、当時俺は哲
学やハードボイルドの探偵小説から何かを、、て、悪戦苦闘していました。   
 精神分析の本はバイトで知りあった親友「阿久津」から教わりました。
(彼は酒乱で飲むといつも暴力騒ぎを起こしてしまうと自称する男でしたが妙に
気が合いました)「俺はこれで楽になったよ」と紹介してくれた本が「ものぐさ
精神分析」だったのです。
 「家族関係が不可避である」という俺の認識も経験的なのものです。俺の姉は
高校時代から突然様子が変わり、ひとりで東京に出てすぐに新興宗教(カルト)
に入信し、当時高校生の俺は修学旅行で東京三軒茶屋の支部で先生とかいう人物
と論戦したり、、なんて事もありました。(「悪魔」と呼ばれました)その後俺
は精神分析を学び、いつか彼女に話そうと思っていましたが、残念なことに彼女
は自殺同然の交通事故で死にました、俺は話すキッカケを失って以来14年も面識
が無く、脳死状態でICUの人工呼吸器に繋がれる彼女を見た時にも顔を思い出せ
ないほどでした。俺と姉は妙に気が合う関係で、その気持ちも良くわかっていた
つもりでしたが、高校の頃はまさか、、と思いました。精神的に悩んでいるのは
自分ひとりで、当時は「普通にならなきゃ」とさえ思っていたからです。

 彼女の死に際して俺には何の疑問もありませんでした(「様子はどう?」と珍
しく彼女が田舎に帰った話を聞くたびに確認していたぐらいです。)彼女に話す
機会を失った俺の役目は、俺以外の遺族(俺の家族です)の話を聞きこころの整
理に勤める事でした、そう精神分析で、です。
 嫌な予感がしていたのに、俺は無力でした、それも家族であるが故の話しにく
さだったのかも知れません。俺が悩むって事は同じ家族関係で暮らした兄弟にも
何らかの影響がある、、ごく当たり前の事なのですが、今でこそ論理的に彼女が
思った事を詳細に感じる事ができます。
 
 そして相談される方の大半は心療内科・精神科に平行して通院されており、俺
はそれをを止めた事はありません。(通院を促している例もあります)
 なので批判の大体のところには根拠が無く、ナノさんの思い過ごしですから、
安心して下さい。病院の先生やカウンセラーさんの言う話がわかりやすくなった
という声もあります。
 
 それから前回の回答で手詰まり、という意味がわかりません?
 これはどういう根拠なのでしょうか?
 俺は相談している方とのメールのやりとりが一年以上続いている事は珍しく無く
正直情報不足で掲示板上の俺の話は表面的なものになる事は不可避で、その点から
批判されても、、なんとも言えないですね(なので心理学テキストの論旨に反論を
お願いできないでしょうか?)。
 俺の考えの底が浅いのか、それはそっち側なのか?ディベートしてこそはっきり
するでしょう。これはお願いです、是非お願いします。
 これは俺自身あまり言いたくないのですが、俺の有料メール相談サイドの分析レ
ポートを相談者の方が、慈恵医大の精神化の医師に見せています、彼は何らそれを
「危険である」あるいは「誤っている」と言っていません。俺は権威的な話が嫌い
なので、こういった話をするのは嫌なんですけど、ナノさんの書き込みで俺の話の
危険性を感じる方がいるとちょっと問題なので、あえて話しておきます。

 それから陰割というのは、俺の隠れ本名です。これプロフに載せますが、俺の父
親は私生児で、それを祖母から知らされたのは成人してから後でした、実際の経緯
は(オヤジは役人でしたから)調査したのですが、役所関係の資料からはわかりま
せんでした。祖母が「お前は陰割の子だよ」という一言以外何もわかりません。
 実名は岩原といいますが、そんな経緯がわかるかも知れないと思い、何か公に俺
が行動を始める時にはその名を名乗ろうと決めていたのです。
 陰割が人の心を読む仕事をする人物を意味する、というのは風の便りで聞き知っ
ています。
 あの蝶は「大陰割り揚羽蝶」といい、kagewariを検索した時に唯一ヒットした
JPEGで、家紋です。上記経緯を話したところその家紋ワールドの田中さんが、どう
ぞご自由に、とお返事を頂き使わせてもらっているものです。蝶には蝶道というも
のがあり、それは森の中でも日が指す(陰の割れた)ところで休むルートだそうで
す、これも因果と思い、自分のサイトのシンボルとして使っています。

 さて性行為について、一言付け加えておきます。人間が性行為を行う事を、何か
誤った行為や罪だと考えていませんか?日本全国の夫婦が、そして恋人達が、ある
いは俺の言う所の「ダメ人間達」がSEXをしています。これは医学的にいけない事
なのですか?
 あえて言いますが、葛藤で悩む人の性意識には問題が見受けられる事が多いです。
「性依存」「性的虐待の後遺症」「極端な禁欲」、、俺はそこに顕著に表れやすい
と言っているのであって、欲望になる前の無意識のカオスの中で、それが性欲であ
るかどうかの区別が無い状態を、その能動性から。性のエネルギー=リビドーとし
て考え、性に関わらず、人間のモチベーションの原点であり(種族保存は、疑いも
なく動物の宿命です)何かそれが嫌悪感を伴うものだと考えませんし、それを直接
性行為にしか結び付けられないような浅い考えを持っていないからです。
 性に関わる話をする事が、一般的な批判を受けやすいという事は承知しています
が、分析についてどんなに自分自身のリスクになってもそこから逃げるつもりはあ
りません。

 又基本的にこの掲示板の管理人である俺の方針は「削除しない」です。 
269 返信 あ、そうそうそれからですね kage Mail address 2003/12/31 05:07
掲示板に書くのが何が何なら、直接メール下さい、関東圏なら俺はなんとか時間
作って馳せ参じますので、何が何なら直接会って話しましょう。
 医療関係者の方と話すのは、こちらも勉強になるでしょうから、この掲示板上
でディベートする事に何か不都合があるなら、遠慮なくメールしてください。

kagewari独り
271 返信 Re:残念な事ですが 【ナノ様】 匿名にて 2004/01/05 19:11
最初に聞きたいんですけど
あなたは相談者しにきたのではないのですか?

私は医大・精神神経科&脳神経科、等を
渡り歩きましたが、薬を出されるだけで
症状は全然、治りませんでしたよ

メンタル系の症状は
一概に専門的な知識を持っている医師達が
治せるものでは無いんですよ

チャットをしたり、このような掲示板で
同じような経験談を読んだりして治る人もいますし
人それぞれです

ナノ様
某医大・精神神経科&脳神経科 有志一同
と書いておられるぐらいですから
それなりの知識と経験をお持ちの方々なのでしょう
相談があるなら、このHPを批判する前に
そちらの有志一同さん達に相談して解決したらいかがですか

270 返信 「ナノ」様へ マドマド 2004/01/04 07:48
投稿を読みました。
おっしゃる主旨はまだ理解できる部分もありますが、
なんとも後味が悪くて。
最初は「相談者」を装い、相手の返答を待って切り込んで行く。
最後は、個人に対して「某医大・精神神経科&脳神経科 有志一同」と複数で結ぶ。
それがどこまで信憑性があるのかはわかりませんが、なんか権威をふりかざす感じで
どこか不快です。
確かに知識は多少ある方々(?)という片鱗は見えますが、「出る杭は打ちたい」と
いう意識のほうがもっと見えています。
もっと正当な手段で気持ちよく、論破するなり、批判するなりしてください。

249 返信 初めまして 安ベー@は〜とふるタウン Mail address URL 2003/12/18 21:42
 「ほっとスペース八王子」の安べー@は〜とふるタウンです。

 こちらの掲示板には初めてです。
 何か難しそうなお話ですが、まぁ、気楽にいきましょうよ。僕はご気楽で生きることも大事だと思っています。「ほっとスペース八王子」はそういうところでもありますが。

 足跡をつけていきます。
 ペッタンペッタン。
250 返信 ありがとうございます kage 2003/12/19 12:24
 気楽に生きる事を「ダメ人間」の枠組みで考えている事は同じですよ。
 ただ、気楽に生きる事はそう簡単にたやすい事では無く、「逃げる」に相当
する逃避は大いに賛成ですが、「隠蔽し攻撃する」に相当する逃避もあります。
 その見極めが無いと、苦痛をはぐくむ温床に「安らぎ」と名前を付ける事の
危険性はいつもあるのだと思うのです。

 俺の未熟さが、話を難解にしているのですが、その危険性に注意しているため
なのだと、ご理解ください。
 俺も同じように気楽に生きる術を言葉の中に探し求めているのです。

237 返信 「グリーンマイル」を見て すずらん 2003/11/23 00:38
自分をキレイだと思うわけじゃないけれど、心がキレイな人には
痛すぎる世の中だ。
人が人を踏みつけて通り過ぎていく。
気付きもせずに。自分の痛みで精一杯で、もう・・・。
238 返信 Re:「グリーンマイル」を見て ドーナツ 2003/11/23 01:11
> 人が人を踏みつけて通り過ぎていく。
> 気付きもせずに。自分の痛みで精一杯で、もう・・・。

気付いてないわけじゃない。
気付いてるからこそ、こういう映画がヒットする。
心の片隅にある「キレイな心」への憧れと、自分には無縁だという悲しみ。

「キレイ」って言葉は向こう側から見た言葉。
都合よくおいしい部分だけを「キレイ」と美化して、想像していい気持ちになる。
あるいは捨ててしまった過去に対する懺悔の言葉かもしれない。
「自分にもそんな気持ちはあったし、今も忘れたわけじゃない」って。
そうでもしないと「人が人を踏みつけ」なんかできやしないよ。
みんながみんな何食わぬ気でそうしてるわけじゃない。
時々は気にしてるのさ。

「キレイ」って言葉に騙されて、自分を美化してやしないか?
239 返信 自分の事を すずらん 2003/11/23 02:09
言ってるわけじゃないけど、ってちゃんとまえフリしてますよ。
言ってる事はもっともなので、私の意見はこれだけです。
240 返信 Re:「グリーンマイル」を見て kage 2003/11/23 15:44
「心がキレイ」の意図するものを考えてみましょう。
 劇中主人公の人物設定は「(性的に)無垢な天使」であり彼は白人文明社会
に対するアンチテーゼとして描かれています。
 フラッシュバックする現実の残酷さに生きる心地もしません。
 全体に流れているのは「その事実を知った者が寄せる主人公への共感」であ
り、おそらくそれが「現実社会への批判」と「場違いな主人公の不条理」によ
る問題提起に繋がります。

 人が人を踏みつけていない証明です。
 「その事実を知る者と知らない者」がその後の行動を振り分けているからで
す。とくに劇中それが象徴的なのは「無学な黒人」というイメージが、事実関
係への関心以前に「こうに決まってる」的判断の間違いを引き起こします。

 もし映画を観る観衆と同じ情報が劇中登場人物全員に知られたとき話は逆転
するのです。
 ところがこの映画自体が持つキーは別の所でしょう、主人公が死を受け容れ
る理由です。「ダークサイドが見えすぎて辛い」というニュアンスの表現です。
 この意図も含んでこれはトータルで一人の人格の物語とも言えます。
 「ダークサイドと天使」「その事実を知る者と知らない者」
 「葛藤と自意識」   「社会と個人」

 見方を変えると「常識的盲目は幸福か?」が語られているように思うのです。

231 返信 どうしたいのか ??? 2003/11/17 05:07
ちょっと最近落ち込んでるんだけど、なんか人に愚痴ったりできない。
悩んでる人の話を聞いても、具体的なアドバイスを求めてるわけじゃなくって
なんだか独り言聞いてるみたいな気がしてアホらしくなる。
「自分のことは自分でしか決められない」
最近、とてもそんなことを強く思うようになった。
人の話を聞かないかわりに、自分も人に相談することがなくなった。

誰も信用できない。
あるいは自分を信用されることが怖いのかもしれない。
巻き込まないで欲しいような・・・。

独りでいるのが楽しい。
自由に時間を使えるのがとても楽しい。
でも何か足りなくて、お金もないのにデパートで化粧品をたくさん買ったりしてる。
買い物依存かな?とも思ったけど、ただ気に入った美容部員のお姉さんと
楽しくお話して、まるで自分が特別なお客様みたいに扱われるのが心地いい。
ホントはそんなこと嘘なのに。
でも、そういう関係の方が何故か安心できる。
その場だけの関係だから、ホントの私なんて知らせる必要がないから。
「こうありたい自分」を見せるだけでいいから。

ずっと前に精神科の先生に言われた「たくさん自分のことを話たいんだね」って
言葉がとても気になる。
その言葉を思い出すたびに死ぬほど自分が嫌いになる。
みんな私が話したがってることを見抜いて、可哀想に思ってるんだろうって。
相談してる振りをしながら、私を元気付けたりしてるのかもって。

人が何を考えてるのかさっぱり分からなくて怖い。
どうして欲しいのか分からなくて怖い。
人の心の中をあれこれ推測するのは疲れる。





232 返信 Re:どうしたいのか kage 2003/11/17 11:33
1悩んでる人
 悩んでる人の人称が、その人物なのか、悩みを訴える自我なのか?
 構造的に脅迫に従い、無意識の葛藤を温存する事を前提にした答え
を意識的に導き出そうとしている「相談」があります。
 そして「自分で決めた実績」を記憶に残さないように(経験記憶)
無意識の葛藤への損傷を最小限度にするため「相談による結果決めた」
との結論を期待する事もあるでしょう。

 両者ともに狙いは「予定された回答」です。
 会話の大半は追随です、論争でもない限り相手が不快になる事が
わかっているのに、その言葉を明快に発言する事は回答者の苦痛と
なります。アホらしくなるのもわかります。

 しかし「相談」という形式を取らない方が葛藤や無意識は安全であ
り「相談」の形が必要になるだけ、無意識の力関係が相対的に弱くな
っていることは事実ですし、その折衷案が「相談」であるなら、発言
されない声無き声「根本的な解決に至る回答を聞いてしまうかもしれ
ないリスクを負う」を受けて解答すれば「相手が不快になる事を言う
不快を半減」できるでしょう。
 言い換えれば、相談者の後ろの後ろにその予定されていない解答を
求めている人物がいる、という事になるからです。

 その人物が望む解答は「破壊的アドバイスに近い」具体的アドバイス
なのでしょうから。

 結果自分も人に相談しなくなったのは、自分自身の葛藤が崩壊しそ
うであるため(自分で決めて)相談者の後ろに見えかくれする「根本
的解決を求める者」への不信感が増大したためだと思います。
 つまり自分自身の「根本的解決を求める者」の危険性に葛藤構造が
気が付き「反面教師作戦」により、他者批判を経由して、自己の新た
な認識(葛藤によらない認識)の力を結果的に弱めようとする気持ち
が、追い詰められた無意識の危機意識として沸き起こっているのだと
も言えます。

 誰も信用出来ないと言うよりは。あまり信用したくないのです。
 この感情は無意識ですから、本人の自意識には「関わりたくない」
となるのではないでしょうか。

2ひとりでいるのが楽しい

 葛藤は無意識の連想で、友人や恋人に投影されやすいものですから
ひとりが楽しいのは、その投影によるストレスを「不快」と感じられ
ている事の証です。葛藤構造を守る自己嫌悪が既に壊れているのだ、
と言えます。
 美容部員などとの中間的な社会関係に「快」判定があるのは、投影
無き他者と、自我との自然な関係を楽しんでいる(自由の確認)から
で、それを「嘘なのに」と思ってしまうのは、壊れた自己嫌悪が復活
を求めて(ノスタルジーによって)現在を批判しているからでしょう。

3ホントの私

 これは最後の文節にあらわれる「たくさん自分のことを〜」にかか
っています。おそらくその対象は同一です。
 このホントの自分こそ「過去の自己嫌悪構造」であり「話したい沢山
の事」とは、自己嫌悪(正体は道徳)がその力を自分自身に知らしめる
多数の怒り、悪への批判、投影他者への攻撃、等ではないでしょうか。
 現在上記の「たくさんの〜」を思い出し、自分が嫌いになるのは、
自己嫌悪構造が壊れるていく課程で、ノスタルジーとして「壊されたく
ない」との思いと、「自己決定で壊したい」両者の思いがないまぜにな
っているからではないでしょうか。

 その証拠が「可哀想に思っているのではないか」という言葉です。
 自己嫌悪とは「子供の偏った道徳」とも言えますから、まだ完全に
瓦解していない自己嫌悪を「既に自分自身では崩壊すべし」と決定して
いるため「その残滓が中途半端で残り、他者に見透かされたら?」との
不安の表れだからです。言い換えるなら自己嫌悪の鎧を脱ぎ無防備であ
る現在の自分に対する「自己嫌悪のそれでいいのか警鐘」みたいなもの
とも言えるでしょう。

 全体に流れている事実関係は。
 「自己嫌悪構造の崩壊過程の過渡期に現れる内省的ストレス」でしょう
 本人には不安が残るでしょうが「必ず葛藤の解消課程で通過する感覚」と
考えていいのでは無いでしょうか。

最後に:「疲れる」について

 良くも悪くも、対外的なインターフェイスであった過去の対人関係の
雛型=自己嫌悪を裏付けとした自意識が崩壊していっているのですから
対人関係の個人的ルールの再編成は大忙しの筈です。
 相手の評価が一発で決まらない事は「怖い」と感じるでしょうし、これ
だけ知的活動が頻繁になると疲れるのはやむ終えざる所です。
 ですから、無理をする事無く、休養を取りながら今の回復過程を経過す
れば、そのストレスが長期化する事は無いでしょう。
 期間はケースバイケースなのではっきり言えませんが、そのストレスが
恒久化する事は理論的にも有り得ない事は間違いないのです。
233 返信 随分堅苦しいですね ??? 2003/11/19 04:57
難しすぎて分かんないや・・・。

「相談」って言っても、そんなに深刻なことじゃないのです。
仕事が忙しいから辞めたいとか、会社の誰それが嫌いだとか
そんな誰でもこぼすような愚痴なんです。
本人は「どうしたい」って根本的な解決を望んでるわけじゃないから
「大変だね〜」としか言いようがない。
「破壊的アドバイスに近い」アドバイスなんか求めてやしないし。
会うたびに同じ話を聞かされるから、いい加減うんざりしてきます。
みんなそんな愚痴を言い合いながら社会生活を送ってるんだから
それに参加しない自分の方がおかしいのかもしれませんが。

たまに「破壊的アドバイス」を聞きたがってる振りをしてる人もいます。
でもそれはちょっと違う。
「そういう話を聞く自分」を私にアピールしてるような気がする。
話てる内容は濃いんだけど、実はその人にとって大事なのは
「濃い話ができる関係」なだけで、話そのものはどっかに行ってる。
聞いたことは忘れることがないから、いつか何かの役に立つとは思うけど
なんだか誰も「私」なんか見てないような・・・。

そんな人たちとの会話より、街で買い物した時に交わす挨拶の方が
よっぽど「私」が相手に見えてるように感じます。


精神科の先生に言われた言葉は、「たくさん『話たい』」じゃなくって
「たくさん『聞いて欲しい』」でした。
聞かされる立場の人からの発言だからなんでしょうね。
そしてこっちは話す立場の人間だから「話したい」と記憶してた。
でも実は「聞いて欲しい」だったって思い出したら、余計にイヤになりました。
自分が誰かに「〜して欲しい」と思ってるのが、ゲーって感じです。
特に解決策を求めないで愚痴を聞かせる人と同じなんだなって。
その相手と話たい訳じゃなく、聞いてくれる人に聞いて欲しいんだって。
この受身の態度は、子供みたいだなと思いました。

でも確かに「聞いて欲しい」って気持ちはある。
愚痴をこぼす人を反面教師に、今は口を固く閉ざしてるけど本当は聞いて欲しい。
だから化粧品のカウンターに引き寄せられるのかもしれません。
教えて貰うのも、知識を披露するのも好き。
でも、心の中に抱えてる小さな疑問を、次から次へと質問してる私。
「休憩時間は大丈夫かな?」
「長居しすぎじゃないかな?」と思いつつも、話が止まんない。
いつもカウンターから去ったあと、話し忘れたことを思い出して
「次はいつ行こうか」って思ってる。
(あまり頻繁に行くのは恥ずかしいので我慢するけど)

私は話したいのか?
沈黙が生み出す妙な空間を埋めるために言葉を吐いてるのか?
それともただ、誰かに聞いて欲しいのか?
でも、一体何を?
234 返信 付けたしです ??? 2003/11/19 05:22
> そんな人たちとの会話より、街で買い物した時に交わす挨拶の方が
> よっぽど「私」が相手に見えてるように感じます。

でも、それだけじゃ何かが足りない。
その心地よさは分かるんだけど、なんか「何大人ぶってるんだ」って。
そんなふうに感じます。
236 返信 慣れですね kage 2003/11/20 08:20
大人であることに慣れていないのです。
 これは心理学テキストにも一部登場します。
 属性を離れ「生成りの素の自分」はほんのちょっとすれ違った人との間に
間違い無く実存するのでしょう。
 それがフェイクっぽく感じられるのは「現実では無い現実『的』の不足」
によるもので、言い換えると「舞台設定の淡白さ」故です。「生成りで素」
なんですから、ゴテゴテした装飾は無いのです。

 「相談」について補足します。
 本人は「これはたいした質問ではなく、ほんとうに自分が困ってしまう
話は出てこないだろう。こんな愚痴に真面目に答える人もいない」と、たか
をくくって「破壊的回答の可能性を回避しているつもり」とも言えるでしょ
う。それだけ(ほとんど反射的程度の判断でも)『企て』や『作為』があり
ます。「その作為こそが」非相談者との接点になります。
 おわかりでしょうか?
 非相談者がその作為に気がついた時「言わないだろう」という推測がある
だけで「それは言うなよ」と言っていない事を知ります。言い換えるなら、
この過失こそ「相談者の隠れた真意」とも受け取れるのです。
 わかりにくいのは承知なのですが、ゆっくりと考えて下さい。
 「当りっこない」という推測で、バッターボックスの最前線に立っている
のです。確信犯なら「狙われるだろうから開いて待つ」でしょうが、前者は
「当りっこ無いから踏み込んで待つ」、デッドボール(破壊的回答)は後者
に当るのです。

 過失は「ついそうしてしまうほど(無意識)その人固有の特徴」ですから
本質的なその人の「人となり」には違いないのです。

 つまりデッドボールは避けられない結論で。
 その結論を決定付けるのは本人の「当りっこ無い」なのですから?

 これでおわかりでしょうか?

 隠れた真意とは「自分自身の意図による決定付けられた結論」なのです。
 本気で相談している時「俺はこう思う、批判されるべき点があるだろうか」
と相談者は構えます。「狙われるだろうから開いて待つ」です、この人物に
回答が破壊的となることは構造的に有り得ません。

 ちょっと難解ですね。
                               kagewari

229 返信 さみしいから ハル 2003/10/14 00:47
入ってきちゃった。
前にも書いて、言われたけど、いまだに自分のやりたいことや求めるものなんて見えない。きっと、不便なところでないとわかってたら「のどがかわいた」て言うのに、コンビニがあって、お金もあっても何も買わない自分。
「一番欲しいのがない」「小銭が足りない」そう言うんだろうけど。

年令を気にしたくなくて若く見られるしまだまだ動けるのに、一番年令を気にしてるのが自分で、たとえばバイトでも申し込みができない。気になる仕事を見付けても言い訳してる。
気になる仕事があっても、「ここがあわない」「あそこがいまいち」ばっかり。逃げで派遣とか申し込んじゃって。
さみしいけどそんな自分を見せることを自分が一番許さない。
だから、ネットやメールにしか行けない。顔見られないから、一方通行だから。
向き合うのが嫌だから、彼は作りたくない。
でも「男の人」が身近にいてほしい。友達でいいけど、自分に好意は持っていてほしい。でも良いとこしか見ないでほしい。

変な夢ばかり見る。
ぐちゃぐちゃに何度も殺される夢。腕に変なできものができて本当に気持ち悪いけど人に見せられなくて泣叫ぶ夢、覚えてないのにすごく気持ち悪い夢。
怖い。すごく怖いのに、そういえば自分以外ほとんどいないような。
できものできた夢は今考えても怖くて気持ち悪い。感触も残ってる感じ。
230 返信 さみしさの正体 kage 2003/10/14 03:45
おそらく求めている安楽はこの世に無いものでしょう。
 「誇大妄想の対象物としての現実」
 それを実現するものは、現実には存在しないという絶望。
 やりたいこと。

 何もかも満足させるものは、この世に何一つないのです、何故ならこの時代は
君のために創造されたのではないから。
 みつけた欲しいものは必ず完全な満足ではなく、その中で比較的合いそうなone
だから、本当の確からしさって「残りの不足感や不満」がその選択の正しさを証
明するんです。「普遍的に正しい」という意味ではないです。自分にとって、
「それでいい」ってレベルにあるって意味でね。

 だとしたら、人物への好意とは、同じように「残りの不足感や不満」がその人
への好意の証って事になります。だとしたら今の君の渇望はなんだろう?
 それを孤独や寂しさと認識するのは違うと思う。
 種類の違うものです、それはおそらく「在るべき筈の自分の居場所」のような
ものの不足感でしょう。揃うべき人物が揃ったら満足に変わる「寂しさ」では無い
のです。
 用意され、仕組まれ、君だけの為に誰かが準備した安楽。
 それを俺は「家族のノスタルジー」と考えています。それを望むのは幼児の心で
しょう、つまり「何処から見ても大人としか言いようの無い今の自分の肖像」は、
都合の悪いもので、憎むべきものです。

 寂しいのではありません、取り返せない過去を恨んでいるのです。
 自分が過去の再現と復讐であると、認識したら「そんな事したいわけじゃない」
と思えるでしょう。それを「寂しい」という言葉に代えるとやっかいな事になる。

 それは寂しさでは無いと思う。 

225 返信 追憶(1973) 映画の話です 2003/10/07 07:32
ケイティ(バーブラ・ストライサンド)にとって政治活動は彼女の中でとても大切なことだった。
でもハベル(ロバート・レッドフォード)にとって彼女の政治活動は彼女の一部でしかなかったように思えた。
自分が本を書いたり、映画を作ったりするような「どっちでもいいこと」に過ぎないんだろうと思っていたように感じる。

「ただ愛し合いたい」
それだけならきっとこの二人はうまくいってたような気がする。
でも、それだけじゃダメだった。
片方の「したいこと」「しなきゃいけないこと」が、もう片方にとって詰まらないことだったり、どうでもいいことだと、お互いが我慢し続けることになる。

「君はそのままでいいんだ」
平和運動に熱心なケイティにハベルはそう言った。
ケイティは乗り気でないハベルにタイプライターをプレゼントし、本を書かせた。

愛しているからこそ「変わらないその人」でいて欲しい。
だけどハベルは出て行った。
ううん、だからこそ出て行ったのかもしれない。

別れてから何年後かに二人は偶然再会した。
あの時ケイティはハベルに「家に来て」と誘ったけど、彼は「行けない」と断った。
昔と同じ変わらない彼女の姿を見たから。

(ジェームズ・ウッズが出てたの知らなかったよ)
226 返信 Re:追憶(1973) kage 2003/10/07 09:43
あの映画に貫かれるテーマは、自分を表現する女と眼差しにかすかにその自分を
覗かせているのにもかかわらず、自分から逃げるように表現では無く(当時の
映画界を席巻した「赤狩り」が登場します。労働運動に積極的では無い事が、意
味合いとして、真実から目をそらす人間を意味付けています)才能にまかせて、
儲かる映画に傾倒し、自分を見失う男。この両者を通じて「成功とは何か?」を
問い掛けています。

 恋愛は彼にとって自由な時間で、ほんの瞬間自分を表に出します。
 その後別れていく両者の接点は夢のような記憶となって、両者に同じように
残るのです。自らの人生を恥じる彼は、輝き続ける彼女をまるで汚さない様に
去っていくのですが。そこに満足感やその時代をともに生きた誇り。そして彼
女がそうした人生を生きていく事に自分が関わった事への「記憶に」間違いの
無い事に幸せを感じます。間違いなくあの時はあったのだ、と。
 まるで自分の人生も彼女の「彼の記憶」に託すかのように。

 この映画は「愛」を「知っている事」「覚えている事」と定義する俺の恋愛論
(未テキスト化)の重要なモチーフとなっているのです。
227 返信 Re:追憶(1973)   2003/10/08 03:38
ハベルは逃げていたり、人生を恥じているように見えるのかもしれない。
そしてケイティはそんな彼に本を書かせた。

でも私にはそんなケイティは果たして彼を愛していたのかと疑問に思う。
「お前の生き方はこうだ!」と相手に言うことが、彼の人生に関わっていくことが
「愛してる」のだろうか・・・。
そんなことは自分のエゴを押し付けるだけのように思えてならない。

「君は変わらなくてもいい」
一緒にいることは不可能かもしれないけれど、その言葉には愛情が満ちている。
一緒にいることで相手を自分の望む生き方に変えさせてしまったら
それはもう愛したその人ではなくなってしまうから。

もちろんハベルにはきっと何かが見えていたんだろう。
だからこそケイティに惹かれたんだし、本が書けたんだと思う。
でも、彼自身でその何かを見ようとしないのなら、それは彼の選んだ人生だし
それでこそ彼なんだとも思う。

一緒にいることで、反って目が曇ってしまう。
愛していたその人が見えていたはずなのに、生活の中で生じる些細なことが
見えていた目を曇らせてしまう。

別れてその人の不在を感じる時、曇りが晴れてその人の全てが見える。
もう二人ではないことの淋しさは感じるけれど、自由になれる。

私の中の「記憶」は、愛したい人をうまく愛せなかったこと。
今は遠くから変わらないその人を愛し続けていたい。
228 返信 Re:追憶(1973) kage 2003/10/08 11:34
彼は彼女がそうする人間である事を『感じつつ』彼女と関係したのです。
 若干命題から離れますが、ストーリーの意図は、彼との関係を通じて
労働運動に邁進する当時のウーマンリブの女。彼女との関係を通じて、
自分自身も製作という場に入ってゆく男を通じて成功の本質を描きます。
 まるで神の与えた人生のターニングポイント(あるいは選択点)でしょ
うか?それはそれぞれが自分の必要とする物に出会うかのように、或いは
「自分の運命に出会う」かのように起きます。

 視点としては「彼が彼女に」や「彼女が彼に」ではなくそれぞれがそれ
ぞれのエゴ故に「神が彼らに与えしチャンス」の様に事(恋愛)は起きて
いるのです。
 そして、一見神に選ばれたのは彼女だったかのように話は進みます。
 「神の与えたチャンスを、君は掴めるだろう」と彼はまるで知っている
かのように彼は振舞いますが、それは最後の出会いで修正されます。

 世間で目立つのは当然彼ですが、彼の中には「僕じゃダメなんだ、こんな
程度の才能じゃ」という敗北感の目論見が機知の感覚としてあるからです。
 しかし「最も鮮明な記憶」は、人生のターニングポイントの自分の選択
ではなく「恋愛」です。

 つまり彼も彼女を想う時「自分にもあった選択の時」を黄金時代として
思い出す事ができる充実感が手に入っているのです。ですからラストに彼
がふと車から降りて彼女を見つけたときの表情は全編を通じて最も素直な
ものなのでしょう。『それは既に実現されていた』のです。
 その人がいてくれたおかげで、あの時の自分がまだ生きている。
 失ったと思った自分の人生は、彼女の中に生きているのです。

 いうなら「僕には出来ない事が君には出来る、自分では出来ないけれど
それがどんなに素晴らしいものかは僕には君よりわかる。だから君はその
ままの自分を信じて生きなさい」という事が「君は変わらなくてもいい」
なのです。ところが彼も『出来ていた』のです。
 彼は、彼女の人生の水先案内がその役目であるかのように振舞っている
とも言えます。それは彼の勘違いでした。

 それぞれの記憶の中まで神は立ち入れません。
 二人が思い出す記憶は「人生がどうとかいう事ではなく、黄金時代があ
ったんだ」という恋愛の記憶だけだからです。

 彼は敗北者では無かったのです。
 人生の選択に拘り逃げていた自分を見つけたのです。黄金時代の意味は
実は「人生がどうとか」じゃなかったのです。彼はそれに気がついていな
かった。そして最後に彼女を見つけた時に自分も勝者である事を知ります。
 映画はそこで終わりますが、まるでその後の彼の人生の変化を予言する
かのような(誘いを断るのは「僕には自分でやらなきゃいけない事がある
んだ」と言っているかのようです)ものとも言えます。それは目に見える
実績でも何でもなく、自分の人生を受け容れる事ではないでしょうか。

 彼女の彼に勧めていた事は「彼自身」の思いなのです、彼女にはそれが
どんな意味があるのかわかりません「さぞかし彼もそれを望んでいるだろ
う」ぐらいなのです。
 彼は実はそんな事望んでいなかった、しかし彼にも彼女の思いが見えて
いて、彼にはそれが「本物」である事がわかっていた。ところが自分から
逃げていた彼にはそれはわかりません。勝手に「僕には無理だ」となって
いたのでしょう。
 彼はそんな事を度外視するような「恋愛の記憶」を思い出します。
 自分もそのままで良かったのだと。

223 返信 捨てきれない思い すずらん 2003/10/02 00:19
捨てたい。捨てきれない。欲しい。
でも捨てなくちゃ。
「流れに身を任せてみても・・・」って言う人もいる。
でも自分を嫌いにならないために、これ以上嫌いにならないために
捨てなくちゃいけないものもある。
くるしい・・・。
224 返信 捨てるものは自分の持ち物です kage 2003/10/03 10:52
思うことは、捨てられる物体でも無いし、捨てる場所も無いでしょう。
 それも一種の嫌悪意識に違いないのです。
 捨てるはおそらく現実の感情では「我慢する」が妥当な表現でしょう。
 それが「捨てる」に相当するのは「我慢している根拠」の否定だからであり、こ
れは自分の決定を「正視したくない」ところから、「捨てる」に転じているのだと
思います。
 何故「正視したくない」のか、それは無意識がそうであるように、抑圧された感
情が投影されているので、連想として「見たくない」のでしょう。

 本来その欲望の『威光』は実現し無ければしないほど高まります。
 逆から考えるなら、自らを貶める事で物理的に上昇します。
 俗っぽく考えるべきでしょう。「捨て場所もないし、捨てられたら近隣住民が
迷惑する、第一捨てるものでもない」「処理してから保管しよう」。

 これ以上自分を嫌いにならないため。なんですから「捨てられないものもある」
って事です、つまり「一戸建てが欲しい」という感情は「捨てる事が不可能です」
選択は「諦めるか、我慢するか、建てちゃうか」しかないでしょう。
 捨てられるのは建材ぐらいななもので、それは「余裕で一戸建てが建てられる」
環境でしか成立しません。

 なんとなくわかるでしょうか?
 「自分のものだから、捨てられる」のであって、そこには「手に入れたのに」で
あっても「手に入れた実績を確認できるだけマシ」な二次的利得があるのです。
 不思議な話ですが「手にする、拾う」と「捨てる」の背理は同じ「所有」です。

217 返信 強制退院 すずらん 2003/07/16 14:07
私が、じゃないけどほかの人が精神科を強制退院させられていた。
大人の行動に子供が付きまとい、突っぱねても突っぱねても追いかけてくる。
その騒ぎのせいで大人二人が強制退院。やっと「変な人」に出会えたと
思ったのにな。僕もそのうち強制退院かもしれませんな(笑)。
218 返信 Re:強制退院の経緯が気になります kage 2003/07/17 04:47
 その二人に何が起きたのですか?
 何をしたのでしょう、、
 強制入院、措置入院なら聞いたことあるんですが、強制退院があるとは知りませ
んでした。

 良かったら簡単でも構わないですから事実関係を教えてもらえると助かります。
219 返信 強制退院の経緯 すずらん 2003/07/21 01:20
そもそもの始まりは、大人たちに子供たちがついていって勝手に騒いだ感じ。
細かく話すと、一人(大人1)は風呂場で髪を切った。ちょっとモヒカンっぽく。
もう一人は(大人2:パニック障害など)髪を軽く染めた。
残りの子供二人が真似をして頭を染めたり、その大人二人にくっついて
回るようになった。相談とかも、大人たちはされていた。
「いいかげん、自分たちの治療にならないからそういうのはやめてくれ」と
何度も言ったにもかかわらず、ついて回る。
それを見た(多分他の人からの苦情もあったのでしょう。子供たちが騒いでいたから。それをたしなめているのも見たけど)お医者さんが「これなら
自宅通院で大丈夫でしょ?」って一人は、数日前から「強制退院かも」って
告知されていたけれど、もう一人の人は当日の午後2時半に呼び出されて
4時には退院してくれと言われ、パニック障害を起こす。

子供たちにはお咎めなし。それが、理不尽で私も怒った。
何もできないけど、ただ、怒った。
子供たちは相変わらず外で騒ぎ、携帯を病院内でかけまくり、未成年が
タバコを吸う。常識を、今教えないでいつ教えるんだろう・・・まで
考えちゃう出来事でした。

かるーくでこんな感じです。「風紀を乱したから」が原因ならば、
私も病院で髪を切ったり、美容院でフェイシャル(顔のマッサージ)やって
もらったりしてる。これは、風紀を乱すにならないのか?
ってな感じです。あまりの突然の出来事に、医者へ、看護婦へ、子供たちへ
不信感がたくさんです。私の病気は、きっと病気じゃないから。
このまま入院していても治らないんだろうなと考えさせられました。
220 返信 本当の子供なんだ、その話 kage 2003/07/21 03:38
子供は依存と葛藤のの保守のための「宿り木」を探してたのでしょう。
 自分の葛藤構造への共感者、家族の代理を探したのでしょうね。
 あくまで代理、想像上の逃げ場所でしょうね。「ハイ」になるから騒ぐので
あって、望みが叶ったからでは無い。
 確かに両者の治療の妨げと医療関係者が感じても不自然じゃありません。

 惜しいのは、その現象自体が、分析のとっかかりとなる同時進行の現象なの
に、、でしょうか。
 宿られた方の意図は何か?
 誰かに働きかける自分に、自己愛的内向性があるのでしょう(推測ですが)
モホーク刈りと、髪を染める事から、その子供(の様な存在を含む)たちを
意識していたとしたらどうでしょう。
 集団を形成すると、本当の開放感は失われます。
 子供達が知るべきなのは、自分たちは「自由を拒絶している」という点でしょ
うね、彼らが望んでいるのは「より小さな世界」なのだと思います。
 逃げ込む事は、症状の改善と逆方向なのは言うまでもありません。

 強制退院ですか、なるほど、わかった気がします。残念な事ですね。
 人間関係の接点をもう少し小さくするべきなのかも知れません、、
221 返信 まったくその通りだと すずらん 2003/07/21 08:39
思います。
精神科という、メンタルな部分が特別に強い部署(?)なので、子供たちは
リーダーがほしかったのでしょう。
そうなんです、そこが取っ掛かりになって治療をすれば何かが変わるんじゃ
ないかと思えるんです。病院て、普通の状態に戻す場所だと思ってました。
彼ら(子供たち)は、このまま「大人」という意味を知らずに
生きていって、自覚のある人が責任を取っていくのかなぁ・・・って。

私も今回の事ではお医者様に「そういうごたごたに巻き込まれないように
4人部屋にしたんだし」と言われたし、私自身も納得して、今は
一人孤独にクロスワードでも解いてます(笑)。

「小さな世界」、納得していただけましたでしょうか。
222 返信 ある意味、病院を形成する社会は kage 2003/07/21 12:54
「普通」ですから、期待には限界があります。むしろ精神科病棟にには、患者
サイドが持ち込む静謐が必要なのかも知れません。
 苦しんでいるのは自分ひとりで、特別では無いとの体験が最も重い(症状の
相対化)体験であり、入院による認定(離職などの理由)が休息に繋がるので
あって、極端に言えば、閉鎖型から開放治療に精神科が舵を切った時から、実
は入院に主体的な治療効果があるのでは無い事を彼ら自身認めたとも言えるの
です。通院できないほどの症状のように、あくまでも個人の選択に入院が選ば
れる(時には家族の要請も含まれるでしょうが)のですから。

 大幅に期待できるのは、患者間の「葛藤事由のズレ」なのです。
 他の患者さんの葛藤事由には、自分の自己嫌悪の監視外です。それなのに同
じ症状である事。他の患者さんの葛藤に気がつけば、それだけ自分が何を無意
識に押し込んでいるのかの想像や推測を楽にします。
 極端な楽観ですが、無意識の中にあるまま小さくなる可能性があるかも知れ
ない。アメリカなのどグループセラピーの根拠でしょうか。日本人はシャイで
すし懺悔の文化がありませんから、そこまでの効果は期待できませんが、その
代わりに、静かに他の患者さんと話しができる自由な空間が平和に保たれれば、
いいのかも知れません『談話室』の様な。
 カウンセラーと患者が自由に歩き回る喫茶室のような場所です。

 俺は門外漢ですから、無責任な発言かも知れないけれど。

210 返信 ちょっと「気になる」事です kage 2003/06/26 09:26
 昨日俺は、電車の吊るし広告(雑誌です)の見出しにある発見をしました。
 これまで「だから無いって、、」と独り勝手に悔しがっていた、
 あの「やりたい事」が、なんと
 「好きな事を、、、」という表現に様変わりしているじゃないですか。

 これまで定番だったあの言葉「やりたい事」に変化の兆しあり。
 独り揺れる電車のシートで感慨深く、思いに浸っていたのが俺独りであった
事は、言うまでもありません、、、
211 返信 えっ?えっ?! すずらん 2003/06/27 12:10
それって「様変わり」になってしまうんですか?
パソコンの前で感慨深く・・・(笑)。
212 返信 テキストに書こうかと kage 2003/06/28 09:37
 思ったぐらいです。
 「好きな人」とか「好き」表現がヤバ目には違いないんですが、
 「好きな事」「好きにする」「勝手にする」の流れの「好き」も
あるわけで、厳密にいうとこの「好き」は違うんです。

 「私が好きな○○な人」
 「好きな事を好きにやる」
 
 上手く言えないので、はいよく考えてから改めてここに書き込みましょう
213 返信 自分なりの すずらん 2003/06/28 18:11
思い込み・・・ってところですかね?
嫌いじゃないから好き、なぜ?の
理由の問題なんでしょうか・・・。
うーん、ぐしゃぐしゃ・・・。
214 返信 好き勝手 makiko 2003/06/29 03:31
「好きなこと」ほど「好き勝手」にはできないもんなんじゃないかなぁ。
「好きなこと」ほど大事にしたり慎重にしたりするんじゃないかなぁ。
だって「好きなこと」は守りたいから周りとの折衝とか色々考えて大事にするだろうし、押し切ってやるときもよくよく考えた上だろうし。
周りからはどう見えてもさ。

「好き勝手にできること」ってのは実は「どーでもいいこと」なんじゃないかなぁ。
215 返信  好き放題とか kage 2003/06/29 19:20
いわゆるひとつの「SPA!」の見出しなんですよ。

「好きなことをやる」リスク&リターンは時代と共にどう変わったか? [新/旧夢追い人]の脱サラ中間報告

という奴。どうですかこれ!え?どうですかー!
 なんか間抜けな40代特集なニュアンスなんですよ。
 だから「どーでもいいこと系」「好き」表現。バカ系「好き」でしょうか。
 やはり「やりたい事」的な「なにやら感」が薄いと思うんですがね。
おそらくね「好きなことをやる」の「やる」がついてる事が「好きなこと」
単体だと「やりたい事」的な怪しさを残しかねない要素を、払拭して、バカ系
「好き」に繋がっているのだと思います。
「勝手に出来る」に繋がる、わりと乱暴な「やる」がくっついて括弧閉じにな
ってるからかも知れません。

 え、つまり「好きなことをやる」は何処となしバカが「好き勝手な事をして
失敗」とか「バカなので好き放題」な感じがするのですよ。
 「好きなこと」だと関係代名詞のようにある特定の「誇大イメージを代弁」
する可能性を残しますが、「好きなことをやる」となると、代名詞の要素が、
後退して「バカな40代が考えそうな事だろうっ」と繋がるからですね。

 見出しの前文を載せなかったので、わかりにくかったスね。
 そういう事なのです、そこに俺は「やりたい事」は実は「バカかも的」な、
ジャーナリズムの(SPA!は朝日とかバカにしてますからね、サンケイだから)
批判と自戒を感じたんですよ。

 関係代名詞でいんだっけ?


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