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kagewariさん、三毛森と申します主婦です。
過去ログ含め 3回ほど通読させていただいて 自分の強迫に気がついて肩の荷が下りてきています。
(論理療法のように自意識の監査を徹底して入れようとするあまり、結局道徳に監視されてるじゃん。。。みたいに考え疲れで混乱もしておりますが)
信じることが難しいというのは、ここ数年の家庭の珍事(?)で目立つようになったと感じているのですが kagewariさんの回答など読み返すうち、小学生のころから親のことを信じていなかったことなど 付随してわらわらと想起されてしまって、起点すら不明な状態です。
■03年 主人の両親がリストラに合い、無一文&借金200万弱で故郷に帰ってきたこと。義父の脳梗塞の発作をきっかけに義母が一人で持ちきれなくなって、初めて打ち明けてきました。
義父・義母・義妹・義弟 全員が「お金が足らなかったら、友人・家族になきついたら何とかしてくれる」という行動を取っていることにショックをうけました。
生活保護の申請や、破産の処理を私が率先してなんとかかんとか、生活の安定を得ました。
■このころ、私は家族を監督できるのは私しかいないんじゃないだろうか と重圧を感じながらもやりがいを感じて テンションあがってしまって アルバイトも異常に全力で取り組んで、過労で病気になり退職したりしていました。
■05年 初期仏教系の本を読み、僧侶との対話に感動して宗教団体の法話を月二回聞きに行くぐらいハマる。
その僧侶は、「僧侶というのは大人の人のことも 親のように心配し導くのが仕事だ」というような話をされ、私は義父母・夫のたよりなさに憤慨していたのでコロリと子供のようになついてしまったのでした。
役に立つ人間であることや、常に生命全体の幸せを願って行動することや、心を綺麗に保つ(きづき)などをおおマジで実践しておりました。
(だって、ぱっと見悪いことでありようがないっていう 「普遍的な奇麗事」だから全信用しました)
■06年 修行というのは、自分の行っている行動・感覚に、言語できづきをいれるというものです。マインドフルネスという心理療法にも取り入れられているものですが、この団体では「心を綺麗にする、最終的には解脱(^〜^;)をめざす」という触れ込みで 気付きを完璧に一瞬のもれもなく入れるという結構 脳疲れがハードなものでした・・・・・。
06年春ごろ、その宗教団体の掲示板で、「僧侶の書き込みが、私だけにわかるように 私個人的な悩みに回答をしてくれている」という実感を持つようになりました。
(因果法則とか、タイミングのこととか、自分でも普通に頭を使って考えていたつもりですが 今は現実離れもはなはだしい、幻覚みたいな考えだったと思います。06年ごろは悩みもおちついて、明るく生活していただけに 精神病のような思考になっていたこと夢にも思いませんでした。)
■07年
僧侶の主観では、「正社員にならずアルバイトでいる人間は自立していない、仏教とは自立をめざさせる教えだ。」とのことで ハマっていた私は アルバイトと主婦業だけの自分が未熟で大人になりきれない者だと突きつけられたように感じて、すっかり自身をなくしてしまいました。
正社員・自立した大人 を目指して、方向もわからぬまま努力の空回り、自己嫌悪がますばかりの日々になってきました。
■08年 二度アルバイトに付くも、二回とも職場の女性とぎこちなくなってしまい、なぜか意地悪をされてしまったり 以前のように和気藹々と働けないことに大ショックをうけ 退職後、寝込んでしまいました。
■だんだん疑念がふくらみ、宗教団体には近づかないで半年、一年がすぎると 少しずつ自由な気持がもどってきました。いつも他人の幸せを願っているべきだとか、人の役に立たなければ自分がいる意味はいないとか、決して怒らないとか、そんなあり得ない良い子ちゃんを目指して(一見、美しい理想的プロパガンダですが)自分でボロボロになっていたのだろうと思いました。
■つじつまの合わないことを信じてしまうのは、論理面が弱いからだろうと クリティカルシンキングの本を読んだりしましたが、「自分が変なんだから、ここ直そう、直そう」っていう暗い基本姿勢みたいのがいまだ取れません。
■正当な南伝仏教だという その僧侶の理想的「お言葉」を「そりゃーそーかもしれねーけど、疲れてやってられねぇんだよ、おまぇだってショッチュウ怒ってんじゃんバーカ!」などと突っ込めるようになるまで 2年ぐらいかかりました。(だって、私にとっては権威のなかの権威だったんです、しかも僧侶の言葉は仏陀の言葉と思って聞け。みたいな・・・・突っ込み禁止令ですよ)
自分のバカ正直さ、洗脳しやすい考えの浅さに愛想が尽きてしまいました。
正論をはかれると、臨機応変に身をかわせないというか、、、、なんだったんでしょうか。。。
それで、親や、夫や、「とにかく無批判に受け入れたいもの」ほど、キチンと反論できるようにと考えるくせが付き始めているのですが・・・なんか、孤独でものすごく疲れてつらいのです。
言っている事を、そのまま信じたいと思ってしまいます。らくだから。
☆私の父母はふたりとも 塾講師です(父はもと高校教師)
義父母の借金の件などで相談した時、母は「気の小さい父に知られると、頭がおかしくなってしまうから秘密にしておくよ」と突き放すようなことを言ってドアを手早く閉めて終わりで、その後何度も母との歓談なども持てたのに、ひょっと落ち込んだりする瞬間に不信感と怒りの記憶が蒸し返してきます。
母との楽しい思い出が、想起できないのは ちょっとまだ病的かなとおもうのですが、、、
☆12才から19才まで、私は胸にしこりがあること乳がんだと思ってひとりでかかえていて、いつ死ぬのだろうか、母に波風をたてないように、ぎりぎりまで黙っておいてなるべく早くしんだらいいんじゃないだろうか。とかんがえていました。(何の保身?!)
一度は母に相談するも「がんかな(笑?!」とデリカシーの無いことをいわれ、多少感触でたしかめたあと「大人になればなくなる、大丈夫」となったのです。
回答に、安心せずにいた私は 親を疑っていたわけですよね。12歳が。
(人格形成にかかわるような年代の出来事なので、書いてみました。)
■疑うので、疲れ、仕事も長続きし無そうなので応募していません。
家の片づけをしていたら、21歳のとき「拒食症と親離れ心理の本に興味がある」と自分が書いた読書アンケートはがきを発見しました。
20歳で、バブル期の女子大生生活に溶け込めず つらくなって退学したころに書いたものです。
8歳上の兄は、20代のときに躁うつ病を発症して 今も年金で生活しています。
私もその体質があるのかもしれないと思いますが、三ヶ月交代ぐらいで落ち込みます。
それにしても 精神病や病気のことに私の興味が偏っていると感じます。
ただの、暗い考えぐせなんでしょうかね。。。
何が聞きたいのか、わからない書き込みでごめんなさいm( )m
義父のこと、親のこと、夫のこと、僧侶のこと、思い出し怒りがこみあげてくると「しね!しね!しね!」と興奮しがちで
職場でいじめてきた女のことを憎んでいたのが、最近夫のことまで しんだらいいと思えてきて 論理がおかしいというか、へ理屈でだれでもやりこめてやれみたいになってきてつらいです。
なにかお気づきの点などあれば、アドバイスお願いいたします。
お忙しい中、読んでいただきありがとうございました。
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